単純な質問ですが人間にとって宗教は必要なのかな??
私自身必要であるような、ないような・・わからん??。
宗派?にとらわれずに難解な用語を使わずに教えてください。
それと御願いですが、自分の属してる宗派?のことでもなく
他の宗派の事を書かずに一般論的に教えていただければ・・。
必要な奴には必要だし、不必要な奴には不必要。
ではダメなの?
さっそくの返答ありがとう。
私も2さんに同感なのですが、なぜ必要か必要ではないのかを
知りたいのです。変かな??
4 :
名無しさん@1周年:01/09/10 11:43
およそ、近代以降の文明によって生活していない民族や地域に住む人々のうち多くは、
何らかの形で宗教を持っています。
(簡単に言うと、「未開の部族は宗教を持っている」。
でも、「未開」と言う言葉に抵抗があるので、こんな言い方になりました。)
だから、生まれながらの人間は、何らかの形で、宗教心を持っていると思います。
そういう意味では、本来の自分に素直であるなら、
どのような形にしろ、宗教的なものは必要なのではないかと思います。
5 :
名無しさん@1周年:01/09/10 11:47
科学でなんとかならないこと、
例えば死の恐怖とか、どーしようもなく不幸だったときとか、
そういうときに「万能薬的にすがる」時に宗教が必要になるんではないだろうかなあ。
心の支えとして。
昔は宗教いらないと思っていたけどね。
5さんのおっしゃることも同感です。
死の恐怖やどーしようもない不幸は精神(宗教心?ではなく)
を鍛える事で解決できないんだろうか??。
今日 仕事休みなのでついつい書いてます。
−自分の存在も含めて、日常的な経験の世界が、独自で存在するのではなく、
それよりもっと大きななにものかによって生かされていることを
実感として捉える精神のあり方
−物質的か精神的かを問わず、
「いまある世界」ではなく「ありうべき世界」の表現
実際の宗教には体系化がなされるときの歴史的事情も多分に反映して
さまざまな形態がありますが、
上の二点はどの宗教にも共通するんじゃないかと思います。
7さんへ・・ありがとう
ー自分の〜精神のあり方
大きな何ものかによって生かされてるとはどういうことなんだろう?
当然のごとく一人では生きていくことは困難なので、家庭・地域
国家・地球・宇宙と大きなものによって生かされる??存在してる
ことは理解できるのですが、そこに宗教のはいる意味合いがわからんのです。
ー「ありうべき世界」
理想社会の事なんかな、ユートピアみたいな・・
この二点はどの宗教にも共通してるということは、「なるほど」と思いました。
ありがとう。
9 :
名無しさん@1周年:01/09/10 12:22
僕の場合、宗教、というより、
「神の存在」を受け入れるかどうか、
と言った方が近いのだけど、いいかな?
以前は、それは、
「五感と理性だけでは理解できないことを納得するための方便」
だと思ってたな。
つまり、幾何の証明問題で出てくる補助線のようなモノかな。
ある範囲(この場合五感と理性で照らせる範囲)で解決できないことでも、
その範囲外に「何か」を仮定することで理解できるようになる、とかね。
それが「神」という概念だと思っていた。
たとえば、仮に、
「自分は生きている価値があるのか?」
なんていう疑問を持ったとすれば、
自分のアタマで考えて答えるのは難しいと思う。
でも「神」が自分を創り、生かしている、と考えればOKでしょう?
この仮定を受け入れれば、それ以上悩まなくても良くなる。
「神」って、そういうことなんだと思っていた。
10 :
dendo.:01/09/10 12:50
いちおう現世利益も入るように定義してみたつもり>ありうべき世界
9さん・・ありがとう
ー「神」が自分を創り、生かしてると考えればOKでしょう?
方便では?反対に言えば人間自身が「神」「仏」を創り出しているのではないのかな?
よくわからないが、人間の弱さを補い、納得する為に創り出してる感じが・・。
因みに無神論者というわけでもないのでしょうが・・「私」
私は、仏教哲理においては自分の人生観、世界観に多大な影響を与えている。
ただし信仰においては別問題、信仰しておりません。
ようは、自分自身のアイデンティティ、スタンスを構築するための手段として宗教を捉えている。
宗教に埋没する事なかれ、あくまでも主体は自分・・こういった考えはいかがなもんでしょう?
宗教の美味しいところだけ頂いて、あとは自由・・これが一番いいような気がするのですが・・
批判がありましたら遠慮なくどうぞ・・
13 :
オリエンタル・リリー:01/09/10 14:54
人間が神仏を作り出している。それでいいじゃないですか。
>人間の弱さを補い、納得する為に創り出してる感じが・・。
そういう理解でいいんだと思いますよ。
神なんてあるんだかないんだかわからないんですから。
ないかもしれないけど、あるかもしれない。
私はあると思ったほうが生きやすい。
精神的な意味で便利なんですよね。
私は弱い。世界に意味が欲しい。
だから信仰めいたことをしています。
>>1 多くの人が必要としているからこそ、宗教は存在しているのでしょう。
多くの人が必要としなくなれば、宗教は自然と消えてゆくのではないか、
と思います。
15 :
オリエンタル・リリー:01/09/10 15:00
>>12 変人さん、こんにちは。
>宗教の美味しいところだけ頂いて、あとは自由・・
>これが一番いいような気がするのですが・・
私も以前、これやってました。
でも、これって自分の弱さとの究極的な対決を避けるための
自己弁護になっちゃったりしません?
そうでないならいいんだと思いますけど(^^
自分の信仰が一種のフィクションて言うか、演技のようなものというか、私的なものであるとすることが望ましいと思っているんですが
どうでしょ?
17 :
名無しさん@1周年:01/09/10 15:09
ふーん、たのしそうだな。(藁
>>12 いわば「ものの見方考え方」の部分を「般若心経」・・これが合理的。
以前はマルクス論に傾倒しておりましたが、これには限界です。
仏教におけるカルマの法則、これには否定的です。自己責任という合理性には関心しますが。
潜在意識を自己の責任のベースにしております(宗教に依存しないというスタンス)
こういった考えはいかがでしょう?
批判がありましたら遠慮なさらずどうぞ・・
19 :
名無しさん@1周年:01/09/10 16:24
宗教は冠婚葬祭のために必要です。
20 :
オリエンタル・リリー:01/09/10 16:36
なるほど。
確かに般若心経は世界理解の前提としてものすごくでかいですよね。
カルマを否定されるとのことですが、
世界の不条理ということに関してはどう処理しますか?
突然の不幸、疾病、事故、不運、貧困差別等々。
カルマが原因でないとすれば、自分の責任ではない
出生地域、国籍、人種などについては如何しましょう。
変人さん
宗教哲学?を人生観に取り入れて生きようとしていく事なのですかね。
美味しいとこだけ頂く・・わかります。
猫電波さん
もう少し解りやすくお願いします。 私賢くないので。
19さん
シンプルな御答え、ではなぜ冠婚葬祭に必要なの?世間体?常識?
>20
人類200万年の歴史、生命継承を第一義とし、当然自然淘汰はかかせない。
飢餓、疫病、戦争、これらによって微妙なバランスが保たれたと思う。
国籍、人権においても、「生命継承」という大義名分にしてみれば、大河の一滴ではないでしょうか?
>21
まあ簡単に言ってしまえば・・の話です。解ってくれましたか。
人間は意味を欲する動物です。
であるから、物理現象に幸不幸を求めます。
リンゴが木から落ちるのは重力の影響であり、人間の意志とは関係ありませんよね?
しかし、たまたま人が通りかかって頭にリンゴがぶつかったら、人は「不幸だ」と意味を付けます。
24 :
名無し→しりとり:01/09/10 17:46
神仏はいると思って手を合わせ拝めば、神仏は助けてくれる。
いないと思えば、いない、だから、神仏にたのむこともない。
教義体系が明文化されていようがいまいが、
人それぞれ何らかの宗教を持っているものだ。
あなたが何かを間違いであり何かを正しいと判断したとする。
それは多くの場合、あなたの内なる善悪正誤の基準の現われであり、
その内なる基準は時に他の者と相容れない。
あなたはその他の者を不正とあるいは悪と判断する。
同じくして他の者もまたあなたを不正あるいは悪と判断する。
あなたは信じる、自らの正義を、相手の不正を。
相手もまた同じくする。
この行動基準こそが思想、そして体系化されれば宗教に他ならない。
疑問の無いうちは問題ない。しかし一度疑問をもてば無限の帰納が始まる。
私は正しいのだろうか?
相手はどうなのだろう?
私が正しいという根拠は何なのだろう?
その根拠の根拠は何だろう?
そもそも正しいとは何なのだろうか?
ながい思考の後に、あなたは決定不可能な問題の存在可能性に
気付くかもしれない。
これこそ相対主義の第一歩である。
宗教は必要不必要ではなく自然とそなわるものだ。
多くのものはそこに「当たり前」を感じ異質なものとしての宗教とは認識しない。
それは「常識」だからだ。どの宗教社会においてもだ。
私が人間存在は悪であるから滅びるべきだと言えば、
あなたは反対するだろう。
人命の尊重、人類種の存続というあなたの宗教的信条を盾にして。
>50
善悪正誤が基準となりますと、思想・宗教は道徳みたいなものでしょうか?
相対主義は、人間の思考が基準になるのでしょうか?
そうしますと、突然気が変わった場合はどう処理すればよろしいのでしょうか?
弁証法とも違いますか?
失礼。>50は>25の誤り。
たぶん死ぬまで宗教が全く必要でない人はたくさんいると思います。
でも、必要な人は間違いなくいる。
病気になったり破産したり、八方塞になったときに、
自分の存在の意味が本気でわからなくなったとき、
そのにこそ宗教は必要だし、そんなときにはじめて
宗教の本質がわかるんだと思います。
その本質とは、「宗教はアヘンだ」とか言っているような、
宗教のことじゃないよ。
だから、必要じゃないときには求める必要はないだろうけど、
必要なときは自分から求めるはずです。
段々難しくなってきた感じ・・・頭が痛い(笑)
もし人間に死がなくとも宗教はあったんだろか??私以前より
死と宗教に大きな係わり合いがあるような気がしており
実際いろいろな死により宗教が身近に来ちゃうので「葬式など・・」
30 :
ばばあは、逝って善:01/09/10 19:48
宗教は、いる人はいるんだよ
31 :
名無しさん@1周年:01/09/10 19:51
宗教がなかった方が、人々は自己に内在する真の力を速やかに悟ったかもしれんな。
たしかに死がなければ宗教は存在しなかっただろうね。
>>31 真の力って何ですか?それこそ宗教じゃないの?
人間の力なんてたかが知れている。って自覚から宗教ははじまるんだよ。
人間が万能なら神はいらない。人間は自分自身をよりどころと出来ない。
それだけの力を持たない。
>>26 多くの場合、信条は現実と照らし合わせられた結果の行動として
観察される。よって思想は行動基準になっている。
行動規範という意味で道徳といっているのならば、
確かに道徳と思想(宗教)は同値ではないけれどもその境界は引き難い。
実際、キリスト教徒は(原始)仏教を宗教とはみなせず道徳と考えるらしい。
これは仏教に明確な信仰の対象がないことによる。
また儒教を日本人は宗教とみなさず道徳と考えることが多いようだ。
どちらも思想体系としてあるいは思想集団としても宗教学では
宗教とみなす。
相対主義はそのような考え方の可能性を示しているだけで、
思考(行動)の規準としては意味が無い。
なぜなら、それ自体に善悪などの行動基準をともなっていない。
>突然気が変わった場合はどう処理
よく意味がわからないが、気が変わったかどうかは
誰がどのように判断するのでしょう?
自分で判断したのならば新たな行動基準について
知っているはずなので、自らの処遇は分かっていると思いますが?
36 :
名無しさん@1周年:01/09/10 20:51
創価はくそ
37 :
名無しさん@1周年:01/09/10 20:54
>>31
同感。
何か都合の悪いことを神や仏や悪魔や因縁のせいにすれば
人間は救われるって事かな?
つまり責任転嫁のために宗教は存在するのでは?
39 :
名無しさん@1周年:01/09/10 22:09
ここって、宗教否定している人々のほうが宗教っぽくないですか?
>>35 宗教観は、鋭いところをついている。異論はありません。
原始仏教においては、信仰という概念がありませんから、おしゃるとうりです。
>>35
すみません 頭悪いので・・。
宗教・思想・道徳の概念、違い「前レスのも少し書かれてましたが」
もう少し詳しく、解りやすくお願い致します。
尚 それらに関係において「死」ということも関連あれば・・。
42 :
名無しさん@1周年:01/09/11 10:35
>>41 生きている我々は、まだだれも死を体験していません。
死の体験や死後どうなるのか、ということについて誰もしりません。
生きている全人類が未体験。
でも、みんないつか死ぬわけです。
死というものを生きているうちにどう意義付けるか、これが
宗教の重大なテーマじゃないかと思います。
葬式も「死者のため」に生者が行うものでありますし。
「死」ということで話題がありましたので、私的見解。
死は生とは表裏一体・・というよりも全く一つと考えたほうが理解しやすい。
人間が死なない・・と仮定した場合「死」とか「生」は全く意味が無いということです。
「生」に意味があるのは、人間だれしも死ぬからです。
ですから、人間が「死ぬ」ということは、とても大切なことです。
これを一言でいうならば「生死不二」ということです。
じつに合理的にできていて、じつに解りやすい。
44 :
名無しさん@1周年:01/09/11 15:03
神仏は人間が創り出したものなのかいな?
よりよき生きる智慧、人間らしい行ないの為に。
知りたい。
45 :
オリエンタル・リリー:01/09/11 23:24
>>43 生きている時間は、ゆっくりと死んでいく時間でもある、
といえそうですね。
46 :
名無しさん@1周年:01/09/11 23:50
ブッシュ大統領が 遺族に神のご加護を願っていたよ。
無惨にテロで死ぬ。そんなときは他に言葉がないんだろうな。
起こった出来事に対して、人間は無力だ。。。
47 :
名無しさん@1周年:01/09/12 01:02
今回のテロは宗教が深部に絡んで起きた事件。
宗教なんて結局人間を地球上から減らす事しか出来ない。
現代、宗教は必要無い。みんな自分の哲学を持っている。
48 :
名無しさん@1周年:01/09/12 01:09
もし宗教がなかったら今回のテロも起こっていなかったと思う
無い方がいいじゃん!
49 :
名無しさん@1周年:01/09/12 01:14
しかし、イスラムとかにとっちゃ、
「宗教がない」状態なんて考えられないんじゃん?
日本人から米と酒を取り上げるようなものだ。
50 :
名無しさん@1周年 :01/09/12 01:20
宗教は絶対的な現象である。。
人類が完全滅亡し永遠に現象として顕現もされない時に
宗教はなくなるであろう。。
>>45 「死」に直面した方のほうが、「生」のありがたみが良くわかりますね。
いわば、死と生は比例する相関関係。まあ一体ということです。
人間が永久に生きるとしますと、「生死」の言語は必要ないですね。
また「生きる」という価値観も全く無くなります。そうおもいませんか?
52 :
名無しさん@1周年:01/09/12 19:00
>>41 死という現象を自らのものと認識するには、
自らと同等の他者(自分以外の全て)、
すなわち他人(ある人が自分と同じように自我及び人格をもつと考える対象)の
死を認識する事が必要不可欠です。なぜなら、自らの死の記憶を持つ自我は
存在しないでしょう。例外と呼ばれる人はいますが。
その点において他者の現象の一つとして特別な事はありません。
死の宗教的側面とは、自らにも起こり得る死という現象を
ある思想に基づいて捉えたときに、他人の死の取り扱いにも
各自の思想に基づいた顕著な特徴が現れる事によるでしょう。
これは何も死に限った事でなく植物の成長、星の運行、異形の動物など
あらゆる現象に対する態度としても現れる事ですが、
他人の死には特に顕著になるという意味です。
『死』は仏教においても重要な問題です。
以下『スッタニパータ』の『矢』より
この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるか解らない。
惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。
実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
…
若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、全て死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。
…
見よ。見まもっている親族がとめどなく悲観に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、
一人づつ、連れ去られる。
このように世間の人々は死と老いとによって害われる。それゆえに賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
…
迷妄にとらわれて自己を害なっている人が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、
賢者もそうするがよかろう。
泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。
みずから自己を害いながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。
嘆き悲しむのは無益である。
人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。…
続く…
…続き
たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、
この世の生命を捨てるに至る。
だから<尊敬さるべき人>の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、
「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。
…
己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。
(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、
あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
以上は、肉親を亡くして嘆き悲しんでいる在家信者に対して、
釈迦が説いた話と(パーリ文註で)説明されています。
簡単に言いますと「生まれたものが死ぬのは当り前の事である。だから嘆いてもしょうがない。」
つまり「死を受け入れろ。」と言っているのでしょう。
55 :
良スレの予感なのに:01/09/13 03:47
>>40 >原始仏教においては、信仰という概念がありませんから、おしゃるとうりです。
「信仰」という言葉、あるいは概念は、パーリ・サンスクリットにおいて明確に
対応する一つの単語を特定することはできないでしょ。
というか、「信仰」や「宗教」といった言葉自体、近代的なカテゴライズに則る
ものなんだから、そういったことを深く考えられもしない生半可な知識で原始仏教
から「信仰」の可能性を否定しないこと。
だいたい、一般論的に考えろ。って趣旨なのに、スレの方向が変なところに向かい
そうになってる。
たとえば黒海老とかウザイヨ 少なくともここでは。
56 :
名無しさん@1周年:01/09/13 05:55
>パーリ・サンスクリットにおいて明確に
>対応する一つの単語を特定する
そういう問題じゃないだろ。主体は我々なのだから。
>「信仰」や「宗教」といった言葉自体、
>近代的なカテゴライズに則るもの
「宗教」はともかく「信仰」は近代的なカテゴリーでは無いだろ。
>原始仏教から「信仰」の可能性を否定
これは妥当だろう。積極的に信仰をするという事自体が
原始仏教に反する行為なのだから。
>55
原始仏教を語るには、バラモン教から考えたほうがいいとおもうのです。
形態としては、儀式的、形式的。そうですね・・
日本においては、正月に「お供え餅」を飾るようなものですよ。
それを「信仰」というか、どうかです。
もっともバラモン教といいましても、バラモン階級という意味も含んでいます。
バラモン教に自由な思想を打ち立てたのが釈迦です。いかがなものでしょうか?
人が明確に宗教という概念を持ち始めたのはいつ頃からなの??
北京原人?(昔と言う意味)の時代には自然や死というものに恐れを
抱いたりしただろうが・・それは宗教とはかけ離れたものだったはず。
原始宗教には信仰の概念がないとは??
教えて 皆さん・・
59 :
名無しさん@1周年:01/09/13 14:28
話が込み入ってきましたね。
61 :
良スレの予感なのに:01/09/13 15:01
>>58 >>56=
>>57はDQNなのでもうさじを投げました。
>原始宗教には信仰の概念がないとは??
「信仰」という概念もアニミズムやシャーマニズムといったカテゴリー分けをする、
あるいはそこになんらかのヒエラルキーを見出そうとする時点で近代的な概念として
捉えるべきものである。というだけの話です。
むしろ、外部との接触を持たなかった部族の言語においては「神」や「精霊」といった
概念にあたる単語はあってもで「宗教」にあたる単語を持たないことが多いです。
神」や「精霊」といった概念に対する関わり方を信仰ととらえるならば、信仰は宗教に
とって普遍的な概念ですね。
現代社会の一般的な生活の中も「神」や「精霊」に似た概念によって生活行動が規定
されてないかと考えると、結構「宗教的」といえる構造はあるんじゃないでしょうか。
62 :
dendo.:01/09/13 16:01
たとえば「無宗教」っていっている人でも
地蔵さんをけとばしたりしょんべんかけたりはしないよね。
(鳥居にかける人はいるけど……)
特定の信条をもつということとは別に、神聖を侵してはいけないという
感情は発生しうるし、後者をも「宗教」に含めて考えることは信仰一般を
考える上で有効だろうと思う。
63 :
とおりがかり:01/09/13 16:12
>62
>特定の信条をもつということとは別に、神聖を侵してはいけないという
>感情は発生しうる
賛成。西行法師は伊勢神宮に立ち寄った時、「何ものがおわしますかは
しらねども、ありがたさに涙こぼるる」と詠んだそうだし、アインシュ
タインも伊勢神宮で受けた印象についてべた誉めしている。人の救済と
かは、信条などで達成されるものじゃないと思う。言語や概念を超えた、
人間の原存在に直接作用するものじゃないだろうか。バラモン教の輪廻
思想も、キリスト教の贖罪も、結局は人の救済についての説明にすぎな
い。あれでは本当に救われたという嬉し涙なんか一滴も出やしない。
逆に追い詰められた人にとっては、見知らぬ人の何気ない親切な行為が
魂の救済になる場合もある。ある出来事を通じて、その人が価値観を
変えて生まれ変わったら、それこそが宗教でしょう。特定の信条にこだ
わると、そういう「原点」を見逃してしまいがちだ。宗教には言葉など
いらない。言葉で説かれる信条に宗教の心は宿らないし、そんなもので
人が救済されるはずがない。
>61
う〜む。むつかしいですね。
アニミズム、シャーマニズム、おまじない、占い、はたまたお払い。
>「精霊」といた概念に対する関わり方を信仰ととらえるならば・・
この部分は、わたしは信仰ととらえていないんです。
たとえば、死んだ人を目の前にして嘆き悲しむ人を見つけ、釈迦は「嘆き悲しむ事は良くない」
と言っています。すなわち執着は良くないという意味です。
こういった思想は、哲学、宗教はまあいいとしても、信仰となりますと・・う〜んむずい。
ヌミノーゼ心理。
66 :
名無しさん@1周年:01/09/13 17:12
ヌミノーゼ。素晴らしい概念。オットー万歳。
67 :
名無しさん@1周年:01/09/13 19:14
ヌミノーゼって何?
68 :
名無しさん@1周年:01/09/13 19:33
>>62 >たとえば「無宗教」っていっている人でも
>地蔵さんをけとばしたりしょんべんかけたりはしないよね。
これは別に宗教的な態度というよりも、一般的な常識に属する事柄とみることもできるよね。
たとえば、他人の家の軒先に飾られた鉢植えをむやみとけとばしたりしょんべんかけたり
する人は非常に少ないだろうから。
他人の鉢植えにまでに神聖性を認めだした議論の収拾がつかなくなると思う。
(もっとも、T・ルックマンなんかはそういう定義のしかたに近いものがあるけど)
つまり、そういう態度を宗教的範疇で語るのはそうとうな注意が必要なのでは?
後半3行に関しては賛成だし妥当だと思うけど。
69 :
名無しさん@1周年:01/09/13 20:03
>>61 >>68 言うことが古い。100年前ならそれでもいいけど。
今その考え方は通用せんな
70 :
名無しさん@1周年:01/09/13 23:36
>>69 なぜ?
100年前ってのはどういう意味?
なんかのレトリックのつもり?
そもそも論理的に主張できる?(w
>>67 神聖さみたいな崇高さみたいな感情のこと。
イコールで結べるか解らないけど側頭葉の一部を刺激した結果、「神を感じる」言わせることができたと言う実験もある。
人間にとってわりと根源的なものかもしれない
ミズン『心の先史時代』(青土社)は、思弁的だけど面白いですよ。
>>21 すみません。「『政教分離』は大切だよね!」程度に捉えといて下さい。
72 :
名無しさん@1周年:01/09/14 00:07
>「信仰」という概念もアニミズムやシャーマニズムといったカテゴリー分けをする、
>あるいはそこになんらかのヒエラルキーを見出そうとする時点で近代的な概念として
>捉えるべきものである。
古い
>信仰は宗教にとって普遍的な概念
古い
>宗教的な態度というよりも、一般的な常識に属する
古い
『信仰』に対応する単語として「saddha(サッダー)」(教義等を信奉する、聞信と漢訳される)と
「pasidami(パサーダ)」(心が清む=信じる、浄信と漢訳される)という単語があり、
古い仏典では「saddhaを捨てろ」と言い「それを聞いてpasidami」と言います。
しかし、後の仏典になると「saddha」を説くようになります。
ですから、「盲目的信仰」という言葉に明確に対応する単語は無いようです。
古い仏典では「saddha」を盲目的信仰に近い意味として使っていたようですが。
74 :
名無しさん@1周年:01/09/14 14:03
ルックマン萌え、バーガー萌え萌え。
>>72 先生!今回のテロを宗教学で分析してほしいさ。
さうねぇ、ここにたどり着くためにだって、窓教,虹色林檎教とか最近ぢゃ
ペンギン教なんてのもある。
77 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:08
そういえば外国では「私は無宗教です」って答えたら
変人扱いされる。って聞いたことあるけど、、、、、、
どうよ。
78 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:08
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三三|| // // ||三三| | ミ☆
三三|| 、、、、、、 ||三三| |
三三|| ∧∧,´::::::::::::::::::::::::ヽ∧ ||三三| |
三三|| (´:::::`):::::::::::::::::::::::::::::::)::) .||三三| | 世界が平和でありますように…
三三|| (:::::::::::):::::::ノノノノノノ人:::)) ||三三| |
三三|| (::::::::)(6,リ ´・ ・`(ノ::) .||三三| |
三三|| (:::::))::::ヽ、" ‐ " ノ:::) .||三三| |/ ̄\__/ ̄ ̄\ / ̄ ̄
三三|| リノ (⌒ ̄l⊃⊂l⌒) // // ..||三三| |::::[][]::::::::::::::::::::[]::::[][]:::|_|:::[][]:::::
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>>77 わたし変人ですが、なにか・・?
絶対神を立てるキリスト教文化圏と、日本における宗教の概念は全く違うとおもいます。
絶対神は「信じる」「信じない」の二者択一ですから、仏教圏とは違うとおもいます。
80 :
名無しさん@1周年:01/09/15 23:36
宗教なんて信じるのはバカだけだ。
===========終了================
信じるも信じないも自由じゃないのかな〜
82 :
今は亡きモ板@羊の某固定:01/09/16 01:03
原始社会において宗教はある種の社会生活におけるルールを司っていたように思う。
でもねぇ、今は法律ってもんがあるんだから
宗教に従った社会ってのはどうだかねぇ・・・
ある程度文明が進んだところじゃ
宗教間の戦争があったり、
宗教団体が無学な民を扇動して国家を転覆したりと
ロクなことしないからねぇ・・・
高度に発達した現代社会において宗教は無用だよ。
理性的な人間を堕落させて悪の道に無意識に走らせる宗教家は逝ってよし!!
83 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:08
法律で出来ないことはどうするの?
84 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:08
法律では救われないひとはどうなるの>
85 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:12
>84
氏ねばいいのさ。
民間人も兵士も関係なく法律にそぐわない人間は殺しても良い、
法律のために命を捨てることを恐れるな。
法律こそが現代社会においては絶対なのさ。
86 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:16
宗教が堕落した人間を理性的にすることもあると思うが
87 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:17
高度に発達した現代社会??どこにそんなものがあるの?
さすがモーヲタ。現実社会を知らないようだ。
90 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:20
>>88 法律を宗教に取って代わるものと考えるとするとそうなってしまうな
91 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:22
高度に発達した現代社会においてモー娘。は無用だよ。
理性的な人間を堕落させて悪の道に無意識に走らせるモー娘。は逝ってよし!!
92 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:22
さすがモーヲタ
93 :
( `.∀´):01/09/16 01:28
高度に発達した2ちゃんねるにおいてモー娘。は有用だよ。
理性的な人間を萌えさせてヲタの道に無意識に走らせるモー娘。はマンセー!!
94 :
名無しさん@1周年:01/09/16 01:32
95 :
今は亡きモ板@羊の某固定:01/09/16 01:40
まあ、言いたいことは
宗教は争いの元だから
根絶やしにしなければいかんということだ。
人間の持つ価値観や世界観を著しく固定化し狭める宗教は
危険物に他ならないと思うがどうだろう?
とりあえず89に92よ、それは誉め言葉として受け取っておくよ。
それから91よ、そんな文面で煽りの効くヤツは
痛いマジヲタくらいだから、
もっとひねろよな。
91をネタにも出来ない糞レスに認定。
>>77 イスラム教徒の人は初対面であいさつしたあと、相手の宗旨を尋ねるそーです。
彼らにとって宗教とは人が人として生きるルールなのだそーです。ですから、
相手がどんなルールに従うのか確認するのだそーです。
で、そんな状況で”無宗教”って答えると、ルール無用の人間ってことになって
しまうのだそーです。まぁ、モラルの規範を持たない人間だと自称しているよーに
思われてしまうみたいです。
97 :
名無しさん@1周年:01/09/16 09:29
>>77 「無宗教」と答えることは日常生活の細かなところから災害などの極限的な状況
にいたるまで、「私は自分の欲望を中心として行動する人間です」と宣言するの
に近いものがあるようです。
98 :
名無しさん@1周年:01/09/16 11:36
>>97 うひゃあ、参るねえ。
でも、だったら、オレはその通りだからしょうがないかも。
何にしても、無宗教としか、他に言いようないしなあ。
オレの感覚では、ヨーロッパならまず無宗教でもOK。
アメリカ人は無宗教には意外と厳しいが、
日本人のことはまとめて日本教だと思っているのでOK。
イスラムでも、インドネシアあたりまで来ると、
波に揺られて角がとれているので無宗教でOK。
ってとこかな?
99 :
名無しさん@1周年:01/09/16 12:30
そういえば知り合いのバングラディッシュからの留学生はイスラム教徒だけど
あんまり信じてない。って言ってました。向こうではそこそこのお医者さん
だそうだけど。
100 :
マカラギャ:01/09/16 13:26
初詣でやお盆の、あの賑わいや車の渋滞を見るに決して日本人は、無宗教人種じゃないよ。ほんとに自分が無宗教だと言うなら行ったら駄目だよ。
1
本質的には必要ありません。
>>101 そ〜かなぁ(^^?)
独房のような所に一人でいるのであれば、それもありかな?
103 :
名無しさん@1周年:01/09/16 20:14
つまり人間にとって宗教は必然やということやね。
104 :
名無しさん@1周年:01/09/16 20:28
>103
「社会生活を送る人間にとって」だね。
ヒッキーには宗教は要らないかもな。
105 :
dendo.:01/09/16 21:06
ヌミノーゼ: Numinose
宗教学者ハインリヒ・オットーの用語。
ギリシャ語の numen (生き生きとした神的な存在)に由来し、
すべての宗教の根底にある、信者を神的な存在へと覚醒させる非概念的な
力をいう。
主著『聖なるもの』は岩波文庫にも入ってます。(青帯)
古い本ですが、好著。宗派を越えて宗教を考えたい人にはよい参考書といえる
でせう。
106 :
名無しさん@1周年:01/09/16 21:14
J・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』だったっけ。
序文で現代人の生活意識を「カーゴカルト信仰」の変種として見ていたね。
107 :
名無しさん@1周年:01/09/16 21:31
1はどこいった。ほったらかしかい。
宗教板ドキュソの典型的パターンやな。
>107
いますよ!!
書くことが意志の全てではないですので勝手に決めないでね
109 :
名無しさん@1周年:01/09/18 01:09
110 :
名無しさん@1周年:01/09/18 17:46
オレは科学や経済というのも宗教みたく感じる...
だから人間にとって宗教は必要という結論になる。
111 :
名無しさん@1周年:01/09/18 17:55
それは本来人間が反宗教的な生き物だからです。
>>111 さうかもね。
「月を見よ!」って月に向かって指をさしても、指を見てしまうのが人間かもね(^^;)/
今の段階ではよーわからん(笑)
でも何となく道理や道徳、法を超えた?飲み込むような
真理?が宗教なんかいな
やはり個々が判断すればいい事ですかね。
まだ意見を書いてくだされば幸いです。
114 :
名無しさん@1周年:01/09/18 23:23
宗教、あったほうがないよりも便利だと思うけどなあ・・・
カルトはやばいけど、、、
>>113 私は「般若心経」を一応生きるスタンスにしているのだけど、信仰はしていない。
そうしますと、「無宗教」という立場になってしまうのです。
日蓮宗からすると、無宗教というのは妥当なのかもしれませんね。
仏教とは本来こうなのではないか・・という、僅かながらの手ごたえはあるんですが、
突き詰めていきますと、信仰という概念から外れてしまうんですね。
とにかく、仏教は幅が広い。「絶対仏」を信仰する・・というのまでありますから・・
そこまでいきますと実際ついていけないというのが本音です。
116 :
名無しさん@1周年 :01/09/19 16:38
>>113 うんうん、個々の感覚で意義定義は幾らでもできると私も思うよ。
音楽の好きな人、スポーツの好きな人、宗教の好きな人・・・
音楽は必要か?、スポーツは必要か?って考えるのと
同じなんじゃない?
どこの宗教団体に属していない人も「日本教」っていう
宗教に入っているらしいし。(小室の「宗教原理}より)
好きな宗派を選べるし、逆に宗教を拒否する事もできる。
日本人でよかった。(笑)
117 :
名無しさん@1周年:01/09/19 18:04
宗教というより信仰の基本は、生かされているということを、
感得できれば第1歩。
別に、何処かに所属しなくても、感謝できればいいのですよ。
宗教の発生理由は、不幸の説明の為と言われています。
また、理由のわからない現象や、恐怖やその他の感情に対して、
精神を守る為に、すり替えを行うのだと思います。
例えば不幸を、運とか悪魔のせいとする。ホントは原因があるんだけど・・
次に、そのすり替えを複数の人間が共有することでその社会で正当化したのでしょう。
当然、そのすり替えを認めない人は精神的に不快に感じる事になります。
解決するためには共有か排除の手段が必要となり、組織化、体系化をしていったと考えます。
人間の精神は思うより弱く、緊急避難的には宗教は必要かもしれません。
祈る事しかできない状態にある人は特に。でも、結果との因果関係は不明ですから
119 :
名無しさん@1周年:01/09/20 14:42
>宗教の発生理由は、不幸の説明の為と言われています。
この部分のみが宗教の定義的説明であるにもかかわらず、
>また、理由のわからない現象や、恐怖やその他の感情に対して、
>精神を守る為に、すり替えを行うのだと思います。
の部分の個人的な感想までも権威的な定義であるかのように記述した上で
>次に、そのすり替えを複数の人間が共有することでその社会で正当化したのでしょう。
と、さも論理的なふりをして議論を展開してはいけません。
120 :
名無しさん@1周年:01/09/20 15:13
>>118 >宗教の発生理由は、不幸の説明の為と言われています。
そういう議論をしたいのなら、「啓示宗教」「自然宗教」といった、
宗教の類型を先ず示してください。
>>119 さんが言われるように、あまりにも幼稚な議論の展開だと思います。
121 :
名無しさん@1周年:01/09/20 17:04
いるんだよなあ、
こういう厨房理論で知ったかぶりするやつ。
122 :
名無しさん@1周年:01/09/22 22:03
北陸のKちゃん見てくれた!!
123 :
名無しさん@1周年:01/09/23 04:02
> 宗教の発生理由は、不幸の説明の為と言われています。
宗教の起源の説明としては標準的だと思う。
死の恐怖など人間の根源的な感情に基づくのであれば
どれだけ文明が発達しようが、そう簡単にはお払い箱にはなるまい。
124 :
名無しさん@1周年:01/09/23 05:47
じゃ、軍隊は宗教だ。
>123
「不幸」とは、相当高度な概念かと思われますが、そういった概念を認識する以前は
宗教というものはなかったのでしょうか?
また、その宗教という概念も高度なものでありますからねー。
126 :
名無しさん@1周年:01/09/23 06:58
宗教とは。。人を幸福にし、人々を不幸にする。
当たってるでしょ。
127 :
名無しさん@1周年:01/09/23 13:06
大ハズレ 残念賞 おとといきやがれ
128 :
名無しさん@1周年:01/09/23 21:05
>>126 「人」と「人々」と主語を変えて対句にできたから得意になっちゃったんだよね。
わかるわかる(w
でも、富山の薬売りは迷信やまじないを否定する浄土真宗の強いところだから薬学的な
知識が発達した。なんて説もあるし、
幸か不幸かは知らないけプロテスタントの教義に資本主義の拡大再生産の原理をみる古典
的な考察もあるよ。
つまり宗教は社会的関係を破壊する形でのみ、個人の内面に働きかけるものだ。とはいえないね。
129 :
名無しさん@1周年:01/09/23 22:38
あほ ばっかり…(ワラ
130 :
名無しさん@1周年:01/09/23 22:46
>>129 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< ボケ! 糞スレと一緒に消えろ! 逝ってよし
>>130 UU ̄ ̄ U U \_________________
132 :
名無しさん@1周年:01/09/23 22:53
再び あほ ばっかり (ワラ
133 :
名無しさん@1周年:01/09/23 22:56
/ `ヽ、
/ ● \
/ __ 丶
/ /川〃ノヽ ヽ
(● ( ミ/⌒ヽ三) ●)
丶丶./ ´∀` ヽー __ノ オマエダケー
.・.| | ̄ :・パ
.・:((.| | ))・゜ラ
・. L___」 ・パ
パラパラ ラ
> 宗教の発生理由は、不幸の説明の為と言われています。
物事を簡単に考えないでもらいたい。
宗教は生きること,死ぬこと、宇宙等そういったことへの
真摯な問いかけがあることを忘れないでもらいたい。
135 :
名無しさん@1周年:01/09/24 00:22
136 :
名無しさん@1周年:01/09/24 00:23
137 :
名無しさん@1周年:01/09/24 00:56
なんだか荒れ気味。でもなんで?
138 :
名無しさん@1周年:01/09/24 01:22
あほいから
139 :
名無しさん@1周年:01/09/24 02:19
みんなサル
140 :
名無しさん@1周年:01/09/24 02:47
どこラ変があほいのですか?と聞いてみる。
うえーん、みんないじわるだよ〜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ´Д⊂ヽ
⊂ ノ
人 Y
し (_)
宗教の発生は、ある事象(自然災害など)の「意味」を考えだしたのが始まり。
簡単なことだね。
僕はあまり系統だった事はわからないのですが、現実問題として
宗教は必要でしょう。
理由としては、既出でしょうが世界は人間にとって不条理かつ因
果関係もはっきりとしない事が殆どであり、それに耐えることが
出来る人はいないと考えます。
無宗教の人もこれも既出の意見ですが、相対主義的立場から言う
と何か自分自身の規範でその事象を判断し、意味ずけているので
しょう。
無意味ということもまた意味だと思います。
結局少なくとも現代人(アミニズム等以外の啓示宗教の信者含)の
宗教とは言葉=意味に収束されるのでは?
直感や感性などの非言語的な物は現在あまり重視されないばかり
でなく、軽視されていると思います。
現代ではそのような、ロゴスのよらない非言語的な物が必要なの
では。
長文かつ駄文すいません。
>143
>ロゴスのよらない非言語的な者が必要なのでは。
これは非常に重要ですね。言語は共通認識があって、始めて成り立つものですから、
しかしそれでは説明できない事の方が多いとおもいますね。私の経験においても言えます。
それを会得するか、しないか本人しだいですね。出来なければそれっきりです。
宗教を饅頭にたとえると、皮だけ食べて納得してしまう人がいます。
ほんとうはアンコの部分が美味しいのですが、もったいない話です。
私は無宗教ですが、宗教書は随分ためになる事が書いてあります。
145 :
名無しさん@1周年:01/09/24 13:48
「宗教」というコトバは組織・団体のイメージがあって、あまり好きではありません。
「信仰」なら、個人的な信条であってもよいわけです。
同じ信仰を持つ人たちが、グループを作って組織になると「宗教」、そんな感じがします。
組織になって社会に定着して、そのうちだんだん形骸化して、よくいえば「宗教文化」になる。
人生の意味とか目的とか、考え考え年を重ねると、何かしら信仰心のようなものを自分が持っていることに気づくようです。
おじいさんが、毎朝、朝日に手を合わせるのだって立派な信仰ですもんね。
「祈り」って大切です。精神のラジオ体操みたいなものかもしれません。
146 :
名無しさん@1周年:01/09/24 14:05
おもしろい 同意!
147 :
名無しさん@1周年:01/09/24 14:27
自作自演
>>144 変人さん、「無宗教」にずいぶんこだわってるけど、なんかマインドコントロール受けていないですか。
いつか、ドーンとパウロの回心しちゃうかもしれない。。。
それもわるくないか。。。
>1の???さん。どっかへ逝っちゃいましたか?
どうやら結論らしきものがでております。
組織・団体など入らないで、2チャンで宗教を研究する。
そんなものでいかがでしょう?
>148
もともと仏教は信仰という概念がない。というのが私の信条なのです。
これが一番基本的、大事なことだと思っています。これに忠実である・・
というのが、むしろわたしの信仰といえるかもしれません。
「般若心経」に傾倒しております。そして・・・
どちらかといえば、禅宗に近い考えは持っております。それともまた違うのですが・・
151 :
名無しさん@1周年:01/09/24 15:00
すごく亀レスで恐縮なんですが、
>>8 >家庭・地域・国家・地球・宇宙によって生かされている。
と書いてらっしゃいますが、
これこそ、「国家・地球・宇宙」によって生かされていると感じていることこそ
宗教的感覚の現れだと思いますなぁ。
多分宗教的観念が人間に全く備わっていなかったら、
近代国家がでっち上げた「国家」という単位、
個人の感覚では認識不能な「地球」という単位、
そして現代の技術を駆使しても見ることすら出来ない(地球の写真ならくさるほど見られるけど)
「宇宙」という単位、
そんなものに生かされていると感じることは出来ないでしょう。
人間なんてせいぜい血縁者や村単位の社会、
ごく限られた範囲内での自然環境しか実際に見ることも触ることも出来ないんだから。
152 :
名無しさん@1周年:01/09/25 02:44
人間に宗教が必要というよりも、
人間自身が本来的に宗教的だということですね。
153 :
名無しさん@1周年:01/09/25 03:26
>>151 考え方の近い人のレスに会えて嬉しいな。
近代が作った「国家」という単位のアンデンティが実感を持たなくなってきてるんだよね。
ラディン他、イスラム原理主義の正当性はそこにある。
「祖国」から、また「母国」から、「国」が喪失するとき、
「祖」、また「母」が残る。
これが脱近代の道しるべになるんだと思う。
持たざる者には宗教しか無いじゃないの?
155 :
ぶらどぅ@:01/09/25 04:45
あまり学はありませんが僭越ながら持てる知識を
使って自分なりの見解を書きますと
人間にとって宗教は必要か?=必要である
だと思います
原始古代より近代の曙に至るまで
宗教は人間の役割の分業化と集落の形成等
多大な影響と役割を果たしてきたと思いますし
又、現代に置いては個人が必要を感じた場合に置いて必要だと思いますし
社会的には個人にその権利を付与してるのですから宗教は存在は否定できない
と思います。
後これは個人的に感じることなのですが
人は信仰が無いと死んじゃうけど
宗教が無くても結構平気
な気がします
原始古代に宗教が発達したのはわかるが
科学が進歩をとげた現代で宗教は不必要である。
もっと生産的行為をすべきだ。
考えてるふりして休んでんじゃねーよ
157 :
名無しさん@1周年:01/09/25 07:40
科学じゃ救われないよ
158 :
名無しさん@1周年:01/09/25 11:25
>>156 へー、立派なご意見だこと・・・。科学ね。
あなたは休まないの?私は時々休みたいんですよねえ・・・
>>156 あらら、宗教不要論ですかぁ(^^;)
ってことは、あなたにとって”親切”なんて宗教心も無く打算の産物なのかしらん(^^?)
161 :
名無しさん@1周年:01/09/25 13:09
>>157 あなたは科学がかなりおわかりのようですね。
では、科学は意味や価値観を創造する事ができますか。
科学万能論みたいなことって、十分宗教の範疇だと思いますなぁ。
私は非言語的な物は体感した事が無く、よって私の言う事
もまた言語によるものであり、そこに信者と非信者のなに
よりも深い断絶があるのだと思っています。
だからこそ、直感や感覚と言ったいわば体感的な物の復権
が必要だとも考えたわけですが、私の狭い個人的な視野か
ら言えば、156さんの考えに近いです。
理由は結局世界の悲惨から自身を現実的に救えるのは、人
間のロゴスです。
勿論科学礼賛と言うわけではないのですが(その負の側面も
含めて)現在における指導原理であり、多分これが人の作れ
る極限だとも考えております。
心は宗教(広い意味での)で肉体はロゴス=科学でいいので
は…?
後、160さんへの私の意見ですが親切や人権等も全ては打
算だと思います。
お互いに譲歩し会う事が、互いの利益に繋がるが故にその
ような行為を取るのでしょう。
だからこそ、キリストの言葉の自分にして欲しい事は他人
にして、して欲しくない事はするなと言うのは至言です。
また長文スイマセン。
164 :
名無しさん@1周年:01/09/25 18:45
科学って真理を追究するんだよね。
副産物として科学技術があって、科学技術が進むと、新しい発見があって、また真理が書き換えられてゆく。
そんで、科学技術を手段として利用して今の工業があるわけだ。
工業は儲かる(今はどうか知らんけど)から、もっと儲けようと思って、技術を進めるわけだ。
で、真理を追究している科学は、最近では宗教的な世界観よりもっとわけのわからないとんでもない世界観を仮説としてたててるんではないかと...
ずぶの素人の意見でした。
>>163 あらら、そーなの。
寒い日に暖かな部屋に帰って来た時の”安堵感”って、ものを感じないのかしら?
それとも、言語化可能なのかしら?それとも、私が言語化が下手なだけかな(^^?)
>私の意見ですが親切や人権等も全ては打算だと思います。
ってことは、「見返りが期待できない場合は見捨てる。」のでしょうか?
まぁ、それも信仰かも知れませんね。
>>162科学が万能のわけがない。冷静に現在の限界を見極める目も
必要不可欠と言える。
理論構築不能な超常現象があったとしよう。
それは「今」の科学で説明できないだけであって
それ以上でもそれ以下でもない。
>>164あなたにとってわけがわからないだけである。
宗教的な世界観がわけがわからないというわけではない。
科学の未発達な時代、なんとか説明づけようとこじつけた理論
それが宗教の大部分だ。
>>165安堵感??なにが言いたいか全くわからん。
>>166 >私は非言語的な物は体感した事が無く、よって私の言う
>事もまた言語によるものであり、そこに信者と非信者の
>なによりも深い断絶があるのだと思っています。
って言う辺りで、安堵感をあなたは感じないのか、それとも、全て言語化することが
できるのか、試したかったが・・・
こちらの策が至らなかったみたいだね。ごめんね。
168 :
名無しさん@1周年:01/09/25 19:48
>157
何事もなく普段暮らしていく分にはそんな考えもいいかもしれないけど
身近な人が死んだ時とかは、それじゃあ苦しそうに思えるんだよね。なので、
>科学が進歩をとげた現代で宗教は不必要である。
↑の理由を具体的に示して欲しい。わかりやすい言葉でお願いします。
168は>156へのレスです。ゴメン、逝ってきます。
>>168 生きていた人が何らかの理由で死んだ。
なぜ苦しいのですか?その理由がわからない。
生きてるものはいつか死ぬ。
受け入れがたいからといって宗教がでしゃばるのはおかしい。
死ぬ理由も現代ではほとんど分かるわけです。
原始なら わけもわからず自分の子供が死んだとき、
宗教でも持ち出さないとやってられなかったかもしれないが。
言ってることわかりますか?
171 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:03
172 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:12
>>170 あなたのレスを今まで読んできたけど、何と浅薄なこと。
>165さん
私の言葉足らずでした。ここで言う非言語的な物とは、例えですが
神の愛を実感したとか真理を悟ったなど完全に主観的で他者への伝
達が不能な物です。
心地よいとか、ほっとするといった事柄は肉体に連動する形での心
理状態であり、純粋に物理的な物です。
それと私はこの物質世界そのものが、知性体としての人にとっては
地獄のようなものであり、他者や動物へ苦しみを与える事は地獄の
囚人同士の責め合いのような物だと考えておりまして、そのような
事は自分もされたくない以上慎むべきだと思います。
他者へ助けを与えるといった事柄は宗教よりむしろ、その人その人
の美学や美意識の問題では?
それらの物が既存の宗教観や世界観に根ざしている事は否定はしま
せんが。
…ただ科学が示す先はそれぞれの個々人が考えるべき事であり、そ
の意味においても科学は指導原理足りうるとは考えています。
確かに、私は弱いので一抹の虚無感と言った物は否定し得ません。
しかし、物質世界における人間という観点は人間に取っての真実の
追求には欠かせないと思います。
>166さん
概ねご意見には賛成です。
もう少し優しく語ってくれるともっと助かります。
貴方が考えている科学の目指すべき方向性は何でしょうか?
科学そのものにはなんら目的も意味も無い事は承知してお
ります。
ただ、真理の追究や人の幸福といったものは生身の人間には
不可避な欲求だと思いますので…。
因みに、私はこの宇宙での人にとっての天国の追求だと考え
ています。
SFを読みすぎまして…。
174 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:15
>171
救いを求めてやってきたんでしょ。
氷多きに水多しですよ。疑い強きに信深しですよ。
>>171 神、霊、死後の世界、など
科学で説明のつかないものを歴史的背景も知らないで
この現代に信じている人の意見が聞きたかった。
どれだけアホかと。
お前らバカかと。
>>172 あなたは深みのある人みたいですが、
ちょっとその深みを見せて下さいよ
みなさんへ。
すいません。言葉が乱暴すぎました。
>>175の最後の二行は撤回します。失礼しました。
>>173 まぁ、言語に拠る者は言語に溺れる。って、こともあるのかな(^^?)
今、表示がちらついている私の液晶画面では、あなたが書かれた内容は全文読む
ことはままならないみたいです(^^;)
こー言った話題で蘊蓄傾け酒席で嫌われ者のオヤヂが私です(^^;)/
朝からやっていて、疲れました。今夜はここいらで退散します。
ご用の方はメール下さいねぇ(^o^)/~
真実を知る喜び。
自然の美しさ・醜さを知る喜び。
科学を生かして生活に役立てる喜び。
それもみんなにも知って欲しい。
182 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:31
>>180 こやつめ、ただ浅薄なだけかと思ったら、間違いだった。
視野が狭いだけだった。
科学でわかる真実は現象のみだからねぇ。
こういう遺伝情報(DNA配列?)はこういう形態を遺伝させるということはわかっても
なぜ遺伝させるのかはどうころんでもわからんでしょ。
生命誕生も偶然説だっけか? 偶然できてしまう生命を実験室で作る事ができない科学。
あぁ?
>>181態度でかい。
で、宗教者はどんな宗教信じてるの?
論破してやるから言ってみろよ
>179さん
確かに(w
>180さん
それを喜びと感じる事が出来る人と出来ない人が
います。
どちらが良いとか悪いとかではありませんが。
確かに宗教とかは言葉のもてあそび、或いは無知
な者の縋るものと思われているかもしれませんが
人文的な知識も面白いですよ。
いわゆる文系の知識と理系の知識の融合の先に新
たなパラダイムが見えるかも…。
187 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 20:40
>>22歳♀
科学教を盲信するのもどうかと思うぞ?
ふむ。ろくな意見を言える奴がいないな。
議論のしようがない。
そもそも私がここで熱くなっている理由の一つは
母が宗教を盲信して、そのまま心の病(分裂病)に
なったからだ。
ここに来て他人の意見を聞けば
宗教への思いも変るかと思ったが
ますますもって「浅さ」そして「無根拠」を感じる。
ま、精進したまえ。
また来る。
本題に入りまして、宗教は必要かどうか。
宗教とは「元々の教え」という意味ですから、そこに尾ひれが付いてきますと
それだけリスクも高くなる。どの程度にすべきは個人の判断。
現在「ごった煮」の状態ですから、そこから選択するのは至難。
190 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:45
科学で死の恐怖を克服できるんだろうか・・・
>183さん
生命の起源は確かに難しいですね。
でも、メタンや炭酸ガスといった原始地球の
大気組成と思われる物に、放電や熱などを加
えると有機物が出来たという実験はあります。
ちょっと古いけど、ミラーという学者だった
ような。
科学はただ、そこにある事象を語るだけです
から…。
そもそも意味を求めるのも、知性体たる人間
だからであり、本来的には世界に意味は無い
のでは?
192 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:46
>188
盲進して分裂病になるようなのは
宗教じゃねえよアホ。
タダの迷信だ。
193 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:48
他人の作った(悟った)考えに依りかかるなと
声を大にして言いたい。
>>186 書き込むのめんどくさいなあ…って思ってたら、
初心者さんが見事に代弁してくださった。
結局、宗教は思想の一つであり、価値観を創造するもの。
科学とは根本から異なっている。
整えられた有意義な宗教は、科学が解明した世界に、意味を与える。
生きてゆく力を失った人に、もう一度立ち上がる勇気と希望とを与える。
だが、科学的知識では、それはできない。
弱いものが滅んでしまうのは、仕方のないことになりはしないだろうか。
しかし、その弱いものを守り、共に生きてゆくという価値観は、
自然科学だけからは生まれてこない。
あなたは、文化の創造に寄与してきた宗教と、
ただの迷信でしかないものとの区別が、できていないのではないだろうか。
196 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 20:49
>>190 「薬で安楽死」も「神の救い」も同じことやと思う。
197 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:52
>>194 本気で宗教の勉強をし直せ!
個人崇拝って何だ?
バカ母が分裂病になった理由を考えてみよ。
分裂病の原因ぐらいは知ってるよな?
198 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 20:53
199 :
名無しさん@1周年:01/09/25 20:53
仏教は自分が悟りを求める教えだよ。
>198
そうなんだよね。
たとえば、「人を殺してはいけない」ってのも人が作った価値観だ。
それに寄りかからず、自分中心で生きろってこと?
整えられた有意義な宗教
文化の創造に寄与してきた宗教
とはどんな宗教ですか?
>>195 そもそも弱いものを守り、共に生きていこうという価値観など
存在するのですか?
日本、全世界を見渡す限り、弱いものは滅びるというのは
仕方のないことでは?
歴史的に見ても種は絶滅していますが・・・
宗教家としての意見を申し上げます。
所謂自然の法則というのがありますよね。
これが、大きな意味で言う神だと認識してます。
ですから、何だか皆様の意見を読んでいると何だか
神というのは超自然的なものをイメージされているような
感じがします(違ってたらごめんなさい)。自然の法則
と言うくらいですから、実は世の中でもっとも自然な
存在なのです。その万物の法則の中で人間も生きているわけです。
そう言う意味で人間も神の一部といって良いでしょう。
そのなかでもっとも自然な形で在ろうと、呼びかけ
教義を説いているのが宗教なのです。つまり宗教も科学も
哲学も方向が違うだけで一致するわけです。
とりわけ宗教は人間社会における法則の専門なわけです。
何方かがおっしゃっていた法律も実は聖書を始めとする
宗教経典に基づいているものが多いのです。ですから宗教は
必要か必要でないという問題でなく存在するのですよ。
なくすなら世界、いや宇宙がなくならなければ、
なくならないのです。それを道徳と呼ぶのか、法律と呼ぶのかは個人の
認識によるところが大きいのではと思います。
つまり道徳と呼びたい人は呼ぶだろうし、
法律と呼びたい人は呼ぶだろうという事です。
その認識が外国では自然なため神を信じない
という人は少ないのですね。仏教という日本の
宗教の中心がすごく難しいということが
原因のような気がしますが。昔から日本人は
頭が言いですからね。私は感覚的にこれらの事を掴んでるところが
あるのでもっと良い説明が出来る人は
替わりにお願いします。
個人的見解としては必要無いと考えます。
レスを読んで頂けばわかると思うのです
が、私は相対主義者であり不可知論者で
す。
実は、プロテスタント系のファンダメン
タリズムの教会に誘われた事があり、正
直いい人達だったのですが独善性があま
りに酷く良い思い出がありません。
信仰の勧めなどは、自分の頭の中の考え
を他人に押し付けているだけです。
一概には言えないのですが、そのように
考えております。
故に現在においては宗教は指導原理たり
得ませんし、益より害の方が多いと思い
ます。
そもそも、科学を批判する事は一神教の
立場では出来ません。
資本主義を考えればわかると思います。
>>202 今日はヲイラ、とにかくめんどくさいんだ…疲れててね。
で、不親切を許せ。
第一、あなたの持っている宗教観そのものが、
ある種の枠組みにとらわれていると思うのだがね。
例えば、ほら、あるでしょうが。大学なら東大が一番だとか。
その手の枠組みさ。
東大でなくても、他にいい大学は、いくらでもあるのに、
どういうわけか、東大が一番だと思っているアフォが。
202の後半に書かれていることが、そのことを如実に表しているよ。
今日はヲイラ、何だかめんどくさくて(と言ふか、疲れてんだよ、ほんと…)
いつものコテハン使わなかったけど、
まだどこかで会いましょう。
206 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:09
>>202 >日本、全世界を見渡す限り、弱いものは滅びるというのは
>仕方のないことでは?
滅びるほど弱い生は、それに抗おうとしないの?
207 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:11
>>194 どうして他人の考えを参考にしてはいけないのかね。
あなたの信奉する科学は、あなたが全て考え出したんですか?
すごいですね・・・。
>195さん
私にもそれは当てはまると自覚はしております。
多分このスレを読んだ信者の方は、自分達の正
しさを逆説的にですが、再確認したのではない
でしょうか。
奇しくも>202さんや私は宗教に対し何らかのル
サンチマンを抱いています。
(202さん違ったら本当にごめんなさい!)
正直人間は宗教を必要不必要に関らず、その存
在の限り放せないのだというのが結論では。
勿論、宗教が人間に果たした様々な貢献は忘れ
るべきではありません。
人間の平等と言った考えも仏教やキリスト教等
無しでは成立し得ませんでしたから…。
204では浅薄であるが、私の本音を語ってしま
いました。
209 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 21:19
>>202 >そもそも弱いものを守り、共に生きていこうという価値観など
>存在するのですか?
>日本、全世界を見渡す限り、弱いものは滅びるというのは
>仕方のないことでは?
>歴史的に見ても種は絶滅していますが・・・
ウィルスなどは(抗体に)「弱い者」が「強くなろうとする」ことによって
「進化」しているんだから、「弱いものは滅びる」というのは、
一概には言えないと思う。
逆に弱いからこそ強くなってきたんだと思う。
仏教は一神教じゃないからね。
211 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:23
植物=動物より弱い
でも植物がいないと動物も滅びる
>>207 科学全てを信奉しているわけではありません。
いいところは吸収しています。
自分の頭と手で確認してから
自分のものとしています。
宗教に100%反対しているのではありません。
いいところだけを、さまざまな宗教から吸収するのは
いいことだと思います。
これができている宗教信奉者は尊敬に値します。
>>205 ある種の枠組みにとらわれている。それはあると思います。
でもどの宗教も信じていないので
その枠をどんどん広げることができます。
ここへ来たのもある意味、自分の枠組みを広げるためでもあります。
>>204 ほぼ同意です。とくに最後の一行。
>>203 根本の部分で同意できません。
自然の法則が大きな意味での神であるという部分。
考え方は人それぞれってことですかね。
>>201 人が「人を殺してはいけない」というから
人を殺さないのではないです。
その意見を自分の頭で考え、賛同できるから
人を殺さないのです。
213 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:24
資本主義だって信仰みたいなもんだ
宗教や精神世界をちょいと探求したのは、決して価値観を創造するためではなかったな。
単純な疑問。 私とはなんぞや。なぜ私は私なのか? それが知りたかっただけどね。(藁)
215 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:26
>214
これを科学で解明してみて下さい
宗教より科学が優れているのならできるよね。
>198には誰も反論できないらしい
217 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:29
>人が「人を殺してはいけない」というから
>人を殺さないのではないです。
>その意見を自分の頭で考え、賛同できるから
>人を殺さないのです。
その考えの内容教えて。
それはこの板の住人にとってとっても有意義なことだから。
ちなみにこの板には多分宗教家は来ていないと思うよ。
>>203 >宗教は
>必要か必要でないという問題でなく存在するのですよ。
>なくすなら世界、いや宇宙がなくならなければ、
>なくならないのです。
人間が消滅したって宇宙は存在するだろ。
傲慢な宗教家だな。
>>212
神であるというよりも
神と呼んでるといった方がいいかな。
少なくとも私達、それとキリスト
、ユダヤ教はそうですね。
ま、宗教にも色々在りますからね。
私達にしてみれば宗教を名乗って
欲しくない物も正直あります。
科学でも宗教でも解明なんてできないよ。ただ仮説を語るのみ。ただ宗教の多くは我こそ真実みたいな
こという場合がおおいけどね(藁)
私としてはどの仮説がもっともらしいかを検証していくだけなんだけどね。
>218
意味わからん。
宗教=人間なの?
証明できない問題があることは科学は証明した。
だが、ほとんどの宗教は認めてない。
それが決定的な差だよね。
>>218
良く読んで下さい、私は自然の法則を神と
呼んでいる。だから人間が滅びても
法則は滅びないので神は滅びない。
だから宇宙がと表現させていただいたのです。
224 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:37
>220
いやいや。
真実は「我」の中になんかないよ。
というか、人間の中にはない。
225 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:38
>222
そのほとんどに含まれない宗教が仏教だな。
226 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:39
宗教や精神世界を探求したのは、両親や学校や社会の価値観に
対抗するためでした・・・私の場合(ワラ
今の自然科学も資本主義(拝金主義)も豊かな生活も悪くない
どころかとっても素晴らしいんだけど、
それだけでは面白みに欠ける気がする。
それと、一つの宗教の言ってることを最初から100%
信じるような人は逆に少ないんじゃないかな、という気はする。
>>215 宗教にも科学(に近い考え方)があるし、
科学にも宗教(に近い思い込みみたいなもの)があるから、
どっちが上か下か言い出したらキリ無いと思う。
証明はできんが、なにがもっともらしいかを探ることはできる。
でも仏教は苦からの解放にとってはじゃまになるとそれを否定した?っけ?
苦の解放をめざさない私にはそもそも仏教は無縁のものだと感じる。
229 :
名無しさん@1周年:01/09/25 21:56
証明できないことを追い求めるよりも
まず目の前にある自分の苦という現実を見つめなさい。
みたいなことを釈迦は言ってなかったっけかな。
人生に疲れました。どなたか私の相談にのっていただけませんでしょうか?関西在住・23歳・会社員
私でよければ
そうそう、だから無縁のもの。(藁)
苦の解放はやろうと思えばある程度科学でできる。痛み、暑さ、寒さなどは伝達いる神経を麻痺させてやれば
肉体的苦しみを麻痺させることができるだろう。
ただそうすると人は早々と死ぬだろうね。肉体的苦は固体の死の危険に対する警報装置だから。
あと死の恐怖。これもなかったら、人類はあっというまに滅亡すると思うよ。死にたくない、生きたいという
本能があるからこそ、生命は存続する。
だから生命、種の維持警報装置である苦をみつめても..だからなに?というのが個人的意見。
233 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:12
>232
それは解放じゃないだろ・・・
つーか四苦八苦の意味知ってる?
>230
こういった世の中ですからいたしかたない。
で、どうされましたか?
235 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:14
生・老・病・死
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五蘊盛苦
236 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:17
>232
肉体的苦痛の話なんて誰もしてませんが。
237 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:25
人生なんて ほどほど でええじゃないか!!
一応、死の恐怖についても書いたけど。まぁ、遺伝子にくみこまれているから肉体的苦痛といってもいいのかな。
精神的苦? そんなもの肉体的苦にくらべたら、個人的には微々たるものなんでみつめる気はしない。
>232さん
その警報装置を取り除きつつ、存続を目指すべきでは?
それに肉体的苦痛は苦しみの中でも最たる物だと思うの
ですがそれでも無縁だと?
そうだとしたら本当に羨ましい…。
235さんが言っているように苦痛は肉体的な物だけでは
ありませんが。
仏教のことはよくはわかりませんが、仏教とは苦しみの
輪廻からの解放だけを指向しているのでしょうか?
小乗はともかく、大乗はそうでもないような。
疑問ばかりですみません。
あなたが仏教にくわしそうなものでして。
240 :
オコチャマ:01/09/25 22:37
人間がみんなほろんでも
秋風はさわやかに吹いているんだろうね
そういうことですね。
苦楽は生命の方向性をきめる。生命は苦を避け、楽を求める。
見事なもんだと思うよ。苦楽がなくなるのは生命活動の終点なんだろうね。
生命にはじまりがあるのなら、終点もあるだろう。でもとても人間が終点とは思えんけどね。
243 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:48
>238
幸せな人生を送っているんだなあ。
じゃああなたが世の中の人を救ってあげてよ。
そうすることではじめて仏教に用はないといえるんでは。
244 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:52
別に他人が仏教しようがかまわんよ。個人的に興味ないといってるにすぎんからね。
人を救うって.. 肉体的苦は医学が必要だし、精神的苦はその人自身の心のもちかた次第じゃん。
そう、
その心の持ち方を教えるのが仏教なんじゃないかな。
いつも思うんだが
無宗教者ってどうして宗教やってる人を攻撃するんだろう?
それってどっかのたちの悪い宗教と変わらないって分かってるのかな。
247 :
名無しさん@1周年:01/09/25 22:58
>>246 いえてる・・・246さんに1万モナー増資します。
248 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 23:04
>>246 科学自体が論争と意地の張り合いから発展するからじゃない?
249 :
名無しさん@1周年:01/09/25 23:08
>248
そりゃ戦争も起こるよな・・・
250 :
:「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 23:14
そして宗教は一方的な偽善と自己組織の正当化によって蔓延していく・・・。
てか?
どっちもどっちってことか。
結局人間が愚かってことだね。
252 :
名無しさん@1周年:01/09/25 23:25
>>246 いえいえ、無宗教で自分がどの方向に進むべきか、
迷っている人も多いと思います。
本当に興味がなければ、ここに来ないでしょう。
253 :
:「シュレーディンガーの猫」:01/09/25 23:28
>>251 まあ愚かとは言わんけど、人間的でいいよね。
ある宗教によって救われる人がいるのも事実だし、
科学で、現世は便利になった。
両方を享受してもいいし、片方だけを信じてもいい。
よーするにこの問題は、2が結論でしょう。
ただ、組織というのは科学の学会でも宗教でもそうだけど
権力をもつことによって必ず腐る奴がでてくるということ。
結局は人しだいなんだよね。
255 :
名無しさん@1周年:01/09/25 23:46
ようするに宗教家が、結構儲かってるのが嫌なんでしょ。ただの妬みじゃん。 それだったら坊主の修行とか神道、神父の修行?とかしてから、改めて批判しろって!
256 :
「シュレーディンガーの猫」:01/09/26 00:39
>>255 んーどうだろう?偉大な科学者の方が儲かってるからねぇ。
でも金銭的に儲かっている宗教家が多いのも、たしかだよねぇ。
「ほんとに救世の気持ちがあるのか、その金で救われる人々もいるぞ!」
と言われて、財産投げ打って信仰を貫く宗教家も少ないし。
あと宗教擁護派(ちゃうならゴメン)が金品ネタもちだすのはどうだろう・・・?
257 :
名無しさん@1周年:01/09/26 02:02
科学と宗教を同レベルでとらえている人が多いようですね。
おめでたいことですな。
日本人の多くが無宗教なのも納得できるというものです。
宗教は、それが必要だと考える人にとっては必要であり、
そんなのは必要ないという人にとっては不必要です。
259 :
名無しさん@1周年:01/09/26 02:26
>>258他人にすすめたりしないでね。
自分で勝手に信奉してください。
僕の親父は物理学博士で若い頃は大学の講師なんかしてたみたいだが、
何故か知らん俺が5歳くらいの頃大学辞めて牧師の修行しだして、
いつの間にか胡散臭い説教垂れるオッサンになった。
或いは出世が見込めなくって大学にいるのが嫌になっただけかもしれんが。
で、そのオッサンがよく垂れる説教ってのが
「聖書にある記述は、聖書が書かれた時点での科学的、
もしくは哲学的な問題に対する仮説を我々頭のあまりよろしくない人間にも分かるような形で
翻訳したものであると私は考えるんですねぇ云々」
「こんな古くさい本に書かれていることでも、その中には
現代においても尚通ずる問題提起や、それに対する一つの回答が沢山あるんですね。
人間なんてたかだか千年二千年じゃあ脳味噌の中身はあまり変わらんってことでしょう云々」
僕のごく身近にこんな人間がいるんだから、
世の中でさほど珍しい存在ではないだろう。
科学と宗教、科学者と宗教家、科学的思考と宗教的思考、
これら全ては対立するものではないと
このスレでも何回も繰り返されていることを再び言ってみるw。
例えば、神様が「光あれ」つって光がどうの何て話は神父も牧師も信じちゃいないのであって、
ここ読んでると、まずその辺を理解してない人が見受けられる様に感じたりする。
261 :
名無しさん@1周年:01/09/26 06:40
科学と宗教は対立するものではない。
次元が違うのだ。
無宗教と自称する人でも、何らかの哲学はもっていますよ。
仏教でも、思想という範疇でとらえれれば「信仰」という概念は無いにしても、一応
仏教には傾倒しているが「宗教」という概念から少しはずれる。
それを称して「日本教」と言うんだとおもいます。
「日本教」信者は、えてして「無宗教」を自称しますよ。
「いただきます」を唱和している学生を見て、”食前の祈り”だと感心した
イギリス人神父がいたさうな。
264 :
名無しさん@1周年:01/09/26 10:43
265 :
名無しさん@1周年:01/09/26 11:08
<<256 私は宗教擁護するつもりは、無いですが信仰はしてます。金銭の事を持ち出してもうしわけありませんでした。頭から批判しないで、よく勉強・実践してからにしてほしかっただけです。気を悪くしないでね。
そもそも、精神的にも経済的も、
権力的にも、他人に寄りかかっている人には、
宗教の必要性は感じないだろう。
自分が無宗教者だと宣言することは、
自分がアマちゃんだと宣言しているようなものです。
自称無宗教者の方々は、信仰している人こそが、
宗教に頼っているとか、神仏に頼っていると思っているようだが、
それは違ってますね。
自称無宗教者の方々は自分だけの力で生きていると思えるくらい
周りの人や、周りの環境に過剰に助けられている。
宗教者、無宗教者どちらの立場であっても対する立場を批判する輩が多すぎる。
自分達の側のほうがずぐれていると信じているゆえの傲慢さ。
>>267 それもあるし、さらに、自分とは異なる考え方について、あまりにも不勉強。
だから、先ず対話を通して相手のことを知ることから始めるべきなのに、
対話と議論を飛び越して、いきなり批判を始めるから、
読んでいておかしいやら、情けないやら。
もっとも、2チャンなんてその程度のものなのだろうけどね。
269 :
名無しさん@1周年:01/09/26 12:40
また 更にこれまでの議論を批判する人がいる。はぁーぁ
270 :
名無しさん@1周年:01/09/26 12:47
>>268は、「議論になってない」「批判ばかりで情けない」と言いたいのだろう。
それに対し、
>>269は「議論を批判している」と言っている。
単純に考えると、269は268が言っていることが理解できていない、ということになる。
要するに、269のような連中が、言いたいことを言い合っているのが、このスレだ、ということにならないだろうか。
議論の内容に対する批判はけっこうだと思うが、人格攻撃的批判が気になるぞ。
>>264 だって、有る程度の日本語は知っていても日本文化を知らない神父だったみたい。
後に”黙祷!”って日本語を覚えて多用したら、学生の顰蹙買ったさうな。
273 :
名無しさん@1周年:01/09/26 13:36
各宗教の優れた所をそれぞれ吸収できる人はいないのですか?
そして自分なりの価値観を作っていく、というのはどうでしょう?
>>273 吸収できているかどうかは怪しいけれど、
私は少なくともそうなりたいというスタンスで生きています。
しかしながら、「ここはキリスト教の教えが優れていて、仏教の哲学はそれに劣る」
てな具合にいくものでないことをまず理解すべきだと思います。
275 :
名無しさん@1周年:01/09/26 15:49
>>273 その考え方自体が本質的に宗教とは相容れないと思われるので、
それは不可能、あるいは無価値、ではないでしょうか。
宗教において個人に求められるのは、自己実現とは逆の方向です。
>>273 それがいわゆる「日本教」ですよ。無宗教と自称する方も一応信者でしょう。
268 もっとも 2chなんて・・・・・・。 何でそう言えるかな。あなたは、不勉強では無いみたいなので、何について理解しているのか興味あり。 270 まぁ むきになるなよ いろんな人がいるさ。
278 :
名無しさん@1周年:01/09/26 17:42
>>276 日本教?
十把ヒトカラゲにしないで下さいよ。
>>278 それでいいんですよ。分類の問題ですから
>>278 アララ、これはスマソ。まあ一般論ということで。
個人的には、「日本教」は、まあ良いもんだと思ってますもんで・・
281 :
名無しさん@1周年:01/09/26 19:11
日本教と言ふのは、ある特定の宗教の固有名詞ではないので、
別にかまわないと思ふ。
282 :
名無しさん@一周忌:01/09/26 21:29
「日本教」というグループが組織されているわけではないから、
宗教と呼べるかどうか分からないけど、人を従わせる独特な空気
があると思う。
今のアメリカなんか見てると分かるよね。
アメリカ教に洗脳されてる。
アメリカ不支持=テロリストと同等
と言う思考になってる。
>>283 そうか〜。「日本教」も、へたをするとナショナリズムに繋がるね。
285 :
名無しさん:01/09/26 22:45
>>284 ナショナリズム自体は別に悪いことではない。
286 :
名無しさん@1周年:01/09/26 22:50
いや、悪い。 >285
287 :
名無しさん:01/09/26 22:51
日本「教」ってなにを教えてるんだ?
289 :
名無しさん@1周年:01/09/26 22:59
>>288 宗教やってるやつの言い訳だろ?日本峡って。
290 :
名無しさん@一周忌:01/09/26 22:59
滅 私 奉 公 ! 先 憂 後 楽 !
その他いろいろ・・・・・・・・・
個人の欲求よりも世間に波風を立たせぬため我慢すること。
事の善悪よりも「皆がやっている」かどうかを重視。
291 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:03
それならそれで立派だが、今はもう違う。
>>290
日本を中心に考える発想。
293 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:10
>>292 あなたもそうでしょう?
それとも世界の人々はみな平等だと?
あなたの財産をすべて飢えている難民に差し出すなら
わからんでもない。
説得力がないんだよ、宗教やってる奴は。
294 :
名無しさん:01/09/26 23:11
>>293 見方が狭くないか?説得力のある奴も結構いるよ。好きか嫌いかは別として。
295 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:12
>>293 ガンジーやマザーテレサなら説得力があるの?
>あなたの財産をすべて飢えている難民に差し出すなら
>わからんでもない。
意味不明。何の関係があるんだ?
説得力がないのはあんただよ。
293のようなのを「宗教嫌い教」といいます。
無宗教だからといって宗教を攻撃しては
どっかのいかれた宗教と同じです。
自分と違うものは認めたくないんですか?
298 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:44
299 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:47
300 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:49
300!!
蓮如は他宗を非難してはいけないと言っていたね。
302 :
名無しさん@1周年:01/09/26 23:55
宗教を持たなくとも生きていく人間が存在しているという
事実から、宗教はなくともよいものと考えられる。
しかし宗教者というものは、「宗教は必要か、不必要か」
とは考えず、自らの宗教は真実であると考える。
つまり宗教者にとってこのスレの問いは無意味である。
>293
>それとも世界の人々はみな平等だと?
>あなたの財産をすべて飢えている難民に差し出すなら
>わからんでもない。
これ自体が既に「不平等」そのものなんだが・・・
意味わかるかな?
必要とする人間にとっては必要。
「人間」とひとくくりにして語っても結論は出ないと思うよ。
305 :
名無しさん@1周年:01/09/27 00:04
必要であるから宗教を行うというのであれば、それは
間違っている。
宗教は必要だから信じるのではなく、真実だから信じ
るものだと思うのだが・・・。
必要か否かで語るものではないでしょう。
それって人間の勝手な都合で宗教を見ていることになる。
それこそが対立の原因なんでは?
307 :
名無しさん@1周年:01/09/27 00:09
308 :
293で〜〜す。:01/09/27 00:13
すみません。スレット間違えたようです。
お邪魔しました。
>宗教を持たなくとも生きていく人間が存在しているという
>事実から、宗教はなくともよいものと考えられる。
この論理で行くと
性欲や恋愛も不要だね。
310 :
293で〜〜す。:01/09/27 00:15
違うスレに書いたつもりでした〜〜
311 :
名無しさん@1周年:01/09/27 00:27
>309
性欲や恋愛感情というものは生まれつきのものだと
思われます。
>170=22歳♀
激しく亀レスでスマソ。
レスありがと。でもあのレスじゃやっぱわかんない…
死因がいくらわかっても悲しいもんは悲しいしさ。
スレ全体でほぼ結論がでてるっぽいんで質問はもうしないね。
>307
私が思っているのではなく、宗教者がそう考えるという
ことです。
なぜそんなことを私がわざわざいうのか、それは宗教を
行うのは宗教者だからです。宗教者の方に聞いてごらん
なさい。「必要だから宗教を信じているのか?」とでも
ね。
ちなみに当方無宗教です。
314 :
名無しさん@1周年:01/09/27 00:38
必要だから無宗教であると信じるのではなく真実に無宗教なのです。
315 :
ぶらどぅ@:01/09/27 01:28
いや二日ぶりに覗いてみたら
まだあってちょっとびっくり
前に書いた発言では書きませんでしたが自分は無宗教です
(「“日本教”じゃないのか?」と聞かれれば「そうかもしれません」
と答えざるえない行動と価値観をしていますから偉そうなことはいえませんけど)
ですが宗教家とか特定の宗教を信仰している人にはその人が私の自由意志を尊重する限り
その信仰を尊重しているつもりです。
でも、宗教に傾倒してようが無宗教を信条としようがどちらにしろ良いのですが
狂信的な発言(特に無宗教を自認する人の発言が多く感じられます)
が目立つのは少し悲しいなおもいました。
316 :
名無しさん@1周年:01/09/27 02:02
> 狂信的な発言(特に無宗教を自認する人の発言が多く感じられます)
改善したいので、具体的に狂信的な発言を指摘して欲しいと思う。
317 :
名無しさん@1周年:01/09/27 02:34
316に激しく同意!
改善しても新たな「無宗教」宗教になるだけだぜ?
319 :
ぶらどぅ@:01/09/27 03:12
ほいほい
>316&317
言葉足らずにごめんなさい
さて具体的な発言を指摘してほしいとのこと
「宗教やってるやつはみんなバカだ」的発言のことを指して
ボクは感情論に走って狂信的な発言とも取れて
同じ無宗教と言ってる人なのにヤダなぁと思ったことを書いたまでのこと
宗教に信奉してるからって人格攻撃する理由にはならんし
信仰の自由は守られたものでしょ?この国の中では
(宗教に入信してないやつは人じゃないみたいな考え方にも賛同しかねるが)
それともう一つが
大体論点は“人間にとって宗教が必要なのか?”ってことで
宗教やってたらバカなのか?
でも
無宗教は偉いのか?
でもない気がするぞ!っといった意味も含んだつもりで書いただけ
まぁ、話の脱線も論議の内だと思うけどね
320 :
名無しさん@1周年:01/09/27 03:28
>>319 日本教を脱しつつあるね。それでは駄目だ。
日本教教典
・私は常識という正しい価値観が存在すると信じます。
・私は常識があらゆる宗教を超えて正しいと信じます。
・私は常識を正しく知っていると信じます。
・私は世界中の沢山の人が常識を正しく知っていると信じます。
・私は常識を知らない人を啓蒙します。
・私は正しい常識を知らない人を糾弾します。
・私は常識をかけた争いでは一歩も相手に譲りません。
>>319 憲法で保障されているのは「信仰の自由」じゃなくて「信教の自由」一字違いだけど
随分と意味合いが変わると思うよ。
日本教ってなんだか、○原猛みたいやね。
322 :
ぶらどぅ@:01/09/27 04:11
>321
おお!ホンマや念のために調べたけどやはり私が間違いだ
大事なところだからね
良心的訂正の意見に感謝いたします
ありがとう
323 :
名無しさん@1周年:01/09/27 09:13
>319
「宗教をやってる奴はみんなバカだ」とか言ってる奴は
宗教者とか無宗教者とか関係なく、このスレを荒らそう
としているような確信犯的な奴ばかりだから相手にしな
くても良いと思われ。
>320
まあそれに付け加えるとしたら、年間行事として・・・
初詣、ゴールデンウイークの大移動、彼岸、お盆、大運動会、クリスマスetc
いわば文化として完全に根付いている。
325 :
名無しさん@1周年:01/09/27 15:32
物事を決め付けるのはよくないですよ
宗教やってる奴が馬鹿なのではなく、
宗教やってる奴には馬鹿が多い、です。
>>325 だまらっしゃい!
さぁ、祈りなさい。
信じるものは救われる。
>>326 はてさて、お祈りで池に沈んだ石が浮かぶかのぉ(^^?)
328 :
名無しさん@1周年:01/09/27 20:13
>326
信じるものしか救われない・・・でしょ?
>>327 もちろん。その祈りの力が強ければ不可能はない。
>>326 それは昔の話。
わしの力もアプしたのじゃ。
みんなわしの子供じゃ
>>329 あらら、そーなの(^^?)
仏伝をお勉強されても良い鴨(^O^)/
>>330 うむ。仏陀のやつはなかなかいい奴じゃった。
わしも仏教は認めておる。
332 :
名無しさん@1周年:01/09/27 20:19
>329
アガペの愛って奴っすか?
>>329 あがぺ?詳しいことはしらん。他あたってくれ。
>>332 はいはい、アガペですね(^0^)/
仏教で言えば、慈悲にあたるでしょうか。
ある神父は”悲愛”てな造語を編み出しました。
まぁ、私の理解では見返りを求めない、あげっぱなしの”愛”のことでしょーね。
335 :
名無しさん@1周年:01/09/29 02:29
>>333 情けねーコテハン晒しage
よそで駄スレ立てんな。回線切って首吊れ
336 :
名無しさん@1周年:01/09/29 02:44
>>333 アガペも知らずに宗教板でコテハン。
(・∀・)イイ!
>>335 だまらっしゃい!
いかづち落とすぞ!トルァ!
338 :
名無しさん@1周年:01/09/29 18:32
ぜうすサンヘ、ブッキョウノ ドコノオシエヲミトメテイルノカ オオシエクダサレ
340 :
あかふくもち:01/09/29 22:29
突然でスマソ。結構いいスレ(お題)なのにかなり逸脱してるのは
忍びないのでー。
「人間にとって宗教は必要か?否か?」だったよね。
じゃ、「人間」と「宗教」の定義は出来た上で話できてるの?
ちょっとマジはヤバ?
341 :
名無しさん@1周年:01/09/30 13:23
ヤバかないけど。
めんどうだし。。。
とりあえず、あなた定義してみて。
たたき台に使えるかもしれないから。
ヨロシク
342 :
名無しさん@1周年:01/09/30 15:59
>>340 定義よろしく!
人間・・・霊長類の一種。500万年前に出現と言われる。
宗教・・・弱い心、辛い心の拠り所として大昔に出現。
343 :
名無しさん@1周年:01/09/30 16:27
344 :
おらかみさまだ:01/09/30 16:37
宗教なんて、いらん。宗教のために命を落とすのもばかばかしい。拝みたきゃひとりでおがんでろよ
345 :
名無しさん@1周年:01/09/30 20:22
定義
人間:あなた
宗教:なんでもかまいません。あなたが宗教という言葉で連想するところの、わけの分からないものどもの総称です。
定義なんて、こんなところで充分だと思いませんか?
346 :
あかふくもち:01/09/30 20:31
>341
「宗」という字を漢和辞書で引いてみた。ギーコーギーコー・・
えっへん、意味のなかに「源(みなもと)」とか「生まれ出てきた処」なんて
書いてある。
でその「みなもと・生まれ出てきた処」の教えなので、生命の哲学とか科学とか
元々はそんな学問?だったのかも知れない。
知れないと言ったのは、自分でハッキリ規定する自信がないから・・
どなたか、この考え○ それとも × ? ご教示くださいませ。
まー、○だったと仮定すると、「生命が何処から来たのか」考えると
おのずと自分の生命も引いては他の生命も大事に考えるはず。(個人意見)
で、そんな考えを持つに至ったとしたら何で宗教間で命まで奪うような
争いが発生する?私個人は起こること自体何か誤りがあると感じる。
宗門によって、歪んだ行いを惹起させるような処もあるのかも知れん。
特に信者獲得にヤッ気になるような会は要注意かも?(個人意見)
347 :
あかふくもち:01/09/30 20:40
>345
さて、「人間」なんだけど「人」ではなく「ニンゲン」としたのは
何か意味があるのかな?
私の趣味ですのでお気に障りませんように。↓
中村天風師の生き様が好きで、直弟子の佐々木将人さん(合気道の師範)
の著書を読んでいる。
今、友人に貸出し中なので、覚えているカンジで書いてみるね。
漢字は色々と教えてくれる。<中略>人の夢と書いて儚い(はかない)
と読む。ヒトは生まれた時はヒトでも、一番大事なことに気付き、
ヒトから人間になる。人間の夢は人の夢とは違う・・
この「人間」って??ちと難しい。 分かります?
人と人間の違い。
348 :
名無しさん@1周年:01/09/30 20:42
みんなよってたかって宗教への御批判御苦労様。でもそれって宗教じゃ無いから。 それと誰にも迷惑かけずに本気で信仰してる人も中にはいるから一緒にしないで批判があるなら大体でいいから指定してください。
349 :
あかふくもち:01/09/30 20:43
>346 347
ちと読み辛いかと思いますが、勘弁してなんとか
一緒に考えてみてくだされ。
350 :
名無しさん@1周年:01/09/30 21:38
>>349 逸脱しはじめたのは最近のことだから
定義うんぬんよりもとに戻ってはじめたらいいんじゃない。
とりあえず粘着ゼウスおよびゼウスにからんだ粘着は無視、
ってことでどうよ。
age
352 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:05
>>348 つまり、君は自分の信じている宗教だけが本物で
他の宗教は偽者だと思ってるわけだ。
君の信じている宗教も批判されてるとは思わない?
353 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:09
私たちはどこから来てどこに行くの?
354 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:12
宇宙から来て宇宙へ還っていくのです。
宇宙ヤバイ
☆
λ / :。
( ゜-゜)ρ ‥
σ( ) ・` 。・
υυ 、’
超ひろい
355 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:13
宇宙ってどこにあるの?
今いるここは宇宙ではないの?
356 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:15
ここも宇宙の一部です。
わたしもあなたも宇宙を構成するものの一部です。
357 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:18
そうだね。
私たちは宇宙の中で生かされている
小さな小さな存在に過ぎない。
自分の力ではなにひとつ出来ない。
出来るように思わされているだけ。
358 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:27
確かに私たちはとても小さな存在ですが
その小さな存在の一挙手一投足が
宇宙の未来に影響を与えます。
自信をもって生きて行きましょう!
359 :
名無しさん@1周年:01/09/30 22:59
>>346 みなもとの教え?なんとなくいいな。私的には○。
宗教のあり方として考えていたものに近い。今の宗教界とあまりに違うから、
理想論だったのかと思ってた。後半も同感。
>>347 人と人間の違い?人は理性、社会的な部分を多く含む感じ。
人間はどちらかというと、本能的な部分を指す時に使うかな。
あかふくもちさんの捉え方と逆だね。
で、あかふくもちさんは、話をもとに戻して何を言いたいの?
宗教とは、世界各地で自然に発生しているのだから、必要か・必要ではないか、でなく
信じるか・信じないか、信仰するか・しないか、ではないでしょうか?
宗教心を持つことによって自分の人格形成や生きる支えになることは確かです。
しかし、人は時にそれを悪用してきたりもしました。今回のアメリカのテロも宗教心を
用いて人々をコントロールしてしまった例でしょう。
必要か、必要ではないか。それは自分自身が決めること。
だって、他人が『キリスト教を信じろと言ったから信じる』『イスラム教信者になる必要があると言われたから
なる』、ではないでしょう。
>2さんと同じような答えになってしまいましたね。
ただ、最後に付け加えておくと、宗教が必要か・必要ではないか。それは『本を読むことは
必要か・必要でないか』『化粧をすることは必要か・必要でないか』などと同様、他人が
左右できるものではありません。信仰心とは、そういうものではないからです。
ましてや宗教、強制することはその人の人生を左右してしまうことになりかねないからです。
361 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:36
362 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:46
2に補足を付け加えるなら
人間は生きていく上で何らかの信念が絶対に必要で、
それを宗教に求めた人には宗教が必要で、
違うものに求めた人には宗教は不必要ってことだと思います。
つまり、仮に宗教がなくなったとしても
それに代わる何かがあればいいわけで、
人間にとって宗教が必要なわけではなく、
生きていく上での寄る辺として、
なんらかのイデオロギーが必要なのではないでしょうか。
363 :
名無しさん@1周年:01/09/30 23:51
宗教は暇つぶしです。
364 :
名無しさん@1周年 :01/09/30 23:58
宗教が必要かどうかというテーマは宗教を撲滅できるかということと
同じくらいの愚問である。
なぜなら必要だからこそ存在しているからである。
不必要であれば、自然に淘汰されるはずである。
全ての宗教(害毒宗教も含む)には、役割があるのだ!
365 :
名無しさん@1周年:01/10/01 00:21
>>364 別に宗教が必要なわけじゃなく
それに代わるものがあればいいんじゃないの。
現に宗教なんて全然信じなくてもやっていける人は
たくさんいるわけだし。
必要だから存在しているという考えもおかしいと思うよ
世の中には不必要なもの、意味のないものだってたくさんあるさ。
カルトなんてそれで得をしてる
ごく一部の人間だけに必要なわけで
社会的には不必要だよ。
社会的に必要なのはもっと別の受け皿だと思う。
全てのものに意味を見出そうとする必要はないのでは。
>365
だからその
「変わるもの」「別の受け皿」ってなに?
提示してみてよ。さあ早く。
でなければこの書き込みも
必要ないし意味ないね。
一部の人間にしか必要としないものは
社会的には不必要ですか?
じゃああなたの存在も不必要ですね。
>>366 現時点の日本には残念ながらカルトに入ってしまうような
別の受け皿は存在しないか、もしくは足りないのでしょう。
だから、カルトが蔓延してしまう。
>>367 私も不必要ですし、あなたも不必要です。
自分が社会から必要とされていると思いたい
あなたの気持ちは分かりますが。
あきらめてください。
あなたが明日死んでも、地球はまわり続けます。
368の一行目訂正します
カルトに入ってしまうような人の
370 :
名無しさん@1周年:01/10/01 00:49
宗教が存在するのでお金と物以外の価値観も世の中に存在することがわかります。平面(二次元)に映った影が三次元の物の影だとしたら私達は四次元の何かの影なのかも?なんて考える暇つぶしの種にもなりますね。
372 :
名無しさん@1周年:01/10/01 00:57
いや、時間つまり動きをすっ飛ばしてしまえば、地球は回っているように見えたかもしれない
というだけで、回ってもいないしとまってもいない。地球があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。
つまり、「あなた」が死んだら、地球は回っていません。まだ地球はないかも知れないし、
いや地球も宇宙もすでにないかもしれない、どちらにしても「何も言うべきことはない」という
ことかもしれません。
だから、一人一人が生きているということはかけがえのないことで、絶対に
「私も不必要ですし、あなたも不必要です」とか「あなたが明日死んでも、地球はまわり続けます」
なんて言ってはいけないと思います。あなたのいのちは今かけがえがない動きのある世界で
躍動することが出来るんですからネ。限りある生を人生卒業って時までマットウしようじゃありませんか
というのが無難な言葉じゃありませんか?ちょっと読んでさみしくなったので横レス失礼!です。
373 :
名無しさん@1周年:01/10/01 01:07
それぞれの人の心の中にそれぞれの世界(宇宙)があるって事か。
「人が一人死んで行く度に一つの世界が消えていく」といった人がいるね。
でも、「あなたが明日死んでも、地球はまわり続けます」 これは紛れも無く本当の事。
ここのスレッドは面白くなりそうです。さて1人1人の人間(樹や動物も)の個人的な体験と理解はその人を通じて地球に伝達され蓄積されます。人間は地球の神経細胞のような存在。「楽しい」という人々の波長を地球は好きなのでは?
宗教はたしかに必要性から生まれてくる。
でも人間の築いてきた歴史に比べればたいした教えではないよ
宗教で人間の築いてきた歴史は覆したらいかんよ。駄目になるよ。
今有る現在を生かすような、よりよくいきれる宗教ならグッドだとおもう。
なかなかないけど。よかったら探してみよう。たいしたことはないとおもうで。
でもおれは。それはいっとくよ。やんでる人おおいんだから、新の友愛でもって
ひろがる、団体があればいいなぁとおれはおもってる。
376 :
名無しさん@1周年:01/10/01 22:04
だから人間だけで築いてきたと思っている人が沢山いるから信仰があるじゃない。この環境は自然なしではありえない。
377 :
名無しさん@1周年:01/10/02 00:20
<<374 なかなか面白くていい感じ!! たしかに地球には大変ご迷惑掛けております。
378 :
名無しさん@1周年:01/10/02 01:40
>347=あかふくもちさん
遅レスですいません。答えが知りたかったので…
人は一人の人の意。んで人間は大勢の人の意。なんて風に思ったんですけど、どうです?
>374さん
神経細胞ですか…だったら体全体(地球)の健康の為に、悪いもの(例えば憎悪とかの波長?)
に近寄らない(思わない)ようにした方が良いってことでしょうか?確かに体に良さそうです…
>377さん
確かに面白いですよね。同意します。
379 :
名無しさん@1周年:01/10/04 11:15
あげ
>>372 恐竜の歴史2億年。人間の歴史200万年。
ルネッサンス以後、人間を高く評価し過ぎるのではないか。
人間の知能が発達する以前は、宇宙も、法則も、宗教も全く概念の無い世界。
まあようするに、人間など存在しなくてもチャンと地球は回っている。
そういった極々弱い存在である人間。だから宗教があるのではないか。
>「楽しい」という人々の波長を地球は好きなのでは?
だったら釈迦に「一切苦」なんて言葉をはかすような地球にはなってないって。
383 :
名無しさん@1周年:01/10/04 17:11
↑ こういう人がいるっていうことは・・・
やっぱり必要なんじゃないですかね?
宗教ってオカルト的にとらえがちだけど、本来はなんか道徳やモラルに近いような気がする。
見えないものを敬う心で科学をつかう。そういうのがだいじなんじゃあ?
>>384 手順とすればそういう事。社会科学で世界観を構築するのはいいが、後は「こころ」の問題。
383さんのいうように、仏教はもともと「信仰」という概念が無かった。
「盲目的信仰を捨てろ」。と釈迦は言っている。すなわち執着は捨てろ。道徳だね。
386 :
名無しさん@1周年:01/10/05 02:41
>>385 今、手元になんも資料がないからアレだけど、
盲目的信仰ってのはサンスクリットでは「バクティ」これは仏典にはあまり出てこない
単語。でも、「アディムクティ」とか「アビサンプラヤ」とか「シャッダー」「プラサーダ」
など、「信仰」に関する単語は多いよ。パーリでも同じ単語はあったと思う。
アーガマの中にも「自灯明・法灯明」なんてのは信仰的態度と見ることはできるね。
つーか、長レスになるけど、ウパニシャッドの奥儀は「善因善果・悪因悪果」だから
道徳なんてもんじゃない。いわばニヒリズムだね。
うーん。説明不足だけど、聞きたかったら答えるよ。
実は以前にもあんたにレスつけたけど、トンデモ知識をもっともらしく語るのはやめたら。
っというか、もっと謙虚に勉強することを学んで欲しい。(一仏教学徒のはしくれより)
>>386 うむ、これはバラモン教から話を進めませんといけませんので長くなります・・
現代における「宗教」という概念よりも、道徳という概念に近い・・という意味です・・
ニヒリズムとは全く違います。儒教のように宗教か、道徳か国によって見方は違います
キリスト教文化圏では、仏教を「道徳」と見ている人が多い・・
いらない〜必要〜いらない〜必要〜いらない
いらない いらない いらない いらない
必要 必要 必要
a. [JPNICハンドル] YO583JP
b. [氏名] 大西 康之
c. [Last, First] Onishi, Yasunori
d. [電子メイル]
f. [組織名] 大西内科
g. [Organization] Onishi Naika
k. [部署]
l. [Division]
m. [肩書] 院長
n. [Title] Director of a Hospital
o. [電話番号] 0896-56-2018
p. [FAX番号] 0896-59-1192
y. [通知アドレス]
[最終更新] 1998/03/17 10:59:24 (JST)
>>386 貴方が「仏教学徒」というのであれば、もう少し違うレスにしておきます。
387レスはあまり意味はありません。
仏教が信仰の対象というのは肯定します。ただし、それは「道すじ」ということではないでしょうか?
見性するにしたがい、「信仰」という概念が変わってくると思います。
その世界こそ「仏の境地」であり、仏教というのは「一仏信仰」ではない・・というのが解るのではないでしょうか?
392 :
名無しさん:01/10/05 13:32
>>386 ニヒリズムじゃなく、ニヒリズムの克服だろう。
>>391 仏教において「信仰」とは手段であって目的ではない。という文脈なのであれば、
386に書いたように、仏教において「信」はさまざまな単語で表現されているので
あるから…っというかー、仏になれば三帰依がなくなるわけじゃないでしょ。
>>392 どこのでもいいから、哲学辞典等で「ニヒリズム」の定義をよく理解してから
レスつけるように。
まあ、単純にニヒリズム=虚無主義でもいいんだけどね。この場合。
ウパニシャッドの「善因善果・悪因悪果」はバラモン教の祭儀第一主義に対する
アンチテーゼなんだね。
つまり、善因を悪果に(または悪因を善果に)操作できるような存在・儀礼が存在
することを否定してるんだよ。つまり、神々の存在は人間の生死輪廻には無関係で
ある。ということの宣言でもあるわけで…(以下略
スレ違いだから、さげとくよ。
386さん
>仏になれば三帰依がなくなるわけないでしょ。
ここのところは、同じ仏教徒であっても「仏の世界」をどう捉えるか・・
で見解が分かれるところでしょうから結論はだせません。
定石でしたら貴方の考えは正解です。しかし、高次のレベルになりますと「?」ですね・・。
スレ違いですから、これ以上は遠慮しますが・・。sage
395 :
名無しさん@1周年:01/10/06 02:31
386って、もしかして、真宗スレのNBさんですか?
間違ってたらごめんなさいですけど、どうもそれっぽい。
もしそうならこっちにも帰ってきてください。
渡海がなんか善人面しててきしょいです。
仏教における「不二元論」は「信仰」という概念がなくても充分に世界観を構築できる。
いわば哲学。「般若心経」もその範疇。そこから、一歩足を踏み入れるのも良いかもしれない。
「信仰」はひとそれぞれ、有っても無くてもそんなに意味はない。
すなわち、仏教そのものが「一仏信仰」ではないのです。
「喪家」は別で、あれは「絶対仏信仰」です。仏教といえない。
minna syuukyousika ikigai naindane
398 :
名無しさん@1周年:01/10/07 15:56
宗教が人間にとって必要と言われたとしても、
信仰がもてず、神がどうしても信じらず、悟れそうにない、
宗教不可能な私はどうすれば良いのでしょうか?
399 :
名無しさん@1周年:01/10/07 16:01
自分の信じる道を進めばいい。
400 :
名無しさん@1周年:01/10/07 17:06
>>398 信仰がもてなかったらもてるところを探せばいいじゃん。
神が信じられないんだったら信じる努力をすればいいじゃん。
悟れそうもないって宗教は全部悟りをひらくものでもないのでは?
ご先祖さまのお墓に行ったり、初詣に行ったりするじゃない。
これも立派な宗教です。
401 :
名無しさん@1周年:01/10/07 17:13
自分で理想や良心を見つけられる人間にとって、宗教はじゃまなだけ。
善悪の区別のつかない人間は宗教に頼るしかないだろう。
キリスト教においては、3〜4世紀ころ大幅に人間の手によって書き換えられているし
仏典においても、釈迦滅後100年〜500年の間に書かれたものである。
いわば相当人間の手垢がついていると認識すべき。だがしかし、そのなかにもグレードの
高いものもあるから、すべて駄目ということではない。選択は自己判断。
まあ、「信仰生活」がなくても世界観だけ構築すれぶ充分かと思うのだが・・・
>401
それは
自分にとって都合のいい理想でしかないね
404 :
名無しさん@1周年:01/10/08 05:14
>>402 「人間の手によって書き換えられた」って
そもそも聖書も仏典も人間が書いたものだろう?
手垢も何もあったもんじゃない。
おかしなこというね。
>>404 まあ、そう言ってしまえば確かにそうですね。
一応、中立的立場ということで・・ニヒリズムに徹すれば貴方が正解。
406 :
名無しさん@1周年:01/10/08 13:34
>>403 宗教的な道徳観だって、その宗教の信者にとって
都合のいい理想でしかないでしょう。
宗教の善悪の判断は普遍的で真理だ、とでも思ってるの?
407 :
名無しさん@1周年:01/10/08 22:44
<<406じゃあ、どうやって善悪の判断を?まさか、自分で決めるって?
408 :
名無しさん@1周年:01/10/09 03:32
>>407 善悪の判断くらい自分で出来なくてどうする。
大人なら責任もって生きろよ。
精神的に未熟な人間は宗教に頼るしかないが。
そういった意味では宗教は必要だな。
ただし、絶対的な善や悪は存在しないってことは
肝に銘じておくべき。
善悪は立場によって変わるもの。
アメリカの立場では空爆は正義だが、
アフガニスタンの市民からすれば空爆は悪。
409 :
名無しさん@1周年:01/10/09 05:30
>ただし、絶対的な善や悪は存在しないってことは
>肝に銘じておくべき。
>善悪は立場によって変わるもの。
あたりまえのことなんだが、それを理解できない信仰者は多いね。
しかし、絶対的な善や悪は存在する。
表層的な善悪を超えた次元で。
組織宗教も教祖崇拝も宗教じゃ無い。
そういうものから自由になれないシステムの中に
「宗教」が存在できるワケがない。
宗教に限らず、あらゆる学問の目指す一点は
「世界をありのままに見る」ことの模索だ。
そういう立脚点から自分や世界を見渡し
個々人の人生の充実を図るものだ。
かならずしも宗教が必要な人ばかりじゃない。
でも無くなってもよいものでもない。
宗教はある意味、自分で自分を上手くコントロールする術だといえる。
他者にコントロールされてばかりの団体宗教は、単に布教のためのシステムのように思える。
上手く信者自身の自主的な向上をうながすことができれば
団体宗教も意味があるが、そうでなければ、宗教関連の本で十分。
>>409 >世界をありのままに見る。
うむ。私の考えに殆ど近い。すべてここに集約されると思う。
412 :
名無しさん@1周年:01/10/09 08:05
>世界をありのままに見る。
すると、どうなるのですか?
そのような観点から世界や自分をみることが、なぜ人生の充実(
>>409)につながるのでしょうか?
413 :
ディレッタントさん:01/10/09 08:47
私は、森羅万象について、超懐疑主義者である。
しかし、苦しいとき、何かを信じることで、その心の苦しさを、
「薬」等に頼らないで解決できることも、体験的に事実である。
この場合、「南無妙法蓮法蓮華」と百万回唱えるのも、
「鰯の頭も信心から」と百万回唱えるのも、拠って来る効果は
同じなのかも知れない。
一つのことに集中することで、ある心理的状況を作り出す、
技術なのではなかろうか。
それよりも、根本的なことは、あなたが(私が)、例えば、
「すずめ(雀)」のような気持ちになる、つまり、何も求めない、
欲望を持たない、未来を憂えない、そんな心境になれば、そもそも、
宗教に救い求めようとする、気持ちも起こりません。
原始仏教は、人々をこんな心境に導こうとしたのではないで
しょうか。しかし、これは難しいですよね、
>>413 うむ。正しくそのとうり。
「南無妙法蓮華経」は三拍子ですね。リズム的には「南無阿弥陀仏」よりいいですね。
仏教が、板曼荼羅や如来像を崇拝するようになった、そのあたりから堕落へと転げ落ちたと思う。
そういう面で、現代人は恵まれていないと思う。
宗教をまともに学んだことは無いのですが、
宗教というものが、人(人間)をまとめるための道具のように思えるのですが。
416 :
名無しさん:01/10/09 11:41
世界をありのままに見る?
おいおい、そんなことが可能だと本気で思ってるの?というか、
「ありのままの世界」なんてものが存在するなんて、本気で信じて
いるのかよ?絶対的な善や悪が存在しないつうのは、人間の主
観を離れて善悪は存在しないって事だろう?これを突き詰めて考え
ていけば、人間の主観を離れて「世界」は存在しないって結論に至る
はずだぜ。つまり、「ありのままの世界」なんてものは人間の頭の中に
しか存在しないんだよ。「そういう立脚点から自分や世界を見渡し」
なんてかっこよさげな事を言っているが、結局はそれもただの主観、
あんあたらが批判している連中の考えと同じく、ただの思い込み、自己
満足の世界なんじゃねーの?
417 :
名無しさん:01/10/09 11:50
>>408 >善悪の判断くらい自分で出来なくてどうする。
善悪って、ようするに人間社会のお約束でしょう?個人によって様々な
解釈はあれど、本質的には自分で決めるたぐいのものじゃないと思うけど。
418 :
名無しさん@1周年:01/10/09 11:52
>>417 たしかにそうなんだがな。
主観だけでしか判断しなくなったら、人間アウトだぞ。
相手がどのように感じているか、も含めて判断しねーとまずいだろーよ。
でも、あんさん、わかってて言ってるみたいだな。(藁
419 :
名無しさん@1周年:01/10/09 11:58
420 :
ディレッタントさん:01/10/09 12:27
パスカルは、パンセ(人間は考える葦である)のなかで、
確か、「人間はうめきつつ求める」と言っています。
私も、信じる人間よりも、うめきつつ求める
人間でありたい。
421 :
名無しさん:01/10/09 12:29
>>420 パスカルはそれはそれは熱心なカトリック信者だったけどな〜。
422 :
名無しさん@1周年:01/10/09 12:39
所詮 ディレッタント
423 :
ディレッタントさん:01/10/09 12:40
そうですね。来世がある確率が、50%、無い確率が
50%とすれば、自分はある可能性を信じるといってい
ましたね。
>>416 >「ありのままの世界」なんてものが存在するなんて、本気で信じて
>いるのかよ?
『「世界をありのままに見る」ことの模索だ。』って書いたんだけど(笑
「真実は無い」とか「絶対的なものは存在しない」というのもアリだけど
そいういう結論は、絶対性の探究においてなされてきたのは明らか。
ほとんどの学問の主題は人間や世界をいかに合理的に解釈するかというものでしょう。
「ありのままの世界は存在しない」というのは、それはそれで真理だけど
それさえ、「ありのままの世界は存在する」という仮定の探究が土台になっているし
そういう仮定をとらないと合理的世界観を得ることは不可能では?
宗教的な思想には自己をエゴから解放した境地では「ありのままの世界」が
その者にたち現れるというのがあります。
>人間の主観を離れて「世界」は存在しないって結論に至る
>はずだぜ。
現代哲学でもそういう解釈はあるけど、それは単に言語的思考の限界では?
老子が「言葉でタオ(真理)を語ることは不可能だ」と言ったのは
真理は言葉で解釈できる次元ではなく、まさに「体験」無くして理解できないということ。
禅では「不立文字」と言ってるね。
宗教は論理性だけでは理解できない部分もあるのです。
もちろん、あなたの解釈が間違っているわけでもありません。
> 「そういう立脚点から自分や世界を見渡し」
> なんてかっこよさげな事を言っているが、結局はそれもただの主観、
> あんあたらが批判している連中の考えと同じく、ただの思い込み、自己
> 満足の世界なんじゃねーの?
私は科学も哲学も批判的ではないですよ(笑
宗教板にもあまり書き込んだこともないです。
むしろ、ダニエル・デネットやマーヴィン・ミンスキーとかを
好んで読んでますし。
人工知能の研究では、いかに人間的「主観」をシュミレーションできるかが
ポイントになってるらしいですからね。
私にとっては宗教も含めてすべて趣味的に楽しんだりしてます。
主観と言ってしまえば、あらゆる思想は主観です。
単に多数の支持を得る思想かそうでないかの違いであって。
だからこそ、誰もが絶対的な知を求めて夢想するのではないでしょうか。
>>424 良レスです。深い。客観的。まあ、読んでみると簡単そうですが、イヤイヤそうではありません。
なかなかここまでカキコできません。私は同意。
>>425 ありがとう。
テロ事件、オウム事件などで、宗教自体が誤解されているのも
しかたないことでしょうね。
現存する宗教団体がやっていることも、それが宗教なのかと言われれば
そうじゃない部分もたくさんありますからね。
>>426 仏教哲理には、それなりに深い部分があると思うのですが、宗教団体にそれを求めるのは
無理ですね。かえって違う方向に導いているような気がします。
私の世界観は「不二元論」。だけど「信仰」はもっていませんね。それで満足です。
私も特定の宗教を信仰してはいません。
特定の宗教を信仰すると知らず知らずに選民思想が生じるような気がします。
教祖ですら、信望を集め崇拝されていくうちに教祖自体が堕ちていくさまは
幾度となく耳にすることですからね。
うろ覚えですがヘッセのデミアンに
「僕らは日々新しく生まれ変わらなければならない。
じゃなかったら、一体なんのために生きているというのか」
という一説があったのを記憶してます。
某禅師の言った「日々是好日」ということと通じるのかも
しれませんが、いつもそうありたいものです。
日本語の「言霊」というのはよく知られていますが「事霊」というのもあるらしい。
一度「レッテル」を貼られると、本人がその気になりやすい。らしいです。
「教祖」とかの「レッテル」を貼られてしまったら、そりゃもー「その気」になりますね。
某老禅師の、参禅帰りの見性の境地を記した本を読んだ事があるのですが、面白い。
そのなかから・・
「周りは光輝き落ち葉さえも生きている。私の生命は全てに同化し宇宙と一体になった」。
こういった世界観というのは好きでして。そういえば・・禅宗というのは「信仰」という概念があるのだろうか?
そこのところは詳しくないのですが。
「異邦人」はヘッセでしたっけ?。デミアンは「母を訪ねて往く人でしたっけ?
あまり記憶はないのですが・・
けったるさ・・のなかに人間の本質みたいなのを感じ、あの本はなんとなく頭から離れない。
一種異様な感じ。あの本は、今読んでみるとまた違った捉え方があるんかもしれない。
>「周りは光輝き落ち葉さえも生きている。私の生命は全てに同化し宇宙と一体になった」
いいですねぇ。禅って、風流ですよね。禅には信仰の対象は無いと理解してますが
教団としての禅宗には興味がないので詳しくはわかりません。
西洋の宗教は、神と人には距離感があって、信仰や修行などで神に近付こうと
努力しますが、禅の場合は、神秘は日常と隣り合わせに存在しているような雰囲気ですね。
何かの拍子に一瞬にして悟りを得る場合もあれば、とてつもない長年の努力によって
やっと悟るという場合もあるのは禅の説話にはよく出てきます。
神は多くの場合、絶対的な力を持ったどこか遠くの存在ですが
仏というのは、『私』の内部に存在する絶対的な叡智です。
キリスト教は「罪」は、あらかじめ誰もが持っている「量」として扱いますが
仏教は心の状態でしかないと言いますね。
キリスト教のあの溢れ帰るようなシンボリズムの世界観は
嫌いではないですが、アジア人ゆえか仏教的世界観のほうが
しっくりきますね。特に禅はシンボリズムを極力排除したシンプルさが
とても好きです。
>「異邦人」はヘッセでしたっけ?。デミアンは「母を訪ねて往く人でしたっけ?
「異邦人」はカミュです。ヘッセは「車輪の下」が有名ですが、こちらは
読んでいません。デミアンは当時ヘッセがユング派の精神治療を
受けていた関係でグノーシス主義の影響が色濃く、ミステリアスな雰囲気の
不思議な話でした。
秘教的雰囲気がなかなか面白いです。
以下、引用です。
『鳥は卵の中から抜け出ようともがく。卵は世界である。
生まれ出んと欲するものは、一つの世界を破壊せねばならない。
鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサスという』
『・・・むしろ、私たちの内で働いているのと自然の内で働いているのとは、同一不可分な神性である。
外界の世界が滅ぶようなことがあったら、私たちのうちのひとりが世界を再建することができるだろう。
なぜなら、山や川、木の葉、根や花など、自然界のいっさいの形成物は、
私たちの内部に原型を持っており、永遠を本質とするところの魂から発している。
私たちはその魂の本質を知らないが、それはおおむね愛の力や創造者の力として感じられるのである。 』
>430
そうそう「異邦人」はカミュでした、あははは。
ユングは、集合意識、シンクロニシティーなど思いだすのですが、どことなくやはり
神秘主義的印象が強いですね。フロイトと並んで、共鳴する部分はあります。
病理的?思考というのでしょうか、なんとなく究極的な捉えかた。
実は、そういうところに人間の本質みたいのがあって、魅力を感じるのかもしれません。
「虫の知らせ」「胸騒ぎ」。これらも、フロイトやユングの世界観のほうが理解しやすい
気がするのですよ。
>私達の内で働いているのと自然の内で働いているのとは、同一不可分な神性である。
どことなく、仏教における「不二元論」の思想に似ているような気がします。
私は、こういった世界観というのは好きでして、特に仏教における「不動心」。など
人生訓として「座右の銘」になっております。
433 :
名無しさん@1周年:01/10/20 23:02
↑
ちょっと難しすぎたのでは・・
失礼しました!
後が続いてないもんで・・・。
「不二元論」は勉強不足なので存じませんが、面白そうですね。
今度書店に行った時にでも調べてみます。(検索にはかかりませんでした)
フロイト、ユングなどはトンデモ理論だという意見もよく聞きますが
個人的には大好きですね。特にユングは深い思想を持っている人だと思います。
シンクロニシティ、集合無意識、ペルソナ、元型、影、など誤解されそうな部分もありますが
興味深い思想には違い無いですね。
先日、千と千尋の神隠しを見てきたんですが、トンネルを抜けて異界に迷い込むところなど
自分の無意識に潜ってゆくような感じで面白かったです。
ジョセフ・キャンベルは『映画は現代の神話である』といったことをインタビューで答えてますが
こうした土着的ファンタジーがウケるのも神話への希求なのかもしれませんね。
424さん
フロイト、ユングのトンデモ理論
人間というのは、自分の思考範疇以外のものを、トンデモ話にしてしまう傾向があると思います。
トンデモ、古臭い・・で片付けてしまうのは簡単なのですが、やはりそれでは勿体無い。
貴方と同じく、私もフロイト、ユングは好きです。
ニーチェと同じく、ユングも精神障害?と評する方がいますが、イヤイヤそれにしても
理論とは別だと思いますね。わたしは精神障害とは思っていませんが・・
脳のある部分に障害があると、それを補うために「知性」を司る脳細胞が異常に発達する場合が
あるらしい。一応「天才」的な頭脳を有するが、同時に負の部分も有する。
一分野に秀でた人は、ある面変人が多いのも確かなようです。
それはアーチストに限らず、あらゆる分野がそうだと思いますね。
そういった方達の中から、「真実」めいたものが発信されてくるような気がします。
436 :
名無しさん@1周年:01/10/26 14:53
「不二元論」とはどんなものなのでしょうか・・・
437 :
名無しさん@1周年:01/10/26 17:46
sge
>>436 そんな言葉ないです。「不一不二」もしくは「一即多」などからの造語でしょ。
でも、聞いてみたいね、「不二元論」。