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494ろんぎぬす
聖書をなぜ信じるの?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1014635058/

【 適当にコメント その1 】
>1 :Bible
>こんなのなんで信じてるの?
「聖書が正しいと聖書が証言」こんな箇所が有ると、
「信じて」疑問を持つ人に、疑問を持つ。

>7 :名無しさん@1周年
>クリスチャンが多い。そう考えると聖書にはやはり力があるのだと私は純粋に
「聖書の言葉一行」に、というより「神の言葉」に。
なぜって聖書という単独の本はないから。各巻物が集まって「聖書」と決めた訳だから。

>8 :名無しさん@1周年
>科学の発展とキリスト教は密接でしょう。
>絶対者と人間を区別し、客観性を持たせているから。
確かに。
ガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラー、チコ・ブラーエ、コペルニクス、
デカルト、ニュートン、インマヌエル・カント等は、近代科学・哲学の元祖で、
異教徒ではない。イスラム教でもユダヤ教でもヒンズー教でも儒教でもない。

>20 :教団信徒の友
>(ヨハネによる福音書5章39節)
続き「モーセの書を信じない・・・どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」
キリストを信じる前提は、トーラー(モーセ五書)を信じること。
「栄誉」を求め「信じ」たなら、
「永遠のいのち」と「神の愛」が、あなたたちの「なかに」あるか?と、
問いかけの文。
495ろんぎぬす:02/04/01 22:54
【 適当にコメント その2 】
>28 :あずみ ◆V.9uSetc
同感ですが、新教の考えです。
旧教側(公教・正教)は、「聖書」によらないマリヤ崇敬のように、
教会決定の文などを「聖伝」とした付加・証言集を作り上げて、
フィルターして読むことの逆をしました。

>31 :名無しさん@1周年
>福音書記者やパウロが信じたものを信じることが出来ればクリスチャン
その通りだと思います。

>43 :名無しさん@1周年
>君らは大昔のものだから信じてるだけ。全く根拠ない信じたいから信じてるだけなんだよ。
たいして「無史時代の」大昔でないと思うし、
世界最古の町エリコのように「存在が考古学的に」まったく根拠がないわけでない。
心霊科学という訳ではないが、サニワ(神審?)が出来れば根拠はある。
今の技術力でしか証明できない科学や学術だけが「根拠」にできる事でもあるまい。
496ろんぎぬす:02/04/01 22:55
【 適当にコメント その3 】
>56 :47だけどね
>自分はヒンドゥーもカトリックもそこらのカルトにもハマッたけど、
>もう一辺倒に何かを信じようとは思わないね。
あなたは、神概念を間違えている。
唱え呼べば自分の願い事を叶える、
願望達成マシンや入手お手配奴隷やロボット執事として、
特定の死んだ人間の霊魂を「神」と信じて来た。という勘違いをしていないか。

ヒンドゥーの神は、一神教のイスラム教に対抗して教義をでっち上げたので、
バラモン時代の神と違い、創造主でも「万軍の主」でも「有ってある方」でもない。
たとえば、この世を作ったのは、
ヒンドゥー教はビシュヌ神であって、バラモン教はブラフマー神(梵天)とした。
ヒンドゥー教時代でもブラフマー神(梵天)はいるし、破壊神としてシバ神がいる。
ビシュヌの12変化身の一変化としての仏陀がおり、ラーマ・クリシュナがいる。
バラモン教時代の仏陀は人間であって神ではない。シバ神は踊りの神でしかなかった。
こんな、名前は存続するが、
時代により役割が違うのは「偶像」であって「真の神」でない。
人間の時代時代の願望でイスラムとの対抗で創作した神の役割なら、
居もしない作り神でしかない。
偶像に願い事を叶える力がないのは、当たり前だ。
偶像を信じて不信になったあなたが悪い。

カトリックの場合は、神は唯一であって、天使と聖人は「お願いの取次ぎ」でしかない。
願いが叶わないのは、神の御心に反する願いであり、または時が満ちていないからで、
あなたが反省するべき願いなの。

「神を信じない」のは、あなたが教学を真面目に勉強せず、分相応の願いもせず、
「叶わなかったので」グレただけだろう。真面目に科学しろ。
科学はデータ集めて法則を見出し有効活用だ。
497ろんぎぬす:02/04/01 22:56
【 適当にコメント その4 】
この世は造られたものだから、造られたものに法則がある。
その法則を用いて生活を良くする。
それだけだ。それから外れれば、当然、不具合から不幸が起こり、
その状態は創造主の御旨から外れた状態。とわたしは信じている。

だから「信じない」などホザク奴は、
反科学者であり無神論者の地獄の心境だと言いたい。
地獄は神の御国の反対であるから。神の御国には神の命を持つから居れる境涯。
神の御旨に反するのは、神の御手を離れる(罪の状態)であるから地獄だ。
「神の国は、あなたがたの、ただ中にある。」とイエス様は言う。
神の国は、外観や死後で存在するとは言っていない。
聖福音書でも異端のトマス福音書でも、どっちも同じ言い方をしている。
その境涯が「信じる」心境。

聖書の「憐れみで罪を赦され、御旨により天国に入る」この考え方は、
キリスト教的だと思っている。
徳を積んでも、人ではなく神に憐れんで貰わないと罪は赦されない。
徳を積んでも、神の御旨の行いでなければ天国に行けない。というのは、
仏典の「因果応報」の仏教や、四書五経の「五礼」の儒教の考え方でない。

>93 :名無しさん@1周年
同感。
>106 :あずみ ◆V.9uSetc
同感。
>128 :名無しさん@1周年
考えられる。
>151 :名無しさん@1周年
確かに。
>178 :123 :02/03/30 03:59
確かに。
>182 :178 :02/03/30 06:25
確かに。
498ろんぎぬす:02/04/01 22:57
【 適当にコメント その5 】
>193 :178 :02/03/30 06:53
>教会、聖書、賛美歌は無力だとつくづく思うんです。
>195 :名無しさん@1周年 :02/03/30 06:57
>すみません。193は178ではありません。
>187、188です。
そうでもありません。
学校で聖書と賛美歌を、教会関係で聖伝と聖物と出会って、
生きている事に感謝し、精神状態がまともに戻ったのです。
聖書のTテサロニケ5:14〜17に、
「すべてのものを識別して、良いものを守り、
あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。」とある。
反キリストの無神論者や異教徒どもに死ぬ気にされ気狂いにされた。
この世に地獄や不幸を造るのは無神論者や異教徒や異端です。

>198 :178 :02/03/30 07:13
>これは同感。やっぱり大事なのは信仰でしょ。
はっ?賛美歌や祈祷文は、教会決定の聖伝や聖書から出るもの。
神の言葉(ロゴス)から、祈り(異言)が出て「信仰」が成り立つ。逆もまた然り。
行いのない信仰は、魂のない肉体と同じで、死んだものである(ヤコブ3:26)。
信仰だけでなく、行動としての希望も愛もなくてはキリスト教ではない。
食べ物を与えず満腹して下さいと言うのか。着物を与えず温まって下さいとでも言うのか。
パンを欲しがるのに石を与えるのか。魚が欲しいのに蛇を与えるのか。
愛のない信仰の薄い事である。
神の愛が注がれ希望は生まれ、希望は失望に終わらず(ロマ5:3〜5)、
神が愛する魂により(ヤコブ4:5)信じて語る信仰が出来た(Uコリント4:13)。
アブラハムは神を信じ、希望の正妻の嫡子が生まれ、後継ぎと民を愛した(創世記)。
信・希・愛を三徳という(Tコリント13:13)。
499ろんぎぬす:02/04/01 23:05
【 適当にコメント その6 】
>233 :名無しさん@1周年 :02/03/30 09:09
>正教
> ルーマニア以外の東欧諸国
>カトリック
> ルーマニア
間違いです。
ルーマニア民族は、ラテン系民族とされていますが、カトリック教会ではありません。
ルーマニア南部のワラキア地方は、オスマン・トルコ軍がドナウ川を渡河侵攻した時期の
串刺し候・ブラド・ツェペシュ(ドラキュラ)侯爵の領地で知られていますが、
串刺しの逸話で、イスラムのトルコの使節に対し、
キリスト教のワシにそんなにイスラムの教えが偉いと説教するなら、
イスラムの教えを良く守れるように、ターバンが頭から落ちないように。と返答し、
ターバンから頭に釘を沢山打ち込んで、トルコに帰還させた恐ろしい貴族です。
それで彼のアダ名の一つに「正教の裏切り者」と言う呼称があります。
ルーマニア語は、ラテン型文法でも「スラブ語彙」が多彩で、
「はい」→英語の「イエス」は、
スペイン語の「スィ」フランス語の「ウィ」でなく、ロシア語の「ダァー」です。
宗教は当然ルーマニア「正教会」です。世界の正教会のサイトに行ってミソ。。。

>235 :名無しさん@1周年 :02/03/30 09:49
勉強になりました。
>238 :178 :02/03/30 15:54
勉強になるなる。。。
>243 :名無しさん@1周年 :02/03/30 21:21
おおー。勉強。勉強。
>248 :名無しさん@1周年 :02/03/31 07:20
>249 :名無しさん@1周年 :02/03/31 08:23
>250 :178 :02/03/31 09:20
>251 :名無しさん@1周年 :02/03/31 10:30
>258 :178 :02/03/31 22:05
いいなぁー。勉強。