以前書き込みした、神学部の院生です。
しばらく来ないうちに、えらく専門的な書き込みが続いてたんですね。
その方が、僕的には面白いのですが。で、きょうは493,502,503
などの皆さんが疑問に思っている「グランビル・シャープの法則」に
ついて、簡単に(?)書いてみたいと思います。修士課程でかなり詳しく
やったので、いちおう覚えてるはずなんですが‥‥。
まず最初に、新約聖書が書かれた当時のギリシャ語は、正確には
コイネー・ギリシャ語といって、現代のギリシャ語とは別物です。
ですから、491さんが持っておられるような現代ギリシャ語の
文法書にこの法則が載っていないのは、当然といえましょう。
したがって、神学解釈上の法則ではなく、純然たる文法事項です。
続きです。
グランビル・シャープの法則とは、その名の示すとおり
グランビル・シャープという人が発表した、コイネー・ギリシャ語に
おける定冠詞についての法則です。1798年に発表されました。
その時、彼が発表した定冠詞に関する法則は、実は全部で6つあり、
こんにち我々が「グランビル・シャープの法則」と呼んでいるものは
そのうちのひとつに過ぎません。そして、これが その後150年
近くに渡って この法則が事実上忘れ去られた存在になった理由でも
あるのですが、他の5つは 学問的にはたいしたことのないもの
だったのです。しかし、ひとつだけ、鈴木登氏が引用したものだけが
その後の神学界に残る、記念碑的な発見となったのです。
しかし、この法則の発見は、上記の他の5つがレベルの低いものだった
こと意外にも、いくつかの理由で忘れ去られていきます。
まず第一に、グランビル・シャープ氏の当初の論証が、学問的には
不十分だったことが挙げられます。彼は、この法則を、人称名詞が
単数で使用されているケースにのみ論証し、物質名詞につくケースや
複数形の名詞につくケースなどには、いっさい触れませんでした。
当然の如く、学会では反発の声があがりました。
第二に、当時の神学界では、いまからすれば信じ難いことですが
コイネー・ギリシャ語の定冠詞の用法が比較的英語の それに近い
のを いいことに、英文法の観点から論じられていたのです(笑)。
実際、シャープ氏を痛烈に批判した、グレゴリー・ブラント氏の
著作(1809年出版)は、すべて英文法の定冠詞の用法からの
反論になっています。
続きです。
著作が学会に受け入れられなかったシャープ氏は、1813年
失意のうちに死去します。
しかし、1822年、カルカッタの修道士であったトーマス・
ミドルトンが、その新約ギリシャ語の文法書(現在でも高い評価を
得ている歴史的名著です)において、シャープ氏の法則を再評価
したのです。シャープ氏の名は、この時に知られるようになったと
いっていいでしょう。
ところが、シャープ氏にとって不幸なことに、このミドルトン氏が
当時のベネディクト会におけるギリシャ語学者の重鎮、ゲオルグ・
ウイナーの論敵であったことが、事態を悪いものにしました。
ウイナーは、ほとんど学問的な手続きを踏むことなく、ミドルトン氏の
著書を攻撃しました。その際、シャープ氏の法則を、欄外の脚注ひとつ
で罵倒してみせたのです。こうして、ウイナーの政治的権力の前に
シャープ氏の法則は学会の主流から外れたのです。それでも、
ミドルトン氏の文法書は、著者自身の高名さもあって、読み継がれて
いったので、「知る人ぞ知る」といった存在ではあったのですが。
続きです。
1930年代になって、南部バプテストの高名なギリシャ語学者で
あったA.T.ロバートソン博士がシャープ氏の法則を再評価したりも
したのですが、結局本格的な評価を受け出したのは、1970年代
後半になってからのことでした。
高度な発掘機械の導入によって、聖書考古学は まさに日進月歩の
進歩を遂げ、多くのコイネー・ギリシャ語の文献の発見があったのも
既出の通りです。聖書の写本以外にも、当時の人の日記・役所関連の
公文書・一般的に流通していた書籍などが発掘され、膨大な数の資料
が、研究されるようになった結果、われわれは聖書当時の人々が
聖書に使用されている語を、日常的にどのように記していたのかを
知ることができるようになりました。その結果、シャープ氏の法則が
彼自身が想像していたよりも遥かに重要かつ明快な法則であったこと
が、学問的に確認されたのです。
長くなってすいません。最後です。
再評価がされるようになった、もうひとつの理由は、新約ギリシャ語
の研究に、コンピューターが使用されるようになったことです。
手作業では不可能に近かった文法上の統計が、楽に集計できるように
なったのです。たとえば、1990年代半ばにアメリカの学会で
報告された研究では、5700万ヶ所(!)以上のサンプル例の
なかで、この「グランビル・シャープの法則」の例外は、全体の
わずか4パーセント以下に過ぎませんでした。
これらの研究結果を踏まえ、現代の神学界では保守・リベラル・
カトリックのいずれにおいても、否定し難い文法上の法則として
確立しております。
佐倉氏のHPの問題の個所を、僕も拝見しましたが、どう贔屓めに
みても苦しいと思います(笑)。たとえば、New English
Ttaslation のように、もっとも最近訳出されている
英語の聖書は、ちゃんと問題のテサロニケの個所も、グランビル・
シャープの法則に忠実に訳されています。‥‥ちなみに、悪名高い
新改訳が、ここでは やたらと正確な訳になっている理由は不明
です(笑)。
いつ頃から、この法則が知られるようになったのか、はっきりした
ことは言い難いのですが、アメリカでは1980年代の始め、
日本では1990年前後には、既に神学部・院の大部分で教えられて
いたことは確かだと思います。
以上、ながながと失礼いたしました。