思考現実化を前提しないプラス思考(成功哲学)の試み
<序>
ここまで出て来てるんだがなぁ、と、首のあたりを撫でさするのは良くある事。
言語レベルまで浮かび上がらない情報のストックというのが脳の中には
散らかったゴミのように詰まってるんだろう。
なんかオカシイとは感じるんだけど、どこがオカシイのか指摘できない。
よほど論理の訓練をやってないと様々な詭弁やアナロジーのトリックに
はまってしまい、正解に辿り着けないのも良くある事。
人は(おもに)言葉で考える。考える際に参照される記憶・情報も
言葉として取り出せるレベルのものである。
が、
アタマの使い方は他にもあるんじゃないか。
憶えていると意識してなくても、アタマの中に収まっている情報。
見るとはなく見ていた目の端に映っている何か。
それらをなんとかして総動員する方法、
「これがこうなって、ああだから、つまりその・・・」という風に考えるのとは
また違った思考の方法として、「イメージする」というのがあるのだろう。
「思い浮かべる」というのは「考察する」と言う事でもあるのだろう。
(もちろん、コチラの方法も、言葉によるのと同等以上に間違いをおかす
可能性があるだろうが。)
思考現実化を前提しないプラス思考(成功哲学)の試み
<n>「悪い事を思うと、悪い事が起きる」
悪い情況を思い浮かべてしまうのは、それなりの理由がある(タリマエだな)。
現情況として、そうなる可能性が大であると考えられるからこそ、悪い予感に
苛まれる。(アタリマエだなコレも)
で、あるからして・・・そういう情況をそのままに放置しておけば、そりゃ
「悪い事が起きる」わな。
「嗚呼、どうしよう」なんて言ってるうちは、ホントは「どうしよう」なんて「考えて」いないのだ。
「どうしよう」の所で思考停止している。→打開策を生み出せない。→大惨事
「もしこうなったら、どうしよう」ではなくて、「もしこうなって<も>こうしよう」
と、そんな風に、止まった思考を回転させようよ。てのがプラス思考(の訓練)。
「良い事だけを思い浮かべ、あれこれクヨクヨ心配するな」というのは、
何も成功への一本道以外の事を考えるな。と、言っているのではなくて、逆に
考え得る・思いつく「あらゆる情況において」(強調)それが良い方向へ向かう
ビジョンが見えるまで「熟慮せよ」と、言う事なのだ。
957 :
f(n) ◆joVJKypM :02/03/10 01:14
思考現実化を前提しないプラス思考(成功哲学)の試み
<もう飽きたので結>
以上の如くに、右も左も脳ミソをフル回転させて、前向きな努力を重ねて
その過程において避けがたい失敗も糧としつつ・・・・それでもなお
成功しないってんならば、そりゃ世の中まちがっとるヨ。
勿論、証明は出来ないし、反証も出来ない。
けども、それで充分じゃないのかな、と、俺は思うんだが。
でも、そうじゃないんだろうねぇ。なんでかな?と。
「思考が直に現実に作用するようになってるハズだ、そうでなきゃいけない。おかしい。」
と思うのは何故か?
ワタシはそこに歪んだ平等意識とでも言うようなものを感じるのだが。