明日、自殺します。

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61死んではなりません
マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P294/あかし書房

“罪を犯した人はすべてにおいて恐れの幻を見る”それをつくり出すのは
良心である。サタンは心に後悔を起こし得るそういう幻を、落胆と絶望に
すりかえる。絶望が最後の犯罪である自殺へと導くのである。
62死んではなりません:02/03/12 21:07
それほどの、神のみ業の贈り物に対し人生は感謝して生きるに値する。
また生きるものであることを感謝すべきである。世の終わりにならな
ければ、あがなわれなかったにしても、その感謝を表すべきであった。
なぜならあなたたち最初の人間から始まって、今に至るまで、個個の
人は違反者で、傲慢で、淫乱で人殺しであるにもかかわらず、神は宇宙
の美しさ、宇宙の恵みで楽しむことを今でもゆるしてくれるばかりか、
あなたたちがよい子供たちであるかのように、生活をより楽しくするた
めに、すべてを与える。あなたたちが知っていることのすべては、神の
光による。発見することも神の指定による。よいことは皆、神より出る。
(マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩/上P40)
63死んではなりません:02/03/12 21:11

ユダ:「では先生、私は何を捨て去ればよろしいですか」

イエス:「おまえの心をかき乱すと分っていることなら何でも。なぜなら、
神は平和で、おまえが神の道を歩きたいならば、おまえの知恵、心、肉体
にとって平和でないこと、すべてを抹殺すべきです。自分自身を改革する
ことが難しいのは知っています。しかし、私は、あらためて神の子となる
ように、人間を助けるためにここにいます。しかし、おまえのさきほどの
質問に答えます。適切な私の答えがなく、おまえがあやまちに残ったのは
私の責任だと言わせないように。自決するのは他人を殺すのと同じです。
自分の命であろうと、他人の命であろうと、命は神の賜物で、これを与えた
神だけが、いつかそれを切る権利があります。自決する人は、自分の傲慢
を告白するもので、傲慢は神に憎まれています」

「傲慢を告白するとおっしゃるのですか。私はむしろ絶望を告白すると言
いたい」
64死んではなりません:02/03/12 21:12

「しかし、絶望が傲慢でなくて何でしょう。ユダ、ちょっと考えてみなさい。
人はなぜ失望するのですか。さまざまの不幸が集中豪雨のように降りそそぎ、
それに自力で打ち勝ちたいと思ってもできないか、もしくは、自分は罪人で
神に許されないと考えているからです。
この両方とも、もとをただせば傲慢ではありませんか。じぶんだけで何でも
したいという人は“私にはできないけれどもあなたにはできます。私を助け
てください”と神に手を伸ばし、あなたにすべてを期待し、すべてを希望す
るという神への謙遜がないのです。“神は私をゆるしはしない”と言ってい
るもう一人の人は、神を自分自身と比べて、自分が侮辱した人は自分を許す
わけがないと知っているからです。すなわち、ここにも傲慢があります。
謙遜な人は、あわれみ、同情し、受けた侮辱のために苦しんでいてもゆる
します。傲慢な人はゆるさない。“父よ、私は罪を犯しました。罪深いあ
われな子供をゆるしてください”と頭を下げることを知らないからです。
ユダ、知らないのですか。真実な痛悔をしている心、謙遜で善に復活した
いという望みの心でゆるしを請うなら、御父からすべてゆるされるのを知
らないのですか」