十十十 正統的カトリック・スレッド 十十十

このエントリーをはてなブックマークに追加
239青眼 ◆.t4dJfuU
今は十分な時間が割けないために(精神的な余裕も)反論に対して殆ど粗雑な処置しかできずにいるが、いずれ機会を得たら、逐一対応してやろう。
それまで待ってろ。>特に232は必ず頃す

176 名前: 1 投稿日: 01/10/03 17:35

日月神示の肯定者に伺いたい。
キリスト教では、主は「愛」を一方的に与えて、自分自身の意思でそれを維持させる目的のみから人間を創ったと説明する。
他人の幸せになるようなものを無私の目的で一方的に与えることがキリスト教で言う愛なんだ。(大抵の場合は神をただ一方的に愛することだ。またそれを身近に表現する手段として、隣人愛という形を取る場合もある)
逆にこれに反することが悪だ。
だが、主は人に愛を与えたのみならずそれを維持させる必要から、人間に良心という「愛」を執着することへの義務感のようなものも与えたので、どんな人間でも善を見ると同時に安堵を覚えるし、悪を見れば自責に苛まれるとしている。
この人間自身ではどうにもならない先天的な性格は、この世では(その者が無条件に善を選ぶかどうか試す必用から)一時的に弱めてあるが、死と同時に最大限に高められると説く。
だから、一度肉体を離れてなお「善」への愛着を持っていれば、その分だけ、天から恩寵を賜らなくても自分の持つ良心によって大変な喜びを得るわけだし、逆に悪人にとっては「悪」への執着の分だけ苦痛を得てしまうことになる。
そして、「悪」は本人にとって苦痛であるばかりか、主にとってもはじめから望んでいたことではないので誰にも何の利益にも喜びにも繋がらない。
だから、「悪」まるきし無価値だ。
以上、面倒なので「審判」には触れずにダイジェストに善一神論を書いてみた。