十十十 カトリック 22 十十十

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194青眼 ◆.t4dJfuU
神様が仰った事柄を忠実に履行していくのがカトリックです。
>>184
そしてその教えは全て最終的には神様の言葉に基づいています。
もし、ルーテルのように、人間が人間的な都合によって何かと理由をつけては、それらを勝手に廃止してしまうのなら、それは神様の教えならぬ人間の教えになっています。
事実、公会議以後カトリック教会のプロテスタント化が進んでいますが、これはサタニズムを信奉するフリーメーソンの意図するところと合致するものです。

私は以下の事柄のような事柄を列挙したうえで、皆様が要求する具体的な第二次バチカン公会議以降に噴出した公教会内の誤謬の描写をしようかと考えます。
195青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:04
第二次バチカン公会議前後のカトリック教会  背景として

1、1972年聖ペトロ大聖堂の講話でパウロ6世は「バチカン公会議」の精神の名において教会の自己破壊を企てる動きについて触れられており、これを「神殿に入りこんだ悪魔の妖気」に喩えられています。
事実同じ年、アムステルダムのドミニコ教会では司祭でなくジーパン姿の信徒の男女が他の信者にパンの御聖体を授けていますし、
さらには居並ぶ信徒は皆腰掛けたままで、誰一人として跪くものはおらず、教会の内壁にはマルクスとゲバラのスローガンが立てかけられていたそうですが、
こうした一部の教会の腐敗は同会議以降極めて顕著に見られるようになっています。
196青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:07
2、「典礼憲章実施評議会」秘書、礼拝聖庁長官として典礼改革の実施を推進したブニーニ大司教は、T・カシーニ著、「悪魔の妖気」によるとフリーメーソンのメンバーであるといいます。
フリーメーソンはキリスト教、特にカトリック教会の内部崩壊と超教派的世界宗教の創設を目指す機関ですが、
カトリック教会の崩壊を促す最も手っ取り早い方法は霊的は発電所たる典礼の空洞化を図ることにあります。
そしてそれを端的に示すかように、十字架の生贄、キリストの秘蹟的代理者としての司祭、御聖体に於けるキリストの現存というカトリックの最も大切な部分を取り除いた
異端的な「ミサ典書総則」を同大司教は教理庁の承認を得ずして発行していますが、
発行と前後してオクタビアニ枢機卿、バッチ枢機卿らの強弁な反対により同書は数度に渡る訂正を加えられています。
このような履歴を持つ同大司教が公会議の主要な推進者の一人となっています。
197青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:08
公会議の結果

公会議以後、典礼と秘蹟、あるいは聖書と教会の位置付けなど伝統的なカトリック教義の至る箇所において強い歪みが生じています。
具体的には、

第一に、改革によってことばの祭儀が以前よりも大切にされるようになりましたが、
反面ミサでは共同会食という面が強調されて
それまでのカトリック教会特有の厳粛な雰囲気が失せてしまいました。
司祭は神に向かって礼拝するより、
信徒に向かってエンターテインする司会者としての傾向が強まり、
共同体は神に対して向かうよりも人間に対して向かう開かれた共同体になっていきました。
198青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:08
第二に、改革によってミサにおいてカトリック教会が最も神聖としていた箇所が忘れられがちになり、
ミサは神秘的な聖体の祭儀ならぬ、単なる祭儀、プロテスタントの聖餐式のようなものと化してしまいました。
結果として、一部の地域ではカトリックでない人が御聖体を授かったり、カトリック者がプロテスタントの聖餐式に出ることが通例となってしまい、
これに対して実際に複数の司教団がこの状況を警告する旨の教書を出しています。
199青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:09
第三に、改革によってカトリック独特の種々の信心がないがしろにされるようになっています。
また共同告解が頻繁に行われるようになり、結果として私達個人の罪が自分本人の自罪としてよりも共同の罪として認識されがちになっています。
そして現教皇様はこれら公会議以後の教会随所に頻発する冒涜的な態度を憂いて、1980年4月に「計り知れない賜物」という教会の典礼刷新を口実に種々の実験を行い
教会を侮辱する人々を指摘して改革過剰履行の行き過ぎを警告する内容の書簡を全世界の信徒と司祭宛てに出されていますが、
結果として書簡の影響は一部の教区に留まり我が国でも世界でも書簡が出されたことすら殆ど周知されずに終っています。
200青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:09
第四に、改革によって神様がお造りになった神秘体としての在来の教会観、及びカトリック諸典礼の中でもっとも大切な箇所であるマリア崇敬が蔑ろにされています。
民主性が強調されすぎた結果、共産圏の幾つかのカトリック教区では解放神学を説く人民教会が形成され、内側から小教区がローマ・カトリック教会を圧迫する現象が起きています。
201青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:10
第五に、改革によって公教会独特の秘蹟を大切にし聖職者を中心とした上からの教会に対して司祭でもあり信徒を中心とした下からの教会を作らねばならないとする
「新しい」教会論が世界各地で横行するようになりました。
これが酷い例になると、教会の中での女性の差別をなくすために「父なる神」を粉砕せねばならないとする者や、三位一体論を不要とする司祭まで出ているといいます。
202青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:10
第六に、改革によってカトリック教会の信者一人一人に対する指導の必要性が軽んじられるようになり、
「バチカン公会議の精神」の名で聖書を一人で読んで勝手に解釈する風潮が強くなっています。
中には階級闘争史観に基づいたマルクス主義的聖書解釈も出てきており、カトリック教会の信徒に与えるアピール度は日増しに落ちています。
203青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:11
第七に、改革によってカトリックの非常に重要な箇所、ローマ教皇への忠誠が軽視されがちになっており
それと反比例する形で、司教議会が過大評価されるようになっています。
結果としてローマからの自由独立を求める風潮が各教会の間で強くなっています。
204青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/08 22:11
以上、公会議の行われた背景とその結果とを列記して参りましたが、
少なくともこれらから明らかに言えることは公会議は教皇様も否定的であった怪しげな雰囲気の中にはじめられ、
その結果としてかつての宗教改革によって分離した教会と同じく、いえ今度はカトリック教会全体のプロテスタント化が促進され
、カトリックの伝統的な独自性が激減するという惨憺たる影響をカトリック教会は受けたということです。
この会議による変革以後、廃止されたカトリック教会は実に数百に上り、両者併せて数千のカトリック司祭、及び修道女が教会を離れて還俗するという現象が起きていますが、
もし、神様のよって祝福された改革ならこのような結果はないはずです。
カトリックには真理の全てがあるとするのが、イエズス様ご昇天以後のカトリック教会の伝統的な教えのはずですが、上記のように故意にその影響力を貶めたり
その教義を誤って認識させる改革は誤謬に基づいた改革といえます。
ですから、残念ながら今のカトリック教会の殆どはこのような誤謬に基づいた教理を広めている、申し上げたくはありませんが
要するに異端的な教会ということができると思いますし、
これらの教会が自らによる積極的な訂正を行わない限り、公教会とそれが保護する全世界は悪魔にどこまでも無力になっていく、
そしてあとは神の裁きを待つまでの状態になると断言できると思います。