αマリヤ崇敬は迷信であるω

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597名無しさん@1周年:01/11/11 01:48
>>565 >マリアさん
> 人は文字に惑わされやすいわ。
> ひとつの言葉でいろんな意味に解釈するわ。
> 秘儀に基づいて解かねば、人は狂う。
しかし、このような事は初めて聞いたが、キリスト教徒には、
このような考えの方が、多くいるのであろうか?

> だから、文字に惑わされている証拠。
> 偶像とは、壊れるもの全てを指すの。
広義においては正であるが、狭義においては否である。
しかし、世に執着するものが狭義の偶像をも持つのではないかな。
いずれ神は、人の中に住むと言われているのに。

> ユダヤの神は、ユダヤ人のものでしかないの。
> ミカの預言書をお読みなさい。
具体的な場所を指示していただけるかな。

> イスラム教でも、
> 他の民は十戒どおりに迫害してはならないはず。

> >そのような事は、どこに書いてあるのだろうか?
> では、何故イスラム教徒はそうするの?
> 書いてなければしないはずよ。
であるから、どこの事について言っているのであろうか?
多神教徒に対しての迫害であろうか?神は非常に問題のある民族を、
滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。

> >コーランは、トーラーも福音も証ししている。その逆はない。
> やはり、それでは話しにならないわ。
> コーランはキリスト教徒のものではないという証じゃない。
その逆とは、否はないという意味である。
コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、それを、
神の家、祈りの家が証ししている、と言っているのである。

> キリスト教のことをコーランで解くのはおよしなさい。
> キリスト教のことは、新約と旧約と両者の伝承によって
> 話しなさい。
偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?
598マリア:01/11/11 01:55
>タリバンと比べるのは意味がない。
>彼らは、聖書を学んでいるのであろうか?
>そうすれば、完全に文字通りやっていると言えるのであるが。
そういうことよ。結局はいくら良い法を作っても
人間側の解釈で、様々になってしまうの。

公会議は、ユダヤの秘儀の通りにやっているけど、
そこから出たことをどう解釈するかで、
良くなったり悪くなったりするのよ。
だから、秘儀によって解く事を忘れてはいけないの。

ユダヤの秘儀継承者達も、ここ最近2000年で
黒魔術に嵌っていく人が多い。寂しいことよ。
そして、キリスト教にもイスラム教にも
足を引っ張る呪術者がいる。

>神が追い出したのではなかったか?
秘儀で解けば、神は新たな試練を民に与えたとなるの。

>イエスは、天と地の一切の権能を有している。
>彼がする事であるが。
ええ。キリスト教ではそうよ。コーランでは?

>あまり良く理解されていないようだ。
ええ。民の混乱を避けるために、他の説をわざと用意したのよ。
もうときも近いし、別に出してもいいでしょう。
時が来れば、また戻ってくるわ。
599マリア:01/11/11 02:31
>しかし、このような事は初めて聞いたが、キリスト教徒には、
>このような考えの方が、多くいるのであろうか?
旧教系統の教会なら、
公会議での決定や聖人たちの言葉等を当てる。
正しい読み方が出来ないと、死の木への道へ
自分や人を追いやって滅ぼしてしまうから。
ただ、その解釈が狂った時代もあるわ。
それは、ユダヤ人たちと一緒ね。

>広義においては正であるが、狭義においては否である。
いいえ。狭義で解くなら、広義は必要ないわ。

>しかし、世に執着するものが
>狭義の偶像をも持つのではないかな。
>いずれ神は、人の中に住むと言われているのに。
人の信仰がどこにあるかということなのよ。
自分が作り上げた偶像を信仰しているか、神を信仰しているか。
当時、その地方にいた人は、偶像の中に人が入り、
神託と称して人々を搾取していたの。
人々も、それを知っていながら怖いから従っていたのよ。
600マリア:01/11/11 02:32
>具体的な場所を指示していただけるかな。
もし知らないなら、4章よ。
この章は、平和が来ることを預言したもの。全部読んで。
そして、5節にこうあるわ。
全ての民は皆、自分の神の名によって歩むが、
我々は、神である主の御名によって歩む。

>多神教徒に対しての迫害であろうか?
そうよ。あたし達にも目が向くようになって来ているからね。
ユダヤ人の神社好きは、一見異様だけれども。
まぁ、これはね・・・。

>神は非常に問題のある民族を、
>滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。
いいえ。全部人にやらせているのよ。
裏を返せば、人が勝手にやっているの。
本当に神が滅ぼす時は、天災によって滅ぼすわ。
601マリア:01/11/11 02:32
>その逆とは、否はないという意味である。
>コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、
>それを、神の家、祈りの家が証ししている、
>と言っているのである。
では、やっぱりキリスト教には関係ないわ。
イスラム教の「神の家」「祈りの家」だからよ。

>偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
>伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?
ならば、もう分かりきったことよ。
ユダヤ教とも、キリスト教とも、イスラム教は関係ないのよ。
ただ、トーラーと福音の文字だけを
持って行った教えということになるの。
そこには、ユダヤの秘儀もなければ、
新約の秘儀もないのだからね・・・。
602マリア:01/11/11 03:11
>>596ごめんね。前後してしまったわ。
>そのような事は、聖書のどこに書いてあるのであろうか?
全部聖書に書いていると考える癖がある内は、
ユダヤ教のことも、各種旧教系の教えのことも理解できないわよ。

>貴方は、私の質問に答えられないようだ。
では、あたしの質問に答えることよ。
なぜなら、あなたは人の感情によって話しているから、
あたしは聞き入れないのよ。
あたしの質問が分かれば、理解できるはずよ。

>神は愛である事であろうか。しかし、偶像を愛している人達がいる。
>神を愛するなら神におり、偶像を愛するならどこにいるのであろうか。
偶像の定義が分かっていないからよ。
前のスレに、当時の背景が書いてあるから、それが答えよ。

>ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、
>行なう者は、全て入れると書いてあるが。
なら、ユダヤ人の秘儀も、旧教系の秘儀も
理解できるはずなのに、どうして理解できないの?
603マリア:01/11/11 03:24
全ては解釈の異なるところから生じた争い。
互いの秘儀を互いに人の感情で判断するから
理解できないところから出た争い。

互いに理解できるようになれば、
そのときこそ神は人に宿り、再びひとつになれる。
イスラムの出現は、秘儀から解けばそういう意味もあるのよ。
604名無しさん@1周年:01/11/11 19:59
603は自称霊能者
605名無しさん@1周年:01/11/11 23:16
603
は危険人物
だまされるな
606名無しさん@1周年:01/11/12 01:23
>>598 >マリアさん
> >タリバンと比べるのは意味がない。
> >彼らは、聖書を学んでいるのであろうか?
> >そうすれば、完全に文字通りやっていると言えるのであるが。
> そういうことよ。結局はいくら良い法を作っても
> 人間側の解釈で、様々になってしまうの。
人間の解釈ではないが。ユダヤ教徒やキリスト教徒たちの聖典を、
知らぬ事がないように、とコーランに書いてある。

> 公会議は、ユダヤの秘儀の通りにやっているけど、
> そこから出たことをどう解釈するかで、
> 良くなったり悪くなったりするのよ。
> だから、秘儀によって解く事を忘れてはいけないの。
当然、聖霊は解釈を間違えないように預言するのではないかな。

> >神が追い出したのではなかったか?
> 秘儀で解けば、神は新たな試練を民に与えたとなるの。
であるなら・・・、
> イスラム教=非ユダヤ人が何故ユダヤ人の領域を勝手に管理するの?
> あそこは、ユダヤ人のためのものよ。おかしいじゃない。
この文章が成り立たなくなるが。

> >あまり良く理解されていないようだ。
> ええ。民の混乱を避けるために、他の説をわざと用意したのよ。
> もうときも近いし、別に出してもいいでしょう。
> 時が来れば、また戻ってくるわ。
神がいらないから契約の櫃をつぶしたとか、青銅の蛇がいなければ
櫃はいらないとか、あまりいいかげんな事は言わない方が良いと思うが。

>>599
> 当時、その地方にいた人は、偶像の中に人が入り、
> 神託と称して人々を搾取していたの。
> 人々も、それを知っていながら怖いから従っていたのよ。
これは、ある一部の例にすぎないのではないだろうか。
アシェラ像の中にも、人が入っていたのであろうか?
青銅の蛇は、香を焚かれていただけではなかったか?
607名無しさん@1周年:01/11/12 01:28
北部同盟万歳
608名無しさん@1周年:01/11/12 01:30
>>600 >マリアさん
> >具体的な場所を指示していただけるかな。
> もし知らないなら、4章よ。
> この章は、平和が来ることを預言したもの。全部読んで。
> そして、5節にこうあるわ。
> 全ての民は皆、自分の神の名によって歩むが、
> 我々は、神である主の御名によって歩む。
これは、神が唯一であることを否定している文章とは思えないが?

> >神は非常に問題のある民族を、
> >滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。
> いいえ。全部人にやらせているのよ。
> 裏を返せば、人が勝手にやっているの。
> 本当に神が滅ぼす時は、天災によって滅ぼすわ。
神は人も使って、滅ぼしたり散らしたりしているのではないかな。

> >その逆とは、否はないという意味である。
> >コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、
> >それを、神の家、祈りの家が証ししている、
> >と言っているのである。
> では、やっぱりキリスト教には関係ないわ。
> イスラム教の「神の家」「祈りの家」だからよ。
十字軍で取りに行ったのではなかったかな?

> >偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
> >伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?
> ならば、もう分かりきったことよ。
> ユダヤ教とも、キリスト教とも、イスラム教は関係ないのよ。
> ただ、トーラーと福音の文字だけを
> 持って行った教えということになるの。
> そこには、ユダヤの秘儀もなければ、
> 新約の秘儀もないのだからね・・・。
一部の預言を除いて、トーラーも福音も、全ての人々への御国の
招待状であり、秘儀など無くても理解できる様になっているの
ではないかな。聖職者の腐敗は、避けられないのであるから。
609名無しさん@1周年:01/11/12 01:37
>>602
> >神は愛である事であろうか。しかし、偶像を愛している人達がいる。
> >神を愛するなら神におり、偶像を愛するならどこにいるのであろうか。
> 偶像の定義が分かっていないからよ。
> 前のスレに、当時の背景が書いてあるから、それが答えよ。
上に疑問を呈しておいた。

> >ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、
> >行なう者は、全て入れると書いてあるが。
> なら、ユダヤ人の秘儀も、旧教系の秘儀も
> 理解できるはずなのに、どうして理解できないの?
密教・秘教、隠された教義・奥義は、無限大にある。
そして、キリスト教派内ですら、また多くの違ったものを持っている。
特定しなければ、何を指すかも分からないが。

>>603
> 互いに理解できるようになれば、
> そのときこそ神は人に宿り、再びひとつになれる。
> イスラムの出現は、秘儀から解けばそういう意味もあるのよ。
多くの先の者はあとになり、あとの者は先になると書いてあるが。
610マリア:01/11/12 11:14
>>606
>人間の解釈ではないが。ユダヤ教徒やキリスト教徒たちの聖典を、
>知らぬ事がないように、とコーランに書いてある。
けど、文字しか知らない。それはなぜかしら?
時が来ていないからよ。

>当然、聖霊は解釈を間違えないように預言するのではないかな。
ならば、何故時は来なかったのかしら?

>この文章が成り立たなくなるが。
いいえ。やはり今は互いに異教徒ということよ。

>神がいらないから契約の櫃をつぶしたとか、青銅の蛇がいなければ
>櫃はいらないとか、あまりいいかげんな事は言わない方が良いと思うが。
いいえ。そうなるのよ。

>これは、ある一部の例にすぎないのではないだろうか。
>アシェラ像の中にも、人が入っていたのであろうか?
>青銅の蛇は、香を焚かれていただけではなかったか?
ええ。そこからのお告げだといえば、人が入っていることと同じ。
何とでも言えるものよ。
だから、秘儀によって解かねばならないのよ。
611マリア:01/11/12 11:28
>これは、神が唯一であることを
>否定している文章とは思えないが?
それは正解であり、正解でなく、また正解よ。
全ての聖なるものは、同じ所から出ているから、正解。

>神は人も使って、
>滅ぼしたり散らしたりしているのではないかな。
さて?それはどうかしら?
十字軍は間違いであったし、
イスラエルのパレスチナ侵攻も間違い。
神に忠実な異教徒を殺すのは、間違っているわ。
イスラム教に基づき、他の民を根絶やしにするのも間違い。
だから、間違い。

>十字軍で取りに行ったのではなかったかな?
はて?キリスト教の神の家は、キリスト教の神の家。
ユダヤ教の神の家は、ユダヤ教の神の家。
イスラム教の神の家は、イスラム教の神の家。
どけもこれも、同じ所から出ているけど、
今はまだ関係のないもの。

>一部の預言を除いて、トーラーも福音も、
>全ての人々への御国の招待状であり、
>秘儀など無くても理解できる様になっているの
>ではないかな。聖職者の腐敗は、避けられないのであるから。
いいえ。それを人の文字で読むなら神のものではない。
それを人の言葉で聞くなら、神のものではないわ。
人が作った神ものよ。これは、偶像よ。
612マリア:01/11/12 11:36
>密教・秘教、隠された教義・奥義は、無限大にある。
>そして、キリスト教派内ですら、
>また多くの違ったものを持っている。
>特定しなければ、何を指すかも分からないが。
今分からないのなら、時が来れば分かるわ。

>多くの先の者はあとになり、
>あとの者は先になると書いてあるが。
古の秘儀によって、人々は神を知る。
多くの先の者=人の言葉での解釈、
人の文字によって読む解釈を神のものとする者の多く。
613マリア:01/11/12 11:44
さて、時を急ぐようだから、これで〆にしましょう。

神の言葉は、人の言葉や文字によって解いてはならない。
なぜなら、人の言葉は人のものであり、
その文字も人のものであるから。
これらによって解くなら、もはや神のものではない。
その裏に隠されている神の意思を読まなければならない。

ただし、それらはある時は神を知る助けとなる場合もある。
そして、ある時は助けにならない。死の木に向かう場合もある。
よって、否であり、正であり、否である。
614マリア:01/11/12 11:47
あら、訂正。
>ただし、それらはある時は神を知る助けとなる場合もある。
これを一番最後にしてね。
615マリア:01/11/12 12:03
青銅の蛇について

青銅の蛇は神によって与えられたもの。
しかし、何故それが必要だったのか?
それは、人は弱いものだからよ。

神の行われた技の、記念・記憶・賛美のために、
二度と忘れないように。十戒と共に置かれたもの。

カトリックの聖像について
神と共に生きた者、あるいは全てを神に任せ従った者の、
記念・記憶・賛美のためのもの。
あるいは、人として現れた人の子=子なる神である
キリストであるイエズスの、記念・記憶・賛美のためのもの。
これを秘儀で解けば、偶像ではない。となる。
その像は神や聖人として拝むためのものでなく、
思い起こすためのものであるから。

もし、それを神であり、聖人であると拝むなら、
それは既に人が作った物。妄想である。
人の言葉や文字を神であると拝むのと同じである。
616マリア:01/11/12 12:13
人が古の秘儀によって全ての聖典を解くことを思い出した時、
聖櫃は戻ってくる。青銅の蛇も戻ってくる。
エルサレムは正なる都として再び輝きを取り戻す。

その時は、終わりであり、始まりである。
全てが一つとなり、互いに証し合える。
もはや、聖地は異邦人のものでもなくなるわ。
神の民のものになる。
これを嫌うものは、自ら滅びへの道を歩むわ。

その古の秘儀は、皆知っていて知らないというもの。
617ヌマツダ:01/11/12 18:43
なぜならメシアはあらゆる敵をその足もとに置くときまでは、
支配を続けることになっているからである。
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
(コリントT15:25〜26、詩編110:1)
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、
次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。
なぜなら自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
(ヘブル7:27)
しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
私達は律法から解放され、
その結果、古い文字によってではなく、
新しい霊によって仕えているのである。
(ローマ7:6)
神は私たちに力を与えて新しい契約に、仕える者とされたのである。
それは文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。
(律法の)文字は人を殺し、(キリストの)霊は人を生かす。
(コリントU3:6)
わたしたちは、四方から艱難を受けても窮しない。
途方に暮れても行き詰まらない。
迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。
(コリントU4:8〜9)
なぜなら患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、
練達は希望を生み出す事を知っているからである。
そして希望は失望に終わる事はない。
なぜなら私達に賜っている聖霊によって、
神の愛が私達の心に注がれているからである。
(ローマ5:3〜5)
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてある通り、
それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じている。それ故信じている。
(コリントU4:13、詩編116:10)
それとも
「神は私達の内に住まわせた霊を嫉むほどに愛しておられる」
と、聖書に書いてあるのは、虚(むな)しい言葉だと思うのか。
618ヌマツダ:01/11/12 18:44
(ヤコブ4:5、イザヤ54:8)
何よりもまず、お互いの愛を熱く保ちなさい。
愛は多くの罪をおおうものである。
不平を言わずに、互いにもてなし合いなさい。
(ペテロT4:8〜9)
語る者は、神の御言葉(みことば)を語る者にふさわしく語り、
奉仕する者は、
神から賜る力による者にふさわしく奉仕するべきである。
それは、すべてのことにおいて、
イエズス・キリスト(=ヨシュア・メシア、ヘブライ語)によって、
神があがめられるためである。
栄光と力とが代々限りなく、彼にあるように、アーメン。
(ペテロT4:11)
このように、いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは愛である。
(コリントT13:13)
そして、善を行う事と施しをする事とを、忘れてはいけない。
神は、このようないけにえを喜ばれる。
(ヘブル13:15)
最後に言う。
主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。
(エフェソ6:10)
 マラナ タ(アラム語)
われらの主よ、来りませ。
(コリントT16:22、ヨハネ黙示録22:20)
619ヌマツダ:01/11/12 18:45
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒(いか)りに任せなさい。なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのするところである。
わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
(ローマ12:19、ヘブル10:30、申命記32:35)
「あなたがたの律法に、
『わたしは言う、あなたがたは神々である』
と書いてあるではないか。」
(ヨハネ福音書10:34、詩編82:6)
「この世の子らは、めとったり、嫁いだりするが、
かの世に入って死人からの復活にあずかるにふさわしい者達は、
めとったり、嫁いだりすることはない。
彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、
神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
(ルカ20:34〜36)
死人の復活も、また同様である。
朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、
ヨワイものでまかれ、ツヨイものによみがえり、
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
(コリントT15:42〜44)
なぜならメシアはあらゆる敵をその足もとに置くときまでは、
支配を続けることになっているからである。
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
(コリントT15:25〜26、詩編110:1)
620ヌマツダ:01/11/12 18:46
舌は火である、不義の世界である。
舌は私達の器官の一つとして備えられたものであるが、
全身を汚し生存の車輪を燃やし、自ら地獄の火で焼かれる。
私達は舌で父である主を賛美し、
また舌で神にかたどって造られた人間を呪います。
(ヤコブ3:6、3:9)
キリストは私達の為に、呪いとなって、
私達を(旧約)律法の呪いから贖(あがな)い出して下さった。
(旧約)聖書(申命記)に「木に架けられた者は呪われる」
と書いてある。
それはアブラハムの受けた祝福がイエズス・キリストにあって、
異邦人に及ぶ為であり、約束された御霊(みたま)を、
私達が信仰によって受ける為である。
(ガラテア3:13〜14、申命記21:23)
なぜなら人は心に信じて義とされ、
口で告白して救われるからである。
(ローマ10:10)
ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、
ただ神の憐(あわ)れみによるのである。
(ローマ9:16)
憐れみを行わなかった者に対しては、
仮借のない裁きが下される。
(神の)憐れみは(終わりの日の)裁きに打ち勝つ。
(ヤコブ2:13)
621ヌマツダ:01/11/12 18:47
 ホサナ メンブロメ バルカンマ アドナイ。(ヘブライ語)
いと高きところの者よ救いを賜え、
主のみ名によって来たる者に祝福あれ。
(ニコデモ福音書=ピラト行伝)
私達があなた方に伝えた事は、私自身、主から受けたものです。
即ち主イエズスは引き渡される夜、
パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、
『これは、あなた方の為の私の体である。
私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また食事の後で杯も同じようにして、
『この杯は、私の血によって立てられる(エレミヤの)新しい契約である。
飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい。』
と言われました。
だから、あなた方は、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。
(コリントT11:23〜26、エレミア31:31〜34)
さて、カイザリアにコルネリオという名の人がいた。
イタリア隊と呼ばれた部隊の百卒長(ひゃくそつちょう)で、
信心深く、家族一同と共に神を敬い、
民に数々の施しをなし、絶えず神に祈っていた。
(使徒10:1〜2)
622ヌマツダ:01/11/12 18:48
イエズスは答えられた、「第一の戒(いまし)めはこれである、
『シェマァ、イスラエる。 アドナイ エろヘ-ヌ、アドナイ エはっド。
 ヴェアはヴッタ エット アドナイ エろヘーは。
 ベほる れヴァヴェはー、ウヴゥほる ナフシェはー、ウヴゥほる メオデはー、』
(ヘブライ語:申命記6:4〜5)
『イスラエルよ、聞け。
主(しゅ)なる私達の神は、ただ独りの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
(マルコ12:29〜30、マタイ22:34〜40、ルカ10:25〜28、申命記6:4〜5)
予言者や夢占いをする者があなた達の中に現れ、
しるしや奇跡を示して、そのしるしや奇跡が言った通り実現した時、
「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」
と誘われても、
その予言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。
あなたの神、主はあなた達を試し、心を尽くし、魂を尽くして、
あなたの神、主を愛するかどうか知ろうとされるからである。
(申命記15:2〜4)
偶像造りの野心は王を知らない人をも駆り立てて、
偶像崇拝を広めさせた。
彼は権力者に取り入るため、
腕を振るって肖像を実際よりも美しいものに作り上げた。
多くの人は職人の見事なわざに引かれ、
先程まで人間として敬っていた者を、
今や礼拝の対象と見なすようになった。
この事は人間の生涯にとって罠となった。
災難や権力に支配された人々が、神聖な名を石や木に与えたから、
(知恵の書14:18〜21)
623ヌマツダ:01/11/12 18:48
命のないものに望みを賭ける人々は惨めだ。
彼らは人の手で造られたものを神々と呼ぶ。
技術の生み出した金銀の作品、動物の像、
昔の人が加工した役に立たない石などを。
(知恵の書13:10)
彼らは神を知る点で間違っただけではない。
無知から生じた大きな戦いのうちに生きながら、
次のような悪事を平和と呼んでいる。
流血と殺害、盗みと偽りが至るところにあり、
堕落、不信、騒動、偽証、
善人への迫害、恩恵の忘却、魂の汚染、性の倒錯、
結婚の乱れ、姦淫、好色が至るところにある。
(知恵の書14:22、26)
命のないものに命を乞い、全く経験のないものに助けを求め、
自分の足さえ使えないものに旅の安全を願う。
(知恵の書13:18)
624ヌマツダ:01/11/12 18:49
律法の全体は、
「デウテラ デ ホモイア アウテ、
 アガペーセイス トン ペレーシオン スー オース セアウトン」(ギリシャ語)
「δευτερα δε ”оμοια αυτη”
 αγαπησειζ τον πλησιον σου
 ωζ σεαυτον.」(ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ22:39)
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という、
この一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互いにかみ合い、食い合っているなら、
あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう。
(ガラテア5:14〜15,マタイ22:39,マルコ12:31,ルカ10:27,レビ19:18)
なぜなら律法をことごとく守ったとしても、
その一つの点に落ち度があれば、
全体を犯したことになるからである。
たとえば「姦淫(かんいん)するな」と言われた方は、
また「殺すな」とも仰せになった。
そこで、たとい姦淫はしなくても人殺しをすれば、
律法の違反者になったことになる。
だから自由の律法によって裁かれるべき者らしく語り、
かつ行いなさい。
(ヤコブ2:10)
互いに愛し合う事の外は何人にも借りがあってはならない。
人を愛する者は律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、貪(むさぼ)るな」
など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局、
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
と言う、この言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。
だから愛は律法を完成するものである。
(ローマ13:8〜10,レビ19:18)
625ヌマツダ:01/11/12 18:49
兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。
怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、
すべての人に対して寛容でありなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、
お互いに、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのものを識別して、良いものを守り、
あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
(テサロニケT5:14〜17、21〜22)
みことばを教えてもらう人は、教える人と、
すべて良いものを分け合いなさい。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、
霊にまくモノは、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
私達は、善を行うことに、うみ疲れてはならない。
たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、
とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
(ガラテア6:6、6:8〜10)
あなたが知っている通り彼においては、信仰が行いと共に働き、
その行いによって信仰が全うされ、
こうして「アブ・ラハム(多くの父)は神を信じた。
それによって彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、
そして彼は「神の友」と唱えられたのである。
(ヤコブ2:22〜23、イザヤ41:8、創世記15:6)
626ヌマツダ:01/11/12 18:50
私(イエズス)の弟子であるという名のゆえに、
この(キリストの)小さい者のひとりに
冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、
決してその報いからもれることはない。
(マタイ10:42)
霊魂の無い体が死んだものであると同様に、
行いの無い信仰も死んだものなのである。
(ヤコブ3:26)
人は言う、「彼の手紙はオモミがあって力強いが、
会って見ると外見弱々しく、話はつまらない」。
(コリントU10:10)
多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
あなた方は賢い人たちなのだから、
喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
実際、あなた方は奴隷にされても、
食い倒されても、略奪されても、
いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。
言うのも恥ずかしい事だが、私達は弱すぎるのだ。
もしある人があえて誇るなら、
わたしは愚か者になって言うが、私もあえて誇ろう。
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
(コリントU11:18〜21)
627ヌマツダ:01/11/12 18:51
すると、どこに私達の誇りがあるのか。全くない。
なんの法則によってか。行いの法則によってか。
そうではなく、信仰の法則によってである。
私達は、こう思う。
人が義とされるのは、(割礼の)律法の行いによるのではなく、
信仰によるのである。
それとも、神はユダヤ人(ヘブルびと)だけの神であろうか。
また、異邦人の神であるのではないか。
確かに、異邦人の神でもある。
まことに神は唯一であって、
割礼のある者(ユダヤ人)を信仰によって義とし、
また無割礼の者(異邦人)をも信仰のゆえに義とされるのである。
(ローマ4:27〜30)
なぜなら、律法を行うことによっては、
すべての人間は神の前に義とせられないからである。
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
(ローマ4:20)
欲が孕んで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
(ヤコブ1:15)
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
(コリントT15:56)
そこで、律法によっては、
神の御前に義とされる者は一人もないことが、明らかである。
なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
(ガラテア3:11、ハバクク2:4)
私達の行った義のみわざによってではなく、
ただ神の憐(あわ)れみによって再生の洗いを受け、
聖霊により新たにされて私達は救われたのである。
この聖霊は私達の救い主イエズス・キリストを通して、
私達の上に豊かに注がれた。
(テトス3:5〜6)
628ヌマツダ:01/11/12 18:52
’アーレフ Bベース Gギメル Dダーレス Hヘー Wワーウ Zザイン Hヘース Tテース Yヨード
Kカーフ LラーメドMメーム Nヌーン Sサーメク ’アイン Pペー Sツァーデ Qコーフ Rレーシュ
Sシーン Tターウ
αアルファβベータγガンマδデルタεイプシロンζゼータηイータθシータιイオタ
κカッパλラムダμミューνニューξクサイοオミクロンπパイρローσシグマτタウ
υユプシロンφファイχカイψプサイωオメガ
ΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩ
629ヌマツダ:01/11/12 18:54
【 聖書要略 】
ラ パラブラ デ ディオス エスペランサ パラ トダス
 使徒信経
われは天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、
またその御(おん)独り子、
我らの主(しゅ)イエズス・キリスト、
すなわち聖霊(せいれい)によりて宿(やど)り、
童貞マリア(=マリヤム=マリハム)より生まれ、
(サンヒドリン=ユダヤ最高法院の大祭司長カイヤファによって)
(ローマ帝国ユダヤ属州ポンティウス・ピラト総督=)
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、
十字架に付けられ、死して葬られ、
古聖所に降りて、三日目に死者のうちより甦(よみがえ)り、
天に昇りて全能の父なる天主の右に座し、
かしこより、
生ける人と死せる人とを裁かん為に来り給う主を信じ奉る。
われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、
罪の赦し、肉身の甦(よみがえ)り、終わりなき命を信じ奉る。
アーメン。
(マタイ1:1〜25、27:1〜66、28:1〜20)
(マタイ22:44、マルコ12:36、ルカ20:42、詩編110:1、テモテ3:16)
 主の祈り
天にまします我らの父よ.
願わくは、み名の尊まれんことを、み国の来らんことを、
み旨(むね)の天に行わるる如(ごと)く、
地にも行なわれんことを、
我らの日用の糧を、今日われらに与えたまえ。
我らが人に赦す如く、我らの罪を赦したまえ。
我らを試みに引き給(たま)わざれ。
我らを悪より救い給え。
アーメン。
(マタイ6:9〜13、ルカ11:2〜4)
 栄唱
願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを、
初めに在(あ)りし如く、
今も何時(いつ)も代々(よよ)に到るまで。
アーメン。
630マリア:01/11/12 18:59
これらを人の言葉で聞き、人の文字によって解いてはならない。
神を偶像の中に入れようとする者は、死に向かうわ。
631ヌマツダ:01/11/12 18:59
公教会祈祷文(中央出版社)カトリック中央協議会編

聖体拝領後の祈 七六頁
【 キリストに向う祈(聖イグナシオ)アニマ・クリスティ 】
願わくはキリストの御魂(おんたましい)われを聖ならしめ、
キリストの御体(おんからだ)われを救い、
キリストの御血(おんち)われを酔わしめ、
キリストの御側腹(おんわきばら)より滴りし水われを潔(きよ)め、
キリストの御受難(ごじゅなん)われを強(つよ)めんことを。
慈愛深きキリスト、わが願いを聴き容(い)れ、
御傷(おんきず)のうちにわれを隠したまえ。
主を離るるを許し給わず、悪魔のわなよりわれを護り給え。
臨終の時にわれを招き、主の御許(おんもと)にいたらしめ、
諸聖人と共に、世々に主を賛美するを得しめ給え。
アーメン。
632ヌマツダ:01/11/12 19:00
【 霊操 】イグナチオ・デ・ロヨラ著
第二週 第四日 二つの旗についての黙想[第一部 ルシフェルの旗]

第一要点 すべての敵の首領が、
・・・炎と煙の大玉座に座しているすさまじい姿を想像する。

第二要点 ルシフェルが数限りない悪魔を呼び集め、
・・・散開させ、全世界に送ることを考察する。
どんな地方でも、・・・、どんな人物であろうとも、
ルシフェルはその一つをも見落とさないのである。

第三要点 ルシフェルが配下にする説教を考察する。
人々に網を投げ、鎖をからめるように勧めている様を考察する。
まず第一に、富への欲望をもって人々をいざない、
それによってもっと自然に世の空しい名誉を抱くようになり、
ついに底知れない傲慢に一層たやすく陥るようにさせる。
・・・。従って、・・・。ルシフェルは人々を
この三段階から他のあらゆる悪徳に引きずり込むのである。
633ヌマツダ:01/11/12 19:35
acts: 2: 4
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
acts: 5: 9
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
acts: 6: 3
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
acts: 6:10
しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
acts: 8:29
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
acts:10:19
ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
acts:11:12
そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家にはいって行きました。
acts:11:28
その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
acts:16: 7
こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
acts:19:21
これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
acts:21: 4
私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
634ヌマツダ:01/11/12 19:36
rom: 1: 4
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
rom: 1:11
私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
rom: 2:29
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
rom: 7: 6
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
rom: 8: 2
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
rom: 8: 4
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
rom: 8: 5
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
rom: 8: 6
肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
rom: 8: 9
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
rom: 8:11
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
rom: 8:13
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
635ヌマツダ:01/11/12 19:36
rom: 8:14
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
rom: 8:15
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
rom: 8:16
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
rom: 8:23
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
rom: 8:26
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
rom: 8:27
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
rom:15:19
また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。
rom:15:30
兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
636ヌマツダ:01/11/12 19:38
1cor: 2: 4
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
1cor: 2:10
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
1cor: 2:11
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
1cor: 2:12
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
1cor: 2:13
この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
1cor: 2:14
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
1cor: 2:15
御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
1cor: 3: 1
さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
1cor: 3:16
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
1cor: 6:11
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
1cor: 7:40
私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただいていると思います。
1cor: 9:11
もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。
1cor:10: 3
みな同じ御霊の食べ物を食べ、
1cor:10: 4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
637ヌマツダ:01/11/12 19:38
1cor:12: 1
さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
1cor:12: 3
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
1cor:12: 4
さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
1cor:12: 7
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
1cor:12: 8
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
1cor:12: 9
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
1cor:12:11
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
1cor:12:13
なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
1cor:14: 1
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
1cor:14:12
あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。
1cor:14:37
自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
1cor:15:44
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
1cor:15:45
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
1cor:15:46
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
638ヌマツダ:01/11/12 19:39
2cor: 1:22
神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。
2cor: 3: 3
あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
2cor: 3: 6
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
2cor: 3: 8
まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
2cor: 3:17
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
2cor: 3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2cor: 5: 5
私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。
639ヌマツダ:01/11/12 19:39
gal: 3: 2
ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
gal: 3: 3
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
gal: 3: 5
とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
gal: 3:14
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
gal: 4: 6
そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
gal: 4:29
しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。
gal: 5: 5
私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
gal: 5:16
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
gal: 5:17
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
gal: 5:18
しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
gal: 5:22
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
gal: 5:25
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
gal: 6: 1
兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
gal: 6: 8
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
640ヌマツダ:01/11/12 19:40
eph: 1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
eph: 2:18
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
eph: 2:22
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
eph: 3: 5
この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
eph: 3:16
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
eph: 4: 3
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
eph: 4: 4
からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
eph: 5:18
また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
eph: 6:17
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
eph: 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
641ヌマツダ:01/11/12 19:42
phil: 1:19
というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
phil: 2: 1
こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
phil: 3: 3
神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
col: 1: 8
私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。
1thess: 5:19
御霊を消してはなりません。
2thess: 2:13
しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
1tim: 4: 1
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
heb: 9:14
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
heb:10:29
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
jas: 4: 5
それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。
642ヌマツダ:01/11/12 19:42
1pet: 1: 2
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
1pet: 1:11
彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
1pet: 4:14
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
1john: 3:24
神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。
1john: 4:13
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
1john: 5: 6
このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
1john: 5: 8
御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
jude:19
この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
643ヌマツダ:01/11/12 19:44
rev: 1: 4
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
rev: 1:10
私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
rev: 2: 7
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
rev: 2:11
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』
rev: 2:17
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』
rev: 2:29
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3: 1
また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
rev: 3: 6
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3:13
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3:22
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」
rev: 4: 2
たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
rev: 4: 5
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
644ヌマツダ:01/11/12 19:44
rev: 5: 6
さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。
rev:14:13
また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
rev:17: 3
それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。
rev:21:10
そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
rev:22:17
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
645ヌマツダ:01/11/12 19:45
matt: 3:16
こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
matt: 4: 1
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
matt:10:20
というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
matt:12:28
しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
matt:22:43
イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
mark: 1:10
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
mark: 1:12
そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
luke: 2:27
彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。
luke: 4: 1
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
luke: 4:14
イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
luke: 4:18
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
646ヌマツダ
john: 1:32
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
john: 3: 5
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
john: 3: 6
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
john: 3: 8
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
john: 3:34
神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。
john: 6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
john: 7:39
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
john:14:17
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
john:15:26
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
john:16:13
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
john:16:14
御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
john:16:15
父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。