神慈秀明会 Vol.11

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642名無しさん@1周年
今日は、体制派のお方がふたりお目見えかい?
ひとりめ
>>610 あなたのような人がたぶん秀明信者の大半だと思う。それはそれでいいし、
「自分が頂いた場で、こころに頂いたみ教えで、信仰を追及していけばいい」というのは
そのとおりだろう。
みんなも、そうしてると思うし、それ以外ないというのが本当のところだろうけどね。
しかしそれで、なぜ「み教えでさえ」「どうでもいい」って言えるのかが、
こちらには、まったくもって理解不能。
最初に言ったように、そういう人が秀明に多いということは
入信以来の付き合いのなかで思い知らされたけどね。
>>614 ここで、述べられてることが「建前」としか受け取れないのは、
君がただそういうことにまだ関心を持てる年齢に達していないだけさ。
君ももうすぐすれば、秀明会という組織どころか、
世間の中でいやというほど、「組織の問題」に取り組まなくてはならなくなるさ。
そのとき自分が所属する教団の甘さが見えてくる。
643名無しさん@1周年:02/02/01 21:47
ふたりめ
>>615 会長先生がそういう発言をされたという事実でしかない。
自分にとっては、ただの事実でしかない。
会長先生の発言は信じるものではない。信仰とは全く関係がない。
発言したからには、検証に耐えられるものでなければならない。それだけだ。
会長先生の発言内容が自分の信仰に合わなければ、私は否定し、拒否するよ。
それは、私の内心の自由だ。
そのことをもって、あなたに「それが信仰か」と問われれば
そうですとしか答えようがないねぇ。
そもそも、そのことをもってして、信仰うんぬんはやめて欲しいし、
あなたと「同じ信仰者」であることには私は全く興味がない。
秀明で教えられた「かつて明主様を否定した人たち」ということも、
もう一度事実に照らして、確認したほうがいいよ。
現在、明主様を否定しつつあるのは、まさに秀明だということもね。
そして、仮に「かつて明主様を否定した人たち」がいたとして、
彼らがみ教えと称そうが何しようが、明主様のみ教えであることに変わりない。
そして、会長先生が目の前でおっしゃることは「信じ」るものではなく、
どういう事情でそうなるのだろうかと「解釈」するものだ。
ここまで、私が書いてきて、
まさか、あなたは「ああ、この人は会長先生のこと嫌いなんだ」とか
思っていないだろうね。
私は会長先生のこと好きだし、尊敬してる。
しかし、彼女の発言は、信じるものでも、鵜呑みにするのものでも、
無理やり自分を納得させるものでもない!ということは、
秀明会で活動して学んだことだ。
>>618 上のもうひと方にも書いたことだが、
私にとっても、あなたたちが理解できないんだよ。
ただ、あなたたちとの違いはハッキリしている。
なぜ「会長先生が」「100篇以外のみ教え」を「当面必要でないとされた」のだろう
とか疑問を持ったり考えたりするという習慣をあなたたちは持たないという点で。
あなたたちは、その疑問をもたないことに信仰を感じてるよね。不思議だよ。