幸福の科学現役会員スレッドPART6

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751坊ちゃん ◆sLzhoVM.
また、転生輪廻を否定する“無我”の解釈にこだわっている人がいるようですね。
この無我の思想を釈尊が訴えたかった本来の意味に戻す作業が、
幸福の科学が幸福の科学であるゆえんだと、私は思っているのだが・・・。

私が、仏教に興味を持ったときに疑問に思ったのは、
実にこの部分だったから、大川総裁の無我に関する解釈は、私には納得いく。
そもそも、転生輪廻を否定し、物理的実体を否定するような、
唯物論的な無我観は、最終的には、人を虚無主義に至らしめる。
「私なんか実はないんだ」と考えると、
「じゃあ、すべての存在そのものが意味がない」
「努力がなんだ。悟りといったって、悟る主体がないんだから幻想じゃん」
という結果にならざるを得ない(笑)。

釈尊の悟りの方法論というのは、基本的に消去法なんだと、私は考えている。
「間違っているものを、ひとつひとつ消しこんでいけば、
最後に正しいものが残るだろう」
という発想だ。
八正道に基づく反省法もそうだし、
無我観に立脚した内観法もそういう効果を期待しているのだろう。

ですから、消去法が成り立つためには、
最後には、正しいものが残るという前提がなければならない。
八正道を修して得られるものは、感謝と慈悲の思いであろう。
無我観を身につけて見出すものは、真我であろう。
この前提がなければ、悟りそのものが成り立たないし、
修行の意味がなくなるわけです。