(「日蓮って」-第7の外道さん-のコピー)
今のところ、日蓮から学べたことといえば、
『法華経』は読む価値があるというのと、
理想は現実との闘いの中で追求されるべきだ、ということの二点だけ。
彼の議論の立脚点は「『法華経』こそ釈迦の本意を語ったもので、
残りは全部方便だ!」というところに帰着すると思うんだけど、
事実問題として、あれは釈迦が語ったものでは全然ないし、
その時点で、彼の立論のかなり多くが崩れてしまうと思う。
だから、頭で彼に共感しようとしても全く受け付けない(個人的には)。
それに、第三者的に見ると攻撃のための攻撃にしか
見えないような「折伏」もしているようだし
(だから「真実のため」というよりは、単に怒りや妬みといった感情を吐き出し
ているだけのように見えてしまう)、
何より仏教ならではの「寛容性」というのがほとんど感じられない。
彼の思想に色濃くある呪術性も、釈迦の思想とは相当異質な感じがする。
大体、彼の「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という
信仰至上主義的姿勢は、浄土系やキリスト教なんかでも強くあると思うけど、
釈迦の思想にはそうした傾向はほぼ皆無といっていいし、
その後の仏教の展開でも、(インドにおいては)決して主流になったことはなか
った。
むしろ釈迦や竜樹の姿勢は、「物事を安直に信じるな。自分の頭使ってもっと
徹底的に疑ってみろ!」
と呼びかけているようにさえ思える。
そんなわけで、心情的にも彼にはどうも共感できないな…
というのが私の意見。言いっぱなしで悪いけど、
今まで日蓮を擁護する言葉のなかで「これは!」と思うものに出会ったことが
ないもので…
迅速なレスは身辺の都合上できないと思いますが、日蓮ファンの人、
何か意見あったら聴かせてくださいな。
関連スレ及び説明は
>>2-6 ※はじめてこのスレッドを見る方は、必ず説明を読んでから書き込んで下さい!
<説明>
「日蓮って」は、1999年11月頃から2000年11月頃にかけて立っていたスレッドです。スレッドをはじめに立てられた「第7の外道」さんを中心に、主に「日蓮仏法及び創価学会の宗教としての正当性」について激しい議論が行われました。
議題は非常に広範な範囲に渡りましたが、仏教や創価学会に詳しい方が多数参加されていたおかげで、かなり充実した成果をあげることができたと思っています。
議論というよりかは、互いに自らの知識や経験の交換を通して、理解や歩み寄りをみせるような展開になっていったことが独特かと思います。
しかし膨大な量の議題(最も重要な核心部分を含む)を残したまま、自然消滅的に議論は終わってしまいました。
議論に参加していた、第7の外道さんをはじめ、文底さん、ZEGAさん、若葉マークさん、メディスンさん、みさき23区さん、愚乱破さん、まともれすさん、その他数多くの学会員、非学会員の方々の行方も今となっては分かりません。
<説明2>
そこで、再び昔の参加者さんたちが戻ってくるまで、このスレッドを立てて「待つ」ことにしてみよう、と思いました。
第7の外道さんは今現在おられませんので、
>>1へのレスは僕が直接答えるわけにはいきませんが、過去ログなどをふりかえりながらこのスレッドをすすめていきたいと思っています。
もし
>>1を読んでなにか感じることがありましたら、まず
「第7の外道アーカイブ」(「日蓮私見」を「読者」さんがまとめなおしたもの)
http://dokusha.hoops.ne.jp/gedou/g7Index.html を読んでいただきたく思います。
「日蓮って」の過去ログは膨大な量があり、短時間で全て読むことはとても不可能ですが、ここならばわかりやすくまとまっているので読みやすいと思います。尚、第7の外道さんは「日蓮私見」の内容を見直しするつもりであったことを付け加えておきます。
<お願い>
「2ちゃんねる」で何を馬鹿なことを・・・を言われるかもしれませんが、このスレッドはなるべく荒らしてほしくないのです。
「日蓮って」スレでは、第7の外道さんのお人柄もあり、荒らしはかなり少なかったと記憶しています。
また、このスレでだけは、学会員も非学会員も、できる限り紳士的、理知的、謙虚な態度で意見の応酬をするよう心掛けていたと思います。
短レス、スレッドの主旨に関係のない書き込みはなるべくひかえてもらえないでしょうか・・・。
そんなスレッドがひとつぐらいあってもいいではないか、と僕は思います。
(説明終わり)
<自己紹介>
僕は創価学会二世であり、創価大学の学生なのですが、いろいろと信仰や組織に疑問を持っています。ただ、現在は早急に結論を出すことは避けて、じっくりと仏教について勉強したいと思っています。
以前にはこの板で、
・日蓮仏法及び創価学会の宗教としての正当性
・創価学会、創価大学の問題点
・初期の創価学会の思想
について、主に学会員を相手に議論致しました。
「日蓮って」以外では、以下のスレッドを自分でも立てて議論していました。
・「「やってみないとわからない」はおかしい」
・「牧口初代会長の思想を教えて下さい」
・「2chの創価学会員のモラル・ハザードに危惧」
・「学会二世なのですが、脱会しようか揺れています」
現在の興味として、以下のようなものがあり、教えてくださる人を探しています。
・十界論成立の歴史
・九識論成立の歴史、九識に対する諸派の反応
・二乗不作仏を説いている大乗経典と、その具体的な箇所
・ダイバダッタの人物像についての研究
・法華経の歴史文献的研究の、現時点での成果
・牧口初代会長、戸田二代会長の、日蓮正宗への解釈、およびそれらの言及がある文献
「日蓮って」「日蓮私見」は、文字のみのデータですが、持っています。本来は僕がwebにアップするべきなのでしょうが、そういった知識が全くないのでそれもできません。
もし読みたい方がいれば、メールにてお送りいたします。
単に待っているというだけというのも暇なので、過去ログを振り返りつつ重要箇所を紹介していこうと思います。
創価学会の教義的な「おかしさ」というのは、段階別にわければ以下のようになると思います。
1・法華経
現在の仏教研究の常識では、法華経は歴史的人物としての釈尊が説いたものではないし、釈尊の思想(本意)と大きく異なっていると考えられている。
法華経の内容からすればこのこと自体によって、ここから派生する全ての教えの正当性を失う。
2・日蓮の法華経解釈
日蓮の成仏論やロジックなど。
3・日蓮正宗
血脈という正当性を確保する独特な教義によって、同じように題目を唱えるとしても、正邪が存在するということについて。
4・創価学会
現在の創価学会の「仏法」への理解が、ブラフマニズム(バラモン教の教義)に酷似していること。
この中で最重要な部分は言うまでもなく「1・法華経」ですが、「4・創価学会」も近年の動きなだけに強い関心をもって議論されました。
ところで、第7の外道さんは、「どちらが正しいか」という観点では議論されていませんでした。あくまで両者の言い分の説得力を問題にしたのです。
この点で僕も大変感心したので、以下にその内容をコピーすることにします。話の流れを無視して部分的にコピーするだけなので、誤解が生じてしまうことを恐れますが。
尚、申し遅れましたが、第7の外道さんに無断で新しいスレッドを立ててしまったこと、無断コピーをすることをお詫びいたします。
259 名前:第7の外道 投稿日:2000/10/19(木) 10:45
(略)
最初にこの議論の目的について。
記憶では、私はこのスレで私の解釈のみが正しい、と主張したことはないと思います。(別スレではここでの論点以上に「現実性の意味」の問題が中心でしたので、また別の話になります。)
私の上記の論法を見ていただいても、それは何かの説を「間違っている」と決めるためのものではありません。説得力の比較が問題です。
なぁこのスレ創価公明板と重複してるだろ
っていうかまるっきり同じスレ立てるなよ
260 名前:第7の外道 投稿日:2000/10/19(木) 10:46
私の主張の背後にある論法のカラクリです。
これを読んでいたたければ、私の主張が単に「文献学的知識による法華経釈迦説の裁断」というのではないことがわかっていただけるのではないかと思います。
ご参考までに。
(略)
私がここで用いた論法は、一部いわゆる「加上」の理論を応用したものです。
これは富永仲基が用いた論法なのですが、その原理は特に富永に限るわけではありません(それ以前に、私は富永を現時点で読んでいない!(笑))。
それはつまり、「あるメッセージが発せられる場合には、それが有意義であるための論理的前提が存在する」という原理です。
しかし突き詰めていけば、それだけで終わるものではありません。ある事象を解釈するために考えられる複数の体系のうち、何が最も合理的かを判断する、という問題領域がここにはあります。
言いかえれば、問題の「解決」自体を問題にする(「解決」が唯一あればそれでいい、というスタンス)のではなく、複数考えられる「解決」のうちどれをどの規準で選択するか、という問題領域がここにはあります。
ここで法華経についての論を一部再論しますが、例えば「二乗は不作仏である」という主張がないところに「二乗作仏」を言うとしたら、一体何のためにその主張がなされるのかその意義(言葉の意味はわかっても)がわからなくなります。
そこで「二乗作仏」を存命中の釈迦が言うためには、やはり釈迦の存命中に、「二乗不作仏」が主張されていなければなりません。だとしたら、「二乗不作仏」を釈迦の存命中に主張した者は誰でしょうか?
(続き)
日蓮は、五時八教説を下敷きにしつつ、別の大乗経典をあげてそれは「釈迦自身だ」とするわけです。
そうすると、日蓮自身が感じていたように、釈迦が「二枚舌」を使ったかのように見えてしまうことになり、解釈が難しくなり、新たな問題が生じます。
まさに「難信難解」ですが、ご承知のとおり、日蓮は日蓮自身の論法によって、この難点を「解決」しています。
しかしここで重要なのは、日蓮が「解決」した問題には、別の前提、しかもその是非が問われていない前提があるということです。
それは「二乗不作仏」を主張したのは釈迦自身だ、という答えです。
この点を正しく検討すれば、答えは他にも選択肢が考えられます。
例えば釈迦でない者が主張した、という選択肢が。
またそれ以前に、「釈迦が存命中にこうした発言をした」という前提をそもそも与件として扱っていいのかどうかも問題にすることが可能です。
「二乗作仏」と「二乗不作仏」の二つのメッセージの発信者が別物である、という解釈もありえるわけです。
しかもそれを釈迦に帰す以外の選択肢を考えてもよいはずです。
261 名前:第7の外道 投稿日:2000/10/19(木) 10:47
そこで釈迦の二枚舌問題といったアポリア(難問)の出現を回避し(解決ではありません! 回避です!)、
かつ様々な選択肢の中から最も合理的な解を選ぶとしたら、少なくともそれは日蓮の出した解ではなく、私がかつて提出した解のほうがより合理的である、
ということになるわけです。
(とてつもなく偉そうなことを言ってることになりますが、許してください!(^^;)
逆に日蓮の解釈は、あるいくつかの前提(存命中という前提、釈迦でない者の主張の可能性、など)を、
その是非を問うことなく「正しい」とした上で出した解です。
ではどちらの解に説得力があるか・・・。より多くの可能性を視野に入れた上で出された解のほうではないか、
ということになるわけです
勿論日蓮の解も整合性を持っていますから、これを「誤っている」ということはできません。
しかしある事象を整合的に解釈する方法は何種類かありえ、その中で最もアポリアを生み出しにくく、シンプルに体系化でき、
かつ当該事項以外の事象の解釈にも有効(五時八教説によってインド仏教史が整合的に解釈できるか? などといった問題。
これは当座の法華経問題とは無関係ですが)である体系を選択するのは、私には当然と思われました。
(好みや「信仰」の問題を除けばですが。)
(続き)
この考え方は、私自身が考え出した特殊なものでは勿論なく、「天動説」に対して「地動説」が学者によって是とされた際のロジックを応用したものです。
当時の天文知識では、事象を「天動説」でも「地動説」でもどちらで解釈することができたそうで、いろいろな問題に対してどちらの体系でも解を出すことはできたそうです。
しかし教会側は、その信仰から「地動説」を検討しようということはそもそもしませんでした。
コペルニクス(?)は、「天動説」でも説明できるが、「地動説」のほうがよりシンプルで合理的である、という観点から「地動説」が正しい、と結論したそうです。
無論新たな天文学的事実が明らかになるにつれ、「地動説」は新規の事象の解釈にも柔軟な応用が可能だったわけです。
「天動説」はそうではありませんでした。
(コピペ終わり)
そのままでは載らなかったので、勝手に改行をいれてしまいました。読みにくくなっていたらお詫びいたします。
今日はこれまで。
教義に関心のあるかたはどなたでも御自由に参加して下さい(特に創価学会の方)。
では、「1・法華経」から僕の考えをつらつらと書き連ね、その後、論点とな
る過去ログを参照していこうと思います。
さて、なぜ法華経が「歴史的人物としての釈尊」によって説かれていなけれ
ばならないのでしょうか? これは日蓮を信仰する人間にとって最重要のこと
であるはずですが、なぜか創価学会ではあまり問題にされていないようです。
日蓮の主張は、「法華経のみが釈尊の本意であり、法華経以外の一切の宗教
を信仰することは過っている」というものです。これが日蓮仏法の強い唯一
性・排他性をうんでいるわけですが、これを言うためには、どうしても法華経
が「歴史的人物としての釈尊」によって説かれていなければならないのです。
このことに関して創価学会の見解はあまりに曖昧です。表向きには「そうで
ある」風を装いながら、池田名誉会長の発言や、教学関係の文書を見ると、必
ずしもそうとはいいきれないような箇所が目立ちます。
また、学会員でもこのことをきちんと自覚している人はほとんどいないので
はないでしょうか。それは、おそらく「なぜ創価学会が唯一正しいのか」とい
うことに関して考える機会がないからと思われます。
また、それを指摘しても対してショックを受けるでもありません。僕は個人
的にはこのこと自体が創価学会が「似非仏法」である証左であるとさえ思って
います。
19 :
名無しさん@1周年:02/01/08 18:56
20 :
名無しさん@1周年:02/01/08 19:56
>>19 板違いなので創価板の同名スレは削除依頼済み。
#続きはこちらでどうぞ。
(・∀・)カエレ!
毎度の事ながらお騒がせしております。m(_ _)m モウシワケナイ
一応、現状説明をば・・・。
このスレは
>>2で見るように、創価板で過去に議論されていたスレなのですが
改めてひゃっきまる氏が立て直したスレに対して、
削除依頼を出して、こちらに同一名スレを立てて誘導を行っているものがいる。
という事態が創価板で発生しております。
一応、日蓮・法華経に関するスレなので、創価板は不適、心と宗教板が適切。
という削除依頼内容です。(削除依頼板のスレ削除依頼スレ参照。)
創価板としては、
創価板側のスレを参照していただいてもわかるように、当創価板にて行ったほうがよい。
という固定ハンドルの意見が大勢を占めていますが、
宗教板の各位においては、
このスレッドは宗教板にあるべきか、創価板に撤収するべきものか?
という件でご意見を頂戴したいのですが、よろしいでしょうか?
スレタイトルだけ見れば宗教板の方が
ふさわしいという気がしないでもないですが
残念ながら創価板で続いてきた話題だけに
「学会教学と正宗教学の相違点、及びその他日蓮系諸派
の見地の相違」的な論調になってるのはいなめないのでは?。
話題の中心が学会である以上個人的に
創価板でやって欲しいと思います。
宗教板の住民でもある私に言わせると……
創価板で続けてきた話題を突然宗教板に持ち込むな!
スレ立てした者です。
このスレは創価板に立っていたものを、板違いとして削除申請したので
引っ越し先として立てたものです。
皆さんとの議論の結果、創価板の元スレは削除に該当しないと判断する
に至りましたので、このスレは終了します。
削除依頼を出していただいた方ありがとうございました。
またご迷惑をおかけした方にお詫び申し上げます。