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630 ◆.EDMOUBKE2

テロの驚異

 世の中の態勢が一度そうなってしまうと、もうだれもそれに立ち向かうものは
なくなり、大勢に流される、長いものには巻かれるというのが日本人の、いまも
昔も変わらぬ特性だが、あの時代を説明するのに、それだけではなお少し説得力
に欠けるようにも思われる。おそらく、大勢に反する言動や軍部の意向にそわな
い自説を主張することは、テロを招く危険性が非常に大きかったことも、その理由
の一つに数えねばなるまい。
 さきに述べた天皇機関説問題では、美濃部達吉には護衛の警察官がついていた
にもかかわらず、自宅で右翼の青年に襲われて重傷をおった。貴族院における
美濃部の釈明演説に拍手うぃ送っただけでも、右翼方面からの暴力行為のおそれ
があるとして、その議員には警察官の護衛がついたという。衆議院で美濃部を
支持するような発言をした芦田均の自宅には右翼が押しかけている。

631 ◆.EDMOUBKE2 :03/03/14 14:40
続き

 大正時代にも、"平民宰相"といわれた原敬は外交の基礎を対米協調、対中不干渉
に転換し刺殺されているし、政治家ではないが、外務省政務局長阿部守太郎は
中国不干渉をリードし、これも刺殺された。
 しかしこの時代は左翼運動家に対する警察や憲兵による殺害を別にすれば、
政治家の暗殺はまだ例外的であったが、昭和に入ると、テロは続出することに
なる。当時やっと新聞というものをちらりと読みはじめた小学生の私は「総理
大臣というものは殺されるものだ」と思いこんでいたほどである。暗殺やそれに
類する主要なものを次に掲げてみよう(略)。
 米内海相の暗殺計画は、陸軍が推進する日独伊三国同盟に強く反対していた
ことによるもので、同じく三国同盟反対の山本五十六次官も、斬奸状を送りつ
けられ、三国同盟の推進を叫ぶ右翼の暗殺の対象であったという。現役の海軍
大・中将である米内光政や山本五十六まで命を狙われるのだから、自説を堅持
しようとする政治家たちは、つねに生命の危険を覚悟しなければならなかった
のである。『右翼百年史』(東健一)によれば、1930年11月の浜口首相
狙撃事件以降、1943年までに、テロやクーデターは未遂をふくめ44件に
のぼっている。
 寺内陸相との「ハラキリ」問答で有名な代議士浜田国松が次のように語って
いるのも、そのかぎりにおいては一応もっともと言えるだろう。

 ・・・浜口君も犬養君も殺されてしまう。殺しておいて政党は無力なり、国民は
信用を置かぬという理屈がどこから出てくるか。政党の首領たる人物、国民の
代表たる衆議院の過半数が信任を与えた者を、ピストルや短刀で三人も四人も
殺しておいて、有力な政党として働くことができますか。

若槻泰雄『日本の戦争責任』小学館ライブラリー