悲しい・・・夢も希望もない・・・。

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93変人
>>92
まあ医者も良いのだが、私だったら違う手法をとる。

地面にうつ伏せになり、土を舐め舐めして犬になる。
「生きる」とは、そうしてみて初めてわかるのではないか思う。
「劣等感」云々は、犬になんないとナカナカ吹っ切れない。
人間における「付加価値」なんてものは、吹けば飛ぶようなもの。
まあ、それに「生を絶つ」など、愚かだと思う。
94むもん:01/10/23 11:19
>>88
あなたが人に愛を与えたといわれるなら。

>>絶対に怒らないこと。
>>嫌みを言わないこと。
>>冗談にも人の嫌がることを言わないこと。
>>次に人を誉めること。
>>お世辞でもいいからほめること。

これをやっていますか?
95おせっかい:01/10/23 11:20
>>88
>愛もカネも与え続け...
ただ自分の思いだけで与えてやる、のは自己満足の延長じゃあないでしょうか。
金を欲しがるなまけものにいくら贅沢させてやったところで、結果その人の為に
なると思いますか? 本当に相手のことを考えれば、その人が人間として成長して
ゆく姿を見て自分の努力が報われたと感じるのでは? 人を愛するのは大変なこと
です。乳繰り合って遊ぶことだけがゴールではないでしょ。
96むもん:01/10/23 11:23
>>93
変人さんに賛成。
97変人:01/10/23 12:03
>>96
貴方が常日頃提唱している、「幻想世界論」は他スレで拝見しております。
あなたの世界観でしたら、私と合一をみせるのではないか・・とは思っておりました。
まあそういった観点から既成概念に囚われない・・という事も重要ですね。
98バプ@品川:01/10/23 12:29
変人さん・むもんさん

なかなか深いお言葉ですね。
犬になる、、ねぇ。。。なかなか難しいことなのでは!?

本当に自分を捨てるってのは、たぶんいろんな宗教で
語られることだと思いますが、なかなか達し得ない難しい
境地だと思いますよ。

犬にもなれない中途半端さというのがむしろ問題なのでは?
って思います。
99名無しさん@1周年:01/10/23 14:12
くじけるな
100名無しさん@1周年:01/10/23 14:12
100get
101名無しさん@1周年:01/10/23 14:15
102変人:01/10/23 14:39
品川さん
なかなか深いお言葉です。
人間を捨てる・・とは難しいことですね。「覚悟」という言葉を分解すると・・
「覚醒」「悟り」。なにかそこに暗示するものを感じます。
「死にたい」とおもうのでしたら。人間を捨てるくらいの覚悟はぞうさもないこと。
捨てきれないところが「元凶」なのかと思う。
「死ぬ」とは捨てる事。そこで初めて「生きる」が解ると思う。
「生死一如」「生死不二」。生死は一体である事に気が付くのではないか。
103バプ@品川 :01/10/23 15:02
>「死ぬ」とは捨てる事。そこで初めて「生きる」が解ると思う。

全く同感。
でも、たぶん、その先にさらに、「死にきれない自分」とか、
「捨てきれない自分」ってのがあるのだとも思う。

たとえば、キリスト教ではこういうことだと思う。

★イエスキリストというのに感銘をうけ、自分も誰かを
愛そうと試みる。

★愛するとは、自分を捨てて、人のために何かをすること。

★ところが愛そうと思えば思うほど、実は愛することなんて
できない自分に出会う。

★愛することができない自分ってのを、そのままで愛してくれる
神様ってのが、いかに自分にとって大事であるか、、ということに
出会う。

ここから先にやっと「救い」ってのが出てくるのだと思う。

ちと話がずれましたかな。。。

とにかく、「自分を捨てる」ということを目指す、その先の世界
ってのがあるのかなぁって思っています。
104むもん:01/10/23 15:10
>>102
そうそう。死ぬ勇気があれば、犬になる勇気があるはずだ。