>>92 まあ医者も良いのだが、私だったら違う手法をとる。
地面にうつ伏せになり、土を舐め舐めして犬になる。
「生きる」とは、そうしてみて初めてわかるのではないか思う。
「劣等感」云々は、犬になんないとナカナカ吹っ切れない。
人間における「付加価値」なんてものは、吹けば飛ぶようなもの。
まあ、それに「生を絶つ」など、愚かだと思う。
>>88 あなたが人に愛を与えたといわれるなら。
>>絶対に怒らないこと。
>>嫌みを言わないこと。
>>冗談にも人の嫌がることを言わないこと。
>>次に人を誉めること。
>>お世辞でもいいからほめること。
これをやっていますか?
>>88 >愛もカネも与え続け...
ただ自分の思いだけで与えてやる、のは自己満足の延長じゃあないでしょうか。
金を欲しがるなまけものにいくら贅沢させてやったところで、結果その人の為に
なると思いますか? 本当に相手のことを考えれば、その人が人間として成長して
ゆく姿を見て自分の努力が報われたと感じるのでは? 人を愛するのは大変なこと
です。乳繰り合って遊ぶことだけがゴールではないでしょ。
>>96 貴方が常日頃提唱している、「幻想世界論」は他スレで拝見しております。
あなたの世界観でしたら、私と合一をみせるのではないか・・とは思っておりました。
まあそういった観点から既成概念に囚われない・・という事も重要ですね。
変人さん・むもんさん
なかなか深いお言葉ですね。
犬になる、、ねぇ。。。なかなか難しいことなのでは!?
本当に自分を捨てるってのは、たぶんいろんな宗教で
語られることだと思いますが、なかなか達し得ない難しい
境地だと思いますよ。
犬にもなれない中途半端さというのがむしろ問題なのでは?
って思います。
99 :
名無しさん@1周年:01/10/23 14:12
くじけるな
100 :
名無しさん@1周年:01/10/23 14:12
100get
101 :
名無しさん@1周年:01/10/23 14:15
品川さん
なかなか深いお言葉です。
人間を捨てる・・とは難しいことですね。「覚悟」という言葉を分解すると・・
「覚醒」「悟り」。なにかそこに暗示するものを感じます。
「死にたい」とおもうのでしたら。人間を捨てるくらいの覚悟はぞうさもないこと。
捨てきれないところが「元凶」なのかと思う。
「死ぬ」とは捨てる事。そこで初めて「生きる」が解ると思う。
「生死一如」「生死不二」。生死は一体である事に気が付くのではないか。
>「死ぬ」とは捨てる事。そこで初めて「生きる」が解ると思う。
全く同感。
でも、たぶん、その先にさらに、「死にきれない自分」とか、
「捨てきれない自分」ってのがあるのだとも思う。
たとえば、キリスト教ではこういうことだと思う。
★イエスキリストというのに感銘をうけ、自分も誰かを
愛そうと試みる。
→
★愛するとは、自分を捨てて、人のために何かをすること。
→
★ところが愛そうと思えば思うほど、実は愛することなんて
できない自分に出会う。
→
★愛することができない自分ってのを、そのままで愛してくれる
神様ってのが、いかに自分にとって大事であるか、、ということに
出会う。
ここから先にやっと「救い」ってのが出てくるのだと思う。
ちと話がずれましたかな。。。
とにかく、「自分を捨てる」ということを目指す、その先の世界
ってのがあるのかなぁって思っています。
>>102 そうそう。死ぬ勇気があれば、犬になる勇気があるはずだ。