君達は五重の相対を知ってるかな?
日蓮大聖人の仏法と他宗教とを峻別、相対比較し、その正邪・高低・浅深を
明らかにする原理である。
その1.内外相対
内外相対とは、内道(仏教)と外道(仏教以外の宗教)の比較である。
仏教では、因果の理法と自己責任を説いているが、仏教以外で説いて
る宗教はあるか?
その2.大小相対
大小相対とは、大乗教と小乗教の比較である。
小乗の教えは大乗のように多くの人を救えない。よって大乗は凄い!
その3.権実相対
権実相対とは、大乗教の中における権教(法華経以外)と
実教(法華経)の比較である。
権教は、真実の教えである法華経に導くための方便にすぎない。
よって、実教である法華経は凄い!
その4.本迹相対
本迹相対とは、法華経二十八品のうちの全十四品である迹門と
後十四品の本門の比較である。
迹門では、始成正覚、すなわち釈尊はインドで生まれ修行し正覚
(悟り)を得たという立場で説かれており、いまだ永遠の生命観に
立脚していない。よって、全てを説いた本門は凄い!
その5.種脱相対
種脱相対とは、法華経本門の中心である如来寿量品における文上脱益の
釈迦仏法と文底下種益の日蓮仏法の比較である。
日蓮大聖人の仏法では、過去において全く仏になる種を植えていない、
末法の本未有善の一切衆生のために、成仏の種を植える仏法を確立した
のである。よって大聖人が一番となる事は明々白々!!
反論ある宗教、宗派の方は、理由を持って論破してみて下さい!!
sage
任用試験の勉強かい?そんな事してる暇あったら題目あげなさい。
4 :
名無しさん@1周年:01/10/24 14:38
試験?
そんなの関係ありません。
私は何処の今は宗派にも属していない。
個人的に宗教を学び、仏教を学び、法華経を学び、日蓮を学び
同じ結論に達しただけです。
>>5 >私は何処の今は宗派にも属していない。
私は何処の宗派にも今は属していない。
・・・失礼しました。
7 :
名無しさん@1周年:01/10/24 14:46
日蓮は天台智顕のモノマネでしかないよ。泥棒という言い方もできる。
なんで泥棒?
智顕の考えを発展させただけでしょう。
先人の考えを支持する事が泥棒なら世界中の人々は皆泥棒です。
法華経以外は、仮の教えということで、権教なんですよね。
それで法華経が、実教。
般若経なんかで説く、悟りの境地と
法華経で説く悟りの境地はどう違うのですか?
本迹相対の件にも質問があります。
本門と迹門を相対して、優劣をつけているのですか。
仮に迹門が劣っているとなると、迹門は必要ないのですか?
それと蓮日さまから富士門流のにおいが漂ってくるのですが、
どうしてでしょうか?
10 :
名無しさん@1周年:01/10/24 15:53
蓮日氏は、日蓮正宗と日蓮宗のどちらが正しいと思うの?
そもそも勤行をやってるの?
11 :
名無しさん@1周年:01/10/24 15:54
追加。
創価学会と顕正会についての蓮日氏の考えは?
12 :
名無しさん@1周年:01/10/24 15:55
天台宗じゃ、駄目なの?(法華経の事)密教が取り入れられたから?
日蓮も最澄の事は尊敬していたのでは?(愚問かな・・・。)
まあ、日蓮宗も新興宗教系じゃ無ければ、そんなに問題無いと思うけど。
13 :
名無しさん@1周年:01/10/24 15:57
今日はお祭り〜〜
15 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 16:09
>>9 朗日さんへ
悟りの境地も何も法華経以外では悟れないということです。
悟ったつもりにはなるでしょうが、それは本当の悟りでは
ないということです。
本迹相対について、迹門は必要ないのではありません。
本門に導くためには必要なものだと考えております。
富士門流?
さて、何のことでしょう?
16 :
名無しさん@1周年:01/10/24 16:18
日蓮って法華経でしょ?
だったら、一乗じゃん。
>その2.大小相対
>大小相対とは、大乗教と小乗教の比較である。
>小乗の教えは大乗のように多くの人を救えない。よって大乗は凄い!
この考え自体おかしくて、本来ひとつであるってのが法華経であり、
ニッチーのいうことでしょうが。
それぐらい知ってますよね?
17 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 16:18
>>10 どちらが正しいか?
既存の宗教団体に入ってないのでよく分かりませんが、
日蓮大聖人を末法の本仏としている点では、日蓮正宗
を支持します。しかし、未だに釈迦を紀元前10世紀と
したり、五時の教判を信者に信じ込ませている点には
納得しかねます。
>>11 もはや仏教じゃないでしょう。
>>12 日蓮大聖人がどう考えていたか? なーんてのは、
私には関係のないことです。ですので、御文、御書と
呼ばれる手紙の類にも、あまり興味がありません。
18 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 16:29
>>16 >この考え自体おかしくて、本来ひとつであるってのが法華経であり、
>ニッチーのいうことでしょうが。
この考え、おかしいですか?
おかしくないですよ。
上座部(小乗)でも、救われるってのが法華経です。
しかし、それは誰でも出来るような修行じゃありません。
誰にでも簡単に無上の功徳を与えてくれるのが法華経です。
19 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 16:33
そう、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華教」を唱えましたが、
「南無仏」とつぶやくだけでもよかったのが正法時代の法華経です。
20 :
名無しさん@1周年:01/10/24 16:50
どっかに正宗は法主も信仰の対象とか、日蓮宗と日蓮正宗はお互いを行き来
してて仲がいいとか、正宗は神様も祀ってるって書いてあったけど。法主の実家の
墓は違う宗教の寺にあるんでしょ。そこんとこはどうですか?
おかしくないならその理由を述べよ。
22 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 17:28
>>20 >だからね、大乗・小乗と分けるのがおかしいっていうこと。
分けているのは分類上の話です。
実際にはキッパリと切り離せるものではありません。
全て、法華経に導くための方便なんですから、そういう意味では
一つなんです。例えば、一つの物語があって、起承転結とあったと
すれば「結」の「結論」を語っているところが法華経だと考えて
いけばどうでしょうか?
>>21 正宗が神様を祀ってるとか法主の実家がどうとか私には関係
ありません。
>>17でも書きましたが、私は宗教団体に入って
修行するものではありませんから。
23 :
名無しさん@1周年:01/10/24 17:44
ネタスレでしょ?
>日蓮正宗 を支持します。
なんでしょ。それは通らないよ。
日蓮宗も日蓮正宗も層化も検証も違うんじゃないの?
五重の相対のみでいくつにも別れた宗派の正邪は問えないと思うが。
日蓮の教えをどう実践しているか、そこにも目を当てる必要が
あると思いますがどうですか?流れなら日蓮宗でいいんじゃないですか?
>もはや仏教じゃないでしょう。
という層化だって検証だってもとは一緒なのですよ。
25 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 18:07
>>23 ネタスレって何ですか?
ネタに決まってるじゃないですか!
五重の相対の正誤について語るネタです。
>>24 >>日蓮正宗 を支持します。
>なんでしょ。それは通らないよ。
このような切り文はやめて下さい。その後に、「納得しかねる」と
書いてるじゃないですか。何宗がどうとか、私には関係ない事です。
ちなみに、曼荼羅がどうとか関係ないんです、私にとっては。
ただ、五重の相対による検証の結果、日蓮大聖人を仏と信じるに
至ったということです。
>>24さんは、宗派に特別の拘りがあるようですが・・・?
中途半端なとこでひとくくりにするのが「納得しかねる」
法華経でいいではないかと思うので「納得しかねる」
カルトと宗教を一緒にしているところが「納得しかねる」
五重の相対で正しくてもその後によって正邪があるのに
それに目をつむって知っている所しか論議しないぞという態度に「納得しかねる」
五重の相対だけで仏法を知り尽くした気になってるのに、五重の相対を用いて
反論しない事に「納得しかねる」
かかってこいといいながら他人の意見の語尾にまでけちつけることが「納得しかねる」
正宗で勉強したと言い切らないところに「納得しかねる」
こんなもんかな。
27 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 19:24
>>24さん
>中途半端なとこでひとくくりにするのが「納得しかねる」
「ひとくくり」も何も、それぞれ違いはあると思いますよ。
でも、どの宗派にも属していない私にとっては関係ないと
言ってるいるまでです。
>法華経でいいではないかと思うので「納得しかねる」
私とあなたは法華経を最高とする点では一致。
とりあえず、これはOKですよね。その後の事は、それぞれが
自分のオツムで判断することです。私の頭で検証した結果が、
五重の相対は「正しい」と。それだけです。
>カルトと宗教を一緒にしているところが「納得しかねる」
私がいつ一緒にしましたか?
>五重の相対で正しくてもその後によって正邪があるのに
>それに目をつむって知っている所しか論議しないぞという態度に「納得しかねる」
「教え」の正邪なんて、私はそんな事を判断できるほどの聖者でもありませんし、
聖者でもないのに他宗を攻撃するほど傲慢でもありません。
道徳的な意味での正邪判断ぐらいはできますけどね。
28 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/24 19:26
>五重の相対だけで仏法を知り尽くした気になってるのに、五重の相対を用いて
>反論しない事に「納得しかねる」
私が何処で仏法を知り尽くしたと書きましたか?
勝手に人のイメージを作り上げないで下さい。私は修行中です。
それに、反論ですか?
具体的に私は何に対して反論すればよいのですか?
何を期待してるんですか?
ひょっとして日蓮宗を攻撃するのを期待していたのですか?
>かかってこいといいながら他人の意見の語尾にまでけちつけることが「納得しかねる」
語尾にまでけちをつけるって何のことですか?
私があなたの語尾の何処にけちをつけましたか?
具体的にあなたのどの「語尾」にけちをつけたか説明して下さい。
本当にそうしていたのなら、謝罪致します。
>正宗で勉強したと言い切らないところに「納得しかねる」
正宗で勉強?
想像ばかりで話すのはいい加減にして下さい。
正宗の教義には納得できないって書いてるじゃないですか!
敢えて好き嫌いを言えば、正宗は嫌いです。
29 :
名無しさん@1周年:01/10/24 20:03
二宮金次郎さんは日蓮上人より偉い
働きながら勉強して立派な人になりました。
ぼくわ金次郎さんみたいになりたいです。
30 :
名無しさん@1周年:01/10/24 20:36
盲信し受け売ってるだけの馬鹿がここに
>どの宗派にも属していない私にとっては関係ないと
言ってるいるまでです。
>>カルトと宗教を一緒にしているところが「納得しかねる」
>私がいつ一緒にしましたか?
日蓮仏法を宗派に関係なくひとつの宗教としてみているのですから、「関係ない」
としかいえないのでは?関係ないのではなくてわからないのでしょう?
>切り文はやめて下さい。
これはなに?
日蓮宗・・・日蓮上人
日蓮正宗・・・日蓮大聖人
日蓮大聖人と書いているんだから正宗の書物なりで知識を得たのでしょう。
日蓮上人を仏と信じるのに、曼荼羅はどうでもいいというのはおかしな話です。
日蓮仏法においては御本尊(曼荼羅)を信ずる事が基本です。
>五重の相対による検証の結果、日蓮大聖人を仏と信じるに
>至ったということです。
信じてると思えません。基本がないんですから。
「行学たへなば仏法はあるべからず」です。
>誰にでも簡単に無上の功徳を与えてくれるのが法華経です。
あなたには無理です。日蓮仏法の根本の「信・行・学」がないのですから。
五重の相対は新入信した高校生だって学びます。御書も学びます。
都合の良い所だけを並べてさぞ楽しいでしょう。
なんてったて「ネタ」だそうですし。ひまだから食いついてみましたが
あまりにも不勉強で・・・ネタならネタらしくしてよ。時間もったいない。
ageるな。くだらんことはsageでやれ。
33 :
「教相」と「観心」の相対:01/10/24 22:41
>>1五番目は「教観相対」です。
観心の大法興れば教相廃る。
35 :
名無しさん@1周年:01/10/25 02:06
大聖人が正しいと思うなら、蓮日さんは何故信仰しないのかな?
36 :
正統日蓮主義サイトにて日蓮正宗・創価学会惨敗!!!!! ◆02AIEj4U :01/10/25 02:56
おーい!1。どこいった?
「あわてて猛勉強中」
>37
きっと泣いてると思うよ。
え〜ん、まま〜
みんながむずかしいこというの〜
40 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/25 14:16
>>31 >日蓮仏法を宗派に関係なくひとつの宗教としてみているのですから、「関係ない」
>としかいえないのでは?関係ないのではなくてわからないのでしょう?
違います。理由は
>>27で説明した通りです。
全部別々です。ただ、それぞれがお互いに意見を主張し合っているだけで
そういう宗門間の争いは、私にとってイヤなだけです。
ですので、宗派を離れて、直接仏法を学ぼうとしているだけです。
>>切り文はやめて下さい。
>これはなに?
>>17での「日蓮大聖人を末法の本仏としている点では、日蓮正宗を支持します。
しかし、未だに釈迦を紀元前10世紀としたり、五時の教判を信者に信じ込ま
せている点には納得しかねます。」に対して、「正宗を支持します」だけを
もって、私が他の面も正宗を支持しているように「切り文」された事です。
日蓮大聖人を本仏とする件に関しては、“たまたま”正宗と意見が一致している
だけであり、私はそれぞれの宗派に対して、全面的に支持できる所はありません。
>日蓮大聖人と書いているんだから正宗の書物なりで知識を得たのでしょう。
>日蓮上人を仏と信じるのに、曼荼羅はどうでもいいというのはおかしな話です。
既存の宗派の信仰形態を押し付けるのはやめて下さい。
私が達した結論は、日蓮大聖人は本仏であるという所までです。
私にとって仏は日蓮大聖人、法は法華経本門と、それだけです。
「日蓮大聖人」との記述についてですが、では日蓮正宗では、
どうして「日蓮大聖人」と言う呼称を使うようになったのでしょう?
その理由は、私には分かりませんが、“たまたま”敬意の表し方が
一致しただけですよ。
41 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/25 14:16
正宗、正宗とどうしても私を正宗の人間にしたいようですが、私は、
日蓮大聖人を仏と崇めているからといって、他宗や他教を、邪な
教えだとは思っている訳ではありません。
>>1でも書いたとおり、
1番だと思っているだけに過ぎません。
もし仏として信仰する事が、仏の教えを全面的に受け入れなければ
いけないのなら、浄土宗の方など、お酒すら飲めません。
阿弥陀仏は五戒を犯すものを救ってくれませんからね。
>>誰にでも簡単に無上の功徳を与えてくれるのが法華経です。
>あなたには無理です。日蓮仏法の根本の「信・行・学」がないのですから。
日蓮仏法?
700年前の日蓮大聖人が出した結論を「そのまま」受け入れる事を
目指している事だけが日蓮仏法ではないでしょう?
四箇格言だって、今の各宗は克服しつつあります。
五時の教判だって江戸時代には富永仲基の出定後語によって否定されて
います。しかし、私は大まかな教えの流れという意味では採用しています。
大乗非仏説を誰も覆す事の出来ない現代において700年前の大聖人の
結論を信者にそのまま教えている宗派など、私には用はありません。
私が信じるのは、日蓮大聖人を仏とし南無妙法蓮華経の題目を
唱える事の功徳です。
42 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/25 14:17
>>33 >
>>1五番目は「教観相対」です。
日蓮宗の方ですか?
いろいろお話しを聞かせて下さい。
43 :
名無しさん@1周年:01/10/25 14:18
1はアホ
44 :
名無しさん@1周年:01/10/25 14:38
日蓮系の方は、よく法華経は実経・法華経以外の経典は権経などと言いますが、これが日蓮上人がおっしゃった事なら、日蓮系信徒以外の方には信憑性も説得力も無い事を認識出来てますか?
45 :
日蓮本仏論?アホか?おまーわ:01/10/25 15:07
ここにひとつ新しい宗教が誕生したようだ。
日蓮仏法を正しく行じれば難がおこる。功徳のみを欲する人は難が起こったとき
乗り越えられずに退転してゆく。そのために御書をよみ研鑽していくのだが、
開目抄すら読んでいないと思われる。すでに捻じ曲げた解釈の仕方をしている。
>日蓮大聖人がどう考えていたか? なーんてのは、
私には関係のないことです。ですので、御文、御書と
呼ばれる手紙の類にも、あまり興味がありません。
大聖人が危惧されていたことがおこりつつあるのですね。
>>44 同じのみーっけ。
225 名前:名無しさん@1周年 :01/10/25 13:09
法華経が実経・法華経以外の経典が権経などと日蓮系の方は言いますが、
これが日蓮上人がおっしゃったことなら、日蓮系信徒の方以外に信憑性も
説得力も無いという事を認識していますか?
層化板行ったらレスつくかもよ。もうやってたらスマソ
48 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/26 13:03
>>44 これは天台の説です。あくまで説ですから、他の説も勿論あります。
で、どの説が一番妥当かと考える訳ですが、日本では天台の説が
採用された訳です。念仏信仰の法然ですら、それに同意している訳です。
そういう意味では法華経を実経とするのは客観性があるのではないでしょうか?
>>45 このページ知ってますよ。
私は日蓮を本仏としていますが、だからと言って、他の仏を認めて
いない訳ではありません。釈迦も仏です。日蓮正宗や創価学会の
ように釈迦は末法では抜け殻だとは考えていません。
仏は無数にいるです。その中で、日蓮大聖人を本仏としているに
過ぎません。よって、
>>45で紹介されている批判は、反論足りえません。
49 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/26 13:04
>>46 ですから、言ってます。
私は日蓮仏法を信仰するものではないと。
たまたま日蓮大聖人と同じ結論に達し、そして日蓮大聖人を
本仏としているだけです。
日蓮大聖人は何を一所懸命読経されていたのですか?
法華経じゃないですか!
そして題目じゃないですか!
法華経を読もうともせず、御文・御書だけ読んで、法華経の
心を分かろうたってそうは行きません。
そもそも、御文・御書なんて、鎌倉時代には一般に公開されて
いたものではないでしょう。御文・御書を読まなきゃ、日蓮仏法を
学べないんですか? だったら、鎌倉時代の人々は信者になれない
じゃないですか! 御文・御書をありがたく頂戴しているのは、
後の人間のやってることです。
御文・御書の類は、それぞれの人間に宛てた手紙でしょ。
その手紙には法華経を始め様々な経典から文章を引用し、
噛み砕いて説いているわけです。
当時の庶民は経典なんかなかなか読めませんしね。
日蓮大聖人がそうして地道に教えを説いていくしか道は
なかったでしょう。しかし、今は違います。直接経典に
触れることが出来ます。
法華経を受持することだって出来るんです。
南無妙法蓮華経と唱え、妙法蓮華経に帰依すると声明しているので
あれば、法華経から学ばずして何を学べましょうや。
二十八品中二品だけ読んで、その気にさせている既成宗門では
法華経の心を知る事はできません。
50 :
名無しさん@1周年:01/10/26 13:46
>>1さん
まだ頑張っていたの?
凄いじゃん。
誰も真っ向から否定できていないのが、寒いけど。
キリスト教の人、イスラム教の人、念仏の人、それに
禅の人、みんなガンバレー!!
日蓮なんかに負けるなぁ〜!!
俺は無宗教だから、何も反論できない。
スマソ・・・・・・・
51 :
名無しさん@1周年:01/10/26 14:00
>>47 見つかっちゃたよ、・・・・でどう思います?
52 :
名無しさん@1周年:01/10/26 14:02
1さん、法華経の心を教えて下さい、
53 :
名無しさん@1周年:01/10/26 14:08
法華経以外の経典と何処が違いますか? まさか、日蓮上人を鵜呑みにして、法華経しか読んで無かったりして、もしそうなら物凄くレベル低いスレに来てしまったと言うことか
地涌の菩薩なら無数にいるが本仏は無数にいないと思うが,
本仏無数の根拠を示されたし.
>>48
55 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/26 14:27
>>51 私への質問?
>>52 一言で言えば、誰でも成仏できるっつーことです。
ただ、仏を信じる心がないといけません。
やれ、本仏は何処何処の曼荼羅でないといけないとか、
釈迦仏では駄目とか阿弥陀仏でないといけないとか、
そういう議論は坊主の信者取り合戦でしかないと思います。
法華経にそのような事は書いてありません。
その辺の懐の広さが法華経の良いところであり、価値では
ないでしょうか?
二乗作仏など言いますが、法華経にたどり着いてこそ成仏
できると私は考えています。
ですので、まず、何でもいいので経典に触れてください。
手に入り易い所で岩波文庫から出ているもの等どうですか?
スッタニパータ、法句経など入口としては最適だと思います。
浄土三部経や勿論法華経も出版されています。
先ずは読み易い所から仏の心に触れ、仏典に親しんで頂けたらと
思います。それから徐々にステップアップして下さい。
>>53 随分漠然としたご質問ですね〜?
何処が違うとは、どの経典と比べた時の話で、何についての
考え方ですか?
私も一切経を読み解いた訳ではありませんが、代表的な経典は
ざっと目を通しています。
日蓮は仏弟子だよ。拝むべき人ではない。
どうしても拝みたいのなら、神仏そのものを拝んでくれ。
57 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/26 14:55
>>54 >本仏無数の根拠を示されたし
まず、最初に。
私は仏は無数だと書きましたが、本仏が無数だとは書いて
おりません。
本仏と言う言葉が誤解を招いてしまっていたようです。
本仏にもいろいろな意味がありますが、簡単に言えば
根本の仏のような意味で私は使っています。
日蓮正宗を引き合いに出したので話がややこしくなりましたが、
日蓮正宗に属し、信仰する信者にとっては本仏は一つでないと
まずいでしょう。他宗も然りだと思います。
話を戻しますが、法華経は全ての人々が仏になることを説いて
います。よって、修行に励み、悟りをひらき仏になった菩薩は
沢山いるのではないかと考えています。
その中で、私は日蓮大聖人を根本の仏であると、選んだ訳です。
私は日蓮大聖人を本仏と考えられない方は、寺を飛び出して、
釈迦でも阿弥陀仏でも、自分の信じられる仏を本仏と立てて
差し支えないと考えています。
この仏が絶対だというのは仏教の思想にも反していると思います。
もっと自由に考えていいのが仏教だと思います。
ですので、私は日蓮仏法には学ばないが、日蓮大聖人を本仏とする
といった一見矛盾にも見える事が出来るのです。
でも、これは何ら矛盾ではありません。
阿弥陀仏を信じる人が阿弥陀仏の教えに学んでいるかというと、
そうではありません。教えを学ぶのは、法然なり親鸞です。
私は日蓮大聖人を仏と信じ、釈迦の教えを学ぼうとしているに
過ぎません。
あんたもひまだねー。層化板逝ったほうが楽しいんじゃない?
あっちにもたててみたら?
59 :
名無しさん@1周年:01/10/26 18:51
>>1 確かにあんたの言う事は、このスレ内では筋が通ってるかも?
消臭や層化よりかはマシかもね。
ところで、あんたが開祖になって宗派おこしたら?
日蓮宗電波派なんてどう?
俺、今のところやめて入ってもいいぜ。
南無〜
そのほうがいい。既存の宗教とは違うもん。考え方。教祖になれるよ。
蓮日宗でいいんじゃない?日蓮宗をおちょくってるんだから。
61 :
名無しさん@1周年:01/10/27 02:12
討論継続希望age
どうして日蓮さんが「本仏」なのか分かりません。
法華経を全部読んでみてどこを探しても、
日蓮さんは出てきませんが、どうやって
本仏であるという解釈をするのでしょうか?
法華経を素直に読んでみたら、
久遠のお釈迦さんが、本仏なのではないでしょうか。
つまり法身の仏。
(シッダルタという名前だった、釈尊と呼ばれた人は、応身のほとけ)
あまた、たくさんある仏というのは、報身の仏のことですよね。
法身の仏というのは、根本的な仏さんだから、
自然とか宇宙とか、さらには我々衆生自体を含んだものでは。
法身の仏を、釈迦仏と名付けても日蓮大聖人と名付けても
どちらでも構わないように思うのですが。
とにかく、なんで日蓮さんが本仏なのか、わかりやすく教えてほしいのです。
蓮日様の言葉の使い方が、日蓮正宗なので、
日蓮正宗的なことを言っているように思えてくるので、
こちらが勘違いしないように説明お願いします。
>62
法華経と日蓮の関係はないよ。例えれば、源氏物語を今の少女漫画家
が描いて、それをオリジナルというようなもの。
まぁ、個人崇拝や経典崇拝はどう考えても良くない。
ついでにコピペ
法華経への信心は現実とは関係ない。
その理屈は簡単。東大に入れる実力者は、東大以外の大学に全て合格する。
そこには運や体調の悪さなど、微塵も存在しない。実力がなければ、どこの大学
にも受からない。
が、宗教者は、その原因を本人の実力ではなく信仰に結びつける。つまり、信仰し
努力すれば、どの大学でも受かると言うわけだ。そんな、バカな話はない。
よいだろうか? 仏教は、自分の周りに生じる出来事や現象を全て、本人の作り出した
縁によって生じるとする。釈迦の国カピラヴァ-ストゥが、コーサラ国によって滅亡される
時、コーサラ国の王は釈迦を尊敬して、釈迦の説得を受け3度も進軍を止めた。
だが、4度目はそれを止めなかった。(仏の顔も3度まで)
釈迦は甘んじてカピラ国を滅亡させられたのを思い出して欲しい。このような、現実
を釈迦が用意してくれたことに俺は感謝する。幸福や不幸など、個人の価値観とは
一切関係ない次元で、仏教の哲学が展開されていることを知るからだ。
結局、釈迦はカピラ国の業に起因する出来事だから、滅亡されるがままにした。
わかるだろうか? 人間に起こる、幸福や不幸などの全ての原因は本人が作り出したもので、
その不幸自体にたいした意味はないということが。だが、その不幸の原因を
仏教系新興宗教は、信心と結びつける。で、信じれば、不幸が回避されると。
一族を皆殺しされた、釈迦を出し抜き、自分たちは、信心の力で不幸が回避されると信じる。
信者は釈迦を超えたとでもいうのか。もちろん、これは幻想の範囲でしかない。
目を覚ませ。願望をかなえたかったら、東大に入るほどの努力をしろ。そうすれば叶う。
不幸に襲われたくなかったら、不幸を幸福と感じられる心を作り上げろ。
自我が作り出した不幸は、「自分を良く見せたい」という渇望であり、そんなものは
満たせば、満たすほど、悪化していくだけだ。仏教は、その原因を考える。
何故、苦しむのだろうと考えれば、信心とは一切関係がないことに気付くだろう。
65 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/27 11:50
>>62 朗日さん
>どうして日蓮さんが「本仏」なのか分かりません。
に対してですが、私は
>>57で以下のように述べています。
>私は日蓮大聖人を本仏と考えられない方は、寺を飛び出して、
>釈迦でも阿弥陀仏でも、自分の信じられる仏を本仏と立てて
>差し支えないと考えています。
つまり、仏は沢山いる訳で、どの仏を本仏として立てても、
それは個人の自由で良いのではという立場を取っています。
朗日さんは、
>法華経を全部読んでみてどこを探しても、
>日蓮さんは出てきませんが、どうやって
>本仏であるという解釈をするのでしょうか?
更に
>法身の仏を、釈迦仏と名付けても日蓮大聖人と名付けても
>どちらでも構わないように思うのですが。
とおっしゃられています。
私も、朗日さんと同じ立場です。
その人が信じる事が出来る「仏」を本仏とすれば良いのでは
ないかと思っています。私の中では本仏を立てるというのは
絶対的なモノに帰依する事で特別なパワーを授かろうとする
ものではありません。私の中での本仏とは、仏様の御心に
思いをよせ、そのような心を自分も持てるように、修行する
ことです。修行とは、題目を唱えていれば良いのではなく、
現実世界の中で精進、努力する事だと考えています。
いわば、本仏は自分の目標と出来る存在であれば、観音様
でも阿弥陀様でも、お釈迦様でも、日蓮様でも、何でも
良いと考えています。
66 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/27 12:22
続き…
最初に「種脱相対」によって「大聖人が一番となる事は明々白々」
なんて書いた事が、誤解を招いている原因のようですね。
恐らく、(信徒じゃないので間違っていたらごめんなさい)
日蓮正宗では日蓮大聖人を「一番」という表現はしないのでは
ないかと思います。一番も何も釈迦仏を認めてないのでは
ないかと思うのですが、如何でしょう。
ですが、私の主張は末法になったから釈迦は抜け殻に過ぎぬ
などとは考えていません。
釈迦を本仏とするか立場、日蓮大聖人を本仏とする立場、
それぞれにあっていいと思っています。私が日蓮大聖人を
本仏としているのは、現在、南無妙法蓮華経が日本に
広まっているのは日蓮大聖人の努力の賜物に他ならぬと
考えているからです。お釈迦様がいくら立派な教えを
説かれていても、日蓮大聖人様なくして、我々は法華経の
心に触れる事はできなかったでしょう。そういう意味で、
私は釈迦仏よりも、日蓮大聖人の方が、もっと身近で
共感する事の出来るので、本仏として考えさせて頂いて
おります。
証拠も何もありません。
法華経を素直に読み、日蓮大聖人の功績を認めた結果、
釈迦仏よりも日蓮仏を本仏とした方が、私にはしっくり
くるという事なのです。
釈迦仏だ、日蓮仏だと結論の出せない平行線を辿る議論に
拘る事は不毛であり、仏教の精神にも反するのではないか?
というのが私の主張であり、現在の各宗門に入信しない
理由でもあります。
鎌倉時代に戻り、日蓮大聖人が法華経を読み共感されたように
私もまた法華経に触れ、また他の経典にも触れる事で、仏の
心を知っていきたいと考えている次第であります。
67 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/27 13:16
ちなみに・・・
私が法華経の中で一番好きなのは「常不輕菩薩品」です。
法華経の心とは、決して法華経という経典自体を広める事に
第一義があるのではなく、常不輕菩薩のように、人間の奥に
ある佛性を拝み、その佛性を拝み出す事にあると思います。
それは宗教的な行為に留まるものではないと考えています。
例えば、ボランティア活動を行い人の為に尽くす。
家族のために汗水垂らして必至になって働く。
人を見下したり、批難したりする事無く、それぞれの
人に仏性を見出し、尊重し、敬い、手を差し伸べる。
そういう心を持って人と接する事こそが法華経の心であり、
真髄だと考えています。
法華経を広めるとは即ち法華経の心を広めること。
「○○宗でなければいけない」「本仏は○○でなければ
いけない」「本尊は○○寺のモノこそが云々」等は、
はっきり言ってどうでも良い事だと思います。
極端な話、神社に行き、ロザリオを持ち、南無阿弥陀仏と
唱えても、肝心要の「法華経の心」さえ失わなければ良いのでは
ないかというのが私の主張です。
私が
>>1で法華経を選び、その中でも本門を選んだのは、
常不輕菩薩に法華経の真髄を読み取ったからに他なりません。
ちなみに、「観世音菩薩普門品」も好きですね。
阿弥陀如来を賞嘆しているシーンがあるのですが、こういう
部分に法華経の懐の広さを感じます。あっ、ちなみに、漢訳
には出てきません。サンスクリット原典で紹介されています。
68 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/27 13:32
>>63 ピエールさんへ
>法華経と日蓮の関係はないよ。例えれば、源氏物語を今の少女漫画家
>が描いて、それをオリジナルというようなもの。
関係はない事はないでしょう。
日蓮大聖人が、この日本に法華経を広めたのは動かせぬ
事実なんですから。
あなたが言いたいのは法華経の中に日蓮大聖人のことは出てこない
という事だと思いますが、それは違うのではないかと言うのが、
私の考えです。
法華経の中に日蓮大聖人は出てきます。いや、日蓮大聖人だけでは
ありません、貴方も私も出てきているんです。
出るというと、そこに名前がないといけないような錯覚に陥りますが
法華経は生きとし生けるもの、あらゆるものを対象にした教えだと
考えています。よって、言うならば、この世界が、法華経の世界に
包まれていると思うのです。
ですので、慈悲の心を持って世のため、人のために尽くせば、
即ちそれは菩薩行であり、その菩薩行は、南無妙法蓮華経と
法華経の心に帰依することで、高まり、決意を難くすることが
出来るのではないかと考えています。
>まぁ、個人崇拝や経典崇拝はどう考えても良くない。
これについては、おっしゃる通りだと思います。
法に依って人に拠れざれ
特定の個人“のみ”を盲目的に崇拝する事はとても危険な
事であり、経典の字面に囚われてばかりいる事も、無味乾燥
です。
大切なのは、この世界に真理を見つけ、それを実践していく
行為するものだと思います。仏や経典はインスピレーション
や活力を受けるキッカケであって、それを全てだと考えて
いては、目的と手段が本末転倒してしまうと思います。
私にとって法華経や日蓮仏は、菩薩行への方便に過ぎません。
69 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/27 13:53
>>64 >法華経への信心は現実とは関係ない。
>その理屈は簡単。東大に入れる実力者は、東大以外の大学に全て合格する。
>そこには運や体調の悪さなど、微塵も存在しない。実力がなければ、どこの大学
>にも受からない。
運や体調の悪さは試験の出来不出来に関係あると思いますが、それを
信心と結びつけるのは、私も明らかにおかしいと思います。
よく自宗をアピールするのに、信者の体験談として合格体験記の
ようなものを目にしますが、信仰と結び付けられるべき事ではないと
思います。
信仰をして、99%の努力をした人。
信仰をせずに、100%の努力をした人。
このような二人がいた場合、前者が合格するというのであれば、
人は努力を怠り信仰ばかりに熱心になるでしょう。
やはり試験に合格するのは、勉強を頑張った人であり、よりパーセン
テージの高い人が合格するのが道理だと思います。(勿論、個人の
持つ能力にも左右されますが)
ただ、信仰のお陰で「苦」を乗り越え前向きになり、その結果、
合格した・病気が治った・事業に成功した等はありかなと思いますが。
蓮日さん・・・・
あなた、なかなかいい事、言ってるかも?
最初は又胡散臭いカルトな奴がデビューしてきたとしか思ってなかったけど
変に宗教かぶれしていないところに見直したYO!
あなたみたいな人が消臭や層化に居れば、もっと世の中よくなってるかもね。
頑張って、連中を改心させてやってくれ。
蓮日様のおっしゃっている、「本仏」というのも信仰の対象というような意味みたいですね。
私自身はその辺には違和感を持ってしまいますが、蓮日様の言いたいことはよく分かりました。
その通りですね。
ただ私なんかは、「日蓮大聖人」という言い方や「本仏」という表現の仕方から、
何か日蓮正宗や創価学会のにおいを感じ取ってしまいました。
どうも「日蓮大聖人」「本仏」という言葉で
惑って勘違いしたようです。
常不軽菩薩品や観世音菩薩普門品が良いというのはよく分かります。
ちなみに私はダイバダッタ品も好きですね。
困難をどのようにして捉えて乗り越えていくかが書かれているので、
私なんかはダイバダッタ品で助けられた。
ピエールさんが
>>64にコピペしている文章なんかは、
私なんかにはまさしくダイバダッタ品のことを書いているように思えてしまう。
72 :
(-人-)ナムー:01/10/27 14:25
(-人-)ナムー
73 :
(-人-)ナムー :01/10/27 15:48
(-人-)ナムー
(-人-)ナムー
(-人-)ナムー
(-人-)ナムー
(-人-)ナムレンニチダイショウニンサマ
74 :
↑スレ違うだろ(w:01/10/27 17:24
(-人-)ナムー
75 :
名無しさん@1周年:01/10/27 17:27
伊勢神宮行った文句ある
htp://isweb33.infoseek.co.jp/play/liloatx/yoshi.html
78 :
名無しさん@1周年:01/10/27 21:10
79 :
名無しさん@1周年:01/10/27 21:18
蓮日さん。
あなたが真面目な求道者だということはよくわかりました。
揶揄するつもりも揚げ足をとる気もありません。
素直な気持ちで質問いたしますので、お答えいただければと思います。
あなたがおしえについて学ぼうとお思いになったのは何ゆえですか。
宗教書などをお読みになったことからですか?
それとも先になんらかの機縁がおありになって
今のご信仰にいたられたのでしょうか?
68番を拝読いたしますと、やはりあなたの信仰ライフの立脚点
スタートラインをおうかがいしたいものだという気もちになります。 合掌
もうみんな あきちゃったの?
電波みたいだしね。1って。
84 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/30 10:41
>>82 ごめんね電波で^^;
>>81 老婆心さん
私が教えについて学ぼうとしたキッカケはマザーテレサの本を読んだ
事がきっかけでした。それまで何の宗教にも全く興味はありません
でしたが、彼女の愛に溢れた活動を見て、宗教に興味を持ちました。
普通ならマザーテレサ→キリスト教でも良いのでしょうが、私の目的は
信仰そのものではなく、あくまでも人間性の向上にありましたので、
一番自分に合った宗教を選ぼうと、まずキリスト教・イスラム教・神道・
仏教等の基本書を読みました。その中で一番興味を持ったのが仏教で
あり、更に上座部よりも大衆部で大乗を選び・・・といった具合で法華経
に辿り付きました。
私が達した結論は一つでしたが、各教・各宗派によって教えの内容は
もちろん異なります。例えば、仏教では「愛」を学べません。という
よりむしろ愛別離苦などの言葉があるように、愛することは苦を生む
原因となり、むしろ滅するべきものです。しかし、仏教でいう「愛」
とキリスト教の「愛」とはまた異なると概念であると思います。
仏教の愛は執着を生む特定の対象への「愛」。しかしキリスト教の
愛は、もっと広い意味での人類愛的な意味合いがあると思います。
話が逸れましたが、仏教その中でもとりわけ法華経を中心としつつも、
「愛」について学びたければキリスト教の方がよりストレートに
学べますし、「自然」について学びたければ神道の方がストレートに
学べます。互いに相反する概念もありますが、全て目指すべき所は
同じだと考えると違う宗教や宗派の教えも、人間を「善」へ導くための
「方便」であるように見えてくるのです。
ですので、全ての宗教の中心に、ちょうど扇の要のように法華経を置いて
おくと、バランス感覚の取れた信仰スタイルになるのではないかというの
が私の信仰スタイルです。
85 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/30 10:58
日蓮系の宗派は法華経信者な訳ですが、なぜか大らかな精神を持った
はずの法華経を、一部(?)の宗派は非常に小さい器にしてしまって
ますよね。
法華経の中の一節に「他の教えをむやみに批判してはならない」や
「政治的な権力者」に近付いてはならないというのがありますが、
それを無視して全く逆の行動をするという謗法を犯し、我こそは
唯一の教えだとのたまう増上漫が一杯います。
南無妙法蓮華経と生まれて時から唱えておきながら、法華経の精神
が全く分かっていない人が一杯います。それは、その人たちが悪い
のではなく、法華経を餌に信者をたぶらかす僧侶のせいでしょう。
そして、その僧侶のトップこそが日蓮大聖人な訳です。
(全ての日蓮系宗派に問題がある訳ではありません)
当時の「選択(せんじゃく)」という流れはあったにしろ、法華経
「のみ」に執着するのは仏教の精神に真っ向から反し、またその
法華経の精神にも真っ向から反する「権力者へ近付き」「他の教えを
批判する」という大謗法を犯したのが日蓮大聖人でございます。
私は、法華経を受持し、日蓮大聖人を本仏とすることが、彼の犯して
しまった罪を常に意識することで、法華経の本来の精神を守り通そう
とする、修行中の身のものでございます。そして、罪深い彼を許す
心を持つことこそが「悟り」の境地に達した時だと考えております。
>>71鳩摩羅什の訳をはじめとして六訳三存の中に普門品に阿弥陀は登場しません。
現存のサンスクリット語のサッダルマプンダリーカの普門品には出てきます(最後の方で名前だけ)。
教観相対ではなく「種脱相対」とたてるのを見ますと明らかに大石寺系統の諸本の影響が濃厚です。
実は一致派・勝劣派とはいいますが、一致派といえども「本門重視」の主張は変わりません。
「法華経を信じたい」というお心は伝わってきますが、
本門の「正宗分(“正宗”じゃないですよ)」の「如来寿量品」を中心にお読みになてはいかがでしょう。
お釈迦様がいつもそばにいてくださると考える事が有益であるというのが法華経本門の立場かと思います。
日蓮本仏論や「種脱相対」を教学とする門流の日本語は“文底”という有害な語学があり、
コジツケや屁理屈の癖がついてしまいます。
それでは蓮日さんがおっしゃるような信仰スタイルの理想とはかけ離れてしまいます。
87 :
名無しさん@1周年:01/10/30 12:27
意外な展開age
88 :
名無しさん@1周年:01/10/30 16:46
このスレはタイトルの付け方を誤ったな。
「日蓮大聖人を拝む者かかってきなさい」のほうがヨカータヨ。
つまり、法華経は最初っから、なかったものとして考えれば、しっくりくるわけだ。
こじつけや、難解な思考など、本質を解さなければ、人間を毒するし、
そもそも、本質とは、法華経の成立に還元して考えるにさほど期待できないものと思うからだ。
あれはあきらかに、大衆受けするように創作した、説話であり。
有益な情報などない。仏教の愛は慈悲であり、それは、業の展開に由来する。
つまり、幸福こそが最も呪われし存在と言うこともできる。
最大の問題は、日蓮系の信者が、善悪などの相対的観念に囚われ、
幸福に囚われてしまっている点だろう。
90 :
名無しさん@1周年:01/10/30 17:50
久しぶりに来てみたら面白くなってるNe♪
タイトルから180度見方が変わってきた訳だけど、
1さんの本心が分かった今からが、面白い話が出来るんじゃない?
って事で、1さん。
日蓮さんは、大謗法をおかしたために反面教師にするために、
拝んでいるって事かい?
それとも、日蓮さんを更正させる事が、現在の日蓮信者さんの
信仰の仕方を更正させることになるって事かい?
91 :
名無しさん@1周年:01/10/30 17:59
>>89 現在、法華経を拠経としている信仰宗教や日蓮系の宗派が
一番多いという事実。
それは、取りも直さず、法華経がいかようにも解釈されうる
つまり如何に完成されていない経典であるかを露呈している。
教えとしては何も説いていないに等しいから当然といえば、
当然の結果と言えるだろう。
なんて考えは駄目?
どうでもいい本と考えればいい。
本にプレミアがつく理由は、有名なものが書いたか、成立年代が古いかで決まる。
その点でレアな評価を得ているだけで、こと仏教書全体をかんがみれば、
バッタものという可能性もある。つーか、1つの経典に囚われるんじゃなく、
コーランでも聖書でも、自分のためになる教えはどんどん吸収していくべきでないの?
1つの経典に縛られて、それ以外ダメなんて、原理主義のような、異常さを感じるよ。
つまり、「法華経」は古本屋の1冊の本と同様と考えればいい。
おもしろそうなスレですね。
>>85 すごい独創的な日蓮観すね。
どちらかといえば、日蓮さんの無謬性とかが、信仰・崇拝の対象になると思うけど…
94 :
蓮日 ◆BtlIEUc6 :01/10/31 10:01
あまりにも身勝手かと。たててから10日もたってないのに。
結局、五重の相対だけで日蓮大聖人を語ろうとしたのがそもそもの間違い。
日蓮大聖人の名を出す意味がどこにあったのでしょう。
改宗しますと書いてありますが、何を改宗すると言うのでしょう。
信心なんてちっともしていないのに。
どこへいっても中途半端な宗教観では、拠所をみつけるのは難しいいでしょう。
次々論破されて次々改宗することでしょう。
HNを変えたって、自身が変わることはないのですから。
97 :
名無しさん@1周年:01/11/01 17:01
どうでもいいけど、日蓮を拝んで幸せになれるのか? 日蓮宗、日蓮正宗の
信徒が幸せかどうかを観察すれば分かると思うけど。
漏れは門外漢なのでよくわからないが、
日蓮を拝むのは、日蓮の本意ではないのと違うか?
日蓮は、自分が拝まれることを望んでいたのだろうか。
先達の皆さん、私の深刻な悩みを聞いて下さい。
と申しますのは、私にとって、日蓮様関係の書物は、
目の前にそびえ立つ絶壁のようで、3ページまでは
読み進めるのですが、それから前に絶対に進めないのです。
もう、何十年にもわたり、何百回試みたでしょう。
今はもう諦めています。
どこの問題があるのでしょうか。解決方法は?
般若心経や、臨済禄はすんなり頭に入るのですが。
なお、私の母と妻の実家はいずれも日蓮系の信徒です。
99
すんなり、諦めなさい。信徒をかんがみれば中身のない経典ですよ・
まぁー客観的に読んでみるか、日蓮宗僧侶・信徒
以外の方で詳しい方にお願いしてみては。
102 :
名無しさん@1周年:01/11/02 02:45
日蓮大菩薩は分派をお許しにならなかった。今や邪教が蔓延り、まさに末法。
ここは一つ、日蓮所宗派は一致団結し、邪教退治にのりだそう!
104 :
無宗派さん:01/11/02 04:47
101>さんへ
「まぁー客観的に読んでみるか、」具体的にどう理解したら
良いのでしようか。般若心経を読む時も、客観的(無心?)
に読んでいるつもりですが。
それから、紀野一義先生など立派な先生ですね。
尊敬しています。でもダメです。
105 :
Beenさん:01/11/02 09:16
1>蓮日様へ、
ご尊師の草履を取って教えを乞う。(他の先生でも結構です)
日蓮様、親鸞様、道元様、のそれぞれのご著書を
万遍読みました(読む努力をしました)。
@日蓮様は、難解で歯が立たない。
A親鸞様は、感性としては分かるが、今ひとつ。
B道元様(臨済様)は難解だが、手応えを感じるピッタリ。
上に対する答えとして、
(1)日蓮様以外邪宗であるから、納得しても、しなくても、ただ、朝昼夜
「南妙方蓮華経」を唱えよ。
(2)人の性格は様々だから、Bに帰依するのもよかろう。
(3)現世ご利益が欲しいのならば、日蓮様に帰依しなさい。
(4)近い将来、日蓮様の天下になるから、今から帰依しなさい。
(1)〜(4)のどれか、ご指示お願いします。
106 :
有学 ◆BtlIEUc6 :01/11/02 10:22
>>96 >あまりにも身勝手かと。たててから10日もたってないのに。
それは身勝手とは言わずに賢明というんだよ。
あんたが喪家か消臭かは知らんが教義そのものが完璧に破綻
している教えにしがみついて一生を送るよりマシだと思うが。
>結局、五重の相対だけで日蓮大聖人を語ろうとしたのがそもそもの間違い。
1は日蓮を語ろうとしてスレ立ててないだろうが、ボケッ!
しかも1は日蓮は大謗法を犯した僧侶として認識してる。
悔しかったらお前が日蓮を立派な仏様として、ここから展開してみろよ。
お前じゃ無理だろうがな(w
キリスト経やイスラム経がどうして成仏できないのか証明できるか?
我田引水の教義では無理なんだよ(w
>日蓮大聖人の名を出す意味がどこにあったのでしょう。
反面教師としてるって書いてるだろうが、ボケッ!
俺も最初は本仏という言葉に騙されて敬ってるのだろうかと
思ったが違ったようだな。
やられたぜっ!
>改宗しますと書いてありますが、何を改宗すると言うのでしょう。
法華経の意味が理解できたって事だろ。
経典に対する考え方が変われば当然信仰の仕方も変わってくる。
>信心なんてちっともしていないのに。
お前、見たのか?
宗教団体に入ってなきゃ信仰してないってのは偏見だなっ!
こういう妄想に囚われた考えをする奴は何処の信者だ?
>どこへいっても中途半端な宗教観では、拠所をみつけるのは難しいいでしょう。
どこへいっても「受け売り」の宗教観では、悟りなんてひらけないでしょう。
それとも、あなたは悟りをひらいているとでも?(w
>次々論破されて次々改宗することでしょう。
次々?
1って論破されてないじゃん(w
って言うより独自過ぎてついてこれてなかったというのが正解か?(w
そんなに悔しいんだったら論破してみれば?
次の行先もちゃんと書いていってるんだし。
ちゃんとコテハン使えよ。
>HNを変えたって、自身が変わることはないのですから。
名無しで批判しているてめえの方がよっぽど無責任。
つまらん
法華経は、般若心経と相反する内容を書いていません。
般若心経の神髄は、「色即是空」「空即是色」の「空」観だと思いますが、
法華経もこの「空」観がベースにあります。また、法華経では
四諦も十二縁起も全く否定していません。むしろ肯定的です。
法華経では、法華経以外の教説と法華経の関係を
繰り返し説明しているが、他の教説を全否定していない
と思います。
日蓮さんが、念仏はあかん、真言もあかん、禅もダメ、
と言っているので、法華経には法華経以外の教説を
すべて否定しているのかと思いきや、さにあらずです。
残念ながら、日蓮さんは、他の宗旨を叩いてしまったけれど、
法華経そのものは他の教説を落とし込めるようなことは
一切言っていない。
法華経は「空」の説明をしたり、四諦や十二縁起、執着からの解放、
などの説明をするお経じゃないんですね。
でも、それを認識した上で書いているわけです。
「法華経には仏教の仏教たるゆえんである、執着からの解脱を説いていない」
と批判する人がいますが、説明していないのではなく、
その説明をベースにして法華経を説いているんです。
つまり
法華経では四諦や十二縁起、「空」の知識を当たり前のこととして、
話を進めているんです。だから、法華経に、四諦や十二縁起または
「空」の説明を求めた場合は、法華経自体がつまらないものに思えるかもしれませんが
四諦や十二縁起または「空」の説明を理解しても未だ自分は悟っていないんじゃなかろうか、
これが本当に最終段階なんだろうかと思える人が、求めて法華経を読んだ場合は
法華経の内容がよく分かると思います。
しかし残念ながら法華経系、日蓮系の教団では、
とりあえずお題目ということになってしまっているようですね
>>109 序品で紹介される無量義経で「四十余年未顕真実」って言っているから、
他のお経は「真実」ではなく、逆に有害って論理展開もあるらしいです。^^;
113 :
無宗派さん:01/11/02 18:41
99>です。
110 >朗日様
誠実なご回答、感謝申し上げます。行間から、朗日様の誠実さ、学識の
深さを感じ上げます。ただ疑問が生じましたので、お教え下さい。
>「・・・執着からの解脱をベースにして法華経を説いている」、「空」
の知識を前提として、話を進めている」とすれば、「空を悟った人」でな
ければ、法華経の深い真理は体得できないと思うのですが。つまり、「空」
は決して知識で分かるものではなく、「小悟、大悟の悟り」を得て始めて
分かるはずですが、そうだとすれば、法華経を説く人は、全て悟りを得た
人でなければならなくなります。
「空」は頭での理解だけでは有り得ず、身体での悟りであるから、法華経
の深い真理を理解できる人は、歴史上でも、お釈迦様はじめ、限定された
人になると思うのですが。
「大悟の悟り」を得た人が、さらに、これが最終段階なんだろうかと思う、
のは十分想像できます。しかし、これは、おそらく「大悟の悟り」を得た当人の
心境とは天地ほどの違いがあるかも知れません。
無宗教さんのおっしゃるとおりに、私もそう思います。
法華経の中では、最終段階である「大悟の悟り」を得ているのは、
お釈迦さんだけです。頭の理解だけでなく体得しているのはお釈迦さんだけなんです。
話を聞いている、舎利子を筆頭に十代弟子をはじめとする人々は、
お釈迦さんがこれまでの教説は、「小悟の悟り」であること、
さらにまだ「大悟の悟り」があることを聞いて、大喜びします。
しかも、必ずみんなが「大悟の悟り」に至るという保証をもらう。
それまでは、自分たちは最終段階の悟りに入っていると、
十代弟子をはじめとする阿羅漢の人たちは思っていたわけです。
つまり、法華経を聞いた時点で「大悟の悟り」に至っている人はいないわけです。
自分はまだ最終段階である「大悟の悟り」に至っていないと実感する人が、
法華経の教説を聞くんです。
これは方便品に書いてある内容なんですが、
自分が「大悟の悟り」を得ているのだと思っていた人は、
お釈迦さんが、法華経の本題に入ろうとする前に退出して
帰ってしまうわけです。
以外に思われるかもしれませんが、
法華経を聞いた人たちは
実は謙虚な人たちだったのです。
これはもう一般的な日蓮さんのイメージなんかと違いますよね。
返答になってます?
>>114 最終段階の悟りを至る夢のチケット「法華経」を
受持したから傲慢になっちゃったのかもね。
「これで俺も大悟の悟りを得られるっ!」って。
そういう意味からすると、法華経は罪な経典だ。
有学さんが展開しているロジックで法華経を受持すれば
謙虚な人間が生まれただろうに。
諸悪の根源は、法華経だけでOK!としてしまった、
基地外坊主にあるのはハッキリしたね!
「うんち」さんというのも、ものすごいハンドルネームですね。
ところがね、最終段階の悟りに至るチケットをもらったのは、
優秀な弟子たちだけじゃないんですよ。
すべての衆生に対してチケットをあげてるんです。
なんとまぁ、あの極悪人ダイバダッタにさえあげているんですよ。
無限地獄にいるダイバダッタにもチケットをあげると言うことは、
すべての衆生にチケットをあげたのと同じじゃないでしょうか。
法華経を信じる人は、自分だけでなく誰もが最終段階に至れると信じているんですよ。
これもまた、日蓮さんや日蓮さん系の宗派の一般的なイメージとは
ちょっと違いますよね。
>>116 朗日さん
なるほど、ダイダバッタは無間地獄にいたんでしたっけ?
そのダイダバッタがチケットをもらえるって事は、
我々も法華経を信じずに地獄におちたとしても、それから
法華経を信じれば救われるって事になりますよね^^
方便品でその場を去った5000人も後にチケットをもらったん
でしたっけ? 「てめえらはカスだ!」なんて罵られて、
ちょっと可愛そうだったけどね。(;_;)グスン
>法華経を信じる人は、自分だけでなく誰もが最終段階に至れると信じているんですよ。
>
>これもまた、日蓮さんや日蓮さん系の宗派の一般的なイメージとは
>ちょっと違いますよね。
んんん?
ケチをつける訳じゃないですが、イメージ違います?
そのまんま日蓮さん系のイメージだと思うのですが・・・
もしよろしければ詳しく説明して下さいm(__)m
私はちなみに、うんちを見て修行しています。
お釈迦さんの弟子達が死体を見て修行していたようなものです。
どのような尊い方、美しい方でも、みんな「うんち」をしてるんだ。
そう考えると、物事の実体が素直に見えてくるんですよね^^
>>106 本人?「1は」って1って自分でしょ?なに自作自演してんの?
1 :蓮日 =有学 ◆BtlIEUc6
ことばじりまでご丁寧に変えて。ひっこしたんだろ?出てくるな電波(本人みとめてます)
スレッドを立てた本人が引越しされてます。
sage進行でどうぞ。
乗っ取るならだれかお題をだしたほうがレスしやすいと思いますので。
120 :
無宗派さん:01/11/03 06:09
114>朗日様へ。193>です。
匿名性を手にしたネット上での感情表現は極力抑制しようと心しているが、
朗日殿の率直さには、こちらが頭が下がります。
以下は、ご回答を前提とした、問題提起ないし質問です。
ご感想をお聞かせ下されば幸いです。
@ 前のご回答で99>の私の疑問は、振り出しに戻ったことになります。
A 法華経=日蓮上人との観念が日本人に蔓延しているが、これは正しくない。
むしろ、大悟3回、小悟、数知れずといわれる、白隠様のほうが、日蓮様
より、はるかに法華経を理解していたかもしれない。
B 真に悟った人が、その先に進むとき、初めて法華経の真理が理解ができるのであれば、禅をやった人が法華経をやるほうが、真理会得の早道であるか。
C 「南妙…」と100万回唱えるのが、悟りへの本道とは思えない。むしろ禅(座ること)である。
D 日蓮系の人は、悟りの体験ないし、修行を飛び越して、なぜその先の「法蓮華経」の真意が理解できるのか。
E それとも、日蓮様傾向の人は、「法蓮華経」を理解できる、つまり、悟りの段階を生まれながらにして身につけておられるのか。
F 日蓮様傾向の人だけが、なぜ他宗派を邪宗というのか。
以上、よろしくお願いします。
「相対」とは、ある種の基準を設けて、その基準と測定対象を比較して、基準との差を求め、
その測定対象の数量や大きさを求めるものである。相対とはあくまで基準を設けているものだ。
「相対」の対極には「絶対」がある。
「絶対」とは相対のように基準を設けて比較するような間接的測定は行わずに、ありのまま
を絶対値として捉える直接的なものである。
プリスケールして相対優劣を論じておいて、結論として絶対になるのは、
宗教としてはおかしい。宗教は基本的には総て「絶対」だ。〔ここで言う絶対とは排他を意味しない〕
宗教は総て、人それぞれの内なる心の中の問題だがらだ。個人個人で心の中で絶対を持てば良いのだ。
人間社会で絶対を出してはならない。
無宗派さん、しばらく待ってね。
質問が多くなって大変だろうけど、無理なさらないでね。>朗日さん
皆さんの質問が終ってからでいいから、
>>109から始まった法華経の解釈論?も
勝手なお願いですが、また是非伺いたいです。
日蓮系の坊さんって、みんな頭に日がつくんですね、
少しは変わった名前のお方はいないの?
大変な質問をもらってしまいました。
悟ってもいないし、禅のことも知らないので、
私には大変難しい質問ですが、
私のレベルで感想を述べたいと思います。
それと、えらく褒めてもらっていますが、
ただのアホですよ、私。
日蓮さんと白隠さんのどちらが正しく、
法華経の神髄を読み解いたかは私には分かりません。
私自身が正確に読み解けているはずもないので、
その判断は下せませんが、
両人とも法華経を評価したことは確かですよね。
日蓮さんの書いたものを読むと確かに、
荒っぽいし過激な表現も出てきたり、
俗物じゃなかろうかと
おぼしき発言もあったりもします。
でも、たぶん日蓮さんの魅力は
その辺にあるんじゃないでしょうか。
日蓮さんが持っている気性は、強かれ弱かれ、
みんな我々持っていると思います。
日蓮さんは完全無欠のままで人生を通ったわけではなく、
いろんな困難な局面で我々と同じように悩んでいくんです。
それを我々後の世の人間が見て、
自分がぶちあったっている現実と見比べて、
何か感じ入って、日蓮さんを評価する人は、
評価するのでしょう。
私は日蓮さんが完全無欠の聖人だったとは思っていません。
でもだからこそ我々の模範にもなり得るんじゃないでしょうか。
日蓮さんがどうやって困難を乗り越えて行ったのか、
そこが日蓮さんの魅力じゃないでしょうか。
凡夫である我々と同じような性質を日蓮さんが持っていたから、
模範たり得るんではないのでしょうか。
こんなことを言ったら日蓮信徒の人たちに怒られてしまうかもしれませんが・・・。
日蓮は我々にこの混濁した世の中を
どうやって生きていくかを教えてくれているのだと思います。
この世の中でいろんな喜び、困難さえも、喜んで
受け取って生きていく道を示してくれたようにおもいます。
「南無妙法蓮華経」というお題目というのは、何でしょう。私は完全には把握していません。
私なりの理解をすると、28章もある妙法蓮華経をすべて読むと時間かかるので、
「南無妙法蓮華経」と唱えて、その28章の内容を喚起しようという、1つの手段じゃないでしょうか。
他にもお題目の意義はあると思いますが、今の私にはそのくらいのことしか分かりません。
残念ながら、禅はやったことがないので、どちらは優れているとかそういうのは分かりません。
禅はどんな感じなんですか?無宗派さん。
日蓮さんを祖師とする宗派の信徒の人達も、
必ずしも法華経の内容を把握しているとは限らない、と思います。
葬式仏教としての檀家の人もいるでしょうし、
真剣に法華経と向き合っている人もいるでしょうね、たぶん。
日蓮さん系統の宗教団体にいるからと言う理由だけで、
法華経が分かっているとは言えないと思います。
反対の言い方をすれば、お題目を唱えたこともなければ、
法華経を読んだこともない方でも、法華経の真髄を心得ている方はいると思います。
日蓮さんがやった他宗批判は、今の現在、良い影響を与えていないようなので、
それを踏襲することは、日蓮さんの本意じゃないかもしれません。
そもそも法華経の本意は、仏教のセクト化を進めることではいはずですから、
日蓮系の教団だけが法華経を独り占めするのはおかしいと、私は思っています。
最後に、どうして日蓮さんが、あれほどに他宗は批判したのかは、
私も疑問でその理由を解き明かそうと思うのですが、ちょっと何故だかよく分かりません。
形骸化してしまった宗教界に対する警鐘かな、とも考えたりもしますが、どうなんでしょうか。
まともな返答になっていないかもしれませんが、
とりあえずこんなところです、無宗派さん。
>>123 私のできる限りで、お答えしますが、
法華経の解釈と言われると漠然としていて、
どう返答したらいいの分かりません。
どうしたらいいでしょう?
他スレでお見かけした時はビクーリした。(笑)
日蓮系の法華経の解釈本は、本屋さんで比較的手に入りやすい
のですが、他宗?の解釈はあまり眼にする事がなかったもので
朗日さんの解釈が、とても新鮮に感じられたんです。
釈迦を平淡に説いた仏教本と、日蓮系の法華経の解釈本の差に
ついていけなかったものですから。朗日さんの解釈で、理解できる
きっかけがつかめるかなと期待させて頂きました。m(__)m
131 :
無宗派さん:01/11/04 12:21
>朗日様。とりあえず、お礼の一筆。
ご感想有難うございます。述べて頂いた範囲で納得しました。
文章は面白いものですネ。5行以上書けば間違いなく人間性が出る。
貴方ほど涙が出るほど人に誠実さを感じさせる人は、ネット上でまだ知らない。
日蓮系でこんなにも常識人すぎる、やさしい人は知らない。勿論、かっての行革
委員長、土光敏光氏のように、熱心な信者で、立派な人はいる。ご活躍下さい。
禅などは、貴族の宗教といわれるくらいですから、妙に気取った、悟る事によって
却って人格が歪んだ人が多いとも言われます。
日蓮様を信じるか、他を信じるかは、先祖代々の宗派かどうか、又は、その人の気
質でしょう。例えば、アメリカが攻撃をまず辞めろという視点で考えるタイプの人
、いや、テロは悪いから攻撃するしかないと考えるタイプの人がいるのと同じでしょう。
法華経を素直に受け入れられるタイプの人は、性格的にシンプルな人が多いよう
に思えます。シンプルとは、ある意味、悟った人とも言えます。
いずれにしても、人間の考えに「絶対的立場」などあり得ない。又機会があれば、よろしく願います。
もう、こちらこそそんなに評価してもらって恐縮です。
なんかどこかで、会ってしまいそうな気もしますね。
それでは失礼します。
133 :
名無しさん@1周年:01/11/05 13:01
アニミズム。は所詮アニミズム。同様、日蓮の宗教も、原始的ご利益宗教の域を出ていない。
ご利益ヌキで信仰があるのなら認めるが、信者にんなもの期待できないのは自明。
例えば、法華経を信仰すれば、不幸になるとして誰が、信仰するだろう。
ピラミッドパワーよろしく、入れたもの全てに良い効果があるなんて、幼稚だとおもわんか?
むしろ不幸になったほうがその人の心の成長に役立つという、そういう視点を
日蓮系の信者から感じることはない。こんなこと常識なんだけどな。
134 :
名無しさん@1周年:01/11/11 01:00
>>133 わかってないなぁ。法華経の説く功徳とは即身成仏なんですよ。
万人が成仏出来る、というところにあるんです。
これ以上の功徳はおまけみたいなもので、方便にしかすぎません。
とにかくね、日蓮上人抜きでかまわないから、法華経の解説書でも読みなさい。
白人・貴族出身の教祖釈尊がおもに説いたのは、
大乗仏教の見地からすれば狭い、排他的な立場での教えであったといえる。
逆に、日本人(アジア人)である日蓮大聖人の教えは、貧しく苦しい立場から始まった、
万人にとって本物の価値がある救い。釈尊の仏法も大聖人の仏法も、
目的とする悟りは全く同じだし、現実の苦悩を解決していく決意の強さも全く同じ。
大聖人の仏法の偉大さは、即身成仏という仏法における究極の目的を法華経に見つけ、
文底に秘められた師弟不二の大白法を悟ったところにある。
階級を越えて万人に善知識を与えるために生涯を捧げた教祖釈尊の願いは、
世界を皆が平和で安穏に生きていける仏国土にすることだった。
大聖人は大陸の東の果てである日本にて釈尊の真意を明らかに受けとめて、
釈尊本来の法を広めるために蓮祖大聖人を名乗ったのである。
もっとも、自分では日蓮と言い、
宗派によって聖人、上人、大聖人と
別の呼び名がある。
137 :
名無しさん@1周年:01/11/19 22:31
>135
>大聖人は大陸の東の果てである日本にて釈尊の真意を明らかに受けとめて、
>釈尊本来の法を広めるために蓮祖大聖人を名乗ったのである。
ということは、白人・貴族出身の教祖釈尊がおもに説いた
大乗仏教の見地からすれば狭い、排他的な立場での教え
を広めようとしたわけね。
138 :
名無しさん@1周年:01/11/20 15:43
>137
例えば、目的地は同じでも、乗り物が違うと考えてもらえればいい。
釈尊の説法は、そのままでは救われない衆生が存在する。
大聖人の仏法は、末法に完成された究極の奥義なのだ。
139 :
名無しさん@1周年:01/11/20 15:53
衆生の劫が尽きて世界が炎の中にある時でも、ブッダの地は安穏。
大聖人の仏法は全ての衆生を救うための仏法なのである。
140 :
名無しさん@1周年:01/11/20 22:55
>138
>大聖人の仏法は、末法に完成された究極の奥義なのだ。
すいません、勉強不足で申し訳ありませんが、「末法思想」
ってそもそもいつ誰がはじめたものですか?。
釈尊?、それともそれ以前からあるもの?。
キリスト経とかで言われる「終末」と同じようなものなの?。
141 :
名無しさん@1周年:01/11/20 23:15
>138
>例えば、目的地は同じでも、乗り物が違うと考えてもらえればいい。
目的地が同じならばどの乗り物に乗ろうがかまわないって
ことですよね。自分に合った自分で良いと思った乗り物を
選んでいいってことですよね。「イエス号」でも「アッラー号」でも
「法然号」でも。
そうか138には「釈尊号」と「日蓮号」しか見えてないのね。
それもなんかかわいそうだなあ。「慈悲」の心がうずきます。
>大聖人の仏法は、末法に完成された究極の奥義なのだ
純粋なお馬鹿サマ発見。
末法なんて発想は、天台の創作。日蓮の教えが究極というその根拠はなに_?
143 :
名無しさん@1周年:01/11/20 23:41
日蓮宗系は、もはや仏教とは言えない。
そんな宗教です。
釈迦の思想から、大きく、あまりにも大きくズレてしまった
変な宗教。
池田大作を産んだ宗教。
日蓮や親鸞の言っていることはは、実のこと言えば、トンデモ説なんだよ。
日蓮は「呪文を唱えれば欲が満たされる。末法の時代には、法華経以外は
邪悪。呪われる。国家が崩壊するー。法華経に執着しろ!死ぬほどな。他は
邪教で、容赦なく攻撃しろ」。
で、親鸞は「悪人ほど救われる」。当時、殺人が蔓延した。・・・・・・。
つまり、これは、まともな人なら、軽く一笑にふせばいい考えであり、
あまりに稚拙で、アホくさくて、話にならないものであるべきなのに、
今の時代にこれだけの影響力を
持つのは、まさに「アホ?」だが。ともかく、
仏教と一切関係ない盲説に興味を持たないほうがいい。
145 :
名無しさん@1周年:01/11/21 00:16
>末法なんて発想は、天台の創作
君も結構アホですな。
しったかぶりして笑われないように。
146 :
名無しさん@一周:01/11/21 00:22
〉144あの人が不勉強をさらけ出している!
末法なんて発想は、天台智顕の創作
以上。
145
逆に聞きたいけど、法華経のどこに末法の記述があるのでしょう(笑)
149 :
名無しさん@1周年:01/11/21 00:49
日蓮系さんは、仏像を基本的には置かない。
日蓮宗では日蓮像を置いたりもするが、法華経そのものが崇拝対象なので、
どうしても観念的と言うか、真言のように法身でのイメージが湧かない、
だから極言すれば原理的方向に行ったりしてしまうのかもね。
理論を伴った観念で捉えるのだね。
150 :
名無しさん@1周年:01/11/22 00:49
日蓮大聖人から現在の阿部管長までの歴代聖人を述べよ!!
>>148 末法の考え方って、いろんな経典にでてるけどね。もしかして『大正新修大蔵経』
も見たことないんじゃない?
やだね。半可通のくせにここなら玄人面できると思ってるなんて。
152 :
BigPig:01/11/25 04:55
百万辺でも言うが、法華経饅頭論というのがあって、法華経は、
饅頭の皮ばかり論じて、中味の餡子(あんこ)を論じない、と
言われているのをご存知か。
つまり、法華経は、経(仏教の本質・中味)を説かないで、最初から
最後まで、釈迦の礼賛で終わっている。法華経は、釈迦の死後、創作
された仏典である事は勿論であるが、多分、法華経の本体部分は、インド
にあって途中で紛失し、日本には、残りの余り重要でない、滓部分だけが
伝わったと想像されている。
君等が、誇らしげに言う、言葉のうちの95%は、私からすれば、実質無内容
の言葉。小学生、幼稚園児でも言える言葉遊びに過ぎない。
「法華経の説く功徳とは即身成仏」「究極の目的」「究極の奥義」「大聖人の
仏法は、末法に完成された」…これらの言葉の具体的な中味は実質何なんだ。
それを考えて論じ給え。
いや、上の質問すら理解する感受性を持ち合わせて生まれていない、つまり、
空虚な言葉を、分かったつもりになっている、ホラ、「…につける薬なし」
純粋なお馬鹿サマ発見と言われるのです。
確かに、「知的に考える事苦手」、「芸術家的に、感性のママに受け入れる
タイプ」の人間である事は分かる。ならば、せめて、他への攻撃性、排他性だ
けは、止めなさい。
153 :
名無しさん@1周年:01/11/29 15:33
言葉遊びというのは納得。彼等には、実際何も期待できない。
「法華経」信仰がなんたるかは、信者が立派に証明している(笑)。
学者も、惰眠をむさぼっていないで、そろそろ本格的に、釈迦と日本の仏教を
別物として、扱ってくれないかな。呪文を唱えて欲を満たす、欲徳だけの信徒
が仏教徒を名乗るのも、はっきりいって迷惑でしかない。
ちなみに、仏教研究の進んでいるカトリックでは、原始仏教以外を仏教とは認めない。
もちろん、大衆部が、大衆教化用に作ったダミー経典「法華経」の信者
は無視されとるだろう(笑)。本質が虚ほど、大衆をひきつけ、実のある事柄に
まゆを動かさない大衆なら、仏教など、「欲を満たすための道具。自分の心の弱さをカモフラージュするもの」
でしかないのだろう。
154 :
名無しさん@1周年:01/11/29 15:36
『大正新修大蔵経』の由来。その経典が末法に言及している部分はどこ?
末法の話題が出るといつも、その経典の名を出しておわってしまう。
ちゃんとはっきりしてくんないかな。
155 :
名無しさん@1周年:01/11/29 15:39
>151
知らないが、誰かに吹聴されただけだろう。ともかく、「法華経」が、
末法など、全くといっていいほど、触れていないのは有名な話だ。
だって、それは、創作した概念だから。
156 :
名無しさん@1周年:01/11/29 15:40
>151
宿題だ。ちゃんと調べてくるように。
その法華経で賛嘆する「中身」は「南無妙法連華経」を表しています。それが
私達の生命であり、仏の生命でもあり、宇宙の法則です。
法華経薬王菩薩本事品第23に、「我が滅度の後、後の五百歳の中に、一閻浮
提に広宣流布して、云々」と、末法のはじめ、釈迦滅後2000から2500年
(最後の500年;500年ずつ分けて最後の五番目を指す。:大集経)の内、全世界
(一閻浮提)に法華経が広まるとの文証があります。
それを実現しているのは、世界177カ国に広がっている創価学会です。
中国、隋の天台大師(天台宗の開祖)の法華文句にも、「後の500歳遠く妙道にう
るおわん」とあります。
158 :
名無しさん@1周年:01/11/29 17:05
フランスでカルトと称されている団体を引き合いにだすのはよくない。
そもそも、法輪功という宗教団体が数千万いるわけだし、そういう団体を持ち出すまでもなく、
キリスト経やイスラム教の数十億から比べれば、日蓮系数百万など、無いに等しい。
真実は、日蓮は勉強が足りなかった。そして、その信者は、宗教というよりも、
独善や排他性を信奉しているから、本当の仏教を学べよと諭したい。
159 :
名無しさん@1周年:01/11/29 17:29
>中国、隋の天台大師(天台宗の開祖)の法華文句にも、「後の500歳遠く妙道にう
>るおわん」とあります。
隋があったのは4.5世紀だ。500百年後に潤っているのが層化だぁ?
寝ぼけるのはやめていただこう。天台智顕の教相はんじゃくは盲信。
釈迦の伝えたかった経典のランクつけに、在世時の釈迦が感知しない経典
が、登場するのは小学生でもわかる矛盾だからだ。
160 :
名無しさん@1周年:01/11/29 23:35
>その法華経で賛嘆する「中身」は「南無妙法連華経」を表しています。それが
>私達の生命であり、仏の生命でもあり、宇宙の法則です。
宇宙の法則って言いきるということは、最近の宇宙物理学とか
でまだ解明されていないところまで解き明かされているってこと
でしょうか?。もしそうならいろんな宇宙物理学会とかで発表すれば
ノーベル賞確実ですね。
161 :
名無しさん@1周年:01/11/29 23:37
「宇宙の法則」って言いかたは「それは定説です」って
言ってたあの逮捕されたわけのわからんおっさん
を思い出します。
宇宙の絶対の法則・法華経・・・・・。
まるで、麻原と同一レベルにいるのが、与党にいるんだよ。
世の中狂っているよ。本当に・・・。
それにしても、法華経は独特だ。ともかく、どんな思想だろうが、
自分だけを良しとして、他を排斥するような、過激な発想はやはり間違っていると
思う。
164 :
ココを見れば創価!!ってわかる:01/11/30 00:24
165 :
創価壊滅!!:01/11/30 00:30
宇宙の呆即?
バカ一点じゃないよ。
南無妙法蓮華経は法則ではない!
本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法・・・・法身如来の御当体
大ご本尊そのものだろ!
創価学会は大ご本尊なんか物体だからなくなっちゃうなどと
地獄の業を積む発言を駄作がしたから,血脈なくなっちゃったんだよ。
だから宇宙法則などとくだらないことしかいえないのさへへん。
悔しかったら本門戒壇の大ご本尊を拝みに大石寺に参詣してみろよ。
過激な発想は確かに間違いだ・・・・。
というか、本尊ってこと自体、思いっきり仏教ではないんだけど。
偶像崇拝で。
168 :
名無しさん@1周年:01/11/30 00:46
南無妙法連華経はサンスクリット語ではどういうふうに表記するの?
私達の生命であり、仏の生命でもあり、宇宙の法則である大切なもの
なら、むやみやたらに訳さないほうがいいのでは…?
釈迦入滅後、五百年以上も経てから弟子達によって編纂された、あま
つさえ、漢訳の経典を拠り所に、いくら声高に叫んでも滑稽なだけで
す。一般向けに説かれる顕教と、極少数のイニシエイトされた者だけ
に秘伝として語りつがれる密教があるのです。〜例えば、キリスト教
では、一般に輪廻転生は教えられませんが、神秘主義者や秘教の間で
は、イエスがインドやチベットで原始仏教やヨーガの修行をしたとい
うことが、ちゃんと自明の理になっている訳です。
そういえば、大河ドラマでは、日蓮さんもめっきり登場しなくなりま
したね。法華経に帰依しなければ日本が滅びると豪語したのはいいけ
れども、やんぬるかな!日蓮さんの識別智を遥かに凌駕する天変地異
の恵みの大暴風雨が吹き荒れて、蒙古の船団を木っ端微塵に打ちのめ
してくれたではありませんか。すっかり意気消沈した日蓮さんは、そ
の後、池上宗仲という人物の屋敷で病の床に臥したんでしょ。(T_T)
169 :
名無しさん@1周年:01/11/30 00:54
よく分からぬまま法華経を読んだことがあるが、
「法華経はスバラシイ」「法華経はまさに真理だ」
みたいな言葉が文中の至るところに出てくるのに驚いた。
「この本はよい本だ」ということをひたすら述べた本というか…。
自己言及性の強烈さが印象に残った。
法華経に熱心な人がたくさんいるのがわかる気もした。
一種のレトリックというか、だまし絵にも似た催眠効果というか。
そういう意味では面白い経典だった。
>神秘主義者や秘教の間で
>は、イエスがインドやチベットで原始仏教やヨーガの修行をしたとい
それは、デマ。キリストが修行したとされるのは、エッセネ派、クムラン宗派で、
これは、ユダヤ教の秘教に属す。ここである種の心理的テクニックを学ばれた可能性があるが。
ともかく、日蓮は「法華経に帰依しなければ、日本は蒙古に寄って滅ぼされる」
といった。が、帰って日本は奇跡的に救われた。つまり、日蓮は妄想だったということ。
171 :
名無しさん@1周年:01/11/30 01:07
薬王菩薩本事品第二十三(ヴァイシャジヤ=ラージャの前世の因縁)の
サンスクリット原文からの訳はこうなっています。
ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、
偉大な志を持つ求法者「サルヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁」の
章が最後の時であり最後の機会である最後の五十年の経過している間に、
このジャンブ=ドゥヴィーパに行われて消滅しないように、
妙法蓮華経は五十年を五百年と誤訳しているみたいです。
172 :
名無しさん@1周年:01/11/30 02:00
>>1のようなキチガイが早く死にますように…ア〜ボン!
_________________ _________
∨ ___
|_†_レ
(゚Д゚,,)
" ⊂" ̄ ̄ハ⊃
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄† ̄ ̄|
( ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ | ∝∝∝∝.|
〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__( ∧ ∧ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
/ ア〜ボン♪ \
173 :
名無しさん@1周年:01/11/30 14:11
mage
174 :
名無しさん@1周年:01/11/30 22:40
大変勉強された日蓮上人が他を語るのはまあ良いとして、それ以外の奴が語ると
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧η∧ < ダマレコゾウ!
(,,・Д・) \__________
ミ__ノ
と言いたくなる。
日蓮は勉強不足。
176 :
名無しさん@1周年:01/12/01 00:23
結局>>1は論破されたのか
チーンΩ\ζ゜)
>174 さん
大変勉強された日蓮上人が他を語るのはまあ良いとして、それ以外の奴が語ると
ダマレコゾウ!
と言いたくなる。
上の言葉の中に、1つでも、他人の、よくとも、悪くとも
知性を刺激する意味内容が、含まれてると考えますか。
たんに、感情を述べているだけ。意味内容ゼロのレス。
更に、その発言内容が何を意味しているか、
反論されたら、自分で、説明し、論破(?)出来ますか。
法華経の内容も、これに似ている。やはり、
法華経を理解できる人は、この種の人に、限られているのか?
教団ができると必ずその教団は分裂していきます。キリスト教しかり、
仏教しかり、イスラム教しかりです。
理由は、人間には個性があり、需要と供給の関係で、
人間の個性の類型にあわせた教団が作られるからでしょう。
ところで、たちの悪いことに、分裂した教団は
必ずといっていいほど、自らの正当性を主張し、そして、正等を主張するがゆえ、
他宗教を攻撃してしまう。
大抵の宗教は、平和を首肯しているわけですが、
彼らは平和の為に他宗教を攻撃してしまう。という矛盾を犯してしまうというわけです。
私の観察では、法華経の信者は、心の底に暴力性を有している者が多い。
ああいう宗教は、人間の類型の数パーセントの需要を満たすものでしょう。
彼らにとっては、法華経とは、自己の安全を保障し、死後の安楽、この世の
幸せを保証し、他社への優越、自己の中の劣等感を補完するようなもの。
だから、それを否定されると、心がかき乱される。修羅のような心の状態が、
法華経により、演出されるとするならば、それは、法華経がどうあれ、
麻薬にしかすぎないのです。実際、仏教とは、何が必要か考えるものではなく、
何が不必要かを考えそのいらないものを取り去るものなんですがね。
教祖や経典、教義、教団。それは、必要以上に執着すれば、
不必要でしかない。法華経信者をみてつくづく思う。
179 :
名無しさん@1周年:01/12/01 13:13
∧,,∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ,,・∀・,ミ< 人生の墓場へ1をごあんな〜い!
ミ つ \_____
ミ∪ ミ ピッ
'∪'''∪'
180 :
名無しさん@1周年:01/12/01 13:49
金以外を拝む奴かかってこい!(笑)
181 :
名無しさん@1周年:01/12/01 20:31
>>177 もうちょっと行間を読んで( ゚д゚)ホスィ… だがな。
まあ、しょうがないか。その程度のカキコだったしね。
漏れは法華経の側にはいない。取り敢えず、それだけは逝っておくよ。
聖書やコーランはもとより、「法華経」原理主義者は、うんざり。
そんなに固まった考え方で真理が見えると思うか?
ピエールさんって、かわいそう。
こだわる事は駄目ですよと、いいながら、
その「こだわる事は駄目」という事にこだわっている。
すごいですね。
コダワリがよく見えますよ。
あぁ、かわいそうに。
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
184 :
名無しさん@1周年:01/12/02 20:03
北条時宗はじまったーYO!
今日、運命の嵐だよ。
185 :
名無しさん@1周年:01/12/02 20:27
時宗ッて一回も見た事ないんですけど
日蓮って出るんですか?
186 :
名無しさん@1周年:01/12/02 20:51
>こだわる事は駄目ですよと、いいながら、
>その「こだわる事は駄目」という事にこだわっている。
なるほど、そうきたか。こだわることは、いい。問題は何にこだわるかだ。
だって、人間の3大欲にこだわらなければ、人間は絶滅してしまうだろう。
私が言っているのは、度の過ぎたこだわり。日蓮以外は邪教、法華経以外は、
末法の世では、すべて邪経典。
アニメじゃないんだから・・・。
こういうのを度を越したこだわりという。
法華経を学ぶのはいいが、ついでに他の経典や小説でも、読めよというわけ。
188 :
名無しさん@1周年:01/12/02 23:06
血塗られた日蓮曼荼羅を拝む者こそ、真の救いが
必要なのです。
189 :
ぴょーとる:01/12/04 11:19
日蓮さんは、法華経に書いてある事が、
お釈迦さんの本懐であったと言うているけど、
他の経典を邪教典とは言っていないけどな。
法華経以外の経典を方便のお経だと言っているだけよ。
ピエールさん、もしかして、法華経も日蓮さんの書いた文章も
読んだ事が無いのに批判しているんじゃないでしょうね。
ちなみにぼくは、法華経大好き人間だけど、
他の仏典は読むし、聖書やコーランも読むよ。
日蓮さんが書いた物を読めば分かると思うけど、
あのおっさんは、法華経ばっかり読んでいたわけじゃないです。
でも残念ながら、世の中には、ピエールさんが言っているような
法華経信者がはびこっているようですね。
ぼくが一番言いたいのは、ピエールさんが言うような法華経信者だけが、
すべての法華経の行者ではない事を知って欲しいだけなのです。
では。
190 :
名無しさん@1周年:01/12/09 08:29
では、これより削除されるまでの間、初心者大耳が
ここを緊張気味に管理しておきます。
ドキドキ・・・ ドキドキ・・・ ドキドキ・・・
(\_/)(\_/)(\_/)
( *´∀`) (*´∀`) (*´∀`)ドキドキ・・・
(つ ) (⊃ ⊂) ( ⊂)
( ヽノ 人 Y 人 Y ドキドキ・・・
し(_) (_(_) し(_)
193 :
名無しさん@1周年:01/12/15 18:16
ちょっと興味深いからこのスレのぞいたけど
勘違いも勘違い あたかも自身が悟りを説いたかのように書き込んでんだね
言葉のもつ意味なんて時代と共に変化してるんじゃないの?
だったらその証拠・現象の中にヒントはあっても 所詮自分自身の考え方であって
リアルタイムで 見たのか?聞いたのか?
私も含めて凡人の集まりでしかないんだもの とやかく言ってもね〜ぇ
たんなる 評論家無勢がなに言ってんだ!!
なんて思ってしまうのは私だけでしょうか・・・
うんこ以外を拝むものかかってきなさい
君達はうんこの相対を知ってるかな?
うんこ大症人のうんこ法と他うんことを峻別、相対比較し、その大小・高低・浅深を
明らかにする原理である。
その1.内外相対
内外相対とは、内道(うんこ)と外道(うんこ以外の排泄)の比較である。
うんこでは、因果の理法と自己責任を説いているが、うんこ以外で説いて
る排泄はあるか?
その2.大小相対
大小相対とは、大うんこと小うんこの比較である。
小うんこの教えは大うんこのように多くの人を救えない。よって大うんこは凄い!
その3.権実相対
権実相対とは、大うんこ教の中における権便教(うんこ以外)と
実便教(うんこ経)の比較である。
権便教は、真実の教えであるうんこ経に導くための便にすぎない。
よって、実便教であるうんこ経は凄い!
その4.本うんこ相対
本うんこ相対とは、うんこ経二十八品のうちの全十四品であるうんこ門と
後十四品の本うんこ門の比較である。
うんこ門では、始成正覚、すなわちうんこは尻で生まれ修行し正覚
(絶頂)を得たという立場で説かれており、いまだ永遠のうんこ観に
立脚していない。よって、全てを説いた本うんこは凄い!
その5.種脱相対
種脱相対とは、うんこ経本門の中心である便所紙における消臭脱益の
駄目うんこ法と悪臭下種益のうんこ法の比較である。
うんこ大症人の仏法では、過去において全く糞になる種を植えていない、
末うんこ法の本未有善の一切大便のために、成仏の種を植えるうんこ法を確立した
のである。よってうんこうんこ大症人が一番となる事は明々白々!!
反論あるおしっこ、非うんこ派の方は、理由を持って論破してみて下さい!!
195 :
名無しさん@1周年:01/12/26 16:02
age
196 :
オーマンコ:01/12/26 18:58
御芽子大聖人以外を拝む者かかってきなさい
君達はおまんこの相対を知ってるかな?
御芽子大聖人のおまんこと他性感帯とを峻別、相対比較し、その
正邪・高低・浅深を
明かにする原理である。
その1.内外相対
内外相対とは、内性器部(おまんこ)と外性器部(おまんこ以外の性感帯)
の比較である。
御芽子教では、おまんこの刺激法と自己刺激を説いているが、
御芽子教以外で説いて
る宗教はあるか?
その2.大小相対
大小相対とは、大陰唇と小陰唇の比較である。
小陰唇の襞は大陰唇のように多くの人には見えにくい。よって大陰唇は凄い!
その3.豆穴相対
豆穴相対とは、大陰唇の中におけるお豆さん(クリトリス)と
お穴ちゃん(膣)の比較である。
お豆さんは、真実の性器であるお穴ちゃんに導くための方便にすぎない。
よって、穴である膣は凄い!
その4.本後相対
本後相対とは、御芽子経二十八品のうちの全十四品である後門(肛門)と
後十四品の本門(おまんこ)の比較である。
後門では、大便、すなわちうんこは小腸で生まれ修行し後門から出たという
立場で説かれており、いまだ永遠の生命観に立脚していない。
よって、全てを説いた本門は凄い!
その5.穴宮相対
穴宮相対とは、御芽子経本門の中心である子宮品における宮下数の子の
子宮刺激法と膣壁益の蚯蚓千匹の比較である。
御芽子大聖人の性交法では、過去において全く絶頂になる種を植えていない、
末期の本末転倒の一切衆生のために、性感の種を植える刺激法を確立したのである。
よって大聖人が一番となる事は明々白々!!
反論ある宗教、宗派の方は、理由を持って論破してみて下さい!!
197 :
名無しさん@1周年:01/12/26 19:00
>>1 知識ばかりひけらかしてるけど、意味わかってるのか?
それと実践できてんのか?学者かお前は。
机上の理論ばっか述べずに、自分の意見を持て。
>>197 ホッケはそれでいいんじゃないか?
有害かつクダラン自分の意見を垂れ流されるよりな。(ワラ
__ __
丿───ヽヽ .│ │ /│ /
/ ヽヽ/ .│\ ─┼ ─┼ │/ │/
/ / │ /│ /│ Ο Ο
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ /\ )
/ \ / \ ノ
/ / \ ノ
___ /○ __ ○ ___ ,-‐'~ ̄ ̄~`‐-、 へ 、____ (
r'~ / | | r'~ ヽ  ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ´
{ | | .| { } ___ ___ (
ヽ、___ヽ ノ | .ヽ、___ / (
\ {―‐.{ _/ ___ ___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (
__〃 十十〃
/ ││ 、__ 、__ 、__ 、__
_/\_ ノ ツ
201 :
nanasisann:02/01/02 05:48
202 :
名無しさん@1周年:02/01/02 06:00
>>1 真理は相対的に他の何かと比べて分かるというものじゃない。
絶対的なもの。
それを何かと比べている時点で、もう十分に仏教とは言えない(ワラ。
203 :
fuck all religion!:02/01/04 23:09
何でほかの物に頼ろうとする訳?
信じる物は自分だけでいいんじゃん?
みんなえらそ〜に語っちゃってるけど、実際おそっさん程経典を勉強した人いないでしょ?!
それだけで凄いと思うけど!?
205 :
名無しさん@1周年:02/01/23 20:08
>>204 >おそっさん程経典を勉強した人いないでしょ?!
おそっさん?
206 :
名無しさん@1周年:02/01/23 20:29
1の書き込み読んだだけで正宗とか層化のにほいプンプン
萎えちゃって途中のレス読み飛ばしちゃったよ。
207 :
名無しさん@1周年:02/01/23 21:07
>>1 よ
直接仏の言葉が聞けるようになりまししてね。
でね、日蓮の傘の下に沢山の邪教があるのは可笑しいって、
日蓮本人が言うのですよ。
でね、最近
>>1 の書き込みが無いんだけど、これがやっぱり
諸法実相だって言うんですよ、日蓮がね!
日蓮を見習って、もっと立ち向かわねばね!この程度のことで
は、島流しの前に討ち死にだね!
208 :
名無しさん@1周年:02/01/30 08:52
>>1
えい、やあ、とう!!
どうだ、痛いか?
17 名前:蓮日 ◆BtlIEUc6 投稿日:01/10/24 16:18
>>12 日蓮大聖人がどう考えていたか? なーんてのは、
私には関係のないことです。ですので、御文、御書と
呼ばれる手紙の類にも、あまり興味がありません。
なのにこのスレタイトルか?。
>>1よ、お前アフォだろ。
210 :
名無しさん@1周年:02/01/30 11:59
>>207 1は、間違った仏教史しか知らない消臭、喪家のアホらしい
煽りに付き合いきれんと、とっくに他スレに移ってるよ。
211 :
名無しさん@1周年:02/01/31 20:36
で、結局のところ、
法華経は自賛の繰り言、日蓮は元祖カルト坊主ってことで落ち着いたの?
212 :
名無しさん@1周年:02/01/31 20:54
>>212 ここのレス全部読んでなおそう思いたいならそれでOK
>その1.内外相対
>内外相対とは、内道(仏教)と外道(仏教以外の宗教)の比較である。
>仏教では、因果の理法と自己責任を説いているが、仏教以外で説いて
>る宗教はあるか?
「因果の理法と自己責任を説いている」宗教は、元々は、仏教の前から
ある古代インドの哲学思想です。
釈迦ムニ氏もヨガの苦行に入る思想としてそこから始めたと伝えられて
います。時代の変遷とともに、釈迦の原始仏教が変質してまた元の古代
インド思想に戻ったのが魂に残るカルマ(業)の法則=因果の法則でし
た。
釈迦の説いた因果はおそらく、迷妄が苦を生む元になる、迷妄に陥るな
かれ、現実をそのまま受け入れなさい、冷静になりなさい、という理法
、科学的人生観であったと思われます。それが変質したことはガイシュ
ツの通り。
>その2.大小相対
>大小相対とは、大乗教と小乗教の比較である。
>小乗の教えは大乗のように多くの人を救えない。よって大乗は凄い!
これもガイシュツですが、大乗の教えは要するに、哲学的思考をじっく
りすることのない在家信者たちを手っ取り早く霊験あらたかに信じさせ
る方便の方を重視しただけとも言われています。そのことの功罪はおそ
らくどちらもあるでしょう。
>その3.権実相対
>権実相対とは、大乗教の中における権教(法華経以外)と
>実教(法華経)の比較である。
>権教は、真実の教えである法華経に導くための方便にすぎない。
>よって、実教である法華経は凄い!
むしろ、法華経こそは皮ばかりで中身のない経であるという批判は過去
にも多く行なわれています。神道の平田篤胤などもそうですが、当たっ
ているように感じます。
>その4.本迹相対
>本迹相対とは、法華経二十八品のうちの全十四品である迹門と
>後十四品の本門の比較である。
>迹門では、始成正覚、すなわち釈尊はインドで生まれ修行し正覚
>(悟り)を得たという立場で説かれており、いまだ永遠の生命観に
>立脚していない。よって、全てを説いた本門は凄い!
「永遠の生命」はすでに古代インド思想そのものですから、いまさら
でした。
釈迦の思想はむしろそうした証明し得ない不可知的論理の導入を否定し
ました(スッタニパータなど原始仏典参照)が、後の変質した仏教の
一部がそうした古代インド思想を取りこんだにすぎません。日蓮はその
ことを真の仏説であると「信じた」わけです。元々仏教のお経というの
は、そのお経を書いた人の思想が書かれたものであり、それを釈迦が説
いたかどうかとは本来別のことでした。これも宗教学では常識的に知ら
れています。
>>153 >>169 まさしく同意
>>189 しかしあなたのような法華経信者は極めて稀でしょう。
>>67 >私が法華経の中で一番好きなのは「常不輕菩薩品」です。
>法華経の心とは、決して法華経という経典自体を広める事に
>第一義があるのではなく、常不輕菩薩のように、人間の奥に
>ある佛性を拝み、その佛性を拝み出す事にあると思います。
>それは宗教的な行為に留まるものではないと考えています。
>例えば、ボランティア活動を行い人の為に尽くす。
>家族のために汗水垂らして必至になって働く。
>人を見下したり、批難したりする事無く、それぞれの
>人に仏性を見出し、尊重し、敬い、手を差し伸べる。
>そういう心を持って人と接する事こそが法華経の心であり、
>真髄だと考えています。
そうした「常不輕菩薩」のような行き方を、ヴェーダでもウパニシャッドでも
やはり説いています。元々すべての人が神の分身なのだから、すべての人の中に
神を見る者こそ真のヨーギであると。
また、キリスト教でも本来はそう教えていますね。有名な聖人の言葉にも端的に
現れていたりします。また宇宙は神の栄光をあらわしている、朝日のすがすがしさ、
夕日に照る美しい自然の雄大さ、星の輝き、花の可憐さ、小さな生き物のけなげさ
にも神の栄光が現れている、などすべてが神への礼拝になるのだとも言っています。
「一切衆生悉有仏性」、というのもあるいはそれと同じでしょう。
であるので、すべての宗教はもともと同じことを説いているとも言えます。
宗教が分かれ争う元を作るならまさしくバカゲタことでしたね。
もういいかげんで、卒業してもらいたいものです。
さて、まあ、そういうことではあるのですが、、
「一切衆生悉有仏性というも、それならそこの犬にも仏性はあるか?」
と問われる禅問答もありました。
真のヨーギは犬に礼拝して霊性を示すところです。「常不輕菩薩」もそうかも
しれません。
ここで禅者は、「ム」と答えたそうです。
これが「無」のムなのか、うーんわからん、のムムムッのムなのか、
それとも他のことなのか、さあ解釈してみよと言われるのだそうです。
これは「金剛般若経」が関係あるように思います。
このように禅には礼拝の考え方はありませんが、。
禅は実に面白いようですよ>皆さん
さあ、みんなで取り組んでみましょう。。。。。(^^)/
age
禅つまんねぇsage