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381ろんぎぬす
▼100コルを80コルにする悪い執事は、
コンパニオンと財務省のエリートが、天国に入れない趣旨のことを言った。

●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第二章 初期の異端
1.エビオン派
「ユダヤ教的律法主義的異端」
パリサイ的キリスト教
「ヤコブやペテロは律法を守っているから、まことの使徒である。
しかし、パウロは律法を否定するから、にせ使徒であり、異端である」
キーワード:「異なる福音」(ガラテヤ1・7−9)
「罪の意識」(ローマ3・20)「律法を終わらせられた」(ローマ10・4)
「キリストから離れ」(ガラテヤ5・4)
「批評させてはなりません」(コロサイ2・16)
@肉食を禁じ(レビ記11・1−23、申命記14・3−21)
A土曜安息日を守ることは、
エビオン派の再来。
B血を食うことを禁じる(レビ記17・10−14、使徒15・20など)
として、輸血を禁じるエホバの証人教団は助かるものを、みすみす殺している、
現代のエビオン派。
382ろんぎぬす:02/03/18 22:43
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
2.ドケティズム
ギリシャのグノーシス哲学は「霊肉二元論」を唱えました。
「肉体は悪魔に属し、霊魂は神に属す」
ドケティズムの否定は、
肉でも神に「生めよ。ふえよ。地を満たせ」(創世記1・28)
悪魔は霊体のままに罪を犯す(ヨハネ8・44)
人の三分性「霊、たましい、からだ」(Tテサロニケ5・23)
「聖霊の宮」(Tコリント6・19)
「父のみもとから来られた」(ヨハネ1・1−14)
「信じるものになりなさい」(ヨハネ20・27)
「いのちがあらわれ・・・御父とともにあって」(Tヨハネ1・1−2)
元始的五重の栄光(コロサイ1・15−17)
贖罪的五重の栄光(コロサイ1・18−20)
別名は、仮現説アンテオケの改宗者「ニコライ派」。

3.ケレンタシズム
人間の合理性と超人的カリスマとを混交させた。
イエスの処女降誕と復活(と再臨と悔い改め)を否定し、
聖霊によるイエスの奇跡を強調した。
「だれでも、聖霊が臨むと、イエスのように奇跡が行われる」とした。
パウロは警戒して言う、
「ユダヤ人はしるし・・・ギリシャ人は知恵・・・
しかし、・・・(神性と贖罪と大祭司の)キリストを述べ伝える」
(Tコリント1・22−23)
「受け入れてはいけません」(Uヨハネ10)と、
ケレンタシズムを否定。
383ろんぎぬす:02/03/18 22:44
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
4.モンタノス
「初めの愛」(黙示録2・4)から「神の啓示」と予言を始めました。
170年に世界は終わる。と言うのに対してリバイバルが起こった。
第1に、新しい聖霊は、自分を通してのみ語ると思いこむ。
第2、主イエスの再臨日を設定した。
が、正統な教えは「父だけが知っています」(マタイ24・)
第3、天のエルサレムの降下地点を聖書以外から決めた。
一種の誇大妄想患者の症状を呈していたが、神のお告げと信じた。
予言がはずれ失望したねじれで、律法主義的な禁欲主義に陥ってしまった。
現代で言う統一協会やエホバの証人のようである。
アジア会議(200年以前)で公式に非難されたが、
この手の熱狂主義者は、いつの世もいる。

5.アリウス説
アレクサンドリアの主教アレクサンドロスが、「三位一体論」を解明し、
それに対して、アリウス(250−336年ごろの人、リビア生まれか)は、
「異教の多神教とまぎらわしい」と反論し、一神論「一位論」を展開。
「神は父だけ」(箴言8章22節〜31節を引用)
「御子は神に類似してはいるが、神と同質ではない」と主張した。
325年のニカイア会議は、
アレクサンドロスの助手のアタナシオス(295ごろ−373年)は、
類似説に対して、メシア観と贖罪観の結合で、同質論を主張した。
アリウスの「類似」のラテン語「HOMO i OUSIOS」と、
アタナシオスの「同質」のラテン語「HOMO OUSIOS」とで、
「i」違いの大問題となった。
「イエスが神でなければ、罪のあがない主にはなり得ない」と、
同質論の三位一体論に、ニカイア会議では軍配が上がった。
エホバの証人は、アリウス説を採用している異端である。
384ろんぎぬす:02/03/18 22:45
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
6.ペラギウス主義
ペラギウス(360ごろ−420年ごろ)は英国?アイルランド?の修道士。
パレスチナのヒエロニムスと、
アフリカ(カルタゴ?)アウグスティヌスの恩寵主義に対して、
個人的道義の責任を主張し、原罪を否定して自由意志を高調した。
1.アダムは罪に陥らなくても死ぬべきであった。
2.アダムの罪が全人類に及ぶはずがない。
3.人間は、堕落以前のアダムと同じ状態で生まれてくる。
4.全人類は、アダムの罪によって死ぬのでもなく、
キリストの復活によって生きるのでもない。
5.人間は律法を行うことによって、福音によると同じく、天国に入ることができる。
6.人間は主の再臨前にも、完全にきよめられた者となり得る。
「アウグスティヌスは、善悪に対して人間の責任能力を否定するもの」と解して、
「個人的良心の責任」を確立しようと図った。
ケレスティウスをはじめ、共鳴者が出たが、カルタゴ会議(412,16,18年)
エルサレム会議(415年)ディオポリス会議(415年)などで、
「原罪の否定」として退けられ、異端宣告を受けた。

7.ネストリオス派
コンスタンチィノポリスの総主教ネストリオス(428−431年)は、
第2戒のカットと第十戒の2分割の異教の偶像に変わるキリスト教の偶像崇拝容認と、
「マリヤの永生処女説」「マリヤの無原罪説」「被昇天説」
イエスの名に替えてマリヤの名で祈る、ローマ教会の罪を告発した。
431年のエペソ総会議では、正統説が「神の子と呼ばれます」(ルカ1・35)で、
「彼女は人としてのイエスを生んだ。」というネストリオスの説は、
神性を薄くしたとして異端宣告を受けた。