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385ろんぎぬす
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第三章 正統キリスト教の規準
1.聖書観 ラテン語:定規「キャノン」(正典)旧新約聖書66巻
マルティン・ルター「信仰のみ」聖書と伝承の併用でなく「聖書のみ」
善行の功徳ではなく「恩寵のみ」
ルター派は、ニカイア信条、アタナシオス信条、
アウグスブルグ信仰告白に準拠、
プレスビテリアン(長老派)や、リフォームド(改革派)は、
ウエストミンスター信仰告白を信奉。
日本聖書協会のものを用いる。

2.神観
カルケドン総会議(451年)において、神の三位一体論は定着。
「神は愛」(第一ヨハネ4・8)「聖なる方」(第一ペテロ1・16)
「義なる方」(ローマ3・5、26)
「怒りの神」(ローマ1・18、2・5、エペソ2・3、ヨハネ3・36)
「悔い改めを待ち望んでいる」(第二ペテロ3・9)「さばき主」(ユダ15)
「万物をご自分に帰一」(Tコリント15・28)

3.メシヤ観
御子は御父と同質。創造者。預言者。十字架で贖罪を全う。昇天して大祭司。
聖霊を注いで執り成し。再臨してサタンを滅ぼす。罪人を裁く。王として君臨。
386ろんぎぬす:02/03/18 22:47
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第三章 正統キリスト教の規準
4.聖霊観
使徒信条では「我は聖霊を信ず」とあるとおり。
御子は父より生まれ、聖霊は父より『送り出された方』(詩編104・30)
第一、エホバの証人の言う、単なる「神の力」ではない。
第二、モルモン経典の言う、「エーテルの一種」ではない。
第三、聖霊は主イエスのように自らを現さない。
理性と愛情を持つ、悲しみ(エペソ4・30)痛み(イザヤ63・10)
うめかれる(ローマ8・26)助け主(ヨハネ14・16)
真理の御霊(ヨハネ14・17、16・13)で、あらわれる。
栄光を現す方(ヨハネ16・14)潔め主(マタイ3・12)
イエスの言葉を思い出させる力(使徒1・8)語らせる(マタイ10・20)
不法を阻止(Uテサロニケ2・7)
よみがえらせ栄化させる(ローマ8・11、Uコリント3・18)働きをする。

5.贖罪観
創世記3章15節「敵意」が預表、「皮の衣」が血の犠牲(創世記3・21)
アベルの羊の初子(創世記4・4)
新約ではイエスご自身が十字架の死を預言。人類の罪のあがないであると。
使徒パウロは、
十字架の死と復活が、罪人が義とされる唯一の道、神との和解の道とした。
イレナエウス(130ごろ−200年ごろ)は、「罪と死と悪魔から救い出すため」
オリゲネス(185ごろ−254ごろ)は、賠償説「悪魔に支払った代償」
アンセルムス(1033−1109年)満足説、神はキリストの支払いで満足。
アベラルドゥス(1072ごろ−1142年)道徳感化説「愛の最高の表現」
トマス・アクィナス(1224−74年)ローマ教会の贖罪論「罪深さと慈悲の偉大さ」。
ルターもカルヴァンも、道徳感化論を非難。パウロ説に戻す。
387ろんぎぬす:02/03/18 22:47
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第三章 正統キリスト教の規準
6.再臨観
テサロニケ第二の手紙2章1節〜13節
ヨハネ黙示録11章〜13章1節〜10節
ダニエル書7章、9・27、11・40−45、12・1
ゼカリヤ12・1−5
第二テサロニケ2・8『だまされないように』(Tテサロニケ2・1−3)
【 再臨の具合 】
1)よみがえる。Tテサ4:16
2)携挙、Tテサ4:17
3)大艱難を通り救われる、ダニ12:1,ロマ11:26
4)反キリスト偽予言者滅ぶ、黙示19:20
5)悪魔閉じこめ、黙示20:3
6)ハルマゲドン、黙示16:16、 3/2死ぬ、ゼカリヤ13:8
7)羊と山羊に分ける、マタイ25:31−46
8)神殿再建、エゼキエル40
9)全世界から神礼拝、イザヤ2:2、ミカ4:2
10)恒久平和、イザヤ2:4、ミカ4:3
11)正しい政治、イザヤ11:1−5
12)百歳死には呪われと言うほど長生き、イザヤ65:20
【 再臨のキリスト 】
1)オリーブ山に立つ、ゼカリア14:3−4
2)東の門から、エゼキエル43:4
3)シオンの山に立つ、黙示録14:1
【 千年王国 】
1)前再臨説 プレ 聖霊降臨を再臨、教会制度を千年と見る。
2)後再臨説 ポスト 福音が広まったら再臨。
3)無千年説 アンチ 神の審判は最後の一遍で終わる。
388ろんぎぬす:02/03/18 22:48
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第三章 正統キリスト教の規準
7.教会観
ギリシャ語の原語エクレシヤは、ギリシャ市民が議会に招集されるの意味。
会見の幕屋の組織「カハール」
申命記23:3「主の集会」ネヘミヤ記13:1「神の集会」
「あなたは、生ける神の御子キリストです」と信仰告白した者たちが、
共に集まって、主イエスに仕える組織体が教会です。
ウエストミンスター信仰告白の上では、
「見えない教会」天に移された聖徒と地上のあらゆる信仰者集団。
「見える教会」地上の各教会そのもの。
ぶどうの木に対する枝(ヨハネ15:1−2)神の家(Tペテロ4:17)
愛情においてはキリストの花嫁(黙示録19:7)
奉仕においてはキリストのからだ(エペソ1・23)
宣教においてはキリストの軍団(第一コリント15:23)
携挙(Tテサロニケ4:16−17)の集まりが教会。
(主を)完全に知ることになります(Tコリント13:12)。
エホバの証人やモルモンの自分たちのみ教会は思想が脱線。

8.啓示の充足性
66巻の聖書によって神の啓示が充足しました。黙示録22:18−19
創世記と黙示録でも対応があり、創世記に始まった神の救いの経綸は、
ヨハネの黙示録で大団円を告げるので、神の啓示は充足されました。
それ以降の聖書はあるべきはずでないのです。
ブルトマン一派のように「聖書の非神話化」で常識や不合理で削除したり、
末日聖徒イエス・キリスト教会のモルモン経典や、
統一協会の原理議論を成約聖書とするがごときは許されません。
自ら異端性を暴露したものです。
389ろんぎぬす:02/03/18 22:49
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第三章 正統キリスト教の規準
9.福音の独一性(または排他性)
キリスト教は愛と包容性を説きます。
敵に対してさえ「寛容であれ」と教えるのです。
その同じキリスト教が、福音の純粋性を守るためには、
偏狭排他的でさえあります。
狭き門(マタイ7:13−14)からは入り、
救われるべき名(使徒4:10−12)はキリストのみ。
シンクレティズム(混合宗教)は、
聖書の規準に合わない「失格者」(Tコリント9:27、Tテモテ3:8)です。

10.最後の決め手、倫理性の問題
「山上の垂訓」「天国の憲法」(マタイ7:15−20)
キリスト教の中には、三種類の道徳廃棄論がある。
第一、ドケティズム「肉の支配で罪を犯さざるを得ない」犯罪是認。
「悪魔から出た者です。」(Tヨハネ3:5−8)
パウロは三種類の人間に分けた。
@「生まれながらの人間」つまり未信者(Tコリント2:14)
A「肉に属する人」「キリストにある幼な子」(Tコリント3:1)
異端でない幼稚クリスチャン。「円熟を目ざして進むべき」(へブル6:1)
B「御霊を受けている人」(Tコリント2:15)
第二、「人間の罪を処罰する・・・あり得ない」には、
「離れて行け」(マタイ7:23)「刑罰に入り」(マタイ25:46)
「黄泉に落とされ」(ルカ16:14−24)がある。
第三、「何をしても処罰されることはない」には、
「原始福音」の手島郁郎や「風」の村国大三郎などいます。
「神の国を相続することはありません」(ガラテヤ5:19−21)
「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」(ヘブル10:26−31)
「新しく造られた者です。」(Uコリント5:17)
クリスチャンの倫理性の問題が、その教義の真偽を判断する基準になるのです。