金光教はどうでしょう

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1学生
金光教について話しませんか?
現在信者の方も、そうでない方も、
もしいらっしゃったら、金光教会の先生も、
金光教について話してほしいです。
私は現在信者ではないですが、非常に興味を持っています。
よろしくお願いします。
2名無しさん@1周年:01/10/01 16:54
定期的に金光教スレが立つな。最高でも30スレッド程度で落ちていく・・・。

どんなことに興味があるのかね?
3学生:01/10/01 20:15
>定期的に金光教スレが立つな。最高でも30スレッド程度で落ちていく・・・
そうなんですか?!
2ch初心者なので、お許しください。

>どんなことに興味があるのかね?
叔母に勧められて、一度近所の教会に行ったのですが、
とても、人のいい中年の女性が、悩み相談みたいな事をしてくれて、
帰りに、おいくらですか?
って聞いたら、そういうものはいりませんと断られました。
特に、お守りを売っているとか、お払いをするとか、
勿論、怪しげな壺を売っているという事もありませんでした。
一体、どういう活動で成り立っている団体なのでしょうか?
また、行ってみたいとは思うのですが、
相談料などは、一切受け取られないようなので、
返って気を使う為、あれから行っていません。
4名無しさん@1周年:01/10/01 21:06
信者が43万人もいるそうだから
それだけいれば御布施で成り立つんでは?
5名無しさん@1周年:01/10/01 21:11
私も信者ではないのですが週1回ほど教会に参ってます。
なんで参るようになったのかというと岩波書店の日本思想体系「民衆宗教の思想」と
いう本に金光教教祖の書が入っていてそれを読んだのがきっかけです。

教祖の言葉に
 「太陽様は、昔から一文もとらずに、守りてござるぞ。そこで金光も
  銭はいらんというのぞ。神様を商法にしてはならぬぞ。」

と書いてあってこれはたいした人やなあと感心したからです。

 「神様へはなんでも願えい。神は、頼まれる役じゃからのう。」

これも教祖の言葉です。これを知って気持ちが楽になって通うようになりました。
6名無しさん@1周年:01/10/01 21:12
現教祖の旦那って、テレ朝のワイドショウで梨元と組んでる人だよ。
7名無しさん@1周年:01/10/01 21:15
かつて太陽を信じるとか言うスレがあったのを思い出したよ
8名無しさん@1周年:01/10/01 21:22
基本的には、お布施だけで運営している。
お布施の強要はしないので、つぶれかけている教会や、
合併する教会もあるが、近年、大きくなった教会もあって、いろいろだね。

全ての教会は独立採算性なのだ。。

>相談料などは、一切受け取られないようなので、
>返って気を使う為、あれから行っていません。
教会は悩みを聴いてたすかってもらうのが仕事だから、、、
気を使わずに行きたい時に行けば良いです。

これは一つの提案
どうしても何か気を使うのであれば、定期的に
日本酒をお供え・・・なんてどうかな
贈答品の感覚で
御神酒はかならず神前にお供えしてるから悪くない・・・と思う。

まあ、気が向いた時、行けばよい・・・という気がする
あまり気をつかわずに
9名無しさん@1周年:01/10/01 21:24
>>6
教祖は死にました。教主は男です。
あなたが言ってるのはUディレクターのことだな。
彼の奥さんは東京の某教会の教師だが、教祖じゃないよ
10学生:01/10/01 21:39
丁寧なレス有難うございます。
もう一つ、質問なのですが、
私が教会に行った時に、先生が言われた事で、
印象に残っているのが、
「あなたが、お願いした事があなたの思い通りにならなくても、
神様にお願いして、そうなった事なので神様にお礼を言わなく
てはなりません」
と言われたように記憶しています。
素人の解釈なので、間違っているのかも知れませんが・・・
これは、どういう意味なんでしょう?
つまり、ご利益がなくても、感謝しないといけないって事でしょうか?
そうだとしたら、理不尽な事だと思います。
11響灘のフク(8と9):01/10/01 22:09
おお、こちらこそどうも。

さてさて。
>「あなたが、お願いした事があなたの思い通りにならなくても、
>神様にお願いして、そうなった事なので神様にお礼を言わなく
>てはなりません」
なるほど・・・ね。
いきなりむつかしいところに行きましたね。
これは信仰の要諦で、肝心かなめの精神なんだけど、
最初はそんなことあまり気にしなくていいと思う。
(その先生には申し訳ないが・・・)

でもまあ、ここは私の考えるところ・・・長くなるけども。
えっとと、まず
1(神様にお願いしたことは、必ず神様が聴いてくださる)
  叶えてくれるかどうかは、願った時点では、まだわからない。

2あなたがあなた自身について願っていることが、
 あなたにとって最もよいかどうか、あなたには分からない。
 (神さまにはわかる)

3ゆえに、もしお願いが通らなくても、(それは神さまがあなたの願いを
 無視したのではなく、別の方向がよいと神さまが判断したので)
 その方向を受け入れることがあなたにとって一番よいことである。

と、こういう流れじゃないかな、と思う(あくまで推測ですが)
カッコのなかを、受け容れるのは最初は難しいかもしれんし、
先生は要求するかもしれんが、まあ神さまはそこまであなたに
要求はせんでしょう。大丈夫です。
12名無しさん@1周年:01/10/01 22:12
思い通りになることが一番良いとは限らないしね
13響灘のフク:01/10/01 22:13
スマソ、上の長くなっちゃった。つづき。
(上の「ここ」を押さなくてもつなげて読める)

3ゆえに、もしお願いが通らなくても、(それは神さまがあなたの願いを
 無視したのではなく、別の方向がよいと神さまが判断したので)
 その方向を受け入れることがあなたにとって一番よいことである。

と、こういう流れじゃないかな、と思う(あくまで推測ですが)
カッコのなかを、受け容れるのは最初は難しいかもしれんし、
先生は要求するかもしれんが、まあ神さまはそこまであなたに
要求はせんでしょう。大丈夫だと思います。
14響灘のフク:01/10/01 22:17
>つまり、ご利益がなくても、感謝しないといけないって事でしょうか?
>そうだとしたら、理不尽な事だと思います。
最初は御利益がないと感謝できない。これは当然だよね。
その気持ちはよっく分かる。
御利益のなかった時の言い訳を最初からしてるんじゃないか?
って思うよね。
まあ、でも大抵の場合、特に最初なら、御利益はある・・・。

コツは、普段、別にどうとも思ってなかったことを
わざわざ感謝して、それを数え上げることかな。
美味しくご飯が食べられたとか、
今日も体、手足が動くとか。
くだらんと思うかもしれないが、、、こういうのが案外
効く・・・と思う。

また質問があればどうぞ
15学生:01/10/01 22:54
響灘のフクさん

どうもありがとうございます。
実は、金光教のホームページを見たりして、
この教団が言っていることは、とても真ともだなと感じていたのですが、
どうしても、宗教というとあやしいような気がして、
一度、2chでも覗いてみようかな、と思ったのが本心です。
これだけ叩く人の多い2chで、教義について批判がない
という事は、すごい事なんだと思います。

最初にレスしてくれた人が、30レスぐらいで落ちていくって
書いてらした意味がわかりました。(笑

フクさんの言ってらっしゃる事や、その教会の先生の言ってらっしゃった
事もなんとなく、理解できるつもりです。
今度の休みには、前回のお礼もかねて、
また教会にいってみようと思っています。
16響灘のフク:01/10/01 23:13
(^^)
それはよかった。また何かあったらどうぞ、、
学生さんもお元気で!
17名無しさん@1周年:01/10/02 22:03
知名度が低すぎるんだろうな
叩こうにも材料がないんだろ
ここの宗教叩き教信者の人達は
18名無しさん@1周年:01/10/02 22:43
>>17
金光教の知名度は、決して低くないと思いますよ。
少しでも、宗教に興味を持った人で、
金光教知らない人って、いないと思うよ。
19名無しさん@1周年 :01/10/02 22:50
地味です
20いいね!:01/10/02 23:26
>>17
宗教叩き教・・・ワラタ!
21名無しさん@1周年:01/10/02 23:40
どうなんだろうね?この宗教は?
22挑戦者:01/10/02 23:41
>>金光教信者の皆様へ

「信心をして、そうなった事は、
神様がそうしてくださった事だから、
自分にとってよい事だ、
生神金光大神様にお礼申し上げよう」
では、人間は成長しないように思いますが?
どうでしょう?
23響灘のフク:01/10/03 00:19
「信心」=何もしない ではないですから
人間側の試行錯誤も当然、信心に含まれていると思います。
神に心を向けつつ、コトを行う、ということだと。

自分の力を入れない信心はないけど
自分の力だけに頼むより 信心があったほうがよい、
ということじゃないですかね。
24挑戦者:01/10/03 00:34
>>23
>人間側の試行錯誤
金光教の解釈では、そういう事はバタバタしてるだけって事なのではないですか?
例えば、予防接種に連れて行こうとすると、猫が暴れる。
これは、病気を防いでやろうという人間(神様)の働きを
理解できない猫(人間)が暴れて、人(神様)を引っ掻くって事になるのでは?

難病で苦しむ(ガン、糖尿病、肝硬変・・・何でもいいが)
金光教信者が、その病気で死んだとします。
(金光教を信じていれば、病気が治るって事はないですよね?)
そうすると、金光教の信者の方は、
その死んだ人は、死んだほうがその人の為だったと思うのですか?
25名無しさん@1周年:01/10/03 00:45
素晴らしい質問だよ・・・。

神を引っ掻くことがあるかもしれんが・・・
どちらに進んでも「おかげ」になります、、、という
ような言葉もあるからなあ。。たすかってくれ、と
神が人に頼むような宗教だから・・・。

病気と死については、、、
たとえばキリスト教なんかだと来世があるから
死後の意味はいろいろ説明して納得させられるような回路が
一応あるんだけども。
金光教は来世がないの。で、
「死ぬ用意をするな。生きる用意をせよ」ということなんだなあ・・・

>その死んだ人は、死んだほうがその人の為だったと思うのですか?
無理に解釈して意味づけしないように思うね。
人間にはわからないことがあるし、
人間には寿命もあるんだ、みたいな言葉があるからね。

人が亡くなったら自然に悲し、悼む。それだけだと思うな
26挑戦者:01/10/03 01:01
>>25
では、神様を引っ掻いてもイイってことですか?
ちょっと、私の例えが悪かったかもしれませんが・・・

>人が亡くなったら自然に悲し、悼む。それだけだと思うな
それだと、金光大神を信心して、苦しみながら死んでいった人は
どうなるのですか?
実際、私はそういう人を知っていますが、最期の最期は悲惨でした。
今、思い出しても辛いです。
27名無しさん@1周年:01/10/03 01:34
引っ掻いてもいいと思います。

>それだと、金光大神を信心して、苦しみながら死んでいった人は
>どうなるのですか?
どうなる?どうなるというと、
御利益がなかったじゃないか、っていう意味かな?
そこはわからんのよ。来世があれば、悲惨な死でも
あとに希望をつなげる可能性があるけど。
でも金光教には来世がないから、死に関しては救われようがない。

信心してるのにどうして悲惨な最期を遂げるのか、
信心の甲斐がないじゃないか!というギモンは教祖時代にもあった。
(教典「立原道造の教え」だったかな?うろおぼえ)

そこはどうしようもないと思うよ。金光教の限界というよりは、
人間の運命的な限界だと思うな。いつでもどの時代でも
悲惨な状況の死はありうる、ということじゃないかな・・・。

神を恨むなら恨んでもいいんじゃないですか、、、
罰をあてるような神じゃないと思うから
私にはそれくらいしか言えない スマソ、、、
もう寝ます 続きがあればまた明日、、、
28名無しさん@1周年:01/10/03 02:33
5年前に亡くなった祖父が信者でした。両親と自分は信者ではありません。
祖父は商売してたので「天地金乃神」のご利益があれば、という程度のもの
だったようです。
自分は無宗教、無神論者なんで祖父が入ってた神道系の新興宗教(多少歴史はあ
るけど)程度の認識です。
祖父は >>9 の某教会に行ってました。祖父が亡くなった時はその教会の先生に
来てもらいました。Uさんの奥様も来てましたね。生き生きしていて非常に魅力
的な方でした。
御布施の強要とかは無く、家には神棚とお神酒を捧げる壷(怪しい物ではない)が
あったくらいでしたか。宗教的儀式の部分は、基本的には神道です。変わってる
のは2礼2拍手1礼じゃなくて1礼4拍手1礼なところくらい(笑)。葬儀は神主の先生
が取り行なってました。
29名無しさん@1周年:01/10/03 19:56
なんか仏教の「他力」の教えを彷彿とさせるものが。
30名無しさん@1周年:01/10/03 21:17
うちの地元(関西)に、金光教?の学校(中高)があるよ。
聖職者を養成しているのだろうか?
31名無しさん@1周年:01/10/03 22:13
>>29
すこし似ているかもしれんね。
祭祀・典礼に関しては神道の衣を着ているけど、
精神的な土台はミダの他力に似ていて、
人間の日常については道元の日常生活=修行、
みたいなそういうもんかな。

>>30
聖職者は養成してないと思うね。岡山に学校があるから。 

あ、そうだ、ここで来世がないって言い方をしてるけど、
実際は来世めいたものを教祖は知っていたが信者には教えなかった、
ということみたいなんだよね。今、生きていることに力を注げ、と。。
32名無しさん@1周年:01/10/07 12:56
>>31
岡山の学校? 金光学園のことかな?
聖職者養成学校と言うより有名な進学校だね。
県立高>>>>>>私立高 の岡山では稀な唯一の私立の進学校。
33名無しさん@1周年:01/10/07 15:59
>>32

岡山のトップ高は岡山白陵だろ。

岡山白陵(私立)>>>岡山朝日(県立トップ)だぞ。
東大・京大の合格者が一「ケタ」違う(のに、岡白の生徒数は朝日の3分の1
つーか、全国的に通用する進学校は、岡山では岡白のみ
俺は岡白卒ではないけど。
34名無しさん@1周年:01/10/07 16:00
大阪に金光八尾ってあるけど、あれは金光教系なのか?
35名無しさん@1周年:01/10/07 18:25
>>33
最近は、そうなのか・・・学費が200万円以上かかる学校が・・
広島のような状況にはなって欲しくないな。私立>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>県立
36名無しさん@1周年:01/10/08 14:00
岡山の学校というのは金光学園じゃなくて、金光教学院という
教師養成学校ね。
金光八尾は金光教系です。あと関西福祉大学も
37ま〜も:01/10/08 14:58
いや〜〜、参考になりました。
皆さんよくご存じですね。
東京の新橋に立派な煉瓦作りの教会があって、
その側の会社が取引先なので、良く前を通ります。
どんな宗教かな?と思ってました。
でも、「金」というマ〜クは、ちょっと抵抗が
ありますが。。。
38名無しさん@1周年:01/10/08 20:47
金光学園は広島からの越境入学組で成り立っています。
広島はひどいから...
39名無しさん@1周年:01/10/10 05:16
中には事業もやって儲けてる教会もある。どことは言わないが。
また、先生とやらも、やたら威圧的で威張ってる人もいる。
人の言うことも聞かず、決めつけて「だからあなたはダメなんだ」と言う。
段々大きなお世話だと思うようになるよ。
本当にいい人ばかりならこの宗教は100点だが、所詮人間がやってること。
完璧じゃない。
非常に不快な思いもするよ。
40名無しさん@1周年:01/10/10 07:37
↑ そうだと思います。
41名無しさん@1周年:01/10/10 17:37
>>39
さんざん罵倒して、その後にやさしい言葉をかけて涙させるやり方は、自己啓発セミナー
の洗脳の手口に似ている。
気をつけなきゃ。
俺も「あんたにそこまで言われる筋合いはねえ!」って思って行ってないよ、もう。
42名無しさん@1周年:01/10/10 23:40
>>39どこどこ??差し支えなけらばアルファベットで教えて君。
ま、いろいろな人がいるからね、ほんとに。人をあてにせず
神さまをあてにすればいいわけだが、神さまをあてにするためには
人を通らにゃいかんわけで なかなか難しいね。

1600余の教会といっても、いろいろな面で違うね。
それぞれが物凄く独自性を発揮している感じ。
『金光教教典』を元にして、もっとカッチリした教義を
まとめればいいのになと思う。「天地は語る」は『教典』の抜粋集だが、
あれは長い教えやわかりにくい教えは載ってないので・・・。
「教え」をどう解釈していくのか?という問題。取次は個別にすればいいけど、
教えをどのようにいただくか、という問題、これもっと突っ込んでみんなで
議論すべきじゃないかしらん。
43名無しさん@1周年:01/10/11 02:21
このスレの最初の方で、金銭は受け取らない教団だと
いうレスがあったが、それでは、この教団はどうやって
運営してるんだ?
44名無しさん@1周年:01/10/11 11:31
比較にいいのは天理教だと思うけど
天理教ほど運営に金のかかるピラミッドや
個人の勝手キママにはならない仕組みになっていないから
じゅうぶんやっていけるんだよ

まあ、30万人は信者がいるからじゅうぶんなんですね
45名無しさん@1周年:01/10/12 06:01
天理教が江戸幕府のような中央集権国家だとするなら
金光教はロシアやアメリカのような連邦制国家に例えられる。
46名無しさん@1周年:01/10/15 07:10
ageてみた。
47マジで相談:01/10/15 15:59
元彼女が入ってました
正直な話、どうしても宗教にはまっている彼女に
対してものすごく引いてしまい
終わった二人の関係です・・・
いまさらよりを戻すとかそういうことではないのですが
僕の決断は間違っていたのでしょうか?
48名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 22:22
近代日本新興宗教の中では、かなりおとなしいというか慎ましい宗教だと思うが、どうだろう?
49マジで相談 :01/10/16 00:39
個人的には神社で集会なのに
教会というのもいやだった・・・
50名無しさん@1周年:01/10/16 07:40
別れて正解でしょう。
神がいると思っている人間とそうでない人間は
つきあえないし、つきあっても意味がない・・・。
51マジで相談:01/10/16 14:55
なんか薄気味悪くて・・・
いい娘ではあったんだけど。
そのコの母も祖母も入ってたから・・・
52名無しさん@1周年:01/10/17 07:04
信仰している人は真剣ですからね。
信仰ない人からみたら滑稽劇ですけど・・・
53名無しさん@1周年:01/10/17 23:04
>10
今日はじめてこのスレ見つけました故、遅レスになります。
私自身は非常に不真面目に教会に足を運んでいる、通りすがりの
2ちゃんねらーです。
先日競馬好きなおじさん信者さんのお話しが面白かったので書きます。
「(教会の)先生、これから馬券買いに行くんですが『当たりますように』って
祈ってもいいですか?」って先生に言ったら笑顔で
「なんでもお届けください。どんなことでも神様は聞いてくれますから。
神様が身近であることが大事です、それこそ熱心に当たること祈っていいから。
でも、馬券が『当たるおかげ』と『外れるおかげ』がありますから。」って
言われたそうで。おじさんに「今日は、どっちのおかげだった?」って聞いたら
「今日は外れのおかげだぁ!って神様にご報告だ」って楽しそうに笑ってた。
 それから、宝くじ買うとき、罪悪感持たずに熱心に神頼みしています。
今のところ「外れのおかげ」続きですが。
54名無しさん@1周年:01/10/17 23:21
>25
 金光教では来世は無い、という解釈がメジャーなんでしょか?
(私は金光教自体について勉強不足なんで、私的な解釈に走りますが)
人は亡くなったら御霊さまになって、現世とは違った世界にて暮らすものだと
思っていました。(御霊様となった先代の先生方やご先祖さまに、私達を見守って
下さいと祈るのは御霊様は生き通しだから、だと思うのですが違うのかな?)
ただ、それがどういうものか無責任に語らない、来世での助かりに重点を置くあまり
現世を蔑ろにしないために現世利益を重要視している、と解釈していました。
 金光教のお葬式に参列(という言葉でいいのか自信ないのですが)したことが
ありましたが、言葉は変ですがカラッとした明るさに驚きました。
御国かえをした(住む場所が変わった)だけでさよならじゃないから、と
一人の信者さんが気丈な笑顔でのひとことに胸がつまりました。
5553:01/10/18 19:12
>53の続き(言葉が足りなかったので)
あくまで私の場合ですが、神様の前で「お礼、お詫び、お願い」の3点セットで
お届け(お祈り)しています。
たとえば、不真面目な例で言うなら「これから買うので、当たりますように」と
宝くじ購入のお願いをしたとします。買って外れた場合「交通事故にも遭わず
くじを無事購入できました。また健康で当選日迄過ごすことができ、外れましたが
それ迄の期間を楽しめました。ありがとう!」とお礼します。
受験・仕事の問題の場合は「いついつにこういう試験があります。合格できるよう
努力しますのでどうか当日元気で臨めますように。」とお願いし、仮に不合格で
あったとします。お礼は「お陰様で電車も止まらず風邪もひかず受験できました。」、
お詫びは「神様は見守っていて下さったでしょうが私の努力が足りませんで
申し訳ありませんでした。」お願いはいくつかのパターンで「次回はもっと頑張れ
ますようにお願いします」だったり「今回落ちたことが結果的に良い未来に繋がり
ますよう今回の件反省します。別の学校でも楽しく過ごせるように見守って下さい」だったり色々。
 私の場合、どうも>22の挑戦者さんと同じく「よくありがちな宗教を用いた都合の
良いポジティブすぎる思考」に違和感あるので、こんな感じで過ごしています。
それでもって不届き者なので「落ちたことが神様のご意志です。ありがとう」とはなかなか
言えませんがそれもきっと苦笑しながら許して下さることだと思っています。

「生じたことは全て神の良しとするところ」となると人間は人生に選択肢を持たず何ら責任を有さない
という非常に危険な思考に繋がるのではと個人的には思っています。
「今月、今日で頼め」という神様のことばに従って「今日の命があって、いろんな人生の選択肢を
自分で選べる幸せ」「この選択肢を選ぶから神様見ていてね」と内なる神様に言えることが
ありがたいと思ってます。
56名無しさん@1周年:01/10/20 23:18
>>47 マジで相談 さんへ
無神論の方が何らかの特定宗教を信仰する方と付き合う場合、構えてしまうのは
当然のことだと思います。
ただ、多くの他宗教に比べてかなり自由度が高く大らかなのは確かですので
「彼女が信仰者である」という理由だけで別れてしまったのでしたら悲しいお話しだと
感じました(正解・不正解は当事者ではないのでわかりませんが)。
配偶者は信仰者では無いが双方幸せに問題なく暮らしてる例が多数あります。
実際、結婚に至る前のお付き合いレベルの話にしても信者同士ではなくて異教徒
あるいは無神論者と付き合ってる人(特に信者数自体が少ない若い層)の方が
多いように思います。
結婚に至った場合も式を金光教式で挙げない方が多いです。教会の教師のお子さん
でさえ結婚相手に合わせて他宗教方式で結婚式を挙げたという例も複数耳にするほどです。
他宗教を非難しない、皆ひとりひとり神の子として尊重するという教えに基づくものです。
例えば厳格なキリスト教や創価学会のご信者さんの家と比較すると、信じられない
大らかさ(?!)だと感じています(それが良いか悪いかは別として)。
57名無しさん@1周年:01/10/24 17:27
金光饅頭美味しいage。倉庫逝かないでage
58名無しさん@1周年:01/10/24 18:40
金光教と大本教ってなんか関係なかったっけ?。
教会っーのも近辺には一つも無いが、結構信者いるのね。
59金光饅頭は確かに旨い:01/10/24 19:43
亭主の実家が信徒なんだけど、あのお供物には驚いた。
さんぼう(漢字わからず)の上への盛り付け方が半端じゃない。

野菜・果物なんかは爪楊枝や竹串で差し込むわ、貫通させるわして固定。
乾物類は缶詰めから乾麺、調味料なんかをてんこ盛りにして透明テープで固定。
卵は下地に塩を盛り、その上にピラミッドさながらに積み上げる。

1年祭、5年祭と回を重ねる毎にすごい仕上がりになっていく。。。
それらを完成させてる姑の悦に入った顔もだんだん凄みを増してるし。

あと何が驚いたかって、いわゆるお通夜の晩に義理姉たちが
なんかいそいそ着替えに行ったと思ったら、色留め袖っていうのかな?おもいっきり色.柄ものの!
しかも一人は黄緑、もう一方は桃色の!!それで客前に出てきた時にゃ〜
私はひっくり返りそうだったですわ。
信徒でない弔問客もぎょっとしてたもんな〜。

これってどこでもそうなんすかね???
教理は充分納得のいくものだと思うけど、どうもそういうとこ腰引けちゃうのよね。
60名無しさん@1周年:01/10/24 21:39
>>58 大本教の教祖である出口なおは、元は金光教の(布)教師です。
教会は西日本側には比較的多いようですが、東日本だと「一体、どこにあるの?」
という県も多いかもしれません。

>>59 金光饅頭は確かに旨い、と同意いただき嬉しいです。
(販売店によって微妙に味やデザインが違うのに気付きました?この間、
お土産でいただいてはじめて気付きました)。
私が経験した金光教式のお通夜、お葬式は全員黒でしたので(一部の例外は
紺やグレーの制服の学生、金光教のワンゲルだかボーイスカウトの制服の
学生)そのお話しは驚きです>色留袖婦人
私も知りたいです>金光教お葬式の礼装マナー
61金光饅頭は確かに旨い:01/10/24 23:18
>>60 販売店によって違いがあるというのは知りませんでした。
  姑・小姑はいつも同じ店で購入してくるものと思われます。
  私は行ったことないからよ〜分りませんが、饅頭はありがたくいただいてます。
  色留袖は通夜の時のみで翌日(本葬)は黒でしたね。
  しかしやっぱり親の通夜で黄緑・ピンクは衝撃的すぎる。。。
  しかもお互い「あんたまだまだ良く似合うやん」などとホメ合ってるし、一体。

余談だけど、昔フォークシンガーの杉田二郎が教会長の息子だったかで
しばらく音楽活動休止して修行(?なんていうのか知らないけど)してる
という記事を読んだことあるな。ホント大昔だったけど。

    
62名無しさん@1周年:01/10/24 23:36
>>59
>卵は下地に塩を盛り、その上にピラミッドさながらに積み上げる。
消防の頃に読んだ小学館のマジック入門「卵を立たせてみましょう」のタネと
同じ手法ですね。関係ないネタなので遠慮sage。
63名無しさん@1周年:01/10/24 23:38
sage失敗でウトゥ
64名無しさん@1周年:01/10/25 02:04
>>60サンキューです
金光教って大本より古いのね!
65名無しさん@1周年:01/10/26 09:40
来世についての議論がありましたが、、、
死んだら土になるのみ、っていう言葉がありませんでしたかね。

宝くじを買うときは、当たってから何に使うのか?
ってことも考える必要があるんじゃないでしょうか。
66名無しさん@1周年:01/10/26 11:06
まさか金光教のスレッドがあるとは・・・驚いた w
「世界の宗教」という本で読んだんだけど金光教と天理教は日本で唯一
認められてる宗教だと。
そういう私のうちは金光教です(教会じゃなく)。 もう祖父の前からずーっと
でもたぶん曾おじいちゃんからではないかと。 でも普通の家ですよ。 子供の頃から教会に連れて行かれてたけどただ長い話の中
座敷で痛い正座してただけ。  経典の内容も知らないしただ神棚に向かって
「明日運動会がつぶれますように」って祈ってた。私の母はめんどくさがりで行かなかったし本を読まされたことも教えを聞かされたこともない。
ただ唯一言われてたのはご飯食べたときは神様に感謝の言葉を心の中でいいなさいと。
家に神棚も仏壇のとなりにあって(仏壇の2倍以上の大きさ) そこにお供え物(りんごとか
みかんとかお菓子)が毎日あるからいつもつまみぐいしてた。
変わってたのは人からお菓子もらったりなにかいただいたり(お中元とか)
したら必ず神棚の前に置いとく。 神棚とか仏壇より先に手を出してはいけないのだ w
自分が学校から賞状もらったりとか合格した通知なんかもすべて神棚行き。
葬式ももちろん仏教です。 ちがうとこもあるのかな?
お布施はうちの家は見栄っ張りだからけっこうしてたと思う。 私は500円玉を入れてた。
だいたい金光教って老人の溜まり場っぽくなってるよ。 体の病気とかで
そういうのお祈りする人とか。 とにかく世間で言われる「宗教」とは違うね。
もう神社化してます。  真剣に信心してる人には悪いけど人の気持が助かりにいく
場所だからいいところと思います。
私のうちも先祖を大事にするという意味で(先祖が助けてもらった教えなので)
今も金光教を大事にしてるんだと思います。 私が結婚した人は普通の無宗教の人。 「金光教ってなに?」って言ってる。
まったく人に無害な宗教です。安心してください。
私からしたら金光教・・・宗教団体と身構えてるのって超うける!! 爆笑・・ごめんなさい。
金光饅頭かなりおいしいですよ。 食べてみてください。岡山の総本部(金光教の駅があるとこ)に「金」マークものの饅頭&せんべいが
たくさん売ってます。  老人がいすぎてこわいかも 笑。
67名無しさん@1周年:01/10/26 22:32
age
68名無しさん@1周年:01/10/27 08:18
66さんのカキコ笑った。
これが金光教信徒の家庭の実像かもね。

赤沢文治のラディカルな神人思想はもう実践されてないのかもね。
そうだとしたらすごく残念なことだけど。
69名無しさん@1周年:01/10/27 08:55
天理よりはマシでしょ?
70名無しさん@1周年:01/10/27 09:55
>>61
○○堂の金光饅頭は、代替わりしてから餡子を自家製から
購入に買えて味が落ちたと評判。
71名無しさん@1周年:01/10/27 22:35
>>69
それはそうだね。天理はお供えと組織の点で、
ちょっと深刻な感じがあるもんね。
その点、金光はいろんな意味で軽いからね。
72名無しさん@1周年:01/10/28 00:02
俺も昔行ってて、そういう色々都合のいいオチでおかげを解釈してたけど、そうなると
よく考えたら信心しててもしてなくても結果は同じじゃねえか、と思ってあっさりやめ
た。
「無害」な宗教だというのもわかるが、同時に「無益」だとも思う。
俺は通っていたばかりに、いつも他人の助かり、心ばかり気にかけるようになり、
ついには心を病んで、その手の病院に行く羽目になった。
病院の先生曰く、「いつも他人の幸せばかり気にしてたら疲れてるのはあたりま
えです。少し自分に甘く、わがままに生きてみたらどうですか?」と言われ、
目から鱗が落ちた。
俺は宗教よりここの病院の先生に救われた。
73名無しさん@1周年:01/10/30 08:23
あげ
74名無しさん@1周年:01/10/31 00:44
おれは失業してるけど、解決してくれよ、金光様よお。
「働けないのもおかげです」とか言うか?
もう信じねえ。
75名無しさん@1周年:01/10/31 01:08
フジ三太郎あげ
7674の親:01/10/31 01:13
まことにすみません、あらき棟梁がお邪魔いたししまして。
77名無しさん@1周年:01/11/03 21:16
再びあげてみたい
78名無しさん@1周年:01/11/04 00:40
金光教の信者は、他の新興宗教とは違って
まともなんだという意識が強い
そのくせ、他人には自分が金光教であることを
伏せる傾向にある
クリスチャンでもないのに教会という
坊さんを先生という
奇妙だよな
79大王蛇 ◆m2MmHxX2 :01/11/04 01:06
>78
 金光教以外の教派神道でも「教会」という言葉は使うよ。
それに、仏教じゃないから「坊さん」とは言わないだろ。
80名無しさん@1周年:01/11/04 14:17
たしかに自分たちは新興宗教じゃない、
真面目でマトモな宗教、と思う傾向が強いようだが、、、

しかし、宗教ってホンキでやるなら無宗教の人が見て
「ちょっと変わってるよ、こいつら」
と思われるようなものじゃないの。
マザー・テレサなんかわざわざ苦しい
(ように凡人には見える)貧民街へ行ったりして。
みんなが、ちょっと我々の考え方とは違ってる、
でもすごいよマネはできないな、、
っていうのを目指すものなんじゃないかと?

そうでもないのかな。
81通りすがりの者:01/11/05 00:30
ここのスレ読んでると
おなじよーな内容の宗教「天光教」ってのを聞いたことあるんですが、
どうなんですか?パクり?「天地金乃神」ってのに教祖は神に任命され、
そんでその神をもこえた存在になったらしです。
で、祈れば病気とか治るそうです。意見求むっす。
82大王蛇 ◆m2MmHxX2 :01/11/05 00:41
>81
 それは単に「金光教」を聞き間違えただけだと思われ。
83名無しさん@1周年:01/11/05 01:28
金光教は今のテロとか失業率の問題をどう捉えてるのかな?
「これも長い目で見ればおかげです」とか言うの?
4回手を叩けばおさまるのか?
おさまびんらでぃん。
84名無しさん@1周年:01/11/05 07:31
↑ワラタ
シアワセなら手をたたこ♪
パン!パン!パン!パン!
「4回かよ!」
85(^-^):01/11/05 10:14
天光教は分派?のようなものですね。
金光教は教会運営も独立採算、教会の独自性を否定しないので、
わざわざ分派する必要もなく、分派はほとんどない。非常に珍しいケースやね。
86(^-^)・・・:01/11/05 10:17
>>83
教祖的にいえばそうだろう。おかげだよ。
そもそも、自分らの人生そのものが「おかげ」なんだよきっと。
死んでいるより、生まれてきただけで丸儲け、って感じだと思う。
どんなに苦しい人生でも、生まれないよりも良かったと
考えるのではないか?そうじゃなきゃ説明つかないよ。
87名無しさん@1周年:01/11/05 10:32
金光饅頭ウマー
88名無しさん@1周年:01/11/06 00:02
昔、江口洋介が何かのドラマで神社にお参りするシーンがあり、手を4回続けて
叩いていた。
「こいつ金光教信者?」とふと思った。
信者以外の人で4回叩く人ってまずいないと思うのだが・・
89名無しさん@1周年:01/11/06 00:04
金光教の正しいお祈りの仕方が動画にてみれます
http://www.lookinsidemymind.com/week26/images/cockholepoke.mpeg
90名無しさん@1周年:01/11/06 00:23
>>88
出雲大社や大本教でもそうじゃなかったっけ。
大本では「八開手(やひらて)」をその意味
に使っていたよ。
91大王蛇 ◆m2MmHxX2 :01/11/06 03:47
>88
 出雲大社でも柏手は4回打ちます。近所にある分院の宮司さんから、
「2拝4拍手1拝」と習いました。ちなみに、神社神道では「2拝2拍手1拝」です。
>90
「八開手」は伊勢の神宮でするものだと思ってましたが。
92名無しさん@1周年:01/11/06 22:59
>>91
ああそうか。伊勢神宮では「やひらて」を八回拍つ意味で使って
いたっけ。出雲大社の四拍手や一般の神社の二拍手に差を付けた
神社神道のヒエラルキーを表してそう。
伊勢神宮の八開手と祝詞の八平手とは違うのかなあ。

拍手

拍手は神さまを讃仰する行為である。
今日の官國幣社ではご神前で礼拝の
とき、皆二拍手することになっているが、
大本では四拍手する。古い祝詞にも
「八平手を拍ち上げてーー」ということ
がある。八平手というのは即ち四拍手
である。つまり大本は古式をそのまま
採用しているのである。
大本では祖霊を拝む場合は二拍手する。
これは大神さまを拝むときよりも遠慮して
いるのである。また新霊様を拝むときは
一拍手するのが本当である。これは遠慮
するよりも哀悼の意をも含んでいるのである。
拍手の打ち方も余程慎重にせねばならぬ。
ただポンポンと、恰も主人が下僕を呼ぶ様な
やり方は、神に対して御無礼となるのは勿論
である。

出口王仁三郎   

でも金光教の人はこんなこと興味ないか。
93(^-^):01/11/08 13:16
で、信者の方は誰も来なくなったのかな?
94名無しさん@1周年:01/11/08 16:13
私の家は先祖代々金光教です
このようなスレがあるのは嬉しいです
他の信者の皆さん(いたら)頑張ってこのスレ
盛り上げて行きましょう、、、age
95名無しさん@1周年:01/11/09 14:45
そうそう、金光教に今もっとも必要なのは攻めの姿勢だよね。
独走する大阪のI教会や九州のA教会初代のインスピレーションように
このスレッドも盛り上げていこう。
96名無しさん@1周年:01/11/10 14:30
age
97名無しさん@1周年:01/11/10 18:05
黒住スレッドに負けるなぁ!
98名無しさん@1周年:01/11/11 13:25
age
99名無しさん@1周年:01/11/11 13:30
個人的に大阪の初代教会長さん好きだな〜
本部ギャラリーに飾ってある写真で見る限り
あの時代にあのスタイルはかなりカッコ良く見られたんじゃ
ないかな。
100マジで相談 :01/11/12 00:14
>>56
>>66
久々にこのスレに来ました
少し金光教の事がわかりました。勿論、彼女と別れた理由はそれだけではないのですが
多少のパーセンテージはあったと思います。
個人的(あくまでも個人的)な意見としてはやはり自分は無宗教なので
やはり無宗教で宗教に頼らず生きていっている異性と恋をしたいです。
もしかしたら無宗教というものもある意味一種の宗教なのかもしれません
彼女と別れてからしばらく経っているので冷静な客観的な姿勢をとっているつもりですが
最終的な自分の意見を正直に書かせていただきました。
恐らくこのスレには戻ってこないでしょうが
いろいろと勉強になりました。
みなさん、良い人生を。
101名無しさん@1周年:01/11/15 13:16
あげ
102名無しさん@1周年:01/11/16 16:41
http://www.nichikon.co.jp/bbs01/board.cgi

ここでバカが叩いてます。何か言ってやってください。

みなさんの対象は日コン連関係者 えむびーまん 11/15(木) 17:08:36

ハッカー伝言板に出入りしている人も含めて、
日コン連関係者は、ひょうたん良先生の霊団に
守られています。敵対するところに、行ったり、
ましてや御布施などお金を落としたりしてはなりませぬ。
皆さんがお金を落とす・御布施をするのは、ひょうたん
先生の霊団グループ 具体的には、
三輪さん、観心寺、水間観音、薬師寺、橿原神宮など。
特に、三輪さんが、ひょうたん先生の拠点のようです。
ちなみに、ひょうたん先生に乗っているひょうたん姫は、瓢箪山稲荷神社から迎えたものだそうです。

天敵のホームページへのリンク禁止 えむびーまん 11/15(木) 13:21:29

ひょうたん先生の天敵にあたる新興宗教への
リンクの書き込みは、削除させていただきました。
みなさんも、あの宗教とは関わりを持たない方が
身の為です。
103名無しさん@1周年:01/11/17 01:40
あげ
104:01/11/17 01:41

コピーガードキャンセラー、あります↓
http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c13119399?

DVD やスカパー、レンタルビデオ、セルビデオのコピーガード
を無視して、ダビングが出来る様になります。

購入を希望する方は、入札をするか、
直接、メールを下さい。

宜しくお願い致します。
105名無しさん@1周年:01/11/17 11:19
>>99
当時は、金光教、西日本では話題の
新しい、ホットな宗教運動だったんだろうね。
106名無しさん@1周年:01/11/18 01:56
あげ
107名無しさん@1周年:01/11/19 13:57
age
108名無しさん@1周年:01/11/21 09:56
金光教はどうですか?
109名無しさん@1周年:01/11/26 16:54
だめ?
110名無しさん@1周年:01/11/28 21:14
あげ
111ヘノ ◆hdN/S6V2 :01/11/28 21:17
。。。。
112名無しさん@1周年:01/12/05 14:49
久々に、あげ・・・。
113学園生:01/12/10 17:45
次期教祖予定?の清次君と同級でした。彼のお父さんは教団運営の
ほうの偉い人なのですが、一度遊びに行った時に宗教の話になり、
宗教は大人の遊園地みたいな物と考えて欲しいといわれて妙に納得
した覚えがあります。このスレは意外に煽りが少ないので安心しました。
地元に帰ったらお布施とかするし、一応無自覚ですが信者なんだろうと
思ってます。ちなみに私は饅頭よりもせんべい派です。(わら
114通り菅り:01/12/10 22:37
>>113「教主選挙候補予定」では?
「教祖」だと新宗教の開祖になる「予定」?
金光教は、教祖の子孫の金光一族の中から候補者を立てて、
教会長とかの選挙で教主が決まるような話を伺ってましたが。
115学園生:01/12/11 08:50
まあ詳しくは知りません。3人兄弟で1番上は東京で売れないミュージシャン
やってるので全然修行してないみたいです。2番目は真面目に学習院いって
アメリカとかに留学して宗教の勉強してたみたいで彼に順番が回ってくるのかな?
と思っただけですからね。
116名無しさん@1周年:01/12/11 11:30
教団運営の上の人、と教主の家は同じなのか?
114の言っているように、
金光家の人間じゃないと教主にはなれない。

わからんな。
117名無しさん@1周年:01/12/11 11:32
「大人の遊園地」確かに実態はそうかもしれんが、
それを宗教でメシ食ってる人たちの口からは聞きたくないね。

信仰はあくまで信仰。
118学園生:01/12/11 16:32
遊園地の何所が悪いのか?宗教を必要以上に奉って
奇跡だ!予言だ!天罰あるぞ!とか言って信仰させる方が
おかしくないか?全ての物に感謝して、大らかに生きろ。
とゆうのがこの宗教の本質なのではないか?必要以上に
神を持ち上げず何所にでも神はいると説き、他の宗教よりも
肩肘の張ってないとゆうか、大げさでないカジュアルな感じが
金光教の魅力ですよ。
119名無しさん@1周年:01/12/12 07:32
宗教は大人の遊園地か。いいね。
「信仰です!」なんて肩肘張らずにもっと気楽に行こうよ!って事だね。
どの宗教でもいえる事だけども、上の人間の気持ちとは裏腹に、血気盛んな
若い信者が中心になり、良かれと思い勘違いし必要以上に頑張って他の人を
勧誘したりして、また若いから言葉使いも上手くなく、厳しくなりがちで
トラブルを起こすんですよね。
120名無しさん@1周年:01/12/12 07:44
ここでもよく、「XX教が一番だ。」「XX教は○○教よりも挌上」
なんて不毛な事いう人がいるが、全て悪気の無い勘違いってこと
ですよね。全てのまっとうな宗教について言えますが、主体は神や神体
でなく自分なんだから、その宗教の為に頑張るんじゃなく自分の為に、
もっと宗教を楽しみましょうって事ですね。

「宗教は大人の遊園地論」は一見軽率な意見のようですが、実は
かなり深いですよ。
121名無しさん@1周年:01/12/12 13:58
信者が増えない理由が分かったような気がする。
信仰が「遊園地」か。参ったね。

文治の信仰ってそういうものか・・・。
誤解してた・・・よ、スマン。

九死に一生をえて、掴んだものが、遊園地か、、、。
がっかり。

俺は文治に私淑するけど「金光教信者」じゃないや。
122名無しさん@1周年:01/12/12 14:12
>>121
金光教はマターリしてるんです。
あなたのようなガイキチさんは
どっか狂信系のカルトにハマッちゃって下さいね(w
123学園生:01/12/12 15:46
そうそう。金光教は2ちゃんみたいにマターリしてるのよ。
みんなもここで毒を吐き出し、スッキリして仕事に行ってね。(わら

>>121
カルトに行ってノルマに従い、ガンガン信者増やして下さい。
そして、家族に疎まれ捨てられて悶絶しながら真理を追究して下さい。
そうすると愚かな家族は地獄へ、そして君だけ天国に逝けますよ。(わら

俺はどっちかってゆーと親兄弟や仲良しのみんなといく地獄のほうがいいな〜。
124名無しさん@1周年:01/12/13 03:36
金光教ってなんかいい感じですね。もっと勉強したいんですが
どうすればいいのでしょうか?HPなんてあるんですか?
125学園生:01/12/13 09:35
HPあったよなたしか?このすれの上のほうみてみたか?
126名無しさん@1周年:01/12/14 10:45
「カルト信者」も天地のあいだに住む氏子じゃないの?(ワラ
127名無しさん@1周年:01/12/15 15:48
カルト信者は救わないのか?
「大らかな教え」とか自称するわりには
随分と了見が狭いな。
128名無しさん@1周年:01/12/15 15:51
>>123
へぇ〜、、、金光教信者って「いい人」が多いって
評判だけど、ほんとうにその通りだね♪
129響灘のフク:01/12/15 15:59
しばらく見ないうちに随分、盛り上がっていますね。

「大人の遊園地」信心を遊園地に例えるのは
、、どうかな?という気がするね。
信心即生活、生活即信心、ということを勘案すれば、
信心が進めば生活・人生自体が遊園地化する、というところか?
何事も遊ばせていただくのである、というような教祖さまの
言葉もありますし。

信心=遊園地だと、信心が「生活の困難と真正面から取り組む」
ことであるとする金光教の主張から外れて、
単なる「困難から一時的逃避」というような意味にならないかな。
信心とはそういうものではないと思うけど、どうかな。
130名無しさん@1周年:01/12/16 13:41
金光教って、遊園地なの?
マターリ生きていても御利益あるの?

タナボタっぽくて(・∀・)イイ!

>>123 金光教って地獄あるんですか 
131学園生:01/12/16 17:37
同級生に沢山教会の跡取がいて教会を継いでいくために皆勉強中なんですが、
その時にまず最初に教えられるのが、信者の言う事は全て肯定しなさいって
ゆうのがあるらしいです。それは僕なりの解釈ではありますが、教会はある
意味、避難所であって信心実践に支障をきたすような毒が生まれたら教会で
吐いてもらい、信心の実行場所である実生活には毒を持ち込まず、すっきり
して帰ってもらう事が教員の仕事であり、教員は先生と呼ばれて偉そうに
説教するのが仕事ではなく信心にくじけそうになってる信者の毒を吐き出す
手助けをする医者か看護婦みたいなモノなのだよ。という教え(戒め?)
ではないでしょうか?陰口を叩いたあと、その人にあうとなんだか妙に優しく
なったりするでしょ。それに人間は弱いもので24時「生活の困難と正面から
取り組む」のは大変である。だからたまには教会で息抜きをして下さいと。
そういう意味での遊園地だと思っていました。

本部にいる家の祖母ちゃんのお気に入りの教員は、母の悪口をいったら一緒
になって悪口言ってくれるそうです。(w)でも、それが大変ありがたいと
言ってましたよ。

>>130
赤ちゃん見て「かわいいな!」って思う事が神心です。ご飯食べて「美味しいな!」
ってのも神心です。漫画読んで「面白いな!」ってのも映画みて「感動した!」
のも全て神心。そういう心を大切にしなさいって宗教ですよ。なんか2ちゃん向きで
マターリとしてるでしょ。(w
地獄は無いと思いますよ。アンなのはカルトの脅しですよ。
132名無しさん@1周年:01/12/17 11:38
「信仰=遊園地」ではなくて
「教会=遊園地」ということのようだね。
133名無しさん@1周年:01/12/17 11:46
金光教の有名人って誰かいますか?
134学園生:01/12/17 17:17
>>132
あまり「言葉」に捕われない方が良いのでは?「言葉」に善悪は無いけども
各々の解釈によっては、まるで反対の意味になりますからね。
「信仰は尊く崇高なモノ」とか「信仰=殉教」って考えも金光教には無いですね。
信仰は神の為でなく自分の為にするのでは無いのですか?楽しく肩肘張らずに信仰
するのは別に悪い事ではないし、必死で信仰してる人よりも尊くないなんて事は
無いと思いますよ。
>>133
鼻からピーナッツ出す梅垣とか学園の卒業生だけど信者かどうか?
私も信者かどうか?わかりません。金光教のことは間違いなく好き
なんですけどもね。
135130:01/12/18 00:02
よくわからないんですが、
おかげを受けるためには、「死んでもままよ」
の気持ちになれ、って聞いたんです。
あと「祈る時は後ろから矢を刺されても振り返ってはならない」と
いう教えも聞いたんですよ。
ですから、金光教の信心ってめちゃ真剣なんだぁーって
思ってたんですケド。だいぶイメージが違うんですね。
136名無しさん@1周年:01/12/18 02:10
サトウサンペイ氏は信者。
137名無しさん@1周年:01/12/18 23:01
いや〜金光教スレがあったとは驚きました。
2ch初心者なものですから、宗教板を発見したので
試しに金光教を検索したら引っかかったので、、、、

私の家もお祖父さんの代ぐらいから金光教です。
ただ、特に教会に行く事を強制されたりしなかったので、
そんなに熱心には行きませんでしたが、
どういう訳か、子供心に今日は付いて行きたいなと思う日なんかが
ありまして、何度か通ったぐらいです。

教会に行ったところで、大して嬉しい事があるわけでもなく、
「マラソン大会無くなって!」ってお願いしても無くなる訳でもなく、、、
それなのに、また行こう(行かせてもらおう)と思える不思議な場所でした。

それと、金光教は今日明らかに衰退しているのでは?と思ってしまいます。
比較的家族の中でも熱心だった祖父が亡くなり、祖父に付き合っていた
母もあまり行かなくなってしまいました。
昔に比べて、活気が無くなったというか、、、、
私自身、一人で教会へ行く事は無いのでこれも可笑しな感情ですが、
とても寂しく思います。
どうぞ教会関係者の皆さま、盛り上げてください。
影の陰ながら、そっと応援いたしております。

>>53-55
>「生じたことは全て神の良しとするところ」となると人間は人生に
>選択肢を持たず何ら責任を有さないという非常に危険な思考に
>繋がるのではと個人的には思っています

耳が非常に痛いです(笑)
138名無しさん@1周年:01/12/20 21:18
共感は得ているけど、積極的に関わる若い人は、少ない、ってわけだ
139名無しさん@1周年:01/12/20 22:47
>>138
そう思います。
う〜ん、こう言うと語弊があるかもしれませんが、
宗教にしては「熱い」人が少ないのでは・・・?

だからこそ、信心しようって気になるんですけどね(笑)
140名無しさん@1周年:01/12/20 23:14
金神さまって恐ろしいタタリ神なんですよね?
141名無しさん@1周年:01/12/20 23:24
狐の神様だと聞いた事もあるんだけど、、、

こういう言い方するとなんだけど、神様の定義?が
なんかキリスト教等と随分違う気がする。。。

天風会とか、そういう感じなのでは?
142名無しさん@1周年:01/12/20 23:36
金光教の神さまって、結局なんなんだろう?
143141:01/12/20 23:50
>>142
あまり詳しいわけではないですが、、、

どうして仕事が出来るのだろうとか、ご飯が食べられるのだろうとか、
眠る事が出来るのだろうとか、息が出来るのだろうとか(笑)・・・

そういう事を考えると、人間以外の何かの働きを考えずには
ありえないって所からではないかと、勝手に解釈してます。
144宇都御魂(大王蛇から変更) ◆m2MmHxX2 :01/12/21 02:10
>141
 少なくとも、それは誤解のはず。
145名無しさん@1周年:01/12/21 02:10
自衛官募集中!!!
ご興味のある方は最寄の地方連絡部を訪ねましょう。
あなたの精神、鍛えてあげます!

http://natto.2ch.net/jsdf/
146名無しさん@1周年:01/12/22 07:55
>141
 私個人は、キリスト教と照合すると解りやすい部分もあると
思ってます。
ヤーヴェ(エホバ?発音は何が正しいのか詳しくないけど)相当が
天地金乃神様、キリストに相当するのが生神金光大神様。
但し、人は皆「神様の子供」だから誰しもが自ら他人そして自分を
救える力があるはずだ、ぜひそうして欲しい、そうすると神様も
嬉しくなる、という点がユニークかも。よって、神の子という意味で
一生懸命働いている他宗教をけなすことは神が大事にしている子供を
けなすことに繋がるのでやめようよ、ということで他宗教にも大らか。

>140
うしとら(あ、変換できない)の方角、鬼門を文字通り怖がって
悪とみなしていた、それを解放し「全ての方角、日柄、そういうタブーから
解放されて神から与えられたものだと感謝すれば問題など無し」というのが
金光教。せっかく?陰陽師がブームになったのならば「金光教ならば
日柄、方角すべてのものの呪縛から解放されて大らかに生きていける指針が
ありますよ」って宣伝すりゃいいのに。
147名無しさん@1周年:01/12/22 11:03
おかげがあるのは金神さまの霊威に拠ってるんでしょ。
教団は合理主義とか近代主義とかを強調したいみたいだが、
神秘主義的でワケの分からん言葉もあるよね教典には。
そこんとこをもっと突っ込んで欲しいわけだが。

>>146
人には日柄方角に振り回されたいっていう、
おかしな欲求があるんだと思う。
148名無しさん@1周年:01/12/24 20:57
倉庫行き防止アゲ!
149名無しさん@1周年:01/12/25 21:55
金光教はもっと日本の伝統文化を取り入れたほうが良いと思う
たとえば七夕とか冬至のカボチャとか、、、
良いものはどんどん取り入れて行ったほうが良いと思うのだが、、
150名無しさん@1周年:01/12/28 13:44
そうそう。149氏に同感。
151名無しさん@1周年:01/12/29 20:19
天津祝詞をまだあげてる教会って、ありますか??

今の神前拝詞は、自分に言い聞かせている、という感じがします。
神さまとの関係はどうなるのかな?

金光教は贅肉を削ぎ落としすぎた、という気がする。
教祖だって神道的な部分を持っていたと思うが。
ただ合理主義、ってだけじゃないと思う
152信者その1:01/12/29 20:24
トピ主さんは、金光教のどの部分に興味があるのでしょう?
とりあえず、金光教の教えは一番合理的で分かりやすい思います。
未信奉者の人でも、すんなり教えは入ると思いますよ。
153名無しさん@1周年:01/12/29 23:47
>>151
>天津祝詞をまだあげてる教会って、ありますか??

ヤフーのメーリングリストに結構活発な金光教のグループがあります。
そこは先生方が多いようなので、一度登録されてみては?
154世俗主義:01/12/30 16:27
金光教にかぎらず、宗教にとって贅肉を落とすことはらっきょうの皮むきになりはしませんか。
神前拝しは中東でぴんとくるとは思えない。わたしは自分はクリ系だが周りには教徒の人がおおい。
カルト的不愉快さは無い。だけど良かれ悪しかれ日本の宗教、つまり神道だなあとおもう。
だけど、今は再編集されているらしいが昔の 御神訓 とか ご理解とか江戸末期
の日本人の本当にまっとうな洞察があるとおもう。
155149:01/12/31 00:03
たしか昔は教祖様が線香を焚きながら般若心経や神道の祝詞をあげてたと経典で
読んだがその様なことも復活しても良いと思うのだが、、
金光教に限らず新興神道は戦後(神道コンプレックス)に陥っているような気がし
ます。
156名無しさん@1周年:01/12/31 11:49
大晦日なんで上げておきます。
今日、大祓式をやる教会もあるようですね。
157名無しさん@1周年:02/01/01 12:15
明けましておめでとう御座います、あげ
158名無しさん@1周年:02/01/03 16:36
今年もよろしくお願いします、あげ。
159ななし:02/01/05 22:11
教祖は1年前に死んだらしいね。この宗教。ってことは今は
教祖はいないってことなのかな??
160名無しさん@1周年:02/01/05 22:27
教祖は江戸時代の人です。
明治17年くらいに死んでるよ
161名無しさん@1周年:02/01/06 22:44
なるほど
162名無しさん@1周年:02/01/10 21:18
まだあげよう。
163名無しさん@1周年:02/01/12 17:41
世界平和のため今年は金光教にがんばってもらいたい
さらにアゲ。
164七氏:02/01/14 02:01
あげ
165名無しさん@1周年:02/01/14 02:23
俺のお婆ちゃんが熱心な信者だった。
いいことがあると、「おかげ、おかげ」っていうのが口癖だったな。
確かに、めし食う前はお札にお供え物とかしてた。
婆ちゃん死んでからは、そういう家庭内の風習は自然となくなっていったなあ…。
これが素朴な習慣の消え行く姿かなあ、なんて思う今日この頃。
166名無しさん@1周年:02/01/14 02:38
知り合いに金光さんていう人がいるけど、自分から金光教に縁があるのっていってたよ。
なかなか可愛らしい女性だよ。
167名無しさん@1周年:02/01/14 02:44
知り合いに徳光さんていう人がいるけど、(以下略)
168名無しさん@1周年:02/01/14 03:32
漏れの大学時代の先輩が金光教の教祖筋の子と付き合ってましたよ。
ええ、ひどい女でした。(w  大学でも有名な二股かけ女で。
その先輩も高校の時から付き合ってたんですが、かわいそうでした。
結局振られたみたいですが。(二股がばれて逆切れされた)
なんか、その子のアパートの玄関ドアはぶちきれた男だか、
男取られた女だとかにぼこぼこにされてたらしい。

で、なにがいいたいかというと。
教祖、教義うんぬんじゃない、ってことやね。宗教は。ましてや血縁でも。

金光教と聞くと、その女と先輩を思い出すよ。
169名無しさん@1周年:02/01/14 14:17
知り合いに金光(かねみつ)って人がいるけど(以下略)
170名無しさん@1周年:02/01/14 14:52
あまりお金がかからない宗教だって聞いたけど
171宇都御魂 ◆m2MmHxX2 :02/01/15 01:11
>166
 名字が「金光」なら、教祖の子孫かも。
172名無しさん@1周年:02/01/17 18:31
落下防止あげ
173名無しさん@1周年:02/01/17 18:33
金光学園の制服は結構好きでしたよ
174名無しさん@1周年:02/01/17 21:52
>166、168
スレ違いかもしれないけど
稀有な名前って良かれ悪しかれ目立って気の毒かも。

事実上苗字が解ってしまう場合、事実がどうであれ悪感情を
剥き出しにてプライバシーの暴露をするのは如何なものかと思われ。
(恋愛問題は双方の意見が相当異なる場合が多いし・・・)
本流と関係ないのでsage。
175168:02/01/17 23:26
>>174
それはその通りだが、漏れが言ってる子の苗字、「金光」ではなかったよ。
176名無しさん@1周年:02/01/19 09:46
age

177名無しさん@1周年:02/01/19 10:55
金光教って神人合一、っていうか
人を助けて神になるんだよね。

ニューエイジと一脈通じるところがあるな。
178名無しさん@1周年:02/01/20 16:00
>>177
やや補足。
すべての人間はもともと神の分身(分け御霊)を持っていて、
その発露によって、人を助ける働きを現す、というもので。
つまり、すべての人間には生まれながらに、
「神」となる資質が既に備わっている、という発想です。

「人一人助ければ一人の神」というみ教え(教祖の言葉)は、
そうしたことを表しています。
179名無しさん@1周年:02/01/20 18:18
最初は、神になる素質を人間側が忘れているため
分霊の働きが隠れてしまっている、ということでしょうか?
180名無しさん@1周年:02/01/20 19:06
>>179
「かわいいと思う心が神心」というみ教えがあります。
たとえば自分の子供をかわいい、と思う気持ち、
それが既に「神心」(分け御霊の発露である神の心)なのだと。
人を愛したり、大切に思ったり、幸せになって欲しいと思ったり、
誰か気の毒な方を見てその人の助かりを願ったり。
そうした、人間がごく自然に持ち備えている愛の心が、
「神心」と呼ばれている、と理解すればいいでしょうか。

「最初は」忘れている、というよりも、
日々の生活の中で、そうした心は埋もれてしまいがちです。
それを掘り起こし、日々、一瞬一瞬忘れないように改めて意識していく。
金光教での信仰とは、そうした作業を目指していると私は考えています。
181名無しさん@1周年:02/01/20 19:11
「人間がごく自然に持ち備えている愛の心」
ということですけど、そういうのを持っていないような?
人もたまにいるような気がします。
愛の心に目覚めるということは、
イコールすごく傷つく、ってことでもあるんではないでしょうか?

あと、個人的にはよい人でも会社のために会社ぐるみで
「必要悪」のようなものに関与することもあります。
商売は金儲けで、何に関与してるかわからないこともあります。
(大局的な見地でみたとき)
そういう場合も心の処し方が難しいと思います。
182名無しさん@1周年:02/01/20 19:39
> そういうのを持っていないような?
> 人もたまにいるような気がします。

たとえばどういった人を指しているのでしょう?
理解不能な、愉快犯の大量殺人者であったりとか?
理想論に聞こえることは承知の上ですが、
どんな人にも必ずその心はあると「信じる」こと、
そこからすべてを始めていくことが、
信仰に則ったやり方だと、私は思っています。

愛の心に目覚める=傷つく、というのは、実感としては私はわかりません。
裏切られたり、騙されたりすることが多そうだから?
この現実の世界では、報われることが少なそうだから?
そのあたりをもう少し教えてください。
183名無しさん@1周年:02/01/20 19:57
>>181
後半部分。
そうした人に対しての「自分の心の処し方」が難しい、ということでしょうか。

基本的には、「人の助かりを祈る」ことが根本にあります。
金光教では、仕事を含めた生活の行為すべてを、
信仰に基づいて、神の心に沿って行っていくことを目指しています。
もちろん、商売で金儲けをすることは否定されていません。
ただ、そのときにも、「実意(誠意、という意味に近い)」で行うこと、
神の心に沿って行うことが大切だと。
であれば、>>181で挙げられているような人は、
本当に神の心に沿った生活を実現しているのでしょうか?

そうした人をみたとき、私たちはまず「祈る」べきでしょう。
まずその人の助かりを祈り、その上で、自分のあり方、
その人への対処の仕方がよいものであるように、また祈っていく。
その中でこそ、最良のあり方が生まれてくると、
私たちには信じるしかできません。
184名無しさん@1周年:02/01/20 20:08
>182
181さんではないですが、、、

>宗教やってる人は幸せそうにみえる。
>哲学やってる人は苦しそうにみえる。

どこかのスレで読んだ言葉ですけど、これって当たってると思います。

>理解不能な、愉快犯の大量殺人者
こういう人にも、
>必ずその心はあると「信じる」こと

こういう事は、訓練をしないと出来にくい事であり、
必ずしも、そう「信じる」ことがよい事かと考えると悩みます。
また、方向を間違うと被害者の心情を踏みにじる事にもなるかと思います。

金光教のある教会のHPを見ていましたら、
米国テロの報復攻撃に対する抗議まがいの文章を大統領充てに送られた所もあるようです。
なにか少し違和感というか、金光教ってそういう団体だったかな?
と思いました。(金光教にそんなに詳しくはないので、偉そうな言い方ですが・・・)

185名無しさん@1周年:02/01/20 20:49
>>184
182です。連続ですみません。

> また、方向を間違うと被害者の心情を踏みにじる事にもなるかと思います。
そう思われる危険性のある書き込みだったかもしれません、申し訳ないです

被害者の方もその周囲の方も、みな同じく神から愛されてある存在です。
殺人とは、神から愛された大切ないとし子を、その手でひねり潰す行為に他なりません。
だからその罪は重い。当然ながら。
罪自体を許すつもりは(私は個人的には)ありませんし、
その罪も、自身が神心に背き続けることが引き起こしたものだと思っています。
その意味で、罪人に犯した罪への責任がないとは思っていません。

ただ、私に願えるのは、自身が神心に背いていたことに、彼/彼女が気付いて欲しいと。
神様から与えられていたはずの神心を忘れ、我心で暴走を続けていたこと、
その結果とてつもない罪を犯してしまったことに、彼/彼女自身が気付いて欲しい。
彼/彼女が果たすべき真の償いもそこから始まると、私は思うのです。
186名無しさん@1周年:02/01/20 20:51
金光教・・・下品な名前(w
187名無しさん@1周年:02/01/20 21:20
>185
184です。真摯なレスありがとうございます。

>彼/彼女が果たすべき真の償いもそこから始まると、私は思うのです

それは、私もそう思います。
ただどうも最近のニュースや新聞をみるにつけ、気付かない者が
多いなぁと思うのです。残念ですが。

あれでは、例えば極刑で罪を購ったとしても、報われないなぁと。(あ、池田小です)

失礼ながら書き込みから察して、先生でしょうか?
私は金光教から離れて久しいですが、いい教えだと今でも思っています。
パフォーマンス(言い過ぎですか・・・)やテレビCMは流さなくとも、
本物は人が着いてくると思います。
かげながら、応援しております。
188181:02/01/21 21:49
裏切られたり、騙されたり、というのも含まれますが、
愛というのは物質的にみて損することではないでしょうか?
人によいものをやったら自分にはよくないものが残る、
なんてこともありますし。損だと思うし、人間は愛よりも
憎しみに与することが多いような気がします。

巨大な会社だと自分がやっていることと、収益構造がどういうものか
必ずしもハッキリしません。仕事に忠実な社員達が実意丁寧と祈りによって
行った仕事が、結果的に大きな悪に加担した、ということもありうる。
善意が現実的に裏目にでることがある、というようなことでした。
189名無しさん@1周年:02/01/25 14:28
会社のため、といって自らの神心を裏切らなければ
ならないこともあるでしょうね。
190名無しさん@1周年:02/01/27 22:22
神の心に沿った生活をしてる人って
どれくらいいるんですか?
191期待アゲ:02/01/28 11:20
モハメット・アタとか?
「神の心に沿う」って、実は怖くないか?
ごめん。論旨ズレたか。
しかし、人間が「神の心」をわかるのか、という疑問、
それと、人間が「神の心」として何かを語ることの危なっかしさ、
ってあると思う。
(タテヨミニアラズ)
192名無しさん@1周年:02/01/29 23:08
しかしね、金光教ではいうでしょう「神心」というのをね。
人間が神をどこまで知りうるのか?
しかし金光教では神は全知全能とは規定されてないようですから。

だいたいモハメドアタも自分の神の御心に沿った行動として
テロを行ったわけですよね。金光教の教義を知り得なかった彼の
純粋な善意はどうなるんでしょうか。
また金光教的な立場で、アタを裁くことが出来るとしたら
どうさばけるのか?アタも神の子ではないのか?
アタの魂はどうなっちゃったのか、まさか仏壇と墓の間を
浮いているのか、それとも土になったのか。
わからんです。困った。


193名無しさん@1周年:02/01/30 22:36
先日、生きながらにして焼き殺された女子短大生の事件がありましたが、
私には、いったいどうしてああいう亡くなり方をしなければならない難儀を
受けられる人がいるのか、どうしても納得できません。

前世の所為なのですか?

あの犯人はおそらく同じ苦しみをもって死ぬ事はないでしょう。
捕まったとして、死刑になったとしても、焼死よりは全く楽な死に方をするのでしょう。

そうすると、その犯人の何代か後の子孫は自分に身に覚えの無いことで
ああいった死に方をする事になってしまうのでしょうか?

あの女子短大生の最期の無念さや苦しみを思うと、とても悲しくなります。
少し前に犯罪者の助かりを説いておられる方もいらっしゃいましたが、
なんともやりきれません。

いったい何故なのでしょうか?
何故、あんなにも苦しまなくてはいけなかったのでしょうか?
また、ご遺族の苦しみはなんなのでしょうか?

194名無しさん@1周年:02/02/01 08:13
祝!
金光大阪
195名無しさん@1周年:02/02/01 10:27
そういう人生や世界につきまとう理不尽さ、
みたいなものは金光教では説明できるような
体系がないみたいなんですよね。
この世で生きることが全てだから。

このスレッドでも、金光教への問いは、そこに集約されていく
ような気がします。
形而上的な問題はどう扱えばいいのか。
不条理に意味を見いだせなければ、
人生は悲しい徒労であり、自分勝手な御利益を求めて
徘徊するだけではないか。突き詰めて考えるとそう
思って悲しくなります
196名無しさん@1周年:02/02/01 23:21
>195
>そういう人生や世界につきまとう理不尽さ、
>みたいなものは金光教では説明できるような
>体系がないみたいなんですよね。

そうですか、、、
ただ、ここの説明がないと宗教として成立するのでしょうか?

不条理・理不尽、一切に目をつぶり「この世で生きることが全て」を追求
しているのでしょうか?
そうだとすると、普通の(笑)啓発セミナーのような気もします・・・

197名無しさん@1執念:02/02/02 20:46
このスレまだあったっでんすね。

>>195 >196

「人生の不条理を説明できる原理」を与えてくれるものが宗教ですか?

なにがしかの権威によって、素人にはわからない論理でもって、
プロの宗教者が解明してくれて、そして、生き方の正解を教えてくれるのが
宗教だとしたら…いやだ。

不条理に意味を見いだすのも、人生を悲しい徒労でなくするのも、
自分なのではないだろうか。

「神様」とかよくわからないけれど、
信仰って、そういうところにこそ生まれてくるのではないたろうか。
しんどいけれど、この現実の生活のなかでのたうち回ってはいずりまわって、
ようやく見いだせるようなものかもしれない。
その意味で「この世で生きることが全て」な金光教なら
悲しくなりはしないと思うが。

反論を待ちます。
198名無しさん@1周年:02/02/02 23:59
>>197
196です

どちらかというと金光教に肯定的です。
家族が信仰していたからという理由なのですが、、、

反論はとくにありません。(スイマセン)
ただ、必要以上に苦しみや悲しみを背負われる方が
おられるという事が納得できないです。
あやふやですが「人は皆、神の氏子」という言葉があるそうですね?
そうすると、そういう難儀受けられる方も難儀をかける奴も「神の子」ですか?

たまに家に置いてある金光教の機関紙?のような物を斜めですが読みます。
書いてあることは確かに万人が納得できるような内容ですね。

>「人生の不条理を説明できる原理」を与えてくれるものが宗教ですか?

そう聞かれると困ってしまいます。
けど、人の心を助けてくれるのが宗教ではないかと思います。
それは宗教に期待しすぎなのでしょうか、、、

ろくな事が書けなくてすいません。
199名無しさん@1周年:02/02/03 22:07
>>197
すべて自分、だとするなら「神」を信仰する、
という宗教としての意味がなくなる。
教会に詣ることも祈ることも。

>なにがしかの権威によって、素人にはわからない論理でもって、
>プロの宗教者が解明してくれて、そして、生き方の正解を教えてくれるのが
>宗教だとしたら…いやだ。
これが「お取次」の内容そのものズバリじゃないですか?

私は、取次のなかで、不条理そのものを説明する原理がない、
という点を問題にしているのです。

不条理や形而上の問題を説明するのが宗教である、
というのは宗教学でも一般的な見解です。
200名無しさん@1周年:02/02/03 22:12
「素人には分からない真理」、つまり
金光教でいうなら、生神金光大神御取次の道を
解き明かしてくださったのが教祖さま、ということになっているんでしょうね。

今の世が「人世」になっている、という批判があって、
金光さまが「神世」の人間のあり方を解き明かす、
というのが金光教出現のテーゼになっています。

201名無しさん@1周年:02/02/03 22:21
しかし必ずしも不条理や形而上の問題を説明しない宗教もあるね。
民俗宗教とか。一方で仏教やキリスト教のような世界観宗教もある。
金光教はその中間くらいなのだろう。
202名無しさん@1周年:02/02/04 23:50
金光教は不条理や形而上の問題を説明しない宗教なのか、どうか。
もう少し詳しく知りたいので上げときます。
203名無しさん@1周年:02/02/05 18:18
誰か答えて下さる方はいないかな。
204名無しさん@1周年:02/02/06 13:43
あげ
205名無しさん@1周年:02/02/07 06:15
少し止まりましたね。
このスレッドの皆さんから醸し出される場の雰囲気に魅かれているものとして、このままスレッドが消えてしまうのは惜しいと思います。

ということで、若かりし日の思い出などを一つ。

金光教教典が発行された頃のことです。
ご本部で開催されたある集まりで、瀬戸さん(教典の編纂をされた方)のお話を聞かせて頂いた後、質疑応答の機会がありました。
それまでの疑問を晴らすべく、早速手を挙げました。

「『天地金乃神』は人格神なのですか?
 それとも宇宙を維持し遍在するエネルギーとしての非人格神なのでしょうか?
 それとも?」
(この当時は、私も根源の大神が人に直接働きかけることは有り得ないと思ってました。^^;)

若輩の未熟なる質問に対して、真摯なる答えがありました。

「まことに申し訳ないことですが、その問題については私も現在模索中です。。」

その時点では氏からの確答は得られませんでしたが、その後氏が関係した出版物を通して少しずつ答えを頂いているように思います。

(う〜ん。なかなか形而上的な話になって行かないな。。)
206名無しさん@1周年:02/02/07 06:26

教祖の言葉として

『人間はみな天地金乃神から人体を受け、御霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる食物をいただいて命をつないでいる。
昔から、天は父、地は母というであろう。
天地金乃神は人間の親である。
信心するものは、一生死なない父母に巡り会い、おかげを受けていくのである。』

※天地兼乃神とも

実に平易な言い方ではありますが、深い内容を含んだ言葉だと思います。
そのほか「人間は小天地」「神は人間の本体の親」・・・ 折りに触れて話しておられます。
207名無しさん@1周年:02/02/07 11:35
金光教の神前拝詞についての議論とかはないですか
208名無しさん@1周年:02/02/07 12:15
勇気を出して言うと、中心にあるものは「虚構」なんじゃないかと思うんです。
けど、その虚構を塗り固めているのは真理かもしれないかな、、、と。

209名無しさん@1周年:02/02/07 21:12

神前拝詞については、両方を知っておられる方たちは今でも「天津祝詞」「大拔」のほうを好かれているようですよ。
たしかに替わった当時はその必然性が理解できず、いくらか議論もあったようですが。。
今では慣れたこともありますが、教祖からの事跡がコンパクトに分かりやすく述べられていることで、まあこれもまたいいのかな、(いかにも金光教らしく)という感じですね。

元々私自身は、勢祈念においては内容も確かに重要ではありますが、それ以上に勢が揃った言の葉の波に心を乗せることで意識の集中を図り、意を神に運ぶことのほうに重点を置くことが多いものですから、それほど気にかけてはいません。
210名無しさん@1周年:02/02/07 21:20
宗教の虚構性を話して行くことになりますと、ことは金光教だけに収まらなくなります。
そしてもしもあなたの疑念が、宗教の中心である神の実在性にまで重なっているのでしたらなおさらのこと。

しかしながら今までのこのスレッドでのゆったりとした進め方は捨て難い気がしています。
新たにスレッドを作ったほうがいいのかもしれませんね。
判断は皆さんにお任せします。
私自身は「金光教は・・・」というスレッドでは、残念ですがこの話題に関してはあまり深く話す事は出来ないと思います。
211名無しさん@1周年:02/02/07 21:24

しかしながら今までのこのスレッドでのゆったりとした進め方は捨て難い気がしています。
新たにスレッドを作ったほうがいいのかもしれませんね。
判断は皆さんにお任せします。
私自身は「金光教は・・・」というスレッドでは、残念ですがこの話題に関してはあまり深く話す事は出来ないと思います。

神の思いを人が継いで行くしかない限り、宗教の中に真理のカケラを見つけることしか出来ない現状は仕方がないことなのかなと思っています。
我が身を振り返る時、内なる光と表面的な意識との間のあまりの格差に愕然とすることの多い私としてはことさらなんですが。。

この中心部の虚構性に思いを及ぼすことは、どうしても自己という存在の実在性を検証することに繋がります。
存在の根底にある思い込みを排除することが果たして何を生むのか。。
掲示板で話すことだけで理解しあえる問題ではないのかもしれません。
212名無しさん@1周年:02/02/08 14:14
虚構性については、デカルト以前と以降の思考様式、
パスカルの賭け、否定神学あたりから展開できないかな?と愚考します。
エリアーデやユングあたりを踏まえていくと虚構や否やということを
越えた神話と儀礼と信仰の意義が見いだせるような気が、、、します。


金光教もある程度のカッチリした教学を建てる時がくるのでしょうか。
アメリカの神学大に人を送っているのは、神学を経た教学の完成に
向けた準備なのかなあ。
213名無しさん@1周年:02/02/08 21:16
>>210-212

208です。
実は、2chでは「生きてて恥ずかしくないの?」とか聞かれるような
身分(学歴)の為、難しい事はわかりません。。。

普通に考えて、「金光大神」という神が相対的に
「ある」「ない」あるいは「存在する」「存在しない」の価値観で
考えるのであれば、「ない」もしくは「存在しない」なのではないでしょうか?

わかりにくい書き方で申し訳ないです。

もしも、本当に氏子(全ての人間)を助ける「神」が存在するのであれば、
様々な不条理で難儀を受ける氏子が存在するのはなぜなのか?わかりません。
(神にお礼をしなかったからですか?)

私は他人から見て恵まれていると見えるような境涯にありませんが、
けど、自分自身はおかげを受けさせていただいていると思っています。
(毎日好きなお酒が飲めます。かわいい猫を撫ぜてやれます・・・等等・・・)

けれども、それは「金光大神」の「おかげ」なのか、どうか。
私は最近わからなくなっています。

>掲示板で話すことだけで理解しあえる問題ではないのかもしれません。

そのご意見もよくわかります。
けれども、掲示板ぐらいでしかこんな事は聞けません、、、
214名無しさん@1周年:02/02/08 23:30
神がいるかいないか、考えるの場は私達の脳、
私達人間の側の思考能力ですよね。
私達の思考が神の全てを把握しきることが出来るのだろうか?
という問題がひとつのキーになるのではないかと愚考いたします。
215名無しさん@1周年:02/02/09 06:39
それでは。。ここからは私見というにしてください。(ついに地が出たとも言いますが (^^ゞ)
古く曖昧な記憶を引っ張り出して話すことになりますので、言葉の細部には拘らないでくださいね。

金光教自体のお役について、まず一つ指摘したいことがあります。
将来の金光教におけるカッチリした教学の必要性を感じている方にとっては、いささか期待はずれになるかもしれませんが。。

教祖は「黒住さんが天のご恩だけでなく、地のご恩を説かれていたならば、このお道は世に出ることはなかった。。」という意味の発言をされたことがあります。
この言葉は「このお道の非・排他性の顕れ」と受け取られて、それほど深く意味を考える方はありませんでした。
しかし一般的な感覚で受け取れば、これは『金光教の神と黒住教の神は同じ』もしくは同じ系列である、という意味でしょう。
付き合いが進むにつれて、神が教祖の人となりをすっかり気に入られ、「天照大御神」に対して「この氏子を譲って欲しい」というようなことも言われています。
216名無しさん@1周年:02/02/09 06:41
そもそも教祖が最初に話を交わした神は、「さわらぬ神に祟りなし」の語源でもありそうな、あの怖〜い、しかも規律正しく世界中を遊行している「金神」です。
(だからその時点で金神が居る方角を侵すと、祟られるとされているわけですが)

「金神」に定説なし、と言われるほど古くから威力がありながら、正体が知られていなかった神です。
(しかし私としては、その後のお二人の付き合いぶりを拝見していて、神はユーモアたっぷりの優しい方だとしか思えないんですよね。。)

金光教の前に世に出た天理、黒住においては「天、太陽、陽気・・」と、天のご恩が語られています。
それで足りなくて出てこられたということは、この神は私達の足下を支えておられる「地球神」だと思われます。
記紀に求めれば、やはり名称からして天照大御神の前に出てくる「国常立命」になるのでしょう。
金光教の後に世に出た大本教において、聖師と呼ばれる出口王仁三郎氏も指摘されておられます。
国常立命は記紀においても評価が分かれている神です。
217名無しさん@1周年:02/02/09 06:44
王仁三郎氏が語った物語によれば、
「地球を創造し主宰された神ではあるが、公平さと規律に厳しく常に理想を追及される方で、他の恒星・惑星からの「力、優劣、自由、物質的な豊かさ・・」という魅惑的な観念に影響を受けた部下たちがついてこなくなりました。
そしてこれ以上の世の乱れを憂えて一旦地球の艮(東北=日本)の地に引退され、それからは蔭から構ってこられている。。」

ということだそうですが、そんな場合には部下たちの成長の為に、私でもたぶんそうするでしょうね。

※ちなみに妻とされる方(この方はたぶんユダヤ系フリーメーソンを構っている巫女のことでしょう)は、坤申(西南=イスラエル)におられるということですが。
 そうすると中心は、ちょうど今世界中の注目が集まっているアフガニスタン・パキスタン・カシミールのあたりになりますね。

※国常立命はイシガミ、ダイダラボッチ(もののけ姫に出てくる、大きな方のシシガミののような姿のようです)と呼ばれていたようです。
彼は分霊を生む時に、陰陽の質を持つ双子も生んだりしたようですね。
これは彼にしか出来なくて、アマテラスたちが双子を生もうとしてもうまくいかなかったみたいで。。
無理をしてその結果失敗し、バランスが良くない双子が多く生まれたらしく、その後いろいろ問題が出て来たようです。

彼(どうも男神のようです)の話については切りがありませんので、このあたりにしておいて。。
218名無しさん@1周年:02/02/09 06:47
飛鳥の頃、激動する現実世界に力を持たない神道(これが隠れた国常立命への信仰なのでしょう。
全ての存在が国常立命の分霊であり、しかもその国常立命自身が正体を隠すとなれば、どうしても精霊信仰に近くなるでしょうね。)に替わる新たな求心力として、仏教を聖徳天皇が日本に広めたわけです。
その後、空海が源流としてのヒンドゥー教や役行者の修験道の思想を中心とした密教を広めることで仏教も日本化され、それなりの役を果たしては来ましたが、こちらもそろそろ金属疲労が目立ち始めてきた頃。。

江戸時代になって、伊勢の外宮(国常立命は名称を変えてここで祭られています)の度会氏が、宇宙の元神としての「国常立命」への信仰を声高に主張し始めました。(前哨戦ですね。)
そしていよいよ江戸末期を迎え、神道の神々の大車輪の働きかけが始まります。
その結果、大本教までの教派神道が生まれました。(大本は途中で教派をはずれましたが。)
219名無しさん@1周年:02/02/09 06:48
さて長くなりましたが、このあたりからが本題です。

神と教祖の付き合いは微笑ましいものでした。
「神と人、あいよ、かけよで立ち行く道」(籠かきさんたちの「えっほ」と同じような掛け声)と言われるように。。

神の言いつけを果たすため朝早くから出かけ、山を越え谷を越えてやっと目的地に着いて、置いてあるはずのものを懸命に探した結果何も見つけることが出来ず、諦めてトボトボと帰り、夜家に着いた時の二人の会話。

「何もなかっただろう。どうだった?」
「おかげで久しぶりに外へ出ていい運動をさせてもらいました。ありがとうございます。」
(たしかに、歴代教主の生活と同じように(こんなお役は家のものにしかさせられない、とも言われたそうです)毎日4時〜16時まで御結界に端座して信者さんたちのお願いを聞いておられたわけですから、それはそうなんですが。。教祖もこたえん人ですね。(^^ゞ)

※ちなみに、金光教ほど教主のお役が大変な宗教は他にありません。
いつでも、誰が行っても、ずっと座っておられる教主に直接、お願いや相談事が出来ますよ〜 (^^)
(とは言っても、お祭がある時や、時間外は物理的に無理ですぞ。)

※いろんな地域に1600ほど、教祖の時代の信者さんたちが開くことから始まった教会がありますが、完全な独立採算です。初期の頃は神の比礼(お蔭)だけに頼って餓死した教会長がおられまして、その後各教会の互助により小教会への援助が始まりました。
教団そのものは、「教団は必要無い」と言われる教祖を、「教祖がいなくなられた時に、頼るところがないと信者が迷います」と、やっと説得して作られましたので、伝統的に弱体です。
220名無しさん@1周年:02/02/09 06:50
ある時は、神の言いつけ通り裸足で外へお使いに出されたりしましたが。。
その時も世間体を頻りに気にする奥さんをお供にして(「持ってることが分かればいいんじゃろ。」と草鞋を持たせて後から付いて来させた。)、ペタペタと足取りも軽く用事に行かれたようですね。

重たい石臼を二人で(神と教祖の)交替で回しながら作業を進めたこともあったようです。
そういった「あいよ、かけよ」の日々は二人にとって、まことに楽しかったことだろうと思います。

そんな教祖が自分の意志を神にはっきりと示されたことがありました。
いろいろと教祖の人柄を試し満足した神が、このぶんじゃもっといけるんじゃないかと、経綸や神霊界の消息などをどんどんと話していた頃。。
信者の相談に乗っている最中、関連して神から流れてくる神霊界の情報に、教祖がストップをかけられました。
「信者が怖がるから。。」
221名無しさん@1周年:02/02/09 06:51

「世界はめげていくものじゃ。(壊れていく)」
「日本はクボイ所じゃ。(凹)何でも集まってくる。」などなど。。

教祖の認識と理解は高く広いものでした。

世界の行く末を身に染みて分かっておられた教祖だからこそ。

「これから世の中はいろいろなことが起きてくるだろうが、そういったことは上の人たちに任せて、頭を下げていつものように、家族仲良くしっかりと信心生活をしながらやり過ごせばいいんだよ。」

と、このようなことを言われていました。

ということもあってその後、神々の経綸や神霊界の消息を説く大本教が出てくることになったわけです。
222名無しさん@1周年:02/02/09 06:52
「個々の信者の心からの助かり」だけを大切にされて、神に意志を示された教祖に対して、神は「金光大陣」→「金光大神」→「生神金光大神」と神名を下さり、お称えになりました。

結論として。
金光教は、「立て替え」のお役ではなく、「立て直し」のお役である。
教祖によって、新たな世界での唯神の生活の鑑となるべく、大事に取っておかれているグループである。
ということです。
223名無しさん@1周年:02/02/09 07:24
いささか疲れましたので。。
少し間を置いて、続く。。、としますね。

内なる神、自己という存在、などの実在性に関した話になると思います。

※ちなみに各教会には信者の代表として総代と呼ばれる方たちがおられますが。
彼らもお祭の時は下足番をしておられます。
お道では御用と呼んでいますが、教会長を初めとする所員さんたちが勤められるお奉りの御用さておき、祭典時の御神饌、楽、御神具などの御用と、普段からの教会回りの掃除や草むしりなどの御用との差は基本的にありません。
だから、総代さんたちも当たり前に下足を受け取る御用をされるわけです。
彼らは世間に戻れば社長と呼ばれる立場ではありましょうが、神の前ではどんなことでも御用は御用です。
公平さ、これは国常立命の性格でもありますね。(^^)

※もっと言えば、教会長の御用でさえもお役の一つでしかありません。逆にそれほどの御用をされなければならないほどの、めぐり深い身の上であるとも言えます。
その行為を通して、世に役立ち、人が助かり、成長できるのであれば、それはすべて御用です。
逆に、人間関係などが原因となってそれがどうしても出来ないのであれば、たとえ祭典において重要な「楽」(演奏ですね)であったとしても、なくすことになるでしょう。

少しは答えになっているでしょうか? >213 さん
224宇都御魂 ◆m2MmHxX2 :02/02/09 07:53
>222
 ちょっと待った。川手文治郎は「金光大神」と改名しようとして
却下されたために仕方なく「金光大陣」と改名したはず。

#もちろん、戸籍上の話。
225名無しさん@1周年:02/02/09 15:11

おっ。早速のご指摘感謝します。(これからもちょいちょいとあると思いますので、よろしく。)
上のほうでは一気に私見に走ってしまいましたが、そちらの方のご指摘もお願いしますね。
かなり教団や一般的な信者さんたちの見解とは異なる電波的な内容もあえて書いていますので、議論となれば嬉しく思います。

そういうことだったようですね。 <「金光大神」として戸籍の名前を届けようとして却下された
おっしゃる通り、氏名と御神号とは書き分けたほうがよかったようです。
226名無しさん@1周年:02/02/09 15:12
※出来るだけ、意味が一般の使い方とは異なったり、特化された言葉は使わないようにしています。
しかしながらどうしても使わなければ文脈上説明が難しい言葉もありますので、時に応じて簡単な説明を入れておくことにします。

『めぐり』 上の方で「めぐり」深い、という言葉を使いました。

この言葉に込められた意味合いは、お道においてはかなり広く深いものがあります。
巡り会わせとか、仏教で言うカルマ(業。悪行のことが多いんですが)の意味が基本のようですが。
その人が今生で受けたお役に応じて、個人、家、地域、国、そして世界のめぐりまでを含むことがあります。
また、それぞれが過去世から引きずって来た未解決の問題からくるマイナス想念(悔恨などの)を含むこともあります。
時として、迷っている霊によるものまで含まれることさえあります。
なんにしても、「めぐり」は今生で出来るだけ解決しなければなりません。
227名無しさん@1周年:02/02/09 15:13
その解決への道のりを、「めぐり」のお取り払い、と呼びます。(禊払いと同じような意味合いです。)
個人のめぐりであれば、日常から離れて自己を反省するために、病気になったり事故にあったりすることで、めぐりを除去する方向への機会を頂いたり。
過去世での問題(性格や思考の傾向などを含めて)を解決するための機会を、さまざまな試練を通して頂くこともあります。
(この試験はその時に合格できなければ、間隔を置いて何度も受けさせてもらえます。)
そういった事を「難」「難儀」と呼んでいますが、自らを改めるために(信仰を進めるのであれば)難儀には雄雄しくも立ち向かうことになります。
一度では受けることが不可能な大難であれば、何度にも分けて小難として立ち向かわせてもらうことも出来ます。
228名無しさん@1周年:02/02/09 17:16
受けたお役によっては、教祖がまさにそうなんですが、分けていてはいつまでかかるか分からないような多くの大難を受ける必要がある場合があります。
そういった時は。。「金神七殺」と昔から言われているような事態が起きることになります。
教祖の場合は、飼っていた牛を含めて子供たちが次々に亡くなられることになりました。
(教祖の信仰の深化によって、いくらかは縮小することが出来たようですが。)

教会長の家族においても、類似の事が起きることがあります。。
しかし、多くの怨念に凝り固まった迷える霊たちの無念を晴らすために(理由としてはそれだけではありませんが)必要な場合もあるわけです。
とは言っても、これほどのお役は、そうはありませんから、二代以降はほとんどないと思います。

「初代は大難を受け止め、あられもなき「表行」もするが、お前達にはさせない。「心行」が大事である。」というようなことを言われた先生がおられました。
229名無しさん@1周年:02/02/09 17:17
初代教会長のこうしたご苦労を頂いて、御神前やお広前が浄化され結界が張られることになり、結果として信者たちは霊のことなどまるで気にする必要がなくなります。

ある時山に篭って瞑想に励んだ結果、霊に憑かれてしまった人が、どうしても教会の敷居を跨ぐことが出来ないでいるのを見たことがあります。
その方はなんとしてもお道に乗り助かろう、と日を改めて何度も来られていました。
そのうちにその方の固い意志を認めたのでしょう。
霊が諦めて離れて行き、やっとの思いでお参りされることが出来ました。
230名無しさん@1周年:02/02/09 17:18
ところで、世界(地球)が抱える「めぐり」というものもあります。
まあ地球にもいろんな生き物が住んでいるのですが。。ほぼ100%、人によるものです。
人の行為による汚染・破壊や、日々生み続けているマイナス想念が澱んでしまって、霊太陽からの大地と命を維持するためのエネルギー放射が遮断された時。。
「めぐり」のお取り払いの手段は、大拔での罪穢れの禊払いの詞通り雨や風に始まって、大雨、台風、そして地震となります。
これこそ、「大難を小難にまつり替え」して頂かなくては、大変ですね。^^;

「助かり」「御結界」「お取次ぎ」「守りを心にかける」「足して頂く」「つきまとうて下さる」「お蔭、お礼、お詫び」「おはからい、おくりあわせ、おひきまわし、おひきたて」・・・
次からも少しずつ説明して行きます。(教内での説明とは微妙に(かなりかも)違うと思いますが、もう開き直りました。(^^ゞ)
231名無しさん@1周年:02/02/09 17:18
>212 さん

その方たちの著作は昔々ざっと目を通したことがありますが、私と哲学は相性が良くないらしくまるで記憶に残っていません。^^;
儀礼などについても、神道系以外はつい作為的な威厳作りを見つけてしまって、どうも興ざめしてしまいまして。。
儀式の多くが目指している召喚によって得られるという力についても、今のところ用がありませんし。
申し訳ないことですが、あまり関心が持てないでいます。

ユングやグルジェフなどが言っていることは、比較的好きなんですが。
教材なしでは皆さんに分かるような議論になりそうにありませんし。
ここは、NETでも公開されているシュタイナーの話なんかがいいかもしれないですね。

http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html
232名無しさん@1周年:02/02/09 17:19
神話の比較ということで触れるならば。。
シュメールのほうに「エア、エンキ」と呼ばれる神がおられますね。
この方は兄のエンリルや父のアヌを初めとした神々の反対を押し切って、人の味方をし続けた神です。
この神は「水」「地」の神と言われています。

エジプトにおいては、一時期太陽神であるラーに替わって信仰を集めたアモン、アトン(?)と呼ばれた方ですかね。

ヘブライでは当然エホバでしょう。

シュメールの頃、ピシャから徐々に東北へ移動していったティルムンという民族(大高麗国を作った頃、東大神族、シウカラと呼ばれた方たちかな?)がインダスに居た頃信仰していた神々が、ヴェーダで語られる神たちなのでしょう。

ちなみに、トコタチ(入力が大変なので、これからは国常立命をこう呼んでしまいますね)の分霊とされる「スサノオ」は、マルデューク、オシリス、イエス(?)、シヴァなのかもしれません。(あまり自信なし^^;)
彼は、いわゆる双名(ふたな)の神だったのでしょう。明らかに二面性がありますね。
光と影、次元を超えてどちらへも自在に移動し八面六臂の活躍をされているようです。(現在も)

以上、細かな比較はまたの機会に、ということでざっと思いつくまま書いて見ました。
233名無しさん@1周年:02/02/09 22:45
>>214-232
213です
たくさんのレス、本当にありがとうございます。

>神の比礼(お蔭)だけに頼って餓死した教会長がおられまして
壮絶ですね・・・お蔭だけでは生きてはいかれないという事でしょうか?

「御用に使っていただく」という考え方は、なんとなく理解できます。

「めぐり」という言葉も聞いたことがあります。
幼い頃、家人が「うちはめぐりが深いから〜」というような事を
言っていたのを覚えております。
その為、金光教にも”前世”とか”生まれ変わり”というような概念が
あるのかと考えておりましたが、そうなのでしょうか?

「めぐり」というものがあって、今不幸なのは「めぐり」を落としていただいている
と考えるのであれば、大概のことは心の訓練で乗り越えれるような気もいたします。

>教内での説明とは微妙に(かなりかも)違うと思いますが、もう開き直りました。

これまで様々な時に金光教に影響されてきましたが、あまりに何も知りませんでした。
いろんな疑問もあったのですが、(結局、どうして不幸になったり苦しんだりするのか?なんですが・・)
聞いてはいけない事のように感じておりました。

金光教は各教会によって少しづつ違う?というような事も聞いた事があります。
少しレスは遅くなりますしろくな事は書けませんが、精一杯レスしますので
是非お聞かせください。よろしくお願いいたします。
234名無しさん@1周年:02/02/10 03:27
沈みそうなんでage
235212:02/02/10 14:48
たいへん勉強になります。
とくに>>225-230あたりが・・・
めぐりについてはあまりハッキリわからない、
というか「霊」みたいなことを避けるような傾向があるのかな、
という気がしていましたがそんなことはないんですね。
これからもいろいろ教えていただけると有り難いです。

あと、クニトコタチのお話、黒住・大本あたりとの関連や、
ユング、グルジェフなども興味をそそられる
トピック(神さまには失礼かな?)であります
236私見です。:02/02/11 01:57
これからどんどん話が深くなって行きそうですので、一応固定ハンドルを付けてみました。
皆さんもよろしかったらどうぞ〜

>234

お気遣い多謝。(^。^)

>233

はい、私もゆっくりのほうが好みです。
2ちゃんらしく、まったりと行きましょう。
来週から出張が続きますので、自然にペースが落ちると思いますがよろしく。

>235

神の実在性を語るとすれば、どうしても金光教内部で話されていることだけでは対応が難しく。。
何でも思いついたことを書いていましたら、自然にこういった内容になったということで。。^^;
なにぶん、この10年ほど新たな本を買って読むということがなくなりましたので、手元にほとんど資料がありません。
これからも正確さに欠けると思いますが、そこのところはどうぞよしなに。。
237私見です。:02/02/11 02:00
ところで私自身単なる一信者ですので、なかなか多くの信者さんたち一人一人に直接話す機会が持てないでいましたが。。
これを機会に信者さんたちの教材になりそうな小冊子を作り、会合などで使って行こう、と思い立ちました。
その資料に使えると思いますので、(そのままでは、まず無理ですので、言葉を割愛して)「用語」の簡単な説明は続けようと思います。
ということで、これから3ケ月ほどを目途にして、説明などを書き込んで行きますね。

皆さんからも各用語に関連した事柄(意見−異論・反、敷衍−思いつき、ひらめき、思い出したこと、ばあちゃんたちから聞いたこと・・・)などなんでもいいですから書き込んで頂ければ嬉しいと思います。
238私見です。:02/02/11 02:35
※『守り』

「神の守りをいつも心にかけていなさい。」と言われています。
この言葉を思い浮かべる時、同時にいつも浮かぶ状景があります。
ある先生が信者さんのおばあさんの病状を心配されて、お見舞いに行かれたことがあります。
おばあさんが休まれている部屋に入り、目に入った光景は。。
金色に光り輝く神様が、布団で寝ておられるおばあさんをすっぽりと抱き包んでおられた。
(その話を聞かせて頂いた時、私に流れてきたイメージは、まるで金竜が丸まったような形をして、金色の光がおばあさんを中心にして渦巻いている、というものでした。)

「信心辛抱」という言葉があります。
辛抱−これは辛い想いをしっかりと胸に抱くということですね。
私たちが胸に辛さを抱きながらも、前を向いて信仰生活を進めて行くならば、神はいつも私達に「つきまとって」、守ってくださいます。
このことをいつも心に置いておくこと。

子供や家族などの大事な人の行く末が本当に心配であれば、神の守りをお願いすればいい。
一人一人に、神にいつもつきまとって守って頂けるよう祈ることです。
必ず神は応えてくれます。

※この神はけっこう世話焼きさんですよ。いつも我が子のように人のことを心配して見ています。
時には、分霊を派遣するだけでは満足できず、自ら人の世界に生まれてくることもあるようです。
人になってしまえば、そう思うようにはいかないのにね。(^^ゞ
(文明の末期を懸命に生きる人々の苦しみを、黙って見てるのが我慢できなくなるようです。
現代もそうですね。)
239私見です。:02/02/11 06:48
※天地書附

「生神金光大神 天地金乃神 一心に願え  お蔭は和賀心にあり  今月今日で願え」

教祖の時代の初期のことですが、修験道に励んでおられる方たち(いわゆる山伏さんです)から、いろいろと妨害を受けたことがあります。(向こうの言い分としても、自分達の営業妨害ってことですね)
まだ金光教として確立していない頃です。
元々それほど御宮や御神具などの立派さを、重要とされてはいなかったお道ですから、御神前などは質素なものでしたが、それらを無理やり全部撤去されてしまいました。
教祖自身はまるで気になされず、「壁に向かってでも御祈念は出来る」と言っておられましたが。。

その後、神のほうから示されたのがこの「天地書附」です。
何もない時は、この書附に向かって願えばいいと言うことですね。
それからは、各地に教会を作られた信者さんたちに、教祖からこの文章を書き下げられました。(それゆえ、お書き下げと呼ぶこともあります。)

内容は見た通りですが、「和賀心」は「いつも和やかに賀びを持った我が心に」ということですね。
「信心は家内に不和無きが元なり」という実に基本的な言葉もあります。
「歓べば慶びごとが喜びを連れてやって来る」(?)というのもあったと思います。
まあなんにしても楽しくならなければ、まだまだ信心にはなっていないということでしょう。
240私見です。:02/02/11 06:50
※『信心』

心を信じると書きますね。
神を信じる道は、まず自分の心を信じることが第1歩でしょう。
自分を信じ、人を信じ、神を信じる。
この「信」は宗教においては、一番重要なことです。
自分の心の中には、神から分けて頂いた「分霊」を中心にして幾つかの層がありますが、どれも自分という存在を、この世界で維持していくためには大切なものです。
しかしこの世界の質(諸行無常という)に合わせて、時々刻々と変ってしまう層と、ほとんど不動の層があります。
いわゆる「本体」という言葉は、この不動の「分霊」のことを言っています。
たしかに神と同質の「分霊」を信じることは出来そうですが、コロコロと変る表面意識はそう簡単には信じれそうにありませんね。
しかし、この変化が宿命づけられた物質世界(時間は変化によって生じる訳ですから)で生きて行く身としては、表面意識は変るべき宿命を持ったものとしてそのまま受け取り、そのまま信じることが必要になります。(ややこしいな。^^;)
とすれば、どろどろとした実生活に影響されて傷ついたり歪んだ時の自分は相手にせずに、教会に参り御神前に座った時や、大自然を目の前にした時に感じる、晴れ渡った気分の自分が本当の自分であると思えってしまえばいいのです。(どうせ変るものなんですからね。(^^ゞ)
子供の寝顔を見ている時の愛情深き自分も捨て難いですね。(あなたたちの場合は、彼女になりますか。。)

そういった工夫(かなり無理やりかな)を施せば、なんとか自分を信じ、自信を持つことができそうです。
後は一直線に、人(表面意識は変りますぞ、変るものが変ったからといって、裏切られたなどと嘆いたり責めたりしないように)、神へと「信」は進んで行きます。
(これが逆転すると、人を人とも思わず、自分を改めようともしないで、神さん神さん・・、と言って世を騒がす行動を起こしてしまうことにもなりかねませんね。)
241私見です。:02/02/11 06:50
※通常神は目には見えません。人は大自然に(宇宙の運行や地球の恒常性・・・)に思いを馳せた時に、人間業ではない大きな働きとして気付くことになります。(木々を揺らす風のように)
これは社会においては、人を通した働きとして顕れることになります。
「お気付き、お気付け」という言葉は、それでは気付いたらどうすればいいのか、と話が繋がって行きます。。

※このお道は「心直しのお道」「お話を聞いて助かる道」とも呼ばれています。
お話を聞いた時の良き自分でいつも居れるようにと、心がけることが修行になるわけです。
242名無しさん@1周年:02/02/11 07:48
ネタ古くてごめんなんだけど、一月三日に金光町に初詣にいったのね。
そしたらビックリ屋台の数は少ないし参拝客もまばら。
昔(10年ぐらい前)はもっと賑やかだったのにまるでゴーストタウンのよう。
おまけに金光饅頭のお店は店舗内工場がなくなってるし。
正直かなりしょっくだった・・・
もっと頑張れよ金光様
243私見です。:02/02/12 12:26
そうですね。3日の日はいつになく寂しかったです。
うちの教会では毎年その日が初参りなんですが、今年はたしかに鄙びていましたなぁ。。
お広前に集まり、皆で揃って教主様にお礼を申し上げるのですが、今年はなにか周りがほとんど身内ばかりのように感じてしまいました。
たしかにうちの教会の団体参拝では、300人ほどの人がお参りするんですが、それにしてもほとんど貸し切りみたいになっていましたね。
屋台も少なく、正月だというのに閉めている店が目立っていて。。
最盛期、250万人を超えていた信奉者数からいうと、実質的にはほぼ10分の1にまで減っていると思います。
これほどに崩れてしまった社会において、ひっそりと明かりを灯し続けるお役としては当然のことではあるのでしょうが。。
少しずつ継承を進めてはいますが、一切の、強制や枠を作らないという教祖からの方針を捨てることは、絶対に出来ませんので、高齢化による体力不足も当面は仕方がないことなのかもしれません。
しかし、玉水教会の2代先生が周囲から薦められるままに複数の高校、大学の設立を引き受けてこられたように。(金光大阪、がんばれ〜(^o^))
それぞれの教会を中心とした地域のお役に立つことで、太い根を張りながら浸透して行く道を辿っておられる教会も数多くあります。
かく言うわが教会も、まだ新しい教会ではあるとは言え、3代目も育ってきてそろそろ代替わりの時期を迎えています。
ご多分に洩れず信奉者の高齢化も進み(なんせこの25年間ずっと変らず、この私が若手のホープなんですからね。(^^ゞ)、初代の頃の実働数5千人からするとほぼ5分の1に減ってはいますが。
まあ勝負はこれからです。「倦まず弛まず」です。
10年後を楽しみにしていて下さい。
244233:02/02/12 20:26
「私見です。」さん

とても勉強になります。ありがとうございます。

何かの本で、本当の自分は地下鉄の窓ガラスに映った姿だと思えば、
例えばお腹が痛くなっても、足が痛くなっても「体の部品が痛むだけ」
大したことはないと考える事ができるというのを読んだことがあります。

その時は、なるほどなぁ位に考えていたのですが、
これが実際にちょっと練習して実行してみるとなかなか便利です(笑)

240は「窓ガラスに映った自分」を「晴れ渡った気分の自分」に
置き換えるといいのでしょうか? その方が楽しそうですね。
245私見です。:02/02/13 07:28
>244

そうです。楽しくなれそうなのが一番ですよ。
いろいろな教祖の教えがありますが、結局のところ「信心は自分で練り出すものじゃ」と言われているように、心楽しくなるためのそれぞれの工夫が、信心の要となるんでしょうね。


※『助かり』

どのような環境にあろうと、どんなことが起きてこようと、自然と楽な気持ちになれて、自分と周りの人たちを生かす働きが出来れば、その時人は助かっているんだと思います。
人が助かれば、神が生まれます。

ご大祭に向け多くの人達と勢を揃え、細心の注意をはらって準備を重ね、いよいよ本番を迎えた時。
「ふっと眠り込むような気持ちになるんですよ。お祭りの最中は神様に全てを任せていさえすれば、気が付いた時にはすべてが滞り無く済んでおります。まことに有難いことですなぁ。。」
この一見のんきに聞こえる教会長の言葉に、助かりの大きなヒントがあると思います。

「生きても死にても、天と地は我が住処と思え」
「天と地の間に遊ばせて頂く」

とも言われていますが。
神は本来この世界を「大人の遊園地」として作ったのかもしれないですね。
人々が心から楽しんで、みんなで子供のようにはしゃいでいる姿を見ることが、神の一番の楽しみです。
246私見です。:02/02/13 07:29
※『御結界』

教会に入ると、まず何十畳敷かの大広前があり、正面には一段高くした十畳ほどの場所があります。
向かって左には御霊前、奥に三宝に載せた御供物を置いた八足(台)、その奥の扉の中には御霊様が祭られています。
中央も同じように、御神前、御供物、神様となります。
そして右の一角に、横向きに置かれた文机を前にして教会長が端座されています。
座られている先生を中心として結界が張られていますので、その場所を「御結界」と呼びます。
信者さんたちは先生の左向きの横顔に向かって、お届け(お願い、お伺い、お礼、お詫び・・)をすることになります。
「先生こんにちは。日々ありがとうございます。先日お届けしたこれこれの件はこうなりました。。
今度の何日に孫の入試がありますので、力を発揮できますように、足らないところは足して頂けますようにお願いします。。」
などなどの話が続き、先生は次々と事細かにお取次ぎ用の和紙に書いて下さいます。
そして、信者さんたちのお届けの波が引いた深夜、先生は御神前に座り時間をかけて、神様に取り次いでいかれます。(総祈念)
この時、スッと先生の脳裏に願いが叶って喜んでいる信者さんの姿が浮かぶ時もあれば、なかなか浮かばない時もあります。(そういったこともあって、総祈念が深更にまで及ぶことも多いわけです)
神が願いを受け入れた時には、合わせている手が上がるとも言われています。

※ちなみに「お取次ぎ」と言えば、願いが先生から直接に神へ届けられる場合もないことはないんですが、通常教会長から初代へ、初代から親教会の先生(初代が修行を積んだ教会)へ・・・そして教祖から神へと次々に取り次がれて行きます。
そういう風に歴代を通じて確立されたルートがあるからこそ、御結界でのお取次ぎが重要になるわけです。
教会長自身も、こうやって徳を足して頂くことでその教会のご比礼が立つことになります。
247名無しさん@1周年:02/02/14 11:55
向かって左に御霊様の神殿がない教会もありますね。
248233:02/02/14 21:07
私などは、"細心の注意をはらって準備を重ね"この部分に目を背けて
"すべてが滞り無く済んで"この部分を期待しているように思います(笑)

>※ちなみに「お取次ぎ」と言えば〜重要になるわけです。

それも初めて知りました。
誰でも「神」へ直接お願いできるわけではないのですね・・・
実家を出てしまった今では、教会へ行くことはなくなってしまいましたし、
直接先生とお話をさせていただいた事もありません。
やっぱり教会へいって「お取次ぎ」をいただかないといけないでしょうか?
249私見です。:02/02/15 04:41

>247

上の方でどなたかが言っておられますように、それぞれの教会にはかなりの個性があります。
教会長の方針によって、月例祭で神道固有の装束の替わりに羽織・袴を使用されてみたり、拝詞のチョイスを微妙に替えたりと、けっこういろいろですよ。
賽銭箱が置いてある教会もあります。
さらには御結界に教会長がほとんど座っておられない教会、教会長が勤めに出ておられる教会もあったりするんですが。。(-_-)
だから何らかの事情があって、御霊殿の位置が違う教会もあるんでしょうね。

※ちなみにうちの教会では、毎日5:30、9:30、14:00、16:00、20:00の5回、(お届けタイム30分)・勢祈念30分・お話1時間・勢祈念10分・(各自心中祈念・お届けタイム1〜2時間)のセットが繰り返されています。
春には「春季霊祭」「天地金乃神大祭」、6月末に「夏越大拔」、秋に「秋季霊祭」「生神金光大神大祭」、年末に「年越大拔」そして「元旦祭」があり、その間に「初代先生年祭」「初代奥様年祭」が挟まってきます。
その他に御本部、3つの親教会への団体参拝・・・
それに加えて、月例のお祭が5回。御本部参拝、役員会、信話会、宅祭・・・(まだまだあるけど書ききれない。)
先生方はかなり忙しいですよ。(^^ゞ (私もけっこうまめに参加してはいますが)

これだけお話の機会が多いと、先生方も一々話す内容を準備されるということは出来ませんから、「皆のお役に立つ話をさせて下さい」とお願いして心をからっぽにされてから臨まれています。
250私見です。:02/02/15 04:44
>248

その性格は、けっこう信心に向いているかもしれませんね。(笑)

心中祈念で、神へ直接、願いとかの意を届けることは、出来ないこともありませんが。。
それを自分だけでしようとすると、どうしてもチューニングという大きな課題が出てきます。
「神の思いを知り、心を神の思いに合わせる。」
これは少々の修行では、とても超えられない課題です。
結局、ご祈念の目当てを記憶に残っている先代先生のお姿にする、などの工夫が必要になるでしょう。
ここでも取り次いで頂くことになりますね。

それと教会を選ぶ時に、一つ大事なことがあります。
祖父母もしくは父母が最初にご縁を頂いた教会は、神から見ても特別な存在です。
日頃お参りしている地方の教会で、あるお願いをされていた方が、都合で御本部の近所に越されました。
つい御本部にお参りされ、教主様にお願いをされたところ。
「その氏子は〜教会のもので、その件は、すでに届けられている、と神様が言われます。」
とのご返事でした。
こういった時は、ご縁のある教会の先生から参るべき教会を紹介して頂き、お届けの引継ぎをして頂くことが必要でしょう。
信徒が迷わぬように、神は筋を通すことを求められます。
まことに気の毒なことなんですが、ここが分からず自分の勝手な思いと都合だけで様々な御比礼の立つと言われる教会を転々として。。
結果として本来ご縁のある教会、人々から離れてしまい、どこへ行っても本当の仲間になれず苦しんでいる方が数多くおられます。
「縁」は神との間だけでなく人との間においても、まことに大事なものです。


予定通りこれから出張で2〜3日留守にしますね。
251世俗主義:02/02/16 06:06
ところでご本部構内の,天地金光教はどうなっているのだ。
252名無しさん@1周年:02/02/16 10:08
教祖生神金光大神の弟さんが創った
香取金光教(かんどりこんこうきょう)は今どうなっているので
しょうか、たしかこのような名前だったと思うのですが、、
金光教よりも歴史が古く主祭神の名も教祖の神名も同じだったような
覚えがあります(ただし字が違う)
詳しい方情報御願い致します。
253名無しさん@1周年:02/02/19 15:31
>>251-252
天地金光教だとか香取金光教だとか、瑣末なこと言い出すと、
シッタカチャンのモットオセーテになってまう。よって×
しかし、衒学コテハンによるここ暫くのこのスレの雰囲気のウザさを思うと、
そやって混ぜ返したくなる気持ちもわかる。

コソコウキョウマンセーな人たちの内輪話ならヨソイッテヤッテクレ と逝ってみるテスト
254名無しさん@1周年:02/02/19 19:11
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1012574531/
おぼっちゃま降臨スレでし
255私見です。:02/02/19 22:54
やっと2ちゃんらしく、混ぜ返しが入りましたね。
それではこれまでの2ちゃんらしからぬ静聴を感謝しまして、この辺りで終了といたしましょう。
256名無しさん@1周年:02/02/20 17:40
>>私見です。さん
終了しなくてもいいのでは?
珍しくもない混ぜ返し(しかも煽りにもなっていない)なんてほっておけば。

ところで、>>193-202あたりの、金光教が不条理を説明できる(する?)
かどうか、という議論が気にかかっています。

とくに、>199の
>>なにがしかの権威によって、素人にはわからない論理でもって、
>>プロの宗教者が解明してくれて、そして、生き方の正解を教えてくれるのが
>>宗教だとしたら…いやだ。
>これが「お取次」の内容そのものズバリじゃないですか?

>私は、取次のなかで、不条理そのものを説明する原理がない、
>という点を問題にしているのです。

というところが知りたいです。
金光教の「お取り次ぎ」ってそういうことなのですか?

あ、最後の質問は私見です。さんに限定ではなくて。
257名無しさん@1周年:02/02/21 00:28
あんまり深く考えずに、お参りしてるものです。
困った事があると、お参りの回数が増えたりと、
まんま、困ったときの神頼み状態です (w

この板を読んで、私も勉強させていただいていますが、
お取次ぎについて、自分ではこのように考えています。

教会長のことを、親先生と言います、
子供が、人に何かしていただいたとき、迷惑を掛けたときに、
親が一緒にお礼に行ったり、謝ったりするときがありますよね、
それを、御結界でお届けして、お願いしているのだと思っています。

本来、何処に居ても神さんにお礼申し上げたり、お願いしたりは
出来るものはずですが
そうやって、親先生からも神さんにお届けいただく事で、なんと言うんでしょう?
徳を足していただくとでもいうのでしょうか?そういうことだと思っています。

>248 >誰でも「神」へ直接お願いできるわけではないのですね・・・
違いますよ、「天地の神の御守り遠き近きの隔てなし」って有りますもの

小さいときから、親に連れて行かれてて、
そのまま、その教会の少年少女会に入っていたので、
教会にお参りに行く事や、金光教は、どんな宗教かと言うことを
深く考えず、当たり前のように考えていたので、上手く説明できません。
(ちゃんと信心できていないともいうか?)

不尽り云々は、良くわかりません(すみません)

Come back! "私見です。"さん!
258名無しさん@1周年:02/02/21 09:52
権威、あるでしょう。親先生、大先生、先代先生、初代先生方の
お神徳があってこそのお取次ですから。。
259名無しさん@1周年:02/02/21 10:04
神と人とが「あいよかけよ」で生きていない、という認識がまずあって
神と人ととの「あいよかけよ」の道を教祖が開いて教えて下さっている。
それが金光教、です。神前拝詞でもそのように説明されておりますね。
260名無しさん@1周年:02/02/21 18:09
親先生とか大先生とか
あるいは教祖様(教主様?)っていうのは特別な人なんですか?
たとえば神様とお話が出来てしまうような。

…と、お取り次ぎっていうのは
「イタコの口寄せ」とか「陰陽師」みたいなイメージ?

漏れなんか勘違いしてるか?
261名無しさん@1周年:02/02/23 10:43
金光教入門 これが金光教だ。
http://www2.justnet.ne.jp/~mot.hayafuji/KONKO.HTM
262名無しさん@1周年:02/02/23 11:05
263名無しさん@1周年:02/02/23 14:21
ホームページにはいろいろ説明があるけど、
ほんとに金光教は教会によって多種多様で、
先生の教えも少しずつ力点が違います。
264名無しさん@1周年:02/02/26 00:13
このまま落ちていくのは惜しいので上げておきます。

>金光教は不条理や形而上の問題を説明しない宗教なのか、どうか。

ここが一番知りたいです。是非「私見です。」さんのレス期待します。
265名無しさん@1周年:02/02/26 12:21
「天地に全てまかせれば、安心である」というような教祖の言葉があります。
生も死も、不条理も、全て、一切、天地にまかせろ、
ということなんでしょうね。自分の出来ることは出来る限りしますが、
手に負えないことは天地に委せるしかないんだ、と。

あと「神さまは無駄事はなさらない」というのもあって、
大きな天地のはからいの上では、人間には無駄事に見えても
天地の視点だと無駄事はないということなんでしょう。

そうなってくると、ただごヒレイとか、個人的な願望が叶うかなわん
とか、幸せとか、もちろんそれも大切なんですが、そういう
個人の人生の局面を越えるような、マクロな視点があるのでしょうね。
266名無しさん@1周年:02/02/27 09:56

「天地に全てまかせれば」っていうのは、
「諦めろ」っていうこととは違うのですか?

手に負えないことは、どうしようもないことだから
受け入れていくしかない、というような。

「無常感」みたいなものでしょうか?
267名無しさん@1周年:02/02/27 22:54
「諦めろ」と同じかどうかわからないんですけど、
「諦めろ」だとやる気なくなっちゃうんですよね。
まあ教祖自身、死にかけた体験もありますから。「死んだと思って」
取次に専心したわけですよね。きっと人生の評価を
一旦ゼロに戻す、みたいな考えがあるんじゃないかと思います。

諦めるといっても単なる落胆ではなく、
積極的に生きる土台になるようなものだと思います。
その諦めには神に対する絶対的な信頼感が不可欠で、
自分の存在全体で神にぶつかっていく、神がそれを受け止める、
そういうダイナミズムがあるような気がします。

「無常感」は自分が頼りなくはかなげでものさびしい感じですよね。
神の側へもっと投企していくような感じなんじゃないですかね。

ただ、やっぱり自分の命を越えるような価値が見いだせないですからね。
長生きよりも大切な価値や行動が人生にはあるんだ、っていう価値観なら
少なくとも、命の長短は人間の幸福とは無関係だ、
と言い切れるんですが。。
268名無しさん@1周年:02/02/27 22:55

>>260
お話できる・・・そういう感じの先生も過去にはいっぱい存在したし、
今もいらっしゃるかもしれません。年中無休で長時間、
参拝者がこなければずっと取次結界でお祈り、みたいな感じですから、
ある種の感覚が研ぎ澄まされるのは間違いないようです。
269名無しさん@1周年:02/03/01 15:49
あがらなくなりましたね(苦笑
270名無しさん@1周年:02/03/02 22:06
>>267
深いですね。
神に向かって積極的に身を投げ出していくような…。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」見たいな感じですか(ちがいます?)。
なんとなくわかる気がします。

それと、「自分の命を越えるような価値が見いだせない」というのは、
「金光教」が主語ですか?

「私にとっては、自分の命よりも(あるいは、命に代えても)大切なものがある」
と信じること、そのようなものを大切にするということは、
誰にとってもありうると思います。
ただ、それは、一人称でしかない(というか、語るべきでない)と思います。
そのような価値を見いだすのは「自分」なのではないでしょうか。
それが、二人称で流通すると怖いと思うのです。
宗教って、そういう価値を教えてくれたりするイメージがあるのだけど。
で、宗教(あるいは宗教的ともいえるような狂信)の
怖さってそういうところにあったりすると思ってるのだけど。

金光教はどうでしょう。
271名無しさん@1周年:02/03/03 03:39
ラジオの伝道番組で波平さん(永井一郎さんっていったっけ、声優さん)が毎回出てたよね。
最近、あの声を聞くたびに金光教を思い出します。
272:02/03/05 23:38
このスレの5に書き込みした者です。

5は金光教の信徒にならさせていただきました。

みなさんに話せるようなことは何もないのですが、とても恥ずかしいのですが

  神様への一礼が自分の千回の思弁に勝るようなことがございます。

教会の先生は平易な言葉でお話しされます。それが自分の腹にくい込んで
心が改まることがあります。拙いことですみません。
273名無しさん@1周年:02/03/06 11:07
おめでとうございます。
274:02/03/07 21:09
>>273
どうもありがとうございます。
末永く丁寧に信心ができればと思っています。
私は生まれつき緊張感が強く、今まで生きてきて心が落ち着くことがあまりなかった
のです。
 先生のお話に「この方の道ではよろこびにしくじりはさせない」と教祖様のおしえを
語ってくださいました。そのときの先生のお顔がなんともいえず落ち着いた明るさに
満ちておられて、そのあと自分は神様に心が向いたような気がします。
今は少し安堵の気持ちでおります。
275名無しさん@1周年:02/03/09 12:21
>>274
教義がどうこうとか説明のしかたとか、ってことよりも、
人の存在感がすべてを語って・伝えてしまうことがあるということを思います。

ちょっと上にあった「神様とお話できる先生」ってのもそういうことかもしれませんね。

金光教に限ったことではないでしょうが。
276名無しさん@1周年:02/03/12 15:15
保守age
277名無しさん@1周年:02/03/16 19:39
地元に教会があるから、とりあえず行ってみようと思う。

ずっと狐でも祀ってるのかと、思っていたんだけどね(藁。
278:02/03/17 23:45
>>277
あなたに神様の良いおかげがありますように。
279名無しさん@1周年:02/03/18 00:24
>>278
すみません、少し教えてください。
信徒になるには、何か特別な事をしなければならないのでしょうか?

以前からお参りはされてるようですが、
>>272で、あらためて「信徒にならさせて〜」と書かれているので、
一般の信者とは、違うのかと思いまして。
280:02/03/18 21:57
>>279
自分が信徒になった次第はこうです。
今年になって教会の信徒の会に年会費を納めただけです。

先生が「あなたは度々参られるので信徒して祈っております。」とのことでした。
本当に初心者なので詳しいことは知りません。週一度お礼に参っているのと
月々の祭典に参っているぐらいです。
281279:02/03/19 14:22
>280
そうですか、信徒の会に入られたのですか。
私は、昔、少年少女会(ボーイスカウト)で、お世話になり、
その縁で最近、月に2〜3回教会の文化活動?(吹奏楽)に、
参加させていただいていますが、全部自分の楽しみ遊びばかりで・・・
考えたら、教会の事何にも知らないんですよね。

またお誘いがあれば、話を聞いてみます。

早速のお答え、ありがとうございました。
282名無しさん@1周年:02/03/21 14:57
上げておきましょうかね。
283名無しさん@1周年:02/03/22 14:01
>>282
そうしましょうかね。
284名無しさん@1周年:02/03/22 21:23
がんばれ金光教、、、あげ
285名無しさん@1周年:02/03/23 10:15

ガイシュツですが、金光教の高校が春の甲子園に出るそうですね。
天理、PL、弁天宗、創化学会、に続き(他にもある?)ようやくというか。

信徒の人はみなさん応援にいかれるのですか?

286名無しさん@1周年:02/03/26 07:03
定期あげ
287名無しさん@1周年:02/03/26 10:36
昔ボーイスカウトやってて本部が金光教の教会だった。
なんか年に一回位中国地方で物凄い人数のボーイスカウトが集まる金光教の大会が
あった。
当時は意味わからんかったけど、ボーイスカウトってアメリカかヨーロッパで生まれたはずだから
普通に考えてキリスト教ベースっぽいのに何故あれだけの団があの大会に参加してたんだろ?

金光教が喪家や真如炎とかのカルトと違うところってどこ?
普通っていうとこだけ?
288名無しさん@1周年:02/03/26 11:55
>>287
ボーイスカウト運動はベーデンパウエル卿によって、イギリスで始まったものです。
そのBP卿は活動の中で信仰を重視しており、スカウトが信仰心を持つことを推奨しています。
ですからその表れとして、日本では神道、仏教、金光教、キリスト教、世界救世教などが
活動母体(活動場所)となっていることがあります。>>287さんの場合は金光教ですね。
さて、BP卿自身は熱心なキリスト教徒であり信仰を重視されていたわけですが、
それはキリスト教のみという意味ではなく、あくまで個々のスカウトが自身の信ずる
宗教に対する信仰心を大切にしましょう、というような意味です。
ですから、キリスト教だけでなく色々な宗教団体を母体とする団があるわけです。
(もちろん宗教団体を母体としない団も沢山あります。また、無宗教を否定することもありません。)

なお、僕も小学校の頃から大人になるまでずっとスカウト活動をやってました。
所属団の活動母体は神社でして、>>287さんが金光教スカウトの大会に参加されたように
僕も神社スカウトの大会に参加しました。
信仰に関して言えば僕自身は神道で母や祖母が金光教です。
最近金光教に興味を持ってきたのでこのスレを読んでいたところでした。
マターリしていて、実に金光教らしいですねぇ。
289名無しさん@1周年:02/03/26 11:58
なんかあまり叩かれてない宗教みたいだけどどうなの?
290288:02/03/26 12:00
補足。というか訂正?
「宗教団体を母体としない団も沢山あります。」と書きましたが、
むしろ宗教団体を母体とする団の方が少ないかもしれません…。
291287:02/03/26 15:31
>288
サンクスです。
わかりやすかったです。
本人はキリスト教だけどスカウトには個々の信仰を大事にするっていうのは
いい感じですね。
自分は小学一年から中学二年までしかやってなかったのであまり詳しくなかったりします、、。
小6くらいまではカブでしたからね。
ベ−デンパウエル卿って懐かしいなあ、、。
BSになる時に歴史を勉強させられました。(もちろん、宗教云々なんかは教わらなかったけど、)

288さんはボーイやってたから神道なんですか?
普通、家族の影響受けるか、無宗教になりますよね?

金光教とあまり関係ないけどさがりやすいスレのようなのでage
292288:02/03/26 16:56
>>291
>288さんはボーイやってたから神道なんですか?
>普通、家族の影響受けるか、無宗教になりますよね?

入隊する前までは無宗教だった(というか子供だったので宗教という概念自体なかった)ように思います。
ただ、母や祖母と一緒に金光教の教会に行ったり、家に教会の先生がいらしてお話をしてくださる
機会がよくありました。
神道を知ったきっかけは、おっしゃる通り僕の団の活動が神社で行われていたことが大きいです。
(早朝に褌一丁で水を被る「みそぎ」を体験したこともあります。北国の冬だったから寒かった…。)
今は主として神道なのですが、金光教的な考え方には共感するところが大変多く、
どちらの考えも自分の糧となっていると思います。
神道も金光教も、あまり身構えずに自然体で接することが出来る点が僕の肌に合っているのかもしれません。
ごく自然に心の中に染み込んでいった、生活の中に溶け込んでいる、という感じかな。

ちなみに僕は現在大学3年の現役のスカウト(ローバースカウト)だったりします。
まぁ進学のために引っ越したのと忙しいのとで最近はあまり活動していないんですけどね。
293a:02/03/26 16:56
294無宗派。:02/03/27 02:41
金光教入門、拝見しました。
率直に信徒さんに質問します。
いわゆる「勧誘」は
していますか?
また、信心に「勧誘の義務」はありますか?教えて下さい。
295名無しさん@1周年:02/03/28 17:15
勧誘はしてないでしょう。勧誘の義務もありません。
296名無しさん@1周年:02/03/29 21:21
金光大阪、負けてしまいましたね。
297 :02/03/30 09:46
いわゆる神社の神道と金光教は似ている面もありますが、
似ていない面も多いですね。きれいずくでは人は助からない、とか
不浄を忌み嫌う必要はない、とか。物忌みという考えもないし。
厄年は役に立つ年、だし。。
298宇都御魂 ◆ZK38QLd. :02/03/31 01:17
 そう言えば、金光教は教派神道十三派の一つだけど、現在はどう分類されているんだろう?
電話帳では「諸教」扱いだったが。

#ちなみに、同じく十三派の一つだった天理教は「諸教」のカテゴリに入っている。
299名無しさん@1周年:02/03/31 19:07
http://www.relnet.co.jp/
↑このホムペの三宅善信って金光教の教会長なんでしょ?
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/index-12.htm
↑ロシア正教の総主教との関係とか、本当に書いてる通りなんでしょうか。
金光教内での三宅善信師の評判ってどうですか?
300ののたん:02/03/31 19:08
今だ300番ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
  ∋oノハヽo∈         (´⌒(´
  ⊂(`D´⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ

  ・・・・・・・・・・・・・
   ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
  ∋oノハヽo∈         (´;;
    (´D` ,)⌒ヽ    (´⌒(´
     U‐U^(,,⊃' ... (´⌒(´⌒;;


  ∋oノハヽo∈
    (´D`;) <あれ?ののは空回りですか?
    U U )
     ∪∪
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
301名無しさん@1周年:02/03/31 19:15
>>299
同志社大学の神学部卒業で“外務省のラスプーチン”は一年後輩だって。
神学博士で、キリスト教関連ではそこら辺の牧師も顔負けの“神学者”らしい。
ハーバード大学の研究員もやってた。
金光教内では超エリート。
302名無しさん@1周年:02/03/31 20:48
金光教にはエリートなどいません。
各教会で人間が本当に助かっていくとはどういうことかを、
教えててくださる先生方が。えらいといえば一番えらいのだろうと思います。
その中でも、毎日365日欠かさず朝4時にお祈りしてくださる教主が教内で
一番大変な職責を担っていただいています。
しかも信徒にかかわらず、全人類の真の平和願われていることは、とてもすばらしいことだと私は思います。

303評判は:02/04/01 11:28
>>299
アマリヨクナイトオモウゾ
304 :02/04/01 14:51
っていうか、三宅善信師のエッセイ、すごく面白いですよ。

305名無しさん@1周年:02/04/03 11:30
こんなスレあったんですねー
うちは代々金光教なんですが、知らない人に「どんな宗教なの?」って聞かれても
「柏手打って、家には仏壇がなくて、葬式の通夜がない楽な宗教」って答えてました。
ちゃんとした教義なんかも知らなかったので、ずいぶん為になりました。
ありがとうございます。

ところで、うちの教会の先生は、1礼4拍手2礼なんですが、1-4-1が正しいのでしょうか?
306名無しさん@1周年:02/04/04 15:24
天地金乃神大祭あげ
307 :02/04/05 13:09
1-4-1が正しいと思う。
308仁和:02/04/05 13:33
私は信仰して無いが此れだけは言っておこうと思います。
初代の教祖様が偉いと思います。
自分自身で無く天地金乃神を拝んで欲しく、自分自身の姿を残さなかったの
は凄すぎる。
他の宗教はどの人も教祖様が・・形を残してるのに…偉いと思います。
309にわか信者:02/04/05 20:47
>>294
勧誘の義務はまったくありませんよ。
ただ、私の場合、父が金光教で、やたらと教会へ行こうと
言うのでうざったくてしょうがないです。
金光教が良いと言う人は、ここはイイ宗教だよと勧誘しようと
する人が多いのでまあ、どこの宗教もそうなりがちですが困ったものです。

ついでに、某教会の先生に相談すると、いつも
「君はいいよ昔はもっと大変な時代だった」が口癖で
これじゃあ、誰も救えないなあと思ったりした事があるよ。
教会の先生も十人十色で気に入った先生を見つけるといいよ。

ちなみに「若先生の箱庭」のホームページはイイと思うけどもね。
昔メールで悩み事を相談した事があって、親切に答えて下さったよ。
今は恐らく多忙で、相談に乗るのは打ちきってるみたいだけれど。
他の人の人生相談のコーナーは結構参考になるよ。

私は気が向いた時だけお気に入りの教会に行くよ。
ちなみに私は浄土真宗もやってるよ。他の宗教と掛け持ち
しても許されるのってここくらいかなと思ったりする。

何だか勧誘っぽくなってゴメン。
310名無しさん@1周年:02/04/05 21:16
私も気が向いたときだけ教会へいきます。
前の先生が亡くなって、若い先生が教会長なので
少し頼り無いです。
でも、まあ、親身になって聞いてくれるから。
義務っていうのは勧誘に限らずほとんどないです。
縛りがなくて、かえって不安にすら思う(藁)。
ほかの教会のことはあまり知らないのだけど。
(金光教って教会によってずいぶん違うらしいから。)

311名無しさん@1周年:02/04/07 17:00
そっか、がんばれよ!
312名無しさん@1周年:02/04/07 17:07
頑張れ、ガンバレ、がんばれ、金光教、アゲ、あげ、AGE。
313 :02/04/07 21:32
金光教は現在も教派神道です。
314:02/04/08 00:22
教会に参るようになって変わったこと

5は金光教の信徒になる以前はキリスト教の教会に通っていました。
洗礼を受けたいと思っていましたが信条をどうしても心の奥底で受け入れることが
できず、ついに信仰を持つには至りませんでした。自分の力の無力さを感じたのです。

心では神様にあこがれを抱いていましたが、神様は遠い存在でした。私の心と私の体に
神様を直に感じることはできなかったのです。

金光教の信徒になった今は常々みじかに神様のお守りを感じています。私はおとなしい
性格で人からよくたしなめられることが多かったのですが、教会に参るようになって
からはそれが極端に減りました。丁寧に扱ってもらえることが多くなったのです。
こんな話は信じてもらえるかはわかりません。でも今は全くちがった道を歩いている
ようです。神様に手を引かれながら怖がらずに歩けるようになっていけそうです。
315名無しさん@1周年:02/04/09 09:25
まだまだご意見、募集中です。
316名無しさん@1周年:02/04/09 12:16
金光教は、
「御神米」というお米をお守りとして渡して下さります。
私は心細い時に時々そのお米をかじったりしてお祈りします。
御神米は「護身米」とも取れるかななんて勝手に自分で
解釈してるんですが、どう思いますか?
317名無しさん@1周年:02/04/09 16:58
我が家では御神米はいただいた翌日に普通のお米と一緒に焚いて食べます。
亡くなった婆様曰く
「これを食べれば神様のおかげがある。」
おかげさまで、大病知らずの一家です。
318名無しさん@1周年:02/04/09 17:12
>>308
ある意味、確かに偉いと思う。
維新後、四民平等で新たに姓名を役所に届けるに当たって、
「金光大神」と届けたのが偉い・・・結局、受理されず「大陣」にしたけど。
「大陣」じゃ歴史的仮名遣いだと「だいじん」じゃなくて「だいぢん」だよね。
319神田うの:02/04/11 23:55
幹夫さん大好きYO!
320名無しさん@1周年:02/04/12 00:08
夜、こんこうきょうの人たちが近所の目もはばからず皆で大声をあげてたことがあったんだけど
なんだったんですか?ていうか近所迷惑です。自己ちゅーです。
321名無しさん@1周年:02/04/12 00:40
>>320
なんでその集団が金光教の人たちってわかったの?
322川o・-・):02/04/12 00:53
>>320-321
コンコンが空手の練習してたんだYO!きっと。
323名無しさん@1周年:02/04/12 00:55
川o・-・).。oO○(誰か「コンコン教」のスレ立てそう・・・)
324保守age:02/04/12 10:51
>>320
夜中に「大祓詞」を唱えてた?
325名無しさん@1周年:02/04/12 22:52
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age age age age age age age age age age age age age age age age age
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326名無しさん@1周年:02/04/12 23:55
>>319
>幹夫さん大好きYO!

今、店頭に並んでる「週刊実話」に、神田うのと結婚するっていわれてる、
山野幹夫の一家が愛子さんを始めとして熱心な金光教の信者だって書いてる。
ただ、教派神道13派の老舗の金光教を掴まえて「新宗教」って書いてるのは、
やっぱり普段、三流低俗記事を追いかけてる実話の記者さんだなぁ、って思った。
http://www.nihonjournal.com/jituwa/index.html
327名無しさん@1周年:02/04/13 00:49
>>319
山野愛子って金光教の芝教会の会員さんなんですか?
「週刊実話」に載ってた教会の看板が「芝教会」って読めました。
328名無しさん@1周年:02/04/13 00:53
神田うのにはあってると思う、金光教。
329名無しさん@1周年:02/04/13 01:01
神田うののデビュー曲って宗教っぽい歌だったよねぇ。
330名無しさん@1周年:02/04/13 21:39
http://www.spacecraft.co.jp/uno/profile.html
神田うのオフィシャルHPにはディスコグラフィーの欄がないぃ〜;
デビュー曲って、確か「♪ジーザス♪ジーザス」っていったよね。>>329
331名無しさん@1周年:02/04/13 22:25
>>326
>教派神道13派の老舗の金光教を掴まえて「新宗教」って

週刊実話の記者には、
初代山口組が約50人の沖仲仕を集めて、
神戸市内で山口組の代紋をかかげたのが大正14年(1925年)、
金光教が立教したのが安政6年(1855年)、どこが“新宗教”?

といってみたりするのがわかりやすいと思われ。
332名無しさん@1周年:02/04/13 23:50
八つ波に丸金の紋が好き。
333知ったかぶり:02/04/15 11:27
>>331
「新宗教」という呼び名は、宗教社会学で、幕末〜明治期に爆誕した、
いわゆる日本の近代化過程の中で生まれた「宗教」を指すために
用いられる用語だったと記憶している。(天理、黒住、大本、金光など)
島薗進らが使いはじめたのではなったか。

戦後に生まれたものを「新新宗教」、最近のを「新新新宗教」なんて
呼んでた人もいたような(藁

ちなみに「民衆宗教」とかいう言い方もあって、
こちらは(宗教)歴史学の分野での用語。
村上重良なんかが主な使い手。
上記の「新宗教」と概ね同じものを指す。
というより、むしろ、「民衆」という語が如実に示しているように、
或る「史観」を内蔵している語で、
そのバイアスを取り除くために「新宗教」と呼んだのでは…

まちがってたらスマソ。知ってる人訂正してちょ。
334歴史は進む:02/04/15 19:39
時代がどんどん進んでいくわけで、
幕末辺りに立教の歴史が遡れる教派神道に“新宗教”は不自然に聞こえますね。
江戸時代を“近世”といったりするのももうどんなもんでしょう・・・
古代・中世・近世といった時代区分に思うのは、
今の時間から“古”であったり“近”であったりすれば変わっていくのは仕方ないだろうなって感想です。
335続知ったかぶり:02/04/16 09:40
>>334
新宗教の「新」は、
今から見て「新しい」、って意味とは違って
それまでにあった(既存の)ものと比べて「新しい」
ってことだと思う。

「鎌倉新仏教」なんて呼んだりするじゃない。
法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮なんかのことを。
そういう感じの「新」だったと。

世の中のすさまじい変動の中で、
それを反映して起こってきた宗教運動で、
既成のものから生まれながら、それへの飽き足らなさを前提している。
その意味での「新」かな?

だから、「新」でなくなった今となっては、
金光教に元気がないのはある意味必然の時の流れ。
あとは、既成化してほそぼそとうらぶれながら、
身内を相手に続けていくか…。
336名無しさん@1周年:02/04/17 10:37
長生きする宗教というのは、教義の根幹をきっちりと規定して、
それをしっかり守りつつ、その時代に合わせた表現をしていく、
という共通項があるように思います。あと「教祖の精神に帰れ運動」みたいな
運動や組織への批判が活発であること、なども要素でしょうか。
337名無しさん@1周年:02/04/17 20:25
現代の金光さんには2chは合わないよね。
昔は御家騒動みたいのもあったようだけど。
338名無しさん@1周年:02/04/17 22:19
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339名無しさん@1周年:02/04/18 09:01
昭和九年十年事件
340名無しさん@1周年:02/04/18 17:20
>>339
蛇蝎の教団
341金が光る:02/04/19 17:13
ダスキンは金光教を信仰してるらしい。面接にいった時担当者に言われた。
342名無しさん@1周年:02/04/20 06:55
>>341
今の社長は天理教じゃなかったっけ?
343名無しさん@1周年:02/04/20 07:21
創業者鈴木清一氏が金光教に入信して、祈りの経営として
信仰に基づく経営を行ったのは、ヤオハン「生長の家」と共に有名な話
344名無しさん@1周年:02/04/20 13:35
昭和九年十年事件とかって、教団内のフツーの信者さんも
知ってるのかな?随分マニアックな感じ?

信仰の人、高橋正雄さんとかはどう?
あと、佐藤範雄さんって、教祖のところに来る前から
けっこういろんな神道関連の勉強とかをしていた、
みたいな話を読んだことがあるんですけども(うろおぼえ)
そのへんはどうでしょう。
345名無しさん@1周年:02/04/21 15:36
五つの祈り
人を軽く見ない
人を当てにしない
人に恩を着せない
人を責めない
人を利用しない 私にならせてください
高橋正雄
346名無しさん@1周年:02/04/21 17:57
著作集とかもあったなー
347名無しさん@1周年:02/04/21 19:13
見ること見ること自分を見ること 高橋正雄
348 :02/04/21 20:22
一燈園の西田天香さんとかとも交友があったりね。
349名無しさん@1周年:02/04/23 11:58
>>344
いわゆる「教団自覚運動」ってやつっすか?
知ってる人は知ってる、って感じかな。

ところで、ネットでサーチかけてみたら出てきたよ。
まさかと思ったけど。

しかも、「金光教伏見教会」のHPで、
「金光教辞典」として公開している。
誰が何をしてどうなってとか、「有志盟約」とか。

教団の謂わば「恥部」みたいな事を、一教会が晒してるなんて…。
さすが金光教。

直リン貼ると迷惑かかるといかんからやめとくが、
msnサーチですぐ見つかるよ。
350名無しさん@1周年:02/04/27 10:28
また止まりましたね。
保守揚げ。
351名無しさん@1周年:02/04/28 11:25
age
352名無しさん@1周年:02/04/28 21:53
ダスキンと関係あるんでしょう?
詳しくおせーて!
353名無しさん@1周年:02/04/28 22:19
「スエヒロ」のほうが有名でわ?
354名無しさん@1周年:02/05/01 11:09
>>352
創業者鈴木清一氏が信仰していた(既出だが)。
詳しくは知らないが、ダスキンのホームページにも、
養母が信仰していたこと、
病気をきっかけとして、金光教に入信したことが、
[創業者・鈴木清一の足跡]として出ている。
また、一燈園にも入っていて西田天香とも親交があったと。

355名無しさん@1周年:02/05/01 21:01
鈴木清一氏の映画が作られるそうです。映画化されたらどういう係わり合いかわかると思います。
356名無しさん@1周年:02/05/03 11:28
>>355
マジですか?
どんな映画になるんだろう?主演は鈴木清順ですか?(藁
357名無しさん@1周年:02/05/03 19:06
>>356
鈴木清順の弟さんの健二さんにも出て欲しい。
358名無しさん@1周年:02/05/06 22:04
ほぜん
359名無しさん@1周年:02/05/07 11:42
age
360名無しさん@1周年:02/05/09 07:55
朝なので揚げときます
361名無しさん@1周年:02/05/10 13:49
ここ、もう終わりかな…。
人、いないしな。
金光教らしいね(寂藁)
362名無しさん@1周年:02/05/10 18:28

お取り次ぎ、後ろの信者さんに聞こえてしまうでしょ。
重大なプライバシーに関わるお取り次ぎとかって、
やりづらいのではないでしょうか?
363 :02/05/11 12:02
金光教のラジオを偶然聞いて以降、ラジオを聞いたりしています。
ラジオを聞いてるだけでも、信仰していることになるんでしょうか?
364名無しさん@1周年:02/05/11 16:50
ならないでしょう 生活と信仰が同じにならせていただく稽古が必要。教会にいって指針をお伺いしてください。
365名無しさん@1周年:02/05/12 21:46
でもさ、信仰っていっても、
やればやるほど至らない自分が見えてくるんだよナ
366名無しさん@1周年:02/05/12 21:49
トラトラジオンジオンチトフルモ トオチャソウトチャソウホンミアン
ジオンプラトアミアミ ミトラホンホントラツ トオライタチプララソト
チタチトアミホン


367名無しさん@1周年:02/05/12 22:39
>>366
デムパ?
368名無しさん@1周年:02/05/13 22:11
>>367
しっ。見ちゃいけません。
>>364
「稽古」ってなんですか?修業みたいなこと?
369名無しさん@1周年:02/05/13 22:27
    ζ
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  (6-------◯⌒つ |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |    _||||||||| | < >>363 わしも番組に出た事あるんじゃぞ。
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     \____/
370名無しさん@1周年:02/05/13 22:29
>>369
これが金光教の祭壇なのじゃ。
  \                                          /
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     │ │    l. ̄ ̄ ̄ ̄|    │  │ ◎     |     ◎ │ │
     │ │    | | ̄ ̄ ̄| |    │  |____|____| │
     │ │    | |  永  | |    │  |___________| │
     │ │    | |  井  | |    │  │            | │
     │ │    | |  一  | |    │  |_______        | |
     │ │    | |  郎  | |    │  |_____|       | │
     │ │    | |      | |    │  │    | |         | |
     │ │    | |___| |    │  │   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | │
     │ │    |___________|    │  │   ̄ ̄ ̄∧ ∧O│ |
     │ │  ________  |  │ ) ̄(    ( ゚Д゚)ノ !  |
     │ │  l_______l   |  │(- - )   ∪  |   | │
     │ │    )(     )(     |  │ )___(   (=)  )〜!  |
     |  i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
371部外者:02/05/14 02:07
>>361
そんなに信者さん少ないのですか?
372名無しさん@1周年:02/05/14 10:44
>>371
禁句だよ。
教団及び教会関係者が見たら(以下略)
373名無しさん@1周年:02/05/14 16:12
ただのプラス思考ではないはず。
374名無しさん@1周年:02/05/17 09:39
>>373
有料のプラス思考
375名無しさん@1周年
金光饅頭なるものを食べたことあるYO!