カトリック教会のカテキズムはカトリック教会の公式教義を説いた文献です。
同書2089から引用しましょう。
「異端とは、洗礼を受けた後に、神聖にしてカトリック的信仰をもって信ずべき
いずれかの真理をかなくなに否定すること、あるいはそのような真理に対する
執拗な疑いである。」
現在のカトリック教会においても、信ずべき教えに反することを公言することは
ゆるされていません。
カトリック教会が不可謬的に定義してきた信仰と道徳に関する教義は、
不可謬であるが故に変更されていません。将来も変更はありえません。
「カトリックの公式教義に明白に反すると思われる自称カトリックの
言説を批判的に検討する」趣旨に異をとなえる自称カトリックは、
その事実自体によって自らの身に異端の嫌疑を引き寄せても仕方がありません。
本スレにおける議論の土俵の設定を明確に行っておきます。
まず確認しておきますが、私はカトリック教会が定義した信ずべき教えの全てが
神学的に論証できるなどとどこにも主張していません。
どのような主張体系でも何らかの証明不可能な「公理」から出発します。
論理を無際限に遡及していくことはできないからです。これは、きわめて
形式化された学問の代表例である数学や幾何学のことを考えればご理解
いただけるでしょう。そのような公理は「知性的に自明である」あるいは、
「信じることが理性に反しない」ならば前提とすることが可能であり、
それ自体としては何ら不当な要素を含んでいません。
そして、カトリック同士の議論においてはすでに前スレで指摘したようにカトリック教会が定義した信ずべき教えが前提となって議論空間が成立し、
その中で勝敗が決定されます。
そして、カトリック以外の人間とカトリックとの議論においては、議論の前提となることは当然変わってきますし、容易に合意が得られることも
ありません。しかし、
「カトリック教会が定義した信ずべき教えはかくかくの理由によって誤謬である」という主張が、必然的な仕方で論証されることなどはありません。
過去スレにおいてその言動が批判の対象となった人々・学派をここでまとめておきます。
ハンス・キュンク
テイヤール・ド・シャルダン
ソダーノ枢機卿
アンニバル・ブニーニ大司教
遠藤周作
井上洋治神父
百瀬文晃神父
鈴木秀子
解放の神学
アンソニー・デ・メロ
グノーシス主義
日本カトリック教会典礼委員会
以下は、カトリックに影響を与えているかぎりにおいてその言動が過去スレにおける批判の対象となった人々や学派です。
カール・グスタフ・ユング
ニューエイジ運動
フリーメーソンリー
ハイデガー
なお、カトリック以外の方にお願いいたしますが、当面本スレにおける議論はカトリック内部の問題思想の批判的検討というスレの本旨に限定させていただきたく思います。
スレの趣旨と大きく外れる書き込みについては私個人はレスしない場合がございます。
(他の方がレスなさるかもしれませんが)カトリシズムそのものへの異議申し立てや質問などはできればかとりっく・すれっどなどの他スレでお願いしたいと思います。
Sylviusさんが信仰上、一番大切にしていることは何ですか?
またもっとも尊敬する聖人は誰ですか?
良かったら教えて下さいませ。では!
ちなみに、ボクの尊敬する聖人は十字架の聖ヨハネ。
神さまの祝福が、Sylviusさんの上に豊かにありますように!!
>ALL
兄弟的矯正について読んで下さいと言ってもいっこうに「告発やめろ」みたいな発言が止まないのでやむを得ず神学大全を引用しておきます。
「異端者が目立たぬ仕方で人々を信仰から逸脱させるような場合・・・ただちに公然の非難にふみきって、こうした危害を阻止しなければならない。」
「信仰の危険が迫っている場合には、上長達は従属者たちによって公的にさえ叱責されるべきである、ということを知っておかなければならない。」
(第二ー二部、第三十三問)
というわけで、このスレの趣旨は完全に正当化されました。
同様のことは現在の倫理学書(Heribert Jone、Prummerなど)を参照いただいてもご確認いただけます。
<>5様
大変ありがとうございます。
浅学にして不徳の身ゆえ皆様の祈りとご鞭撻を大変必要としております。
私が信仰生活において一番大切にしていることは祈りです。
祈りは人間がなし得る最高最善の行為であります。
とりわけミサにあずかることは重要であります。
十字架の聖ヨハネは私も尊敬する方です。
とくによく読む聖人を誰か一人挙げよと言われたら、やはり聖トマス・アクィナスということになるでしょう。
>>7 そうですか、ありがとうございます。
完全なもの、というのは実に魅力的でありまして、
私も完全なものに憧れて止みません。
どうやったら完全さに少しでも近づけるのか?って。
ところで、遠藤周作氏を批判しておられますね。
『イエスの生涯』など。一連の著作は日本人には取っつきやすいと思います。
少なくとも、私には取っつきやすかった。
最初はカテキズムには、かなり違和感がありました。
今の私は、あのイエスには到底満足出来なくて、
逆に違和感のあったカテキズムのほうが
ストレートな根拠になってきているわけです。
次へつづく
遠藤周作氏の著作を読んでカテキズムに至った人間が
たしかにここにおります。
鈴木秀子氏やデ・メロ神父の本も、非常にとっつきやすい。
信仰のない人間が、根源的不安にぶつかっているとしても、
いきなりカテキズムを理解するのは難しいのではないか、
というのが正直な思いなのです。問題になさっている著作も
有用ではないかと。
グレーゾーンな著作を読んで信仰の門を叩くこと、については
Sylvius様はどのようにお考えになりますでしょうか。
10 :
名無しさん@1周年:01/09/15 17:49
>>6 前スレでは「異端を殺すことも正当化される」としていたけど、これは
まだそう思っているのかな? 「公然の非難」にはその「異端」と決め付
けた人を殺害することも含むのだろうか? 自分の信じる「正統」と異な
る主張を「異端」と呼ぶのは勝手だが、「異端を殺せ」となるともうそれ
は教団内の「叱責」の範囲を大きく逸脱した「罪」だよね。
放置決定!!
このスレを立てたSylviusグループは、
カトリック教会でも最過激派であり、極めて一部の人達です。
したがって、Sylviusの考えが必ずしもカトリック教会
の意思をそのまま反映するものではありません。
>というわけで、このスレの趣旨は完全に正当化されました。
完全に否定されて放置されたのではないでしょうか?
みんなが放置しても
「Sylvius」と「名無し」の一人二役、自作自演で
スレを進めるんだよ。よほどヒマ人なんだな。
14 :
名無しさん@1周年:01/09/15 19:26
>>11 >Sylviusの考えが必ずしもカトリック教会
>の意思をそのまま反映するものではありません。
というか、そもそもSylviusは「カトリック」なんだろうか?
「自称」カトリックの割には、破壊的カルトとしか思えない
発言ばかりなんだが....。
>必要とあれば神は戦争でも略奪でも命ぜられます。
>そして、それは何ら罪ではありません。
>神は一切の被造物に対する主権をお持ちだからです。
(前スレ897)
こんなこと、本当の「カトリック」が言うのかなあ。
<>14様
神は恣意的な命令を下されることはありません。人間の目からどのように見えようとも。
とりあえず、この問題に関して
法の適用停止に関する神学大全第二ー一部第百問、第二ー二部第百四問、
あと第二ー二部第六十四問、第九十四問も読んでいただければ幸いです。
英語でよろしければ
>>1にリンクは貼ってあります。
<>9様
誤謬が人を救済することはありません。
問題となっている著作にも真理が含まれてはいるでしょうが、そのことは誤謬を正当化しません。
スレの本旨に基づき、テイヤール主義批判を再開します。
Dietrich von Hildebrand,Charitable Anathema(Roman Catholic Books)
は、すでにカトスレ(6)で兄弟的矯正の合法性に関連して紹介した文献でありますが、本書にはきわめて有益なテイヤール主義批判もふくまれています。
教皇ピオ十二世が「二十世紀の教会博士」とまで呼んだ碩学(実際に列聖されたわけではないですが)の言葉を聞きましょう。
「いかなる量の思わせぶりな逆説、激情の発露、大文字で書かれた言葉も、ペルソナの本性に関するテイヤールの根本的な理解の欠如を覆い隠しはしない。
テイヤールの体系における「ペルソナ的」の観念は、体系の根底に横たわる汎神論によって、いかなる現実的な意味も奪われている。
「集合的人間」あるいは人間の「全体化」は、個人のペルソナの実在と明白に相容れない思想を表明している。」
いうまでもなく、キリスト教の正統思想は個人の霊魂の不滅を主張します。
そしてそれは、もちろん独立した理性的実体として存続するのであって、テイヤールの言うような集合体のうちに融合し解消されてしまうのではありません。
「テイヤールにとって愛とは単なる宇宙的なエネルギーである。・・・(テイヤールの引用)・・・このような言葉を書く人間は、明白に、この至高の行為の本性を理解できていない。それはその本質からして、意識的でペルソナ的な存在、そして、「汝」の存在を前提とする。」
テイヤール主義が「愛」と呼ぶ物は、宇宙の質料をかき立て「知性圏」を形成しようとする盲目のエネルギーです。
これがイエズス・キリストの説いた「神と隣人への愛」といかに隔たっているかはあまりにも明らかです。
テイヤール主義は、人類の道徳的・社会的発展は「進化の自然的結果」であると主張します。
しかし、「進化の自然的結果」は、定義上人間の自由意志とは独立して勝手に生起するものですから、このような教義は、事実上人間の自由意志による努力の重要性や役割を否定しているに等しいわけです。
自由意志はいうまでもなくペルソナ的存在にとって本質的なものであり、こうした教義にも、テイヤール主義のペルソナ概念への無理解が露呈しています。
19 :
名無しさん@1周年:01/09/15 22:07
>>17 タイヤール・ド・シャルダンの思想って、オームが影響を受けたという
ニューエイジカルトアニメのエヴァンゲリオンの最終回のベースになっ
ていると思うヨ。
20 :
名無しさん@1周年:01/09/15 22:28
シルさんの主張
@異端者探せ!
A異端者を糾弾せよ!
B異端者を殺せ!
カトリックの主張
@異端説に警戒しろ!
A異端説を論破し異端者を諭せ!
Bそれでも異端を表する者は破門するしかない。
よって、シルさんは異端?
テイヤール主義にとってキリストは、「宇宙的な力」、純粋に自然的な進化の過程の起点にして終点にすぎません。
このようなSFじみた観念が、人類の贖い主であるイエズス・キリスト、神にして人である歴史上の実在する個人とどのような関係があるというのでしょうか。
テイヤール自身の言葉を聞きましょう。
「あなたも既に知っているように、私の関心を占めていることは自分自身のうちに新しい宗教を確立しそれを広めることだ。
(あなたはそれを改善されたキリスト教と呼ぶかも知れない。)
その宗教においては、ペルソナ的な神はかつての時代のような堅固なる主権者であることを止め、世界の魂となる」
(Leontine Zantaへの手紙)
このように、テイヤールは科学的時代精神に合致するような汎神論的新宗教を建設することを明白に意図していたのであり、ニューエイジャーが彼の教説をほめそやすのもよく理解できます。
もちろん、キリスト教の正統はこのような空想科学小説とは何の関係もありません。
22 :
名無しさん@1周年:01/09/15 22:43
ウチの教会ではオリエンス宗教研究所から出版されている(いた?)ティヤール
の本をコピーしたものをテキストにして勉強会をしている。
何人かシスターも参加している。
恐ろしいことよ。
オリエンスといえば聖書と典礼の出版元だったっけか?
かさねがさね、恐ろしいことよ。
そうえいえば試用版の共同祈願の内容、内容的に随分変なのも混ざっているな。
<>20様
前スレちゃんと読んで下さい。
<>19様
貴重な情報提供に感謝します。私は未見で、見るつもりもないんですが、あの作品はグノーシス主義やユング主義てんこもりらしいですね。
24 :
名無しさん@1周年:01/09/15 22:54
なんかさ。こんなとこで末端信者の妄言を
やっつけるより、トップクラスの異説を
やっつけないと埒があかないのじゃない?
オリエンス宗教研究所なんて超ビッグ機関じゃん?
枢機卿や司教クラスの人との論争をして、結論を
おいら達に聞かせてよ。その方がシルビウスさんの目的に
とっても有益かと思うんだけど。
ユング主義がキリスト教の教義を(神自身を含めて!)集合無意識の表現と見なすことで完全に骨抜きにしてしまうように、
テイヤール主義は伝統的なキリスト教の用語だけは用いつつ、それを完全に非ペルソナ的な「神」、SF的な「集合人間」を唱える疑似宗教に換骨奪胎してしまうのです。
尊者アンナ・カタリナ・エメリックが「偽りの教会」と呼んだものの建築者たちとは、まさしくこのような恐るべき忌まわしい思想ではないのでしょうか?!
<>24様
私は何度か司教様に手紙を書いたことがありますよ。典礼の問題や百瀬師の著作の問題で。
しかし残念ながらほとんど効果はありませんでした。
それで私はこの際この場でガンガン言ってやろうときめたのです。
直接手紙を書いてもなしのつぶてなんですから。
28 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:22
>>27 ネット上で公開質問状にしたら?
その方が公共性あるし。
29 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:27
司教に手紙を書いたの?
つうことは、あんた、睨まれているな。
某教区の司教館の事務員の言によれば、某教区事務所には
オプスやカリスマ運動やピオやネオや右翼に関係している
信者のブラックリストがあるそうだ。
30 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:39
百瀬の本がどうのこうの訊かれても、一介の司教が答えるはずがないよ。
百瀬がおかしいと思うなら、先ず百瀬にメールして真意を確認するのが先決だろ。
百瀬にはもう訊いたのか?
31 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:52
>某教区事務所には
>オプスやカリスマ運動やピオやネオや右翼に関係している
>信者のブラックリストがあるそうだ。
何の為に?
とう言う事でこのスレ終了!!
<>28様.<>30様
百瀬師と井上師にメールを打ってきました。
したがって、今からこのスレが公開質問状および討議場と化したわけです。
公の誤謬は個人的な場で兄弟的矯正する義務はありません。
公の非難にただちに踏み切ってよいのです。それは
>>6で引用した神学大全や倫理神学書でご確認頂けます。
<>29様
それはとうに覚悟しておりますよ。
何年も前から。
僕は、多元主義を世界の宗教者がとるしか解決法はないと思うね。
知ってるかい多元主義。21世紀の世界宗教の究極的神学さ。
Sylviusみたいな超保守派や右翼は、建前として否定しているが、
そんな奇麗事では済まない。
宗教原理主義でこれ以上犠牲者を出すことはできない。
平和の為に原理主義宗教は犠牲になってもらうしかないと思う。
殉教しろというのではない、多元主義に譲るしか方法はないんだよ。
<>35
多元主義に対する批判は前スレで既出だぜ。
伝統的宗教が伝統的教義を維持しつつ完全に共存することはクザーヌスが示したように可能だ。
37 :
名無しさん@1周年:01/09/16 05:09
クザーヌスはどこで何と言ってますか?
<>35
あなたたちが作ろうとしているニューエイジ的疑似宗教は、われわれが破壊してあげよう。
「偽りの教会」には、破滅が待っている!!
大淫婦、忌むべきものどもの母よ。悪魔の巣、あらゆる汚れた霊の巣窟よ。
お前に対する神の裁きはとどこおりなく行われ、真実で正しい。
お前が焼かれる火の煙は、代々限りなく立ち上るのだ!!
<>37様
クザーヌスについては「信仰の平和」を平凡社「中世思想原典集成」でお読み下さい。
既出でございます。
40 :
名無しさん@1周年:01/09/16 05:37
>>38-39
なぜいちいち名前を変える?
変えないと都合が悪い事があるのか?
イタイ発言が来ると
>前スレで既出だぜ。
で済ませる。ぜんぜんガイシュツじゃない。
単に、反論できないだけ。ばかばかしいね。
42 :
名無しさん@1周年:01/09/16 09:58
純粋にsylさんのボケぶりを大いに楽しませていただいております。
44 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:03
>>38 大佐殿は今回のNYでの事件が黙示録14章の成就だとお思いで?
いや、プロの原理主義者の牧師先生たちがそういう解釈の説教を今日の
主日の説教では世界中でしていると思いますので、ちよっと気になりま
した。
確か彼らのいう大淫婦はこの事件の前まではバチカンだった筈なのに。
マ、イイカ。
45 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:20
>>44 違うんじゃない?
大淫夫は将来メーソン組織が先導することになる宗教多元主義。
今回はその前哨戦だわよ、きっと。
宗教多元主義を正当化するカキコが既にあったじゃない?
宗教多元主義。これこそ姦淫なの。聖書では、すぐに
他国の富貴を約束するような宗教、まじないをとり入れようと
する宗教になびくイスラエル、ユダ、シオンの民をして
「淫らな娘よ」とかいってるでしょ。
メーソンの謎の組織「イルミナティ」は実際、悪魔的な
預言者にして作家「ジャック・カゾット」とか輩出しているし。
46 :
名無しさん@1周年 :01/09/16 10:26
47 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:29
>>46 どこが電波なの?
メーソンによる著作を読んだことあるの?
彼らは命をかけて宗教多元主義を目指しているのよ。
勿論、善だと信じて。
「我らは蜀台を拝むのではない。それぞれの蜀台の先
の光を拝むのだ。」と言ってるわ。
48 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:32
>>47続き。
メーソン会員の方いますかスレは電波
だけどね。
49 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:48
カトリック信者はメイソンに入会しなさい。
フィリピンには神父のメイソンリーもたくさんいます。
日本ではカトリック系の方はまだまだ少ないですが、プロテスタントの牧師先生や信者が多いです。
メイソンは有神論者の団体であり、反宗教団体ではありません。
カトリックの信者なら全然問題ありません。
事実カトリックに近い聖公会の牧師さんの会員も少なくないですよ。
50 :
名無しさん@1周年:01/09/16 10:59
>>49 みんな。この人、こんな事言ってるけど。
あたくしはパスだわ。メーソンなんて。
カトリック教会の公敵でしょ。
51 :
名無しさん@1周年:01/09/16 11:13
なぜメイソンを公的などというのですか。
いぜんこのスレッドだったかで、あなた方の使用している礼拝の規定
を作った当人が英国系か大陸系か知りませんがメイソンリーだという
お話を読んだことがあります。
カトリックはメイソンから儀式や思想を窃盗しておきながら、根拠も
なくメイソンを非難するのですか?
カトリックが推し進めるエキュメニカルなどまさにメイソンの主張そ
のものではありませんか。
これではカトリックはメイソンの教義を窃盗しておきながら自分達こ
そ正統派だと主張するモルモン教以下ではありませんか。
52 :
名無しさん@1周年:01/09/16 11:19
>カトリックが推し進めるエキュメニカルなどまさにメイソンの主張そ
>のものではありませんか
あなたが理解しているカトリックが推進している
エキュメニカルって、どんなものなの?
メーソン批判は既出でございます。不足の方は
>>1に貼ってあるカトリック百科事典でFreemasonryの項目をお調べ下さい。フリーメーソンに反対してカトリック教会が出した公文書、およびカトリックの立場からするメーソン批判がずらりとまとめてあります。
54 :
名無しさん@1周年:01/09/16 13:14
ファチマスレに真性高位職人出現!
55 :
名無しさん@1周年:01/09/16 14:06
メイソなら職人なんていいかたしないよ。
ブルーロッヂは見習、徒弟、親方だろ。
ロイヤルアーチは33階級で別の位階があるが。
56 :
名無しさん@1周年:01/09/16 14:09
じゃぁ、なんちゃってメーソンなの?
なーんだ。
すでに前スレで指摘したように、テイヤール主義は精神と物質の区別をなす伝統的二元論を拒絶し、それを「不可能かつ反科学的」な教義であると攻撃しています。
しかし、「現象としての人間」のなかで、これを論証した箇所など存在しません。これまた単なるレッテル貼りなのです。
「不可能」という言葉で伝統的二元論が「概念不可能」である、ということが意味されているならば、
それは、セム的一神教における諸伝統ばかりではなく、ギリシア、インド、中国、ハイパーボ−リアン・シャーマニズムの諸伝統に至る人類の普遍的な伝統的教義の存在が、一致してそれを反証しています。
そして、「反科学的」というレッテルもまったく無根拠です。そもそも自然科学は、定義上物理的に観測されうる対象をあつかう学問にすぎません。
したがって、「精神」という物理的に観測され得ない現実について、その存否を「科学的」に判断しうるかどうかという問題設定そのものが成り立たないのです。
>>49 >>50 >>51ジサクジエン
どこの世界に「カトリックはメーソンに入信しなさい」
なんてバカいるんだよ。
59 :
名無しさん@1周年:01/09/16 18:29
メーソンが自分たちの仲間をさして「職人」
ということはあり得るけど、シルビウスさんの
自作自演なの?
<>59様
私のレスには全てSylviusブランドのハンドル名が用いられます。
それ以外のレスを書き込んだことは一切ありません。
61 :
名無しさん@1周年:01/09/16 18:43
Silviusはメーソンだったのか、やっぱりな・・・
62 :
dendo.:01/09/16 18:51
キャップつきでもトリップつきでもない書きこみに
同一性を主張されても……(藁
オレモナー
<>44様
黙示録14章はまだ先のことです。
64 :
Silvius@メーソン:01/09/16 22:33
実は私はプロテスタントの牧師兼某神学校教授なのである。
大学で憎っくきカトリックの文献を調べていうるうちに
卑劣な文章を見つけたのでここで公開しているわけである。
ちがう、俺が本物のsylvius
66 :
sylvias@メーソン:01/09/16 22:36
実はあたしオカマのよ
67 :
sylviuz@おかま将軍:01/09/16 22:39
ひげの生えたシルビアちゃん萌え〜
68 :
zylvius@名無しさん@1周年:01/09/16 22:46
とっととトリップぐらい付けろ、ボゲビウス!
とりあえず今後はトリップを使うことにしました。
あと、私は女ではないので、そういう発言は全部偽物です。
アドレスがついてないのでも分かると思います。
70 :
名無しさん@1周年:01/09/17 05:14
>>69 マジ、女かと思ってたよ。
しかし「私は女ではない」と言うのも本当かどうか。
なぜ、こう多くの方々が私を女性だと勘違いなさるんでしょうな。
カトスレ(6)をお読みになった方なら普通そうはお思いにならないと思いますがなあ。
まあじゃんで徹夜の三連荘をする女性とか(笑)、私が一度お目にかかりたいですなあ。
念のため言っておくが
いい子は麻雀なんかに手を出さないほうがいいぜ。
俺も足を洗った。
最初の日に四暗刻をアガって以来の、長く、熱く、空しい日々だった・・・
霊魂に対する伝統的教義は、それが物質の効果ではないことを明白に主張しています。
さまざまな「意識状態」は、いわば、霊魂というピアニストが用いるピアノである脳を含めた肉体の状態に影響を受けるでしょうが、そのことは認識主体そのものが物質の効果であるということを何ら帰結しません。
聖トマス・アクィナスの語るところを聞きましょう。
「知性は魂の能力である。そして魂は身体の形相である。しかし、知性と呼ばれる能力は、いかなる身体的組織の完成態でもありえない。なぜなら、肉体の活動は、知性の活動となんら共通するものをもたないからである。」(De unitate intellectus contra Averroistas,iii)
この記述はもちろんアリストテレス「霊魂論」を下敷きにしていますが、そのことはトマスやキリスト教の正統が「誤謬」であるとか、伝統的二元論はギリシアからの影響の結果にすぎないとかいうことをなんら論理的に帰結しません。
伝統的二元論はギリシアにかぎらず普遍的に存在する伝統的教義です。
かりに聖書のテクストそのものが「一元論的に解釈できる」ことを認めるとしても(それは非常に困難でしょうが)すでに指摘したようにそのことは聖書記者たちが伝統的二元論者であった可能性を論理的に排斥しません。
伝統的二元論を否定することは、過去数千年にわたる諸教父や諸教会博士の普遍的合意事項をまっこうから否定することです。
したがって、テイヤール主義者たちの言うような伝統的二元論への攻撃をまともに受け入れることはできません。
74 :
名無しさん@1周年 :01/09/17 06:38
いよいよワケワカラン
75 :
sylviuz@おかま将軍:01/09/17 06:47
>>72 それはね、あんたがはめられたの。
素人相手に玄人がよく使う手だよ。
ますますもってワケワカラン
しかし明らかなことは,Sylvius氏(女史?)は
早起きということ
念のため初歩的なことを付言しておけば、
霊魂が非物体的・非空間的な現実であるという伝統的二元論ならば、霊魂の不滅というキリスト教の正統教義を受け入れることは容易です。
なぜなら、そのようなものを「分解」することなど、概念する事さえできないからです。
78 :
名無しさん@1周年:01/09/17 06:57
年寄りでは?
<>75
全自動卓だったぜ、もちろん(笑)
80 :
名無しさん@1周年:01/09/17 07:21
いや。絶対に、Sylちゃんは、女だな。
では、「絶対に男」って、誓える?
でも、書き込みの内容から言って女性でしょう。
82 :
名無しさん@1周年:01/09/17 07:29
女ではない、という明らかな主張が見られるので、
sylviusさんは女性と決定されました。
83 :
zilvius@おかま将軍 ◆l8DEVIL. :01/09/17 07:31
84 :
名無しさん@1周年:01/09/17 07:40
>>80 やはり「絶対に男」って、誓えないみたいだな。
男を演じるには、Sylちゃん少し無理がある。
<>80
やだぴょん。こんなくだらないことで宣誓を濫用するつもりなんかないよ。
<>83
やだぴょん。
86 :
名無しさん@1周年:01/09/17 09:31
sylviusさん、お仕事何してるの?
それから何才なの?何処に住んでるの?
テイヤール主義の「オメガ点」に関する教義が、テイヤールが主張するような科学的主張ではないということは、テイヤール・ド・シャルダンの友人にして著名な進化論学者であるGeorge Gaylord Simpsonも認めています。
サイエンテフィック・アメリカン1960年四月号からの引用です。
「しかし、それが科学的研究論文であるという最初の主張には反対することができる。」(p.206)
テイヤール主義の爆発的な流行の原因は、それが時代精神にフィットするような科学的な外観を装ったという点に求められるでしょうが、
まさにそれは「外観」にすぎず、中身は「科学」とも呼べない経験的に確証されない断言の集積であり、さりとて「形而上学」として扱うとなるとキリスト教の伝統的教義との矛盾をひきおこす言明が続発するという救いがたいシロモノなのです。
そして、忘れてはならないことは、テイヤール自身は彼の主張を「形而上学的な著作や神学的な試論のたぐいとしてではなく、もっぱら科学的研究論文として」提出すると主張していることです。(「現象としての人間」邦訳p.15)
しかし、それは科学者の側からかくも徹底的に否認されているのです。
88 :
名無しさん@1周年:01/09/17 10:51
silちゃんて、ケコーンしてたよね?
トリップ忘れてましたが<>87は本物です。
「科学的研究論文」として成立しないのであればキリスト教的「神学」ないし「形而上学」としてはテイヤール主義はどうなのか?
という点に関してはまた今度。食事に行って来ます。
あと、私の私生活に関する質問には原則としてお答えしません。
90 :
名無しさん@1周年:01/09/17 11:26
トリップ使ったって
「名無し」で自作自演・ひとり2役3役を書き込んでる
疑惑を晴らすことにはならんよ。>Sylvius
>>88 sylはグループ名でしょ。カツラ先生もご参加のようで。
メインの女性はケコーンしてるに5000シルヴィウス。
92 :
名無しさん@1周年:01/09/17 11:46
Sylviusってグループ名だったの?知らなかったよ!
カツラ氏とシルヴィウスさんは仲間なの。
どうりで主張や手段が似てると思ったよ。
たまに出張していたよねカツラ氏、こっちの板に。
改行が変だからすぐわかる・・・。
カトにもいろんなグループがあるんすねえ・・・
>>73 Sylvius 殿
以下の発言の意図は、「伝統的二元論」といってもいろいろあるので、もう少し精確な説明をこころがけられたほうがよろ
しいのではないか、とお勧めするだけのものです。Sylviusさんが展開されている議論全体への賛否はありません。
|さまざまな「意識状態」は、いわば、霊魂というピアニストが用いるピアノである脳を含めた肉体の状態に影響を受けるでしょうが、
このような説明は、いわゆる伝統的二元論の説明としてはわかりやすいかと思いますが、トマス・アクィナスを支持なさる
のでしたら、まずいでしょう。なぜならこの説明は、トマスが否定している anima utens corpore という考えにこそ相応
しいものだからです(ST I,Q.75 ar.4.)。つまり、トマスは典型的なプラトン的二元論と自らの差異化をしているわけで
すね。 (続く)
>93 の続き
>>73 Sylviusさん:
|聖トマス・アクィナスの語るところを聞きましょう。
|「知性は魂の能力である。そして魂は身体の形相である。しかし、知性と呼ばれる能力は、いかなる身体的組織の完成態でもありえ
|ない。なぜなら、肉体の活動は、知性の活動となんら共通するものをもたないからである。」(De unitate intellectus contra
|Averroistas,iii)
こういう引用をすらっとされると「おいおい、もっと分かりやすいところを使えよ」と言いたくなります。つまり、anima
が身体の forma であり、actus であるという関係と、知性は anima の potentia であるが、しかし、身体の actus では
ないということとをアリストテレスその他を典拠として確認しているところですが、これは問題の結論というよりは、こ
こから肝心の検討が始まるところであって(つまりアヴェロイス的な知性理解とどう応対するかという)、anima の感性
的部分と知性的部分との区別だのなんだのという一般的理解なしには理解できない部分ではないでしょうか。
その辺のところを理解すると、この引用も、プラトン的二元論とは違う理解を反映しているのであり、「二元論だ」とす
ぱっと分類して終わりというのでは困ります。
(続く)
>94 の続き:教義と魂−身体理解とのつながりについての蛇足
死後も魂が存在し続けるという教義からは、魂は身体を離れて存在し得るという理論が要求されます。では、個別の魂は
いつから存在するようになったのでしょうか。はじめから造られて天かどこかにあったものがどこかの時点で胎児の中に
やってくるのでしょうか。あるいは個別の受胎から誕生の過程のどこかで、個別に出来てくるのでしょうか。これは例え
ば9世紀にも話題になったことでしたが、伝統的(とSylviusさんが考える)教義ではどのように教えてますか? 前者の
考えをとると、プラトン的二元論とほぼ重なりますが、後者だと、魂と身体の関係についてもう少し総合的な理解をとる
必要がでてくると思います。
#トマスでしたら、討論集に Quaestiones de anima というのがありますから、それなどをもう少し検討されたらいか
がでしょうか。
あぼーん
97 :
名無しさん@1周年:01/09/17 16:55
>>85 そんな言い訳をしてる所を見ると、
やはり女性だね。
俺は、男って誓えるよ。
完全に男だからな。
98 :
名無しさん@1周年:01/09/17 17:06
99 :
名無しさん@1周年:01/09/17 18:13
キリスト教って異性のふりをすることは厳禁じゃなかったっけ。
ジャンヌダルクも男の格好をしたから処刑されたんでしょ。
性倒錯者Sylvius告発スレッドになってきたね。
100 :
名無しさん@1周年 :01/09/17 18:30
結婚という言葉に反応して女キャラに戻るあたりは女心を感じさせるねえ
101 :
名無しさん@1周年:01/09/17 20:27
どうせオールドミスじゃないの?
102 :
名無しさん@1周年:01/09/17 21:25
オールドブスはいやだ。
103 :
ハレルヤのハル子:01/09/17 21:44
96/97/98/99/100/101のレスつけた奴へ
お前らカトリック?
私はプロテスタントの者だけど、カトリックの人たち?!いいのそれで・・・??
>Sylvius告発スレッドになってきたね
はあ?
それってイケナイことでしょ。
論で勝てないからって、それで憂さを晴らそうってんだからチンケな奴らだこと。
Sylviusを言い負かしてごらん。できないくせに。
ちなみに、あたしゃ、男だかんね
104 :
名無しさん@1周年:01/09/17 21:53
汁ちゃんの自作自演だろう
105 :
名無しさん@1周年 :01/09/17 22:03
女言葉で男だと主張されても・・・
106 :
名無しさん@1周年:01/09/17 22:04
>>103 >Sylviusを言い負かしてごらん。できないくせに。
何言ってんの。Sylviusは今までさんざん言い負かされたよ。
ふらんちゃすこや信仰虚弱や多くの名無しさんにね。
言い負かされてもそれを無視して24時間ぶっ続けで
書き込みしている恥知らずな人なんだよ。Sylviusは
ブルネルスの反論にもそういう態度をとるだろうね。
107 :
名無しさん@1周年:01/09/17 22:06
おまけにHNまで女名だあ〜
108 :
名無しさん@1周年:01/09/17 22:15
ハルたんの文章って女の可愛らしさがにじみ出ている。
ハルたんはセーラ服と看護婦さんのどちらが似合うのかな。ハァハァ・・・。
上げ
110 :
ハレルヤのハル子:01/09/17 23:29
108へ
おい、気持ちわりい
なんだ、セーラ服だと?!ロリコンか?
大人に相手にされない奴って、子供に走るらしいな。
もう一度言うけど、私は男だっての。
なんで、男の私がセーラ服なんだ、ボケ!
じゃあね、バイバイブー
111 :
ハレルヤのハル子:01/09/17 23:34
>汁ちゃんの自作自演だろう
汁って何だ?
前にも「汁」って言われたことがあるけど、だれ?
112 :
名無しさん@1周年:01/09/17 23:42
汁汁萌え〜
113 :
名無しさん@1周年:01/09/17 23:43
シルはギリシア語もラテン語もできぬ。
114 :
名無しさん@1周年:01/09/18 01:39
今夜のオカズはハルこたん
あんなことしてハアハア
こんなことしてハァハァ
115 :
ラッキースミス:01/09/18 01:48
114へ
馬鹿じゃないの?
お前は男が好きなのか。
初めてだよ。男に変な事される対象になったのは。
ああ、いちどあった!
部屋に泊めたら、その大学の先輩におそわれそうになって、布団を上からかけて
ボコボコにぶん殴ったことがあった。
ありゃ、参ったよ。
きもいっ、変態。
汁ってわかった、私が鈍感だった。Sylviusさんの事だね。
何をいってんのかわかんなかったよ。
くだらなすぎるんだよ、あまりにも。馬鹿じゃん。バーか。
じゃあね、バイバイブー
はか門か・・・困なことやってて忌がはれるやから難か・・・私も不謹慎をお詫び申し上げます。
あげます。
このスレわけわからん
>ブルネルスさん
書き込み大変有り難うございます。ブルネルスさんのような教養のある方に私の書き込みを読んで頂けるのは大変幸せです。
私がこれまでのレスで使用してきた「伝統的二元論」という言葉は、「霊魂を非物質的・非空間的現実としてその実在を認める立場」を総称するものとご理解下さい。
>なぜならこの説明は、トマスが否定している anima utens corpore という考えにこそ相応 しいものだからです(ST I,Q.75 ar.4.)。
つまり、トマスは典型的なプラトン的二元論と自らの差異化をしているわけですね
私もあのピアノの比喩で、「人間は霊魂と肉体の結合体である」というキリスト教の伝統的な教義を否定したつもりではございません。
>これは問題の結論というよりは、ここから肝心の検討が始まるところであって(つまりアヴェロイス的な知性理解とどう応対するかという)、anima の感性
的部分と知性的部分との区別だのなんだのという一般的理解なしには理解できない部分ではないでしょうか。
これらのことにはもちろん同意いたします。
ただ、トマスの立場を詳細に検討することまでは、当面の問題設定上必要がないと判断いたしましたので、「伝統的二元論」という言葉をさきに述べたような概括的な意味で使用させていただいているわけです。
>>95で提出しておられる「個別の魂はいつから存在するようになったのか」という問題は、ご存じの通り極めてデリケートな問題で、世界の伝統的教義もいろいろなことを言っているわけです。
キリスト教の正統の立場からは、個別の霊魂は受精と共に存在し始めます。
<>119
すなわち、輪廻説は排斥されます。
>>107 Sylviusが女の名前?フランス語の事典を引いて下さいね。
>>106 私が反論していないレス番号を挙げていただけますか。
>>107 ハル子さんのことを言っておられたんですね、勘違いしてました。すみません。
まあ引き篭もりの狂信者のストレス発散スレって事で。
セム的一神教の諸伝統のみならず、ヒンズーをはじめとする東洋の伝統的教義も、神を不変なものとして主張する点で一致しています。
被造物だけが変化を被りうるというのは、これらの伝統的教義においては当然の前提、常識です。
詩篇101番は次のように歌っています。
あなたはいにしえ、地の基をすえられました。
天もまたあなたの御業です。
これらは滅びるでしょう。
しかし、あなたは長らえられます。
これらは皆、衣のように古びるでしょう。
あなたがこれらを上着のように替えられると、
これらは過ぎ去ります。
しかしあなたは変わることなく、
あなたの齢は終わることがありません。
そして、出エジプト3:14,ヨハネ8:58といった、キリスト教神学の根幹となってきた聖書の重要箇所をこの機会にご再読ください。
テイヤール主義がどのようにこの教義を攻撃し、「進化する神」を主張しているのか、これから順次ご説明いたします。
テイヤール主義は、初期から後期にかけて、正統教義からの逸脱の度合いを急速に増し加えていきました。
テイヤール主義を擁護しようと試みる人々は、正統教義がいわば残存している前期の著作からの引用をもってテイヤール主義を擁護しようとしますが、
後期の著作に出てくる各種の言明は、そのような試みを完全に無効化します。
テイヤール自身の言葉を引用しましょう。
「(かつて)私は、神が、精神の頂点へと向けて物質の深奥から世界を「変容」するのと同様に、
それに加えて世界もまた必然的にある程度まで神を「生成する」のだということを理解できないでいた。」
(Heart of Matter,William Collins Sons & Co.,p52)
「われわれの周囲全てで、そしてわれわれ自身の内部で、神は「変化」の過程のうちにある」
(同p.53)
いかにこのような立場がキリスト教の正統とほど遠いか、万人の目に明らかでしょう。
神は無限、絶対、不変、完全です。
「変化」や「進化」や「完全化」の余地などありえません。
ところがテイヤール主義は次のように主張します。
「私は世界のうちに、絶対的存在者自身のための補填と完全化の神秘的な産物を見いだす。」
(同p.54)
このような言葉を平気で書き付ける人間やそのような著作を絶賛する人間が、キリスト教の正統教義を支持しているなどということは常識的に言って信じがたい事です。
テイヤールは神の全能性の教義も次のように攻撃しています。
「神の能力はわれわれが想定するほど自由なものではない。・・・potentia absoluta divinaのはらたきを導入したがる神学者たちが何と言おうとかかわりなく。」
(Christianity and Evolution,Harcourt Brace Johanovich,p.31)
このような命題を公にし、またそのような著作を絶賛する人々は、どうやって良心の呵責なく使徒信経を唱えることができるのでしょうか?
信じがたい事です。
ジサクジエンばれまくりなのによく厚顔無恥にいけしゃーしゃーと
書き込めるよなあ>シルさん。
ちなみに神の無限性・不変性・完全性に関しては
聖トマス・アクィナス「神学大全」第一部第三問から第十一問をご参照ください。
リンクは
>>1です。
130 :
名無しさん@1周年:01/09/18 16:35
Sylvius、愛してるよ。
テイヤール主義が、被造物に対する神の超越性、被造物の神への全面的依存性といった正統キリスト教神学の主張を否定していることはすでに引用した命題だけで十分に明らかです。
言うまでもないことですが、このような思想は「宇宙全体」すなわち被造物の合計を「神」であると考える汎神論、すなわち偶像崇拝へと帰着していきます。
テイヤール自身が自分の思想を汎神論的と考えていたことはテクストからも明白です。
そして、汎神論がフリッチョフ・カプラのようなニューエイジ系統の思想に共通する特徴であることも周知のことです。
汎神論が誤謬であることはセム的一神教の諸伝統の常識であるばかりではありません。
汎神論を正当化するためにニューエイジャーによって恣意的に援用される東洋の伝統的教義そのものが、被造物の合計を「神」とするような偶像崇拝を明確に排斥しています。
例えば、シヴェーターシヴァタラ・ウパニシャッドは次のように語ります。
人は知らねばならない。
自然は測られたもの(マーヤー)であり、
力ある主は測る方(マーイン)であることを。
132 :
名無しさん@1周年:01/09/18 22:28
どうせもうすぐ終末だよ。全部無意味さ。
133 :
名無しさん@1周年:01/09/18 23:21
シルヴィウスさんは、ミサの聖歌、どれが一番好きですか!?
私は1です。
134 :
名無しさん@1周年:01/09/18 23:25
135 :
名無しさん@1周年:01/09/18 23:26
閑話休題。
テイヤール氏は進化論者としてもなかなか興味深い説を提唱しておられますのでちょっと紹介させていただきましょう。
1949年パリでの科学哲学学会でのことでございます。
新しい門がいかなる先行形態もなく化石記録に突如として出現しているという事実はカンブリア紀の古生物学を少しでもかじった人なら周知のことであります。
これをどう説明すべきかは古生物学上の難問であり続けておるわけでございますが、テイヤール氏はつぎのような解決を提唱なさいました。
すなわち、氏によりますと、新しい門の出現は少数の個体によって実現され、それらはみんな体のつくりが華奢なので、化石記録として残らないのだそうでございます。
Louis Bounoure,Determinisme et finalite(Flammarion)
137 :
名無しさん@1周年:01/09/19 00:13
>>136 シルヴィス氏は進化論についてはどう思ってるの?
まさかプロの原理主義者みたいな創造科学なんてえせ科学を振り回す
のではあるまいな。
<>133様
日本語で歌う聖歌なら、典礼聖歌よりも光明社「カトリック聖歌集」ですなあ。
聖アウグスティヌスの言葉を下敷きにした「主こそわが誉れ」など、傑作ではないかと。
<>137様
進化論を利用することは教義に矛盾しない範囲でゆるされております。
ただ、問題は種の変態(新しい種の出現)を説得的に説明した理論が一つも見あたらないことですな。
形の似た化石が年代の近い層に見つかったからと言って、それは当然血縁関係の証明にも何にもなりませんからな。
140 :
名無しさん@1周年:01/09/19 00:40
>>138 カト聖歌集のには、
心にダイレクトに訴える不思議な情感がありますねぇ・・・。
141 :
名無しさん@1周年:01/09/19 01:06
Sylviusさん、その人をおちょくったような多重人格者のまねはよした方が
いいと思いますよ。そういう態度が荒らしを呼んでしまうように思います。
142 :
133/140:01/09/19 01:08
??ちなみに私はシル様ではないよ、、
まあどうでもいいことかもしれんが、、、
143 :
名無しさん@1周年:01/09/19 01:21
>Sylviusさん、その人をおちょくったような多重人格者のまねはよした方が
いいと思いますよ。
>>141 枝葉末節でしょう。木を見て森を見ず。少なくとも
「おちょくった」と貴殿が感じる箇所を明示し、理由と根拠の持論
を述べるが如きは貴殿が反論する前提たる礼儀ですよ。
反論するに当たるイロハの「イ」!
Do you understand?
144 :
名無しさん@1周年:01/09/19 01:25
でもどうしてシル様はいろんなキャラで登場するのか、
気になるところだ・・・
<>144様
いや、それは語る内容にふさわしい文体というものが必要だからでございますよ、もちろん。
146 :
名無しさん@1周年:01/09/19 04:57
> どうしてシル様はいろんなキャラで登場するのか
簡単です。自分で自分を偽っている嘘吐きだからです。
論を立てる以前の誠実さの問題。だからいかがわしくて
まともに相手されなくなったのです。
しかも見抜かれていないと思っているのは本人だけだから
調子に乗っている。まるで「おいらは変幻自在」といわんばかり。
なんのことはない、嘘がばれるのがこわいだけなんですね。くすくす。
デンツィンガー教会文書資料集を持ってる人は、例えば第一バチカン公会議(3001)を読んでみてね。
神の無限性、不変性、全能性、非物質性、被造物に対する超越性を一つでも否定すると、自動破門!!!
汎神論者は自動破門!!!
それと、
「異端だけを避けるのは不十分である。大なり小なり異端に近い誤謬をも注意深く遠ざけなければならない。
そのため、全ての者は、間違った見解を排斥し禁止した聖座の憲章と教令を守る義務がある。」
(Dz3045)
だよん。
Dzはデンツィンガー教会文書資料集の略号として今後使うよ。
<>146
文句があるんだったら内容に関して反論しようね。
主張の心理的背景を分析してみせても命題の内容を論駁したことにはならないよ。
それと嘘つきだと言うなら嘘を指摘してほしいね。
149 :
名無しさん@1周年:01/09/19 05:29
聖トマス・アクィナスの教えの権威については教皇レオ十三世の回勅「アエテルニ・パトリス」(Dz3139)参照だぴょん!
「ソコラ哲学のすべての博士達の中で、聖トマス・アクィナスはとくにすぐれた師である。・・・カトリック信仰の防御と美化のため、社会の利益のため、すべての学問の進歩のために、聖トマスのすばらしい英知を熱心に回復し、これを広めるよう勧告する。」
テイヤール主義を広めてるような神学者の教説を広めるのは、みんなやめようね!!!
みんなトマスを読もう!!!一家に一セット「神学大全」(創文社)!!!
あるいはせめて「世界の名著 トマス・アクィナス」(中央公論社)!!!
平凡社「中世思想原典集成 トマス・アクィナス」もね!!!
「対異教徒大全」は、ペーパーバックの英語版があるよ!!!
ソはスの誤りだぴょん。
>>144 簡単だろ。シルは複数いるんだよ。
それが無いなんて事になったら、本当に多重人格を疑わなきゃいけなくなる。
そうしたら、皮肉でもなんでもなく、治療を助言しなきゃいけないけど。
ここでこのスレにも、教会破壊活動を予言した尊者アンナ・カタリナ・エメリックへの私的啓示を一つ訳出しておきましょう。
The Life of Anne Catherine Emmerich,by Carl E.Schmogher,C.SS.R(Tan Books)
第一巻p.565から引用します。この著作は1867年に司教認可済みです。
「私はサン・ピエトロ大聖堂を見ました。多数の群衆がそれを引きずり倒そうとしていました。・・・
破壊者たちは、ほとんどが棄教者で、いろいろな結社のメンバーでした。彼らは建物のあらゆる箇所を取り外し、指示に従って働いていました。
彼らは青いリボンのついた白いエプロンを着ていました。それらのエプロンにはポケットがあり、彼らは石工のこてをベルトにつけていました。
・・・恐ろしいことに、私は彼らの中にカトリックの司祭を見ました。・・・私は、祈っている教皇聖下を見ました。聖下は、しばしば聖下が命令したことの正反対のことをする偽りの友人達に取り囲まれていました。」
ソダーノ枢機卿のようなキュンク・シンパは、このような予言について何とおっしゃるのでしょうね。
こういう教会破壊者たちの専横ぶりにはもう飽き飽きしました。
われわれはこれ以上黙っているつもりはないんですよ。
154 :
名無しさん@1周年:01/09/19 09:43
汁ちゃん、可愛い…
156 :
名無しさん@1周年:01/09/19 15:53
清水書院の『トマス・アクィナス』しか読んだことありません。
トマスってドミニコ会士だっけ??
エックハルトもドミニコ会士なんすよね、確か。
157 :
名無しさん@1周年:01/09/19 22:49
155の翻訳
マリヤ崇敬が間違いである事の動かぬ証拠。
@マリヤ崇敬は、神に背く偶像礼拝である。出エジプト記20:4
A偶像礼拝をすると悪霊と交わる事になる。第1コリント10:20
B人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではない。ガラテヤ2:16
C神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスであり、マリヤは仲介者では有り得ない。第1テモテ2:5
Dマリヤは被造物であり、神の母では有り得ない。コロサイ1:15
E聖書のどこにも、外典にさえマリヤ崇敬をせよとは書かれていない。
Fカトリック教徒が聖伝と呼ぶものは、正典に匹敵するものではなく、信仰基準とはなり得ない。内容が正典に反しているものなど論外である。
以上のように、マリヤ崇敬が間違いであることは明らかであり、反論の余地は全くなく、一見、反論のような書き込みがあっても、それは、全て詭弁に過ぎません。又、いくら詭弁を並べても、マリヤ崇敬が間違いであるという事実は変動するものではありません。
カトリック教徒が掲示板上で、傍観者を名乗ってプロテスタント批判をしたり、プロテスタントを名乗って同様の妨害をする場合が以前ありました。惑わされないようにしてください。
しかし時々、神父に「様」を付けたりするので、区別は付くと思います。
エキュメニカルに関して
カトリックの教義には、多くの迷信が含まれています。彼等とは団結するべきではありません。
ルルド、ファチマ、落涙に関する見解と、その他の必読事項を直後に書き込む予定。
>>1-1001
158 :
名無しさん@1周年:01/09/19 22:50
155の翻訳その2
ルルド、ファチマ、落涙等の奇跡に関しては、おおよそ次のようなものである。
ルルドでマリヤを見たというベルナデットの遺体が百年以上、腐敗していない事については、ウソである。
腐敗(若しくはミイラ化、又は、白骨化)した遺体にロウを被せて、腐敗していないと主張しているだけである。
町興しのために大袈裟な宣伝をしているように思われる。教会も、いくらか伝道になると思って黙認、助長しているようである。
ファチマでマリヤを見たというヤシンタの遺体が腐敗していないというのも、ルルドのベルナデットと同様、ロウ細工による奇跡の捏造である。
1917年10月13日にファチマで起こったという太陽の奇跡に関しては、天候が悪かったのに急に太陽が出たので、奇跡を期待して集まっていた人たちが太陽の方を見て、眩しさのあまり錯覚を起してしまったものである。
しかし、何万もの人が同時に同じ錯覚を起すことは考えられないことである。一部の人が錯覚を起しパニック状態になり、他の人もつられて大騒ぎになり、何か大変なことが起っているような雰囲気になってしまったのだと思われる。
第一次大戦中で精神的に不安定な状態の人たちが、奇跡を期待して何万人も集まっていたのであるから、そのような事があっても不思議ではない。
新聞も、売り上げを伸ばすために大袈裟に書き立てた。
その他の怪奇現象も、聖書に反する行為に伴なって起ったものであり、癒しを含めて、悪霊によるものと人による演出である。
稀に、マリヤの像が涙を流す事について。
何年か前ワイドショーで、仏像が涙を流した事を報じていたが、それと同様、悪霊による怪奇現象である。
CBSドキュメントによると、簡単な細工をするだけで像から落涙させる事も出来るそうである。
159 :
名無しさん@1周年:01/09/19 22:51
155の翻訳その3
マリヤ崇敬は明らかに間違いであり、カトリック教徒は、遅くとも何度か忠告を受けた段階で間違いに気付いています。
意地になって反発するカトリック教徒の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、組織の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、正しいと信じて罪を犯す事は、正しいと信じて正しい事をするのと大差がないのではないだろうか?マリヤ崇敬が正しい事である、と信じ込んでいる振りをすれば罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている振りをする事は正反対である)
3、自分の愚かな言動を見兼ねて、誰かが何とかしてくれるだろう、と期待している。
これまでに、私以外の者が「俺」と名乗って書き込みをする場合が時々ありました。
単純な荒らしの他に、支援者によると思われるもの、私とほぼ同じ事を主張し、混乱を招くような要素を部分的に含む巧妙な荒らしなどがありました。
混乱を避ける為に、私は次のレス以降には、なるべく書き込まない事にします。どうしても書き込みたくなった場合には「俺」とは名乗らずに書き込むつもりです。
160 :
名無しさん@1周年:01/09/20 00:48
ソダノ枢機卿って聞いたことがあるぞ?
誰だっけ。
>>158-159
シルも原理主義だが、あんたも原理主義ね。
マリア様崇敬したところで、あんたの信仰を侵すことには
ならんでしょ。ほっといてよ。こっちにとっちゃ
大事な信仰なんだからさ。
「俺」氏もしつこいですね。マリア崇敬に関しては他スレで議論は出尽くしていると思うのでそちらでやってください。
不足の方は例によって
>>1に貼ってあるカトリック百科事典で「プロテスタンティズム」と「マリア」の項目をお読み下さい。
ちなみにルターはマリア崇敬に関する極めて美しい論文を書いているそうです。
誰がそれを書いたか知らずに読んだ当時の教皇聖下が、「この文章を書いた手は祝されよ!」と感嘆したという逸話が残っています。
<>160様
現在の国務長官です。Cardinal Sodanoでネット上を検索してみて下さい。
キュンク・シンパぶりが白日の下に曝されます。
<>156様
トマス関連の文献を追加紹介させていただきますのでよろしければぜひご一読下さい。
「トマス・アクィナス 神秘と学智」(創文社)
エチエンヌ・ジルソン「中世哲学の精神」(筑摩書房)
稲垣良典「トマス・アクィナス」(講談社学術文庫)
「言と光 ヨハネ福音書注解」(新地書房)
「真理論」(哲学書房)
テイヤール支持者の皆さんに聞きたいんだけどニャー
「オメガ点」に関する教義って、どういうふうに理解してるンかニャ?
整理しつつ引用すると、「現象としての人間」(邦訳p.326)によれば、
(1)「オメガ点そのものは、・・・進化過程の極限においてこのような形で姿を現す」
(2)「しかし、このような進化の相のもとでは、オメガ点は半分しか姿をみせていない」
(3)「オメガ点は系列の最後のものでありながら、その系列を越えたものである」
(4)「そうでなければ、総量は不足し、演算と根本的な食い違いが生じる」
(5)「超越性、これがオメガ点の特徴である」
ハア?
(1)(2)によれば、オメガ点は進化の過程において「半分は姿を見せている」ってことかニャ?
で、だんだん完成していくのかニャ?そうとしか読めんニャー
なら、そんなものは超越者でもなんでもないニャ。時間と空間の中にある単なる進化の産物だニャロメ!!!
文句あったら説明しろニャロメ!!!
<>165は名前間違えたぞニャロメ!!!
テイヤール主義はロゴスの教義をこんなふうに攻撃してるぞニャロメ!!!
「教会の最初の世紀において、キリスト教は大胆にも福音書のキリストをアレキサンドリア学派のロゴスと同一視することによって人類の思想への決定的な登場を果たした。
同様の戦略の論理的な継続と、同様の成功への序曲は、二千年後の現在において同様の手段に立ち戻ろうとする信徒達の本能のうちに見いだされなければならない。
しかし、今度は、それは安定したギリシアのコスモスを秩序づける原理によってではなく、現代哲学のネオ・ロゴスによって
・・・すなわち、生成変化のうちにある宇宙の進化的原理によってでなければならない。」
(Christianity and Evolution,William Collins Sons&Co.Ltd,p.180)
キリストを「ロゴス」と呼んだのは聖ヨハネ、主の愛された弟子自身だぞニャロメ!!!
(ヨハネによる福音書第一章)
その教義を進化論的原理で置き換えようとはいい度胸だニャロメ!!!
ヨハネによる福音書第一章理解のためにはすでに挙げたトマスの注解書と神学大全第一部第十五問を読むべしニャロメ!!!
テイヤールの「信仰」がどんなものだったかは次の一節でわかるニャロメ!!!
「もし私が何らかの内面的な革命の結果キリストへの信仰、ペルソナ的な神への信仰、霊への信仰を失ったとしても、私は断固として世界を信じつづけるだろう。
世界(その価値、その不可謬性、その善性)が、結局のところ、私が信じる最初にして最後のものである。」
(前掲書p.99)
こんなことを書き付け、またそういう著作家を支持する人間達は、いったいどういう「信仰」を持ってるんだニャロメ!!!
カトリック的「信仰」について、第一バチカンの定義(Dz3008)を読むべしニャロメ!!!
信仰に関する近代主義者の誤謬については
>>1に貼ってある回勅「パッシェンディ」を読んで欲しいニャロメ!!!
テイヤール教のわけわからん妄言はまだまだ続くぞニャロメ!!!
「(その可視的側面である)創造と同様に、受肉は、世界の持続と同じ広がりを持つはたらきである。」
(Science and Christ,Collins,p.64)
ハア???
こんな教義が聖書聖伝のどこにあるんだニャロメ!!!
受肉は歴史上の実在する一人の人間イエズス・キリストにおいてすでにただ一度起こったんだニャロメ!!!
テイヤール主義の「ネオ・ロゴス」とは要するにこういうものなんだなニャロメ!!!
テイヤール主義を著作の中で絶賛しておられる百瀬文晃師その他の聖職者の方々は、そろそろ釈明していただきたいところですな。
もうメールをお届けしてからだいぶ日数が経過しておりますよ。
もちろんテイヤール支持者の信徒の方にもお願いしたいところですな。
ところで、テイヤール自身の「神秘体験」をドラマタイズしたとおぼしき次のような一節はご存じでしょうかな。
ユング氏のそれに劣らぬ不気味さと悪趣味さ加減でございますよ。引用いたしましょう。
「突然焼け付くような空気が彼の額をかすめ・・・魂の中に侵入した。その人は自分自身であることを止めたように感じた。
・・・そして同時に超人的な害悪の苦悶が彼を押しつぶした。彼に降りかかった力は両義的で、濁った、あらゆる悪とあらゆる善の結合された本質であるという混乱した感覚が。」
「おまえは私を呼んだ。そして私はここにいる・・・私は聖なるものとなるためにお前を待っていた・・・私を一度でも見た者は私を忘れることはない。その者は、私と共に自分自身を呪うか、自分自身と共に私を救うかのいずれかだ。」
(The Heart of Matter,Harcourt Brace Jovanovich,p.68)
何ですかな、これは?
「彼」に話しかけているのは光の天使ですかな?それともこれは、悪魔とのご対面ですかな?
170 :
名無しさん@1周年:01/09/20 16:30
カトリックでも精神病(特に分裂病や多重人格)は悪霊の仕業と信じられているのですか?
エクソシストというものがありますが、精神病の人に対して行うものなのですか?
稲垣良典「トマス・アクィナス」(講談社学術文庫)
↑
これ、P121まで読んだけど、それ以降は読んでない。
どうなの?!トマス・アクィナスの思想を知るための良書ってある?
清水書院の本って簡単でわかりやすいって、定評があるね。
それにしようかなあ、何が良い???
PS カツラって負けたの知ってる?!
>>170 それ以外誰にやるの。シルさんもやってもらった方がいいかもね。
<>170様
エクソシズムは精神病患者ではなく、悪魔憑きの人に行うものです。
精神病であるか悪魔憑きであるかはもちろん慎重に判断されなければなりません。
分裂病や多重人格が一般に悪魔の影響の結果であるという教義はカトリシズムにはありません。
デンツィンガー教会文書資料集でご確認ください。
>チン様
結局一番早いのは中央公論社「世界の名著 トマス・アクィナス」で神学大全第一部を直接読むことでしょう。
この版は山田先生の懇切丁寧な注が満ちあふれていて初学者におすすめです。
テイヤール主義の誤謬に関する検証を続けましょう。
まず、テイヤールの著作から引用します。
(1)「究極的には、われわれの思考は「全体」以外の何物をも把握することができない。」
(2)「かくして、忍耐強く単調な、しかし頂点に達するあらゆる種類の科学的研究から、概念されうる「全体」の、最も印象的な啓示が現れてくる。」
(Christianity and Evolution,William Collins Sons&Co.Ltd,p.58,p63)
(2)の命題は、テイヤールが「全体」という言葉で、科学的・物理的に観測可能な被造物以上の何物をも意味していなかったことを明白に示しています。
そして、(1)によれば、人間はそれ以上のものを把握することができないのですから、テイヤールが考える「神」ないし「オメガ点」も、その範疇にふくまれるものにすぎない、という結論になると思われますが、テイヤール主義者の方はこの疑問にどうお答えになるのでしょうか?
社会化および技術の諸成果を生物学的に解釈することはつぎの引用に見られるとおりテイヤール主義の中心思想です。
「科学と生物学の過程は、社会的領域においても断絶することなく継続している」
(The Future of Mankind,Harper&Rowp.136)
しかしこのような命題は何の科学的根拠ももたないばかりか、人間の自由意志の働きを暗黙のうちに否定するに等しいものです。
聖アウグスティヌスに対するテイヤール主義の評価は次のようなものです。
「あの不幸な人のことには言及しないでください・・・彼は、「超自然的なもの」を導入することですべてを駄目にしてしまったのです。」
(Trojan Hourse in the City of God,Franciscan Herald,p227においてDietrich von Hildebrandが引用)
これが「カトリック神学者」の発言か、と目を疑うほかはありません。
明白な自然主義、汎神論の自白というほかに、どのような評価の仕方があるのでしょうか?
テイヤール主義は、主張に合致しなければ真福八端のようなキリスト自身の言葉も平気で冒涜します。
「悲しむ人や・・・霊において貧しい人のための場所など存在しない」
(The Future of Mankind,Harper&Rowp.p.75)
こういう「神学者」を絶賛し、またそのような賞賛者に盲従する人々は、一体何を考えておられるのでしょうか?
カトリックであると自称しながら、カトリシズムをそんなに破壊したいわけですか?
釈明していただきたいところです。
あぼーん
結構いいコト書いてあるんだと思うけど、2行目から下は読んでない。
読む人のことを考えてよNe!
181 :
名無しさん@1周年:01/09/21 15:41
やばすぎるって・・・
182 :
名無しさん@1周年:01/09/21 15:42
183 :
名無しさん@1周年:01/09/21 15:45
時期が時期だけに、これはただではすまされないと思われ
184 :
名無しさん@1周年:01/09/21 15:50
またもや瞬殺あぼーんか
sageろよ、ぼけ
このスレもう廃止決定
書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
あら、そうなの。
ディートリヒ・フォン・ヒルデブラントは前掲書でテイヤール主義の「オメガ点」の教義について次のようにいっています。
「偏見を持たない人は次のように問わざるを得ない・・・この「宇宙的な力」が、なぜキリストと呼ばれなければならないのか?」
(Trojan Horse in the City of God,p.238)
まさにそのとおりで、科学的な見地からはテイヤール主義の「オメガ点」とナザレのイエズスを同一視しなければならないいかなる根拠も存在しないのです。
(繰り返しますが、テイヤール主義は自らの主張を「科学的論文」として提出していると主張しているのです。)
しかしこのような教義を裏付ける経験的証拠などどこにも存在しません。
テイヤール教は恩寵について次のように言ってるニャロメ。
「キリスト教的、カトリック的な実在論の見地からは、恩寵は物理的な超=被造物を表す。それは宇宙的進化の階梯の中でわれわれをより上へと持ち上げる。別の言葉で言えば、恩寵を構成するものは厳密に生物学的なものである。」
(Christianity and Evolution,p.153)
ハアアアアア???????「厳密に生物学的」イイイ??????
こういう命題支持してる人間は公教要理読んだことあんのかニャロメ!!!
恩寵の定義を
>>1に貼ってあるカテキズムで確認しろニャロメ!!!
1996以降だニャロメ!!!
テイヤール教によれば、教会が不可謬なのは次のような理由だそうだよ。
「教会が不可謬であるというのは、現実には、単に、生きている組織体であることによって、キリスト教徒の集団は自らのうちにある種の方向感覚と潜在性を卓越した程度において有しているということにすぎない。」
(Christianity and Evolution,p.153)
何これ?不可謬性の根拠は聖霊の導きに決まってるでしょ?
こういう著作をありがたがってる人達はInfallibilityを
>>1に貼ってあるカトリック百科事典で引こうね。
テイヤール主義って、ほんと生物学的アナロジーに取り憑かれてるよね。
いや、もうアナロジーじゃなくて、同一視だね、これは。
まるで生物だったらみんな「不可謬」みたいな理屈だね。やれやれ。
毒舌全開の動物王国と化しておりますが(笑)テイヤール主義の皆様方におかれましては
皆様のご改心を願う熱意のあまりのことゆえどうぞご容赦を賜りますよう。
あぼーん
「ユングはキリスト教のパロディを提供した・・・彼自身の「キリスト化」までには至らなかったが」
(The Triumph of the Therapeutic,The University of Chicago Press,p.139)
ってフィリップ・リーフは言ってるけど、テイヤール教もまさにキリスト教のパロディだね。
神秘体験じみたこともいろいろ書いてるけど、
>>169で書いてあるとおり、その「霊感」の源泉はすごくヤバそうだね。
テイヤール支持者としてどう思うのかな、百瀬神父様?
195 :
名無しさん@1周年:01/09/21 23:37
テイヤール主義は、ラッツィンガー枢機卿が「公会議後の多幸症」と呼ぶ精神状態を生成してきました。
このことに関するあるカトリック聖職者の評価を引用しましょう。
「キリスト教における近代主義あるいは超近代主義、とりわけ第二バチカン公会議以降のローマ・カトリック教会におけるそれは、
超自然的なものから背反と現世への偏向、教皇ヨハネス二十三世の「適応」の一面的な解釈と誤った適用によって特徴づけられる。
テイヤールのイデオロギーは、このための決定的な前提条件だった。
彼が過去に背を向け、神や超自然を宇宙的な進化過程と混ぜ合わせ、宗教とはオメガ点に終わる進歩的過程への能動的参与であると宣言したかぎりにおいて。」
(Albert Drexel,Ein Neuer Prophet?,Christiana,p.115)
実に的確な総括です。
「第二バチカンの精神」の名の下に、公会議の明文とは何の関係もないありとあらゆる暴虐非道がこの約三十年間まかり通ってきたのです。
その目に見える顕著な代表例が我が国の典礼委員会の所行であることはすでに前々スレで指摘した通りです。
「進歩」の名の下に、自分の勝手な思いつきで教会の不可変の教義や構造を覆せる、覆してよいのだ、覆すべきなのだと思いこんでいる自称信徒や聖職者が、いまのカトリック教会内には溢れているのです。
そして、主観的な善意はどうあれ、彼らの所行は尊者エメリックが予言した「偽りの教会」を建築することにしかなりません。
第二バチカン公会議後の、この「失われた時代」に関するラッツィンガー枢機卿の評価は次のようなものです。
またThe Ratzinger Reportから引用します。
「この十年間がカトリック教会にとって決定的に好ましくない時期であったことには議論の余地はない。」
「教会の真の改革は、議論の余地のないほど否定的な結果をもたらした誤った道を棄てることを前提とする、と明白に認識されるべきである。」
(邦訳ではp.40)
「第二バチカン公会議は信仰を「変える」つもりなどなかった。信仰をより効果的な仕方で提示することを望んでいたのだ。」
「教会と世という二つの現実が葛藤なしに出会い、融合すると考える者は、そのことによって教会も世をも理解してはいないことを示している。
・・・キリスト教徒たちは、新約聖書が「この世」の精神と呼ぶものが自明で合理的で自然であるとしていることと、自分たちが対立していることに気づく時が来る。」
(邦訳ではp.48-49)
教会の不可変の教義を、また諸聖人を養ってきた諸伝統を、「この世」のとなえる価値観、疑似宗教に適合させるために歪め廃棄すること。
われわれはその結果を目の当たりにしているのです。
このスレに書き込まれてきた数多くのおぞましいレス、教会の教義をまっこうから否定して何とも思わない自称カトリックたちの言動が何よりもそれを雄弁に実証しているではありませんか!
われわれの言うことに文句のある人々は、教会の公式教義にもとづいて反論を加えればよいのです。
198 :
名無しさん@1周年:01/09/22 07:00
汁は早起きだ。
もしかして修道士さんだったり…
199 :
名無しさん@1周年:01/09/22 07:06
イエズス会嫌いなんだろうな。
>>136でご紹介した愉快な理論は「現象としての人間」邦訳p.133にもほぼ同型で見いだされますな。
いわゆる「系統樹」が普通の樹木と同様の属性を持つかのように論を進めるこの種の「アナロジーの濫用」は、テイヤール主義の常套の手口ですな。
テイヤールの読まれる前にこのことは覚えておかれたほうがよろしいかと。
201 :
(´Д`;;:01/09/22 07:09
イエズス会は嫌われてるから…
<>199様
イエズス会嫌いとは誤解でございますよ。
ラッツィンガー・レポートの英語版その他良書を出版している
Ignatius Press
は、イエズス会系の出版社でございますよ、もちろん。
尊敬するPoulain師もイエズス会士でございます。
ラーナー主義やテイヤール主義はもちろん大嫌いでございますがな。
203 :
(´Д`;;:01/09/22 07:15
カール・ラーナーイジメもキボーン>汁
<>200の
「テイヤールの」は「テイヤールの著作を」の誤りでございます。
<>203様
いずれやるつもりでおりますが、ラーナー主義にはなかなかシッポを掴ませない狐のごとき狡賢さがありますからな。
シンパに安易な反撃の隙を与えないよう慎重に準備しておるところでございます。
私は次のようなラッツィンガー枢機卿の言明を読むとき、ラーナー主義や百瀬主義のことをついつい思い出してしまうことでございます。
「明白な教導文書に書かれていることとは正反対のことを支持するのに成功する神学者達の巧妙さに、私は舌を巻くことがある。逆転された意味のほうが、弁証法的に巧妙な手口で、あたかも問題の文書の「真の」意味であるかのごとく提示するそのやり口に」
(The Ratzinger Report,邦訳ではp.35)
テイヤール主義においてはすでに指摘したところから明らかなようにキリスト論そのものが徹底的な換骨奪胎を被ります。
それは一種の「宇宙的キリスト」、宇宙を「身体」として持ち、宇宙生成の過程に依存するネオ・ロゴスというSF的存在者へと変容しているのであります。
この種のキリスト理解は鈴木秀子愛読者にもおなじみでありましょう。
テイヤール主義はつぎのように主張します。
「救うのは確かにキリストである、しかし、われわれは同時に次のように付け加えなければならないのではないか?
進化によって救われるのはキリスト自身であると。」
(Heart of Matter,p.92)
こんな冒涜的教義が教会の教導権によっていつ定義されたのですか?
「進化教」ぶりもいいかげんにしていただきたいところです。
伝統的キリスト論を破壊することは、「われわれのキリスト論の基本線を再適合化すること」(Christianity and Evolution,p.139)という言い方でテイヤール自身によって公言されています。
「現象としての人間」に出てくるつぎのような妄言を検討してみましょう。
「もしも世界が収斂しているならば、そしてもしもキリストがその中心を占めているならば、
聖パウロや聖ヨハネが述べたキリストの生成発展は、われわれの経験の領域から考えると、
宇宙の生成発展の頂点となる精神の生成過程の、われわれが期待していた、そしてその期待を上回る延長にほかならないということになるだろう。」
(邦訳p.361)
ハア?の一言ですね。
聖ヨハネによるキリスト論を「ヨハネによる福音書」第一章で復習しましょう。
(1)ロゴスは永遠に神のうちに発出し、そしてロゴスは神です。(1:1)
(2)ロゴスはイエズス・キリストにおいて受肉されました。(1:14)
これが聖ヨハネの教えることです。
テイヤール主義の言う「キリストの生成発展」とは、(1)、(2)のどちらを指すのでしょうか?
(1)が「宇宙の生成発展」の「延長」であるなどとは、当然考えられませんが、
(2)がそうですか?そしてどんな意味において?教会がそんなことをいつ定義しましたか?
>>208 旦那さんが弁当作らさせられてるんじゃないの?
テイヤール主義の根本的世界観は「存在する全ては、「精神」となりつつある物質である」という一元論に要約することができるでしょう。
「複雑性の法則」によって、素粒子から原子へ、原子から分子へ、分子から高分子、高分子から細胞へ、細胞から多細胞組織へ、ついには意識へ・・・というわけです。
テイヤールのテクストを引用すれば、「複雑化というこの独特の求心的旋回運動は、それに伴う内面化作用の増大、つまり精神作用もしくは意識の増大と経験的に結びついている。」(「現象としての人間」邦訳ではp.366)
そして意識はテイヤール主義によれば「経験に基づいて、有機的構造を持った複雑性の特殊な作用として定義される」(同p.367)のです。
しかしこのような法則が経験的に確証されるなどという主張は前スレですでに指摘したように完全に破綻しています。
211 :
名無しさん@1周年:01/09/22 20:25
基地外刑法
<>210に補足すると、前スレの<>656,<>658,<>662,<>664です。
カトリック・スレ(6)がどういうわけか倉庫にもなく行方不明なので、そこであげた参考文献をもう一度列挙しておきます。
グノーシス主義批判のために
聖エイレナイオス「異端駁論」(英訳のリンクは
>>1の神学大全と同じ。)
アレキサンドリアのクレメンス「ストロマテイス」(同上)
ユング主義批判のために
R.Noll,The Jung Cult:Origins of a Charismatic Movement(Princeton University Press)
Wolfgang Smith,Cosmos&Transcendence(Sherwood Sugden & Co)
キュンク主義批判のために
Joseph F.Constanzo S.J.,Historical Credibility of Hans Kung(ewtnで読めます)
カトリック的な経済の考え方の一例として
ヒレア・ベロック「奴隷の国家」
マルクス主義批判のために
アレクサンドル・ジノヴィエフ「余計者の告白」(河出書房新社)
追加
Tage Lindbom,The Tares and The Good Grain(Mercer University Press)
これはスウェーデンの元マルクス主義理論家によるマルクス主義批判の書。
ニューエイジ、神智学協会批判のために
Rene Guenon,Le Theosophisme;Histoire d'une Pseudo-Religion(Editions Traditionnelles)
Douglas R.Groothuis,Unmasking the New Age(Inter Varsity Press)
追加
Whitall N.Perry,Gurdjieff in the Light of Tradition(Perennial Books)
これは鈴木秀子関連で有名な「ニューエイジの先駆者」グルジェフに関する批判。
仏訳もあります。
あと「裁くな」という主の言葉の伝統的な解釈に関して
聖アウグスティヌス「主の山上の言葉」を挙げておりました。
>>1のサイトのChurch Fathersのところを見て下さい。
クレメンスや聖エイレナイオスに関しても同様です。
216 :
名無しさん@1周年:01/09/22 23:42
鈴木秀子氏の本って、カトリック外の人や
「癒し」を求める人には「効く」んじゃないかなー。
でもあのセミナーって、、、聖心会的にはOKなのかなあ?
精神科医的にはNGです。
<>217様
よろしければ鈴木秀子批判を精神科医の立場からお願いしたいのですが、いかがでしょうか。
>皆様
ラッツィンガーファンクラブを忘れておりましたよ。
http://www.bigbrother.net/~mugwump/RATZFANCLUB/ あと典礼関係で
Cardinal Joseph Ratzinger,Feast of Faith(Ignatius)
Monsignor Klaus Gamber,The Reform of the Roman Liturgy(Una Voce Press)
を挙げておりました。いずれも大変おすすめでございます。
グルジェフの主著「ベルゼブブの彼の孫への話」のベルゼブブていうんは、マタイによる福音書第十二章でも言及されてる悪魔の名前やで。
ええ子はこんなキモイ本読むなよ。誤謬がうつるで。シャレならんで、ホンマ。
司祭を冒涜する親父に育てられ、11歳で酒飲みになったグルジェフは、オカルト教義をさがしまわってアフガニスタンやカシミールやチベットを何十年もうろうろしとった。
クルディスタンではミトラ教やマニ教の残党に接触したと自称しとるわな。
グルジェフが接触した「霊的師」には、まあギリシア正教みたいにまともな人もいろいろおったやろ。
しかしそのことはグルジェフ自身の教義が「正統」であることを何ら保証せえへんで。
221 :
名無しさん@1周年:01/09/23 05:40
わかった。ここの御主人はオカルトさんなんだな。
グルジェフは、スーフィー教団は「インナーサークル」とかいう組織に指導されてるとか何とか、神智学協会のブラバッキーの「シャンバラ説」と同じ様なこと言うとるわな。
で、ベネットの証言によると、魔術がらみで他のスーフィーからは危険視されてる教団(11世紀にAhmed Yeseviによって設立された)からいろいろなテクニックを学んだらしいわ。
催眠術も含めてな。
<>221
オカルトさんてワシのことか?あんた?
グルジェフや鈴木秀子がオカルトいうんやったらわかるけどな。
オカルティズムの内部情報知っとるだけで「オカルトさん」か?
どういう理屈やねん。
<>221
ワシはこいつらを叩くために高校の時から文献集めて準備してきてんねん。
まあ見とれや。
エネアグラム研究をやっとるスタンフォード大学いうんは昔からESPの研究とかでも有名な西海岸サブカルチャー圏の「オカルト大学」やわな。
こういうニューエイジ文化が日本のトップクラス企業や省庁の人間にも浸透してきてるという恐ろしい現実については斎藤貴男「カルト資本主義」(文春文庫)参照やで。
226 :
名無しさん@1周年:01/09/23 15:01
>>224 シルは高校の時から誤謬探しおたくだったんか。
これじゃあ、性格が捻じ曲がっても仕方ないな。
227 :
名無しさん@1周年:01/09/23 17:48
制服を来た女子高生が、髪を振り乱して異端文献を漁っている姿・・・
う〜ん、、、萌えるなぁ(笑)
<>226
諸聖人が予言したとおりに出現してきた反キリストの先駆者たちを見てどうして放置することができる?
誤謬は徹底的に破壊しつくさねばならない。それが誤謬に陥った人々へ第一になすべき愛徳の行為だ。
誤謬は人を奴隷にするのみなのだから。
われわれの意図が十分に理解されるとも感謝されるとも思わない!そんなことは十分に予測している!それはわれわれにとってはどうでもいいことだ。
神の御前で、平安な良心のうちに死ぬことができればそれでよいのだ・・・。
ストップ!
<>229
何が言いたいのだ?・・・何度も言っているが、文句があるなら、教会の教義にもとづいて私に反論したまえ。
私が言っていることが誤謬だと示してみたまえ。
それができないのなら、黙っていてほしいものだな・・・。
私は感情的好悪の表明など論駁とは認めないし、常識の名を借りたこの世の疑似宗教にも頭を下げるつもりなどない。
覚えておきたまえ。
そういえば、麻原も殺人命令を出すにあたって、
ポアしてやることがその人のためになるのだとかほざいていたっけ。
どなたさんも麻原に似ているね。怖わー。
<>231
私が無差別殺人を正当化しているような言いぐさは止めて欲しいものだな。
前スレを再読したまえ。
234 :
名無しさん@1周年:01/09/23 23:06
大佐!!無差別殺人はいけませんよ。ご自覚ください!!!
236 :
名無しさん@1周年:01/09/23 23:45
>>大佐殿
小生、英語が読めません・・・どないしよ、
このままではエニアグラムに頼って生きてしまいそうやわ・・・
ニューエイジ批判文献にまったく通じていない人のためにこれも貼っておこう。
キリスト教の立場からのニューエイジ批判が要領よくまとめてある。
ewtnには他にもいろいろあるぞ。
http://www.ewtn.com/library/NEWAGE/AGE-OLD.TXT 日本語の情報源が欲しい人は「ヴァチカンへの道」(横浜アクショングループ)第九巻第二号の澤田先生の論文参照だ。
ちょっと引用させていただこう。
「ミネソタの州立マンカト大学では、フォックス神父や女性司祭叙階会議などの影響を受けた修道女たちが魔女を招き、自ら魔女になって月光の野外「魔術典礼」を執り行う。
我が国のナイスのモデルたるアメリカの「行動への招き」とも深く関わっていたシカゴのマンデライン・カトリック女子大学の「宗教研究学科」から出た「リミナ」グループ。
このグループは女性の意識昂揚のため、仮面を被り赤い「祭服」をまとった女達が、「モミの木」をかざり、「女性の英知の時」を画して「内なる神」「大母神」に呼びかける魔女的儀式、ユング的異教主義的儀式をひろめた」
おぞましいの一言に尽きるな・・・。
英語を読まない方のためにPacwa論文の要点を紹介いたしましょう。
(1)エニアグラムは二千年の歴史を持つ実践であるという主張には確たる根拠がない。
(2)エニアグラムはもともと数秘術による占いのために用いられていた。
(3)西洋世界にそれを紹介したグルジェフはオカルティストである。
(4)グルジェフ自身ですら「性格類型」とエニアグラムを結びつける現在のような実践を行っていない。
(5)現在のようなエネアグラムの利用形態はせいぜい数十年の歴史しかもっておらず、しかもそれはオカルティストOscar Ichazoが「メタトロン」と名乗る霊と交流して得たものであると自称している。
というわけでございますよ。
まあオカルト実践はやめておかれたほうがよろしいかと。
人生の指針はエニアグラムにではなく、諸聖人伝に求めるべきでございましょう。
ロレンツオ・スクポリ「心戦」や聖フランソワ・ド・サール「信心生活の入門」などの良書がかつて中央出版社から出ておりました。
上智の聖三木図書館あたりならまだ置いてあるかと思われます。大学時代は私もいろいろお世話になったものです。
英語をお読みになる方は例によってTAN BOOKSのホームページへどうぞ。簡単に購入できます。
サンパウロに勧告する!
至急、「心戦」「信心生活の入門」「神愛論」を復刊されたい!
もちろん、「神の奇術師 聖ジェラルド・マイエラ」もだ!
「聖ヴィアンネー」は、まだ在庫があるのか?
ラーナー主義者たちの著作など、出版する必要はない!
なぜこういう良書を眠らせておくのか?
オンデマンド電子出版という選択肢もあるというのに!
人生の指針、心の悩みの解決は聖人伝、修徳書。これカトリックのスタンダードやな。
基本図書をいくつか紹介しとくで。ラーナー主義本や鈴木秀子本に頼らんでもええようにな。
トマス・ア・ケンピス「キリストにならいて」(岩波文庫)
聖アウグスティヌス「告白」「神の国」(同上)
福者ヤコブス・デ・ヴォラギネ「黄金伝説」全4巻(人文書院)
「カトリック聖人伝」(光明社)
「アヴィラの聖テレジア自叙伝」(ドン・ボスコ)
「ドン・ボスコ自伝」(同上)
「小さき聖テレジア自叙伝」(同上)
「ある家庭の物語 聖テレジアを育てた父母」(同上)
「アウシュヴィッツの聖者コルベ神父」(聖母の騎士社)
聖ベルナルド「熟慮について」(中央出版社)
シエナの聖カタリナ「手紙」(同上)
カール・アダム「われらの兄弟なるキリスト」(同上)
聖アルフォンソ「聖母マリアの栄光」(同上)
聖グリニヨン・ド・モンフォール「聖母マリアへのまことの信心」(愛心館)
福者ハインリッヒ・ゾイゼ「ゾイゼの生涯」(創文社)
福者ホセマリア・エスクリバー「道」(精道教育促進協会)
絶版になってるのもあるけど、たぶん聖三木図書館で読めるで。
いずれにしても絶版にならんうちに早うこうといたほうがええで。
245 :
名無しさん@1周年:01/09/24 15:44
シルさま、すごく便利かつ有益な情報を有り難うございます・・・、
ちょっと私もこれを機会にいろいろ勉強しようかな。
エニアグラムって「人は必ず9つの性格のどれかが当てはまる!」
みたいな主張なんだけど、人の性格ってもっと複雑な要素が
絡み合っていると思うんですよね・・・。
<>245様
お客様にお喜び頂ければ何よりの幸せ。
私の提供する情報の中でお気に召したものがあればどんどん他の方々にもご紹介いただければ幸甚でございます。
248 :
名無しさん@1周年:01/09/26 02:58
ローソクと典礼香の混ざった匂いが大好きでたまらんのですが、
シルさまは如何ですか??
私も典礼香の匂いは好きですね。侍者をやっていたころのことを思い出します。
さて、今日は
>>9みたいなアンソニー・デ・メロ師シンパの方のために、またとりわけ女子パウロ会とそのシンパの方々のために、
師の教説に対する教理省の批判文書の要点を翻訳してさしあげましょう。
リンクは<>243です。
「しかしすでにこれら初期の著作のいくつかの箇所において、そして後期の刊行物ではずっと甚だしい程度において、キリスト教的信仰の本質的内容からの進行する逸脱が認められる。
・・・他の箇所において聖書を含む宗教聖典に対する判断はさらに辛辣なものになっている。それらは、人々が常識に従うことを妨げ、人々を鈍感で残酷なものにすると主張されている。
キリスト教を含めた諸宗教は真理の発見への主要な障害物の一つとされる。
・・・神のペルソナ的性格は無視され、実践上否定される。
イエズスは神の一人子として認められておらず、単に人間は神の子供達であると教えた人々の一人に過ぎないとされる。
・・・教理省は、上記のような主張がカトリック信仰と両立しないものであり、深刻な害を引き起こすものであると言明する。」
というわけで、アンソニー・デ・メロの著作を擁護した<>9は、直ちに公に発言を撤回し謝罪すべきです。
あなたの言動はこのような反カトリック的な教説を公の場において支持するものであり、信徒及び未信者の方々に大きなつまづきをひきおこしています。
また、女子パウロ会は、早急にアンソニー・デ・メロの著作を回収し廃棄せねばなりません。
宗教多元主義批判もやっておきましょう。以下の教理省文書から要点を引用します。
リンクは
>>243です。
NOTIFICATION on the book
Toward a Christian Theology of Religious Pluralism
(Orbis Books: Maryknoll, New York 1997)
by Father JACQUES DUPUIS, S.J.
「カトリックの教義に従って、人間の心において、人間の歴史において、諸文化や諸宗教において聖霊がおたらしたものは何であれ福音の準備として役立つものであると主張しなければならない。
それゆえ、聖霊がさまざまな諸宗教に現存するそれらの真理の要素や善の要素を通じて非キリスト教徒を救済されると主張することは正当である。
しかし、これらの諸々の宗教がそれ自体として救済の道であると主張することはカトリック神学上の基礎づけを持たない。またそれは、これらの諸宗教が神・人間・世界に関する根本的な真理についての欠落や不足や誤謬を含んでいるからでもある。」
>>35さん、またその他のメーソン・ニューエイジシンパさんがた、ご理解いただけましたか?
宗教間対立を口実に伝統的真理を破壊するのはやめましょうね。
伝統的諸宗教はまともに共存できるものです。そのことはクザーヌスが十分に示しています。
あなたがたの作る疑似宗教は不要かつ有害、反キリストの先駆となる「偽りの教会」です。
「おたらした」は「もたらした」の誤りです。
252 :
名無しさん@1周年:01/09/26 18:14
おいっ、ゴキブリ。スレ下がってるぞ。
カトスレ荒らしてんじゃないよ。
お勉強発表会ゴッコはこっちでやれ。
今日はラッツインガー枢機卿の「相対主義:今日の信仰にとっての中心問題」を少しご紹介したいと思います。
この講話は「解放の神学」や「ニューエイジ」に対するきわめて有益かつ要領よくまとめられた批判だからです。
原文のリンクは
>>218のラッツィンガーファンクラブの中にあります。
まず、枢機卿はJohn HickやPaul Knitterのような宗教相対主義の立場を要約します。
それらは「正統性(オーソドクシー)に対する正当な実践(オルソプラクシス)の優位」を主張します。
砕いて言えば、「教義として何が正しいかということよりも、行動を正しく行うことがより重要である。」という主張です。
これはマルクス主義の影響によってもたらされた考え方で、解放の神学にも共通します。
カテキズムに書いてある教えを「愛徳」の名の下に踏みにじって恥じることがないリベラル・カトリックの態度とそっくりですね。
しかし、当然このような立場には次のような反論を加えざるを得ません。
「何故?「何が正しいのか」ということを絶対的に知ることができないのであれば、どうやって「正しい行動」を見いだすことができるのか?
共産主義体制の崩壊の原因はまさしく、世界にとって何が善で何が悪なのかを知らずに世界を変えようとしたこと、世界を改善するためにはどのような方向にそれを導くべきかを知らずに世界を変えようとしたことにある。
単なる実践は、光とはならない。」(Orthodoxy and Orthopraxis)
カトリックたるもの、教義の勉強をいい加減にしていても自分で「正しく行動できる」などという傲慢な自我崇拝に陥っていてはならないのです。
もちろん、神は各人に可能なこと以上のことを要求なさいませんが。
では今日はユング批判のつづきです。
ユングは神を含めて宗教的的教義の内容や象徴を「集合無意識の表現」であると主張します。
したがって、首尾一貫したユング主義者(そんな人間が存在するかどうか疑問ですが)は、
人間の「集合無意識の内容」を神として礼拝しているわけです。
恐るべき偶像崇拝、自我崇拝カルトですね。
この問題について、Titus Burckhardt,The Mirror of the Intellect(State University of New York Press)から引用しましょう。
著者は、歴史家として有名なヤーコプの甥で、イスラムの神秘神学(とくにイブン・アラービー)や伝統美術の研究家です。
「自身の伝統、生活の聖なるフレームワークに対して不忠実になったあらゆる人間集団においては、それが受容した象徴の腐敗あるいはミイラ化と呼ぶべきものが生じる。
このプロセスはその集団に属するあらゆる個人の心的生活に反映され、その不忠実に参与する。
あらゆる真理には形相的痕跡が付随し、あらゆる霊的形相は心理的次元に影を投影する。
これらの「影」のみが残存する全てとなったとき、それらは先祖伝来の幻影の性格を帯び、潜在意識につきまとう。
心理学的誤謬のうちでもっとも危険なことは、宗教的象徴の意味をそのような幻影に還元してしまうことである」
Wolfgang Smith,Cosmos &Transcendence(Sherwood Sugden & Co)はこれを引用したあとで次のように解説しています。
「もちろん、教義において、象徴の意味を「そのような幻影に」還元したのはユングにほかならない。
あたかも、宗教的人間にとって観想すべきものはユング的元型の他には無いかのように。
これは、集合無意識の神格化、そしてこの無意識がそこから生まれそこに属する人間の神格化にほかならない。
ユングの心理学的疑似神学においては、われわれの種族の曇った記憶が神性の地位を占め、集合的な進化する「自己」が人格的な神となる。」
おぞましい、最悪の教義です。ニューエイジがユングをもてはやすのも当然と言わざるを得ません。
255 :
名無しさん@1周年:01/09/28 22:35
内ゲバや、プロテスタント批判は飽きたから、正教批判やってよ>Sylvius
正教批判はやだよ。僕教皇権・フィリオクエ支持者で、正教はそうじゃないってことだけ。
ウラジミール・ロースキイ読んだことある?オリヴィエ・クレマンは?
すごくいいよ。
257 :
名無しさん@1周年:01/09/28 22:57
>>256 ということは、さすがのSylviusさんも、正教だけは認めているんですね?
そのお気持ちは良くわかります(笑)
でも、それでいいんですか?
でも、見境なく切りつけるようなひとでなくて、ちょっと安心しました(ゴメンナサイ
僕フィロカリアを読もうと思ってるんだけど、まだ一冊をのぞいてつんどくなんだ。
教皇権やフィリオクエの問題は
>>1に貼ってある百科事典でも読んでよ。
259 :
名無しさん@1周年:01/09/29 00:41
ところで3月ウサギってなにかのキャラなんでしょうか、、、
260 :
名無しさん@1周年:01/09/29 00:42
不思議の国のアリスじゃないの?
261 :
名無しさん@1周年:01/09/29 02:58
そうなんだ、じゃあアリス@シルヴィウスっていう
かわいい系キャラも創って、
カテキズムをやんわり主張すればいいのになー。
262 :
名無しさん@1周年:01/09/29 03:36
ロリコンが大挙して押し寄せてきそうだな。
今検索で調べたら、三月うさぎって美少女戦士セーラームーンの
主人公の黄色い髪の毛をした中学生の女の子じゃないかよ。
Sylviusおばさんにはかなりの無理があるような・・・
264 :
名無しさん@1周年:01/09/29 04:08
Sylviusおばさんではなく、きれいなお姉さんかもよ。
265 :
名無しさん@1周年:01/09/29 04:17
げろげろ
266 :
名無しさん@1周年:01/09/29 04:56
たまらねえっす。
キャロルぐらい読めよ。
セーラームーンなんて僕知らないよ。
268 :
名無しさん@1周年:01/09/29 06:08
朝いつも早いですね。
おはよう。
269 :
名無しさん@1周年:01/09/29 06:25
Sylviusおばさん、おはよう。
270 :
シルさんに質問:01/09/29 06:43
>>267 どうして、いつも男を装うの?
シルさんは、女性なんでしょう?
神様に「性別は、偽ってない」って言えますか?
<>267は<>263に言った言葉だから、他のみんなは怒らないでね。
では、スミスによるユング批判の引用をもう少し続けるよ。
「結局のところ、ユングが提供したのは、無神論者のための宗教、自分自身しか愛さぬ者たちのための神秘主義である。
彼は一方では宗教的態度と彼が呼ぶものを「その重要性をいくら評価しても評価しすぎることのできない心理的生活における要素」と褒めそやす。
しかし同時に彼は一方で次のように主張する。「現代の心理学者は、われわれはもはやドグマや信条の問題を扱っているのではないということを決定的に認識せねばならない。」
別の言葉で言えば、宗教的信条の客観的内容が正しかろうが間違っていようがそのようなことは重要なことではない、ということである。
重要なのはわれわれの主観的な宗教的態度、そしておそらくそれが生み出すと考えられるところの「幸福感」なのである。・・・
かつては教義的・道徳的参与によって得られていたものが、今や他の手段によって提供される。しかし新しい産物は古いものとは違う。
それは代用品、あるいはリーフが表現するように、「他の人々が絵画を集めるように象徴と意味を集める霊的ディレッタントのための宗教」である」
(前掲書p.130)
的確な要約だね。そしてリベラル・カトリックやニューエージャーのメンタリティが、まさにこれと酷似していることは僕が指摘するまでもないね。
幸福感を感じても、人間の無意識や悪魔を崇拝してるんだったら、何の役にも立たないよ。
もちろん、全てのユング主義者やニューエージャーが自覚的にそこまで行っているわけではないよ。
でも、その教説の危険性はこれまで誤謬告発スレで述べてきたことから明らかだね。
<>270
しつこいニャー!!
オレは男だって言ってるだろニャロメ!!!
くだらないことで宣誓を濫用するのは罪だニャロメ!!!
新しいテイヤール批判文献がまた一つ加わったぜ。
The Phenomenon of Teilhard-Prophet for a New Age(David H.Lane,Mercer University Press,ISBN 0-86554-498-0)
今届いて走り読みしたけど、ニューエイジ運動とテイヤール主義の関わりを考える上での必読基礎文献となるのは、間違いないぜ。
274 :
名無しさん@1周年:01/09/29 17:21
>>272 いつ、宣誓をしてくれと頼みましたか?
神様に「性別は、偽ってない」って言えますか?
と聞いてるだけです。
偽っていないのであれば、言えると答えれば言いだけの事です。
難しいことでしょうか?
<>274
それは神を証人として引きあいに出すことで明らかな宣誓の要求だよ。
だけどまあ怒らないでよ。とにかく僕は男で、女女と言われ続けるのが不愉快でたまらないんだ。
神学大全第二ー二部八十九問による宣誓の定義はこうだよ。
「神を自分自身の言葉の保証にすることが宣誓である」
僕がかりに「神に「性別は偽っていないって言えるよ」」と答えたと考えてみてよ。
この答えは明らかに神を「僕は性別を偽っていない」という主張の証人として引き合いに出すことになるんだよ。
277 :
名無しさん@1周年:01/09/29 22:04
つーか、「雀鬼」なんて言葉を使ってるくらいだから、彼は男だと思いますが>274さん
278 :
名無しさん@1周年:01/09/29 23:26
女女。何で善意の固まりであるはずの汁がこんなにいぢめられちゃうのか
わかる?
279 :
名無しさん@1周年:01/09/30 03:41
なんか粘着がいるね。女、女ってうざいよ。
シルビーが女だろうが男だろうがこのスレの趣旨とはなんの関係ないだろ!
ところでシルビー、正教についてもっと君の意見を聞かせてよ。
カトリックにとって正教の教義は異端的要素を含むんじゃないのか?
正教が異端でないならカトリック信者が正教に鞍替えしてもOKなのか?
そこんとこどうよ。
280 :
名無しさん@1周年:01/09/30 03:51
>>279 アンタ気味悪いよ、悪いけど。
いつもこんな夜な夜なくだらないことやってるのアンタね。
夜中にスレ乱立させたり、他スレ荒らしたりしてんのは。
281 :
名無しさん@1周年:01/09/30 06:03
>>278 俺も知りたいです。よかったら教えてください。
282 :
名無しさん@1周年:01/09/30 06:04
>>280 279は汁の自作自演ではないのでしょうか。
誰も相手してくれないから・・・
カトリックは 正教に改宗しちゃ だめだよ〜
離教は罪だよ〜
これからミサ行くから、あとでね〜
眠いよ〜
284 :
自動破門!?:01/09/30 10:01
692 :名無しさん@1周年 :01/09/30 02:55
>>689 なんでおまえがウザッたがったり、執拗に擁護するんだ!?
皆さんによく解るように答えてみろ!
おまえこそウザイこと書いたら、今後徹底的に攻撃してやるから
誤解のないように、用心して書いてみろや!ボケ
285 :
名無しさん@1周年:01/09/30 12:12
>>283 司教や主任が異端みたいなことしててもダメなのかよ。
最近じゃあほとんどカトリックは聖公会と変わらないのだ。
なら正教の方がましだと考える奴がいても責められないのではないかな?
近くにオプスディのセンターがない教区ではどこに行けばいい?
ところで、汁はルフェーブル派なんかどうよ。ペテロの座と一致していないという意味では正教と変わらない。
286 :
名無しさん@1周年:01/09/30 12:30
sspxや正教とはインターコムニオンは可能だよ〜
でも離教はダメだよ〜
<>286さん
ありがとー
また読んでみるよ〜
すやすや
カトリックは、たとえ周辺に行ける教会がなくなっても、信頼できる聖職者がいなくなっても、カトリックでありつづけなければいけないんだ〜
全世界で自分一人になっても、だよ〜
290 :
名無しさん@1周年:01/09/30 15:35
>>280 おれも、279さんと同じように、シルさんの正教に対する考え方を聞いてみたいよ。
できればわかりやすくお願いします>シルさん
だって、シルさんのお話には、正教があまり出てこないじゃないですか?
無視してるわけじゃないだろうけれど、279さんが書かれる考えは、自然なものだと思います。
291 :
名無しさん@1周年:01/09/30 15:41
292 :
名無しさん@1周年:01/09/30 15:48
「異端者は極悪人だから殺すことが愛徳」
が持論の人間に、
何を聞いてもアホくさいだけだよ。
ほんとアンチ・アポストルってうざいね。
シルビーへ
離教がだめってのはわかるけど、なにをもって離教とするかだな、問題は。
公教会の情けない状況に失望した人がSSPXや正教に緊急避難したい場合はどうよ?
無論、公教会に異端的勢力が一掃されたあかつきには復帰するという前提での話だけどな。
294 :
名無しさん@1周年:01/09/30 17:51
>>293 全く同意。緊急避難という理屈はピオの連中が使っているね。
今の情けないミサ・・・司祭の自作の奉献文、聖別されていない信者の手で受ける
聖体拝領の事実上の強制、両形式の聖体拝領の強制、プロテスタントの賛美歌や歌
謡曲をミサで使うなどといった試み、聖堂からのマリア像や十字架の道行きの撤去
こういったものが強制されるぐらいなら、正教へ逃げた方がマシでは?
>>291 293で、279さんが出てきた後に言うのもなんですが、私(280)は279さんとは違います。
あなたは、気に入らないことがあったらそういうやり方をするような人なのですね。
シルさんは、教義に関してあなたと同じ考えかもしれませんが、少なくともそういった卑怯なやり方をするような人ではないと思います。
せいぜい「こういうやつがいるから原理主義はだめなんだ」、といわれないようにしてくださいね。
シルさんも迷惑だと思います。
α俺氏は確実に気違っているω
1 :僕 :01/09/24 17:52
何とかならないでしょうか?この気違い野郎。
297 :
名無しさん@1周年:01/09/30 20:32
>Sylvius
破門、破門て簡単にいうけど、破門された人をSylviusはどう思ってるの?
破門された人と、普段の生活の中でSylviusは付き合いを続けないつもりなの?
離教とは「教皇への服従の拒否、あるいは、教皇へ従う教会の成員との交流の拒否」だね。
(教会法751条)だね。インターコムニオンは条件が満たされればできるよ。
SSPXは離教ではあっても異端ではない。正教は離教後の教導権による決定を受け入れていないから、カトリックの側から改宗するとなると当然その問題が生じるよ。
299 :
名無しさん@1周年:01/09/30 20:40
離教ではあっても異端ではない、などという状態が果たして存在できるのでしょうか?
そこんとこ詳しく解説よろしく。
301 :
名無しさん@1周年:01/09/30 20:53
>>294 おひおひ、正教を逃げ場にするなよ。
カトリックが考える程(フィリ、教皇、無原罪マリア他)正教とカトは近くないぜ。
正教に帰正したら、カトリックにもどる気なくなるよ。
302 :
名無しさん@1周年:01/09/30 21:10
そいつ馬鹿犬だろ?
>299
異端であるためには、名目上はカトリック信徒でありながら、啓示されかつカトリック信仰事項として信ずべき真理のうちのあるものを、そうであると知りつつかたくなに否定しなければならない。
(教会法751条参照)
SSPXはこの要件を満たさない。正教は離教後の決定は信ずべき真理でないという誤想に陥っているわけだから、形相的意味での異端は成立しない。
そういうことだよ。
>297
破門された人には、すぐにでも教会と和解して欲しいといつも思ってるよ。
日常生活でつきあいをしないとかいうことはないよ。異端的見解には同意しないけどね。
ありがとう。ちょっと見直したよ。>シルビー
だけど、その解釈は「破門」として軽すぎないかな?
あ、301さん。
是非教えて欲しいんだけど、日本にいる正教の聖職者で、アトスでの修行経験がある人がいたら、紹介してくれないかな?
ぜひぜひ
>304
いや、破門の法的効果というのは、まず聖式にあずかる権利を剥奪されることなんだよ。
旧教会法では、日常生活における交際には「合理的理由」が要求されていたけど、(旧法2267条)現行法にはこれに相当する条文は見あたらないね。
法的効果については1331条だよ。
307 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:14
>>301 正教に帰正したら、カトリックにもどる気なくなるよ。
この辺のお考えを聞かせて欲しいっす。
308 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:24
>>301 正教に帰正したら、カトリックにもどる気なくなるよ。
この辺のお考えを聞かせて欲しいっす。
309 :
名無しさん@1周年:01/10/01 02:23
310 :
名無しさん@1周年:01/10/01 02:39
では、カトリックの方に聞きたい。
プロテストした兄弟達がカトリックにもどってきた。
彼等はまたプロテスタントにもどっていくと思うのかな?
311 :
名無しさん@1周年:01/10/01 02:50
>>310 なーんだ。結局301は思いつきで書いただけなんだね。
期待して損したよ。
312 :
名無しさん@1周年:01/10/01 03:52
ネ申「¥¥―――――
313 :
名無しさん@1周年:01/10/01 03:53
イ――――――――――――――――――ェルサレム!!
あぼーん
ウイルスの次は木馬をやられたようですね・・・
復旧に時間がかかりましたよ。
大変だな。。
317 :
名無しさん@1周年:01/10/01 10:21
このレベルの低い発言は、ここのだろ?
返しとくよ。
730 :名無しさん@1周年 :01/09/29 19:24
このスレは差別的だね。
オウムなら全てが殺人者か? だから、逝けって? それが一般常識??
なわけねーだろ。だったらとっくに全ての信者が指名手配だよ。
そんな罵声ばかり書き込んでストレス解消してるんだろ。
オウムがマインドコントロールされて、威張ってたのが、
どんどん事実が暴露されて、醜態さらけ出し反省してる報道
って知らないの? 確かにのうのうと続けている人は居るよね今も。
それと同じ一つのくくりにしてもいいのか?
実際、反省してる奴はカッコ悪いよね。だから、一方的に汚い
言葉で罵声を浴びせかけ続けるのか?
いじめや差別と同じレベルなんだよ。低レベル。
>離教問題
正教と聖座は以前相互破門を撤回してたよね。
別に敵対状態にあるってわけでもなさそうだし(そうでもないか)。
確かパパ様も西方教会と東方教会を右の肺と左の肺に
例えてたような・・・。
シルビーへ質問。
例えば、公教会から離れたくはないけど、今の“アンチ・アポストルや〜り放〜題〜”な
ミサにはなんか与りたくないよなぁっていう信者が、SSPXや正教のミサに行くのはどうよ?
319 :
名無しさん@1周年:01/10/01 22:27
>>311 しかし、正教徒は、正教とカトリックの関係を、カトリックとプロテスタントとの関係と相似的に考えてる節がありますよ。
320 :
名無しさん@1周年:01/10/01 22:51
>>318 カトリック教会に忠実とは言えないよな。
惹かれる気持ちはわかるけど、それでも毅然とした態度で
カトリックのミサを守っていく心意気がなければ、誰が
カトリック教会を守るんだ。教会に対する愛があるなら、
自分から教会をよい方向へ導いていかなきゃ。
slyvius氏じゃないけど、横からごめん。
321 :
名無しさん@1周年:01/10/01 23:05
>>320 守っていくカトリックのミサってなんだい。
ノブス・オルド・セクローラム・ミサか?
322 :
名無しさん@1周年:01/10/01 23:11
正教はWCC NCC加盟団体です。カトリックよりはプロ側なのです。おあいにく様。
323 :
名無しさん@1周年:01/10/01 23:13
>>322 がーん、ローマ・カトリックの片思い(?)ね・・・
「俺」さんが、またなんかおもろいこと始めたようだよ。
みなさん、あきれずに相手してあげましょう。
αキリスト教の本質ω
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1001942906&ls=50 ■別スレからのコピペ■
689 :名無しさん@1周年 :01/09/30 00:22
>真理を説きたいのか、多重人格の人を救いたいのか、
>何をしたいのかわかりません。
「俺」さん自身に「多重人格」(間違い!)の自覚症状があるとすればどうでしょうか?
(コテハンの使いまわしを見よ!)
しかし、心理学や臨床医は信用したくない。
聖書の「悪霊」。救いたいのは…、救ってくれるのは…、イエス!?
(それでも叩くか? >キリスト教徒諸君 )
そんなストーリ−を思い描いています。
698 :名無しさん@1周年 :01/10/01 10:37
>で、俺氏に対しては、
>根拠があるならそれを示せ。
>無いなら謝罪しろ。
根拠はもうないわけでしょう。クロアチア語の件に説明がついたのなら。
でも俺さんに謝罪を要求しても、恐らく無理じゃないかな。
こうして彼は恥をかいたわけだから、許せとは言わないがもう放置しておけば?
彼にはもう立つ瀬がない、んだから。
699 :名無しさん@1周年 :01/10/01 11:03
>>698 立つ瀬がなくなったのは、
イエス・キリストと聖書とも言えるぞ。
>>318破門が、元々はローマとコンスタンチノープル間のものだったしね。
コンスタンチノープル総主教区は、名誉上の首位はあるけど、
他の総主教区に対する影響力は及ぼせない。
日本正教会はモスクワ総主教区所属の自治教会でしかないから、
モスクワ総主教区とローマの聖座との対立が解けない限り、
対立関係は続いていくでしょうね。
聖公会のような完全独立教会とは、同列に見てはならないわ。
また、ロシア総主教とコンスタンチノープル総主教は、
ロシア以外の、旧ソ連地区の管轄を巡って対立関係にあると聞いたわ。
あたしの友達によれば、現地のロシア人では、ユニア問題と同じく
「ローマ総主教区がコンスタンチノープルに金を出して、
モスクワ総主教区を潰すつもり」と、信じてる人たちも少数いるらしいわ。
あたしの友達も、残念ながら、それを半分信じているの。
<>318さん
インターコムニオンの条件については、第二バチカンの「東方諸教会に関する教令」を読んでみてよ。
教会法では844条第二項だよ。
「霊的に必要あるいは有益でありながら、カトリック司祭のところへ行くことが物理的または倫理的に不可能な場合には、有効な秘跡を持っているカトリックでない教会の聖職者から(秘跡を)求めることがゆるされる。」
となっているね。実際にこの要件が満たされているかどうかの判断は個々の事例できわめて難しいと思う。
自分のアクセスできるカトリック司祭が明らかに無効なミサしか立てていないのであれば、アクセスできるSSPXや正教の司祭のミサにあずかってかまわない。
ノヴス・オルドだから無効、という見解は僕はとらない、ということはすでに誤謬告発スレ(1)で言ったね。
カトリック教会は、今まさにゲッセマネの苦しみのうちにある!
神秘体もまた、主のごとき苦しみを味わわねばならないのだろう・・・
しかし、同志諸君!
絶望していてはならない!
カトリック教会の混乱は、カトリシズムから離脱する理由となるのではなく、
教会正常化のためにわれわれが勲を立てるための絶好の機会なのだ!!
教皇書簡「エクレシア・デイ」に従って旧典礼が各司教区で施行されるように、
手紙を書くのだ!
菓子パンやカレーライスをつかって「ミサ」を立てている神父様方は矯正するのだ!
カテキズムに反するドキュソなことを説教壇上から口走っている神父様方もだ!!
それでも反省しない人は私がやっているように司教様に告発しよう!!
司教様が動かなければ公に告発し、信徒や求道者に危険を告げ知らせなければならない!!
328 :
へのへのもへじ:01/10/02 09:52
シスターはキモイ
あのヨダレカケ何ナノ?
329 :
名無しさん@1周年:01/10/02 10:08
>>327 司教様や補佐司教様までドキュソな大阪大司教区民はどうしたらよ
いのでしょうか。
最近は京都の司教様までドキュソが伝染しているようです。
まだマトモな司祭が少数いますが、教区完全異端化は時間の問題。
例えば高松みたいに教区をあげて異端に乗っ取られてしまった所で
近所に正教もピオもない所ではどうしたらいいのでしょうか。
経済的な問題もあり、たびたび他教区のミサに行くこともできない
と思われますが。
日本のカトリック教会ではそのうちマトモな信者は長崎のカクレキ
リシタンのような司祭&御聖体のない信仰を強制されてしまうので
はないかと不安です。
今後、隠れキリシタン的な生活をせねばならない覚悟は十分しておかなければなりません。
秘跡にあずかることができない場合は義務は自動的に免除されます。神は不可能なことを義務づけられることはないからです。
大阪・京都は教皇直属のオプスデイもあり、まだ大丈夫。芦屋の精道教育促進協会に問い合わせてみるのがいいでしょう。
高松にしても、有効なミサを立てられている司祭ははまだおられると思います。
<>330の場合の「秘跡にあずかることができない」というのは、絶対的な物理的不能に限定されるわけではなく、
かなりゆるやかです。伝統的な倫理神学書でご確認ください。
332 :
名無しさん@1周年:01/10/02 17:44
>>318>>326 >>329 そこだな。カトリックと正教の相違は。ロマ教徒は正教の御聖体には絶対に与れん。上部が良しとしているところが、正教側からすると異質だな。
>>320 そうそう。ロマはロマの心意気を持って頑張って下さい。
>>325 これら政治的な問題が全て解決したといって、ロマ教徒は正教での御聖体は与れない。ロマとの和解が真に進むには聖体問題。教義。正教側のエキュメニカルの本質です。
現カトリック信徒のエキュ思考をあちこちから察するに、正教とはかなりの溝あり。
333 :
名無しさん@1周年:01/10/02 17:47
現カトリック信徒のエキュ思考
信徒に問題あり、ではない。上部の教育だろうな
334 :
名無しさん@1周年:01/10/02 17:53
確かニケア信条の聖霊の発出論が問題になっているのでしょう?
>>332ええ。その通り。
しかし、まずは教会間の政治的な問題が解決されない限り、
内面の問題について話し合うことは、非常に困難。
まずは、外堀の対立を解かない限り、互いに認め合う事は困難。
聖霊発出の解釈だけでなく、様々な問題があるからね・・・。
プロテスタントと正教の話し合いより、困難を極めるかも知れないわね。
336 :
名無しさん@1周年:01/10/02 18:29
すなわち
正教>カトリック>>∞>>プロテスタントということですね。
カトリックは、プロテスタントではなく、正教のほうをもっと向くべき。
みんなおはよ〜
聖霊発出論についてはewtnのライブラリーでGarrigou-Lagrange師のTrinityを読むといいよ〜
すやすや
聖霊発出論に関するカトリック教会側の立場に関して日本語で読みたい人は
聖トマス・アクィナス「神学大全」第一部三十六問題第二項を参照してね〜
創文社の邦訳の第三巻だよ〜
「フィリオクエ」付加の歴史的経緯と合法性問題に関しては
>>1に張ってあるカトリック百科事典で
Filioque,Orhtodox Churchなどの項目を引いてみてね〜
すやすや
つづりまちがえたよ〜
Orthodoxだよ〜
すやすや
341 :
名無しさん@1周年:01/10/04 12:32
シルさんて物知りですね。まだ若そうに見えるのですが(大学生くらい?
クリスチャンって、これくらいキリスト教のことを勉強してる人が多いのですか?
343 :
名無しさん@1周年:01/10/04 19:48
シルのは全部、人の意見の引用。知識はあるかもしれないけど、自分の意見がないの。
Syl氏の神学好きが「偶像崇拝」になっていなけりゃいいんだがなあ。
個人的には苦手なタイプの人間だ。私は弁護士が大嫌い。少なくとも、
法に照らして正義だからという理由で、何も疑問を持たないような人
とは付き合いたくない。それが刑法・民法でも、神学上の法律でもね。
345 :
名無しさん@1周年:01/10/04 19:58
>>343 >自分の意見がないの。
だって汁は、教会の正統な教えを広めてるんだろう?
だったら、汁個人の意見は、必要なし。
聖書、聖伝からの引用で充分。
<>343さん
オリジナリティを美徳とするのは近代主義的な幻想だと思ってるからね、僕は。
宗教的な領域では特にね。345さんの言ってることに同意するよ。
347 :
名無しさん@1周年:01/10/04 22:30
裏切り者の「名無したん」が出没しているぞ。袋叩きにしようぜ。
<>341さん
僕はたいしたことないですよ。僕程度の正統教義の知識をもった人間が同世代カトリックにもっといてほしいと思っています。
フィリオクエ問題に関連して神学大全第二ー二部第一問第十項「信経を制定する権限は教皇に属するか」も読んでみてね。
<>344さん
あなたがまず自我崇拝に陥っていないかどうかを心配すべきだよ。
もしあなたがカトリックであるならね。
僕は何度も言っているように、カトリシズムの公式教義に反すると示されたことは何であれ撤回する用意がある。
しかし、それに矛盾するような命題を「根拠」として反論されても、僕には何の意味もないよ。
僕は偶像崇拝者ではないからね。
>>344 あなたは弁護士と言う職業を誤解していると思います。
また、法律を知らないと思います。
そんなあなたが、「法に照らして正義だからと言う理由で、何の疑問も持たないから」嫌い、なんていうのは滑稽です。
まだ、法律学者が嫌い、と言うのならあなたの論理は成り立ちますが、少なくとも実務法曹(裁判官・弁護士・検察官)については成り立ちません。
これらの法曹は、法文から解釈可能な複数の判例・学説を説得の材料に使ってるに過ぎないのですから。
悪徳弁護士にでもつかまったのでしょうか?
sylくさいな。ジサクジエンが多くて盛り下がる。
英語を読まない人のために解説しておくと、フィリオクエ問題では、コンスタンチノープル信条にローマ側が不当な付加(「子とから」)をなし、それはエフェソス公会議やカルケドン公会議の決定に違反する、とカトリックは批判されているわけだね。
神学的問題としては、「聖霊は父と子から発出する」というのはラテン教父たちばかりでなくニュッサの聖グレゴリオスのようなギリシア教父も主張していることで、何ら聖伝から外れたものではない。
ガリグー=ラグランジュ師の解説とかを読んでね。
法的問題としては、公会議は同じ信条をより明確化した仕方で解説することを何ら禁じたわけではないということ(実際、あらゆる公会議はすでにある真理をより明確に説明するために開催される)、
また変更を禁じる禁令は信仰に関して確定する権限を有しない私人に適用されるのであって、公会議自体もその権威によって召集される教皇を拘束するわけではない、ということだね。
>>21に引用したようなテイヤール的な思想への批判の一例として聖アウグスティヌス「神の国」第四巻第十二章もあげておくよ。
岩波文庫版では(一)のp.297だよ。
>351
ごめん、ごめん。つい指?がすべっちゃったんだ。法曹界の人たちには失礼だった
よね。撤回させていただきます。むしろ、具体的に「悪徳弁護士」(法律を利用
して、真実を曲げて有罪を無罪に変える人)と書くべきでした。
。
。 ゚ ΛΛヾ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
゚ ( ゚Д゚ ) ) < あ!?ビン・ラディンだぁ?
(| r/ \__________________________
〜| |
UU
汁タン愛してる
(ヽ /⌒ ̄二⊃
/ \ ∧_∧ / /(
(/^\ \ _ (´Д` ( __\
\_ ̄⌒ \ \\\ヽ
 ̄ ̄| / ̄\ \ヽ ヽヽ
___/ / \)ヽ ヽ ヽ
( _ ) \))~
\ ヽ ̄ ̄\ ヽ
\ ヽ \ ヽ
ヽ ) \ \
ヽ ( \ ヽ
`し. \ \
ヽ )
ヽ (
`し
大阪スレを見てあまりの酷さに絶句したんで、この機会に聖体の質料について基本的知識をまとめとくよ。
自分で確認したい人はDominic M.Prummer,O.P.,Handbook of Moral Theology(Roman Catholic Books)とかを見てね。
パンが有効な質料であるためには、
(1)小麦粉からつくられたものであることが必要で、大麦やオーツはダメだよ。
(2)自然水を混ぜて焼いたものであることが必要だよ。ミルクや油を大量に混ぜたり、焼いてないのはダメだよ。
適法な質料であるためには、さらに
(3)ラテン典礼の場合は無発酵のパンでないと違法だよ。
(4)混入物がなく変質していないものでないと違法だよ。
自衛のため、英語が読めなくてもまともな倫理学書を一冊持っておくことをすすめるよ。
自分の所属教会の司祭が違法ミサを指摘しても改めない場合、司教に告発したうえで早急にオプスデイとかに転籍すべきだね。
明らかに有効でないことがあらかじめわかっているミサには、絶対にあずかってはダメだよ。
倫理学書は倫理神学書の誤りだよ。
361 :
名無しさん@1周年:01/10/06 12:44
>>359 だからその告発すべき司教様が最近ではこういう異端ミサの推進者なんだってば。
ところで、タイヤール・ド・シャルダンの本を汁にインスパイアされて最近読み
出したんだけど、このおっさんの説、どっかで読んだことがあると思っていたら
レーニン著作集にタイヤールそっくりな箇所を発見した。
「我々の意識、我々の思想は、脳という物質的機関の産物である。物質は精神の
産物ではない。《精神こそ、物質のもっとも偉大な産物なのだ》」
362 :
名無しさん@1周年:01/10/06 16:28
「その告発すべき司教様が最近では
こういう異端ミサの推進者」であるとすると、
この場合、教区民はどうすりゃいいんですかね、、、
<>362様
教皇特使に告発するしかないでしょうね。
しかし聖座からの対応には時間がかかるでしょう。やむをえません。
<>362さん
テイヤール主義と唯物論は親近性がありますね。
ところでテイヤールの著作だけでなく引用したトマスの箇所もぜひ読んでおいてください。
大阪教区の現状は想像を絶するようです。私なら、所属教会の司祭が違法ミサを改めないならすぐにオプスに移ります。
オプスデイは属人区ですから、確かどこに居住していても問題ないはず。
福者ホセマリア・エスクリバー師によって設立された由緒正しいカトリック組織です。
東方典礼諸教会のものは、種入りパンを使用しているけど、
それは、東方典礼の典礼によって違法ではないというわけで、
ラテン典礼では今のところは違法。
東方典礼で行うにしても、大阪教区のアンパンは違法になるわね。
種無しパンが、どうしても手に入らないという状況に陥れば、
どうなるかは分からないけど、この場合はどうなの?
シルビウスさん。
大阪教区のものは、司教が公認していたとしても、怪しいわね。
教皇庁に許可を取っているのかしら?
教皇大使は知っているのかしら?
>>363確かに・・・。最近、特に対応が遅いと聞くわね。
聖変化が有効かどうかとか、色んなことにつながってくるからね。
「聖変化は有効だが、典礼で定められていないものであり違法」
となった場合、訳がわからなくなるからね・・・。
ルフェーブル問題と一緒になるわね。
「ミサじゃないけど、ミサ」となるわけだし・・・。
でも、奈良にいた頃、奈良教会の十字架の高さについて
県や市ともめたという噂を聞いたけど、
なぜか、教皇パウルス6世自身の介入があったらしいわね。
面白いわね。
367 :
名無しさん@1周年:01/10/06 20:20
うちは山崎の食パン。ところで麦がとれない国やブドウのない国じゃどうするのさ。
>マリアさん、367さん
有効な質料が存在しない場合はミサは立てられませんし、立てる義務、あずかる義務からも免除されます。
369 :
名無しさん@1周年:01/10/06 20:47
>>365 EWTNによれば、非公式な筋の話としてオプスディ創設者が来年の生誕100周年
に列聖されるという話もあるようですね。
種なしパンについては、戦時中、敵性国収容所に収容されていた外国の神父様方が止
むを得ず乾パンやビスケットで御ミサを立てたという話を年配の神父様から伺ったこ
とがありますが、これはあくまで非常時でそれしかマテリアルが入手できなかったと
いう止むを得ざる事情があってのことだと思います。
別にホスチアの入手に困難を伴わない状況で食塩が入っている食パンやアンパンを使
うことが緊急避難とも思えませんね。
聖公会スレでは聖公会でもいよいよ聖餐に葡萄ジュースが使われるようになったとい
う話題が出ていましたが、両形式の聖体拝領とエキュメニカルに熱心な神父様方がマ
ネをしだすのも時間の問題ですね。
1439年のギリシア人合同の大勅書Laetentur caeli(Dz692)によれば、
東方典礼の司祭および西方典礼の司祭はそれぞれ自分の所属する教会の慣習に従い、前者は発酵パン、後者は無発酵パンを用いなければなりません。
緊急の場合にこの義務を免除する条項は見あたりません。
371 :
アングリカン:01/10/06 21:11
>聖公会スレでは聖公会でもいよいよ聖餐に葡萄ジュースが使われるようになった
教区によっても違うのでしょうが、うちの教区内では使われてないことを先日確認しました。
会計会議のさいひるめし時に確認したから多分間違いありません。
ぶどうジュースをマテリアルとして使っているところがもしあっても例外です。
372 :
名無しさん@1周年:01/10/06 21:13
聖公会もいろいろ大変だね。
日本キリスト聖公会を立ち上げた引退主教様のような男がカトにもおれば。
あと、食パンは通常発酵パンですから、西方典礼では少なくとも違法です。
昔は、後輩の侍者にぶどう酒に加える水の割合についてまで、
細かく教えたのもよ。水の量が多すぎると無効になるからね。
ところで、ある地方にいた時に、
御聖体と聖血両方を拝領する教会があったの。
ミサは普通のミサの立て方だったけど。
これは、合法か非合法かどうなのかしらね?
そうそう、慣行は教義ではないから、
変更できるというものがあるのよ。
例えば、司祭の結婚問題や、女性司祭の誕生の可能性は、
無きにしも非ずよ。
復古カトリックは、聖公会内のインドのマラバール教会と共に
独立教会となった影響なのか、
女性司祭を置いている教区もあって、内部分裂の危機らしいわね。
聖公会や復古カトリックは、
アンティオキア総主教区から、認められてきたらしい
という噂を聞くけど、どうなるのかしらね?
>マリアさん
信徒の両形色による拝領は第二バチカン公会議以降、一定の条件下に合法化されています。
その昔は、合法だったものね。
<>376補足
現行教会法では925条です。
シルビウスさん、こんな感じでやっていけば?
これなら、正統な教義が誰にも分かりやすく示される。
ややこしい人の話しも、こんなふうに、
感情をいれずに、どこがカトリック教義と矛盾があるのか
だけを知らせれば、充分効果ありよ。
反論があったとしても
「人間性に優れている点があることは認めますが、
カトリック教義と照らし合わせると、怪しい点が散見されます」
これだけで充分よ。
>マリアさん
女性には神法上、司祭になる資格はありません。したがって、女性に叙階を行っても無効です。
妻帯者の叙階については東方典礼と同じように教会法を変えることはできます。
それと、東方典礼でも叙階されてから結婚するのは確か禁じられてませんか?
カトリックは、叙階されてから有効に結婚することは不可能です。(トリエント公会議の決定を参照。Dz.1809)
383 :
名無しさん@1周年:01/10/07 00:27
カトリックは女を人間扱いしてないのよ。
女性聖職者を認めない教派なんてカトリックを含めて全部異常よ。
<>383様
カトリックが女性を人間扱いしていないというのはひどい誤解ですね。
聖母を最も偉大な聖人として崇敬しているというのに。
神は男性には卵巣や子宮をお与えになっていません。
だからといって神が男を人間扱いしていないとかいう理屈はなりたたないでしょう?
それと同様のことです。
>>381あら、女性司祭は無理なの。
それから、東方でも司祭になってからの結婚はダメよ。
司祭になる以前に結婚してないとダメ。
叙階後に、奥さんが亡くなった場合も、再婚は無理。
この先神父のなり手が少なくなれば、
特例で、定年後の高額年金者に限って、
神学校への勉強をすれば、叙階が許される可能性はあるわね。
補祭だったか助祭だったかは、東方は女性OKよ。
あぼーん
誤爆?
司祭はイエズス・キリストによるカルワリオ上のいけにえを再現する「もう一人のキリスト」です。
神がその役目をイエズスと同じ性を持つ者にのみ限定してお与えになることは何ら不当なこととはいえません。
>マリアさん
カトリックの助祭(deacon)は、秘跡的叙階により任命されます。
しかし、女性は有効に叙階をうけることはできません。
したがって、女性が助祭になることは不可能です。
女性が叙階を受けられないことが教会の普遍的伝統であることは、1コリント14:34、1テモテ2:11−12からしても明白なことです。
疑問の余地はありません。
392 :
名無しさん@1周年:01/10/07 02:31
自分は391さんではありませんが、聖書をわざわざ開くのは億劫だという方のために、参考として該当個所を。
1コリント
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、
14:34 婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っている
ように、婦人たちは従う者でありなさい。
1テモテ
2:8 だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。
2:9 同じように、婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、
金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。
2:10 むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです。
2:11 婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。
2:12 婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。
2:13 なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。
2:14 しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。
2:15 しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。
いいね、女は罪を犯したのだから男に逆らうな
395 :
名無しさん@1周年:01/10/08 07:02
>>396 ><>395様
>放置してさしあげればそのうち懲りるのではないかと。
ぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
そりゃおまえだろ。
>>395-396 は明らかなシルのジサクジエン
スレの濫立もシルがやった可能性が疑われる。
399 :
名無しさん@1周年:01/10/08 12:50
シルビオスが来るようになってから、
雰囲気が全体的に悪くなったんだよ。
400 :
名無しさん@1周年:01/10/08 12:55
392をそこだけみると、めちゃ女性蔑視に見えるんだけど。。
<>400様
ガラテヤ3:28で言明されているような平等性は、各人のタレントの差異に基づく役割分担を否定するわけではないということでございますよ。
教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡 「女性の尊厳と使命」 MULIERIS DIGNITATEM(カトリック中央協議会)あたりも読んでいただければよろしいかと。
>>399 聖書にはそういう部分もある。
それを原理主義的に解釈するとシルのようになる。
403 :
名無しさん@1周年:01/10/08 23:16
Sylviusさん、いろいろ質問に答えてくれてありがとうございました。
最近の神父さんに質問しても答えが正しいのか不安なので助かります。
女性は叙階を有効に受けることはできないことについて、「カトリック教会のカテキズム」1577以降および教会法1024条をそれぞれ参照のこと。
<>403
いえ、どういたしまして。何よりも自衛のため「カトリック教会のカテキズム」と倫理神学書は持っておかれることをふたたびおすすめいたします。
407 :
名無しさん@1周年:01/10/09 07:41
バチカンは、女性の助祭を禁止したそうだ。拍手!パチパチ。
ついにジサクジエンだけになったか。
どんどんひきこもってくれ。
409 :
名無しさん@1周年:01/10/09 12:39
よく田舎の家に張ってある「キリストは全ての罪を背負ってる」(文章ちょっと違うかも)の
黒地に白文字の看板は何派によって張られているんですか?かなり過激な文章の奴の事教えて下さい。
<>409様
あれはどこの教派なんでしょうね。
ところで話は変わりますがラーナー批判としては
Cardinal Joseph Siri,Gethemane:Reflections On The Contemporary Theological Movement (Franciscan Press)
の評価が高いようです。私は注文する予定です。
マルクス主義的解放の神学に関する批判はカトスレ(6)でやっていますがその継続として今日は
教理省「解放の神学のある種の側面に関する教示」(1984年8月6日)をご紹介します。英文リンクは下です。
中央協議会はいつになったら公式翻訳を出版するつもりなのでしょうか?あるいは出版するつもりはないということでしょうか?
http://www.newadvent.org/docs/df84lt.htm 「この教示の目的は・・・さまざまな潮流のマルクス主義思想から借用された概念を十分に批判せずに利用するある種の形態の解放の神学によってもたらされた、
信仰とキリスト教的生とを蝕む逸脱および逸脱の危機について、司牧者、神学者、すべての信徒の注意を喚起することである。」
「正義への希求は、しばしばその意味を隠蔽・歪曲し、人間的生の真の目的に対立する解放目標への闘争を提示するイデオロギーのとりことなる。」
「悪は、悪い社会的・政治的・経済的「構造」に原理的にあるいは専属的に存するということはできない。
あたかも、全ての悪はそれに由来し、「新しい人」の創造は異なった経済的・社会政治的構造の確立に依存するかのように。
・・・構造はよいものであれ悪いものであれ人間の行動の結果であり、原因というよりもむしろ帰結なのである。
・・・社会関係における根底的革命を第一に要求し、個人的完徳への追求を批判することは、
ペルソナの意味とその超越性へと至る道を敷くこと、倫理および善悪の区別の絶対性というその基礎を破壊することである。」
「「そのイデオロギーとの結びつきを認識することなくマルクス主義的分析の諸要素を受け入れること、
また、その過程がそれへ向けてゆっくりと導いていく全体主義的社会を見ることなしに階級闘争やそのマルクス主義的解釈を実践することは、幻想であり危険である」
というパウロ六世の警告は今日においても完全に有効である。」
「ペルソナの意味とその超越性の否定へと至る道」の誤りです。
以下、この文書はマルクス主義という先入観念によって、キリスト教のどのような「再解釈」が行われるかを列挙しています。
引用を続けましょう。
「いくらかの者たちは歴史と神とを同一視するまでに至り、信仰とは「歴史への忠誠」であると定義する。それは、純粋に現世的なメシアニズムとして概念された人類の発展に適合する政治的手段への固執を意味する。」
「その結果、信仰・希望・愛は新しい内容を与えられる。それらは、「歴史への忠誠」「将来への確信」「貧しい人々のための選択」となる。これは、これらがその神学的内容を奪われているということにほかならない。」
「この新しい体系においては、信仰や神学の言明は政治的評価基準に従属させられる。そして政治的評価基準は、階級闘争、歴史の駆動力に依存する。」
「教会に関しては、この体系はそれを単に歴史に内属する現実、歴史の展開を支配すると考えられる法則に従属するものとみなす。神の賜、信仰の神秘である教会はこの還元によってそれ固有のあらゆる現実性を奪われてしまう。」
教会論の破壊というこの指摘は非常に重要です。われわれは日本でもその忌まわしい結果を目の当たりにしつつあります。
「「人民の教会」というような概念に基づいて、教会の構造そのものに対する批判がなされる。
・・・それは主ご自身によって意志されたものである「教会の秘跡的・位階的構造」への挑戦に関わっている。」
かくして、教導権は「支配階級」とみなされ軽蔑し抑圧すべきものとなるわけです。
そうなるとあとはどのような「神学フィクション」が作られようが何の不思議もないわけです。
「受肉した御言葉への信仰は・・・否定される。そして、抑圧された者の闘争の要件を自らに体現する一種の象徴としてのイエズスの人物像がそれにとってかわる。」
「キリストの死のもっぱら政治的な解釈がなされ、かくして、その救済上の価値と贖罪の経綸全体が否定される。」
カトリック信仰と矛盾しない経済・社会政策の提示やマルクス主義批判などはレオ十三世以来歴代諸教皇の回勅、
たとえば「レールム・ノヴァルム」や「デヴィニ・レデンプトリス」によってくりかえしなされているわけです。
グスタボ・グティエレスやレオナルド・ボフを読む暇があるカトリックならそちらをまず勉強すべきです。
ヒレア・ベロックやDenis Fahey,C.S.S.Sp.もよろしく!!!!!
416 :
名無しさん@1周年:01/10/10 14:48
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ,,) < プロテスタントは堕落した人達が始めた分派です〜
./ | \______________
(___/
/
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚Д゚) < なんつったりして!
./ | \_____________
(___/
/
417 :
名無しさん@1周年:01/10/10 15:29
それを言ったら、カトリックは堕落した人たちがはじめた(ギリシャ正教からの)分派です〜
も成り立ちうるのでは?
418 :
名無しさん@1周年:01/10/10 15:35
カトがギリシャ正教から分派したとは初耳(大藁
首位権の解釈の違いによる分裂でしょうね。
420 :
名無しさん@1周年:01/10/10 15:45
キリスト教は堕落した(以下略
421 :
名無しさん@1周年:01/10/10 15:45
聖像禁止令とフィリオーケの問題では?
422 :
名無しさん@1周年:01/10/10 16:06
>418
正教の人はそう思ってるんじゃないの?
カトリック 弟
プロテスタント 従兄弟
聖母マリアも×でしょ。
423 :
名無しさん@1周年:01/10/10 16:10
>>422 ドキュン丸出し。
知らないなら、出てくんな。
424 :
名無しさん@1周年:01/10/10 16:22
正教徒の友人から聞いてる話だ。
弟と従兄弟 もあそこの神父著作からの引用だ。
425 :
名無しさん@1周年:01/10/10 16:24
>423
422ではないけど、正教徒はマジでそう思ってる節があるよ。
427 :
名無しさん@1周年:01/10/10 17:25
どうしたんだろ。
このスレ、シルのカキコがほとんどで、その隙間に他のやつのカキコがちょぼちょぼ
あるのが普通なのに。
またまたウィルスでパソコンやられたのか?
<>427
いや別に。今はサブの方から書いてるけどね。
あと、正教はもちろんカトリックのほうが誤謬だと思ってるよ。
フィリオクエ問題については十分説明したと思うけど、教皇の首位権に関してもカトリック百科事典を引いてもらえれば十分だと思うね。
解放の神学あるいは一般にマルクス主義は、社会体制を変えさえすれば罪を犯さない理想的な人間ができる、罪は社会体制の悪さにもっぱら責任があると考えてるみたいだけど、
そんなの幻想だね。人間はペルソナ的存在として自由意志を持ってるんだ。自由意志をもっているということは罪を犯す可能性ももっているということだよ。
いかなる「体制」もその可能性を人間から剥奪することなどできはしない。
そんなあたりまえの現実が見えずに制度いじりだけして何になるんだろうね?
もちろん今の世界の政治経済体制が理想的とはとてもいえないことも自明だよ。
財の分配はできるかぎり行われるべきだ。(ベロックが指摘したようにその理想は中世キリスト教文明がほとんど実現していた!)各家庭はできるかぎり財政的に独立したものにならなくてはいけない。
高利貸しや巨大資本への富の集中化がますます進み、多数の人々が事実上の「賃金奴隷」と化していく現状はどう見ても異常だよ。
財政的独立が得られないのであれば精神の自由は確実に蝕まれるからね。
穀物メジャーなんか法律で取り締まればいいんだよ。一部の人間を利する一方で自国と他国の独立自営農民を圧迫してるだけなんだから。各国は食料を自給すべきだ。
共産主義体制は、私有財産の否定によってまさしく精神を奴隷化する。
体制に反逆するものは職を失い、そうなれば生きていけないからね。
「私有財産は盗みだ」という擬似宗教がどのような結果をもたらすかはもう十分に実験された。
そしてカトリック教会は私有財産制を断固として擁護しつづけてきた。
「私有財産を規制する実定法はその利用を多かれ少なかれ限定することはできる。しかし、立法が機能するためには、それは
労働者が、・・・ペルソナとしての彼の権利と両立しない経済的依存と隷属に陥ることを阻止しなければならない。」(教皇ピオ十二世)
教会論まで蝕んでいる人民主権論もまったくの擬似宗教だよ。
あらゆる権威は神に由来する。これはカトリック思想の大前提。
それゆえ、権威を持っている人間は神の法に従った政策を用いなくてはならないのであって、それに矛盾するような法や政策はそもそも存立根拠など持ってはいない。
神やその法を信じない共産主義者は、自分たちが人民を代表している(それゆえ自分たちが正当な権威なのだ)ということが言えるためには、ほとんど論理必然的に反対意見を迫害・粛清・洗脳によって封殺しつづけなければならないのさ。
とりわけ、宗教をね。
二十世紀の歴史やミトローヒン文書はそれをこれでもかといわんばかりに例示している。
あたしは、でも特権階級が牛耳る国家主義体制も好きじゃないわ。
うちの神社もやられたのよ。
敗戦の神勅が下ったから、宮内庁へ届けたら手痛い報復を受けたわよ。
政教一致体制も、歴史を見れば失敗してばっかり。
共産主義と一緒で、幻影よ。所詮、人間のやることだもの。
その時によって、体制を選択できる自由民主主義の体制がよろしい。
失敗も最小限で済むからね。
433 :
名無しさん@1周年:01/10/11 02:16
汁たん、やっちまったね。
434 :
名無しさん@1周年:01/10/11 02:37
古い話で恐縮だが、
>136の「閑話休題」の使い方おかしくない?
436 :
名無しさん@1周年:01/10/11 04:02
カツラも負けちゃったね。
437 :
名無しさん@1周年:01/10/11 04:31
カトリック教会にこんなクレームがつけられました。
収入の3%を献金で義務付けていることは知っています。
他の信者さんから教えて貰いました。
だけど聖職者の方は、「なん%か忘れた。」とか「たくさん献金しないと
まことの聖霊が降りて来ない。」とか「ここは本当に貧しい教会だから。」
「石川さん、あなたは神の導きを受けていないからより姿勢を正す意味で
献金しなければないらない。」とかなんとか言っていますけど。
おまけに家族皆で洗礼を受けなければ、聖霊の愛で守られないと言うのもありました。
そして「どうしても家族が来てくれないなら、青年会に独身の信者さん
たくさんいますから離婚なさった方がいいかもしれません。」
とも言われました。
「神が認めた結婚じゃないから、離婚してもいいです。」とも言われました。
これはぜーんぶ、カトリック教会でのできごとです。!!!!!
>>429-431 中世ヨーロッパの経済体制が理想だ?
教会支配を正統化したいんだろうが、
とんでもない原理主義だな。
近代が嫌ならパソコンでネットやるなよ。近代に毒されるぞ。
電話も車も電車もな。ついでに議会制民主主義による
恩恵も一切受けるなよ。
アーミッシュでも入れば?
<>438
単純に中世に戻れなんてどこにも書いてないよ(笑)人が書いてることをよく読もうね。
>マリアさん
政治体制そのものはもちろんどういじろうが人間の自由意志を剥奪することはできない。
したがって濫用の可能性は既定条件として受け入れなければならないよ。
<>437
そりゃひどいことをいう神父様もいたもんだね。
家族みんなで洗礼を受けないと駄目とか、献金をたくさんしないと聖霊が降りてこないとか(笑)
そんなのカトリック教会の教えに全然ないよ。「カトリック教会のカテキズム」やデンツィンガー教会文書資料集で確認してね。
その神父様ってカリスマ運動系?
441 :
名無しさん@1周年:01/10/11 08:08
リトル屁プル一味の話じゃないの?
<>435
ご指摘ありがとう。
<>439補足
議会制民主主義の濫用の代表例はいわずと知れたナチズムだね。
あれは当時もっとも「先進的」な憲法といわれたワイマール憲法下において合法的に誕生した政権だよ。
カール・シュミットとかを読めば、ナチズムが民主主義の一形態にほかならないことがよく理解できるよ。
そしてハンス・ケルゼンのような相対主義者は、ナチズムに対してなすすべがなかったのさ。
444 :
名無しさん@1周年:01/10/11 11:11
おいらの小教区では維持費を納めているのは50世帯しかないよ。
信者名簿では120世帯ぐらいはある筈だけど。
クリスマスとかの特別献金なんか30世帯もしていない筈だ。
カトリックはお金にうるさくないのが一番いいところだ。
だいたい維持費にしても最高で1万円くらいだよ。
最低は500円だ。
せめてホスチアとミサレットの原価分ぐらいは維持費を納めて欲しいよ。
445 :
名無しさん@1周年:01/10/11 12:09
最低は500円て教会が勝手に決めるのはおかしい、
献金は自由献金が原則や、
定期的に封筒に入れて徴収するのは日本ぐらいや、
うちの神父さんイタリア人やけど同じやり方でイタリアでやったら
不満がでて出来ない言うてたで、
俺も最低500円でも強制的にとられる感じは気分悪いのと、
自由意思で純粋に献金したい時にする方が功徳があると思うので、
徴収するやり方では献金した事は無い、維持費分は献金箱に入れてる。
>>439>>443だからと言って、ほかによりベターな体制はないわね。
今の日本も、カリスマ小泉や改憲派やS学会の暴走が気がかりだけどね。
どうなろうが、仕方が無いわよ。それで世間はいいのだから支持してるのよ。
教会は、ナチスの暴走を止められたかしら?
政教一致なら、止められたかしら?答えは当然、いいえ。
教会は、ユダヤや左翼を毛嫌いしていたから、
ナチスファンの聖職者もたくさんいた。
多くの国でも、教会の特権を認めてくれる国家主義者の方を選んだ。
ナチスが人々の反感を買ってから、ようやく重い腰を上げたに過ぎないのよ。
なぜなら、彼らはキリスト教も否定し始めたから。
教義を持たないあたし達は、時と場合に応じた行動を起こせる。
あたしたちには、神託を受ける術をもっているからね。
しかし、先の大戦で示された通り、
明治以降の神道は、神託を否定したから聞き届けられなかった。
あなたたちは、時と場合によって、判断を誤ることがある。
後でとてつもない惨事を引き起こす事がある。
それは、信頼を今いる神(事象)より昔に作られた教義に置くからよ。
これまでの歴史を振り返れば、
教権が俗権の上に立ってから、いいことはあまりなかった。
聖職者の腐敗を招いてしまった。
政教一致になってからは、「地獄はローマにあり」と言わしめた。
いつまでも同じ体制が続くというのは、
特権階級が出来て腐敗を招くって事は、人々は充分学習したのよ。
教会は、為政者を含む人の支えであるべきよ。
過去のように、神の名の元に人を支配するものであっては、ならないのよ。
この日本には、昔には神官の神託や巫女の神託で
成り立ってた時もあったけど、小規模な国で有効だったわね。
それも、作物の種まきの時期とか、自然災害とか、
時代が進むと、どこから敵が攻めてくるとか、
生活のあり方とか、そんなものが分かれば良かったのだから。
大昔でも、時々おかしなのが出てきて、乱すこともあったけど、
まぁ、それも一種の刺激や色んな事を考えるきっかけになって、
良かったものよ。
維持費の金額そのものは明確な規定はないけど、「おのおのの分に応じて教会維持費を負担すべし」というのは、教会法上の義務だからね。
(今手元にないので条文番号はまた今度)年間で収入の約3%というのは妥当な線だと思うよ。
>>443 ナチズムが合法的に政権の座に着いたのは
中学の世界史あたりでも出てくる話。
そのくらいの知識の披露でテングになってるあたりがシルらしい。
重要なのは、やはり教会もナチズムの本質を見抜けなかったばかりか、
その悪虐非道に一部荷担した事だ。
権力にヨワイんだよね。
シルなんかワイマール末期のドイツに居たら、
即行でナチス党員だろうね。長いものに巻かれてそう。
449 :
名無しさん@1周年:01/10/11 13:25
いや、教会はナチズムの本質見ぬいていたからこそ
戦争当時は非難出来なかったのや、
非難したならドイツと近隣諸国のカトリック教徒への
迫害は火を見るより明らかやからな。
>>449本当のところを言えば、聖座は色々事情があって、
あまりそんなものに関わっている暇がなかったのよ。
それ以外に、いろんな問題が山積していたからね。
<>448
その通り。常識やな。それで、議会制民主主義崇拝者はそれをどう考えるんやと訊いてんねん。わかるか?
あと、「「ドイツ・キリスト教」のような運動は、教会に関するカトリック的概念を持つ限り結成されえない」(ラッツィンガー枢機卿)
すなわち、完全にカトリックである人間が同時にナチ民族主義者であることなんか論理的にありえへんで。
教皇聖下の政教協約を含め、ナチに対する個々の聖職者の対応がすべて賢明やったとは当然言えんやろう。
しかし、カトリック教会がその教説においてナチズムを支持したことなど一度もないで。あるんやったらデンツィンガーからひいてみい。
ホーホフートみたいな著者がそら色々言ってるのはもちろん知ってるで。ただし
「ヒトラー政権のユダヤ人迫害に対して、ピウス十二世は5000人以上のユダヤ人をローマの教会や修道院に保護し」たのも事実やで。
(鈴木宣明「ローマ教皇史」教育社)それは忘れんとけよ。まあ当然しっとると言われるやろうけどな(笑)
>マリアさん
「議会制民主主義よりベターな政体はない」って、どうして断言できるの?
濫用の可能性はどっちにしろあることはナチの件で指摘した通りだよ。そればかりじゃない。
近代民主主義国家が貪欲理由の戦争や堕胎「合法化」によって正当化事由なく殺戮してきた人間の数は、テオクラシーに付随したいかなる濫用をも遥かに凌駕する。
テオクラシーならば、神の法にもとる政策をとる為政者を非難したり破門したりするのはいかにも容易なことだけども、
多数決原理を「正当化根拠」とする民主主義はその本性上いかなる極悪な選択に対する歯止めももってはいないんだよ。
それにもかかわらず現代民主主義諸国家が生き長らえているのは、カトリシズムによって確立された自然法思想の要素が近代諸憲法の中にも何とか残存してるからにすぎないよ。
>>451 という事でやっぱりシルは長いものに巻かれる事はお認めのようで(ナットク
454 :
名無しさん@1周年:01/10/12 07:06
>>451 >ピウス十二世は5000人以上のユダヤ人をローマの教会や修道院に保護し」たのも事実やで。
しかし、実際救った数は、推定72万人らしい。
>>452 ナチは多数の横暴だバカ。
現在のドイツ連邦を始め、日本の憲法も理念としているのは
「立憲民主主義」だよ。徹底的に議論した上で、
多数意見に配慮した上で最終的な判断を下す。極めて簡単に
言うとな。
それ以外に「法の支配」っていう大原則があるだろ。
行政府の長たる内閣総理大臣すら例外無く法に従うわな。
それと政教一致で言論の自由も無い体制とくらべて
権力の濫用がはるかに多いなんてやはり原理主義だな。
それ以外に近代と近代以前の文明の葛藤、
日本のように伝統文明と近代(西欧文明)の葛藤
という大きな命題もあるのも事実。でも近代以前に
戻るのは不可逆。ただの原理主義。やめてくれよ。
456 :
名無しさん@1周年:01/10/12 07:42
シルビウスさんの、議会制民主主義に対する批判は、ある程度はあたってると思いますよ。
でも、455さんのおっしゃることが正しいことは事実。
シルビウスさんは、芦部信喜「憲法と議会制」あたりを読んでみては。
あと蛇足かもしれませんが、455さんの言う法の支配の概念は、ケルゼンの法治国家概念と違うのでシルビウスさんは勘違いしないように(おそらく勘違いしてると思われ
やれやれ
誤解のないように言っておくが
><>448
>その通り。常識やな。それで、議会制民主主義崇拝者はそれをどう考えるんやと訊いてんねん。わかるか?
という発言は、「ナチズムが合法的に政権の座に着いた」ことに関するものだよ。<>453さん。
それと、<>452の
>多数決原理を「正当化根拠」とする民主主義はその本性上いかなる極悪な選択に対する歯止めももってはいないんだよ。
という私の発言はもちろん「民主主義」だけを独立に抽象して発言しているのであって、「法の支配」のような規制的要素が近代憲法の中に残存していないなどとは一言も言っていない。
すぐ下の発言を見れば自明だろう。
それと聞きたいが<>445さん。
(1)現在の日本国憲法やドイツ基本法の体制下において、ナチのような濫用の可能性は原理的に存在しないのか?
(2)また、堕胎を合法化する優生保護法はカトリックの立場から見てまさしく濫用の一例ではないのか?
<>458の
<>445は<>455の誤りだニャロメ!
シルはつっこまれてタジタジになると禅問答に逃げ込むのねー。
<>447補足
現行法では1262条だよ。
<>460
何が言いたいのかよくわからないが、説明してもらえるかな。
463 :
名無しさん@1周年:01/10/12 10:25
Sylviusさん、キリスト教がこわいの125の質問に答えてあげたら、
カトリックには答えがあるやろから。
<>463様
行ってまいりました。
ナチとカトリシズムの関係に関してヨセフ・ハヤール「キリスト教史11」(平凡社ライブラリー)は公平な記述を提供しております。
少々引用させていただきましょう。
「司教たちは繰り返しナチズムの異教的イデオロギーを告発してきたし、信者たちに対しては、その党派に荷担することを禁じてきた。
事実、1932年7月の総選挙の折りには、NSDAPに最も敵意を示した10の選挙区は、ベルリンを除いてその全てが、カトリック系の地域だった。」(p.49)
つまり、当時ドイツが十分にカトリック的でありさえすれば、ナチスの合法的台頭は阻止できたことでありましょうな。
「回勅「ミット・ブレンネンデル・ゾルゲ」・・・この回勅は、カトリックの正統思想をヒトラーの新汎神論と逐一対立させ、かつ、1933年の政教条約の度重なる侵犯をも想起させたものだった。」(p.54)
なお、Mit brennerder Sorgeが発せられたのは、1937年3月14日のことでございました。
466 :
名無しさん@1周年:01/10/12 14:32
?
シルビウスさんは、法の支配と言う概念の意味をよくわかっていないようなので、よく調べてみることをおすすめします。
法の支配概念を、ナチスに何ら立ち向かえなかった形式的法治国家概念と混同していると思います。
ドイツ基本法のもとで、再びナチスのような体制が生まれる可能性はかなり低いでしょうね。あの「戦う民主主義」体制では。
そもそもナチス的政党をいったん合法化することから始めないとなりませんし。
しかし、可能性はゼロではありませんよ。もちろん。
ただ、中世において、アンポンタンが教皇の位につく可能性よりは低いと思いますよ。
中世には、ヒトラーを生む力すらなかっただけ。中世の政治体制か優れていたからヒトラーが生まれてなかったわけではないと思います。
<>466様
<>457後半を読んでいただけますか。私の発言の趣旨はそこで明示されています。
「法の支配」とは、「イギリスの旧き法、コモン・ローの支配を意味し、・・・アメリカにおいては・・・永久不変の自然法の支配と等置」された思想です。(村上淳一「近代法の形成」岩波全書)
もちろん大陸系の形式的法治国家概念とは違います。で、それが何か私の立論に関係があるのでしょうか?
形式的法治国家概念についても復習しておくと、
「ドイツ国法学においてはすべての法の源泉が「最高の法人格」としての国家にあるとされ、君主でさえ国家の「機関」として位置づけられたとすれば、
君主およびその政府によって展開される行政が国家意思の表現たる法律に適合したものでなければならないとされたのはいわば当然であろう。
・・・このように形式的・手続的に理解された「法治国家」の概念こそ、端的に、19世紀ドイツの実証主義的国家観を示すものにほかならない」
(村上淳一ほか「法学史」東京大学出版会、p.161-162)
ということでよろしいですよね?
くりかえしますが「民主主義」に関する私の発言は近代法に残存する自然法の要素などのことは捨象して言っているんです。
ご理解ください。
確認させていただきたいのですが、
(1)「民主主義」と「法の支配」は、互いに独立した思想であり、前者の政体が後者を含むとはかぎらない。
(2)したがって、「民主主義」を論じる場合において、「法の支配」を必須要件として考えることは不必要であるばかりか、
論点の混乱をもたらし、ミスリーディングでもある。
と思われますが、<>456様、いかがでしょうか?
471 :
名無しさん@1周年:01/10/12 19:21
>汁
ダウンタウンの「ものごっつええかんじ」、見なくていいのか?
472 :
名無しさん@1周年:01/10/12 19:23
今日においては、「民主主義」だけでは何も語らない、と言う学者もいるくらいです。
民主主義と法の支配は、互いに独立した思想ではある(ないしは、あった)と思います。
ですけれども、立憲民主主義という考え方を、ナチスを含むファシズムに対する反省という視点から見るときには、民主主義は、法の支配と絡めて理解することが必須だと思います。
というか、憲法学会ではそれが一般的な考え方だと思います。
私はまだ憲法を学び始めてそれほどの時間がたっていないので、本の受け売りですが。
シルビウスさんの言われる民主主義は、いうならば「裸の民主主義」であり、455さんなどの言う民主主義とは違う概念だと思います。
語弊をおそれず例をあげるなら、シルビウスさんの言う民主主義とは、南米やアフリカの一部共和国における「民主主義」であり、455三の言う民主主義は、英米(戦後の)独仏や、日本国憲法における「民主主義」だと思うのです。
両者は全く別物だと考えられています。
もちろんナチスを生んだ民主主義は前者の民主主義です。
>>452自由民主主義には、時と場合に応じ
全てを内包し選択する権利が 国民にあるという強みもあるわ。
宗教的思想を含め、種々の情報から選択できるという強みもある。
そして、それぞれの主張の強みを弱みを、
良心に基づいて冷静に分析する事によって
総合的に判断することが出来る利点がある。
これを最大限に駆使するには、その国民や共同体の一員が
全ての情報を知った上で、冷静な判断力を要する。
政教一致主義、共産主義、ファシズムでは、
色んな情報から分析する事自体を否定される。
なぜなら、正しい情報の定義は、教会、共産党、
独裁者や国家機関のものが決めるものだから。
しばし、独裁主義と教会は結びつく事がある。目的が同じだから。
この点において、この三者は、正反対でありながら、共通している。
教会が失敗したものが、他の二者が出来るわけが無いのよ。
それから、過去の教会の失敗をあなた方は理解できない。
失敗の目撃者は、当時そこに生きていた人々だけでなく、
それは、神でさえ遡って変える事の出来ない
「時の流れ」という目撃者よ。
人が介在すれば、間違いを犯すもの。
いいのよ、間違えがあって。 間違いを起こすから、
得るものがあるのよ。こうやって学んでいくの。
自由民主主義体制の良さは、時の流れを無視しない特性がある。
時の流れを振り返って御覧なさい。
それから、カテキズムは良心であることもあるし、無いこともある。
良心の元というのは、カトリックのカテキズムや
教勅のみとしている点で、あなた方は神を非常に矮小化している。
時の流れから得たことも大切にしているの。世間や一般信者はね。
でも、あなた方は教義・教令で全てを解決して、
誤魔化してしまおうとする。
あたし達異教徒とあなた方とは、
教義では互いに理解し合えない部分もあるけど、
時の流れから得る情報については、概ね同意できる点がある。
カテキズムには従っていても、
時の流れを認めないという欠陥がある。
今もあなた方保守派は、教権が俗権の上に立つことを望んでいる。
教権は俗権の上に立つべきでなく、
俗権も教権の上に立つべきでない。
イエズスの言葉と、時の流れ両方に神がいることが
いずれ分かる日も来るでしょう。
<>472様
>民主主義は、法の支配と絡めて理解することが必須
「民主主義」の語義をそのように限定せねばならないとすると、ナチを産んだワイマール憲法には「民主主義」はなかった、と言わざるを得ないと思いますが、そういうことですね?
少なくとも私はそのような「民主主義」の定義は初耳ですし、私に対する各種の反論がそのような定義に立っていたなどとは思いもよらないことでした。
<>455さん、そういうことですか?
<>472様
仮にそのように「民主主義」の語義を限定せねばならないとすると、古代アテネの政体はどう呼ぶのですか?
プラトンやアリストテレスの言う「デモクラティア」は、「民主主義」ではないわけですか?
「法の支配」の観念のないワイマール憲法以外の大陸系の旧い憲法にも「民主主義」はないわけですね?
すくなくともそのように語義を限定することは、立法論あるいは実定法の解釈論ではあり得ても(あるいは民主主義を救おうとするイデオロギーではありえても)
現に存在した歴史的現実の分析に都合がいいとはいえないと思いますが、いかがでしょうか?
汁たん、一応古代民主主義と近代民主主義の違いぐらい
勉強しろ
<>472様
「民主主義」の語義をそのように限定せねばならないとすると、
例えばルソーは「民主主義」思想家ですか否ですか?
ケルゼンは?カール・シュミットは?
<>477
そんなことは西洋史の教科書を読めばいい。奴隷依存だから実質的には貴族制とかなんとかおきまりの説明が書いてあります。
今問題にしているのは「民主主義」の定義そのものです。
「民主主義」という言葉をどのように定義しどのように用いどのように理解するのが妥当なのか、またそれはいかなる理由によってか、ということについて説明をうかがいたいと申し上げているのです。
そして<>472様が提供された説明には当然上記のような疑問が出てこざるをえないし、
「民主主義」を「多数決原理に基づく政体」とか「人民主権論に基づく政体」という古典的な定義に従って用いることが学問的あるいは倫理的に不当だとは考えられないと申し上げているわけです。
481 :
名無しさん@1周年:01/10/12 23:11
共和主義と民主主義の違いもわかっていない奴がいるな。
<>481
共和制は君主をもたない政体のことで、民主主義の対立概念ではないと思いますが、ご説明いただけますか。
はー、戦後バチカンがナチをかくまった事実はどう思います?
汁たん。あとナチ残党が逃げ込んだのがカトリックの南米、
ファシストにバチカンを返してもらって大喜びの教皇様、その辺は?
<>483様
お答えは
>>451で終了しております。過去ログは目を通していただきたく。
485 :
名無しさん@1周年:01/10/13 00:22
472です。
答えは全部肯定ですよ。
しかし、立憲民主主義と、ケルゼン流の民主主義は別物なのもまた事実ですよ。
上の二つの答えは両立します。
立憲民主主義の民主主義は、「民主主義」に「立憲」という言葉がついてるだけのものではないのですよ。
そもそも、この文脈において私は、、ケルゼン流の憲法理解ではナチスを生んだということをやたらシルビウスさんが強調するから、今の憲法の理解はケルゼンを乗り越えているつもりになってるようですよ、ということを指摘しただけですよ。
こんなの現代の憲法理解において常識だと思います。
シルビウスさんは、ケルゼンの学問がナチスに対して無力だったから、中世の政治体制のほうがマシとでも言いたいのか知りませんが…
まあ、なんだかちょっと感情的になってません?
怖いんで、これくらいで退散させてくださいな。
ケルゼンの学問がファシズムに対して無力だったことはみんな認めてますよ。
しかし、だからといって、あなたの理想としている政治体制が、ケルゼンを乗り越えた(つもりになってる)現在の統治機構より良いものだとは言えないと思いますね。
ケルゼンやシュミットで学問が止まってるわけではないのです。
<>472様
お気を悪くなさいませんように。
とりあえず、「民主主義」という言葉を古典的な定義において用いてもよいということは承認していただけたかと思いますので、問題を整理した上でもう少しご教示いただければと思います。
<>455様にもお聞きしたことですが、
(1)
>>458の(2)についてはどうお考えになりますか?
「立憲民主主義」がテオクラシーよりも原理的に濫用が少ないのであれば、
異端審問などよりも遙かに多くの(しかも無垢の)人間の不当な殺戮が日々、今この瞬間にも「合法的に」行われているということは、どのように説明なさるのでしょうか。
堕胎には高度な近代技術は必要ありませんから、「中世にはヒトラーを産む力もなかっただけ」というような反論は成立しません。
(2)
>>465で論じたことに関しては?
テオクラシーはその正当化根拠を人間の恣意にではなく神の法におきます。それが貫徹されればナチなど発生の余地はありません。
仮に異端・誤謬となれば教皇でさえ公然と攻撃され(例えばホノリウス一世、ヨハネス二十二世)
不道徳な命令は断固としてはねつけられます。それは信徒の義務ですから。
今や民主主義にはさまざまな安全装置がくっついているから大丈夫ということであれば、テオクラシーも同じことです。
いやより完全な安全装置がくっついています。不可侵なる神の法ですから。
所詮「改憲」によって覆せるような安全装置、堕胎すら抑止できないような名目だけの安全装置とはモノがちがうのです。
カトリック信者は、イエズスの教えられたことを
まず、一番に大切にすることが大事でしょうね。
その他の教義は、時代に応じて判断されてきた事と
考慮すべきことでしょう。
時の流れと共に、時代に応じた方針を立てていくことも必要でしょう。
しかし、時の流れの中で、愛がない行為を肯定されると感じる部分には
人の心から来る激しい怒りや非難でなく、悲しみの念を伝えるべきでしょう。
全ての権威が教会にあるという、
妄想の産物に囚われて犯した罪を忘れてはならない。
神(心)のものは神へ、俗世のものは俗世へ。よ。
教会は神からの人の心を癒し救う組織なのに、いつの間にか
人の組織と化してしまったということも、人々は分かってきたわ。
そろそろ教会を、神の組織に回復する時が来ているように思うわ。
イエズスは「誰でも疲れたら私のところへ来て休みなさい」
と言っていたはずよ。教会は、人々の逃れ場であるべきでは?
多くの人がイエズスの元に逃れてきたように。
そういう場に出来ないなら、もはや特定の人の逃れ場になってしまう。
これでは、パリサイ人たちが律法を逃れ場にしたのと同じになる。
イエズスは、正しい人のみを欲しているのかしら?
権威を振りかざし、怒りや非難を下す手法は、人々を遠ざける。
もう、時代は変わったのよ。
隣人愛の内に、カトリック教会が歩んでいく事を期待するわ。
>>486何故、堕胎は許されたのか?それは俗権の問題。
神を信じてない人には、関係のない問題なのよ。
教会は、人の心を扱う場所。
何故、堕胎はいけないのか?と言う事に関しては、
教会に反対するから、教義に反するから、
地獄へ行くから、罪に陥るからだけではないわ。
常識で考えたら分かる事だから、パスするけど。
さて、避妊は生命の否定なんて、何を言ってるのかしら?
堕胎と避妊は同じだけの罪があるともいう。
弱い人間にとって、堕胎や病気を防ぐ可能性が高いのよ。
ただし、完璧じゃないからダメだということよ。常識では。
人の弱さを受け入れられないなんて、どうなのかしらね?
そっちの方が問題ありだわ。
教会は、人の生活にあまりにも振り回されすぎ。
人というのは、弱い者。それを受け入れるのが本来の教会。
「セックスは、本来は楽しむためのものではない。
愛を確かめ合うのはいいことだけど、
子孫を作るためのものだということを忘れないで欲しい。
それに、避妊も完璧じゃない。
自分や相手を傷つけることに繋がる可能性もある」から、
長い目で見れば、それは隣人愛に反する現実が待ち構えているの。
自分や相手を苦しめて楽しいか否かを問うべきよ。
まず、教会が悪いのは、先にあれはダメ、これはダメと言うところ。
そうだから、廻りまわると「やっぱりダメ」と
事実を認識してもらうように持っていく努力が必要よ。
何でも、天国や地獄や罪に結びつけるから、説得力がないのよ。
こういうのが、パリサイ人は大好きだったんだから。
489 :
名無しさん@1周年:01/10/13 02:32
472
>>486 私は、カトリック信者じゃないので、一定の場合における適正手続を踏んだ堕胎を、法の濫用とは解していませんでした(今は必ずしもそうだと思いませんが)。
このような考え方は、日本人の多くの人が持っている考えだと思います。
とすれば、一定の場合における堕胎は、殺人ではありません。
そもそもこれと異端審問とを同列にすること自体、カトリック信仰をもたない日本人の多くから見れば理解しにくいことだと思います。
あと、シルビウスさんは、カトリックによる政教一致体制の国家を理想とされているのでしょうか?
そうだとすれば、政教分離の原則が歴史上どのように形成されてきたのか知ってみるのもよいことだと思います。
最後に事実上の問題点を付け加えて起きますと、日本国憲法において、改憲をするのは非常に手続上のハードルが高いです。
支持率80パーセント以上の小泉さんでも、今国会において問題になっている論点の改憲をなすことは不可能に思えます(論点にもよるけど)。
#シルビウスさんの言う「完全な安全装置」は、カトリック信仰をもたない人に対しては無価値ではないですか?
不可侵なる神の法であるから絶対安全、と言われても、未信者ないしは異教徒を説得することはできるのでしょうか。
前のレスではすこし投げやり&失礼になってゴメンナサイ。
490 :
名無しさん@1周年:01/10/13 02:37
479
マリアさんって、カトリックの方ではないのですか?
あ、質問のつもりじゃないから、ウザかったら無視してくださいね
<>472様
レスしていただけることは大変うれしいです。ありがとうございます。
472様はカトリックではいらっしゃらないということですので、私の見解について御説明するまえにまずカトリック教会の公式教義のいくつかの側面をご紹介しておかなくてはなりません。
そうでないと、確かに私の言っていることは全く理解不能の妄言でありましょう。
>>1の「誤謬に関する教皇文書」のリンクの中に、「シラブス(近代主義の謬説表)」というのがございます。
これの5章以下(19番以下)に目を通していただけますでしょうか。
493 :
名無しさん@1周年:01/10/13 08:49
あと、
自然法と国家の権利に関する教皇ピウス十二世回勅「Summi pontificatus」(1939年10月20日)
堕胎に関しては結婚に関する教皇ピウス十一世回勅「Casti connubii」(1930年12月31日)
キリスト教的社会政策に関してはすでに紹介したもののほかに教皇ピウス十一世回勅「Quadragessimo anno」(1931年5月15日)
教会の教育権に関しては教皇ピウス十一世回勅「Divini illus magistri」(1929年12月31日)
未信者にも及ぶキリストの王権に関して教皇レオ十三世回勅「Annum Sacrum」(1899年5月25日)
自然法と人定法の関係に関して教皇レオ十三世回勅「Libertas praestantissimum」(1888年6月20日)
キリスト教的国家観、世俗権と教権の関係に関しては教皇レオ十三世回勅「Immortale Dei」(1885年11月1日)
他宗教の信奉者に対する寛容に関しては教皇イノケンティウス三世教書「Licet perfidia Iudaeorum」(1199年9月15日)および教皇アレキサンデル二世書簡「Licet ex」(1065年)
を、それぞれ必要な範囲で参照していただければ話が早いかと思います。
あと<>472様ならびに議論に参加してくださるカトリック以外の皆様
本スレにおける議論の土俵を設定した
>>3はぜひお読みください。
私としては、
(1)自称カトリックによって提示される、カトリック教会の公式教義に反する命題があれば、それがそうであると示すこと。
(2)カトリック教会の公式教義、およびそれから論理的に導出される命題に対する攻撃があれば、それが論理必然的な反証ではありえないことを示すこと。
(3)カトリック教会の公式教義に少なくとも矛盾しない命題に対する攻撃があれば、攻撃される命題がカトリックの公式教義に矛盾しないものであることを示すこと。
ができれば十分であって、それ以上のことはもとより求めてはおりません。
あと、できれば今後はカトリックでない方は、発言時に一言その旨を言っていただければどのレベルまでの議論が可能かあらかじめ判断でき、的外れなレスも避けることができるかと思われますので、
よろしければご協力をお願いいたします。
<>496補足
例えばレスの冒頭や末尾にnc(つまりnon-Catholic)と入れていただければ何かと話が早いかと思いますので
よろしければご協力を。
そうそう。非信者の方には、はっきり言っておかなきゃね。
シルビウスさんのような信者だけでなく、
聖職者やローマの聖座にも同じような
政教一致の妄想に取り憑かれている人はたくさんいるし、
カトリック教義もそれを肯定しているわ。
誤りが無いという思い込みから、
たくさんの罪を生んだことを忘れたわけよ。
でも、過去に犯した罪を人のせいにして
忘れてる人もいれば、過去を肯定する人もいる。
また、聖書を狭く解釈すると、
異教徒や無神論者は、悪魔の使いということになるの。
政教一致論は、このようなところからも来ているの。
他宗教や無神論の根絶は、カトリック教会の最終課題だからね。
最近は、少し方針が変わってきたけども。
500 :
名無しさん@1周年:01/10/13 15:19
>>493 だから、それはあんたらの価値観で「殺人」って言ってるだけ。
検察に告発してみたら?
一笑にふされるだけ。
胎児の生命は、殺人罪ではなく堕胎罪で保護されるの。
もし法が胎児を「人」と認めているならば、そういう場合、堕胎罪ではなく殺人で公訴を提起することになる。
でも、そんなことしたら、裁判所は無罪の判決を出さざるを得ない。
<法とは一般意思の表明>と言うことを考えるならば、国民の多数が上記のように考えてる(ように擬制される)の。
あなた方は、頑張って「堕胎は殺人なんですよ」と頑張って説得する立場にあるの。
それが、「殺人に決まってるだろ」なーんていっても、誰もついてきません。この日本では。
>マリアさん
他宗教を廃絶しなくてもテオクラシーは可能です。
「事実、教会は誰かが自分の意志に反してカトリックの信仰を強要されることがないように注意を払っている」のです。(Immortale Dei)
また教会は「神を礼拝する種々の形式から、本当の宗教も数多くあると判断することを許さないが、より大きな善を求めより大きな悪を避けるために諸宗教を同じように許す国家の指導者を非難しない」のです。(同回勅)
また、この問題に関してはニコラウス・クザーヌス「信仰の平和」(平凡社中世思想原典集成)をご覧ください。
502 :
ふらんちぇすこ:01/10/13 15:51
>>496 Sylvius
2CHでローカルルールを作るなよ(´Д`;
それじゃヤフーのカツラだぞ。
ヘタにローカルルール作ると
メタレベルの議論に陥る羽目になるからやめとけ。
503 :
名無しさん@1周年:01/10/13 15:51
カトリック教会は中世以来一貫して、
外には寛容、内には厳しい姿勢でのぞんでいる。
外から眺めているのが一番だね。
美術品には一級品が多いし、荘厳なミサも多いから、
雰囲気を楽しむのには一番いいかもしれない。
504 :
ふらんちぇすこ:01/10/13 15:57
>>503 それは九州地区と、一部の人間に限ると思われ。
<>500様
<>472様ですか?もしそうであれば、
私に関する限り、堕胎が現行実定法上の「殺人」でないことは当然の前提ですので誤解なきように、とお断りした上でつぎのことを書かせていただきます。
(1)「カトリック的テオクラシーが近代立憲民主制よりも濫用の可能性が多い」との断言が正当化されうるためには、
実際に生じた濫用、および思想そのものに内在する濫用抑止力の比較考量が必要であると思われます。
(2)しかし例えば、堕胎のケースにおいてこれを濫用と見なすか否かという問題が生じた場合、何らかのそれ自体としては証明不可能な道徳規範によって判断せざるをえません。
したがって、その規範について合意が得られない場合は、その規範に基づく判断を論争の相手方に受け入れてもらうこともできないわけです。
(3)しかるに、カトリックの規範においては、堕胎は自然法にもとる純然たる殺人です。
自然法の存在を認めず実定法しか認めないか、あるいは自然法の存在は認めてもカトリックのような自然法の解釈を認めない立場からは、もちろん堕胎が殺人であることは否定されます。
私はカトリックの立場を採用し、それが誤謬であることはなんら証明され得ない、と主張します。
カトリシズムという前提を共有しない方に受け入れていただけるような証明を提供することは私にはできません。
と同時に、後者の立場が論理必然的に証明されることもありえない、と主張します。
ご理解いただけますでしょうか?
<>502
いやふらんちぇすこさん、<>496は強制力のある規範ではなくて単なるお願い、提案です。
<>472様
そしてナチズムに対しては、濫用であることがわれわれの間で合意に至っていると思われますが、
(1)
>>465で指摘したとおり、カトリシズムはその教説からしてナチズムを許容しない。
(2)したがって、仮に当時のドイツが(テオクラシーとまでは行かずとも、)十分にカトリック的でありさえすれば、ナチの合法的台頭の余地はなかった。
と思われますが、いかがですか?
そして
(3)教説そのものに内在する抑止力は、ナチズムに関する限り、ワイマール憲法よりもテオクラシーのほうが高い。
ことは自明だと思われますが、いかがですか?
508 :
名無しさん@1周年:01/10/13 18:05
>>500 >それはあんたらの価値観で「殺人」って言ってるだけ。
そうかね?
生きてる胎児の頭をお母さんのお腹の中で、バキッと器具でぶっ潰した後、
肉の塊状態にされた赤ちゃんを吸引機で吸い出すんだぞ。
それでお母さんのお腹の中に吸い残しがないか、胎児の手とか足の各パーツを
組みたてんだぞ。どう考えたって、これは殺人だろう?
これが殺人でなければなんだい?
もっと大きくなった胎児は、無理やりお母さんのお腹から出した後、
あとは、自然に死ぬまで、そのままにしておくんだぞ。
これを殺人だと認めないならば、どんな殺人も殺人では、なくなるな。
恐い世の中だ。
<>508様
自然法にもとる意味での殺人であることはカトリック倫理上明白です。
貴重な情報提供に感謝いたします。
>>509 500ではないが、やはり一定の信条に基づいてなにかしら
主張したい場合はひとが聞いてくれるよな方法でやんなきゃだめ。
私の言っていることは「正しいんだ」ってひたすら連呼してても
誰も耳かさないと思うけど。
もちろんテロ行為は言うに及ばず。
<>510様
ご忠告ありがとうございます。
ただ、ご理解いただきたいことは、
>>3で述べておりますように、それ自体は論証の対象とはなりえない公理を受け入れるか否かは各人の意思の問題であって、私の言論が強制しうることではありません。
厳密な意味で証明の対象とはならないことについてもplausibleな正当化のための言説を提供することはできる場合がありますが、往々にしてそれは不必要な攻撃やinterminableな水掛け論を引き起こします。
「ある公理からこれこれのことが導出される、そしてその公理はそれ自体として反証できない」と言うだけでも現在までのところかなりエネルギーがかかっております(笑)
<>511補足
「ある公理からこれこれのことが導出される。そしてその公理はそれ自体として反証できない」ことを示すことに加えて、
「カトリシズムを攻撃する命題はいかなるものであれその根拠を辿っていけばそれ自体として証明不可能な公理にかならず行き着く。
すなわちそれはカトリシズムから見れば一種の疑似宗教にすぎず、論駁とはならない」ことを示せばわれわれとしては足りるのです。
公理を受け入れるかどうかは各人の自由意志の問題ですからわれわれに強制する力などもとよりないのです。
513 :
名無しさん@1周年:01/10/13 21:33
>>508 だから、胎児の生命は堕胎で保護されるんだよ。
独立の生命を有しない胎児は、ここでは「人」とは言えないんだよ。
下品な言い方をすれば、胎児はお母さんに寄生してるもんで、人とはいえない、ということ。
一般教養レベルの話っしょ。
<>511補足
議会制民主主義の限界もこれとまったく同様の現象を引き起こすに終わる点にあります。すなわち、
(1)公理系が共有されない対話者での議論は本質的に合意に至り得ないことがあらかじめ明白であるにもかかわらず、そのような無意味な手続きを費用・時間をかけて維持せねばならない。
(2)interminableな議論を終結させるために多数決原理が用いられるが、この原理は本性上それによる決定の妥当性を何ら保証しない。
つまり、愚かな人が多数であれば当然愚かな決定が下される。そして一般に、愚かな人間は賢明な人間よりもはるかに多数派である。
もちろん(1)については、正しい公理系が共有されるに至る幸いな例外的ケースというものはありえます。
しかし、ある公理系が正しいことがわかっているならば、単にそれから導出される結論を適用すれば足りるのであって、多数決や議会という手続きを設ける意味はないのです。費用の無駄です。
<>514
「対話者」を「対話者間」に訂正します。
>>514 出た。議会制は費用のムダだってよ。ビツクリ
<>516様
誤解のなきよう留保をよくお読み下さい。
518 :
名無しさん@1周年:01/10/13 22:53
>>513 >ここでは「人」とは言えないんだよ。
おいおい、ふざけた事を言わないでくれよ。
だったら現実を見ることだ。
http://www.mttu.com/abort-pics/ この現実を見て、殺された彼らが「人」では、無いとしたら、
いったいなんなんだ? 俺は、人にしか見えないね。
513、君だって人間だろう? お母さんのお腹の中に居た時は、
君は、人間では、無かったのか?
胎児の時、器具で引きずり出されたら、今の君は、存在しないんだよ。
彼らは、立派な人間だ。1人の立派な人間だ。
彼らの生命は、彼らと神のものだ。誰にも殺す権利も資格も無い。
母親のお腹の外で人を殺せば、殺人で刑務所行きだが、
母親のお腹の中で人を殺せば、無罪か。そんなふざけた話があるか。
519 :
名無しさん@1周年:01/10/13 23:02
>公理系が共有されない対話者での議論は本質的に合意に至り得ないことがあらかじめ明白であるにもかかわらず、
同じカトリックの筈なのにシルとは合意に至り得ないのはどうしてだろう?
>>501さて、教会が何時の時代もそれを守ってきたか否かは、
時の流れを見れば明らかだし、現在も怪しいとあたしは思う。
あたしは、両方の立場が理解できるからね。
公私を分けろと言えば分けられるかも知れないけど、さて?
ただ、他宗の価値観でキリスト教を裁くことが出来ないように、
キリスト教の価値観で他宗を裁く事もできないという現実を、
互いに分かりかけているということは、あたしは良いと思う。
人の判断は、誤ることが多い。教会も人が決める事柄が多いからそう。
これは、宗教問わずにそうよ。
人に委ねられているから、神意を読み間違う事もある。
しかし、何故神は教会や教団に全てを委ねるのか?何故人に委ねるのか?
その意味を考えていけばいいのよ。
間違いからも、人はたくさんのことを学ぶわ。
また、ある人の行いや主張は、ある部分は間違っていても、
ある一部が間違っているからといって、
全て間違っているか否かと問えば、そうでない場合もある。
時代が生んだものには違いは無いから。
時の流れの中に身を置けば、良く分かるわ。
政教一致体制、共産主義、ファシズムが生む恐ろしさは
既に人類は良く学んでいるはず。
だからこそ、何が悪かったのか、教会はもっと考える必要がある。
個人のせいにしてはならないわ。
その時代では、多数派のやり方は、明らかに異端と宣言されなければ、
誤謬とも宣言されなかったのだから。
人の過ちは、誰しもが起こすこと。そして、完璧はありえない。
色んな意見が出ることで、より良くなるということは事実だけど。
そういうことを教会を含めて宗教は、直視しなければならないわね。
間違いを常に正す努力は必要ね。誰でも間違うから。
521 :
名無しさん@1周年:01/10/13 23:17
>>518 そんなこと言ってたら、母の卵子の一つだ。同時に父の精子の一つだ。
排卵は殺人か?
オナニーは殺人か?
522 :
名無しさん@1周年:01/10/13 23:29
>521
受精の時、人になる。
<>514補足
書き込みがどこかにいってしまった・・・もう一度。
誤解なきよう補足しておくと、カトリック教会は政治指導者を多数決で選出する方式自体を排斥してはおりません。
ただし、その場合でも権力は神から与えられるものであり、選出は権威の行使者を選定するにすぎません。
すなわち、各個人が自分の権利を出し合ってそれが集まって指導者の権力が生まれるという意味での人民主権論は、排斥されます。
(Diuturnum illud)
524 :
名無しさん@1周年:01/10/14 00:03
>>522の言う通り。
>>521の言ってる事は、論外。今は、胎児のことを言っているのだ。
胎児は、立派な人間である。母親の所有物でも無いし、医者に殺す権利も無い。
胎児にも人権があり、一個人でもある。堕胎は、誰が考えても殺人である。
525 :
名無しさん@1周年:01/10/14 00:09
>>524 受精卵が胎児ってのも変な気がしますがね。
で、人権がある・ないってのは誰がどこで定めるものなのでしょう?
<>523補足
なお同回勅の内容を紹介しておくと、自然法と神法に明白に反する政治権力の命令にはカトリックは従ってはなりません。
また、国家の指導者は永遠法の適用として人定法を定めなければなりません。(回勅Libertas praestintissimum)
ただし、より大きい悪を避けるためにより小さい悪を国家が黙認することは許容されます。
また、カトリシズムは生存権、私有財産所有権等々を神から与えられた権利として認めます。(回勅Divini Redemptoris)
527 :
名無しさん@1周年:01/10/14 00:38
472
>>505 などのシルビウスさんの書き込み
よくわかりました。
私の無礼な書き込みに対して感情を押さえたレス、いつも感謝です。
シルビウスさんの書き込みは勉強になります。
宗教にあまり興味のなかった私も、少し勉強してみたくなりましたし。
ただ、カトリック信者が1パーセントしかいない日本において、カトリック内で通用する論理を提示しても、それはあまり一般人の心になかなか入り込めないような気がします。
それが例え反証不可能であっても。
たまたま、私はシルビウスさんの書き込みに感じるものがあったので、カトリック側の論理に興味を示しつつありますが。
もっとも、シルビウスさんは511でご自分の方法を示されてるので、↑は独り言だと思って捨て置いてくださいね。
なお、人の始期の問題ですが、カトリック国のフランスですら、陣痛説が通説的見解です。
イギリスにおいては、日本よりも胎児は人として保護されません。
日本が取りたててキリスト教が多数を占める国家に比べて、胎児にとって厳しい法制度(判例法を含む)をとってるわけではない。
…と、書いてて思ったんですが、イギリスってプロテスタントだからまた事情が違うのかな?
とはいえ、イギリスの国教会は、カトリックにより近いとものの本で読んだことがありますけど。
シルみたいの見るとやっぱり中学・高校で政治経済を必修に
しなきゃこの国ダメなままだなあとつくづく思うね。
<>519様
それは何かの間違いで公理系が同じになっていないことを示唆するように思われます。
530 :
名無しさん@1周年:01/10/14 00:42
>>525 >人権がある・ないってのは誰がどこで定めるものなのでしょう?
胎児を「人」として考えてないから、こう言う愚問を平気で書くのでしょう。
胎児は、人間です。
http://www.mttu.com/abort-pics/ ここの写真見たでしょう?
殺された彼らが、人間で無いとしたら、何ですか?
胎児は、人間であり、一個人だからこそ、人権も生じてきます。
胎児は、人として生きてる。人として実際に存在しているのです。
彼らは、人間です。それ以外何物でもありません。
性交後に、たくさんの精子が卵子の場所めがけて
出て行くけど、一つ以外の精子はたどり着けないものね。
卵子にたどり着くのは、まさに生命の神秘ね。
受精卵が細胞分裂始めた段階には、
もう既に魂が入った状態であると考える事は、
あたしは悪くは思わないわね。
>>532それもまた、神が選ばれたものよ。
その人は、その地位に就くように神が選ばれたということ。
悪い指導者の場合も、同様よ。
人がその人を選んだ事で、何を学ぶか。
人々に冷静な心があれば、神はその通りにする。
しかし、疲れきって歪んだ心や自己の勝手な都合や悪意で
冷静に物事を判断せずに選ぶなら、神はその通りにする。
人民主権論は、そういう意味でいいのよ。
人の心の動きと、神様の意思がよく見えるから。
これに対して、政教一致論、共産主義、ファシズムは見えない。
ただし、特権階級が正しければ、光もあるけど。
大抵の場合、間違った事をただす手段は、
内戦か戦争を含む外国の介入しかない。
民主体制では、案外穏便に事が済む場合が多い。
<>528様
信じがたいでしょうが私は法学部出身です(笑)
<>527様
大変ありがとうございます。ご紹介した資料を少しでもお読みいただければ大変幸甚です。
カトリシズムはそれ自体として首尾一貫しており、十分plausibleであることがおわかりいただけると思います。
近代思想とは根底的に異質ですが。
533 :
名無しさん@1周年:01/10/14 01:40
胎児に人権があるって、どこの本に書かれてるの?
初めて聞いた。
受精卵が刑法上「人」って、誰が言ってるの?
初めて聞いた。
534 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:04
胎児の人権所有の根拠
1 受精卵は受精の瞬間から独自の遺伝子(DNA)を獲得し、その遺伝子によって
人間はすべての固有の特徴の根拠をもつことができる。ゆえに、人間の遺伝子を
持つ生命体は固有の人間である。(胎児と母体の遺伝子は別であり、人権も別で
ある。胎児の生存権は女性の中絶権よりも優先する。)
2 人権は人間の身体の大小によって問われない。身長10・の人間も人間である。
人権はその存在する場所によって問われない。つまり体内にいても体外にいても
人間は人間である。
3 人権はその親の出産の希望によって問われない。つまり望まれた子供に人権が
あり望まれない子供に人権が無いと言うことはあり得ず、すべての子供に人権がある。
4 人権はその親が未婚または未成年だと言う理由では問われない。
5 人権は遺伝子的または身体的な障害の有無によって問われない。
(遺伝病を持った人間も人間であることと同じである。)
6 人権は自呼吸の有無によっては問われない。(胎児は自呼吸をしていないがそれ
は人工呼吸器をつけている人間も人間であることとおなじである。)
7 胎児は成長していて数ヶ月後には母体から出る。胎児はその成長の権利を人権と
して所有している。(児童がその成長の権利を所有していることと同じである。)
8 人権は月齢によって問われない。胎児がある月齢に達したために突然に人権が
発生することはない。(胎児の身体の成長は連続的であり人権発生の境界の限定は
非科学的である。)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwbc6217/right2.htm
535 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:07
536 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:09
なるほど。
でも、534は胎児が人であることを前提にしてるみたいだけど、それはなんで?
なんでカトリック国でも、制度上、胎児は人と認められていないのかな?
537 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:12
>535
は?胎児は胎児に決まってるじゃないですか。
これって、世界の常識なんじゃないの?
胎児を殺すことが殺人としてる先進国ってあるの?
原理主義の国ならあるかもね ワラ
538 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:14
とかいって、そんな国があったらどうしよ。
535は自身満々だし、、
539 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:16
>>532 書き込みからはとても法学部出身とは思えない内容(笑)
1 日本の法律上はどうなっているのか
・ヒトの生命は胎児になった段階から保護される。刑法は、堕胎に関する犯罪を設けて、胎児の生命を害する行為を禁止している
・堕胎とは、自然の分娩期に先立って胎児を母体から排出すること、あるいは、母体内で胎児を死なせる行為をいう
・刑法では
自己堕胎罪「刑法212条 1年以下の懲役」
同意堕胎罪「刑法213条 2年以下の懲役」
業務上堕胎罪「刑法214条 3年以上5年以下の懲役」
刑法は胎児の生命を保護するという建前に立っているが、堕胎罪で処罰される
人は皆無に等しいのが実態
・自己堕胎罪
妊婦が自分で堕胎したり、人に頼んで堕胎してもらう行為
・同意堕胎罪
妊婦から頼まれて堕胎してやった場合
・業務上堕胎罪
医師などが妊婦から頼まれて堕胎してやる場合
中絶をめぐるキリスト教倫理
1)カトリック
・歴代の教皇が胎児は受精卵のときから人間として絶対的に尊重されるべき存在であるという見解を繰り返して表明し、妊娠中のいかなる時における中絶も罪であるとして、中絶に絶対反対の立場をとる
・日本のカトリック司教団も、1984年「生命、神のたまもの−胎児の生命の尊厳についてのカトリックの見解」を発行して、「胎児の生命」を「人間の生命」として守るようにという立場をとっている
よく思うんだけど、シルが引用に>>じゃなくて<>使うっていうのは
単に前の投稿を見られたくないって事なんだよな。
何かにつけて「既出です」だもんな。
543 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:27
「児童の権利条約」では児童の定義は「18歳未満の・・」であって
何歳からとは書いてないから胎児は含めるとも含めないともとれる。
記されてないのは女性の権利と関連してるから。
>>541 まあ、「胎児」が人かについての各々の立場は、
結局は今の近代法体制に軸足を置くか、教会のカテキズムに
軸足を置くかの違いだな。
もちろんどちらかに偏りすぎるとバランスを失すると
思うけどね。
546 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:32
いずれにせよ日本では、堕胎は、立派な犯罪である。
法律で、禁止されている行為である。
547 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:35
犯罪じゃなくて、軽犯罪だよ。
強姦された場合と、出産するにあたって母体に危険がある場合は
法的に認められてよん。
548 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:37
>>546 そんなのあたりまえだろ!ボンクラが。
もっとましなこと言うのかと思った。
結局、胎児は日本法上でも人として扱われてないんだろ?
だいたい「ヒト」って何?
法律をちょっとでも勉強したならば、刑法にない概念である「ヒト」なんてタームをださんだろ。
クローン法などではともかく。
「人」なのだよ。
そして、西側諸国の全てが胎児を「人」として扱ってないんだよ。
胎児が人なら堕胎罪なんて不要だと言うことがわからん?
549 :
名無しさん@1周年:01/10/14 02:39
ちなみに、日本では、刑法上裁判所が胎児を人として扱っていないのはもちろん、まともな刑法学者で胎児を人としているのは一人もいません。
550 :
カトリック信者:01/10/14 03:01
カトリック教会は、人間の誕生を、赤ん坊がこの世に生まれ出るときではなく、
胎内の卵子の着床のときと考えています。それは、自然のままその状態でおいて
おけば、かならず生命誕生へと結び付く、その始まりが着床だからです。
おなかの中にいても、外にでても、やはり、生命の成長過程に違いありません。
したがって、その過程の途中で、人工的にその働きを止めることは、生きている
命を途中で止めるのと同じという結論です。
したがって、教会は中絶という行為を、非常に重大に考えているのです。
それは、殺人よりも重大なこととさへ考えています。というのも、殺人は刑法で
罰せられますが、中絶は無抵抗な生命を人間の身勝手な判断で行われ、その結果
が闇に葬られるケースがほとんどだからです。
551 :
名無しさん@1周年:01/10/14 03:21
参考
ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(平成12年)(抄)
(定義)
2条1項7号
胎児 人又はどう部の体内にある細胞群であって、そのまま体内において発生の過程を経ることにより一の個体に成長する可能性のあるもののうち、胎盤の形成の開始以後のものをいい、胎盤その他のその付属物を含むものとする。
552 :
名無しさん@1周年:01/10/14 03:48
未信者、カトリック信者のそれぞれの立場を抜きにして、
つまり一人間と言う立場で、中絶を考えてみても、
それは、非常に恐ろしい行為にしか思えない。
生命をもっと大事にしたい。
未信者でも、良心と人間性があるのなら、中絶には反対すべきだ。
553 :
名無しさん@1周年:01/10/14 03:50
そんな簡単な問題じゃないわよ。
554 :
名無しさん@1周年:01/10/14 04:42
簡単、難しいの前に、命は守らねばならない。
胎児も生きている。
555 :
名無しさん@1周年:01/10/14 06:10
生まれてきて、罪を重ねて地獄に行く人の場合は、
罪の無い時に死んで良かったのでは?
<>555様
堕胎は現行日本刑法上の「殺人」ではないということを前提とした上で一言。
堕胎された子供は、洗礼を受けていませんから、そのままでは理論上至福直観にあずかることはできません。カトリックの伝統的教義ではリンボ行きとなります。
さらに、堕胎される子供はある程度成長していれば当然堕胎の過程において激しく苦しむでしょう。
罪のない子供に対して、本来は生みの親となったであろうその人物によって、そのような死が与えられることは、はたしてよいことでしょうか。
自分自身がそういう取り扱いを自分の親から受ける場合を考えてみて下さい。
少なくとも、私は非常にいやですね。されたくないし、してほしくもない。
<>555様
私が寝ぼけていてよくレスを読まずちょっと発言がずれてしまったようですが(笑)とりあえず続けます。
「生まれてこないほうがよかった」人でさえも、神がその存在をゆるし命を与えている以上、なんらの正当化事由もなく死を与えることはカトリックにはできないことなのです。
なお、堕胎に関するカトリック教会の教義を日本語で簡単に確認したい方は、
カトリック・すれっど7の<>307に貼ってある「カトリック教会のカテキズム」で、第五戒のところ、とくに2270をご参照ください。
英語版は
>>1に貼ってあります。
559 :
名無しさん@1周年:01/10/14 07:16
受精したら、もうそれは遺伝子レベルで固有のいのちなんだから、
大切にしないとね。
より詳しくお調べになりたい方は
アンソニー・ジンマーマン「生命問題に関するカトリックの教え」(エンデルレ書店)をご参照ください。
少し引用させていただくと、
「卵子が受精した瞬間から、父親のものでも母親のものでもない新しい生命が始まります。・・・もしそれがその時点で人間でなければそれは決して人間にならないはずです。
・・・現代遺伝学の結論は、この最初の瞬間からこの生命体が何になるかのプログラムは決定されているという点において一致しています。」
(教理省「人工妊娠中絶に関する宣言」)
ということです。
561 :
名無しさん@1周年:01/10/14 07:32
Sylvius さんリンボで洗礼受けれないの?
堕胎に賛成される方は<>556で私が提示した質問を自らに問うてみてください。
精神的障害その他の事由によって良心が曇っていなければ、神によってその中に書き込まれた自然法があなたがたに結論をつげるでしょう。
人はその声を押し殺すことはできるかもしれませんが。
カトリックとして私に言えるのはこれだけです。
<>561様
リンボの霊魂が神によって何らかの仕方で原罪を除去されるということはありえます。
カトリックの教義の中にそれを否定するものは何もありません。
<>563
訂正します。「理論的にはリンボ行きとなるであろう霊魂が」です。
565 :
名無しさん@1周年:01/10/14 09:36
ここはSyiviusさんのスレですから、荒らすつもりはありませんが、
>>562「カトリックとして私に言えるのはこれだけです。」
などと、いかにも自分がカトリックを代表しているように言われると
ウンザリしてしまいますので、強姦による妊娠の場合など、女性の側に
落ち度がなかった場合についてだけ、限定してコメントしておきます。
確かに多くの方が指摘するように、堕胎は殺人であり罪です。
しかし、神は公正な方ですから、全く過失のない人に罪を負わせる
ようなことは絶対になさらないと私は考えます。
堕胎の罪は、その女性やお医者さんが負うのではなく、
まず第一は女性を強姦した身勝手な男、
そして、未婚の母を偏見の目で見る世間や、
そういう子でも大切に育てる社会的仕組みが不十分なこの社会
それらが分担して負うことになるでしょう。
もし私が、深く傷ついて悩みと苦しみの中にいる、そのような女性から
相談を受けたら「堕胎は殺人であり大罪です」などとは絶対に言えない。
「おろしても『あなたの罪』にはなりませんよ」とでも教えますね。
シルおい、引用で<>使うなよ。ちゃんと>>にしろ。
いちいち前にページもどさなきゃならないだろ。
いいかげんにしろよ。
568 :
名無しさん@1周年:01/10/14 12:56
>566
と、あなたは母親と誰かが話してるのをお腹の中で聞き、
恐怖するのであった。
そして3日後、信仰虚弱氏は、中絶されてあの世に旅立ったとさ。
569 :
名無しさん@1周年:01/10/14 13:08
>もし私が、深く傷ついて悩みと苦しみの中にいる、そのような女性から
>相談を受けたら「堕胎は殺人であり大罪です」などとは絶対に言えない。
そうだね。
ここらへんの意識の差だと思う。
ナリなどは物言えぬ胎児を代弁してそういう女性を傷つけることを
平気でいうみたいだが、これは暴言でしかないと思う。
胎児を代弁できるなどというのは驕り以外のなにものでもない。
たしかに堕胎はいけないことかもしれないが、
胎児の代わりに俺様が弁護人になってやれるという思いあがりが
ナリなんかにはちらほら見え隠れして、不快。
<>566
信仰虚弱さん
カトスレ(6)で強姦による妊娠のケースについてはすでに論じました。
カトリック倫理上、
妊娠が強姦の結果であるということは、何ら堕胎を正当化しません。正当化できるというのなら教導権の文書を根拠として示して下さい。
そんなことはあなたにはできません。そのような教説はカトリシズムとは無縁の、あなた個人の作り話にすぎないからです。
生まれてくる子供を育てるにあたっていかなる困難が生じようともそれを避ける手段として堕胎を用いることはゆるされません。
それは、食料のない無人島で置き去りにされて、腹が減ったからといって隣人を殺して食料にすることがゆるされないのと同様です。
目的は手段を正当化しません。
強姦犯に対して、強姦被害者が堕胎を行った場合、自らの自由意志の行使によるのではないその堕胎行為が自らの罪として転嫁されるということはありえません。
強姦犯は自分の自由意志の行使によって生じる結果についてしか責めをとわれることはないのです。
シルおい、引用で<>使うなよ。ちゃんと>>にしろ。
いちいち前にページもどさなきゃならないだろ。
いいかげんにしろよ。
572 :
名無しさん@1周年:01/10/14 13:19
死刑はどうよ?
電機ショックのボタンを押した死刑執行官の責任になるわけ?
>>566 作り話をカトリックの教義であるかのように公の場で言われてはたまらないので、
こちらは教導権の文書を引用させていただきましょう。
デンツィンガー3719番です。
「まだ母の体内にいる子供の生命に対する罪・・・ある人々はそれがゆるされることであり、母親または父親の判断に任されていると考えようとしている。
他の人々は、それが不法であることを認めながら、彼らが医学的・社会的・優生学的指示と呼ぶ重大な理由があればゆるされると言っている。・・・
しかし、どのようなことがあっても、罪のない者の直接の殺害を認める十分な理由にはならない。・・・罪のない者を殺すことによって(これらの理由に)応じようとするのは間違っており、
使徒の言葉によって公布された「善をひきだすために悪をしてよいのか」(ローマ3:8)という神の掟に矛盾する。」
(教皇ピオ十一世「Casti connubii」)
英文のリンクはすでに貼ってあります。信仰虚弱さん、あなたは罪のない者の直接殺害を認めるという、教会の教導権の教えにまっこうから矛盾する恐ろしい誤謬をカトリックとして公の場で公布しているのです。
ただちに撤回して下さい。
<>572
死刑が神の目から見て合法的であり得ることは前スレで既出です。
カトリック教会の教義は、今の状態では
必ずしも全ての人を救うものではないということよ。
運用に気をつけないと、不要に人を罪に定めてしまうからダメなのよ。
妊娠については、何でも女のせいにする女性蔑視がある。
強姦などで妊娠した場合、女のせいでなく、強姦した男のせいよ。
けどね、カトリック教会は、女に責任を押し付けるのよ。
女に落ち度が無かったかを、まず問うのよ。
法的には、男は告解して、その女を娶るか、女が拒否すれば告解で終わり。
こんなのって、女の立場からしたらどう?
男が決めるような法律って、所詮こんなものよ。
あたしが女でも、悪いけど、そんなの受け入れられないわ。
その子を見るたびに、強姦の事実を思い出し子を憎む。
産まれて来た子供は、どう?父親を憎み、母親を憎む。
二人の罪を生むのよ。
こういう罪を女に負わせるより、
産まない方がよっぽどマシじゃなくて?後で、
「神様、あなたから頂いた子を産めなくてごめんなさい」
と告解する方が、よっぽどいいわよ。
カトリック教会は、罪を犯すこと、望まれない子がこれ以上
産まれることに手を貸す事はやめるべきよ。
576 :
名無したん:01/10/14 13:43
>>566 信仰虚弱さん、マンセー。
教会法における是非はともかく、被害者へのフォローもせず「堕
胎は罪」しか言えない司祭は、使徒職に与かる資格無し。川にほ
うり込んで浮き上がったら有罪、沈んだままなら無罪(w
社会的司牧の結果、ちゃんとフォローできる態勢を整えた上での
「堕胎は罪」なら文句言わん。でも、そこまでしてないだろ。ア
イルランド事件を知っている人なら分かるだろうけど、国民の9
割までがカトリックでさえ駄目なんだから、1パーセント未満の
日本でできる訳が無い。
あと強姦犯は、キリスト再臨まで四千年の地獄巡りの刑に処す。
577 :
名無したん:01/10/14 13:50
>>574 確かに教会法には違反していないだろうけど、しかし、死刑反対
は、日本司教団だか正平協だかの申し合わせ事項だとおもたが。
漏れはデンツィンガー持ってないけど、日本司教団の文書にも目
を通そうよ。
あと、聖母の騎士に連載中の、死刑囚の手記を読め。反省が薄い
ような気がしないでもないけど、あれ読んで死刑執行命令書にサ
インはできんわな。
なお、堕胎を行ったカトリックは、教会法1398条によって既定の破門制裁を受けます。
既定の破門制裁は、堕胎の罪の事実それ自体によって成立します。
すなわち、教会法上の手続きは、なんら必要ありません。
以上。
579 :
名無しさん@1周年:01/10/14 13:57
>>565 ほう。
いったいおれのどこが嘘つきなのか言ってみろよ、嘘つきカトリック君よ。
>名無したんさん
死刑をできる限り減らすべきであるということは立法論として当然のことですが、
「死刑は神の目から見て非合法である」との主張をなすことは教導権の教えにまっこうから矛盾する異端です。
「カトリック教会のカテキズム」(バンタム版)2266を参照してください。
デンツィンガーの番号およびcccのリンクは両方ともカトリック・すれっど7で既出です。
581 :
名無しさん@1周年:01/10/14 14:00
堕胎が好ましいくないことはそりゃそうだろうけど、そればっか強調して堕胎する方の事情にはほとんど触れないのに違和感を感じる。
悩んで悩んで仕方なく、やっぱり堕胎は認められない、っつーんだったらまだわかるけど。
NC
582 :
名無しさん@1周年:01/10/14 14:03
>>580 「異端」の要件と効果をお願いできるかな?
死刑はダメよ。後で、誤審が分かっても手遅れだから。
それに、人に応じてダメよ。
死刑になることを望んで人殺しをする人がいる。
また、死ねば全てが終わると思って
ほくそ笑む場合も結構多いらしいわよ。
それに、死への恐怖から逃れるためや、
絶望から、そうなってしまう人もいる。
あたしは旦那がヤクザだったから、
そんな話を良く聞かされたわ。
そういう意味から、死刑はあまり良くない制度と感じたわ。
>名無したんさん
聖書は死刑がヘブライ人の国だけでなく(出エジプト22:18)ローマ帝国においても正当であった(ローマ13:4)ことを当然の前提としています。
デンツィンガー425番によれば、「われわれは、世俗権には血の判決を下す権利があることを認める。ただし、判決は憎悪によってではなく正義によって、軽率にではなく慎重に行われなければならない」(教皇インノケンティウス三世)と明記してあります。
>>580そういう考え方の方が、
神の目から見れば異端かもしれないわ。
カトリック教会の流れでは、正統だけどね。
普遍なる者は、神しかないし、
また、神でさえ取り消す事の出来ない時の流れよ。
<>582様
>>2および教会法751条、1364条をご参照下さい。
なお、これらは形相的意味での異端の罪に関するものです。
見解そのものについて単独に「異端」と言われる場合や、本人に自覚がない質料的異端はまた別です。
何度いわせるんだ。お前日本語読めるのか?
シルおい、引用で<>使うなよ。ちゃんと>>にしろ。
いちいち前にページもどさなきゃならないだろ。
いいかげんにしろよ。
Syiviusという人のヒステリーにお付き合いするつもりもありませんが、一つだけ。
> 強姦犯に対して、強姦被害者が堕胎を行った場合、自らの自由意志の行使によるのでは
> ないその堕胎行為が自らの罪として転嫁されるということはありえません。
> 強姦犯は自分の自由意志の行使によって生じる結果についてしか責めをとわれることは
> ないのです。
>>570 つまりSyiviusという人は、強姦犯が女性を強姦して、女性が中絶した場合
神は胎児の死の罪を100%女性に負わせるのだ。強姦犯には胎児の死について
神から一切罪を問われない。こう主張するのです。
神という方がどういう方なのか。Syiviusという人はぜんぜん理解していない。
呆れてものが言えませんね。
なお、私の
>>566は「中絶は殺人であり罪です」と明記していますので、
教会の教えに反しているとは思いませんけど。
>>576「名無したん」さん。その「マンセー」ってのはやめてよ。
でも、カトに戻ってきてくれてよかった、よかった。
>>584今の世の中にあって、死刑は必ずしも罪に対する
代償として有効でないと分かってきた以上、
教皇や日本の司教団が死刑反対や
戦争反対を言い出すのは、当然よ。
堕胎の問題は、男の都合のいいようになっているのは明らか。
男は何の罪にも問われないようになってるのよ。
だから、神を信じる事が出来ても、
教会の法を誰も信用しなくなったのよ。
>>581様
回勅全体をお読み下さい。そういう趣旨の言及もちゃんとあります。
>信仰虚弱さん
> 強姦犯は自分の自由意志の行使によって生じる結果についてしか責めをとわれることは
> ないのです
という時の「自由意志の行使によって生じる結果」には、女性を堕胎したくなるような苦境に陥れたことを当然含んでいます。
よく読んでいただきたい。
>>588ユダヤ教の律法でそうなっていたのよ。
だから、それをそのままカトリックは信じてきたわけよ。
それだけのことだし。
まぁ、以後どうするかは、バチカンが決めることだわ。
見守っておきましょう。
>信仰虚弱さん
(1)「「おろしても『あなたの罪』にはなりませんよ」とでも教えますね。」というあなたの発言は、要するに当該女性が胎児を殺してもよいということですね?違いますか?
(2)「然り」であるならば、そのような行為がカトリック倫理上の殺人に当たらないとあなたは主張するのですね?
>>591男の責任の取り方としては、
嫌がる女を娶ればいいのよ。それだけしかないわ。
>信仰虚弱さん
<>593への答えが全て「然り」であるならば、
(3)(2)を根拠づける教導権の文書が存在するわけですね?然りですか否ですか?
さらに、
(4)自分の自由意志の行使によるものではない他人の行為が自分の罪として転嫁されることがありうる。それは神の教え、教会の教えである。
とあなたは主張するのですね?然りですか、否ですか?
あはは。そうね。
「おろしても『あなたの罪』にはなりませんよ」
これは言い過ぎかもね。
「おろしても『あなたの罪』にならないよう主にお祈りしましょう」
ぐらいでどうですか。
>>596 なにが「あはは」ですか。ごまかさずに然りか否かで答えて下さい。
>Syivius
>>582には回答しといてもらえないかな?
貴方の言葉はキツいけど、内容を知れば納得できることも多々あるからよ。
>>582様
>>586です。なお、信ずべき事柄の範囲についてはデンツィンガー3011番と3683番です。
ゴメンなさーい。逝ってきまーす。
>>597 これだからSyiviusという人と対話するのは嫌なんですよ。
>>593の(1)(2)(3)は
>>596で答えているでしょう。
訂正したからと言って、あなたがヒステリックに怒る
私の
>>566の主張が崩れるわけではありませんよ。
>>595の(4)はずいぶん低レベルな質問ですねえ。
例えば、イエスを裏切ったユダは、単に「裏切り」という罪しか
負わなかったですか。そうではないでしょ。
イエスを十字架に架けて殺した罪も、彼は同時に負ったわけです。
他人の行為が自分の罪として転嫁されることはよくあることです。
あなたも気をつけた方がいいでしょうね。あなたの書き込みを読んで
カトリックに失望して離れていく人がいたとして、かの日に、
主にどう言い訳するのですか。Syiviusさん。
3011番を引用しておくと、
「聖書と伝承の中にふくまれている、神の言葉、および、教会の荘厳な宣言、または通常普通教導権によって、神から啓示された信ずべきこととして示されるすべてのことを、神的カトリック的信仰によって信じなければならない。」(第一バチカン公会議)
なお、3683番は、
「信仰に関することがらについて、全ての人が信ずべき「基本的な信仰箇条」と、信じても信じなくてもよい「基本的でない信仰箇条」とに区別することはゆるされない」(回勅Mortalium animos)
さらに、教導権によって異端として排斥された命題はもちろん異端であり、それらに同意することはゆるされません。
>>595教会の教えではあるわね。
でも、教会の教えは時として、人を躓かせてしまうわ。
それに対する解決策は、世俗の法にあることもある。
しかし、女は男に従うものという規定がある以上、
こういう解釈は仕方が無いものね。
女はイブの罪をまだ背負っているという事よ。
女は男をひたすら許すしかない。そういうことよ。
>信仰虚弱さん
私が
>>593で聞いているのは、当該発言がそれ自体としてどういう意味なのかという質問です。
>>596で訂正されたかどうかは問題にしていません。
>信仰虚弱さん
他人の行為の機会を提供することについて罪を問われることと、
他人の自由意志の行使に他ならない他人の罪があたかも物質のようにその人間から離れて他の人間に付着するかのような主張とはまったく別です。
おわかりですか?
>信仰虚弱さん
何度も言っていますが然りか否かで答えてくれと言っている質問には然りか否かで答えて下さい。
論点が混乱します。
ところで、
(1)
>>569で訂正はなされましたか?
(2)その訂正とは内容に関するものですか?
(3)それとも単なる言い方に関するものですか?
然りか否かで答えて下さい。
608 :
名無しさん@1周年:01/10/14 15:40
話の途中で、緒口が曖昧で申し訳ありませんが、
人口堕胎は罪である。
罪は赦される。
という二つ命題をただ認めるしかないのではないのでしょうか。
ただし、罪は赦されても、人口堕胎という行為そのものは罪であることには変わりないですね。
609 :
名無しさん@1周年:01/10/14 15:43
罪が赦されるから、如何なる罪を犯してもよいというのは、
黙示録のニコライ派的になってしまいます。
610 :
名無しさん@1周年:01/10/14 15:46
確か人口堕胎が否定されるのは、ルカ福音でイエスが胎内で踊った箇所を根拠にしているんですよね。
人口堕胎は殺人の罪になりますね。
>信仰虚弱さん
(1)
>>566におけるあなたの発言は、当該女性が堕胎をした場合、それは強姦犯人および社会的環境を整備しない他の人々などに分散して帰属する罪となる、ということですね?
然りですか、否ですか?
(2)また、当該女性は、堕胎を行うことによって、そのような罪を人に発生させることを行ってもよい、それが神の教えでありカトリック教会の信ずべき教えである、ということですね?
然りですか、否ですか?
612 :
名無しさん@1周年:01/10/14 15:56
ここでは、人口堕胎という行為は、相手の男性においては「躓きの罪」に相当するのかどうかを議論しているのでしょうか。
しかし、こういう議論は難しいですね。もし、人口堕胎を女性の権利として考えれば男性は「躓きの罪」を犯したことになりますが、
そうでない場合は、共犯になりますね。
どっちなんだろう。
613 :
名無しさん@1周年:01/10/14 16:03
強姦による妊娠で人口堕胎をした場合、やはり女性は権利として堕胎をしたのでから、
「殺人の罪」になり、強姦した男性は「躓きの罪」になるのかなぁ。
カトリックの教会法には、「正統防衛」は有っても「緊急避難」みたいなもの無さそうだし。
614 :
名無しさん@1周年:01/10/14 16:12
>>613少し訂正
強姦による妊娠で人口堕胎をした場合、やはり女性は権利として堕胎をしたのだから、
その女性自身は「殺人の罪」になり、強姦した男性は「躓きの罪」になるのかなぁ。
カトリックの教会法には、「正統防衛」は有っても「緊急避難」みたいなもの無さそうだし。
615 :
名無しさん@1周年:01/10/14 16:14
>>579 悪いが俺はキリスト教徒ではない。
君は500年くらい前、金銭の亡者が堕落して作ったあれの一派だな。
キリスト教原理主義者とイスラム原理主義者は互いに争って
この世から消え去ってくれ。
616 :
名無しさん@1周年:01/10/14 16:16
>>614補足
ただし、「権利」という語彙は単に合法であるという意味で、教理や教会法とは区別されるものとして用いました。
人口堕胎については難しい問題だし、悩ましい問題です。
それを「人口堕胎した女性は1000人が1000人とも殺人罪だ」と
主張し、そういう女性を非難し、裁き、見下すのが、キリストの教えなのか
どうか、疑問ですね。
現実問題として、現代日本社会で強姦でできた子を産み育てるには、
鉄のような信仰が必要ですが、「信仰」は「自由意志」では得られません。
「信仰の弱い人を受け入れなさい」(ローマ14:1)これも神の教えです。
カテキズムのどっかにある「責任を軽減する要因」(あんまりこういう言葉
は使いたくないけどね)というのは、そういう部分を指しているのでは
ないですか。
「他人の罪があたかも物質のようにその人間から離れて他の人間に付着する」
私はそんなこと言ってませんよ。Syiviusさん。つまらない質問には答えません。
>信仰虚弱さん
<>617
そうですか。それでは他の質問に答えていただけないのは何故ですか?
>信仰虚弱さん
<>617
あなたは法的な議論をするときに何でいつもそういう付加条件をつけて論点を混乱させるのですか。
責任の問題は個々のケースでいくらでも変わってくるのは当然のことです。
そういうことを捨象して、
(1)カトリック倫理上、いかなる困難があっても堕胎は許容されないか否か
を論じているんでしょう?
そしてあなたは
(2)強姦された女性が堕胎した場合、それはもはや本人の罪とはならない
とおっしゃりたいのでしょう?違うのですか?
620 :
名無しさん@1周年:01/10/14 19:13
カトリック的には、どうしても育てられないのなら
マザーテレサの会みたいなところで育ててもらえってことでしょ。
621 :
名無しさん@1周年:01/10/14 19:14
>>615 は?言ってることが意味わからんぞ。
おれは今のところ無宗教だし。
家は仏教だけど。
何が原理主義だ?
ところで、俺がどこで嘘をついたか教えてくれよ。人違いなんじゃねーの?
間違ってんなら素直に認めるからさ。
Syiviusさん。
> 責任の問題は個々のケースでいくらでも変わってくるのは当然のことです。
> そういうことを捨象して、
> (1)カトリック倫理上、いかなる困難があっても堕胎は許容されないか否か
> を論じているんでしょう?
>>619 あなたが「捨象して、」と言って簡単に切り捨てている事柄の中に、
もっとも大切なキリストの教えがあるのですよ。
>>620 そういうことですよね。もっと、そういう活動が盛り上げれば
いいですよね。
シルいいかげん<>じゃなくて>>に統一しろ。
見にくくてたまらん。
>信仰虚弱さん
>>617 >現実問題として、現代日本社会で強姦でできた子を産み育てるには、
>鉄のような信仰が必要ですが、「信仰」は「自由意志」では得られません。
論点を整理しましょう。
「啓示された真理への知性の同意」である信仰は神の側からの先行する恩恵を必要としますが(Dz3014)
同時にまた、恩恵に自由に服従することにほかならないその同意は自由意志を当然に前提します。(Dz3010)
(なお、カトリック的「信仰」についてccc(カトリック教会のカテキズム)150から155参照)
これは誤謬ですか?そうだとすれば、前にも聞きましたが、あなたの言う「信仰」とは一体何ですか?定義を示して下さい。
そして「困難に耐えて堕胎せずに子供を育てるか否か」はカトリックであるか否かということはまったく独立の、自由意志によって決定される問題です。
カトリックでなくても赤ちゃんを殺すのは忍びないから育てよう、というケースは当然理論的に想定可能でしょう?違いますか?
Dzはデンツィンガー教会文書資料集、cccはカトリック教会のカテキズム(1994年版)の略号として今後使用します。
>>622 議論の整理のためにある問題を捨象することは、当然ながらその問題を切り捨てるとか別に考慮しないとかいうことを意味しません。
念のため。
627 :
名無したん:01/10/14 21:59
>>620 おおざっぱに言えばそういう事。
あとできることは、心のケアーをするシスターの養成。
ブラザーカドフェルやバチカン13課に強姦魔狩りをお願いする(藁
>信仰虚弱さん
>>617 >「信仰の弱い人を受け入れなさい」(ローマ14:1)これも神の教えです。
(1)あなたはこの聖句をどう解釈しておられるのですか?
ここでは「強姦されたらその女性には堕胎することぐらいは認めてやれ」という意味ですか?
(2)聖書をよく読んでおられるあなたには言うまでもないことだと思いますが、
当該箇所は旧法の食事規定の遵守をめぐっての見解の相違を許容しようとの意味で言われているだけで、
堕胎その他の罪を認めてやれとかいう趣旨でいわれているのではありません。違いますか?
(3)ちなみにエウセビオスは「教会史」23巻5において、エルサレムの司教であったヤコブが一定の食物を避けたことを伝えており、
ローマ14章にいう「信仰の弱い者」がやっていたことは、何ら罪ではありません。あなたはこのことを否定するのですか?
念のため申しますが、この掲示板はカトリック信徒のためだけに
あるのではないのです。ですから、プロテスタントの方々や、
ノンクリスチャンの方々にも理解できるような話し方をしたいと思います。
もっとも、カトリックを自称するSyiviusさんよりも、
もっと親近感を覚えるプロテスタントの方々がたくさんこの板には
常連さんとしていらっしゃいます。
私はこれまで、Syiviusさんから「異端」とか「自動破門」とか
「作り話のニセ教師」とかいろいろと言われていますが、Syiviusさん、
あなたも「反キリスト」とか言われないように気をつけた方がいいでしょう。
で、逆に聞きますが、
>>617 の私の主張「信仰は自由意志では得られない」
これは是ですか非ですか? お答え下さい。
「信仰の弱い人を受け入れなさい」(ローマ14:1)
この聖句について
> 当該箇所は旧法の食事規定の遵守をめぐっての見解の相違を
> 許容しようとの意味で言われているだけ
「だけ」と決め付ける根拠もお示し下さい。
「ヤコブが一定の食物を避けたこと」は、ぜんぜん根拠になりませんよ。
そんな文脈で申し上げているわけではありませんから。
>マリアさん
誤解のないよう申し上げておきますが、
カトリック倫理上、
強姦によって女性を妊娠させた者は子供の養育費をすべて単独で負担する義務があります。
当然のことです。まともな倫理神学書で確認してください。
>>624 「信仰」の定義なんて、何でこんな初歩的なことを聞くのかな。
「信仰とは、望んでいることがらを確信し、
まだ見ていない事実を確認することです」(ヘブライ11:1)
要理の冒頭にも、信仰とは何かが書かれているけどね。
>>629 その命題を「信仰は先行的恩恵を必要とする」という意味にとるならば正しいです。
しかし、「自由意志の側の同意は必要ない」という意味にとるならば誤謬です。
>>630 すでに引用した司教認可のコメンタリーによっただけです。教義的異端ではありません。
あなたの側の解釈も明示していただけますか。
あああほども
死ねや
>信仰虚弱さん
それと
>>624の後半において提示した問題について答えていただけますか。
>>631 > カトリック倫理上、強姦によって女性を妊娠させた者は
> 子供の養育費をすべて単独で負担する義務があります。
> 当然のことです。まともな倫理神学書で確認してください。
「まともな倫理神学書」とは、何の何ページかなどとつっこみを入れる必要もない。
実際問題として、そんな義務が現代の日本社会で果たされていますか?お答え下さい。
>>635 「>信仰虚弱さん
それと
>>624の後半において提示した問題について答えていただけますか。」
この質問に関しては、
> 現実問題として、現代日本社会で強姦でできた子を産み育てるには、
> 鉄のような信仰が必要ですが、「信仰」は「自由意志」では得られません。
>>617 以上のように私は書きました。これ以上の答えはありますまい。
>>633 > すでに引用した司教認可のコメンタリーによっただけです。
> 教義的異端ではありません。
> あなたの側の解釈も明示していただけますか。
よく分かりませんね。解釈以前の問題だと思いますよ。
パウロは私たちに「信仰の弱い人を受け入れなさい」
(ローマ14:1)と教えています。
「信仰の弱い人を裁きなさい」
「信仰の弱い人は異端を宣告しなさい」
「信仰の弱い人は自動破門にしなさい」
「信仰の弱い人には地獄行きだと脅しなさい」
とは絶対に教えていません。
違いますか。Syiviusさん。お答え下さい。
>信仰虚弱さん
>>566 (1)
>強姦による妊娠の場合など、女性の側に落ち度がなかった場合についてだけ、限定してコメントしておきます。
>確かに多くの方が指摘するように、堕胎は殺人であり罪です。しかし、神は公正な方ですから、全く過失のない人に罪を負わせる
>ようなことは絶対になさらないと私は考えます。
「落ち度がない」と言えるのは、強姦されたこと、妊娠したことについてでしょう?
堕胎において胎児を殺害する事自体は、当該女性の自由意志に属する問題です。違いますか?
(2)
>堕胎の罪は、その女性やお医者さんが負うのではなく、まず第一は女性を強姦した身勝手な男、そして、未婚の母を偏見の目で見る世間や、
>そういう子でも大切に育てる社会的仕組みが不十分なこの社会・・・が分担して負うことになるでしょう。
他人の行為について責めを問われるのは、共犯のように他人を道具として用いた場合や、自分の行為を原因として他人によって引き起こされる結果を当然予期できまたそれを意図した場合です。
自分の予見可能性の範囲内にないことや自分の自由意志の行使の結果ではないことについて無差別に責任を問われたり、ましてや他人の行為が自分の罪に化けるということはありえません。
Prummerほかすでにご紹介している倫理神学書をお読み下さい。
かりにあなたのこの命題が正しい場合、カトリックの強姦犯人や社会一般のカトリックに堕胎罪が帰され、教会法によって破門されるのですか?
>>638 ローマ14章には
>「信仰の弱い人を裁きなさい」
>「信仰の弱い人は異端を宣告しなさい」
>「信仰の弱い人は自動破門にしなさい」
>「信仰の弱い人には地獄行きだと脅しなさい」
とはもちろん書いてありません。
まず、あなたの「信仰の弱い人」の定義あるいは解釈を示して下さい。
要するにそれは「堕胎罪を犯す人」「異端的見解を奉じ公言する人」なのですか?
638それやったらさあ
ぱんてのーるv5やろが!あほ
>>641補足
私のローマ14章解釈についてはすでに示したとおりです。
「裁く」という言葉の解釈問題については聖アウグスティヌス「主の山上のことば」を援用しカトスレ(6)で既出。
自動破門は「自動破門になる」のであって「Sylviusがある人を自動破門にする」ことは不可能です。
自動破門が生じているか否かに関する判断は事実判断にすぎず教会の行う荘厳な破門宣告ではありません。既述の通り。
大罪が成立し、痛悔しないならば地獄堕ちです。これは教会の教え。
どうでもいいんですが、ここのところずっとハンドル名を誤って打ったのがクッキーにのこっていました(大藁)
私の名前は、Sylviusです。よろしく。
645 :
名無しさん@1周年:01/10/14 23:58
信仰虚弱 ちゃんと反論しろ、
Syivius が教義の誤りを指摘してるのに、
あんたは、それに答えず、教義の教え方みたいな事に
問題をすりかえてるだけやないか、
だから全然話しがかみあえへんのや。
>>636 それは世俗法上の問題であって、マリアさんが言っているのは当然カトリック倫理上のことだと解しておりました。
ドキュソなので現在の判例がどうなっているのかフォローしておりません。
>>631でいう「まともな倫理神学書」とその当該箇所は、例えば
Prummer,Handbook of Moral Theology(Roman Catholic Books)p.131とかだよ〜
ISBN0-912141-29-8,
1957年検閲および司教認可済みだよ〜
すやすや
648 :
名無しさん@1周年:01/10/15 00:27
一つ質問。
もし堕胎しなければ母体が危ない時に、堕胎するのは罪ですか?
>Sylviusさん
第2バチカン公会議に基づく倫理神学書でお薦めのものがあったら
教えて下さい。
650 :
名無しさん@1周年:01/10/15 00:43
ねぇ、プロテスタントは堕胎OKなわけ?
さて、中絶問題はこんなところでしょうか。
> 現実問題として、現代日本社会で強姦でできた子を産み育てるには、
> 鉄のような信仰が必要ですが、「信仰」は「自由意志」では得られません。
以上のように私は2回も書きました。
>>617 >>637 が、それに対する反論は、結局ないようですね。
>>639 は自信を持って書いた
ようだけど、前半はガイシュツだし後半は支離滅裂で落第です。レスする値打ち
もない。それなら、もう対話をする必要もないでしょう。
重ねてお願いしますが、Syiviusさん。自分があたかもこの板で
カトリックを代表しているかのように自称するのはやめて下さいませんか。
「異端は死刑にするのが唯一の愛徳」とか、これまでさまざまな暴言を
吐いていますね。神父さまの口汚い悪口とかも。非常に残念なんですよ。
単に、一人のカトリック信徒としての個人的な意見としてならいいんですよ。
さまざまな方がROMしています。何とかお願いできませんか。
>>650 > ねぇ、プロテスタントは堕胎OKなわけ?
だめって言う教派もあります。アメリカでは、
婦人科の医院が原理主義者に襲撃されるらしいですよ。
こわいですねえ。日本もそうなりゃなきゃいいけど。
653 :
名無しさん@1周年:01/10/15 02:16
>>631 強姦によって孕んでしまったら、きっと堕胎する
と思う・・・。
世界中、どこを探しても、強姦するほどの男が責任
もって最後まで養育費を出すとは思えない。
そんな気色悪い男の子供なんて産みたくないし育てたく
ないし、顔もみたくないだろう。
きっと幼児虐待で殺してしまうかも。
そうしたら、どっちみち地獄行き。悪いなんて思わないもん、多分。
産んだことないからわかんないけど。
だからといって、日本で産んで、子捨てしたら
「扶養義務の放棄」とかで警察に追われるんでしょ?
要するに、「堕胎、避妊」を禁止するのも結構だが、
そうやって強姦で堕胎せざるを得ない人を裁く者は
同じ情熱、それ以上の情熱で、日本のインフラを整える
運動を起こして欲しいよ。それが筋ってものでしょ?
654 :
名無しさん@1周年:01/10/15 02:47
655 :
名無しさん@1周年:01/10/15 03:33
避妊もだめって話聞いたことない?
656 :
名無しさん@1周年:01/10/15 03:39
避妊も駄目ですヨ。
657 :
名無しさん@1周年:01/10/15 04:29
雅歌を読む限り、快楽至上主義でもいいと思うんだけど。
キリスト教における性交は子孫繁栄のため?
堕胎も避妊もだめなんて。
すべては神さまのご計画通りってこと?
658 :
名無しさん@1周年:01/10/15 04:36
>>657うん、そうだよ。
それと雅歌の相愛の二人とは、神と人間だよ。
これは、かなり深いものがあるらしい。霊的に。
659 :
名無しさん@1周年:01/10/15 04:46
雅歌って美しいわよね。
読むたびにため息がでてしまう。
わたしの恩師は、実にすばらしい雅歌の翻訳を
昔出したらしいんだけど、日キにつぶされたらしい。
そのことを残念に思う人がなんかのHPで語っていたわ。
660 :
名無しさん@1周年:01/10/15 04:53
ううむ・・・またエクスプローラーがおかしい!インストールしなおしても復旧せん!
とりあえずネットスケープだ。
>>648 母体を助ける手段として胎児を殺すことはもちろん無罪者の直接殺害だよ。
たびたび用いている無人島の事例と同様だ。
>>651 困難だから堕胎が正当化されるという趣旨か?
>>639のどこが既出で支離滅裂なのか説明してもらいたいね。
>>651 産むのが困難だから堕胎は許されるなど反論でも何でもない。単なる居直りだ。
(1)信仰は自由意志ではえられない。
(2)しかるに日本で強姦された女性が堕胎せずにいるためには鉄のような信仰が必要である。
(3)したがって、当該女性が堕胎してもそれは自由意志の問題ではなく、当人の罪にならない。
これがあなたの理屈か?
それに対して私は
(1)カトリック信仰を与えられるかどうかという問題は、堕胎するかしないかを自由意志で選択するという問題とは独立だ。
未信者でも自由意志で堕胎しないことは可能だから明らかだ。
(2)したがって当然カトリック女性の場合も堕胎するかどうかは本人の自由意志いかんにかかっている。
(3)自由意志を行使して無罪者の直接殺害を実行したのであれば当然それは本人の罪として成立する。それが他人に飛び移るようなことは教理的にありえない。
といっているのだ。おわかりか?
>>657 聖ベルナルド「雅歌について」(あかし書房)を読んでみることをお勧めする。
というか、あれは霊的な大人が読むべき本だ。みだらな妄想をするための書物ではないので念のため。
>>649 新しい倫理神学書で成相師に推薦されたものがあったが忘れました。またわかったらアップします。
念のため申し上げますが、第二バチカン公会議以降、教会法に変更はありましたが道徳に関する教義自体は何ら変更されていません。
>信仰虚弱さん
異端問題についてミスリーディングな要約をすることはやめていただきたいですね。私の見解はカトスレ(7)で既出ですのでくりかえしません。
私の言ってることがカトリックの公式教義に反すると示されればいつでも撤回しますよ。
それとあなたは、cccで明確に断罪されている体外受精を批判する私を攻撃したのですよ。
あなたに対するその他の疑問はカトすれ7に充満しています。
おはようございます。
Sylviusさん。中絶問題でこれ以上お付き合いする必要もないのでやめますが
私とやりとりしている最中に「パソコンがおかしい」「ウイルスが来た」と
騒ぐのは、あたかも私がウイルスを送ったかのように読者に印象付けるため
ですか。
カトリック・スレ(7)でも騒いでましたけど。
667 :
名無しさん@1周年:01/10/15 11:04
堕胎が禁止となれば、子供が生まれますが、生まれた子供は自分が育てる事になります。
しかし、強姦によって妊娠した場合、自分で選択したのではないのに、責任を負うのは変ではないですか?
自分の責任ではない場合に、育てない権利はないでしょうか?
>>666 疑われて大変すね。シルは見てりゃわかるけど、かなり被害妄想が
お強いようで。今時ウイルスなんてあふれかえっているからな。
669 :
Sylvius先生のファン:01/10/15 12:40
Sylvius先生、頑張ってください。
私、先生のファンです。
>>653 > どっちみち地獄行き。悪いなんて思わないもん、多分。
そこまでは言いすぎだと思いますよ。(笑い)
確かに、人が神に従う際、それは自由意志の他に、信仰が必要です。
(ヘブライ11章)そして信仰は、自分の努力や意志で得られるものでは
なく、神が恵んで下さるものです。
マタイ5〜7章の山上の垂訓を全部守れる人が何人いるでしょうか。
私は守れません。
でも、「あたしは罪人です。こんな情けないあたしで、ごめんなさい。
信仰と愛を増して下さい。」そうマリアさまにお祈りできれば、きっと
いつか恵んで下さる。そういう希望が持てればいいですよね。
>>667 そうですよねえ。変ですよねえ。神は、大岡越前なんか足元にも
及ばないほど、正しい裁きをされる方と思います。
>>668 さん。ありがとうございます。
671 :
名無しさん@1周年:01/10/15 15:02
全然関係ない(無宗教)側からみたら、汁たんの言ってることも正しいように見えるし、信仰虚弱たんの言ってることも正しいように見える。
>>671 あくまで中絶問題についてだよな。
まさかシルの言う「異端は死んでもいっこうにかまわない」
っていうスタンスまで指してないだろうね?
>信仰虚弱さん。
仕事の合間にちょっと聞きます。
(1)あなたは、「神は神のおきてに従うために必要な恩寵を与えないことがある。現に私には神のおきてを全部守るための恩寵は与えられていない」
と主張するのですか?
(2)あなたが私のパソコンに侵入したとかウイルスを送ったとか、私がいつ書きましたか?
>>669様
ご声援ありがとうございます。ただ、「先生」はおやめいただければと。(笑)
>信仰虚弱さん
あなたは
(1)カトリック信仰をもたない人間は神の掟を守ることが一切できない。
(2)したがって、そのような人間はやることなすこと全て罪である。
と主張するのですか?
あなたの聖書解釈を見ていると、そのような結論になるように思われますが、違うのですか?
違うなら説明していただけませんか?
Sylviusという人は、私の
>>670に対して、
>>675でまたつまらない質問をしていますが
この人は結局「おきてを守れば救われるが守らなければ地獄行きだ」というのがカトリックの
教えだと勘違いしているわけです。キリストの教えは、そのような軽薄なものでしょうか。
今夜は、パウロ書簡のローマ7〜8章をあたりを読んでみませんか。
「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって
憎んでいることをするからです。・・・わたしは、自分の望む善は行わず、望まない悪を
行っている。・・・私はなんと惨めな人間なのでしょう。」(7:15-24)
「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方
の意志によるものであり、同時に希望も持っています。」(8:20)
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たち
は知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいている私たちも、神の子と
されること、つまり、体の贖われることを、心に中でうめきながら待ち望んでいます。
私たちは、このような希望によって救われているのです。(8:22-24)
いま、皆さん方が教会のおきてを全て守れなくても、救いの希望はいくらでもあるのです。
どうか安心して下さい。間違っても「自分は地獄行きだから教会なんてどうでもいい」なんて
投げやりにならないでほしいと願います。
さてSylviusさん。あなたは
>>675 で
「あなたが私のパソコンに侵入したとかウイルスを送ったとか、私がいつ書きましたか?」
と私に詰問していますが、あなたがそう書いたと私がいつ主張したか?
デタラメな印象を読者に与えるような発言は、やめていただきたいですね。
678 :
名無しさん@1周年:01/10/15 21:03
>いま、皆さん方が教会のおきてを全て守れなくても、
>救いの希望はいくらでもあるのです。
ほんまかいな。
679 :
名無しさん@1周年:01/10/15 21:15
>>677 >あなたがそう書いたと私がいつ主張したか?
以下のように書いてるではないか。
661 :大佐@Sylvius ◆IdGGn6Qs :01/10/15 07:16
ううむ・・・またエクスプローラーがおかしい!インストールしなおしても復旧せん!
とりあえずネットスケープだ。
と汁が、書いただけなのに、
666 :信仰虚弱 :01/10/15 09:07
おはようございます。
Sylviusさん。中絶問題でこれ以上お付き合いする必要もないのでやめますが
私とやりとりしている最中に「パソコンがおかしい」「ウイルスが来た」と
騒ぐのは、あたかも私がウイルスを送ったかのように読者に印象付けるため
ですか。カトリック・スレ(7)でも騒いでましたけど。
とあなたは、反応しておられる。それで汁が、
673 :Sylvius ◆IdGGn6Qs :01/10/15 17:17
>信仰虚弱さん。
(2)あなたが私のパソコンに侵入したとかウイルスを送ったとか、私がいつ書きましたか?
と書いている。文章の流れとしておかしくないと思うが。
680 :
名無しさん@1周年:01/10/15 21:25
>>676 >「おきてを守れば救われるが守らなければ地獄行きだ」というのが
>カトリックの 教えだと勘違いしているわけです。
お前の方が勘違いだよ。これがカトリックの教えであり、神の教えだ。
これに、隣人愛など行いも必要だ。
つまり掟を守るのは、信者としての最低限のつとめだ。
日本に住む以上、日本の法律を破れば、刑務所行きだ。同じように、
神や教会の掟を故意に破り、最後まで悔い改めなければ地獄行きだ。
カトリック信者は、未信者より神から多く受けてるのだから多く要求されるのだ。
>>680 同意。同意だからこそ、私が
>>653でいった
本音との葛藤があるのさ。
建前は頭ではわかってるけどね・・・。
せいぜい、強姦されませんように、と祈るしかないか。
シルさんが、理性に歯止めのきかない女性に薬のまされて強姦されて、
あなたの子を宿しました、っていわれたらどーするよ。
強姦なんて、知力のあるやつはしないだろうし。
やっぱ、必要なのはインフラでしょ。
>信仰虚弱さん
>>673の(1)の質問を無視しないでいただけますか。
きわめて重要なポイントですから。
またあなたは
>>676で引用したパウロ書簡を
(1)神は守ることが不可能な掟を人に与える。
(2)また、そのような神の掟は守らなくてもよい。
という命題を正当化するために引用するのですか?
>>681様
女性が男性に薬を飲ませて自由意志を奪った上で性交し妊娠した場合、その全責任は女性側にあります。
>>680「お前」とはひどいですねえ。主はこういう例えで教えて下さいます。
> 2人の人が祈るために神殿に上った。・・・ファリサイ派の人は立って、
> 心の中でこのように祈った。『神様、私は他の人たちのように、奪い取る者、
> 不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この徴税人のような者でもないこと
> を感謝します。私は週に2度断食し、全収入の10分の1を捧げています。』
> ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に向けようとせず、胸を打ちながら
> 言った。『神様、罪人の私を憐れんで下さい。』言っておくが、義とされて家に
> 帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。(ルカ18:10-)
いくら「行い」があっても、誇り高ぶるためや、他人を見下すための「行い」
を主は全く評価しません。「善きサマリア人」の例えで言えば、あのサマリア人が
売名行為や後で恩を着せる目的で旅人を助けたとしたら、どうでしょうか。
「信仰」と隣人への「愛」から自然と出る「行い」が、主から評価されるのです。
>>683 じゃあ、強姦したのが男だったら、女は地獄を
みるでしょ?産むのは女だし。
9ヶ月もそんな人間のカスの粕が受精するんだぞ?
考えただけでもおぞましいじゃん。
男は乗り逃げ。女が全ての責任を負わなければならんでしょ?
686 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:25
うちの学校のシスター参加すればいいのに。
ひまそうだし。
カキコしてるシスター、いるのかしら。
687 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:25
>684
あんたは680の答えに、掟を守るのをファリサイ派的だと例えているが、
神を愛するならば掟を守るよう努めるやろ、
私を愛する者は、私の掟を守るとイエズスが言ったように。
688 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:30
強姦されるのは、知的障害者が圧倒的に多い。
知的障害者は子供を育てるのは無理。
>>687 「言葉」より「行い」。「行い」より「信仰」
これが新約の教えです。
つまり「行い」のない「言葉」は無意味だし
「信仰」のない「行い」も無意味です。
新約聖書を開けば、どこにでも書いてありますよ。
引用してもいいのですが、面倒だから自分で探してね。
690 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:35
>688
知的障害者の親が育ててもいいし
だめなら、里親制度もあるしで、
育てる手はいろいろあろど。
>>685様,
>>688様
>>631にすでに書いたように、カトリック倫理上は、強姦犯は子供の養育費を単独で全額負担する義務があります。
また、損害賠償に関するカトリック倫理の一般原則からいって、狭義の養育費のみならず、妊娠に付随する苦痛等への慰謝料、女性が自分で子供を育てられない場合あるいは育てることを望まない場合に別途必要となる費用も当然負担せねばなりません。
>>647で紹介するような倫理神学書でご確認ください。
692 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:44
>>684 >「お前」とはひどいですねえ。
お前と言う言葉は、敬って言う言葉。
知らないの?
693 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:46
694 :
名無しさん@1周年:01/10/15 22:48
ん?
てことはカト的には、強姦認めてることになっちゃうけど。
それに牢獄入っちゃったら、養育費なんて負担できないしね。
>>679様
申し遅れましたが大変ありがとうございました。貴方のような公平な方がいらしてくだされば心安く落ち着いた議論ができそうです。
696 :
名無しさん@1周年:01/10/15 23:02
>>689 青年:永遠の命を受けるために私は、どんな良いことをすればいいのでしょうか?
イエズス:命を受けたいのであれば、掟を守れ。
分かったか? 信仰虚弱くん。
主の御言葉を拒否してはならない。
自分の都合のいいように聖書を解釈することは、滅びを招く。
と聖書にもあるだろう?
それに信仰虚弱くん。689での君のカキコを見ていると
まるで聖書に書かれていることもイエズスが言ってる事も、
君は、まったく理解してないようだ。
>>694様
何番のどの発言に関するご意見でしょうか?
それと強姦罪は現行刑法上有期懲役のはずですから、出所後に弁済することは可能です。
698 :
名無しさん@1周年:01/10/15 23:26
>>697 世間知らずというか・・・。
出所後って、仕事あるの?
>>698 あはは。そうですね。現実を知らないで福音は語れないという見本です。
さて、今夜はこんな所でしょうか。特に重要な質問・反論がなければ
おやすみにさせていただきます。
最後に
>>679 さん。
「カトリックスレ7」の657番とその前後を見て下さいませんか。
その上で意見を言って下さい。
わたしは、この「カトリックスレ7」の一連のSylviusという人の
書き込みを読んで、非常にいやな気分におそわれました。
なお、甲のある意思的行為が乙の罪として乙に帰属することがありうるか否か、という問題に関連して、
聖トマス・アクィナス「神学大全」第二ー一部第八十七問第八項をご参照ください。
英文リンクは
>>1、創文社版の邦訳では第十二巻p.347です。
ただし、ここで論ぜられているのは罪そのものの転移ではなく罰の問題です。
罪それ自体は意志的行為であり、意志の基体は個々の人格です。
それがどうやって他の人に転移するのでしょうか?
701 :
名無しさん@1周年:01/10/15 23:53
684
>いくら「行い」があっても、誇り高ぶるためや、他人を見下すための「行い」
>を主は全く評価しません。「善きサマリア人」の例えで言えば、あのサマリア人が
>売名行為や後で恩を着せる目的で旅人を助けたとしたら、どうでしょうか。
>「信仰」と隣人への「愛」から自然と出る「行い」が、主から評価されるのです。
699
>あはは。そうですね。現実を知らないで福音は語れないという見本です。
言ってる事とやってる事が違うど。信仰虚弱 さん。
>>696 無視ではかわいそうだからレスしときましょうか。
あなたの言っている「掟を守ることで救われる」というのは「旧い契約」の
教えであり、私たちは「新しい契約」の教えに生きています。
「旧い契約」についてパウロの弟子による書簡では「年を経て古びたものは、
間もなく消え失せます」(ヘブライ8:13) と教えています。
あなたがご指摘の聖句は、紀元30年頃、イエスがユダヤ人向けに語ったもの
です。その、ごく一部分だけを根拠に、紀元50年代、異邦人向けに書かれた
パウロ書簡の内容を全否定することはできません。
>>701 すいません。反省します。
>信仰虚弱さん
あなたはイエス・ノーで答えられる質問を含めて私の質問を大量に無視しておられますが、そんなにご都合が悪い質問ですか?
>>673,
>>675,
>>682,
>>662,
>>639,
>>641,
>>628の(2),
>>619,
>>611,
>>605,
>>604,
>>595,
>>593 のご回答はどこにあるのでしょうか?
なお、あなたの質問で私が回答していないものがあればご教示ください。
705 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:10
ここ見てたら、カトリックは懐が狭いと思った。
706 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:16
>>702 >異邦人向けに書かれた
>パウロ書簡の内容を全否定することはできません。
では、そのパウロの書簡から引用しましょうか?
神の御前に義とされるのは、律法を聞く人ではなく、律法を守る人である。
(ローマ2章13節)
707 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:19
>第二バチカン公会議以降、教会法に変更はありましたが道徳に関する教義自体は何ら変更されていません。
倫理神学の本は何冊か読みましたが、どの本にも、第2バチカン公会議をさかいに
カトリックの倫理神学も画期的に刷新されたと書かれてありました。教義自体の変更があったかどうか
知りませんが、かつての教科書のようなスコラ神学的な記述ではなく、より聖書的な説明の体裁を
採っている教科書をご存知ないか、その点について伺ったのですが。ご存じなければ、無視して下さい。
708 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:34
女が男に薬を飲ませてセックスを強いるなんて、現実にほとんどないだろ。
全くないとは言わないが。
このようなことが起こっても、強姦罪で処罰することは出来ないことからも、法はこういう事例を想定していない(例えば日本法なら刑法177条、178条参照)。
>>707様
そういうことでしたらまず
教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「真理の輝き」(カトリック中央協議会)をぜひお読みくださいませ。
(すでにお持ちかもしれませんが)
この回勅は現代の倫理神学が陥っている危機的状況のいくつかについて警告を発したものです。
710 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:47
>>708 じゃ、女ばっかりが被害者なんだ。
で、ご大層にも、男が強姦されて孕んだ子を堕胎した女を裁くのか。
セカンドレイプもいいとこね。
神も仏もあるものか、だわ。
悪いけど、これが本音だからしょうがない。
711 :
名無しさん@1周年:01/10/16 00:47
仏教に比べてキリスト教はなんと低レベルな事か!
>>711 どの基準でだ。地上を護る人間は皆同じ
過ちを犯しているぞ。そうやって違いばっかりみつけて
楽しいか?それこそ偏狭ってものだ。
>>631残念ながら、男を許してその男と結婚することが正しいのよ。
その「法律」の意味は、そういうことなのよ。残念ながらね。
現在では、あまりにも酷いし、自殺が増えたり堕胎が増えるから
ちょっと運用が変わってきたようね。
聖職者や信者たちは、代わる代わる慰めるのよ。
それで「神が与えられた試練」と納得して、女は信仰を深めていったのよ。
女って、割り切りがつけば男なんかより力があるわよ。
後でその男がなんかまたやらかしたとしても、
その女は全て受け入れて行かねばならないの。
結局、男は告解すれば全ては終わるという事よ。
こういう安心感が男をダメにしてきたのよ。
ローマには、もうちょっとしっかりしてもらわなきゃ困るわね。
法なんて、解釈を変えれば、良くもなるし悪くもなる。
要は人の心次第よ。
信仰なんて物は、形に出る形に表せないもの。
ある一定の型に閉じ込めてしまえば、既に信仰ではないわ。
信仰は、良心よ。人からは、イエズスが言われているように
悪いものが出てくる。けど、信仰からは良いものが出てくる。
時に、信仰が深い故に人に押し付けたり躓くけど、それも御愛嬌よ。
法に拘るから、大切な神や心を見失って裁きつづけるのよ。
法というのは、神が下されたのではなく、
人間用に許されているものでしかないのよ。
人とはね、色んな罪を犯す。だけど、みんな神の子なの。
だから、良い事もする。反省もする。神が一番知っている事よ。
人はね、どんなにあがいても、完璧にはなれない。
それを認めて回心するのがいいことなのよ。
そういう心が皆の内に出来るなら、法は完成するのよ。
人を罪に定めている内は、法は完成しないわ。
良かれと思えば、やってみるの。ダメなら、やっぱりダメ。
反省すればいいのよ。悪いことをしても良いという意味ではない。
けど、どんな法であれ、いくらでも悪用できるものなのよ。
信仰と愛と希望をもっていることが、一番の救いへの道よ。
これは、みんな持ってるでしょ?
シルビウスさんも、信仰虚弱さんも。
715 :
名無しさん@1周年:01/10/16 01:05
マリアさん希望とは何ですか?
何か寝付けないから、またアクセスしてみたら、マリアさんが書き込んでたのですね。
> 信仰と愛と希望をもっていることが、一番の救いへの道よ。
> これは、みんな持ってるでしょ?
>
> シルビウスさんも、信仰虚弱さんも。
いえいえ、あたしはまだまだです。「信仰と希望と愛を増して下さい」
とは、いつも聖母さまにお祈りしてますけどねえ。まだまだです。
717 :
名無しさん@1周年:01/10/16 01:35
しかし、カトリックにも(といっても他の宗教がどうなのか知らんけど)いろんな思想を持ってる人が多いんだな。
シルビウスさんタイプと、信仰虚弱さんタイプは、どちらかと言えばどちらの方が教会に多いのでしょうか?
718 :
名無しさん@1周年:01/10/16 06:52
>>717 僕はまだ未洗ですが、
こういう議論は極めて大切な
信仰的営みであると思います。
719 :
名無しさん@1周年:01/10/16 07:39
>>713 >マリアさん
結婚をもって損害賠償に代えることができるのは被害者の同意があった場合のみです。
プリュンメルでは不足であればHeribert JoneかTanquereyでもご確認いただけます。
「神は守れない掟を人間に与える」
「そのような掟は守らなくてもかまわない」
「神は掟に従うために必要な恵みを与えないことがある」
「現に自分にはそのような恵みは与えられていない」
このような命題が、カトリックの正統教義とはいかにほど遠いか、教導権の文書によって明示します。
「われわれはカトリックの信仰に従って次のことも信じる。洗礼によって恩恵を受けたすべてのキリスト信者は、キリストの助けと協力によって、忠実に努力すれば救霊のために必要なことを全て果たすことができるし、また果たさなければならない。」(Dz397)
「義とされた人は、掟を守る義務から免除されていると考えてはならない。
義とされた人にとって、神の掟を守ることは不可能なことであるというような軽率なことを言ってはならない。
それは教父たちによって、破門をもって禁じられている。「神は不可能なことを命令しない」(聖アウグスティヌス「自然と恩寵」)」(Dz1536)
「神の掟を守ることは、義化され恩恵を受けた者にとっても不可能であると言う者は排斥される」(トリエント公会議。Dz1568)
>信仰虚弱さん、
(1)あなたはこれらの教会の教導権の教えに同意しますか?それとも受け入れることを拒絶しますか?
(2)同意するならばこれらの命題とあなたの主張をどう整合させるのか説明して下さい。
上述の教会の教えを受け入れることを拒絶するならばその事実自体によってあなたはもはやカトリックではなくなります。
>カトリック以外の方々へ
「教導権」についてはMagisterium
「義化」についてはJustification
「恩寵」についてはgraceの各項目を
それぞれ
>>1に貼ってあるカトリック・エンサイクロペディアでお調べ下さい。
「カトリック教会のカテキズム」では、
義化は1987,2018
教導権は2663です。
邦訳はカトリック・すれ7の<>307に貼ってあります。
また、公の場においてカトリックを批判される場合は、できればcccによってカトリックの公式教義をあらかじめ確認していただければと思うのですが。
また、カトリックの皆さんも、自分の言っていることが教会の公式教義に矛盾しないかどうか、カテキズムで確認することは公の場で発言するような場合、当然のことです。
故意過失により誤謬を公の場で公表すればつまづきの罪を問われます。
>>723訂正
cccでは教導権は888以降です。またcccはこのスレの
>>247にも貼ってあります。
>>721 わたしが答えるよりも、イエス様は何と答えて下さるでしょうか。
福音書から引用しましょう。
「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)
現代日本の信徒に、思いくびきや重い荷を負うように強要し、
そうしなければ地獄行きだと脅す人は、Sylviusという人に代表される
保守原理主義者に共通します。しかしそんなものは、
キリストの教えとは無関係です。
Sylviusという人が私を「異端」と言うなら、
代わりに「反キリスト」という言葉をお返ししましょう。
>信仰虚弱さん
>>726 (1)その聖句のどこが
>>721で引用した教会の教えへの反証になるのですか?説明して下さい。
(2)教会の教えに矛盾するような形で聖書を解釈することはゆるされません。
それゆえ、教導権の教えに対する反証としてどのような聖句をひこうが当然無効です。あなたはこのことを否定するのですか?
「そのくびきは軽く荷は軽い」というマタイ11章の当該箇所は、掟を守ることの必要性を確認したまさしくDz1536そのものによって引用され解釈されています。
トリエント公会議決議を読んで下さい。
恩寵が与えられている以上、掟は当然守ることが可能なのです。
>>728補足
デンツィンガーを持っていない方のために引用しましょう。
「神は不可能なことを命令しない。神が命じるときには、・・・あなたができるように助ける。「神の掟は困難なものではなく」(1ヨハネ5:3)
「そのくびきは軽く荷は軽い」(マタイ11:30)・・・「私を愛する人は私の言葉を守る」(ヨハネ14:23)」
神は守ることが不可能な掟を与えるとか、掟を守るために必要な恵みを与えないとかいうのは、全知全能の神をなめきった冒涜的思想です。
相変わらず熱心ですね。Sylviusさん。
仕事してないんですか?
昼間は忙しいのでお相手できませんよ。
732 :
名無しさん@1周年:01/10/16 13:29
レス有難う御座いました。
ただ「真理の輝き」は、第2バチカン公会議以後の行き過ぎを正す内容であって、
倫理神学の刷新自体を否定し復古主義を唱える内容ではありませんね。
刷新された倫理神学の教科書で穏当な見解に立つものを探しているのですが。
>>720でも、残念ながら結婚を女たちは原則的に押し付けられてきたの。
女に責任があると言ってみたりする時もあた。男を誘惑するものだから。
かつての法解釈は、そうだったのよ。
結婚同意の原則=未婚男性による婦女暴行は良しということよ。
お陰で、悪用も目立ったわ。法とは、このように抜け穴があるもの。
でも、逆があった場合は姦通罪で女は死刑なの。
この場合は有無は無かったわ。
>>716みんな「まだまだ」。自分もまだまだなら、人もまだまだ。
天地創造の神になんて、誰にもなれないわよ。
だから、それでいいのよ。シルビウスさんもそうのはずよ。
もし、信者の中に教会法に全て自分は従っているから、
人よりはマシのはずという心があるなら、まだまた遠い。
また、人も自分と同じようになれば、みんな救いに与ると
思っているなら、それもまだまだ遠い。
自分も、善行をすることで少数の救いに
預かれる者になると思っているなら、まだまだ遠い。
良い行いを行えば、その代償は天国へ・・・では天国は遠い。
良い行いを広げれば、みんなが仲良く暮らせる。じゃないと。
人と人が仲良く暮らすためには、何をすべきか。
イエズスが、全て答えを言われているわよ。
せっかくの神の福音をイエズスは人に預けられた。
それも、ちょっと指導者としての素質には
欠けていたペトロを後継者に据えた。
これはね、非常に意味があることよ。
試行錯誤、色々よいと思うことをやっていけばいいのよ。
罪を犯したと悟ったら、すぐに告解に行けばいい。
神は人を罪に定めるために、もはや存在してないわ。
みんなが仲良く暮らすために、存在しているのよ。
イエズスは、いつまでも待っておられるし、
聖母はそれを導くきっかけを、常に人に与えられるわ。
>>715希望とは、今は暗い世界にいても
いずれ明るい世界になるように望む事よ。
教会法は、兄弟姉妹が互いに争わないため。
邪な人が悪意を触れ回って権力の座に坐って
兄弟姉妹を苦しめないために、本来あるもの。
御自身さえ、最後まで人を許す事に専念してきたイエズスが、
人を裁くことをあえて許して下さっているわけよ。
本当は、いけないのよ。人が人に軽々しく、罪とか言う事は。
人が人を罪に定める事を、例外的に神の許可で得た法よ。
聖霊がその時代に応じた解釈を、人に与えるの。
神は、人間全ては皆、自分の子だということが分かって、
互いに助け合って生きることを望まれていることは、
聖書を見ても明らかよ。
本来なら、罪に定めずに「色んな人がいて当たり前」とか
「まあ、人間はこんなもんだから」程度でほっときゃいいけど、
そんなことしたら、何してもいいってことになるでしょう?
それじゃあ、イエズスが来た意味がなくなるものね。
Sylviusという人がよく引用する「Dz」、「デンツィンガー」とは、カトリック教会
の公文書を集めた資料集です。大判サイズで厚さ5センチぐらいの本の中に細かい字で
ぎっしりと、ああでもないこうでもないといった内容の文書が収録されています。
いずれの文書も当然、その時代の教会を取り巻くさまざまな状況の中で、何らかの目的
をもって書かれ、発表されますが、その邦訳では確か詳しい背景までは解説されてないと
思いましたけど(図書館で見つけてもろくに読まないからワカラン)。
その資料集を、時代背景や執筆の意図などを一切無視して巧みに取捨選択ツギハギすれば
Sylvius氏の持論「異端者は極悪人だから死刑にすることが唯一の愛徳だ」などという結論
も導き出すことができてしまう。何しろ2000年間の膨大な資料の山ですから。
逆に言えば、Sylviusという人に代表される保守原理主義者は、そのようなものでしか
自分たちの主張の正当性の根拠を示せないということです。
そこを皆さんに気付いてほしいものです。彼らは、普通の神父さまより勉強しているから
「デンツィンガー」を引用するのではないのですよ。本当に正しい主張なら、当然、聖書
からも、信徒なら誰でも持っている「カトリック要理」からでも根拠を示せるはずですね。
>マリアさん。レスありがとうございます。
黒人や黄色人種が教皇になることにはどう思う?
まさか妙な考え起こさないよね?
ちなみにアウグスティヌスは今でいうアルジェリアの出身です。
>>738 何も問題ないよ。当然でしょ?何が言いたいの?
>>736 僕が教導権の文書を歪めて利用してると言うのならそう明示してみたら?
何なら司教様や神学者をつれてきてもいいんじゃない?
それと異端問題についてのミスリーディングな要約は止めてほしいね。
デンツィンガーを「そのようなもの」って、これ教導権の文書に対する冒涜?
要理だけで信仰箇条はつきてるとでも思ってるわけ?
>>739多分ね、ローマ総大司教座では、
長い間イタリア人を選ぶ習慣があったから、
このことを言っているのかも知れないわね。
時々、こういう解釈から「イタリア人以外の教皇はダメ」
とか「白人以外からは選ばれるはずが無い」と言う人もたまにいるわね。
>>740そうでもないんじゃない?
古い法解釈にこだわりつづける事が、
信仰か否かとなった場合は、そうではないという事でしょう。
法はある種の規定であって、その規定によって
人が苦しむだけなら、その規定に反対する権利はあるもの。
昔は、先の暴漢との結婚の例などで
多くの女性が苦しんだという事実があるからね・・・。
色んなやり方で、それを和らげる努力は絶えず行われてきたし、
これからも必要であると思うわよ。
>マリアさん
だからイヤなら結婚しなくていいんだってば。
それと、信仰すべきことと教会が決定したことを取捨選択するなんてことはカトリックにはゆるされてないよ。
そんなことやった瞬間にカトリックではなくなるよ。たとえ教皇でもね。
あともう一つ。信仰箇条の「解釈改憲」も不可だよ。当然。
反近代主義宣誓文を
>>1のサイトで読んでね。
744 :
名無しさん@1周年:01/10/16 22:26
だからさー。暴漢に襲われて、受胎した場合でも
子供を産めるシステム、インフラを整えることも
大切なんじゃないの?それでも産む、という人は
政府から手厚い保護が受けられるように運動するとかさ。
例えば、今回のテロの報復攻撃に反戦運動を唱える人は
アフガニスタン政権にそれ以上の抗議運動を
すべきだ。じゃなきゃバランスを欠いていると思うよ。
>>744 もちろんそれに反対してないよ、僕は。
それとカトリック教会は各地で修道院付きの孤児院とか運営してるよ。
「教会所在地」(カトリック中央協議会)っていう住所録かあるから見てみてね。
>>742それは、解釈の改憲が行われた証拠よ。
嫌でも結婚する事が、信仰のようになってた時期もあったのよ。
結局、これは誰が何といおうが、解釈を変えたという事よ。
あなたは、時代背景も何も無視してるから法を過信しているけど
時に応じて解釈なんて変わっているわよ。
>>743残念ながら、時の流れと共に色々やっているのが現実よ。
イエズスの死後からね。
でも、法というのは、抜け道がいつもあるものなの。
付け加えてみたり、変えてないといえば、変えてないことになるの。
現に、見た感じ、人を裁く時は罪の無いものから
裁きなさいという聖書の教えは見事に破られているわ。
罪の無い人なんて、いるかしら?
叙階の秘蹟に預かろうが、教皇になろうが人は人。
罪からフリーな人は、誰一人いないのよ。
しかし、聖霊の許可をもらってるわけだから、
人を裁くことを許されている。こういうわけなの。
>>744 それと念のため言っておくけど、強姦された直後に洗浄とかで精子を取り除くのは全然OKだよ。
受精卵を殺してはダメだけどね。
749 :
名無しさん@1周年:01/10/16 22:52
>>744 同意。
(強姦妊娠の)子供を生む社会的条件が不充分な現状を無視して、
「ダメなものはダメ。」つってもネー。
>マリアさん
嫌でも結婚しろなんて教会は言ったことないってば。
それは個人が適用を誤ってるんだよ。
751 :
名無しさん@1周年:01/10/16 22:59
>>746 近所に修道院管理の施設あるけど、国の管理下でしょ。
私立の施設なんてあるの?
こういう産み捨ては罪ではないの?
施設の職員曰く、子供はボロボロに傷ついてるらしいよ。
裁くことは、人間というものは弱いものだから、
例外的に許されているだけのものなのよ。
積極的に裁いてよいと、イエズスは言っているかしら?
それを忘れて裁いた結果が、十字軍であったり、
魔女狩であったわけでしょうよ。
薬草取りのオバサンを捕まえて火あぶりにした事実も、
当時では許されてきたわ。聖職者も進んでやった。
法を熟知してなければならない人たちが、
こんな事をやっているのよ。これも、当時は聖霊の導きだった。
後で、これは間違いだったという事が分かってきた。
解釈は、時の流れと共に変わっているわけよ。
>>751 もちろん強姦で生まれた子でも愛情をもって親が育ててあげるべきだと思うよ。
でも経済的に本当に不可能とか精神障害者で育てることが不可能とかいう事例では、孤児院に助けを求めることも当然許されるよ。
それと、法的に教会付きの孤児院がどうなってるかよく知らないけど、当然私立でしょ?
幼稚園とかとセットになってるよ。
まぁ、いろいろ考え直して、例え暴漢に襲われて
できた子供であろうと堕胎は罪って、一応は理解した。
が、シルさんはインフラ整備運動にも参加しなきゃね。
>マリアさん
十字軍のコンスタンチノープル攻略はとかは単なる貪欲理由の不法な罪で、教会はそれを正当化したことなど一度もないよ。
教義的決定と、個人の実践上・司牧判断上の不賢明な行動は全く別だってずっと言ってるでしょ。
>>750しかし、その時代は正統とされ、今は拒否しても良い。
解釈の改憲でしかないわよ。
昔は、上流階級の女性が、下流階級の男性に強姦された
時に限って、結婚しなくても良かったのよ。
これは、解釈の改憲でなくて何?
あなたはもっと、教会の本音と建前を知るべきよ。
変えないと言いながら、変えていく理由をね。
>>754 孤児院の運営のために献金してるよ。まともなカトリックはみんなそうしてるよ。
>>756 じゃあ教導権のそういう決定を示した文書を出してよ。
そんなのありえないよ。
>>755それは法学上の言葉のあや。
このような事例も、当時は神の意思だと信じられてきて
支持決定されたのよ。それを忘れてはいけないわね。
>>758あるわけ無いじゃないの。
そんなの出したら、どうなるの?
ちょっと良く考えてみなさいよ。
例えば、教皇の不可謬や聖母マリアの無原罪の御宿り。
この種のものは最近ね。
それまでは、一応昔どおりに従っていた。
あと、聖霊発出。これも解釈を変えてるわね。
色んなものを公会議決定以後は、
文章化して改変したものはこれくらいかしら?
でも、何もいわずに消してしまって
解釈を変えているものは一杯あるのよ。
婦女暴行の例もその一環。
そういうものって、どう?解釈の改憲でしかないわよ。
>>761 教皇不可謬権や聖母無原罪の教義が教義的決定される前はもちろんそれを信じなくても罪じゃなかったよ。だけどそれは教義の内容が決定以前は真理じゃなかったとか解釈が変わったとかいうことを意味しないよ。
聖霊発出について解釈が変わったってどういうこと?文書を教えてよ。
さて、公会議決定当時はどうだったの?
フィリオクエ問題のことならもうこのスレの前のほうですんでるよ。
765 :
名無しさん@1周年:01/10/16 23:58
>>757 2chで先頭切って意識改革はってるんだから、
御金あげてます!なんて自慢してないで
社会の意識改革してよ。
世の中には障害って分かって尚、子供を産もうとする
母親に「あんたみたいのがいるから障害児は減らないんだ」
って医者がいるくらいなんだ。
強姦されてできた子供を育てるのがイヤくらいじゃ
施設はひきとってくれないよ。任意で産んでるんだから
国が認めないだろう。
そのために強姦された女性は子供を堕胎してもいいって
法律が日本にあるんだから。
>>763 念のため言うけど教皇を含めて個々の人間が教義の理解を誤ることなんかいくらでもあるよ。
「解釈改憲」というのはそういうことを言ってるんじゃないよ。
>>1のエンサイクロペディアでDogmaを引いてもらえるかな。
どれもこれも、公会議当初には無かったし、
漠然と信じてた人もいるけど、
公には信じられていなかった。
それから、聖霊発出については、
子からの発出は何も書いてないけど?
こういうのは、一般的に解釈の変更というのよ。
教会は、そういうのを全く認めもしないけれどね。
だから、あなたの言っているのは常識的に通じないの。
あたしの世界は、解釈の改竄を認めないのは
天皇家と本庁。あなたたちとよく似てるのよ。
改変はありませんと言えば、改変は無い事になるから。
法って言うものはね。
>>766そうなると、間違いも聖霊の技なら、
変更も聖霊の技ということを認めることになるわよ。
どう辻褄を合わせても、無理があるってことよ。
まぁ、これは人だから仕方が無い事だとも思うけどね・・・。
>>765 自慢のつもりじゃないよ。言いたくなかったし。
確かに強姦されてできた子だからイヤぐらいじゃ引き取ってもらえないかもしれないけど、経済的に本当に不可能とか精神障害者で本当に不可能とかの場合はOKでしょ?
よかったら条文教えてよ。
>マリアさん
ドグマの内容というのは客観的なもので、個々の人間とは独立してるという大前提を分かってくれてる?
>>768は何がどうなってるのかよくわからないよ。
>>765でも、なんでも気楽に堕ろせるようになったのは問題ね。
お気楽にやっちゃってる子もいるわよね。
まぁ、ほっときゃ体がボロボロになって行くし、
ボロボロになったらわかるでしょ?って思うけど。
そこら辺は、キリスト教の良さもあるわけよ。
そういうことも、予測できるから、禁止している背景もあるのよ。
あたし達は「やりたい人はやりなさい。
その代わり、後でボロボロになるわよ。好きにしなさい」
っていう世界だしね。
772 :
名無しさん@1周年:01/10/17 00:52
児童福祉法
第27条の措置を要すると認める者並びに医学的、
心理学的、教育学的、社会学的及び精神保健上の判定
を要すると認める者は、これを児童相談所に送致すること。
経済的に苦しいからっていっても負担額はあるみたいよ。
法学には疎いけど、優生保護法の「強姦されて受胎した
場合の堕胎の権利」を放棄した人間が、顔みるのもいや。
堕胎は大罪だから産んだだけ、という理由では
「保護者が精神障害」という理由でウルトラCができるかもね。
************************************************************************************************
(1) 過去約2000年間キリスト教は救いの独占を主張、異教徒の虐殺さえも行う独善宗教だった。
(2) 現在、なんとか他宗教も認めるようにはなったが、教義は変わってないと嘘。欺瞞は相変わらずだ。
(3) 小難しいことを言っているが、嘘でさえ立証できてしまえるキリスト教神学に真っ当な価値はない。
************************************************************************************************
774 :
名無しさん@1周年:01/10/17 01:01
>>772 この場合、当該女性には禁治産者という
厳しい措置が待ってるんじゃない?
銀行から一銭も借りられなくなるっていう。
シルさん法学学科らしいのでその辺は詳しいでしょうけど。
775 :
名無しさん@1周年:01/10/17 01:06
禁治産措置は廃止されました
776 :
名無しさん@1周年:01/10/17 01:07
>>770だから、すごく言葉が悪くなるけど、
そんなことは、所詮は人間が考える浅知恵だっていうのよ。
辻褄合わせの結果なのよ。
人間って、どうにでも納得しようと思えば納得できるのよ。
オウムの人たちを御覧なさいよ。常識が通用しないでしょ?
宗教、特に教義や法に関わると、こうなるのよ。
その時代において客観的なものが、
ずっと普遍かというと、そうではない。
時代と共に変わっていくのよ。
前に書いた教義の変更もそう。あれも、時代が移り変わってきて、
そういうことが分かったという理由で、変えたのよ。
これは、色んな時代があったけど、どの時代へ行っても
「立派な改変」と言われる事実よ。
どうしてそれをあなたは否定するのかしら?
前にも書いたけど、人を裁くなといったイエズスが、
本当の神様なら人は罪を犯すということは、分かりきっているのよ。
なのに、人間がオロオロしている時点でアウトなのよ。
ただ「信仰と愛と希望」これはイエズスの言葉。
これは普遍よ。時代や宗教を問わず普遍よ。
しかし、他の法やら教義やらは普遍じゃないのよ。
この意味が分かるかしら?
本来は、これだけを信じていけば間違いなんてないはずよ。
人は弱いもの、罪も犯す。これは分かりきった事として
受け入れていれば、教会が人を罪に定める必要はなかったの。
何か、その上を行かねば神に申し訳が無いとか思うから、
色んな法が必要になるし、色んな解釈が出れば
正統なものは何かを決めなければならない。
そして、世俗の体制も変わるし、婦女暴行の後始末のような
問題さえも、しばしば解釈が変わってくるという事よ。
>>773この規定だと、全ての宗教がそうよ。
人の営みもみんなそうよ。
でも、悪かったことは悪かったと認めて、
立て直して行くのが正道よ。それを神は求めているのよ。
779 :
名無しさん@1周年:01/10/17 01:56
ああ、それから、今時「孤児院」なんて
いわないよ。
780 :
Nanacy:01/10/17 02:28
正教徒Nanacyからちょいとご挨拶。
2ちゃんやyahoo、その他カトリックさんの諸掲示板を見て、
最近は当惑することばかりですが、ここはなかなか楽しい
ですな。
一部不評もあるようですが、Sylviusさんが主張されるとき、
Dzの典拠を示してくれてるので、参照しながら読めます。
Dzは、もちろんこういう公開の場で何か言うくらいのローマカトリック
信徒は皆さんお持ちで共通基盤にしてるんでしょ?
正教についても色々とご意見があり、参考になりました。
意見は確かに違いますが、ロスキーやクレマンをちゃんと読んでいる
Sylviusさんは、尊敬すべきです。
「アトスで修行・・」一本とられましたね。ですが、しばしばアトス
を訪れている方はいますよ。日本人修道士もいます。
「人生の指針はエニアグラムにではなく、諸聖人伝に求めるべきでございましょう。
ロレンツオ・スクポリ「心戦」や聖フランソワ・ド・サール「信心生活の入門」などの良書が」
これは全面賛成です!!
スクポリは邦訳があったのですか!!正教会でも、スクポリの正教版が聖人によって
編纂されており、ぜひ読んでみたい、と思っていたのです。
私個人的には、戸塚師訳のサレジオの「信心生活の入門」は好き。東方霊性ではありませんが
いいものはいいと思う。もちろん皆さんは既に読んでおられるのでしょう。
えにあぐらむ・・・なんで修道女がグルジェフ!の手法を宣伝せにゃならんのでしょうか。
あ、一つだけ、正教会はローマカトリックより「プロテスタント寄り」というのは
事実ではありません。WCCを共同で設立し、運営していることからでしょうけど。
使徒継承権のないプロテスタントとは、「相違」も「共通性」もありません。
「キリストを信じる兄弟」としての敬意はありますけどね。
一つ質問していいですか?
「下からのキリスト論」が一部で問題になってますが、Sylviusさん、
これはどうなんですか?というのは正教会にはその「下からのキリスト論」が
ないもので、皆目わからない、、、教えてください。
781 :
名無しさん@1周年:01/10/17 07:25
フランシスコ・サレジオの『信心生活の入門』は良いですね。
>Nanacy様
助け舟大変ありがとうございます。Dzはこういう議論の基本ですよね。
あと、ご参考になるような情報が提供できていれば嬉しいですが、まだまだ浅学の身ですのでどうかよろしくご鞭撻のほどをお願いいたします。
「下からのキリスト論」は不勉強でよく知らなかったんですが、言い出しっぺはカール・ラーナーですね。
現在のそれは、解放の神学や宗教多元主義の影響のもと、キリスト論を構築する出発点として(公会議による諸定義ではなく)「史的イエス」をもってする立場のようです。
どうもかなりやばいですね。
>>782補足
「下からのキリスト論」の代表的論客らしいRoger Haightはオルビスという左傾イエズス会系統の出版社から本を出してます。
これを本格的に検討する必要がいずれあるでしょうが、500ページのなかなか力作のようですね(藁)
また時間があればぜひやりたいと思います。
784 :
名無しさん@1周年:01/10/17 20:13
>Dzは、もちろんこういう公開の場で何か言うくらいのローマカトリック
>信徒は皆さんお持ちで共通基盤にしてるんでしょ?
持ってる人、いる?
異端ハケーン
教会の言う事に従っていたら間違いはないって感じだったし、
そんなものもつ必要もないという感じだったわね。
787 :
名無しさん@1周年:01/10/17 20:19
788 :
名無しさん@1周年:01/10/17 20:23
>>785 デッチンガーって何者よ。
日本語版あるの?
789 :
名無しさん@1周年:01/10/17 21:04
>>sylvius 人
(__)
(__)
``) ( ゜∀゜)
`)⌒`) /, つ
≡;;;⌒`)≡≡≡ぷC=(_(_, )
;;⌒`)⌒`) しし'
790 :
名無しさん@1周年:01/10/17 21:46
>>787 あれでは全然批判になっていないわな。
ナリは聖書学の知識なさ過ぎ(嗤
多分シルもデンツィンガーには詳しいが、聖書学の知識はナリとどっこいどっこいだろ。
あの程度の批判では百瀬に無視されるのが落ちだね。
なんであえて火中の栗を拾うような馬鹿をするのかね。ナリは。
791 :
名無しさん@1周年:01/10/17 21:50
Roger Haightが代表的な論客?
やっぱりシルはシルだな。
おとなしくデンティンガーとにらめっこでもしてなさい(嗤
テキスト・クリティックを有難がってるネオ・モダニストに対する私の回答は誤謬告発スレ(2)でヴィトゲンシュタインを引いて済ませてあります。
あと、Modernismを例によって
>>1の百科事典で引いてみてください。
ブルトマンの愛弟子ハインリッヒ・シュリヤーはカトリックに改宗したそうです。
プロテスタントであれカトリックであれ、教導権の教えを「反証」しようと試みる「聖書学」なんてそんなものです。
シルは人を不快にさせるの上手ねえ。
794 :
名無しさん@1周年:01/10/18 04:33
健全な教えに耐えられない人が多く成って来た。
時の終わりの印だよ。
795 :
名無しさん@1周年:01/10/18 04:46
人の子が来る時、地上に信仰を見出すだろうか。
ルカ18章8節
人の子が来る時、地上に信仰を見出すだろうか。
ルカ18章8節
人の子が来る時、地上に信仰を見出すだろうか。
ルカ18章8節
797 :
名無しさん@1周年:01/10/18 15:16
>>792 ハインリッヒ・シュリーヤーはたしかに戦後カトリックに改宗したが、現代聖書学の方法論を
放棄したわけではない。あの有名なマイヤーの批判的釈義に基づく聖書注解シリーズでも
ガラテヤ人への手紙の注解をシュリーヤーが担当している。それに改宗後も他のブルトマンの
弟子との交流を持ち続け、プロテスタント系の学術雑誌などへも論文を投稿している。それに
ブルトマンの神学に批判的なのはシュリーヤーだけではない。ブルトマンの他の直弟子の多くは
ブルトマン生前の頃からブルトマン神学に痛烈な批判を加えていたことは常識的な話し。
現代聖書学と現代神学の区別の違いもつかず、聖書学はブルトマンだと思い込んでいるようでは、
いくら百瀬に決闘を申し込んでも(藁、相手にされるわけないわなあ。
798 :
名無しさん@1周年:01/10/18 15:22
ゴキブリまみれのシルビウスさん宅に
またゴキブリが1匹………
>現代聖書学と現代神学の区別の違いもつかず、聖書学はブルトマンだと思い込んでいるようでは
はあ?
>>792のどこにそんなことかいてあるの?
あなたがそう思い込んでるだけでしょ。発言の趣旨をよく読もうね。前スレ読んでる?
>はあ?
>
>>792のどこにそんなことかいてあるの?
792のカキコに滲み出ている。
>>792補足
それと僕は
>>787の成相論文に対する態度表明をしてないよ。
論点を整理してもらえるかな。
802 :
名無しさん@1周年:01/10/18 20:07
正統的カトリックとそうでないものに分類して最終的にどうしたいわけ?
そうでないものにどうしてほしいわけ?
803 :
名無しさん@1周年:01/10/18 20:16
シルやナリやカツラのしかける議論は何の発展性もみられない堂堂巡り。好きにすれば。私は二度とこのスレは開かない。しかも前にも見たような議論を延々と繰り返して、出口がどこにもないんだもの。建設的じゃないよね。疲れた。
>>802 カトすれ7読んだ?
>>803 堂々めぐり?僕は
(1)カトリックの教義を前提としたらこういう結論が出るよん。
(2)前提となる教義は反証できないよん。
(3)信ずべき教義を受け入れない自称カトリックは異端だぴょん!
て言ってるだけだよ。明快じゃん!
805 :
名無しさん@1周年:01/10/18 21:39
シルヴィウスさんはこの板に来たばかりのころは
まじめで温厚な感じだったけど
最近はすっかりとげとげしくなったね。
みんなから嫌われて馬鹿にされて軽蔑されて
心が苦しいんでしょう。かわいそう。
しばらくインターネットから離れたらいいのに。
806 :
名無しさん@1周年:01/10/18 21:59
異端か正統かを判断するのは最終的には神のみ。
807 :
名無しさん@1周年:01/10/18 22:01
世界は常に変化し成長するのよ。その動きは誰にも止められない。
>>805 そうだね〜
登場当初からひどいこと言われつづけてるからね〜
でもやりたいだけ続けるよ〜
>>806 じゃあ、あなたは「ロゴスは被造物です」って言ってる自称カトリックを前にして、
「う〜ん、そうですね〜それはいわゆるひとつの神が判断なさることですね〜」
とか言えちゃうの?
じゃあ、おやすみ
すやすや
809 :
名無しさん@1周年:01/10/18 23:37
>>797 まったく同感です。未だにブルトマンの名を出して聖書学を批判してるなんて・・・。
H・シュリアー云々以前に、ローマ教皇庁立聖書研究所だけでなく、カトリックの
全ての聖書研究機関で歴史批判的方法を使ってるんだけど、ね。
「福音書の歴史性についての問題」だったっけな、1964年ころ出された公文書を
読んでほしいね。それがカトリックの公的立場なんだから。
時代背景の異なる古い文書だけに目がいってはダメですね。
810 :
名無しさん@1周年:01/10/19 01:54
シルさんの言ってることは正しいかもしれんが、言い方が
不味過ぎる。それは「神のなさることは人間にはわからない。」
という基本的な信仰が欠けているからなんじゃないか?
自分が知り、納得して信じている事柄のさらに上にあるものを信じる
のが信仰なんじゃないの?
そこがすっぽり抜け落ちて、人間の分際で神の正義の剣を振りかざす。
だから反感しか得られないのよ。
結局、もともとの保守主義者たちが「異端者」を「正義の剣」で血祭りにあげて
悦楽に浸っていたいためのスレだろう、と攻撃されるのよ。
まだ気付かないの?
暴漢に襲われて孕んだとする。
その子供を産むというのは決して人間の力だけでは考えられないし、
従い得ない。
ただ神だけがその力を与える権威と権能を持っておられる。
しかし、「予め何を言おう、と考えるな。そのときに聖霊が力を
与えてくださる。最後まで耐え忍ぶものは救われる。」との御言葉通り、
天国に招かれたいと願い、希望し、従おうと努力している限り、
神は決して人間を見捨てることがおできにならない。
くらいしか結局のところ人間には言えないんじゃないの?
人間の不幸は将来の不確実性であればこそ、キリシタン迫害史において
「転び」が発生しているし、「まさか、この人が転ぶなんて」
ということも実際にはあるのだから。
それはシルさん、あなたも例外ではないのですよ。
人生の旅路において、ある程度神からの試練をかいくぐってきた「大人」
は将来はともかく、一瞬一瞬の自分の不確実性をも知っているから
「神のなさることは分からない」と謙虚にもなれるし、ものの言い方
をも知っているのだよ。学生のあなたには、まだ分からないことだろうけど。
811 :
名無しさん@1周年:01/10/19 02:15
ああ
>、「予め何を言おう、と考えるな。そのときに聖霊が力を
>与えてくださる。最後まで耐え忍ぶものは救われる。」と
>の御言葉・・・
「いと高きところからの力に覆われるまで、エルサレムで待ちなさい。」
エルサレムは預言者を殺し、神の子イエスまで殺された、悲惨の地。
十字架のある場所。他でもなく、そこで待ちなさい、との御言葉は
希望に満ちて、深いと思う。人間の度量を超えた試練も乗り越えて
行ける希望がわくよね。神に従うことがこの世的にはマイナスでも
自分の十字架を取って従っていこう、って思う。
アーメン。
>>809 >>792と前スレの発言をちゃんと読んでいただけますか。
>教導権の教えを「反証」しようと試みる「聖書学」
を批判したんですよ。帰納的方法によって結論を出す学問が、教導権の教えに反するような結論を出したとしても、そんなものは反証とはならないということを前スレで言ったんです。
信仰に矛盾しない聖書学について前スレの発言はなんら否定していません。もう一度見てください。
>>809 前スレの当該発言で僕はリチョッティを引いて推薦してるよね。
リチョッティのあの本は、なあるほど1950年代の本だけど、だからといって彼は「聖書学者」ではないわけ?
それにいくら僕が聖書学ドシロートでも(それは進んで認めるよ(笑))カトすれ7で引用したとおりエンデルレの注解書ぐらいは読んでるし、New Jeromeも持ってるよ。
これって「聖書学」じゃないわけ?
SCIENTISTS MAY HAVE FOUND ST. LUKE’S SKELETON
ITALY- Scientists have found a body buried in the church
of Santa Giustina in the Italian town of Padua.
After much testing it has been determined that it could
be the body of St Luke the Evangelist, who died around
the year 150 AD.
A genetic analysis of the skeleton entombed in the church
is being done. The scientists who did DNA tests on the
teeth of the skeleton believe the man was probably born
in Syria,
the birthplace of Luke, who wrote the Third Gospel of the
New Testament. The Catholic Church asked the scientists,
led by Guido Barbujani of the University of Ferrara, to
examine the body because of doubts over its provenance.
St Luke was a native of Antioch, the metropolis of Syria,
a city famous for its learning and wisdom.
It was from here, St. Luke acquired a stock of learning
in his younger years, which we are told he improved by
his travels in parts of Greece and Egypt.
St. Luke was crucified at Elaea in Peloponnesus near Achaia.
The modern Greeks tell us he was crucified on an olive tree.
His body was supposed to have been moved to Constantinople,
now Istanbul, in Turkey, before being taken to Padua some time before 1177.
However, scholars have wondered whether the body in Padua
was of a Greek man who died at about the time as Luke.
This would not have been an unusual fraud in a time when
there was a thriving trade in saintly relics.
Dr Barbujani's team concluded that the body was three times
more likely to be of Syrian origin than Greek, and was
probably not switched with a Turkish corpse in Constantinople.
The study, published in the Proceedings of the National
Academy of Sciences, extracted mitochondrial DNA – which
is maternally inherited – from a pair of teeth independently
dated as belonging to a person who died between AD72 and
AD416.
The scientists compared the DNA signature with present-day
people living in Greece, Syria and Turkey to find the closest
match and therefore the most likely birthplace of the Padua
skeleton.
>>809 念のため言っておくけど「テキスト・クリティックをありがたがってるネオ・モダニスト」っていうのは、聖書学を利用して教会の教導権の教えを反証しうると思ってる面々のことを言ってるんだよ。
聖書研究において本文批評するなとかアホなこと言ってるんじゃないよ。(大藁)
前スレの発言ちゃんと読んでね。
819 :
通りすがり:01/10/19 10:42
汁さん。あんた読者をバカにしてるだろう。
>790
>ナリは聖書学の知識なさ過ぎ(嗤
>多分シルもデンツィンガーには詳しいが、聖書学の知識はナリとどっこいどっこいだろ。
>あの程度の批判では百瀬に無視されるのが落ちだね。
この発言に汁さんがこう反応したんだよね。
>792
>ブルトマンの愛弟子ハインリッヒ・シュリヤーはカトリックに改宗したそうです。
>プロテスタントであれカトリックであれ、教導権の教えを「反証」しようと試みる「聖書学」なんてそんなものです。
で、797さんや809さんから、聖書学の大切さを指摘されると
>813
>信仰に矛盾しない聖書学について前スレの発言はなんら否定していません。もう一度見てください。
と言って、自分も聖書学を学んでいることを偉そうにひけらかすのかい?
じゃあ、>790に対して>792は何を言いたかったわけ?あほらし。
汁さんは、何か高度なことを言ってるようだから期待して読むけど、結局がっかりすると同時に腹が立つんだよね。そんなふうに読者をバカにして楽しいかい?
820 :
名無しさん@1周年:01/10/19 10:56
Sylviusさん、質問なんですけど、
洗礼を受け、信仰生活をしていくうちに、
天国での功績も増え、成聖の恩恵も増すのですが、
大罪を犯すなら、功績も恩恵も全て失いますよね、
それで、告解するならば、前に持っていた全ての
天国の功績、成聖の恩恵を取り戻す事が出来るのですか、
それとも全てではないのでしょうか。
>>819 ナリに傾倒して保守派に走る若い人には
そういう性格の人が多いらしいよ。
822 :
名無しさん@1周年:01/10/19 13:16
>信仰に矛盾しない聖書学
それでは唯物史観と同じレベルだね。
信仰と学問の区別がつかないの?
>エンデルレの注解書ぐらいは読んでるし、New Jeromeも持ってるよ。
持つだけなら、金さえ払えば誰にでも出来るって(藁
>>809 信仰に矛盾しない聖書学というのは、ピオ10世時代の話しだね。
聖書委員会なるものをつくって聖書学者を監視し弾圧した時代の話しね。
シル先生の聖書学というのはどうも20世紀初頭のものらしい。
823 :
名無しさん@1周年:01/10/19 13:28
>821
てゆーか、そういう歪んだ性格になるんだよ。毎日毎日
誤謬だ罪だ異端だ破門だ地獄だって他人を裁いてると。
たぶん顔つきも変わってくる。声も変わってくる。
どんな教えを受け入れるかで人間は変わってしまうものだ。
824 :
名無しさん@1周年:01/10/19 13:29
日本人の一パーセントでしかないカトリックですら中絶についてこれほど争いがあるのだから、日本の国で中絶が重要な論点になることなんかありえなそうだね。
>>824信者一般には、中絶は良くないものということは分かっているのよ。
これは、みんながみんな言う事よ。
だって、子の否定・天からの最大の贈り物への否定・
自分や愛する人の体が傷つくことは、常識的に知っているもの。
しかし、母体の危険など止む得ない事情や
強姦されて子供を受け入れられなくてやってしまった場合、
誠心誠意を持って告解すれば、神様は許して下さるはずなのよ。
それと引き換えに、その母親は一生苦しむ事になるんだから。
それを許されないからと断罪してしまうようでは、
人間は神の子ではなく、神の奴隷という事になるのよ。
もし奴隷なら、きちんと奴隷であると再定義すればいいのよ。
子である人の定義が「子であり奴隷である」ならね。
まぁ、これは虐待を是とする親の言い分に多いけどね。
少なくとも、イエズスが人に伝えた天の御父は
そのような方ではないというのが、聖書で語られる世界だけど?
そこのところは、カトリック正統派の理解ではどうなのかしらね?
826 :
名無しさん@1周年:01/10/19 17:57
聖グリニヨンドモンフォールは聖母の「奴隷」という表現を使いましたが(藁)
あのねぇ、人間なんて創造主からしたら、別に消えてなくなってしまってもいいんですよ。
神が人の罪を許すのは、全く神の恩寵であり、憐れみであって、人間の方から神に罪の許しを要求する権利なんてこれっぽっちもないんですよ。
神がその気になったら、根気のない子供が組み立てに失敗したプラモデルをぶっ潰すように、わたしたちはお陀仏なんですよ。
そういう意味では人間なんぞ、所詮はイエズス様の奴隷なんですよ。
人間が兄弟といわれるのは、イエズス様に繋がっている限りにおいてなのですよ。
神が定めた掟に従わない人は神を愛していないという言葉をご存じないのですか。
神を愛するならば神が作られた掟は全て守るはずですし、神が建てられた教会の掟にも文句は言わない筈なのです。
あなたたちは神が定めた掟や教会の掟を自分達に都合の良い例外を持ち出すことによって拒否している。つまり、神の愛を拒否しているのですよ。
地獄とは自分達から神の愛を拒否して逝く所なんですよ。
おめーみたいな神の言うことなんて聞いてられっかよ、地獄とはこれですよ。
だから自分達からあなたたちは地獄に逝かせてくださいと言っているんですよ。
827 :
名無しさん@1周年:01/10/19 18:15
>おめーみたいな神の言うことなんて聞いてられっかよ
誰がそんなこと言ってるの?
書き込み番号書いてよ。
それと、ここはカルト宗教の布教の場ではないよ。
もしかしてスレ違いなんじゃない(ワラ
>>826 成相神父様が「名無し」でカキコしてたりして………。
829 :
名無しさん@1周年:01/10/19 18:37
>ここはカルト宗教の布教の場ではないよ。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 馬鹿犬発見!! オマエガナー 逝って良し!!
>>827 ( ) \___________
| | |
(__)_)
にわかにスレが繁盛してまいりましたな。
>>822様
二重真理説、でございますか?
>>820様
「全て」かどうかは、ややこしい問題ですな。とりあえず神学大全第三部第八十九問全体を見ていたいただければと。
仕事中なのでまだ後ほど。
831 :
名無しさん@1周年:01/10/19 18:43
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< そろそろスレ更新な。馬鹿犬には容赦せんよ、宜しく!>シルビウス
( ) \___________
| | |
(__)_)
833 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:21
馬鹿犬、馬鹿犬と
それしか言えないんですか?
スレ下がってますよ。
834 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:40
>>829-832 あのさあ。
2〜3分ごとに「シルビウス」と「名無し」が交互に出てきて
名無しがシルに「宜しく!>シルビウス」。これは洒落にならんぜ。
あんた、こういう自作自演を書いてて、自分で自分が情けなくないか?
835 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:50
834の犬はワンワンしか言えんが834のヴァカ犬は自作自演しか言えんらしいな。
犬は犬らしくテーブルから落ちたパン屑でも喰っていろ。
836 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:54
>>833 馬鹿犬相手に内容なんて無理でしょうに…
また、オナニースレにするの?
837 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:57
>>835 切れてますよ。ぷっつーん、てね。数字も間違ってるし。
しばらく、インターネットから離れることをお勧めします。
838 :
名無しさん@1周年:01/10/19 19:59
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエ、スレ違いだろが、ボケ!!
>>837 ( ) \___________
| | |
(__)_)
839 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:03
今日はカトリック保守過激派の敗北宣言の様相
840 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:10
>>794同意!
健全な教えに耐えられない人が多く成って来た。
時の終わりの印だよ。
841 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:11
原理主義のどこが健全なんですか?
842 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:13
仕方がないよな。
バカ犬が出てきたんなら。
843 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:15
主よ、早く裁きの日がきますように。アーメソ。
844 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:16
>>794 同意!!
健全な教えに耐えられない人が多く成って来た。
時の終わりの印だよ。
> 子供たちよ。終わりの時が来ています。
> 反キリストが来ると、
> あなたがたがかねて聞いていたとおり、
> 今や多くの反キリストが現れています。
(一ヨハネ2:18)
終わりの時が近いですね。
846 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:32
バカ犬のせいで終るのか・・
847 :
名無しさん@1周年:01/10/19 20:53
主よ、異端と異教徒を一刻も早く、
一人残らず、
滅ぼして
地獄に突き落として
ください。
彼らの腐臭を放つ肉のひとかけらすら残さないでください。
主よあなたの栄光を現してください。
> 兄弟に「ばか」という者は最高方院に引き渡され、
> 「愚か者」と言う者は火の地獄に投げ込まれる。(マタイ5:22)
> 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)
保守原理主義の勉強会は、信徒に何を教えているのでしょうか
恐ろしいことです。。
「バカ犬」とか、異端を地獄に突き落としてくださいとか。
こんな心で裁きの日を待ち望むとは・・・。
849 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:05
終わりの日、もうすぐ来るよと、二千年。
850 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:07
終わってるのはお前らだよ。原理主義者
851 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:13
原理主義だっていいじゃない、クリスチャンだもの。みつを。
852 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:14
847は異端者が書いたもの、
正統信仰者の立場を悪くするために。
腹黒いなー。
853 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:15
イエス・キリストの本音を聞きたい
854 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:17
>>830 >二重真理説、でございますか?
全然違う。聖書学と言うと、バカのひとつ覚えみたいに二重真理説(藁
原理主義者にはなに言っても仕方ないみたいだな。
>>847様
異教徒・異端者のためにはその滅びではなく改心をお祈りいたしましょう。
858 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:19
>854
私は復活であり命である。
859 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:20
860 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:20
>>858 それじゃあ復活するまで待ちましょうか。
861 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:23
>860
あなただけ知らないのー
2000年前に復活したんだよ。
863 :
名無しさん@1周年:01/10/19 21:40
>>861 あら再臨の話しかと思った。
じゃあ、イエス・キリストの本音ってなにさ?
話し繋がるの?
>>820様
Tanquerey,Manual of Dogmatic Theology(DESCLEE)vol.2,p.320を見ますと、スアレスその他の著作家とともに功績は「全て」回復するという見解を採用しております。
バカ犬の尻拭いに奔走するSylvius いとおかし。(はぁ…
>>820様
>>1の百科事典のpenanceの効果のところを見ても、スアレスの見解が一般的であるとなっております。
868 :
名無しさん@1周年:01/10/19 23:33
>863
>死人に口なし。と言ったね、
反対に質問、
再臨と思ったなら、
死人がどのように再臨すると思ったの?
855さん。たいへん博識な方とお見受けしました。
>>855 > 原理主義者にはなに言っても仕方ないみたいだな。
まあそうですが、私たち普通の信徒にとっては、貴兄の発言は
とても勉強になります。これからもよろしくお願いします。
870 :
名無しさん@1周年:01/10/20 00:51
>>868 イエスの本音が知りたい
↓
死人に口なし。イエスの本音はもう聞けない。
↓
イエスは再臨するよ
↓
そ。じゃあ、再臨したらイエスの本音が聞けるのね。
という流れだと私は理解していたが、なにか?
871 :
名無しさん@1周年:01/10/20 00:54
>>870 自分が生きている間に再臨するとは限らない。
50億年後かもよ。
872 :
685及び810及び・・:01/10/20 01:35
だからさー。強姦でも、堕胎は罪だって頭では理解したといってるじゃん。
でも、あんたたちのようなお子様とちがって、強姦で堕胎した人を責めないわよ。
あたしは。
人の痛みを考えるからね。だいたいシルは「孤児院に寄付してます。」
なんて言ってるけど、今時「孤児院」なんて誰も使用していないということすら
しらないということは、社会に無関心な閉ざされた霊性なんじゃないか?
まぁ、神のなさることはなんでも知ってる神の代弁者のシルさんたちに
伺おう。私が悶々と悩みつづけている疑問だ。
>義とされた人は、掟を守る義務から免除されていると考えてはならない。
>義とされた人にとって、神の掟を守ることは不可能なことであるという
>ような軽率なことを言ってはならない。
世の中には知恵遅れや、前頭葉が全くないという障害を抱えた人がいる。
神は全ての人を救いに導くというが、聖霊を与えられない限り、
天国にはいけない。
彼らは堅信を授けてもらえない、ということは義とされることも
ないだろう。全ての人間というカテゴリから外された人たちだ。
何故、神はこのようなことを許されるのか。
簡潔に教えてくれ。
873 :
名無しさん@1周年:01/10/20 01:45
2人の人が祈るために神殿に上った。・・・堕胎を行なわなかった人は立って、
心の中でこのように祈った。『神様、私は他の人たちのように、奪い取る者、
不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この堕胎を行なった者でもないこと
を感謝します。私は週に2度断食し、全収入の10分の1を捧げています。』
ところが、堕胎を行なった者は遠くに立って、目を天に向けようとせず、胸を打ちながら
言った。『神様、罪人の私を憐れんで下さい。』言っておくが、義とされて家に
帰ったのは、この人であって、あの堕胎を行なわなかった人ではない。
874 :
名無しさん@1周年:01/10/20 01:58
>>873 ばかじゃねーの。
罪を正当化すんなよ。
875 :
名無しさん@1周年:01/10/20 01:59
続編のスザンナって、神さまのお計らいで
強姦されるの免れるね。
あぼーん
>>872様
堅信は恩恵の増加のために与えられる秘跡であって、受けられない人間は義化されえない、ということはありえません。(Dz1311)
悪の問題はカトすれ7で済ませているのでそちらをご覧下さい。
聖書の解釈を、教導権の教えに矛盾するような形でなすことは当然許されていません。
「誰一人として、キリスト教の教義に関係がある信仰と道徳について、自分個人の判断に頼ってはならない。また聖にして母なる教会が昔から支持し、今も支持している聖書の解釈に反して、自己流に解釈してその意味を曲げてはならない。
聖書の真の意味と解釈を判断するのは教会の職務だからである。また、たとえそれが一般に公開されないものであっても、教父たちの一致した意見に反した聖書の解釈をしてはならない。」(トリエント公会議。Dz1507)
この大前提を受け入れない自称カトリックは、その事実自体によって自動破門です。
879 :
名無しさん@1周年:01/10/20 06:08
>>870 あなたは、860で再臨を肯定している、
だから、あなたの頭の中で、
死人のままのイエスと再臨が
どうつながっているのか聞いたんですよ。
聖書研究に関する教会の公文書をまとめておきましょう。
教皇レオ十三世回勅「Provudentissimus Deus」(1893年11月18日)
教皇ピオ十世自発教令「Praestantia Scripturae」(1907年11月18日)
教皇ベネディクトウス十五世「Spiritus Paraclitus」(1920年9月15日)
教皇ピオ十二世回勅「Divino afflante Spiritu」(1943年9月30日)
教皇庁聖書委員会「福音書の歴史性について」(1964年4月21日)
第二バチカン公会議教義憲章「Dei Verbum」(1965年11月18日)
教皇庁聖書委員会「教会における聖書解釈」(1994年3月18日)
なお、CCCの関連箇所は51〜141です。リンクは
>>247です。
「信仰」と「学問」の間に矛盾が起きるし、起きて当然という二重真理説については以下を読みましょう。
「信仰は理性を越えるものであるが、信仰と理性との間に矛盾はありえない。
奥義を啓示し、信仰を与えるのと同じ神が、人間の精神に理性の光を与えたのである。しかし、神が自分自身を否定したり、真実が真実に矛盾したりすることは絶対にありえない。
このような矛盾は、教会の精神に従って信仰の教義を理解し解釈することをしなかったり、または学問的根拠のない説を理性による確実な結論であると思うことから起こるのである。」
「・・・したがってすべてのキリスト信者は、信仰の真理に反するような種々の意見、特に教会から非難された意見を、あたかも正しい学問の結論であるかのように弁護することを禁じられる。
むしろそれらの意見を、真理の衣をつけた誤謬であると考えるべきである。」
(第一バチカン公会議。Dz3017,3018)
これらの大前提を受け入れない自称神学者、自称聖書学者はその事実自体によって自動破門です。
>信仰虚弱さん
あなたには次の聖句を読んでいただくことがふさわしい。
「(パウロの手紙は)・・・いくつかの難しい部分を含んでいて、無学で心の定まらない者たちは、・・・それをねじまげて解釈し、自らの滅びを招いている。」(2ペテロ3:16)
教皇庁聖書委員会「教会における聖書解釈」(1994年3月18日)から少し引用させていただきましょう。
「カトリックの聖書釈義学を特徴づけることは、それが自らを教会の生ける伝統の中におくということである。」
「自らを意識的に信仰から切り離し時としてそれに対立しさえした学問的方法と伝統的釈義との間の当初の対立は、確実に有害なものであった。」
>>884にもう少し追加。
「聖書そのものがその証人である偉大なる伝統への忠誠によって、カトリックの聖書釈義学は・・・「神学的ディシプリン」としてのそのアイデンティティを保たなければならない。そしてその第一の目的は信仰の深化である。」
信仰と矛盾する自称「聖書学」など、カトリックには不要かつ不可能です。
>>885 >信仰と矛盾する自称「聖書学」など、カトリックには不要かつ不可能です。
それおまえだろ(-_-)
このスレッドも、多くの識者の方々のおかげで、そろそろ結論が出たようですね。
Sylviusという人に代表される保守原理主義者の決定的な問題点を、私は
>>736で
書いておきましたが、それに対する反論は結局、
>>739-740程度しかないようです。
2000年間の教会の歴史の中で出された公文書は膨大であり、その多くは
「デンティンガー文書集」として邦訳されていますが、書かれた時代背景やその
意図・目的に関する邦訳の研究は不十分です。
保守原理主義者はそこに目を付けたのでしょう。その公文書のごく一部を
恣意的に取捨・選択し、書かれた時代背景や執筆意図、前後の文脈を無視して巧みに
つぎはぎ引用し「これが正統教義だ」と言えば、シロウトをだませる。
しかし、そんなものは、まともな神学者からは誰にも相手にされないのです。
成相とかいう神父さまがホームページで何を書いても黙殺されるのはそういうことです。
「異端は死刑にするのが唯一の愛徳」などと、キリストの教えと正反対なことを
言い出して、「それが教導権の教えです」などと言って恥じない。
そのカラクリもそういうことです。
よく、プロテスタント福音派に対して「聖書を偶像崇拝している」という批判が
言われます。カトリック保守原理主義者は、なお悪質です。膨大な公文書の山から
ごくごく一部分だけ取り出し「さあこれを偶像崇拝しなければ破門で地獄行きだ」と
脅迫する。こんなカルト宗教的な教えは、一切黙殺して構いません。
>信仰虚弱さん
あなたって本当に懲りない人だね(笑)
889 :
名無しさん@1周年:01/10/20 10:49
シルへ
「他人の重荷に指一本触れようとしないあなたがた律法学者は不幸だ。」
890 :
名無しさん@1周年:01/10/20 10:51
>>887 >その多くは
「デンティンガー文書集」として邦訳されていますが、書かれた時代背景やその
意図・目的に関する邦訳の研究は不十分です。
日本の研究者や神学者に対する侮辱じゃないですか?
背景を詳しく知りたいなら教会史を調べればいいわけで、各文書に関連する
書物はまず必ずと言ってよいほどみつかります。
>>887の論旨は
>>736のヒステリックな繰り返しにすぎないよ。
そして僕が「僕が教導権の教えを歪めているというのなら明示して見せてよ」って言っても、そんなことは何にもできないよね、あなたは(笑)
892 :
名無しさん@1周年:01/10/20 10:54
異端者を殺してもいいのですか?
だいたい僕が日本語しか読めないとでも思ってるのかな?
教会史を知らないとでも?
>>892 異端死刑問題はもうカトすれ7ですんでるよ。
信仰虚弱氏のミスリーディングな要約じゃなくてそっちを読んでほしいね。
895 :
名無しさん@1周年:01/10/20 10:57
>教会史を知らないとでも?
チェーザレ・ボルチモア司教の父親は
誰ですか?
チェーザレ・ボルジアのほうが一般的。
>>887 >> 「デンティンガー文書集」として邦訳されていますが、書かれた時代背景やその
>> 意図・目的に関する邦訳の研究は不十分です。
>>890 > 日本の研究者や神学者に対する侮辱じゃないですか?
侮辱ではありません。新約聖書学に比べれば不十分だと言っているだけです。
新約聖書のそれぞれの文書が書かれた時代背景や年代、執筆意図は、
聖書学で相当な部分が明らかになっています。翻訳も非常に正確です。
だから、カルト宗教が聖書を使って信者をだまそうとしても
最近はうまくいかないのではないでしょうか。
代わりにデンティンガーを持ち出すとは、いい所に眼を付けたと思いますよ。
898 :
名無しさん@1周年:01/10/20 11:29
>続編のスザンナって、神さまのお計らいで
>強姦されるの免れるね
じゃあ、暴漢に襲われるのは神の罰?
やっぱりシルは不安神経症なんだな。俗に言う潔癖症ってやつ。
一度真剣に自分の問題に向き合え。>シル
900 :
名無しさん@1周年:01/10/20 11:38
チェーザレ・ボルジア司教の父親は誰ですか?
>897
>だから、カルト宗教が聖書を使って信者をだまそうとしても
最近はうまくいかないのではないでしょうか。
では、いまだに統一教会やモルモン・エホバの証人が信者を保有しているのは
どういうことですか?
デンツィンガーは教会の公式文書資料集ですよ。
カトリック信徒がデンツィンガーから学んで何が悪いんですか?
902 :
名無しさん@1周年:01/10/20 12:47
>信仰と矛盾する自称「聖書学」など、カトリックには不要かつ不可能です。
なら、現在二重真理説をとっているカトリック聖書学者の名前を挙げてくれ。
903 :
名無しさん@1周年:01/10/20 14:08
誤謬説や腐敗を正していくのは正しい行為である。
しかし、やり方には注意が必要であろう。
「彼は巷に声を響かせず、折れかけたアシを切らず
消えかけた蝋燭の火をけさない」だったんじゃないかな?
神さまのなさり方って。
シルのやり方は折れかけたアシに自動破門と脅迫し、
消えかけた蝋燭をいじくり追いまわさして消す。
信仰虚弱さんだって、誰だって
>>信仰虚弱さん
>あなたには次の聖句を読んでいただくことがふさわしい。
>「(パウロの手紙は)・・・いくつかの難しい部分を含んでいて、無学で心の定まらない者たちは、
>・・・それをねじまげて解釈し、自らの滅びを招いている。」(2ペテロ3:16)
なんて言われたら、神=シル。なんだ、神ってシルみたいなヤツなんだ、
とガッカリして教会から去る人もいると思うよ。
シルさん的には、神の意見は自分と同じで、神さまがシルを全面的に応援して
いると思ってる?
904 :
名無しさん@1周年:01/10/20 14:12
どんな馬鹿でも神と特定の人間を同一視するほど馬鹿じゃないのでは?
へんな言いがかりばっかり。
905 :
名無しさん@1周年:01/10/20 14:13
>>903 続き。先の引用は「神の教えや誤謬に染まっていない
正当信仰は、無学で心弱い人には理解し得ず、捻じ曲げて
解釈し、無学で心弱い人は滅ぶ。」
と信仰虚弱さんを愚弄しているようにしか見えないよ。
906 :
名無しさん@1周年:01/10/20 14:19
信仰虚弱さんは、どう見ても、無学で心弱い人には見えない。
907 :
名無しさん@1周年:01/10/20 14:31
>それをねじまげて解釈し、自らの滅びを招いている。(2ペテロ3:16)
異端者さん滅んでもいいの?
あぼーん
>>895 塩野七生ファン?くだらないクイズにつきあうつもりはないよ(笑)
>>902 >>822さんは、聖書学の結論は信仰と矛盾してよいって言ってるんじゃないの?
この人が実例だよ。二重真理説と呼ぶかどうかは言葉の問題。
>>900 一応お答えしますとアレキサンデル六世です。
912 :
名無しさん@1周年:01/10/20 15:58
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< なあ、オマエらが異端呼ばわりして、心壊した人間いなかったか?
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 後は、しらんぷりで口汚く排除…、いい加減にしろ!!
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエらじゃ、彼に「救い」の道は無理だろう!! 生理的嫌悪のみ。
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 今度は「救い」の道を見せたシルビウス叩きかよ。みっともねぇな。
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエら、マジで逝ってよしだな。あはははははは。
( ) \___________
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(__)_)
913 :
名無しさん@1周年:01/10/20 16:15
●カルトの見分け方
カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。
これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。
必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、
カルトと考えて差し支えないと思います。
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える
http://www.host.or.jp/user/church/what'scult.htm より
おい、シル。全部当てはまるんじゃない?
914 :
名無しさん@1周年:01/10/20 16:31
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< シルビウスはバカ犬みたいにカルト思想じゃないよ。
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< シルビウスは未だかつて人を裁いたことなんてないだろうね。
( ) \___________
| | |
(__)_)
このウザいモナーはシルの書き込みだよ〜ん
ここを見ると分かるよ。恥ずかしいよね〜(藁
>>829-834
916 :
名無しさん@1周年:01/10/20 16:53
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< おいらがシルビウス? 勘違い晒すなボケ!!オマエはバカ犬か?
( ) \___________
| | |
(__)_)
917 :
名無しさん@1周年:01/10/20 16:57
汁よ。叩かれてくやしいからって
あっちこっちのスレにモナーコピペして荒らすな。
みんな迷惑してるぞ。ここだけにしておけ。
918 :
名無しさん@1周年:01/10/20 17:02
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オナーニに耽るイエスちゃんを崇めてなんかないんだよな、これが…
( ) \___________
| | |
(__)_)
>>910 822はオレだよ(大藁
あなた全然わかってないね。
だからカトリック聖書学者で二重真理説を支持してる先生の名前を挙げてくれよ。
あんな偉そうに聖書学はどうのこうのとぬかすんだから、当然二重真理説に傾倒しているカトリック聖書学者の
大物の名前のひとつかふたつくらい挙げるのわけないだろ?
920 :
名無しさん@1周年:01/10/20 17:27
921 :
名無しさん@1周年:01/10/20 17:41
>915 >919
カトリックの面汚しシルビオス
922 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:13
シルビウスさん、俺さんみたいになっちゃったの?
かわいそう。いつかこうなると心配してたのに。
シル、たまに必要以上に手を洗ってしまったりしないか?
本当はそんなことしたくないのに。
蛇口も必要以上にきつく閉めて、何度も確認しなければならない
という事はないか?
悪い事は言わないから、いちど心療内科等に行くのも
いい事だぞ。
924 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:29
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエらちょっとは勉強しから抜かせ!!
>>922-923 ( ) \___________
| | |
(__)_)
925 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:33
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 裁くな、裁くなといいつつ、いつのまにかオマエらが裁いてるのでは?
>>922-923 ( ) \___________
| | |
(__)_)
926 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:35
927 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:45
>926
的を射てるか?
異端とか破門とか言うのが裁くことだろ。
何言ってるんだ、こいつ。
Sylさん向けの発言に
何で「名無しさんモナー」がレスするの?
Sylさんが「名無しさんモナー」に進化したの?
ポケモンみたい。
かわいくなったYO!
929 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:52
>927
言えてる。
シル応援団はオツムが弱いのかね。
930 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:53
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´_ゝ`)<
>>926ふーん
( ) \_____
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< よく聞けば、「異端」「破門」で裁いてないんだよ。シルビウスは、
>>927 ( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 人としてできる忠告と同胞愛みたいなもんだよ。>シルビウスの「異端」「破門」
( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 裁くのを完全に神に任せきってるフシが、シルビウスにはある。
( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 保守系の裁きたがる教義に惑わされず、シルビウスの意見を聞いてごらん。
( ) \___________
| | |
(__)_)
931 :
名無しさん@1周年:01/10/20 18:58
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 保守と共存できる可能性をシルビウスは提示してるからな。
>>928 ( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 罪は罪で神に罰せられるけど、人を憎まず。改心を祈る。
( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 保守系の教えで十分に聞けるものになってんだよ。>シルビウスの主張
( ) \___________
| | |
(__)_)
>>822様
「信仰と矛盾する」「聖書学」をやっているカトリックの「聖書学者」?
そんな人はおられませんな。やった瞬間に自動破門ですからな(大藁)
933 :
名無しさん@1周年:01/10/20 19:28
>>927 異端とか破門というとどうして裁くことになるのだろう?
注意を促していると受け止められないのは、シルビウス氏
の言葉が自分にふりかかってくるように感じるからか?
934 :
名無しさん@1周年:01/10/20 19:35
>>929 シル応援団はオツムが弱いのかね。
てゆか、全部シルの自作自演だろ、このウザイAAも。あほらし
935 :
名無しさん@1周年:01/10/20 19:38
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ちょっと深読み、勘ぐりのしすぎだぞ。。
>>933 ( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 「自分の信仰をしっかり持つこと。それが一番大切」ぐらいで。。
( ) \___________
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(__)_)
936 :
名無しさん@1周年:01/10/20 19:48
>934
もう一人、ナリーが名無しで書き込んでるかもね。(爆藁
937 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:17
>>933 >異端とか破門というとどうして裁くことになるのだろう?
>注意を促していると受け止められないのは、シルビウス氏
>の言葉が自分にふりかかってくるように感じるからか?
なに偉そうに書いてるんだよ。
シルの言ってるのは
「壺を買わなければ地獄に落ちます」と同列なんだよ。
そういうのを「カトリックの正統教義です」とか書かれると
こっちが恥ずかしくなるんだよな。
938 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:30
地獄に落ちたっていいじゃない。異端だもの。
みつを
939 :
モナーがウザイからコピペするよ:01/10/20 20:32
915 :名無しさん@1周年 :01/10/20 16:47
このウザいモナーはシルの書き込みだよ〜ん
ここを見ると分かるよ。恥ずかしいよね〜(藁
>>829-834 834 :名無しさん@1周年 :01/10/19 19:40
>>829-832 あのさあ。
2〜3分ごとに「シルビウス」と「名無し」が交互に出てきて
名無しがシルに「宜しく!>シルビウス」。これは洒落にならんぜ。
あんた、こういう自作自演を書いてて、自分で自分が情けなくないか?
>>939 シルももう末期的だね。妄想で誰か殺さなきゃいいけど。
941 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:45
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 疑心暗鬼は身体によくないぞ。。
>>939-940 ( ) \___________
| | |
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 本当にシルビウスの自作自演と思ってるなら、ヤバいよ。。
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< そんな妄想は悪魔に魅入られたバカ犬だけで十分じゃないのか?
( ) \___________
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(__)_)
942 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:46
確かにうざい。
>>930 馬鹿犬、馬鹿犬とわめいてたあんたが、
同胞愛を語ったってだめじゃん。
943 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:48
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< え〜、恥ずかしい〜 おいらに同胞愛を求めるなよ。ヨゴレ役なのに…
( ) \___________
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(__)_)
944 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:51
確か、俺氏の末期もこんな感じだったよね。
心と宗教板に常駐するカト信徒にケンカを売るとこうなるという見本がまた一人...................
945 :
名無しさん@1周年:01/10/20 20:55
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 結局、それが「裁き」になってしまうんじゃないの?
( ) \___________
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∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 「名無したん」「マリア」「俺」と、「貴方」との違いって、な〜に?
( ) \___________
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(__)_)
946 :
名無しさん@1周年:01/10/20 21:06
>>935 カトリックの信仰ってのは、自分ひとりじゃ成り立たないもんだろ?
キリストが頭としていて、信徒はみなキリストの体の一部だ。
自分の信仰だけしっかり守ればOKなんて言っていれば、どこに
隣人愛があるんだ? キリストはなんのために「教会」を建てたんだ?
教会を通して人類全体を救うのがカトリックの信仰だろ?
947 :
名無しさん@1周年:01/10/20 21:13
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 自分の信仰てのは、教会に教えを大切にしてる「貴方の心」のことだよ。
( ) \___________
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(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< シルビウスに左右されることなく、自分の信仰生活を大切にってこと。
( ) \___________
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∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ほんで、シルビウスなんかとも楽しく話せればいいよね。
( ) \___________
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(__)_)
948 :
名無しさん@1周年:01/10/20 21:20
おいっ、シルビウス。
ええかげんにせいよ。
あしたは日曜日なんだからな。
みんな早く寝なくちゃいけない。
そろそろモナーのぬいぐるみ脱いで
出てきてまじめに話せよ。
950 :
名無しさん@1周年:01/10/20 21:29
________________
( ̄) ̄) /| /
(∧_∧)⊃<●| < そんじゃあ、モナーは退散するね。ばはは〜い!!
( ´ ー`) \| \_________________
∪
∧
/●\
 ̄ ̄ ̄
kotti datta Yo!!
952 :
ふらんちぇすこ:01/10/20 21:35
どーでもいいが、そろそろ新しいスレ立てろよ。
>おいっ、シルビウス。
>ええかげんにせいよ。
>あしたは日曜日なんだからな。
>みんな早く寝なくちゃいけない。
>そろそろモナーのぬいぐるみ脱いで
>出てきてまじめに話せよ。
948氏がこう書いたら、さっそく出てきたのか。
分かりやすいヤツだな。
>>952 もうこんなもんでいいんじゃないんですか?
そろそろお開きにしましょうや。
そうだ。
これ以上続けてもカトリックの恥になるだけ。
もうやめよー。
956 :
名無しさん@1周年:01/10/24 13:51
Sylvius様
聖ぴお10聖会は,どう思いますか?
ご意見をうかがいたく存じますです.
成相神父様のスレで,保守派がたたかれまくっていますが.
957 :
名無しさん@1周年:01/10/24 18:40
やっぱ、荻野式が本道ですね。
958 :
名無しさん@1周年:01/10/24 18:48
汁が叩かれている、って、叩いている奴は数人もいないだろうよ。
投稿量が多ければ劣勢だというのは錯覚だね。
メガBBSの仕組を勉強しろよ(笑)
汁を叩けば叩くほど、奴の方に同情する奴、今まで気がつかなかった視点を与えられてリベラル
派の嘘に気づく奴が続発しなきゃいいけどな。
まったくサタンはやることなすことが裏目にでるもんだ。
悪からも善を引き出すことがおできになる萬軍の主に栄光あれ!
959 :
名無しさん@1周年:01/10/28 20:02
ge-a
名無しさん@1周年 957