124 :
その4:
運営に対する展望
店長が去り、様々なところに営業を掛け始めた僕だった。
少しずつ、バンドに対する PRを進めながら 僕は感じていた。
「僕たちが、バンドをしていた頃と 今のバンド達の意識が違う・・・」
どうも、目的意識や夢が感じられないのだ・・・
なぜなのか・・・僕は 常に考えていた。
僕は、巷のライヴハウスが打ち出している ありふれた形が
どうも 気に入らなかった。
それは、僕達がバンド活動を活発にしていた頃は
ライヴハウスのチケットは、300円〜700円程度だった。
でも、今は 最低1,000円で 平均すると 1,500円・・・
それにドリンクをつければ、2,000円となる・・・
演奏する側に、それだけの値打ちが最初からあるだろうか?
結果的には、そのチケットが「ノルマ」という形で出演者に反映されてしまっていて
そのチケットは、出演する為の「有価証券的」な扱いになっているのだ。
大抵 その 高額チケットが10〜30枚が、販売ノルマなのである。
という事は、出演する為には 15,000円〜45,000円のお金が必要なのだ。
それを 純にお客さんが買ってくれるならばいいのだが
そんなはずなどなく、ほとんどが 出演者の自己負担であるのは
長い経験から わかっていたことだった。
つまり、ライヴハウスは 単なるレンタル・ホール化してしまっているのが
現状なのだ・・・。
僕たちが 活動していた頃は ライヴハウスには「情熱」があった。
それは、ライヴハウスも看板のアーチストを育成したかったという思いがあり
二人三脚で成長していたものだ・・・。
そんな中で、チケットの単価が 300円から500円 やがて1,500円 と
上がっていくのは自然の事だったし、出演しているシチュエーションも
平日の3グループから週末へ そして土・日・祝へ そして ワンマンへと
段階があったものだ。
それが、今は いきなり 何でもできてしまうのだ。
金さえ払えば、お客さんは0人でも 文句は言われない。
それが、「ライヴ」というものではない事など・・・
誰にだったわかるはず・・・
僕は、そういう状況を 改善する先駆者として 自分のいるライヴハウスを
プロデュースしようと思ったのだ。
もちろん、その為には いくつもの難関がある事など 承知はしていた。
しかし、僕には 勝算は あった。
それは、ぼくの計画や思いに いくつものアーチストは 同調してくれたし
他のライヴハウスも、協力を約束してくれていたからだ・・・。
そして、ライヴハウスは 動き出した。