神慈厨明会 Vol.1

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30こちらにかく!
会長先生のとりあげられた立春のみ教えを受けて
片山さんの発言要旨
「昭和二十九年のの立春のみ教えが取り上げられたのは昭和五十?年と
 平成四、そして今回はそれ以来。入信から10年を迎えて
このみ教えを頂いた平成4年、最後の審判がくるということを心に
頂いた。帰宅後『最後の審判とは何か』を拝読。『善と悪とのたてわけ』
と頂く。そこで『見えざるものを信ずる/信ぜざる』人と、心に頂く。
平成四年あのみ教えを頂いたという事は「見えないものを信じれるかどうか
による裁きが始まった」ということだと受け止めた。それからMIHOの
御用を頂き、み教えどおりになってきて夢のような毎日だった。」続く
31こちらにかく!:02/02/04 13:28
「MIHOの閻魔天は昭和二十九年立春前日に明主様が手に入れられた閻魔
大王とは異なる。閻魔大王が善悪を裁き処罰を言い渡すのとは違い、閻魔天は
「おまえは見えないものを信じることができずに苦しい目にあっている人を
見なかったのか、あれは私がお前に気がつかせる為に遣わした天使だったのだ」
と諭されるという。わたしは裁かれる時、「お前には離脱を見せたではないか、
体的なものにしか目を向けず落ちていった他教会を見なかったのか」
とおっしゃられないようにしたい。誰もの心の中にいる河合と戦いながら、
神様を見つめていきたい。今年閻魔天の展示をお許しいただけたことにも
意味があると思う。」
会長先生
「私が他にいうことはありません」