>>916 オイラもそう思う。オイラは君の問いが上に書いたように問いの要件を満たしてないので、答えてないよ。
答えたのはかつて? って名のってたヤツだろう。ここでは分からなくても答えるヤツが結構いるんだよ。
「転処」の意味はぎりぎりまで追い込まれて、そこで転じて悟る状況といった意味だろう。
竿頭一歩、転機、転身といった意味に近く、追いつめられた状況が転じて悟る機会、状況、環境といった面に重心を置いているようだ。
具体的に言えば、公案などに書かれる状況がそれ。
ここは文字だけでやりとりするところだから、文脈などを察することができない、
まして、自分も分からなくて聞いてるわけだから、常識的な言葉ではないわけだろう。
それなら、オイラが言うように文脈が分かるように書くのが、当たり前だと思わないか?
例えば君が出した禅僧という例も、現代では通例そうかもしれないが、古典では必ずしもそうでない、
T1764_.37.0815c05: 法印權大僧都賢寶 生年六十四
T1764_.37.0815c06: 翌年十二月中出御室御經藏本誂隆禪僧
T1764_.37.0815c07: 都補闕字了頗以證本也可喜可喜
隋の淨影寺慧遠が書いた『大般涅槃經義記』だ。この頃、禅宗はなかったから、
君が言う意味ではない。日本でも同様の意味で「禅僧」という言葉が使われたんだよ。
これでも君はそう思わないか?