法華経とは。
サッダールマ・プンダリーカ・スートラ
sad-dharma-pundarika-sutra
白い蓮の花のように正しい法の経典
その漢語訳が日本でも親しみのある「妙法蓮華経」です。
あ、何か間違いがあったら指摘してください。専門家ではないです。
その成立。
だいたい、AD50〜150年ごろ。
いわゆる大乗仏教運動の中で生まれたと考えられます。
もちろん、歴史的人物としての釈尊が著述されたわけではなく、
大乗仏教運動の中の一人又は複数の理論家によって編まれたと、
考えられる。
原典はサンスクリット語による。
原典を推量する現存する文献は、
1)サンスクリット語写本
a)ネパール・チベット
b)中央アジア
c)ギルギット(北パキスタン)
2)チベット語訳
3)漢語訳
a)『正法華経』(286年訳出) 竺法護訳
b)『妙法蓮華経』(406年訳出) 鳩摩羅什訳
c)『添品妙法蓮華経』(601年訳出) 闍那崛多・達摩笈多訳
法華経の解釈者として
・天台智ギ(豈頁)-中国
諸経の中で最高の真理を説いたものとする。
・聖徳太子
・最澄
・日蓮
などが、重要人物。是非はおいといて。^^;
特に、日蓮において「題目」を唱えることが始まり、
「法華経」それ自体が信仰の対象になり、
日蓮自身も後に信仰の対象になる(多くの宗派によれば、釈尊より上位?)という点で、
飛躍的な変化を見せる。これも、是非はおいといて。^^;;;
特に、法華経信仰の根幹になっているのは、
法華経の序品において、釈尊が言ったとされる
「四十余年未顕真実」という言葉でしょう。
過去四十二年間に説いてきた教えは未だ真実を顕していない。
つまり、この言葉が後に説かれる「法華経」の他経・他宗派に対する優越性の根拠として、
とても、重要なのではないかと思います。
歴史的事実としては、どうなのでしょうか?
釈尊の言葉なのか、法華経編集者の創作なのか?
ここらへんが、わたしにはとても興味があります。
法華経信仰について、わたしは、
ユダヤ教のトーラー(モーゼ5書)
キリスト教の聖書(特に、福音書)
イスラム教のコーラン
と同じく、
「書物」を信仰対象とする点で、似ているのではないかと思います。
比較宗教的には、どうなのでしょうか?
>法華経の序品において、釈尊が言ったとされる
>「四十余年未顕真実」という言葉でしょう。
ダウトです。
序品じゃ無くて『無量義経』だYO。
>>7 法華経信者って書物を信仰してるの?ちょっと違うような気が。
10 :
名無しさん@1周年:01/10/28 21:08
『無量義経』って法華経以外の経典?
>>8 サンキュー
無量義経と法華経の序品の関係がわからないです。
無量義経はそれ自体で完結しているような気もする。^^;
>>10 法華三部経の一つ。(もう一つは観普賢経)
ただし、偽経説もあり。
>>9 いち、試論です。^^;
「法華経を誹謗するものは頭破作七分」(日蓮?)
というのはネガティブな意味での書物信仰として興味深いと思います。
>>10 そうそう。天台さんが言い出しっぺで別のお経の『無量義経』と『観普賢経』
をそれぞれ『法華経』の開と結にしたみたい。
>過去四十二年間に説いてきた教えは未だ真実を顕していない。
>つまり、この言葉が後に説かれる「法華経」の他経・他宗派に対する優越性の根拠として、
>とても、重要なのではないかと思います。
どっちかって言うとこのお言葉は天台義や日蓮義っぽいですね。
法華そのものからまず見ていきましょうや。
とりあえず印仏からいきません?
参考書は梶山さんや種智院の刈谷さんの本がいいね。
>>16 中国や韓国・日本で作られた経の事を偽経という。
サンスクリット本その他から翻訳された経こそが
真経、正経とされる。
>>16 印度撰述の仏典じゃなくて中央アジアや中国で撰述されたお経のこと。
盂蘭盆経や地蔵十輪経、観無量寿経(これも偽経って言っていいよね。
俺真宗門徒だけど。)なんかがそう。
互換はネガティブだけど思想上大事なお経も多いよ。
>>17 >とりあえず印仏からいきません?
よろしくです。
>参考書は梶山さんや種智院の刈谷さんの本がいいね。
わかりやすいのがいいです。^^;
あと、宗派に関係ないのがいいなっと…
21 :
名無しさん@1周年:01/10/28 21:33
>>14 私は岩波文庫の法華経を持っていますが、頭破作七分は、
この思想は、妙法蓮華経陀羅尼品第二十五
「この呪頌を聴いて、教えを説く人を襲う者は、アルジャカの花の蕾のように、
その頭が七つに裂けるであろう」
から取ったのでしょうか?
しかし私は元顕正会員ですが、この、
「イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー、イティ=メー、
ニメー、ニメー、ニメー、ニメー、ニメー、
ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー、
ステゥヘー、ステゥヘー、ステゥヘー、ステゥヘー、ステゥヘー、
スヴァーハー」
という真言を唱えているのを聞いた事がありません。
>>18 >>19 ありがとう。
>互換はネガティブだけど思想上大事なお経も多いよ。
わたしも、そういうスタンスです。
ただ、どこまでその思想がどこまで遡れるのか?という点にも興味があります。
仏陀なのか、他のインド哲学なのか、大乗仏教運動なのかとか。
ほっけ様
こちらこそです。
俺の挙げた人は印佛の先生なんで宗旨に偏っていないので大丈夫です。
ちょいむずい本ですがゆっくり読めば大丈夫じゃないかと・・・。(汗)
ちなみに刈谷先生は気のいい河内のおじゅっさん(河内言葉で坊さんのこと)です。
>>23 こちらこそよろしくです。
印佛の先生というのはありがたいですが、
むずかしいのは困りますね〜
法華経を歴史的な流れと、インド仏教というか哲学の中で、
つかんでいる先生がいいですな〜
梶山先生と刈谷先生のフルネームは、なんでしょうか?
梶山雄一さんと刈谷定彦さんです。
さて
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf5761/setumei06.htm のリンク先なんですが・・・。
この筋(どの筋かは察して頂きたい)をひっぱりだすと
困ったチャンのギャラリーが荒氏にやってこられるので
なるべく控えられたほうが良いかと思われ・・・。(汗)
せっかくいい感じのスレなんで、マターリ行きましょうや。
>その、真言(サンスクリット?)はなんですか?
陀羅尼品の呪の梵本の音写です。
羅什三蔵は漢字で音写しています。
娘。新曲はよっすぃ〜がセンターですか。やっと慰しよし時代ですなぁ。
感慨深いものがあります。
と言うことでMUSIX落ちです。では!
>>26 わかりました。じゃ、リンクなし。^^;;;
とりあえず、諸宗派からは中立地帯ということで、よろしくお願いします。
age
無量義経の性格と法華経との関係に興味がありますね〜
あと、法華経はどこまで歴史的人物としての釈迦の説法を踏まえて、編集されたのか?
わたしは、何がしかの説法が元(口伝かパーリ語の伝承とか)だと思うのですが、
編集者の元ネタとかわかっているのでしょうか?
29 :
名無しさん@1周年:01/10/29 21:52
500年も口伝で伝えられるか。
>>29 向こうの人は結構、記憶力はいいし、ほかに仕事がないから大丈夫でしょ?
あるサイトの文の転載。リンクは迷惑がかかるのでしません。
>法華経の教えが説かれたのは、お釈迦さまの晩年、すなわち亡くなる前の8年間であることが、
>法華経の本文からうかがい知ることができます。
>ところが、経典として出現したのは、仏滅後、400〜600年ぐらいと推定されています。
>なぜ、こんなに経って法華経が成立したのでしょうか...。それは、今もよくある宗教論争が、
>当時もあったのです。
>仏滅後、お釈迦さまの教えを一字一句守ろうとする保守派(小乗)と
>教えの精神こそ守るべきとする進歩派(大乗)の対立でした。
>もともと、争いをなくし、みんなが幸せになるという、お釈迦さまの教えが原因で、
>逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、
>大乗も小乗もなくすべてが一乗なのだという精神のもとに、
>お釈迦さまの晩年の教えを法華経としてまとめました。
>
>そう、ここに法華経が誕生したのです!
>
>つまり、法華経こそが、すべての教えを包み込む性質をもったお経として誕生したのです。
わたしは、単に小乗仏教(注:蔑称)批判の一つの経典だと思ったのですが、
こういうとらえ方もあるのですね。
編集者の意図を推測するのに有益です。
32 :
名無しさん@1周年:01/10/29 23:29
33 :
名無しさん@1周年:01/10/29 23:42
>>32 一乗ってのは、カルト的な解釈なんですか?
論理的にはありうると思うのですが…
>>33 立正・・・の人のHPです。^^; 参考文献がそうだからそうでしょう。
これって、伝統的な解釈じゃないのですか?
36 :
名無しさん@1周年:01/10/29 23:49
>逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、
>大乗も小乗もなくすべてが一乗なのだという精神のもとに、
>お釈迦さまの晩年の教えを法華経としてまとめました。
こういう一派がいた、と妄想している事がカルト。
>>36 >こういう一派がいた、と妄想している事がカルト。
仏教史的には、どうなのでしょうか?
やはり大乗仏教運動のひとつとなのか?
大乗仏教運動のなかにも各派があり、その中での優越性を主張するための理論として、
「一乗」とされているにすぎないのか?
38 :
名無しさん@1周年:01/10/30 00:50
法華経と釈迦は、なんのつながりもないと思うが…誰か詳しい人いますか?
法華経は釈迦の唯一の経典というけど、釈迦が生きていた時代に法華経
なんてなかった。で、何で、法華経が釈迦の絶対の経典なんだ(笑)。
智顕や日蓮が他の経典と比較して、法華経は絶対の経典だと主張する。
アホでございますか? もしそうなら、具体的な根拠を示して欲しいね。
カルトはなんでもOK。という性質を持つが、不条理は不条理として認めてもらいたい。
この手の仏教から、何にも得るものがない。と感じるのはおれだけではないはずだ。
>逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、
ハッタリもいい加減にして欲しいよ。
争いの種をまいているのは法華経崇拝者だろ。明らかに。
日蓮以外の仏教徒は平和的。これ常識。
>>39 こらこら、煽らないで下さい。
大乗非仏説からは、論理的にこうなるのでしょうね。
>法華経は釈迦の唯一の経典というけど
「唯一」というのは、初耳ですね。「最高」とか「絶対」という形容詞はよくつきますが。
>>40 インドでの話だって。^^;;;
>日蓮以外の仏教徒は平和的。これ常識。
どうだろう、歴史的に見れば、延暦寺も興福寺も武装して殺しあっていたわけだし、
一向一揆は法華一揆に勝るとも劣らず。
日本の仏教ほど、殺人を肯定するものはないと思うけれど…
>41
末法を救う唯一の経典という論理展開でなかったかい。そもそも末法
なんて言葉、法華経のどこにあるの? 法華経にこだわるのは、みっともない。
イス●●のコー●ンなら、まだわかるが、法華経の道徳的教条などを聞かせてもらいたいね。
人間の生き方の哲学はあるのかい?
>42
今の時代の話。
「法華経」ファンダメンタリストをみるようだ。崇拝は、狂信者が生まれやすい。
はっきり言って、その経典には、何もない。あるとしても、
大乗仏教の空概念だ。悲しいがな。
>>43 >末法を救う唯一の経典という論理展開でなかったかい。
どっかの宗派が主張していることでしょ?
そういう信仰はひとまず置いといて、「法華経」を研究しようと言うのがこのスレの意図です。
だから、
>人間の生き方の哲学はあるのかい?
というのは、信仰系のスレで聞いてください。
法華経→釈迦死後600年後に大衆部で成立。
→末法の記述ナシ。
以上の点から、釈迦および、末法思想における法華経の存在価値はないとみる。
しかも、日蓮が法華経に帰依しなければ、国が滅ぶといった時代こそ末法で、
法華に帰依しなくても、日本は救われ、それも終了。で、結局法華経に帰依しなくても、日本はバンバンザイ!
で、日蓮死後今までずーと末法が続いて、地球が滅亡するまで、
それが続くというわけか? なわけない。嘘だから。こういう矛盾だらけだ。
>>44 了解。でも、他にも戦闘的なのはあると思うよ。
>46
そういうスタンスね。それも不可解だな。
一言で言えば、大衆部の僧侶が、大衆がいかに仏教に興味を持ってもらうかを考え、
その結果、仏塔信仰の延長線上にある仏像と、大衆をひきつける「功徳」の要素を持った
「法華経」を創作したということでしょう。明らかに大衆の欲求によって作り出された経典
だからこそ、大衆をひきつけるというわけ。執着を絶てという仏教の本道は、
大衆にあって何の興味もないからね。
つまり嘘というわけです。
>>47 詳しくは知らないけれど、末法思想ってあらためて文字にするまでもなく、
当時の常識だった場合はOKじゃない?
末法思想って、いつ成立したんだろう?
釈尊と関係あるのかないのか?
>>49 実証主義的に考えると、まあ、そんなところなんでしょう。^^;
完全なるフィクションか。
ネタがあってのパクリか。
「唯一」「絶対」「最高」の経典か。^^;;;
信仰とか是非とかから離れて、ひとつの文献として観察するわけです。
結論は、人それぞれでいいのではないでしょうか?
学校に例えるとわかりやすい。人それぞれにレベルがあって、本人に吸収
できる知識や教義がある。幼稚園児に大学の知識を与えるのも、その逆でも、
当人にとっては、悪影響でしかない。そのことには、問題はない。
いかに稚拙な教義だろうが、それに興味をもつのは、当人のレベルの問題だからだ。
問題があるとすれば、それを他人に強制すること。例えば、層化や顕彰会のように。
特に、法華経崇拝者にその傾向がある。これは、小学校に幼稚園も、大学生も全て
入れてしまう発想で、これは許されないこと。これさえわきまえれば、
たいして害はない。
ピエールさん、法華経関係の掲示板にいつも現れているけど、
法華経に対して並々ならぬこだわり(?)があるみたいですね。
確かに日蓮さん系統の法華行者の中には、
ピエールさんがおっしゃる方々もいらっしゃるようだけども、
法華経が絡んだら、すべて法華経の狂信者と考えるのは、
おかしいんじゃないでしょうか。
批判する前に、まず法華経を読んでくださいね。
ピエールさんは法華経には、「執着するな」という
仏教の根本的な教えがないような言い方をしていますが、
それは違うんじゃないでしょうか。
まず、序品だけでも読んでください。
そこには、四諦や十二縁起が出てきますから。
それと、
法華経の目的は、「空」や「無」の説明することじゃないですよ。
法華経は、ちゃんと「空」や「無」も認識していますよ。
ちなみ日蓮さんもその意味が分かっているから、
「ひげ曼陀羅」の中には、龍樹の名前もしっかり入っています。
層化さんや顕彰会さんの方々のような、日蓮正宗系の人たちは、
ものすごく原理主義的なものを私も感じますが、
それは法華経が悪かったり、日蓮さんが悪いと言うよりも、
彼らの認識の仕方が原理主義なんですよ。
ピエールさんは、日蓮正宗的な日蓮さんや、日蓮正宗的な法華経を
「法華経」といっているように私には思えますが。
>学校に例えるとわかりやすい。人それぞれにレベルがあって、本人に吸収
>できる知識や教義がある。幼稚園児に大学の知識を与えるのも、その逆でも、
>当人にとっては、悪影響でしかない。そのことには、問題はない。
>いかに稚拙な教義だろうが、それに興味をもつのは、当人のレベルの問題だからだ。
>問題があるとすれば、それを他人に強制すること。例えば、層化や顕彰会のように。
>特に、法華経崇拝者にその傾向がある。これは、小学校に幼稚園も、大学生も全て
>入れてしまう発想で、これは許されないこと。これさえわきまえれば、
>たいして害はない。
まさしく、これと同じ内容のことが、
法華経の中の、方便品第二というところに書いてありますので、
確かめてくださいね。
残念ながら、本当に法華経というお経は、
日蓮さんに対する誤解なんかで、かなり曲解されています。
ピエールさん一度先入観を抜きにして、
法華経を読んでみてください。
無量義経は法華経の開経とされてますが、
果たして、思想的な共通点はあるのでしょうか?
法華経では一応二乗の成仏を認める形をとっていると
思うのですが、無量義経では軽視してませんか?
それに、無量義経を読んでいると、無量義経の功徳、素晴らしさ
ばっかりで、これから説く教え(つまり法華経)にこそ真実がある
という主張は読み取れないのですが・・・
どうして、思想的には相反するような無量義経が法華経の開経と
なりえるのか? どう考えられますか?
>>53-54 とりあえず、各宗派の是非は論ぜずということで。キリがないので。^^;
ただ、是非を離れて事実としての思想の違いは、
読み方のバリエーションとして興味深いのでよろしくです。
>>55 思想面の異同は興味深いところです。
形式的には、序品で
説大乗経。名無量義。
って、言っているのでツジツマはあってます。
でも、釈尊は大乗とか小乗とか言われたのだろうか…
>>57 ほっけさん
無量義経は中国で作られた偽経との有力な説がありますが、それを
無視したとしても、書いた人は明らかに失敗しているように思います。
無量義経を素直に読めば、
1.あらゆるものの仏性を説き、誰でも修行を積めば仏となると説き
2.四十余年未顕真実と、今まで真実を顕さなかった、つまり今説いている
教えこそが真実であると無量義経は真実だということを語り、
3.更に、「無上大乗無量義経は、文理真正に尊にして過上無し。」と
無量義経はこの上ない教えだと念押しをしています。
4.そして、最後には八萬の菩薩に無量義経を修行し、流布するように
命じています。
つまり、「過上無し」とはこの上ないということであり、これまた
素直に読めば「法華経」すら「無量義経」の上には置けない事になって
しまいます。
もう、これだけで簡潔しているように思えるんですよね。
法華経が入り込む余地なしと。
せめて、最後に「更にこれから説く教えを大切に精進せよ」との
一文でもあれば、法華経の開経とするにはもってこいなんですけどね。
よって、法華三部経の中でたった一つだけ私が選ぶとすれば、長々、
だらだらと自画自賛と御伽噺のような話ばかり書かれた法華経よりも、
たった三品で「過上無し」の功徳が得られ、そして私のようなものでも
悟ることが出来ると太鼓判を押してくれている無量義経を選びたいと思います。
法華経の最大の弱点は、悟りに言及していないことだ。
>>58 55さんありがとうございます。
たしかに、素直に読むとそれだけで完結していると言えますね。
天台智ぎによるとされる法華3部経の制定は、
ひとつの信仰の表現として評価されるべきにしても、(是非はおいといて)
文献的・内容的には、無量義経の性格について、いろいろ論点がある感じですかね。
まず、
法華経序品の「無量義」が何を意味するのか?
無量義経の成立は、法華経のあとかさきか?
無量義経は偽経、すなわち中国人の創作か?
編集者の意図は?とくに、法華経を予定していたのか?
ところで、日本人として呼び捨ては多少気がひけるので、
以下、尊称を用います。
天台大師はいいとして、
日蓮さんの尊称はむずかしいので、日蓮さんにしようかな。^^;
どもども、ほっけさん。こんばんわ!
どうも私、宗教板ではピエールさんと渡海さんが苦手でROMってました・・・。
私は熊野信仰とか遊行聖を専門にやってたんで経釈は苦手なんですわ(汗)。
(波木井さんは好きよ。あとROCKさんも。)
まぁ、ピエールさん。郎日さんのおっしゃる通り
一回真っ白の状態で法華経読んでみたらいかがかな?
古い説話集読んでもわかる通り、
日本じゃ日蓮さんの生まれるず〜っと前から
法華経は広い階層に信仰されてきたわけだし、
文化史的にも無視できない。(浄土信仰への影響も大きい。)
>法華経は釈迦の唯一の経典というけど、〜
それを言っちゃぁ、原始仏典のごく一部以外みんなそう。
>法華経→釈迦死後600年後に大衆部で成立。〜
法華の成立が紀元前後、印度における末法思想の成立が六世紀ごろだから
法華の中に末法思想が出てこないのはあたりまえ。
吉蔵さんが法華とリンクさせた言い出しっぺかな?
お経に対して思想的裏付けを付けるのが論師さんの仕事。
しかも、日蓮が〜以下の文章は意味が判んねぇ〜。
ピエールさんは正・像・末や法滅尽ちゅう概念をおわかりになってないと見える。
>一言で言えば、大衆部の僧侶が、
>大衆がいかに仏教に興味を持ってもらうかを考え、〜
そういうことは中公新書から出てる梶山さんの『般若経』とか
読んでから言ってね。
三国+中央アジアや朝鮮の人々が二千年近く真摯に信仰してきたのを
そういう風に言われることが何か腹立つのよ。
これからも文化史っぽい話になったら顔出します。
( `.∀´)<もう寝るわよっ!
>日蓮さんの尊称はむずかしいので、日蓮さんにしようかな。^^;
大菩薩と大聖人(大商人って変換しちゃった。ヤベェ〜)
でも揉めるしね。私の持ってる像師開山の寺の出した曼荼羅は
題目の下に南無高祖日蓮大菩薩って書いてあるよ。
大聖人は興師門下なのかな?
でも一番好きな呼称はエデッケの
「おそっさん」
かなぁ〜(笑)
>>62 >どうも私、宗教板ではピエールさんと渡海さんが苦手でROMってました・・・。
わかる気もする。^^;
>法華の成立が紀元前後、印度における末法思想の成立が六世紀ごろだから
>法華の中に末法思想が出てこないのはあたりまえ。
>吉蔵さんが法華とリンクさせた言い出しっぺかな?
そういうもんですか。
吉蔵さんて誰だろう。調べてみよう。
嘉祥寺の吉蔵大師かぁ。
法華玄論というものらしいです。
なんか、「日蓮像法出現説」って大変な問題もあるらしいです。^^;;;
66 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 10:05
67 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 11:03
まず、法華経には様々な解釈があるのはご存知の通りだと思います。
法華経=釈迦の言葉そのままであるという説と、いや違うという説と。
では、まず、法華経から誰でも読み取れる事あげてみます。
1.釈迦が「さぁ今から法華経の教えを説こう!」という時になって、
「もう悟っていると」とその場を去ったモノたちに「カス」であると
戒めている。(但し、引き止めていない)
2.「正直捨方便」より、釈迦は様々な「方便」を使う事が分かります。
※ここでは「方便」の解釈については一旦保留にします
3.法華経の教え、行者を謗るものへの批判。
4.法華経の教えを信じられないものへは、他の経典を読ませよとの教え。
5.特定の仏を対象にするのではなく、ただ「仏」を思う事の功徳を説き。
6.釈迦の永遠の生命も説かれています。
7.そして、法華経の極端なまでの賛美。
8.しかし、具体的な「悟り」については語られていない。
68 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 11:10
9.他の教えをむやみに謗ってはいけないという戒め。
あと、現証として、次のような事もあげられると思います。
10.天台に始まり、日蓮さん系の宗派では、法華経こそを
「絶対視」し、日蓮仏法を「絶対視」しているという事実。
では、これらのことから何が分かるでしょう。
69 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 11:28
2と6より法華経すら「方便」である可能性が見出せます。
新しい教えを説く為に、釈迦が再来する事もありえるという事です。
2500年前に説いた「法華経は実は方便であった」と。
そう解釈すると、1と10の関係が明るみになります。
自分が今信じている教えこそ唯一真実であると思う立場は
「カス」であるという事になります。
※信者の皆さん、ごめんなさい。喧嘩を売ろうというのでは
ありませんのでご了承くださいm(__)m 全ての宗派が該当
するとは思っていません…。かと言って、どの宗派だ?等と
煽らないで下さいね^^;
つまり、このことから何が分かるかというと、法華経の教えとは、
『今の自分の信じているものを“絶対”と見ておごり高ぶること
なく、常に真実を求め、観察し、もっと上のものはないのか向
上心を持って修行せよ』
ということになると思います。
法華経は宗教文学。史的仏陀云々言っても無意味。
中村元は「一乗思想」の理論的根拠が、すでに原始仏教の中に存在している
ことを認めている。
72 :
名無しさん@1周年:01/10/31 12:02
73 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 12:16
以上のように考えると、法華経中の他の教えも説明が付くのではない
でしょうか?
この経典は、仏法に学ぶときの、謙虚さと向上心を教えているのでは
ないでしょうか?
74 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 13:09
法華経は「仏法に学ぶときの、謙虚さと向上心を教えている」の
立場に立つと、
3、5、7については、そういう謙虚さを無くしてはならないとの
メッセージと理解できますし、4、5、8、9は法華経自体が悟り
の為の法なのではなく、あくまでも法華経は仏法学ぶ上での心構えで
ありそういう心構えで他の経典を学び、更に精進を続けよと言う事に
なります。
以上は、あくまで法華経思想の一つの仮説に過ぎませんが、このよう
に解釈した場合の矛盾点などありましたら、共に考えさせて頂きたい
と思います。よろしくお願い致します。
75 :
名無しさん@1周年:01/10/31 13:41
age
おお、以外な展開に…^^;
有学さんの独自の法華経観は、興味深いです。
わたしも、学ばせてもらおう。
できれば、1〜10の出典の品を教えてくださいな。
>>70 そういうスタンスもいいと思います。
実証主義から離れて、仏教文学として評価する。
細かいことにとらわれない、フィクションの形をした表現形態。
ただ、史伝の釈尊が登場し、亡くなられる8年前と時期を明示し、
場所も霊鷲山としている点で、編集者が元にした史的事実や伝説が、
あったという推理も成り立つのではないでしょうか?
>>67-68 >9.他の教えをむやみに謗ってはいけないという戒め。
は謙虚で良いと思うのですが
>3.法華経の教え、行者を謗るものへの批判。
なんか、傲慢な匂いがしてなりません。
「頭破作七分」というのは、釈尊の仏教のイメージとは違うなぁという個人的な感想です。
釈尊なら、誰がどう仏法を批判しようと超然としていたのではないかなとは思います。
だから、その点が編集者の個性の現れではないかと思います。
80 :
名無しさん@1周年:01/10/31 16:13
>>79 傲慢というか、鼓舞してるんでしょう。
少数派である自分たちのことを。
>>80 うーん、呪うというか攻撃的な鼓舞ですね。^^;
日蓮大聖人以外を拝む者かかってきなさい
1 :蓮日 :01/10/24 14:23
君達は五重の相対を知ってるかな?
日蓮大聖人の仏法と他宗教とを峻別、相対比較し、その正邪・高低・浅深を
明らかにする原理である。
その1.内外相対
内外相対とは、内道(仏教)と外道(仏教以外の宗教)の比較である。
仏教では、因果の理法と自己責任を説いているが、仏教以外で説いて
る宗教はあるか?
その2.大小相対
大小相対とは、大乗教と小乗教の比較である。
小乗の教えは大乗のように多くの人を救えない。よって大乗は凄い!
その3.権実相対
権実相対とは、大乗教の中における権教(法華経以外)と
実教(法華経)の比較である。
権教は、真実の教えである法華経に導くための方便にすぎない。
よって、実教である法華経は凄い!
その4.本迹相対
本迹相対とは、法華経二十八品のうちの全十四品である迹門と
後十四品の本門の比較である。
迹門では、始成正覚、すなわち釈尊はインドで生まれ修行し正覚
(悟り)を得たという立場で説かれており、いまだ永遠の生命観に
立脚していない。よって、全てを説いた本門は凄い!
その5.種脱相対
種脱相対とは、法華経本門の中心である如来寿量品における文上脱益の
釈迦仏法と文底下種益の日蓮仏法の比較である。
日蓮大聖人の仏法では、過去において全く仏になる種を植えていない、
末法の本未有善の一切衆生のために、成仏の種を植える仏法を確立した
のである。よって大聖人が一番となる事は明々白々!!
反論ある宗教、宗派の方は、理由を持って論破してみて下さい!!
94 :蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 10:01
やっと法華経の真の意味が分かりました。
今日から、改宗します。
仏はやはり釈迦であり、法は一切経及び他教の聖典とします。
ほっけさんの以下のスレで新しい法華経解釈をしていきたいと
思います。これまで出ていた様々な疑問が解消できると思うのですが・・・
どこが有学じゃ(藁
84 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 17:47
>>82 >>83 下手な煽りは、恥をかきますよ。
仏教で言う「有学」とは、まだまだ学ばねばならないものが有るの意味です。
ちなみに、「無学」こそが、これ以上学ぶものが無い人のことです。
85 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 17:58
ほっけさん、こんにちは。
>できれば、1〜10の出典の品を教えてくださいな。
今、手元に法華経がないので、また改めて。
>「頭破作七分」というのは、釈尊の仏教のイメージとは違うなぁという個人的な感想です。
>釈尊なら、誰がどう仏法を批判しようと超然としていたのではないかなとは思います。
確かに、おっしゃる通りです。
ですので、
>>67で最初にお断りしたのですが、まず、法華経に書いて
ある言葉は全て釈迦の言葉であるという立場で説を立ててみました。
反対の立場も当然取れます。釈迦以外の思想も入っていると。
ただ、その立場に立つと、一言一句検討する必要が出てきますので、
まずは簡単なところから入ってみました。
あと、法華経に文学的な価値を見出そうとする立場に対しては、
私としては否定的に考えています。
なぜなら、文学作品として見た場合、昨今の作家の作品の方が
よっぽど面白いと思うからです。法華経に微妙な心理描写も
ないように思いますし、あるのはファンタジーな世界です。
文学作品というより、御伽噺やSF漫画に近いものを感じます。
質問。法華経は誰が書いたの?
今法華経が出来たとして、ペーパーブックのようなものとして処理される
可能性はないでしょうか? というか、持ち上げすぎだっちゅーの。
>>86 西暦50年から600年ぐらいまでの間の、
大乗仏教のある理論家っていうのが、妥当な推理でしょうか?
88 :
名無しさん@1周年:01/10/31 19:54
>>78 もしも、そのような史的事実があったのなら、近年の研究で明らかにされてると思う。
>>89 知らない。
あったのなら、明らかにされてるだろうから、調べてみたら?って事。
91 :
名無しさん@1周年:01/10/31 23:07
「頭破作七分」
これは因果応報の教えでしょう。
>>91 バラモン教の教えです。
仏教においては、ただの戒めです。
>>90 じゃ、詳しい人の書きこみを待ちましょう。
>>92 お、「頭破作七分」の部分はバラモン教の影響が見られるということですか?
>>94 そうです。
ウパニシャッドでは、悪事の報いとして「頭が落ちる」と言います。
「法華経のじゃまをする人は、頭が七つに割れる」というやつですね。
他にも、法師品だったか、どこだったか、
法華経をそしったら、ライ病になるというのもあったなぁ。
「法」に反することは、
つらい結果を生むという説明でしょうね。
やぱし、法華経ムズイですね。
法華経関係で、お勧めの文献なんかあれば
教えてください。
>>96 普賢菩薩勧発品第二十八のようですね。
> もしもある人が、法華経の教えを信じる人を軽蔑したり謗ったりして、
>『お前は狂っているのではないか。そんなことをしたって無駄だよ、
>何にも得るところはないだろうよ。』などと言うとしたら、
>その人は罪の報いを受けて、何度生まれ変わっても盲目で生まれるでありましょう。
> その反対に、もし法華経を信じる人の世話をしたり、ほめたりする人ならば、
>この世において現実によい報いを受けるでありましょう。
> もしまた、この教えを固く信ずる人を見て、その人のあら探しをして世間に言いふらすような
>人がいたならば、それが本当のことであっても、間違ってあらだと思ったことであっても、
>その人はこの世において白癩という病にかかるでありましょう。
> もしもある人が、法華経を信じる人を嘲笑するようなことがあるならば、
>その人は何度生まれ変わっても、いつも歯の間がすいていて、
>唇はいやらしい格好をしていて、鼻は押しつぶしたようで、手脚がよじれて、
>眼が薮にらみで、体が臭くてきたならしく、たちの悪い出来ものが体中に出来ていて、
>血膿が流れていて、腹は水ぶくれで、息切れがして、
>種々の重い病気を背負い込むことになるでしょう。
> ですから、普賢よ。もしこの教えを固く信ずる人が来たならば、遠くにその姿を見ても、
>立ち上がって歓迎して、仏を敬うのと同じようにしなければならないのです。
この種の話は、少しさびしい気分にさせられます。
否定も肯定もしませんが、釈尊や仏教の超然としたイメージとは違うものを感じます。
わたしは、法華経を全否定・無価値・悪とする立場ではありませんが、
こういうところは、死ぬまで好きになれそうにないなぁと思います。^^;
これはね、「法華経」という言葉をどう捉えるかと言うことが問題になってくるね。
この普賢菩薩勧発品や陀羅尼品の言うところの法華経というのは、
くまらじゅうのが翻訳した、妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカスートラ)という
題名のお経の固有名詞を指しているのではないだろう、と思う。
「法華経」(普賢菩薩勧発品や陀羅尼品の言うところの法華経)は、
お釈迦さんが初めて説いた者ではない。
日月燈明仏という仏さんも説いている。
名前は一緒だが、ちがう日月燈明仏も「法華経」を説いている。
日月燈明仏が説いた法華経は、くまらじゅうなんかが翻訳した法華経ではなく、
法華経(くまらじゅうの法華経)と同じ趣旨の内容の説教のことでしょう。
大まかに言ったら、
・すべての衆生が成仏できる
・方便のこと
・久遠実成の仏の存在
ま、他にもあるでしょうが、
そういう趣旨を説いている話を普賢菩薩勧発品や陀羅尼品では
「法華経」といっているのでしょう。
その「法華経」の趣旨を説いている人をそしったりじゃましたり、
その「法華経」の趣旨を馬鹿にしたら、大変なことになると言うことじゃないでしょうか。
だから、極端なことを言えば、法華経という名をかたって、
法華経の趣旨に反することを説いている人を謗っても
それほどの罪にはならんと言うことでしょう。
>>99 >これはね、「法華経」という言葉をどう捉えるかと言うことが問題になってくるね。
>この普賢菩薩勧発品や陀羅尼品の言うところの法華経というのは、
>くまらじゅうのが翻訳した、妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカスートラ)という
>題名のお経の固有名詞を指しているのではないだろう、と思う。
すごく興味深いお話です。^^
仮に、形式的意味での法華経と実質的意味の法華経を分けてみると、
形式的意味の法華経は、妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカスートラ)という
固有名詞の経典。
実質的意味の法華経は、サッダルマ・プンダリーカ(白い蓮の花のごとき正しい法)といわれる、
教え・正しい法そのもの。
こんな感じですかね?
わたしは、法華経の効能書き(功徳があるetc.)は、実質的な意味での法華経ではないと、
思います。また、「頭破作七分」や「白癩」「盲目」なども、一部品のない編集者による、
贔屓の引き倒しではないかなとも、想像してます。
>日月燈明仏が説いた法華経は、くまらじゅうなんかが翻訳した法華経ではなく、
>法華経(くまらじゅうの法華経)と同じ趣旨の内容の説教のことでしょう。
>大まかに言ったら、
>・すべての衆生が成仏できる
>・方便のこと
>・久遠実成の仏の存在
そうですね。ここいらが、サッダールマ・プンダリーカのハードコアでしょうか?^^;
中核部分と周辺部分を分けて考えたいなと思ってます。
さて、だいたい秋涼かな。^^;
102 :
桜だうんこ:01/11/04 11:14
いや、ワシは、日蓮さん系宗派の方の法華経観を聞いてみたいぞよ。
俺もあげておこう!
この板にご登場の優秀な学者の方にお願い。
江戸中期の思想家、神・儒・仏を歴史的に批判した、
富永沖基の日蓮批判に反論するかたちで、議論を展開してくださる人
居ませんか。
この板のレスを読んでいて、猛烈にその気持ちに駆られてきました。
大乗非仏論は、大乗仏教全体の問題で大きいテーマですね。
信仰者からは「天魔」呼ばわりのようですが。^^;
なんか、法華経はすばらしいという部分ばかりで、
なかなか釈尊が説かれる「法華経」の部分が見つからない…
>・すべての衆生が成仏できる
>・方便のこと
>・久遠実成の仏の存在
考えると、これらのことは法華経がオリジナルなのでしょうか?
>>104 沖基さんの本は学生のときちょっとかじったくらいなので、も一度読み直します。
ちなみに篤胤の『出家笑語』と『神敵二宗論』は面白くて大笑いしたのを覚えています。
そんな私は罰当たりな真宗門徒。
娘。物語第一巻発売記念age
108 :
名無しさん@1周年:01/11/07 00:19
>107さん、>108さんへ
有難う。
中身の濃い解説
大いに期待しています。
110 :
名無しさん@1周年:01/11/08 00:30
お釈迦様や法華経を伝えた人は、私たちに何を伝えたかったのでしょう。
もっと中身について教えていただければ勉強になります。
111 :
名無しさん@1周年:01/11/08 00:38
>>110 中身は読めば分かるから、こんな話をしてるんじゃない?
112 :
名無しさん@1周年:01/11/09 10:40
>>110 っつーか、法華経の内容自体たいした事ないと思われ。
釈迦の永遠の生命だの皆が仏になれるだの言うことが
釈迦の出世の本懐なら、小学生なみの思想家と思われ。
一切経から言えば法華経は“おまけ”に過ぎない。
たいした事を説いてないのに過剰評価され、寄生虫のような存在だ!
113 :
名無しさん@1周年:01/11/09 11:13
大乗非仏説なんてもう古いんだよ。
>>104 加上説であるからこそ、法華経は正しいという逆説。
そもそも仏教における仏とは史的釈尊に限定されていない。よって、
文献学的あるいは実証主義的な歴史観を仏教に直接当てはめること
は出来ない。インド人の歴史観は欧米人のそれとは大きく異なるの
だ。
115 :
名無しさん@1周年:01/11/09 11:41
大乗非釈迦説
116 :
名無しさん@1周年:01/11/09 11:49
>>114 新宗教系教団には法華経を史的釈尊に帰すところが多いから
問題にされるのでは?
法華経もテキストの上では史的釈尊に帰せられてるんだし。
大乗経典を「完成」としてではなく仏教思想の展開の一展開として捉える
以外に、非仏説との批判を越える道はないと思うんだが。
117 :
名無しさん@1周年:01/11/09 12:22
創作小説は決してオリジナルを超えることのできない現実。
仏教学者は「大乗非仏説」をもっと声高に宣伝し、
釈迦仏教とは関係ない亜流ということを世間に認知させるべきだ。
あまりにも、俗にそまった、形骸化した仏教なんぞ、毒以外にないんだからな。
法華教信奉者に言っておくが、本当に釈迦と一切関係ないんだよ。
あるとしても1パーセントぐらい。そのうえ、1つの経典に執着するという罪を
犯してしまった。
>>117 では聞く。オリジナルとはなんぞ?残念ながらそんなものは残
されていないのだよ。原始経典に戻ったとしても、釈尊の直説
を復元することは不可能。亜流ということであれば、大乗に限
らずすべての仏教は亜流にすぎない。釈迦仏教はどこにも存在
しないという言説が極端であるように、大乗非仏説も一つの極
端説である。
>>116 日本仏教において、その思想的・実践的展開は日蓮で止まった。
その後に続く者はいない。日本仏教は日蓮を乗り越えられず、
体制側に取り込まれ堕落したのだ。だから日蓮の教えは今なお
影響力を持つ。
120 :
名無しさん@1周年:01/11/09 13:06
釈迦に「近い」「遠い」はあるが、何か?
大乗非仏を唱える方々へ
お釈迦さんの直説の内容を教えてください。
それと大乗の教典がどれだけ違うのか、考えましょう。
がーん、マターリスレが…^^;
>>121 中村元先生の訳された、岩波文庫の「スッタニパータ」とかですかね。
gea
124 :
名無しさん@1周年:01/11/21 21:35
釈迦の輪廻転生否定説について、どうおもわれ?
>>124 輪廻転生否定説でしたっけ、釈尊は?
そういう議論には、「捨置答」ってのが釈尊の立場といえば立場だったような気がする。