ヒルティを見直そう!

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1名無しさん@1周年
スイスの国際法学者カールヒルティ(1833〜1909)は、弁護士や、スイス綜合年報(?)などの
職務の傍ら、多く宗教的著作を残し、「眠られぬ夜のために」「幸福論」は、いまなお売れ続けています。
2ちゃんねるにも少数ながら良心的な方がいらっしゃるようなので、このようなスレッドを立ててみました。
彼について論じましょう。(たとえば、彼の贖罪意識の希薄さなど)ただ、哲学版での議論ではなく、クリスチャンから
見た彼について。
2名無しさん@1周年:02/01/11 18:00
お、いいスレが立った。
3かっぺ:02/01/11 18:11
懐かしい名前がでましたね。
ヒルティの言葉は、殆ど忘れましたが、<30年前読んだ
彼ノ言葉は、真理に満ちていますね。

「…に満ちた全知全能の神と雖も、あなたの心を新たにし得ない。
あなたの心が逆らう内は…」だったかな?
正確な文章を教えてください。
4名無しさん@1周年:02/01/11 21:26
早速、岩波から出ている草間平作訳三巻本を、引っ張り出してきた。
これからが楽しみだな。
これを買ったのが、1981年。今から20年前だ。
>3さんも、お年の方のようで・・・(^^
5嘆きの壁:02/01/12 10:07
私の父はキリスト者ではありませんが、
ヒルティの「幸福論」に、クリスチャンでなくても感銘できると言います。
白水社のものが書棚にありますね。
父はクリスマスの時だけ、ホーリネスの教会の礼拝に来てくれます。

私は、岩波のものを買いましたが、父が同じ本を持っているのを
昨年知って驚きました。

関根清三氏も小学生の時に、毎朝、聖書と「幸福論」を読まれたそうですね。
64:02/01/12 10:20
昨夜、寝る前にほんの少し、読み返してみました。
黄色い線が引いてあって、懐かしい。
最初の方だけ読んでみたのですが、書いてある内容は少しも古びていませんね。
ヒルティもすごいが、進歩しない人間もまた・・・

>5
嘆きの壁さんとは、ご縁がありますな。
我輩は嬉しい。ワハハハハ!
7名無しさん@1周年:02/01/12 10:37
一応哲学の末席には位置するみたいだが、ヒルティなんかに言及した
論文を読んだことないね。所詮プチブルクリスチャンたちの日曜読書用。
8名無しさん@1周年:02/01/12 11:43
>7
ヒルティは哲学者ではないから、哲学として読むのはどうかと思う。
むしろ、法学者として活躍したクリスチャンのエッセイというのが、
ヒルティの正しい位置づけではないかな。
9名無しさん@1周年:02/01/15 01:33
>6
「ご縁」ってキリスト教の概念にも存在するものなのですか?
実際のキリスト教界は、この「縁」で動いている部分は大きいと思いますけど。

そういえば、先日、教会に来られた無教会の方は
「日本の教会には縁が無かった」と仰ってましたっけ。
10嘆きの壁:02/01/15 01:33
9=私です。
11名無しさん@1周年:02/01/15 03:04
「眠られぬ夜のために」についての中島義道の言葉。
「ここには、校長や学長がのたまうような『きれいごと』はいっさい含まれていない。
人生が理不尽であることを穴のあくほど見据えたうえでの勇気ある言葉がほとばしっています。
ほんとうに苦しいときにパラパラ捲ってみると、コンコンと湧き出る泉の水のように、
あなたの喉を潤してくれるでしょう。」(「生きにくい……」中島義道)
12トマス秋茄子:02/01/15 20:07
名スレage。

中島ギドー先生と同感です。
なのに、哲学板では「どこが名著なんだ?」というスレが立ち、
>>2には「誰も評価してないって」と続く。非常に残念でした。

亡祖父の書架より発見されたときは、歓喜と悔恨の感でした。
今、まさに読んでいます。
13愚人のたわごと:02/01/15 20:16
>>3

>全知全能の神と雖も、あなたの心を新たにし得ない。あなたの心が逆らう内は...

>>7

>一応哲学の末席には位置するみたいだが、ヒルティなんかに言及した
>論文を読んだことないね。

所詮、自分の心の中にある「ヒルティ」が、ヒルティの著書に感銘を受けるので、3は
「ヒルティと雖も」...とそのまま書き換えることができる。「世の中は暗黒である」
と断言する盲人に、「光」を教えることの虚しさよ。
14名無しさん@1周年:02/01/15 23:36
>13は気取ってないでもっと分かるように書くべし。

まず、
>7
>一応哲学の末席には位置するみたいだが、ヒルティなんかに言及した
>論文を読んだことないね。

から

>13
>所詮、自分の心の中にある「ヒルティ」が、ヒルティの著書に感銘を受けるので、3は
>「ヒルティと雖も」...とそのまま書き換えることができる。「世の中は暗黒である」
>と断言する盲人に、「光」を教えることの虚しさよ。

にどうすれば繋がるのか不明。
>13は>1から>12までを眺めて唯一批判的な意見の>>7をとりあえず選んできただけなのか?
単に自分の意見にアカデミズムからの権威付けが欲しかったために
とりあえず持ち出してきたと思われても仕方あるまい。
15名無しさん@1周年:02/01/15 23:38
さらに、
>所詮、自分の心の中にある「ヒルティ」が、ヒルティの著書に感銘を受けるので、

言いたいことは分かるような気がするが、この部分はもっと詳しく説明せねばなるまい。
一見すると単なるトートロジーに見えてしまう。
さらにここから

> 3は「ヒルティと雖も」...とそのまま書き換えることができる。

なぜこのような結論に導かれるかも端折られすぎてやはり分かりにくい。

唯一理解可能なのは
>「世の中は暗黒である」と断言する盲人に、「光」を教えることの虚しさよ。
の部分だけだ。はじめからこの文だけを書けば良かったのではないか?
16名無しさん@1周年:02/01/16 00:59
>>13は闇の深さを経験したことがない。あるいは闇を見て見ぬ振りをしている、と言うことも出来るね。

キルケゴールは、全ての人間は実は絶望している、と説き、最も絶望的なのは自分の絶望に気づいていない人間だとした。
そして、自分が絶望していることに気づいた人間(すなわち、自分が絶望していると思っている人)は
実は救済への第一歩を既に踏み出している、とも言っている。

否定し尽くすことによってしか得られない救いというのもあるのだよ。
17嘆きの壁:02/01/17 01:08
>11、12
ある友人が中嶋義道氏の某エッセイを貸してくれた事があるのですが、
彼にヒルティを紹介してみようかなあ。
18名無しさん@1周年:02/01/17 03:16
もう知ってるかもしれないね。中島義道氏の愛読書だから。
中島氏の著書は3冊持っているが、そのうち2冊でヒルティの「眠られぬ夜のために」が
紹介されている。
19嘆きの壁:02/01/17 14:41
>18
有り得る話ではありますね。
2013:02/01/17 15:04
>>14-15

そんな難しい話じゃないですよ。聖書なら聖書を読んでみる。自分の中にイエスが最初から
いなければ、イエスの言葉に感銘を受けたりしない。同様に、自分の中のヒルティーが、ヒルティー
の書いたものに対して「そうだ、そのとおりだ」と相槌を打つのです。7さんの中には最初から
ヒルティーがいなかったので、良さがわからず、自分が知っている哲学者のリストを見て、その
序列で判断したのです。

>>16

それはキルケゴールが体験した一生のできごとをあなたが「反復」できたときに限って、
あなたの言葉として言うだけの権利ができるのです。他人の経験を通じて言葉だけ借りてきて
何になりますか?そもそも、それがキルケゴールの主張ではないのか。
2113:02/01/17 15:07
ちょっと打ち間違い。

他人の経験を通じて得られた言葉を、その言葉だけ借りてきて何になりますか?

でした。
22嘆きの壁:02/01/17 15:16
中嶋義道氏って、イエスの黄金律さえ否定してかかる方なんですね。
論理上納得はできるのですが、これも自分の経験を通して
体得しなければならないのでしょうか?
愚問だったらすいません。
23名無しさん@1周年:02/01/17 15:50
> 自分の中に〜
俗流プラトニズムじゃん
アナムネーシスですらない。>13の言う「自分の中に〜」論が正しいのならば
最初から自分の中に「自分の中に〜」論がなければならない。>13の循環論が
受入れられるのは結局 >13が自分の中にいる >13しかいないことになる。
よってふりだしに戻る。
2413:02/01/17 15:56
>23

いや、そもそも自分の「内外」というのがいかんのよ。西田幾多郎の
『善の研究』位読んどけよ。日本人なら。
25名無しさん@1周年:02/01/17 16:01
>>24
自分で言いだしといて
> 自分の「内外」というのがいかんのよ
だと。
で、揚げ句に
>『善の研究』位読んどけよ
か。君ってアフォキング?
2613:02/01/17 16:58
>>25

読めばわかるさ。私が何を言いたいか。

神でも何でも、自分の「外」に求めたら、その真偽を判断する尺度を失ってしまうん
だよ。真理を見て、それが真理だとわかるには、生まれつき何が真理かを知っていなくちゃね。
だから、人間がわかる真理があるとすれば、それは人間の「内」にある真理に限られる。

「自他」の対立として真理を見る限り、それが真理だとはわからない。「自他」の対立を超えて、
「自他不二」、「主観」と「客観」が一致した時に真理は姿を表わす。この時には、自分の「内外」
という区別も無意味になる。

これを逆にとらえると、自分の中にヒルティーを持たない人は、外のヒルティーも理解できない、
という表現になるんだよ。
27名無しさん@1周年:02/01/17 17:49
ならねーよ
2811,14,15,16,18:02/01/17 20:31
>>16です。
実は>>14-15も私なのですが、>20のこの部分に関しては納得しました。

ただ、>>20は前半と後半で矛盾していると思うのだけど。

>自分の中にイエスが最初からいなければ、イエスの言葉に感銘を受けたりしない。
>同様に、自分の中のヒルティーが、ヒルティーの書いたものに対して「そうだ、そのとおりだ」と相槌を打つのです。

と、

> それはキルケゴールが体験した一生のできごとをあなたが「反復」できたときに限って、
> あなたの言葉として言うだけの権利ができるのです。他人の経験を通じて得られた言葉を、
> 言葉だけ借りてきて何になりますか?そもそも、それがキルケゴールの主張ではないのか。
>>21の修正済み)

は、正反対ではないのか?
前半の部分に依れば、こういう言い方も出来るよね。
「私の中のキルケゴールがキルケゴールに共感したのだ。」
2911,14,15,16,18:02/01/17 20:59
私はキルケゴールの思想の全体像をよく知らないが、たしかに、キルケゴールは
「根本的なことは、私にとって真理であるような真理を見いだすことである、
そのためになら、私がいつでも生きかつ死ぬことができるようなその理念を見いだすことである。
いわゆる客観的な真理などを発見したところで、それが私にとってなんの役にたつというのだろうか」
と言っている。

おっしゃるとおり、私には私の言葉としてキルケゴールの言葉を言うことは出来ない。
だが、>13さんの言い方を借りれば、もし、私の中にキルケゴールがいて、
それがキルケゴールの示した主観的な「真理」に深く共感したならば、
私が自分の「真理(に近いもの)」として、キルケゴールの言葉を借りてくることは可能なのではないか。

いま、キルケゴールの「死に至る病」を読んでいるのだが、私はこの本に書かれている多くのことに共感している。
今まで漠然と感じてきたことがまとまった形で丁寧に示され、目から鱗が落ちる思いがした。
そして、私自身も、自分が絶望してることが分かってから「救済に少しばかり、一歩だけ、近づい」た
ことを自分の肌で痛いほど感じていた。
これだけでも、私は、私の言葉として語ることは出来ないにしろ、キルケゴールの示した「真理」を、
(部分的であるにしろ)私の「真理」とすることが可能なのではないか?

むしろ>13さんは>16のような発言に対してこう言うべきだったのだと思う。

「あなた(=16)は私の経験を知らないのに、なぜそういうことを言う権利があるのか?
キルケゴールの真理を、なぜあなたは私に当てはめようとするのか?」

つまり、>13さんが批判すべきなのは(さらに言えば、批判する権利があるのは)、
私がキルケゴールを引用したことではなく、私が>13さんの経験を論じたことにあるのだと思うのだが。
ヒルティーと関係ないうえに、まとまりが悪い長文ですまん。
3013:02/01/18 09:05
>28-29

ここはヒルティのスレなので、脱線はこの辺にしないといけませんが、せっかく丁寧なRESを
いただきましたので、一言二言だけ。

キルケゴールもまた、われわれと同じく、自分の経験を通じて「真理」を垣間見て、その感動を
著書に記したのでしょう。われわれがキルケゴールの著書から得られるものは、彼が「真理」に
至った過程のみで、「真理」そのものではありません。キルケゴールは「真理」そのものを追究
していない。自分が一生を賭けるに足るような信条を見つけることだ、と書いています(それは、
一方的に「真理」を万人に押し付けていたキリスト教会に対する反抗の狼煙でもありました)。
たとえ、それが「神」の目から虚偽であったとしても、自分は自分の経験で得た結論を「真理」と
して受け入れ、それに殉じようということです。われわれがキルケゴールの著書から「真理」を得た
と確信する時、実はキルケゴールの言葉を自分の経験に当てはめて、そこから「自分が殉ずることが
できる信条」との共通点を見出すにすぎないのです。人は、自分の経験を超えた部分については読書
から「学ぶ」ことはできません。読書とは、自分自身との対面に他ならない。

私は、東洋哲学を支持する者ですので、万人にとっての真理はすべて「生まれながら」にして心の
中に備わっていると信じています(いわゆる仏性)。個々の人は、いろいろな体験(読書も含みます)
を通じて、その「絶対真理」から漏れ来るほのかな光を頼りにして、道なき道を進むのです。その
道は個人ごとに異なり、誰一人同じ道を歩むことはない。生まれながら真理を持っているのだから、
生まれながらにキルケゴールやヒルティも心の中に住んでいるのです。その人がヒルティを読む機会
があれば、その人の心の中のヒルティが「これが真理(へ至る道)だ」と叫び声を上げて、われわれ
はそれを感動と感じるのです。それは必ずしもヒルティでなくても構わない。どんな思想にも、真理
のかけらのひとつやふたつは潜んでいるものだからです。

一方的に自論を書き立てましたが、おそらく誤解を生じている点は「生まれつきの心に真理を持っている」
という部分の解釈だと判断し、誤解を解くためにあえて自分の立場を明らかにしました。
31名無しさん@1周年:02/01/18 09:24
若かりし時、苦悩していた日々、マルクスアウレリュウス、
セネカ、ヒルティ・・・にどんなに勇気ずけられたことか。
中でも、私の場合は、マルクスアウレリュウスに感銘を受けたよう
に記憶している。
32かっぺ:02/01/18 14:52
久しぶりに来て見たら…
自分は仏教も、キリスト教も無縁だけど…
「共感」について、一言…「私の中にヒルティー」は、いない…ということです。
自分の中に無いものは理解できないか…この点だけど、
私は可能だと考えます。
心の持ち方の学習、違った文化や、知識を吸収(学習)することで、共感できるように
なると…
それが、精神の「成長」であり、「進化」なのだと…

もしも、既に「全てもとよりありてあるもの」とするならば、
何故、キリスト教世界に、神と悪魔があるのか。
肉体亡き後も、霊たちは何故、奇が遠くなるほどの「時」を
苦しみの中にすごさなければならないのか…

視点はズレますが、既に完成した「宇宙」ならば、何故、無限に広がり続けなければならないのか…

どなたか、納得させてください。

33つぶやき:02/01/18 14:57
(早くヒルティに戻りたや・・・)
34名無しさん@1周年:02/01/18 16:11
>30
「了解は諸可能性を投企する」
解釈学の基本じゃん。
3516:02/01/18 23:16
私もこれで脱線は最後にします。

>>30
> 一方的に自論を書き立てましたが、おそらく誤解を生じている点は「生まれつきの心に真理を持っている」
> という部分の解釈だと判断し、誤解を解くためにあえて自分の立場を明らかにしました。

わかりやすい解説ありがとうございます。

しかし、やはり私は「生まれつきの心に真理を持っている」との考えにはなじむことができないようです。
そもそも私は「絶対的な真理」や「万人にとっての真理」など、どこにも存在していないし、
潜在的にも、仮想的にも、そのようなものがあるとは想定すべきでないと考えています。

そういう意味で、私は、キルケゴールの立場に最も親近感を覚えます。

西田哲学には殆ど触れたことがなかったので今度「善の研究」あたりを読んでみます。
そうすれば気持ちも少し変わるかもしれないので。
3613:02/01/21 09:08
>35

>西田哲学には殆ど触れたことがなかったので今度「善の研究」あたりを読んでみます。
>そうすれば気持ちも少し変わるかもしれないので。

西田幾多郎は、若い頃に禅に親しみ、西洋哲学が「自」と「他」を分離した後の「分別智」
でできあがっている限り真理には近づけないと看破し、従来の哲学を超えた新哲学を打ち立て
ようとした人なので、きっと貴兄の知の糧になると確信します。「AはAでないが故にAだ」
(鈴木大拙)というような、一見ちんぷんかんぷんな表現にはさすがに困惑しますが(^^)。

ここはヒルティのスレですが、私がヒルティにご縁を得たのは、東洋哲学の重鎮であった安岡
正篤氏の著書を通じてなのです。思うに、ヒルティは東洋哲学の立場から見ても注目に価する
ものが含まれているので、西洋哲学と東洋哲学の表裏二面から読んで初めて真価が発揮される
性質の「名著」ではないかと思います。ヤコブ・ベーメやエックハルトなども同じく、
「古今東西を越えた」名著だと思います。単なるキリスト教をベースにした西洋哲学の書として
読むのではもったいない。
371:02/01/21 18:58
スイス綜合年報→スイス連邦政治年鑑
38名無しさん@1周年:02/01/21 21:51
エックハルトは素晴らしい!ただ、
エックハルトはカテキズムを踏まえた応用編、という感じがする。
39名無しさん@1周年:02/01/21 21:56
そいでもってカール・バルトか?お約束だな
401:02/01/22 17:41
ヒルティは、エックハルトやヤコブ・ベーメやシレジウスなど一連の神秘思想家を、「病的」なものとして
敬遠している感じです。(ヒルティ著作集「悩みと光」収録の「読書について」より 白水社)
4113:02/01/23 09:42
>40

私見ですが、それはヒルティがキリスト教という思想の枠の中で自説を説こうとして
いるからでしょう。これもまた自説ですが、正統キリスト教が神秘主義思想を毛嫌い
するのは、もし真理が個々の魂に生まれながらに備わっていて、個人個人が神と直接
対話することができるならば、キリスト教会という名の「仲介屋」が失業することに
なるからです。パウロの思想は、そもそも民族単位での神との契約、神による救済を
扱ったもので、個人個人の信仰の内容は無視されている。ところが、真摯に信仰の道を
突き詰めるならば、個人の経験の「唯一性」は絶対に無視することはできなくなる。
それを敢えて表に出せば、神秘主義者として異端の烙印を押されるか、キルケゴールの
ように社会から抹殺される。ヒルティはそこまで足を踏み出さず、そこにとどまった。

私が『幸福論』や『眠れぬ夜のために』などを読む時、ヒルティのキリスト教至上主義
に鼻がつくことがしばしばです。そこにヒルティの思想の限界がある。ヒルティの本懐
は、キリスト教臭を取り去った後にこそあるのだと私は考えています。
42名無しさん@1周年:02/01/23 09:54
>41
キリスト教が「仲介屋」として機能するのは、ローマ・カトリックやオーソドックスの教会なのでは?
プロテスタントの中でも、特に敬虔主義に至っては、個人と神との結びつきが、特に強調される。
特にドイツは、そのような敬虔派の本拠地。
ヒルティが神秘主義思想と距離を置いているのは、むしろ別の理由ではないでしょうか。
例えば、正統派のプロテスタント信仰を継承した者として、神秘主義とは距離を置いたのか。
あるいは、同じルター派の流れを汲む者として、距離を置いたのか。
要するに、単なる謹慎憎悪。

ちゃうやろか?
4341:02/01/23 11:47
>42

>キリスト教が「仲介屋」として機能するのは、ローマ・カトリックやオーソドックスの教会なのでは?

確かにそうなのですが、キルケゴールは実際にプロテスタント教会から迫害を受けたのですし、
私の経験から言っても、2chなどで現代聖書学による聖書テキスト批判などをやると、額に青筋
立てて噛み付いてくるのはカトよりもプロに多いです。プロでは「仲介屋」として機能している
のがパウロ神学という気がします。そもそも、「原罪」、「神との古い契約(律法)」、「イエスの
贖罪による新しい契約」などの概念が「団体」の意識から離れていないので、個人を「団体」の一員
として十把ひとからげに扱い、団体に帰属させようとするかぎり、やはりその教えは「仲介屋」になって
いるのです。目に見えるPopeという「仲介者」に帰属していなくても、Paper Popeに帰属している。

パウロと親鸞の類似性はよく論じられていますが(たとえば八木誠一)、親鸞の南無阿弥陀仏は
純粋に個人体験に結びつくもので、一切の「仲介屋」を拒む性格のものです。ルター派とエックハルト
を比較すれば、親鸞との距離の差は歴然としていると私は思います。
441:02/01/23 15:04
ヒルティが神秘思想家を敬遠するのは、それが倫理的な実行力を衰退させてしまうからではないでしょうか。
ヒルティの思想の根幹は、いうまでもなく「神とともにあることと仕事」です。神秘思想家
には、「仕事」の側面がややもすると欠落してしまうのではないか、と考えていたのではないでしょうか。

>41 ヒルティの「キリスト教至上主義」は、ある意味当然です。「わたしは道であり真理であり命である。
わたしを通してでなければだれも神の国に行くことはできない(ヨハネによる福音書)」
「この方以外に救いはない。救われるべき名は、この方の他は与えられていないからです(使徒言行録)」
というのが聖書の思想です。
「カトリックモデルニスト(近代主義)に警戒せよ(眠られぬ世のために2部)
」と彼自身書いています。
45名無しさん@1周年:02/01/23 15:14
>43
イスラエルにおける集団と個の関係については、そう簡単に断定できるものではありませんよ。
でも、ここは釈義を論じるスレではないので、この話はやめておきます。
ヒルティに関して言うなら、私は>>44の1さんの意見に賛成です。
やはり、ヒルティの思想の根底にあるのは、プロテスタントの信仰でしょう。
それがいやだと言うのなら、これはもう仕方ないですね。
46名無しさん@1周年:02/01/23 15:15
論点先取は学問でも思想でもない。
4743:02/01/23 16:52
>44,45

もちろん、ヒルティは経験なプロテスタント、善良な市民だったし、少なくともそうで
あったからこそ彼の著作がキリスト教会で抵抗なく広がっていたのです。しかし、所
どころ彼の本音が出ているところは必ずしもプロテスタントではない。例えば、

「良心や正直や、気高いこころを傷つけることなしに財産家になることができるなら、
どうぞその道を教えてくれ。わたしも財産家になりたいと思う。しかし、まことの財宝
でないものを得るために、わたしにとってまことの財産を捨てよ、と言うのなら、きみら
はどんなに不条理であり、無配慮であるか、自分でも分かるであろう。金銭と、誠実な
友人と、きみらはどちらを選ぶか」(『幸福論』第一部、二十四)

「子供に必要なのは多くの愛とお手本とであって、宗教的教理はすこしも必要でない。
ところが、後者(この方がずっと安上がりだ)が多く与えられれば与えられるほど、前の
二つのものの与えられる分量はますます少なくなるのが普通である。そして、子供が自ら
宗教を要求する時期が来ると、この薬はそれまでに散々濫用されていて、もはや効き目が
ない」(同、「どうしたら策略なしに常に悪とたたかいながら世を渡ることができるか」)

いずれもルター派にしては、行いに重視を置いているし(ロマ書よりヤコブ書的)、後半
の文章は読みようによると、生誕直後の受洗に対する批判のようにも読める。
4816:02/01/23 17:20
>生誕直後の受洗に対する批判のようにも読める。

それだけでなく、それをひっくるめた諸々でしょうね。
いわゆる「日曜学校」的なものとか。いや、こっちの方がメインかな?
極端な話、幼児洗礼を受けさせたけど後は完全にほったらかし、というケースもありうるし。
49名無しさん@1周年:02/01/28 09:16
良スレだな。
50名無しさん@1周年:02/01/30 09:28
うん、良スレだ。
51名無しさん@1周年:02/02/04 00:28
いくら何でも下がりすぎだ。
52名無しさん@1周年:02/02/07 01:51
本当だ。
53名無しさん@1周年:02/02/11 03:27
上げます。上げときます。
541:02/02/13 15:43
ヒルティの思想に、贖罪意識が薄いとは良く言われることである。彼は、「十字架上の生け贄」
とか、「血による赦し」にあまり肯定的ではなかったようである。矢内原忠雄は、ヒルティとシュバイツアーを
挙げ、この二人に贖罪の意識さえあったら、とこぼしている。
しかし、彼は幸福論第二部「罪と憂い」の中で、罪悪感に苦しむ人が贖罪観念に頼ることは
まったく正当であるとし、ほかの箇所でも決して頭から否定はしていない。彼の贖罪観念は、「観念」として
捉えられたのではなく、「十字架上で死んだ歴史的事実」として捉えられていたのだと思われる。
彼は、「復活」という思想には、かなりの分量を費やして援護している。彼は「復活」は歴史的、客観的事実として
一歩も譲らない。そして、「ユニテリアリズム(唯一神教)」や「カトリックモデルニスト(近代主義)」を
激しく批判しており、これらをキリスト教でさえないと言い切っている。キリスト教徒を測る物差しとして、
復活を如何に捉えるかで判断するとさえ言っている。そもそも復活と贖罪は対応する概念であり、彼のうちには
無意識に贖罪は理解されていただろうと思われる。そもそも彼の思想はシンセティック(体系的)でないのが特徴であり、
彼の思想を体系的に理解することはできない。だから、彼は、きわめて正統的なキリスト教徒であったといえる。
5543:02/02/13 16:42
>54

どうでしょうね。ヒルティの残した著書から「復活」ないしは「贖罪」を全部取り
除いたら、果たして価値が下がるでしょうか。ルター派の教義を100%信じたら、
どんな人間も無能でいいかげんな、去勢されたような人間ばかりになるでしょう。
贖罪さえ信じたら、ベッドで寝て暮らす半分植物人間でも救われるのだからね。
ヒルティの思想に価値があるのは、人間がこの世に生きていることには意義のある
ことなんだ、人間として最も生きがいのある生き方とは、職業を通じて社会に貢献
することなんだ、と看破した点でしょう。ひたすら贖罪だけを当てにして、ベッド
でぐうたらをしてたらあかんで、という主張。確かにルター派の教義とは何の関わりも
ない思想かもしれない。しかし、それが一体何だというのだろう。

ヒルティがキリスト教の既成概念という縛りを持たなかったら、たとえばもし東洋に
生を受けていたとしたら、彼は王陽明並みの哲人になっていたことだろう。
56名無しさん@1周年:02/02/13 16:47
> 彼は王陽明並みの哲人になっていたことだろう
ここ、笑うとこですか。
571:02/02/13 17:25
>55たしかに、現実から乖離しているクリスチャンの信仰は、あまり意味がありませんね。
「眠られぬ夜のために」2部でも、「はっきり言い添えておくが、たいそう立派な信仰箇条を
信じていても、それはなんの役にも立たない」と言っています。信仰のヤコブ書的な側面は
もっと重要視されるべきですね。(ちなみに「はっきり言い添えて置くが」とか「わたしをこれ以上煩わせないでおいてもらいたい」とかっていうヒルティの語調は面白いです。)
5843:02/02/13 17:51
>>57

宗教を日常生活の実践に持ち込んだのは、東洋の方が先なのです。古くは日本曹洞宗の
開祖道元。日常の起き臥し、飯を炊いたり茶碗を洗ったりする、何気ない一挙一動が仏道
修行だと言う。禅門では多かれ少なかれ、この日常の実践を重んじています。主だった人
としては、盤珪、鈴木道三、など。きわめつけは、禅のエッセンスを日常生活に盛り込んだ
石田梅岩、中沢道二。元を正せば、始まりは何と千年も昔のことです。

こういった思想は、士農工商という体制維持に利用されたのは確かです。士は士らしく、商
は商らしく全力を尽くすことが成仏につながるという教えですから。しかし、説かれている
内容は実に斬新で、現代のわれわれにも訴えかけてくるものがありますし、「在家」の
われわれが歩むべき道を示していると思います。もちろん、キリスト教徒の人にも参考に
なるはずです。
5943:02/02/13 18:04
盤珪さんを引用して説教している牧師さんのHPを見つけました。どういう宗派
なのかは知りませんが、納得できるところが多かったです。
http://www.d-b.ne.jp/wahaha/kyokai/kokuhaku/koku-4.htm

心なしか、ヒルティの主張とも重なっているように見えます。
60名無しさん@1周年:02/02/14 01:52
ふむふむ。
61名無しさん@1周年:02/02/22 09:58
ageます。
62ねこ:02/03/10 19:44
この人は最も良心的なクリスチャンのひとりです。
牧師とか神父とか宗教でめし食ってるひと、はみな転職しなさい。
63スイス:02/03/10 19:48
スイスの改革派教会の人ですが、この人は本物の宗教者ですね。
牧師や神父なんかは、真っ先に地獄に落ちると思われる。

64名無しさん@1周年:02/03/14 16:06
ヒルティって工事現場でよく見かけますね
65名無しさん@1周年:02/03/14 17:25
>64
カール(プラグ)モナー
66名無しさん@1周年:02/03/14 17:53
>65 ワラタ
コンクリ打ち込み用のあれね
67名無しさん@1周年:02/03/14 20:40
マキタの広範な品揃えと強固なシェアも
民生品に安価な中国製がなだれ込んで来て生彩を欠いている。
それに比べてヒルティは
振動系では比肩するブランドが無い独占だからな。
68名無しさん@1周年:02/03/28 00:15
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sita
69名無しさん@1周年:02/04/07 20:53
祐介の上品な指にしか触られたことのない身体に、いま、汚れてゴツゴツした男の指が這いまわっている。
 しかし、これは貴子自身が望んだことなのだ。
 男の指が、貴子の左の胸のふくらみをゆっくりとなぞっている。乳首を中心に円を描くようにして、乳房の周辺に指
を這わせていた。
「ええ乳や」
 男がふたたび、下卑た口調で言った。
「こないええ女を抱かせてもらえるなんて、なんやうそみたいやなァ」
 何歳だろうか。五十まではいっていないだろうが、四十代後半には違いない。
 男はもう一方の手もあげた。
 両方の乳房のまわりを、節くれだった指が這いまわりはじめた。
 貴子はまたゾクッとなった。
「なんや、さぶいんか?」
「いえ……」
 寒いわけではない。
 男に対する嫌悪感のせいだろうか。そうではないような気がする。
 貴子は自分のことがよくわからなかった。なにしろこういう経験ははじめてのことなのだ。いったいどうなることや
ら、見当もつかなかった。
70名無しさん@1周年:02/04/12 15:13
ageageageageageageageageageageageageageageageageageage
71嘆きの壁:02/04/13 13:28
ヒルティさん、はっきり言い添えて置くが、わたしをこれ以上煩わせないで
おいてもらいたい
72嘆きの壁:02/04/13 14:32
71は偽者。

しかし、妙な偽者だな。
そんじょそこらの偽者とは格が違う。
73西壁:02/04/13 19:00
72はホンモノ。

しかし、妙なホンモノだな。
そんじょそこらの偽者と変わらない。
74名無しさん@1周年:02/04/13 20:01
善の研究はそれほど面白くなかったなあ。
西田を読むならむしろフィードラー受容以降の中期以降のほうがおすすめ。
とこれは個人的意見だけど。
75名無しさん@1周年:02/04/17 17:08
age age
76名無しさん@1周年:02/04/19 17:20
age
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77名無しさん@1周年:02/04/27 16:11
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78名無しさん@1周年:02/05/01 22:57
age
79
ヒルティのノイローゼ論は、今でも通用すると思いますか?
彼は、官能に耽溺し過ぎる事も、狂気の原因の一つだ、と言っていますが、その点は
いかがでしょうか。彼の論文「病める魂」や「神経衰弱」はいかがでしょうか。精神科医の
神谷美恵子氏は、そのエッセイ「ヒルティの恩」の中で、「あちこち多少の意見もあるが、なにより病者への
暖かい心遣いに打たれた。現代流に言うと、作業療法に相通じるものを見いだした」と
書いています。