606 :
名無しさん@1周年:02/06/30 16:34
age
607 :
名無しさん@1周年:02/07/01 01:01
608 :
名無しさん@1周年:02/07/01 11:54
質問です。
御親書等は声ヲ出して読むようにと真美会では指導してますが
黙読では都合が悪いのでしょうか?
また他の教団ではどうなのでしょうか?
>>608 書き込み失礼します。
真美会の場合でも全ての地区が音読の指導になっている、
というわけではないと思います。音読させるのは、
できるだけ心を込めて読めという意味か、宗教的な読経のイメージか・・・
また、他の教団の話ですが、
とあるところでは、教修会のような場で皆で音読したり、
とあるところでは、生活に密着した「生活の改善の手引き」のような形で、
非常に手軽に気軽に読んでいたりといろいろです。
まあ、音読・黙読に関わらず、
岡田茂吉という人をはるか高いところに置き、
読めば読むほど光がもらえるとして純粋に宗教的に
その言葉を神の御言葉として敬い怖れ有難がり読むスタイル。
また、理想へのリアリストとしての岡田茂吉を身近なところに置き、
彼の言葉を熟読することにより生活の改善を図っていくというスタイル。
(私が
>>602で言ったイメージですか・・・)
この二つということでしょう。
私の場合、光がもらえるから読んでいるというより、
彼の思想に共感を得る部分が多いので、立派な思想家の書物と同様に、
行き詰まったときや何かを改善するときのインスピレーションを
読む中で与えてもらっているという感じですか・・・。
610 :
死ぬまでアトピー:02/07/01 17:40
語条例に金を取るな、ただでやれ。
>>608 黙読した場合は、どうしても個人的な時間意識のなかで、内容を同意、もしくは批判
しながら理解しようとするでしょう。当然指導との矛盾に気づきやすくなるでしょうね。
ダミーさんの言われたように、書物を敬い宗教的儀式として、書かれている言葉に
生を与えると言う意味であるならば、それはそれでよいのでしょうけど・・・。
もし、黙読禁止と言うならば、かなり教団の狡猾さが透けてみえるような・・・気がします。
これから御神書第二巻、黙読します。
610>> え〜お金取られるんですか?普通は、? 私は、ただでやってもらってましたよ。
浄霊をしてお金を取ったら、単なる「ぼったくり」や「イカサマ野朗」ですよ。
そう言う時は「あなたの名前は?どこの支部ですか?」と取り敢えず
気のある振りして、下手に出ておいて、ついでに聖綸新聞(勧誘誌)
をもらって、そこに書いてある電話番号見て抗議したらいいですよ。
あ〜でも、そんなことしたら「さきほどはすいませんでした。」と
言いながら、複数で押しかけてきて数時間に及ぶ布教(勧誘)を
されるかも知れませんね。一人ボケ一人突っ込みでした。
>>614 夜勤明けで眠い状態で書きこみました。
意味不明な文です。
ごめんなさい。
御浄霊の時、未信者さんの場合は、こっちからは、まず言いませんでしたよ。
相手から「幾らか…。」と切り出された時のみ、「お心のままに」と言って、
有難く戴き、「御浄霊御礼」のお玉串としてお上げしていましたよ。
心が伴わないと、通じませんからね。
最初からお金を言うのは初耳ですね。
でも、抗議しても無駄でしょうね。一旦お上げしたお玉串は、決して返され
ないはずです。だって、御教えにあります。
多いからと返した人が信仰心が浅いからか、御気付けをもらった話…。
神様にお上げする事がその人の為だと思っているはずですから。
>>616 布施は、神に捧げるものというのが基本的約束事なので、
その中間の人間が多いだの少ないだのいうのは理屈の合わない話ですよね。
岡田師の論文には「神に頼みごとをするときには、まず最初に金を納めるのが本当」
というのもありますが、これを無理なくするには、
信仰・組織との信頼関係が欠かせないというのを、
組織側の人間も信仰する側も忘れてはいけないと思います。
「何も無いうちから信じるのは自分を偽ることになるから誤りである」とか、
「1の利益に対して2・3も信じるのは盲信である」というのがありますからね。
その信じる信じない、または、布施の金額を他の人間がどうこう指示するのは、
かなり神権を犯していると私は思うのですが。
(下手すリャ盲信者[BY岡田茂吉]の集団になる)。
●浄霊についてですが、金とか金額とかの事は、治病の精度が高くなり、
社会的認知が進んだ時(研究も進み)、希望者が多くて処理しきれなくなった時に、
初めて設定すれば良いのではないかと私は思います(需要と供給の基本原理)。
岡田師在世時の治療所なども希望者が多くて、
金を取っていたというような記述が残っていますしね・・・。
岡田師在世時の浄霊法ともまるで異なり、
効果も「当たるも八卦外れるも八卦」の自己満足状態で金を要求するのは、
浄霊のイメージを下げかねないので、真面目に在世当時のやり方を遵守している
方々の迷惑にもなりますし、私個人としては止めていただきたいですね。
個人的な気持ちなのですが、私が在籍していた頃、日頃から教団は100万人の
大浄霊という事を、頻繁に言っていたんですよ。(最後の審判から一人でも
多くの人を救うため…)
それが浄霊してもらい奇跡が起きた!!なら浄霊御礼もありますが、
100万人の大浄霊が、お金要りますになると、単なる金儲け教団になるので
希望が殺到しようが、真美会だけは金を要求しないでほしいです。
>>618 書き込み失礼します。 言われりゃ、そうですね・・・>たけさん
私は、浄霊の事を人の自然治癒力というか自然力というかを最大限に利用した
民間治療法の一つと考えていたので、
当然、科学の研究の範囲にもなり、研究により精度を高められるものであり、
人を心身ともに健康化(天国化)できる手段の一つとして、
そのテクニックに優れた者・知識を養った者は、
そのニーズに合わせて多少の金銭を受けても良いかなと考えたのです。
まあ、自然の力によって作った自然農法野菜を売るのと同じ原理です。
ただ、この場合、真美会で行われているような宗教儀式としての「浄霊」とは
基本的に区別して考える必要があるかもしれませんね。
宗教儀式としての祈りの浄霊が、経済概念の上にのるのは、まさに罰当り(笑)
浄霊を崇拝する対象にするのか、手段と考えるのかの差ですかね。
ただ、「宗教」という影に隠れて(隠されて)、
「浄霊」という自然のメカニズムの研究が
科学という土壌の上でなされないというならば、
従来の宗教(岡田師曰くの「夜の宗教」)と何ら変わりはないですよね。
また、現在、研究をするためには、ある程度は、
経済の土壌の上に根ざさねば難しいと思います。
そうですよね。今、「お金を取らないで」出来るものは、まずない筈だと
私も思います。生きている限り、維持費はいるし、カスミ食っちゃあ生きて
行けません。ぶっちゃけた話、金を取ってもいいけど、現在、団体と呼ばれて
いる所で、今の宗教団体形態では、「金儲け」に走らないでいられる事は、
かなり難しい事なのでは…?
特に、「宗教」と名が付けば…。
以前、ダミーさんの書き込みにもあったけど、「宗教」と名付けた時から
魔は虎視眈々と狙ってるでしょうからネ。
大体の団体は、立教当時とはどんどん変わって行きますよね。
大体、3代目位から、意味がなくなって行くような気がします。
私個人の意見で言うと、団体を作らずに、立教者一代で終わらせたらいいん
だと思うんですよ。
結論から言うと、「団体」にするから問題が生じるんじゃないでしょうか?
621 :
アーカイブス:02/07/09 00:58
読んだ人はあまりいないと思うけど、まさしく平井和正氏が昔書いた幻魔大戦の
構図ですな。組織というものはできた途端に腐敗を始めますね。
あまりこの板と関係ないけどこの幻魔大戦お薦めです。
団体にすると、信者にはピンからキリまでいますもんね。
何しょって来るかわからないですよ。
人が多くなれば、自然に不浄の物も入ってくる。だって、導き方見たら、一目
瞭然でしょう?こんな言い方したくないけど、誰からも顰蹙買いそうな人が
「人救いだ」みたいな顔されてたり、むりやりの入信の人がどれだけ多いか…。
類は友を呼んで、純粋に信仰したい人が押されてませんか?
どれだけ上の人がいい事言われても、たとえ正しいとしても、巨大になれば、
末端まで行き届かなくなっていくと思うんですよ。
私の親しい人で、現役資格者さんがいるけど、真美会もしてるけど、私の師匠
とも親しい人がいるんです。その人が言ってました。
「ここに来ると、信仰的な話がツーカーで通じる。多く話さなくても分かり合
える。でも支部の人には話が通じない人ばかりだ。話しても理解できない人。
説明しないと分からない人達ばかりだ。」と。
自慢話じゃないんですよ。その「すばらしいはず」の組織にいても、いなくて
も、団体の名前じゃないって事をつくづく感じたんです。
そりゃ、私は真美会で救われたことが沢山あるから、感謝しています。
でも、純粋を失った団体は別個のものと化してしまうでしょう?
今、上の人がシャカリキになっていても、絶対どこか空回りしてる気がして
なりません。
それは、無理が高じて不満が末端に蔓延してるから…。違いますか?
いまさらになったら、もう仕方ないんでしょうかね…。
>>589・
>>594のレスを見られた皆様に、ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。
プライベートな事なので詳しくはネット上での公開は控えさせて頂きますが、きちんと弁護士さんを加えての話し合いが既に始まっており
誰にとっても良い方向へ話が向かっておりますので、ご心配の無いように。後は弁護士さんにお任せしようと思います。
第2.第3の私の様な被害者を出さない為にも自分の信仰で使うお金は他人から借りないという事を大前提にしてもらいたいです。
明主様(岡田茂吉)への感謝等で、献金、お玉串をされたい気持ちは分かりますが、
その事で周りの人(信者・未信者を含めて)を巻き込んでいないか、盲目的な信仰になっていないか、自分の行動を立ち止まってみる必要があるのではないでしょうか。
今後、この話題にはあまり触れず楽しい話題をカキコませて頂きますのでよろしく。
ビスさん
最近、真美会で楽しい話題あります?
食べる地上天国とか・・ですかね・・
なんかあまり想像できません。
でも、弁護士まで介入するなんて・・・・
人の名義でお金借りて献金するのが御神意なら
それは、もう邪教です。
どうなんですかね・・・・
今日知り合いの信者さんといろいろ議論しました。
過去のここのスレに書かれていることを参考にしながら
私自身納得できること、できないこと、さまざまな矛盾について
いろいろな角度から話をさせていただいたのですが・・・。まあ
神=奇跡=浄霊=岡田茂吉=岩永教主=真美会=真理・正義 このあたりが
徹底的に刷り込まれていますね。話がかみ合いませんでした。非常に危険だと思われる発想もありました。以前は、
そんな方ではなかったと思うのですが・・。何か、むなしくなりました。ふと思ったのですが国際社会に民族自決権という大前提があるように
個々の信仰と言う?最小単位ののイデオロギーに対し他人は干渉すべきなのか?なんて
思っちゃいました。もちろん一般常識から外れた言動に対して対決すべきところは、しなければいけませんが・・・。
私たちできることは、私たち自身ができるだけ健全で他から見て尊敬に値するような生活、言動を行うように心がけることぐらいですかね〜。ハァ〜
あと、皆さんが真美会にも感謝してる部分がいっぱいあるって書き込みありますが、
それは、真美会でなくてどんな組織に属していらしたとしても、皆さんあったと思いますよ。それは皆さんの本当の信仰心の
なせる業だと私は、思いますが・・・。とにかく、このスレは健全に楽しく行きましょう。このスレの2ちゃんねらーは、
心に天国造りましょう。 このスレの住人には、ナンカ最近親近感わくんですよね〜。(w
>>624たけさん 最近の真美会の話題??う〜ん、私が信仰してたのは平成元年頃だったので全く知らないな〜。まだ会主様の時代だったし・・・。
そうそう、その当時教団から『地獄的な信仰』に繋がるからという理由で『サラ金禁止令』てのが出た事あるよ。今頃はどうですか?
まあ、当時私も含め支部のみんなは「だって他に貸してくれるとこ無いも〜ん。」と御指導を完全に無視・・だからあの悲劇がうまれたのかも・・ね。
くろさんのいわれてた様に信者はピンからキリまでいるので、団体の中で一人でも間違った信仰の仕方をするとあたかも教団全体がそうかの様に
思われるというところが、団体のつらいところでしょうね・・・。
>>620 書き込み失礼します。
社会(しいては世界)の天国化を目指すのが「岡田茂吉思想」の理想なので、
組織というものは避けては通れない道だとも私は思います。
(信仰は、個人のものだと思いますが・・・)
社会を形成するには、何らかの社会組織が必要となりますしね。
だから、岡田茂吉系の教団(本当に岡田茂吉を信仰しているならば)のトップは、
その時代時代に適応した理想的な形の組織像に仕上げていく、つまり、
常に、時所位(時代・環境・対象)に適応した組織造りを、
天国化の組織モデルとして築いていく努力をしてゆくべきだと思います。
これは私観ですが、
勧誘と信仰活動を合体し、「入信者=拡大・特積み」などと指導すると
暴走者が出るのは、当たり前だと思います(組織造りの失敗例)。
だから、くろさんがおっしゃるように、
宗教・信仰を団体にするのは難しいのではないかと思います。
逆に、岡田茂吉思想の場合、いろんなアプローチがあるので、
(芸術文化活動・食文化活動・コンサルタント・政治組織・教育 等々)
まず、信仰を個人に委ね、岡田茂吉思想を実体化していく社会組織が幾つか存在し、賛助という形で、
個人が好みに合わせてそれぞれに参加していく形が理想的ではないかと思います。
岡田茂吉さんも、宗教色を消す努力をしていたみたいですよ。
今の状態で真美会が宗教とか研究だとか科学だとか言っても屁理屈でしょうね。
追加ですが、上の組織の中に宗教があっても良いですよ。
(ただし、この場合、勧誘目的でなく純粋に信仰の求道でしょうけど)
>>624 最近の楽しい話としては、八光神殿の天国の門が完成したようで、
ここをくぐると自動的に罪を許されるということのようです。また、
変な伝染病(発病3日で死ぬ)が流行ると霊視で報告があったようです。
オオ・・コワイコワイ・・・
>>625 ぽちさんの個人の信仰観について、全く持って同感です。
また、とある組織は、「個人」を最小の「型」と考え、
まずは、個人の完成、つまり「個人の天国化」を目指しておられます。
個人→家族→社会→国→世界 と型と拡大(順序)の御教えの実践です。
(しかも無理なく、さりげなく・・・)
●信者の方とお話されましたか・・論点が合わないでしょ(w>ぽちさん
@利他愛(他人の幸せ)・A明主様のため・B地上天国建設、
この3つの言葉は水戸黄門の印籠並に最強無敵の言葉です。
それを出せば論議終了!!思考停止!!!思考停止!!!
その方法論を論議することは許されません。
おそらく、岩永氏の言う事は、岡田茂吉さんの言う事で、絶対に正しく、
彼によって選ばれた専従・資格者は、選民であり、真美会規定の位は、
絶対人間ランキングであり、ただ盲目的に言う事を聞いていれば、
地上は天国になるのでしょう!!!はははは 凄ぇや!!
>>628 少し毒舌が過ぎました。
気分を害された方、ごめんなさい。
>>628 こんばんは
ダミーさん
八紘神殿の天国の門って、スーパー免罪符ですね!
それだったら、私は密かにそこに行って何回でもくぐりたいと思います。
神道の夏越の祓いでくぐる「茅の輪」なんて足元にも及びませんね。
会長は、以前は「霊視なんて個人的には信じない。」と言っていたのに
怖い霊視だけは依然出しますが、警告なんだかビビラセテいるのだか
紙一重ですね。確かに楽しい話かもしれません。(ヒエー)
>>626 ビスさん
私は、「サラ金禁止令」なんて聞いた事ありません。
借金も財産の内だそうで、献金額は霊界での徳積みに比例すると
いう経綸(風潮)でした。良い時代もあったのですね。
私もくろさんの言う事わかりますよ。
宗教法人は一代で完結したら良いかもしれません。
こんばんは、
>>628 利他愛について一言。
真美会の信者さんは、幸、不幸について非常に固定的な観念の方々が多いようですね。
私の知り合いは、障害を持って生まれてきた子とその両親を不幸なことと決め付けてました。
先祖がどうこうとか。(最低)そもそも人の幸、不幸など絶対的な価値観で計ろうとするものではないでしょう。
つらいことも多いでしょうが、そのことで家族の絆が強くなることだってあるでしょうし、優しくなれることだってあるでしょう。
周りを照らしてくれる、神様の送りものでしょう。苦難に素直に立ち向かえない後ろ向きの宗教の
信仰者には理解できないのでしょうね。他のスレでありました岩永会長の「ボケ老人」発言にも
通じますね。わが子への最小単位の利他愛すら、傍から見て理解しようとしない人達が
何が人類救済、地上天国建設でしょうか?。
自分自身の欲得を、利他愛などと言うオブラートで包み隠して他人の幸、不幸を決め付ける人達・・。
私には、それが正しき信仰に繋がるとは、到底思えませんね。
ちなみに、私は相当不幸な人生送ってると思われてるみたいです。(w
本人は、この幸せすぎるのが、本当に怖いくらいなんですけど。(w
ポチさんの話題には、なぜか私に関連した事が出てくるから、いつもびっくり
させられるんですが…。
障害者の話が出たから、ちょっと一言…。
私の義娘(亡くなった姉の子)は、精神分裂病で、見捨てられずに、「この子
の為。家の為」という大義名分で、好きでもない姉の旦那と結婚し、完全に
この子の母親になろうとしました。なれるとタカをくくっていました。
とんでもなかったです。甘えるだけで、躾けもできない、頼りにならない旦那
と、分裂病との地獄の戦い。教団人は、それを救う術もよくわからないまま、
引いてしまう人ばかりでした。
その中で、以前書き込みした支部長さんだけが、根こそぎ救おうと本気に
なって下さいました。
でも、病院で薬も使わず、浄霊で治そうというのは、娘の場合、あまりに無
理がありました。そして、旦那との結婚が間違っていると指摘する人もいな
いまま、一人で全部しょって、必死でした。
そして、現在の師匠に出会い、先祖供養のいい所で供養し、娘の入院、施設
入所、そして、家族の同意の元に、養子の旦那がのらりくらり離縁に応じない
でいるのを、神仏のお陰を戴き、たった4日間、離婚する条件がそろった時に
強引に離婚させて下さいました。
真美会にいたら、離婚もできず、娘を施設にやることもできず、まだ地獄の
日々が続いていたと思います。
この時、初めて真美会の錯覚が見えたような気がしました。
真美会の厳しさに慣れていた私にとって、娘の通う養護学校の雰囲気は余り
に優しい所でした。ありのままの自分でいい。障害児の家族の愛情がどれだけ
深いか。カルチャーショックとともに、真美会の人に見せたかったです。
人より苦労してる人が、どれだけ優しくなれるか!
そんじょそこらの偽信仰してる人に、これができるかどうか。
続きですが…。
障害者の子供を持つ家は不幸だとか、言うのですか?
天理教では、そういう子供は、家の罪をしょって生まれて来たと言って、
宝物の様に愛するそうです。すばらしいと思います。
私も娘に苦労させられましたが、娘がいるから、いろんな事をわからせてもら
いましたし。そういう意味では、娘は宝ですね。
きれいごとですましていられる人は、本当に地獄の思いの人の苦しみは、到底
理解できないだろうし、地獄の思いの中の人の温もりも経験できないでしょう
と思うわけです。話題が重くなって済みませんね。
>>633 くろさん お久し振りです。
くろさんの天理教の情報には、裏があります。
天理教は、表面では障害のお子さんを「まあ、この子はなんて素直なのでしょう!」
「教護院(施設名ど忘れ)に入ったらもっと素晴らしいのに!!」
と人様の前では、善人ぶって言い放ち、いざ入所をお願いすると
教団人は「あなた教会に障害者押し付ける気か!入所するのなら
家屋敷処分して、あんたも一緒に来ないと話にならん。」と言うのだそうですよ。
私も初めは天理教は御神書にも出ているから盲目的に良いと思っていましたが
嘘っぱちですよ。ひどい話では”御玉串で風俗に行く”というのもありますよ。
いじめはすごいみたいだし・・・
でも、これは所属している教会で天と地の差があるそうです。
天理のフォローをする気もないのですが、真面目にやっている教会も
あるそうです。
天理教の他所の教会がどうかはわかりませんけど、私の近所の教会の家族の
方は、長男さんが障害者だったんですが、亡くなられるまで家族が愛情一杯に
接していらっしゃいました。地味で苦労していらしてるけど、とてもいい家庭
ですよ。私は天理教というと、その家族しか知らないのですが、そういえば、
よその教会のお祭りに行った人が、真美会を知ってて、その目で天理教を見た
から、ご神前のマナーがなってない!行儀が悪すぎる!ってびっくりしたとか
(笑)比べちゃだめよ〜。っていいました。
どこの団体も、やはりピンキリですね。
636 :
救世教信者:02/07/15 01:07
ごめんなさい部外者で、思わずレスせずにはいられなくて、、、
>>632 >人より苦労してる人が、どれだけ優しくなれるか!
>そんじょそこらの偽信仰してる人に、これができるかどうか。
ホントにそうだと思う!ホントにそうだと思う!(涙
私の身近な救世教信者(実を言うと元真美会)で私を救ってくれようと力になってくれた
方がいたのですが、それはそれで気持ちはうれしかったですが、いかんせんその人には
苦労が足らないというか、恵まれているというか、至って健康であるために、私の境遇
体調が全くわかっていない。あの人のすること、為すこと、言うこと、全てが見当違いで、
ずれている。わかっていない。全て悪い結果になっている。そうではないというのに。
あの人ではわからないだろう、私の過去、私の体調。
あの人が救える人といえば、ある一定のレベルの人に限られるだろう。それ以上に苦労
しておられる方々、苦しんでおられる方々、言いようのない境遇の持ち主の気持ちは
わからないであろう、、、 というかそのような人たちには目を向けない。かかわろうとしない
「あなたには極貧にあえいでおられる方々、病に苦しんでおられる方々は救えない」
といったことがある。そしたらかえってきた答えは、「私はもう病貧争の世界を脱したから」
という、、、
憤りとともに、なぜこの人とかかわる事になってしまったのか、くやしくて、くやしくて
やりきれなかったッス。
しかしまあ、この程度の信者もいるのだということもよくわかった。
637 :
マロである:02/07/15 02:47
こら、( ・∀・)「またーり」は俺の専売特許だからな。モナーは
使わないんだからなと言ってみるてすと
そういえば、前出の支部長さんがこんなことを言ってました。
「あなたは他の人より苦労をしているから信じられるんだよ」って。
人を信じるバロメーターに苦労人であることが入ってるなんて思わなかった
ので、「ああ、そうなんだ」と思ったのを覚えています。
娘も、自分を受け入れる大人の人には、警戒を解きますが、幼児から高校生
は極端に恐がります。なぜだかわかりますか?
優しい子もいますが、特に小さい子などは、無防備に「なに、この人」とか
「変な人」と見るし、中高校生でも、心無い子は、「何こいつ」とか斜に見る
子の視線を痛いほど敏感に察してしまいます。
苦労をしないことの残酷さって、あるんですよね。
でも、大人でも、大抵の人は、すごく苦労する事には、出来るなら関わりたく
ないのって普通ですよね。それが本音ですよ。
私も、平凡だったらそういう部類だったかもしれません。
だから、私はそういう人を責めることは出来ません。
でも、信仰を振りかざしてきたら話は別ですけど(w)
639 :
名無しさん@1周年:02/07/18 03:43
>>632
浄霊編だったか、書いてありますね。
病人を抱えて地獄を作らない事。って。色々手を尽くそうと苦労している人に
「そんなのは訳はない。病院に入れてしまえばいい」と明主様が言われている
文があります。
一方、精神病は、御奉斎したら治ると書かれている箇所もあって、御奉斎を取
次ぐ口実になってたりして。
指導者が見極めを間違うと、指導された方は無駄な努力を強いられてしまう。
今ひとつ、人の人生、運命を左右する重大な指導をしているという認識が、
甘いような気がしますね。
それより、何かを取り次ぐ、結果につながる事に全部利用されそうな気が
するのは私だけ?
まず、救いが先。結果は後からついてくるのが本当なのに、結果ばかりが
先に立って、救いはそっちのけ。のところが今でもありませんか?
真美会の大錯覚ですよ。
難しい話は止しにして
人類の幸せを考えるべし!これのみ!
まず他人の幸福を願うことだ。
>>640スーパーマンさん こんにちは、
あなたの言う人類の幸せって、個人の幸せとは、関連しないのですか?。
他人の幸せを願うのは、素晴らしい事でしょうけど、その方法論を聞きたいな。
ただ漠然と願うって言ったって、説得力無いですよね。「頭で考えるな」なんていわないでね。
私ははっきり言って視野の狭い欠陥人間だから、あまり気にしないで
欲しいのですが、個人が充実していないと、なかなか身内以外の他人の幸せが
心の底から願えないのではないかなぁなんて思うんですよ。
精神不安定かも知れませんが、周囲があまりに身勝手で独善的ででたらめで
自己中だと自分を含めて最後の審判で人間は滅ぶべしと思う時もあるし
だからと言って誠のある人や、弁護士の中坊公平さんのように一銭もお金を
もらわず弱者の為に頑張る人が居ると、世の中捨てたものではないと思うし・・・
そこで思うのが、誠のある人や弱者救済で必死になれる人っていうのは
少なくともその人個人はそれなりに幸せを感じていて、感謝ができるから
他人の幸せを願えるのではないのかなんて思うのですよ。
う〜ん、自分でまとまりがつかなくなってしまいました。
今晩、出勤で寝るために朝酒飲んでます。ごめんなさい。
>>632くろさん 御浄霊は、自然治癒力や気を高めるものと私は考えているので、治癒力だけに頼っていても
どうしようも無い病気や事柄には、余り意味が無い様に思えます。
それより、きちんと医療を受け、人間本来の姿に近づく事が先決でしょう。教団バスの運転手の方で突然教団を下りられて
数ヶ月後に亡くなられた方を知っていますが、もっと早く医療も受けておられれば、不幸な結果にならなかったのではと思います。
真美会をやめてから大変な出来事が色々起こりましたが、その中でピカイチ(?)のは、私自身の癌の発病・・・・・・・・・。
これにはさすがに明主様のバチ(?!)とか思いました・・。でもきちんと手術も放射線も受け、今でも薬は飲んでいますが、それでベストだったと思います。
もし今も真美会を続けていて、信仰や浄霊だけを頼りにしていたのなら、今私は生きていなかったかも知れません・・・・・・(コワ
障害者やその家族が不幸だなんて絶対おかしいですよ。信仰をさせる脅かしにしか思えませんね。
私その人知ってます!聞いた時はほんとに驚きました。愕然としました。
月次祭の時に会長先生が事の成り行きを話されましたよね。
その人が専従で来られた時、とても楽しい方でした。体のでかい方で、肩が
よく凝ってて、揉んであげたら、私の親指を見て「おお〜!あんま指!これは
いい指ですよ〜!」といって下さってたのが、今の私の仕事に進むきっかけの
一つなんですよ。(私は指圧マッサージしています)
話はそれましたが、そのときの話の流れは、彼の状況を見てて、専従のままで
いなければ危ない。と思い、何度も降りるなと説得したけれど、どうしても降
りると言って、降りた。その直後に全身ガンが見つかった。
その頃、教団で、大きい行事があって、その運転をするはずだった。
丁度、パーティと同時刻、彼は意識不明の中で、ビールで乾杯をする動作を
して亡くなったとか。専従でいたら、まだ生きていられただろうに…。という
話の流れだったように覚えています。知ってる人はフォローをお願いします。
彼が、専従でいたら、本当に命が助かったのか、早くに見せていたら助かった
のか、どっちなんでしょうか…。意見の分かれる所ですよね。
皆さんはどう思いますか?
>>642 たけさん言いたいこと、わかりますよ。
誤解を恐れずに言えば、私たちの幸、不幸感なんて結構相対的なもんですよね〜。
他人の不幸は、蜜の味、なんて言葉がありますけど、みんな自分の幸せを確認するので精一杯になっているよね
それを簡単に与えてくれる似非信仰、似非宗教の多いこと。
でも違うと思います。本質から眼をそらして、それで幸せだと思ってる方々を別に非難はしませんが、
でも、もしそれを利用しようと考える人がいたなら、最高のクズだと思いますね。
くろさんの話のような、某会長は、問題外でしょう。その発言にどんな心があるのでしょう?。
情けないね。私は、そう思います。
>>644 教団を降りて数ヶ月位で全身にガンが転移するなんて事は考えにくいです。
初期のガンになったと言う事なら充分納得出来ますが、たかが数ヶ月ですよね。
それは、教団人の時に既にガンに侵されていると思います。
もっと早く辞めていれば、そして健康診断を受けていれば・・・と思いますよ。
パーティを楽しみにしていた人が、自分から進んで専従を降りると思いますか?
私は、ガンと言う事が発覚して専従を降ろされたと思いますが(あくまで憶測)
教団で起きた不祥事に緘口令が敷かれるのは当然て感じです・・・
私自身、もう手の施しようがない場合は教団から離して入院させろ。
これはよく聞きましたよ。(医師法違反とか色々な兼ね合いから)
>>643 浄霊はビスさんの言う通りだと思います。
朝日グラフで救世教の浄霊が取り上げられて、NK細胞(ナチュラルキラー細胞)
が活発化するという事を客観的データーをあげて立証する記事を見て
教団人からして「宗教と科学だ!!」と言ってましたからね。
それって自然治癒力の強化の事です。
(布教では手当てとは本来なにか・・・と理論展開させていきますが)
浄霊は一握りの奇跡を生むかも知れませんが、万能ではないと思いますよ。
だから元専従の方のガンは、教団人でいても直らないと思います。
>>645 ポチさんの言うように会長の真意を図りかねます。
もしガンが判ってから、専従を降ろしていて、教団の維持の為にそのような事を
言っているのであれば、許せません。
ただ、マイナス点だけではなく、現に、全身ガンをご守護戴いたおばあさん
もいるし、余命3ヶ月と言われた方が驚異的に回復された事実もあるのは確か
なんですよね。
末期ガンの男性が、会長先生に報告されて、会長先生は「諦めて、残りの人生
を光輝くものにしなさい」とご指導され、その男性は男泣きに泣かれた。
それから、数日後、診察に行ったら、末期ガンが綺麗にきえていた。
ご指導後、会長先生は祈られたのだそうです。
でも、会長先生は、「ガンになるには、なる意味がある。ガンになったが故に
受け止めることが出来る事もある。なまじ、ご守護戴いた事が、その人の為に
ならないこともある。喉元過ぎれば…となる事もある。ガンで余命1ヶ月の人
が残りを光輝く日々を送ったら、その人の魂の方が救われると私は思う。」
といわれた事があります。丁度母が肝臓ガンで手術した時だったので、よく覚
えているし、その説には、ある意味同感だと思いました。
≫646
たけさんがそう思うのはわかりますが、ガンが判ってから専従を降ろしたので
はなく、その前から、様子がおかしくて、降りたがってたという話だったので
すが…。
ただ、一応信仰者な訳だから、教団維持の為にそのような事を言っている…と
は…思いたくないんですが…。そこまで腐ってないと思いますが…。
私は信じたいですねぇ…。決して弁護してる訳じゃなく、私なりの、会長先生
観とでも言いましょうか…。そういう人じゃないと信じてますよ。
女性の見方と男性とでは違うかもしれませんが…。女は甘いですかねぇ。
648 :
アーカイブス:02/07/20 21:02
こないだ北海道へ行った時、トラピスチヌ修道院に行ってきました。
朝の3時半に起床して8時の就寝まで、自給自足の労働以外、世界平和を
ひたすら祈り続けていらっしゃるそうです。5キロ四方の敷地から基本的には
出ることなく一生を終えるそうです。最後は勿論敷地内で土葬されます。
しゃべると人を傷つける恐れがあるので、おしゃべりも禁止。会話は手話と
徹底されています。完璧に自分を捧げないと出来ないことですね。
彼女たちの行為に意味などあるのでしょうか?具体性など皆無ですね。
実際ほんの少し信仰者だった自分は、ショックと大きな疑問を抱えてしまった
わけですけど、どう思われますか?。
>>647
言い方は悪いけど、末期ガンの奇跡的治癒の例などは、各新興宗教にかなりあると
思いますよ。それぞれに何かのお働きがあるのでしょうけど、会長先生のその
言葉は、宗教指導者としては一般的なことだと思います。会長先生御自身も
教団維持と信仰者との葛藤なるものがあることと思いますがどうでしょう。
真美会の浄霊での奇跡は、実際にあったことで、それを全否定するものでは
ありません。これは先に言っておきます。
但し、会長は「準資格者以上であればガンにはならない。」と一般信者に
言うという事実がある一方で、「ガンになるには、なる意味がある。
ガンになったが故に受け止めることが出来る事もある。
なまじ、ご守護戴いた事が、その人の為にならないこともある。
喉元過ぎれば…となる事もある。ガンで余命1ヶ月の人
が残りを光輝く日々を送ったら、その人の魂の方が救われると私は思う。」
と使い分ける事が、矛盾していて一貫性がない。
だったら、終始一貫して後者(ご守護戴けない論)を通してもらいたい。
人間の勝手な使い分けというのがあるとしたら、それはいかがなものか?
と思うわけです。わからないでもないのですが、信者にはAと言い。
準資格者以上にはBと言い。教団人にはCと言う。個人的には好かんのですよ。
終始一貫Cでないと・・・(少なくともBくらいでないと・・・)
まぁ聞き流してください。
癌治病の奇跡は、何処の新興宗教でも聞きますよね。
また、末期癌発病後に開き直って自分のやりたい事をし始めて、
奇跡的に癌が消えてゆくという話も、よく聞く話です。
ここには、宗教とか団体とか、準資格とか献金とかを越えたところでの
一つの人間の人体の真理(自然治癒力の妙)というものを私は感じます。
また、浄霊(溶かす)と医学(固める)のお話についてですが、
このまるで違う治病アプローチを同列に考えることはできないでしょう。
浄化者の症状として、一気に毒結が溶けて危ない状態と判断できる時には、
一端、その部を固める医学的手法を取り、術後に、
改めて、新しく増えた毒結も含めて上での、岡田茂吉流の浄霊を中心とした
自然順応型の浄化療法を施すというのも有りではないかと思います。
岡田さんは、毒結の見つけ方や浄化急所の見つけ方も示しているのだから、
医学的手法や浄霊による毒結の増減を、人体の経絡の観点から、
科学的にまめて調べれば、浄化者に対するより理想的な治病法を
求めていくことができるのではないかとも私は思います。
時所位に応じるとよく言いますが、現在、毒結を多量にもった人が多いのならば、
余計に、安全性を考慮すると医学+浄霊(芸術・食含む)の理想的な組み合わせを
本気になって、医者・浄霊師・針灸師などで見つけてもらいたいものです。
>>646 推測で書き過ぎると「中傷」になりかねないかな、と私は思いました。
もし、お気にさわりましたら、申し訳ありません。
そういえば、ある支部の人で、アトピーのひどい人がいましたが、その人は、
「薬を飲まないと、浄霊だけだと浄化がきつすぎて体がもたないから、あな
たは薬を飲みなさい」とご指導をいただいている人がいましたよ。
これなんかは、中庸を行ってていいな。と思いました。
>>644 くろさん 私はその頃には曇って(?)いたのでその月次祭に行って(許されて)無いので、詳しい話を知りませんでした。
後で噂的に「生活の為にタクシーの運転手に戻ってお金を稼ぎたいから降りたらしい。」と聞かされただけでした。
私達の支部は毎回と言っていい程、その人の運転で御本部入りをしていたので、人柄や性格をよく知っていたので、にわかには信じられませんでした。
>>646たけさん 私はその人がとてもいい人と知っていたので、自分からこのまま教団にいて亡くなりでもしたら、教団に迷惑がかかると、自分から降りたと思います。
でも実は、私もたけさんが憶測でいわれていた事を少し疑いました。
>>648 私は、本来の宗教は、主に、人に、利他愛の精神(慈愛の心)と
神(超越的な存在)を信じる事を教えるところだと認識しておりましたが、
これは、ある意味、まさにその究極の形ですね・・・。
また、彼等は、恩着せがましく、「自分たちのお陰で世界が平和になっている」
なんて事は決して他に言ったりはしないし、幸せを感じているでしょう。
個人が選んだ道(社会に多大な迷惑をかけるわけでもない)・幸せに対して、
他人が善し悪しを言う事なんてできないと私は思います。
尤も、これがもし、参加不参加について、選択の自由の無い強制であったり、
外の世界の情報の一切隔絶であったりしたら、別次元の話になりますけどね。
どの道、俗欲にまみれている私にはとてもマネできませんが・・。
逆に、他人を巻き込む(社会と交わる)利他愛行為って本当に難しいですよね。
何がその人のためになるかっていうのは、その人の事を本当に良く知り、
現在・未来を加味した上で、ある程度の具体性を持って自分を対応させないと、
反対の結果を生んでしまう事も多々ある(自己満足は別ですが)。
当然、世界平和のためとか、人類のためってのも同じ事でしょうけどね。
利他行為は、それ自体、規模に応じた恍惚感と快楽を伴う分(神の恵み?)、
世界大の独善的な反社会行為を利他行為と信じて走る愛は、危険極まりない・・・
だからこそ岡田師は、利他愛の素晴らしさを説きつつも、その能率(そろばん)や
常識・時所位への応身的対応の大切さも同時に説いているのでしょうけど。
ただの利他愛ジャンキーには、なりたくないものです・・・
654 :
アーカイブス:
>>653
現在30才から90才までの約70名がここで生活していらっしゃるそうです。
賛否を口出しする必要は無いと思いますが、新興宗教団体に入信するよりも、
個人の道徳、常識の範囲でちょっとボランティア精神を働かせることができれば
それで良いような気もします。いかに心を平安に保つかが重要かな?などと
思っているのですが・・
神霊的な次元では又別の意見もあると思いますが、圧倒的大多数の人にとって
神霊的過ぎるのはマイナス面の方が多いと思います。神霊的な事の理解を得るには
誤解を招きそうですが、人類の意識がもう一つ進化しないと難しいと考えてます。