これは難しい注文だな、クールボーイ
537 :
合掌 1/4:2006/06/15(木) 22:47:29
「・・・!これは・・・」
若林教諭は現像されたその一枚の写真を見て息をのんだ。
その写真は数日前に行われた全校マラソンの時に撮影された物で
写っているのは最下位の生徒が正に今ゴールした、と言う瞬間で
全校生徒が彼に向かって惜しみない拍手を送っている。
「その偶然」が無ければ単なる学校行事の一コマに過ぎない写真だった。
何万分の一の偶然であろうか。
少年に向けて拍手を送る生徒たちの手は全員、まるで何かを祈るのように
ぴったりと合わさっていたのだ。
写真に写る最下位の生徒・・・
3年4組のY君は幼い頃から呼吸器系に重度の障害を抱え、全校マラソンの
二日後の日曜日に手術が行われることになっていた。
Y君が若林に「マラソンに参加したい」と言ってきたときには若林も最初は
反対した。医師から激しい運動を止められ、体育の授業もいつも見学していた
彼が、自分の身体のことは本人が一番よく解っているはずのY君がなぜそんな
事を言い出したのかが理解できなかったからだ。しかし、Y君が理由を聞かれて
笑いながら答えた一言に、若林は彼の出場を許可したのだった。
「だって、みんなと一緒に思い出を作れるのはこのマラソンが最後かも知れないから。」
Y君の様な症例は日本では珍しく、手術の成功率も決して高いとは言えない物だった。
若林は彼のために医師や家族を説得し、なんとか万が一の場合のために救急車が会場に
待機した上でのY君の全校マラソン参加にこぎ着けたのだ。
そして全校マラソン当日。若林は緊張した面持ちで校庭の3年4組の列に並ぶ
Y君に声を掛けた。
「本当に、走るんだね?」
Y君は深く息を吐くと、優勝しますよ、とにっこりと笑って頷いた。
がんばれ、と若林も笑ってY君の背中を叩いた。
長い校長の話が終わり、競技監督の教頭からのルール説明が始まった。
若林は生徒の列から離れ、スタート地点の教員用テントに向かった。
テントのパイプ椅子に腰掛け、落ち着かない様子でタバコに火を付けた若林に
保険医の新野が声を掛けた。
「Y君と話してたんですね?」
「ああ。」若林は自分の声が少し震えているのが解った。
「なんて、言ってました?」
「優勝するんだってさ。」
「・・・後悔してるんでしょ?」
新野は笑った。若林は眉をひそめる。「何を?」
「Y君に参加許可を出したこと。」
「・・・まあね。」若林は苦笑した。「『さっきまでは』悔やんでもいたさ。でも・・・」
若林は生徒達の列に視線を移す。
「彼の言葉を聞いたら、迷いなんて無くなったよ。」
教頭が朝礼台から降りた。ホイッスルの音で生徒達がスタート地点へ走る。
全員がスタートラインに立った。体育教師のピストルの音と共に生徒達は走り出した。
若林はY君から「ちゃんと撮ってよ」と渡された使い捨てカメラを握り締めたまま
スタート地点の周りを落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。
全校マラソンは学校の周りを2周した後に校庭のトラックを1周する3q程のコースを
走る。ゴールはスタート地点と同じ場所だ。
続々と生徒達がゴールする中、Y君の姿はどこにも見あたらなかった。
当たり前だ。彼は普通の子のようには走れないのだから・・・。そう、自分を納得させ
ようとしながらも、「何かあったのではないか」という不安は消えなかった。
「あっ!Yだ!」
数人の生徒が声を上げた。Y君が校庭に入った。残すはトラック1週。生徒達が
次々とY君に駆け寄った。若林は慌ててカメラを構えた。
Y君がゴールした。
生徒全員が拍手でY君を迎えた。その中には先ほどから不安げにY君の姿を探していた
彼の両親や待機していた医師の姿もあった。Y君の身体がゴールと共に崩れ落ちた。
あっ、と声を上げ若林が駆け寄ると、Y君はにっこりと笑って「ちゃんと撮ってくれた?」
と訊ねた。若林も笑って頷いた。
3年4組のクラス委員二人がY君に駆け寄った。手には3年生全員で折った千羽鶴が
握られている。Y君はそれを受け取ると、優勝選手のトロフィーのように高々と掲げた。
さっきよりも大きな拍手がY君を包み、それはいつまでも鳴りやまなかった。
そして日曜日。職員室にやって来たY君は若林に一通の封筒を渡した。そしてこう言った。
「この封筒の中には手紙が入ってます。もし、僕が死んだら開けてください。中身は
マラソンについてのことです。
手術が成功したらこれは捨ててください。感謝の気持ちは、自分の口から伝えたいので。」
若林は頷き、マラソンの時と同じように笑って彼の背中を叩いた。
手紙は今、若林のデスクの下のゴミ箱に一度も封を切られずに捨てられている。
写真を見つめながら若林は感じた。Y君のゴール、そして手術の成功。それを祈る
生徒達の気持ちが形となって、この写真が撮れたのではないか、と。
「人の心はどんな奇跡だって起こすことができるのです。」
数年後、校長になった若林は生徒達に向かってそんな言葉と共にある生徒の話をしていた。
若林が朝礼台から降りると教頭からのルール説明が始まる。
「今年も始まりますね。」
若林に声を掛けたのは、Y教諭だった。
___________
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 ̄ .|./_ _\ | | ____________
| / ヽ/ ヽ | | /
. | | ・ | ・ | V⌒i |だからラディンには貸したくなかったんだ!
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\ ̄ ○ / |
. \ 厂 \
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 ̄ ̄, -/へ/\/`- 、
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実家の母君は、振り込め詐欺の電話のねーちゃんの人生相談を聞いてやっていたw
若い女が、お定まりの「おばあちゃん助けて…シクシクシク」と電話してきたらしい。
孫は全員幼児で、そんな電話を掛ける年齢ではない。
母君はまず若い女を一喝。
怯んだところに「あんたもその若さで、何でそんな事やってるんだい?辛いだろう?話してごらん?」と諭したらしい。
すると何かツボだったらしく、若い女は本当に泣き出してしまったそうだ。
具体的な相談まではいかなかったけど、「止めたい辛い、毎日寂しい」と繰り返して泣きじゃくったとか。
「若いんだから、そこから早く抜けて。寂しかったら、また電話しておいで」と母が慰めると、礼を言って電話を切った。
その後、一度だけそれらしい電話が掛かってきたが、話をする間もなく切れたって。
詐欺の報道がある度に、母君は「あの子どうしたかねぇ」と言っている。
振り込め詐欺電話にしちゃ、珍しく人情話っぽい落ちだw
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。
父兄同伴の遠足や運動会も、
友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。
私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて「会社休んで参観日に来て。」なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。
小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。
遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろを歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、
先生が来て、私と手をつないで歩いてくれた。
いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙で前がよく見えないまま学校に着いた。
作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。
友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、
振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。
昨日食卓で起きたちょっといい話。
漏れと母が買い物に行っている間、弟にオムライスを作っておいてもらった。
チキンライスはもう調理済みで、オムレツは弟の得意料理だったからすごくうれしそうにしていた。
帰ってきて夕飯の時間になったんだけど、なぜか弟は不機嫌そうな顔で、
ついに母親が起こったような声で「何でそんな不機嫌そうな顔してるの!」といったら、
弟は目を潤ませながら
「だって、作ったのにお母さん達ほめてくれないんだもん!」
そういえば、漏れらは誰もオムライスについて弟に一言も言ってなかった。
母はそれからちょっと間をおいてから「ありがとう、すごくおいしいよ」と言ってあげた。
ちょっとジーンときた。
文字レスでスマソ。
どこがいい話なんだ?
「感謝を求める」とかゆとり世代だなーとしか思えんのだが
子供の無邪気に阿呆なツッコミをするゆとり教育世代
一昨日、結婚式だった。
新居がまだ未完成のためしばらくは嫁とは別居。
昨日一人で自宅に戻ると、親父が一人で酒を飲んでいた。
「お疲れ様。昨日はありがとう。」とオレが言うと、オヤジは無言で立って、
冷蔵庫からスパークリングワインを一本持ってきた。
無言の乾杯。オレもオヤジも一口飲んでグラスを置いた。
オヤジがしみじみと、「お前の結婚を見届けて、一仕事終わった気分だ」と一言。
すると、しばらくしてオヤジは突然ボロボロと涙を流しだした。
オレは小さい頃、足の病気のため3歳の頃から4年間ほど義足生活をしていた。
原因不明の病気だったそうで、あちこちの医者を駆けずり回ってくれたらしい。
歩けないオレをおぶって、毎日のように病院へ通った日々。
一生義足で暮らさなくてはいけないかもしれない。そう言われたこともあったという。
神社で式を挙げている時、その想い出がよみがえって、涙をこらえるのに必死だったそうだ。
泣き止んだオヤジが、またオレのグラスに酒を注ぎながら、
「これでもうオレがしてやれることはない。これからはお前が嫁さんと子供に
自分の責任を果たす番だ。」と言った。
「ありがとう。頑張るよ。」と答えた。
初めてオヤジに、心から「ありがとう」と言えた気がする。
新居に引っ越すまでのあと3週間、出来るだけ毎日オヤジと酒を飲もう。
今日はオヤジの大好きな芋焼酎を買って帰るか。
ある土曜日の夜
PM7:00
J( 'ー`)し
_ (つ旦つ_____('∀` ) ハ ハ
/ \ (::゚::)_\と ) ('∀`,,),,)〜
.<\※ \______|i\__ヽ.ノ
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ < ♪ おんぶ おんぶ おんぶ ラ・ラ・ラ ♪
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐>
 ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
\|____|
PM7:30
J( 'ー`)し
_ (つ旦○_____('∀` ) ハ ハ
/ \ (::゚::)_\と ) (゚A゚,,),,)〜
.<\※ \______|i\__ヽ.ノ
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ < ♪ せまるーショッカー
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐> じごくのぐんだん ♪
 ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
\|____|
PM8:00
J( 'ー`)し
_ (○旦○_ _。_ ('∀` ) ハ ハ
/ \ c(_ア\と ) ('д',,),,)〜
.<\※ \______|i\__ヽ.ノ
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ < ♪ スイッチーオン ワンツースリー
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐> でんりゅうひばなが からだをはしるー ♪
 ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
\|____|
PM8:50
Z
.J( 'ー`)し Z
_ _(__)__.___('∀` ) ハ ハ
/ \ __\と ) ('ο`,,),,)〜
.<\※ \______|i\__ヽ.ノ
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ < 歯みがけよ〜
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐> また来週〜
 ̄ ̄ ̄ ̄| .| ̄ ̄ ̄ ̄|
\|____|
PM9:40
Z
.J( 'ー`)し _、 _ Z
_ _(__)__.___.( ー`) ハ ハ
/ \ __\と ) ('ο`,,),,)〜
.<\※ \______|i\__ヽ.ノ
ヽ\ ※ ※ ※|i i|.====B|i.ヽ < 尚、生きて屍、拾う者無し
\`ー──-.|\.|___|__◎_|_i‐> 生きて屍、拾う者無し
\|____|
__
_____( ()
| |  ̄ ̄
/\( '∀`) | <ワーイ、オデンガーダ ムニャムニャ
//\\ つ . |
// \\ヽ |
// //__) |
\\ // .|
\\// ̄ ̄ ̄
\/
551 :
仕様書無しさん:2006/07/03(月) 01:42:16
ゾンビ映画だったと推測
死ぬのが怖いから 飼わないなんて、言わないで欲しい。
おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることもできる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向き合おうと努力するかもしれない。
貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。
だけど、、、、死ぬのがこわいからといわれたら、
犬はもうお手上げだ。
全ての犬は永遠じゃない。
いつかはいなくなる。
でもそれまでは、すごく生きている。
すごく生きているよ。
たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有しているはず。
飼いたいけど飼わないという人がいたら、
伝えて欲しい。犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
預かってみるのは、人に与えられた、
素朴であって高尚な楽しみでありますよ、と。
俺のじいちゃんはまだ全然元気に存命中ですが、
ふと高校のときの思い出が甦ったのでその話を。
俺のじいちゃんは、世間一般の優しいおじいちゃんという訳ではなく、
だからといって酒飲みでもなく、まじめ一本な、口うるさいジジイと
いう感じです。そんなじいちゃんを俺は疎ましく、というか余り関わら
ないようにしていました。ある日いつも通りに電車で学校に行こうと
したが、電車を降りた後に忘れ物をしたことに気がつき持ってきてもらおう
と家に電話しました。その日は祖父母しか家におらず、今思えば車検か
なにかでなかったのだと思いますが、じいちゃんの車は家にありませんでした。
しかし、電車で持ってくるというので、休み時間に駅で待ち合わせをしました。
いつも避けている俺に頼みごとをしてもらったからか、やたらとうれしそうでした。
そして忘れ物を受け取り「どうも」くらいの一言でその場を後にしましたが、
なにげに振り返ると、いつまでも俺を見送っていました。
決して若くはなく、田舎物で地元からでかけることも少なく、俺の知る限り
全自動の改札など通ったことのないじいちゃんが、バスと電車を乗り継いで、
見知らぬ都会の駅に一人で来ることはとても心細い事ではなかったのか?
しかし、俺を喜ばせたい一心でここまで来たのではないだろうか?と、思うと
とてもせつなく、やるせない気持ちになりました。それ以来俺は、朝会ったら
「おはよう」と声をかけるようにになりました。その頃の口ベタな俺には
それが精一杯だったけど、何か伝わっていたならうれしいです。
いつまでも長生きしてねおじいちゃん。
駄レス長文失礼しました。
ええ話や・・・
あるベトナムの村に宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、爆撃を受けてしまいました。
宣教師達と2人の子供達が即死し、その他の者も重傷を負いました。
重傷になったものたちの中でも8才の女の子は最も危ない状態でした。
無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。
大量に出血したことにより危ない状態にあり、早く手当をしないと少女は命を落とすことになります。
輸血が必要でした。しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。
言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、
誰かが血液を提供することが必要であることを伝えようとしました。
沈黙の時間がしばらく続いた後、一本の細い腕が恐る恐るあがりました。
ヘングという名の少年でした。
急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。
少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。
しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。
医師がどこか痛いのかと尋ねるとそうではないようでした。
しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。
医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。
ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。
明らかに何かが間違っているようでした。
すると別の村からベトナム人の看護婦が現れました。
医師はその看護婦にヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。
すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。
すると看護婦はアメリカ人の医師達に説明しました。
「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助けるため、全ての
血液を提供しなければいけないと思ったようです。」
すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。
「そうであればどうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」
すると少年は単純に応えました。
「あの子はぼくの友達なんです。」
ええ子や・・・
/l、
(゚、 。`フ ごはんも、なでなでも、だっこも、うれしかった
」 "ヽ
()ιし(~)〜
/l、
( ゚、 。 フ でももう、いかなくちゃだめなの
」 "ヽ
()ιし(~)〜
/l、
("゚. 。 フ ずーっと、だいすき、いっぱい、だいすき
」 "ヽ
()ιし(~)〜
さっさと逝けや
車にはねられたのか知らんが、死にそうな黒ネコ見かけたから
せめてと思って家で手当てしてやった事がある。
2日くらいして起き上がってこれるようになったけど
触ろうとするとフーッって威嚇して唸る。
可愛げの無い野良だった。
次の日いなくなった。
どっかから出て行ったのか?
その次の日、そいつが庭先で死んでた。
口元には死んだカエルが転がってた。
お礼のつもりだったのか?
それとも借りは返すって事なのか?
怪我した体じゃ、カエル狩るのが精一杯だったんだろう。
無茶しやがって。
最後まで誇り高い奴だった。
さすがに泣いた…
このスレ、やけに画面が水っぽくなる…
562 :
仕様書無しさん:2006/08/21(月) 12:28:05
私が吉原のソープランドで体験したこと。
入店して待合室に通されると、オバサンが数人の客と話をしていた。
スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたてていると、全盲の息子が筆下ろしをしたいというので
付き添いで来たらしい。オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、話し相手の
客数人は「大丈夫」「心配しなくていいよ」となだめていた。
しばらくたって奥から白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。
皮靴はピカピカで結構いい服を着ている。この日のために揃えてあげたのだろう。
母はソファから飛び出して姫と軽く会釈をしたあと、「どうだった?いいこと出来た?」
青年「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」実は姫を指差すつもりが別の方向だったので
姫が素早く指した方向に移動。母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら
「あんたよかったね〜!!」と背中を何度もさすっていた。
客も拍手したり「よかったなぁ」と激励していて、今まで無口だった893風の客まで立ち上がって
青年の肩をポンポン叩きながら「あんたも一人前の男になったぞ」と祝福していた。
姫も感動して泣いていた。実に素晴らしい光景。涙腺の弱い私は新聞で顔を隠しながら泣いた。
オレ、今年で30になるんだけど、小さなプレス工場やってたのよ、うち。
で、一個ガチャン、ってやって何銭、何十銭、っていう仕事だったんだ。
小中と結構成績良くて、本当は塾に行かせる余裕なんて無かったの
に、無理して月何万かの月謝払って塾に通わせてくれてたのね。
そうすると、帰りがどうしても10時とか11時とかになるんだけど、バス
がほとんど終バスになるような時間帯。だから、自営業で時間の自由
がつくからって、親父、よく迎えに来てくれたんだよ。その時によく、
肉まんとか買ってくれた。あったかかったよ。
あと、自営業で工場と自宅が同じだったから、風邪とかで休んでる時、
お袋も働いてたから、親父がおかゆとかおじやとか、作ってくれた。
今でも、お袋が風邪ひいたりして寝込んだ時、オレがおじやとか作っ
てやると、お袋は、親父の味に似てる、って言うよ。俺にとっては、病気
から立ち直れる味はあの味なんだね、きっと。
でさ、今日の会社からの帰り道、コンビニで肉まん買って食べながら
歩いて帰ってきた。涙で濡れた頬が夜風に冷たかったよ。
そんな親父は、お袋と6年前に離婚して家を出て行ってから行方不明。
探しても連絡先もわからず。どうしているだろうか・・・。
おれは、カレーが大好きだった。(今もだけど)
小学校低学年の頃のある晩、久々にカレーになった。
確か、たまねぎやじゃがいもを大量に貰ったため、おかんはおでん鍋で大量にカレーを作った。
大抵は多くても、次の日の昼ぐらいで無くなるが、その時は2日経ってもまだまだあった。
おれは、カレーが大好きなのでそれでも美味しく食べつづけた。
3日目 日曜の昼だったと思う。どういう経緯でそうなったのかは忘れたが、おやじが厨房に立った。
はじめての事だったと思う。えらくゴチャゴチャやっていた。
そして「できたぞ!」と自信満々の声で言った。
皿にはカレー(ライスは別皿)だけの中に
わざわざあぶったピーマン
豆腐(スクランブル)
茄子
新しく追加した玉葱
等々 忘れたが他にもいろいろ入っていた。
おれは殆ど口をつけなかった。
おやじは「うめーがな なんで食わんだ こんなうめーもん・・・」
と言っておれの残したのを哀しそうに食っていた。
そんなおやじは 仕事一筋で、それが実り ようやく好きな家庭菜園を本格的に、
田舎で民宿でもしながらやろうと、おれに楽しそうに話していた矢先・・・
・・・カレーちゃんと食べたら絶対うまかったろうな
自作パソコン \xx,xxx
インターネット環境 \x,xxx
濡れて使えなくなったキーボード \x,xxx
ティッシュ一箱 \xxx
課題やるつもりで2ch見ていた時間 priceless
お金で買えない価値がある
8時間かけて全部読んだ
567 :
仕様書無しさん:2006/09/05(火) 10:58:01
>>566 いったいどんな課題をやると、このスレを読むことになるんだよ?
ティッシュ一箱で \xxx は、ちと高くね?
>>569 原油高でティッシュ高騰中
あと花粉症の時期に良く見かける高くてやわらかいヤツは
1箱で300円くらいする。
700 名前: 名無しさん@引く手あまた [sage] 投稿日: 2006/09/08(金) 15:10:20 ID:Wtn8vl9U
どうしたらGRANTしてもらえるでしょうか?
SQL> INSERT INTO 彼女 (マソコ) VALUES (漏れのチソコ);
INSERT INTO 彼女 (マソコ) VALUES (漏れのチソコ)
*
エラー行: 1: エラーが発生しました。
ORA-01031: 権限が不足しています。
701 名前: 名無しさん@引く手あまた [sage] 投稿日: 2006/09/08(金) 15:18:43 ID:5G0rpGtE
エラーメッセージをよく見てみろ・・・
FERA-0721:オブジェクト'彼女'は存在していません。
の間違いじゃないか?
573 :
仕様書無しさん:2006/09/15(金) 14:07:27
保守
_、_
( , ノ` )
\,; シュボッ ・・・先月、ウチの母が死んだよ。
(),
|E|
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ 死ぬ3週間前から入院していて・・・。
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ 俺は、母のいなくなった病室の片付けをしていた。
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ そして、冷蔵庫を開けたんだ。中には・・・俺の大好物のお菓子がはいっていたよ。
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ それには書き置きが添えられていて・・・「お兄ちゃんと二人で分けてください」と書いてあった。
_、_
( ,_ノ`) n∫ 俺は、兄貴と二人でそのお菓子を食った。
,!
┗━┛
_、 ∫
( ,_ノ) ヽ;;.. そのお菓子は、今まで食ったどんな高級な食い物よりもうまくて・・・
┗━┛
∫
( ) ヽ;;.. 涙があふれて、とまらなかったよ・・・。
┗━┛
_、_
>>433残念ながら手作りではなかったよ。なにせ
( ,_ノ` ) 3週間前から入院していたしな・・・。
ζ
[ ̄]'E
.  ̄
_、_ ・・・手作りのお菓子か・・・そういえば、母はよくチーズケーキを
( ,_ノ` ) 作ってくれたよ。
[ ̄]'E ズズ ・・・料理があまり得意ではない母が本を見ながら
.  ̄ 一生懸命作ってたのを覚えてるよ・・・
_、_ だけど、そのとき反抗期だった俺は、
( ◎E 「マズっ!!こんなモン食えねェよ!!もう作るな!!」
_、_ ・・・・あの時の事、謝っとけばよかった・・・・
( ,_ノ` ) それと・・・・
ソッ
[ ̄]'E 本当はケーキ、おいしかったよ・・・・・
..  ̄
.J( 'ー`)し そうかい、チーズケーキおいしかったかい
よかったよかった。
なぁに、気にすることないよ
心で思ってくれればちゃんと通じるんだからね。
577 :
仕様書無しさん:2006/09/20(水) 23:06:40
578 :
1/2:2006/09/28(木) 01:37:49
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって
作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、
見た目が悪い、母さんの弁当、を友達に見られるのが嫌で
とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当は
いらない!!」 と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくて
ごめんねとしか言わなかった・・・・。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは
給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を
作ると言い出した。 遠足の時に作ってくれたものとは
味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
579 :
2/2:2006/09/28(木) 01:38:40
と、思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは
俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を
習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはない
けど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、
ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと
涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、
たしかに母さんのハンバーグの味にそっくり
なのだ。 腕がまともに動かせないのに、がんばって
作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった
あのハンバーグの味。
ドライアイに良いスレだ
こんなスレがあるなんて!!ものすごく感激。
私も小学生の頃、同じような思い出があって・・・。ちょうど
「北の国から」と同じ家族構成で、母親が出てってしまって小学校
の運動会の時、母がいないから肩身が狭く、「お昼どうしよう」って
思ってた。そしたら同級生のお母さんが気を使ってくれて、一緒に食
べようとしてたら、父が登場。そして私の手を引いて車の中へ。
そこには2段になったお重があって、手の込んだ料理が入ってた。
「これどうしたの?」と言ったら「作った」との事。「本当に?なんで?¥
と言ったら、「○○(私の名前)が可哀想だと思ったから自分で作った」
だって。どう考えたって、不器用でおおざっぱな父が作ったとは思えない
手の込んだものでびっくり。本当はどこかの女性に作ってもらったのでは
?と言う疑問がわいたが、堅物で女遊びのできない父には、全く女の影が
無かったので、本当だった。今でも覚えているけれど、ご飯は俵型でごま
がかかっており、ウズラの玉子には串まで刺さってたよ。
その後大人になってから、よく思い出しては父の優しさを思ってうるうる
してしまう私でした。しかし、現在の女性と再婚して以来、様々な修羅場
等があり、実家には一切近寄らなくなってもう何年にもなる。父が寿命
を迎える前に一度は帰らないとね。
この前学生時代住んでたアパートの近くに寄ったんですよ、卒業後初めてね。
で、生まれて初めて独り暮らしを始めたアパートを、改めて見たわけですわ。
正直最初は独り暮らしって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に生活してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは俺みたいな弱虫がやるもんじゃなかった。
大人だね、精神的に独立した大人がやるものだよ。
最初に独り暮らし始めた時さ、引っ越し終えて帰ろうとする親に、
カッコつけてめちゃめちゃ無愛想〜に別れの言葉交わして
部屋のドアをさくーっと閉めたのよ、0.5秒くらいかけてさ。
でなんかドア閉めたら、急に腹減った上に心細くて涙出てきちゃったのさ。
そしたら親父が戻ってきててさ「何も食べてないだろ、開けろ!」とかドアの前で言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからカッコつけず開けたさ。えぇ、そりゃもう開けましたとも。全てを忘れて開けたよ。
腹鳴ってることとか涙拭くこととかとか親に謝ることとか色々忘れてね。
だって親父が開けろって言ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい優しさ。すごい愛。福原愛くらい。俺の年代だったら小森愛でも萌える。
それで前見たら親父がすごい勢いで俺に缶コーヒー2本渡してんの。
おいいくら手元にそれしかなかったとはいえ、缶コーヒーじゃ腹は膨らまんぞ親父、と思ったけど嬉しかった。
正直「男なら親をシカトだぜ!」なんて見栄張らないで素直に「最後に一緒に飯食おうよ!」って言えばよかったと思ったよ。
心の底から親を蔑ろにした事を後悔したね。
でも社会人になって、東京でそれなりの生活できるようになったら
「大学時代は仕送りもなくて苦労したな!これだから貧乏な親は。」
とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か去年天国に行った親父に「今の俺があるのはあのときのあなたのコーヒーのおかげです」って伝えて下さい
>┴< ⊂⊃
-( ゚∀゚.)- ⊂⊃
>┬<
_______
_____/ヽ ヽ_____
 ̄|| ̄ ̄| | | ノ⌒ヽ_ | ̄ ̄|| ̄
|| | | | ( ) | || ウフフ
|| | | | ....ι〜ヘ_丿 .| ||
|| |_| | (^) ..| || J('ー` )し
||. |_|_______ノ || ( ) ('A`*) ハズカシー
|| || || (_ _)
 ̄
母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ
| |
| J( 'A`)し |
| ( ) .| (; 'A`)
| 幸 | | ..| 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| . |
| . J( 'ー`)し |
| .. o一o | (; 'A`)
| 辛 〈 〈 ..| 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _、_ |
| ( ー` ) ΣJ('A`)し .|
|. (i i) .o一o. .| (; 'A`)
|. し .J 辛 〈 〈 ..| 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _、_ |
| ( ∀`) J('∀`)し .|
|. (o幸o .o一o. | (; 'A`)
|. し .J 辛 〈 〈 ..| 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| ( ー` ) | 'ー`)し
| (o辛o .|o一o (; 'A`)
| し .J 幸 .| U 辛 ノ( ヘヘ
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| ( ー` ) J( 'ー`)し |
| (o辛o . o( ). .| ミ Σ ('A` )
| し .J 幸 | レ .| 幸 ノ( ヘヘ
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| ( ー` )J('ー` )し .| ヽ(゚∀゚)ノ
| ( o辛oノ( ) .| ( )
| し .J幸 〈 〈 .| 幸 | |
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フタリデ半分ヅツナラ
| ヤッテケルサ |
|. _、_ .| 〜♪
| ( ー` ).辛J('ー` )し...| ( '∀)
|. ノ( ヘヘ 幸 ノ( ヘヘ | ノ( ヘヘ 幸
捕手
高校生の頃、酒飲みだった父親が他界した。
それからは母親が全く飲めないので、酒に触れる機会は
ほとんどなく、あまり飲みたいとも思わなかった。
最近飲むようになってから、自分がやたらと酒に強いこ
とが発覚。母親も妹も全然駄目なのに、自分は父親の血
を継いだのだなぁと思った。
もうどうしようもないことだけど、一回でいいから一緒
に飲んでみたかった。小さい頃からことある度に「お前
はきっと、わしの血をひいて酒飲みだ」って言っていた
のは、大きくなったら飲もうな、ってことだったのかと
思う。
おやじ、ホッピー飲んだことあったのかな?
聞く前に死んじゃったな。
聞いておけば良かったな。
飲んだことあるか、
一本で何杯飲んだか。
父は料理はそれなりにいろいろやっていたけど、
腕前はどれもやはり母にはかなわなかった。
ただひとつ母が父にかなわなかったのは、
餃子を焼くことだった。
母はどう頑張っても、父がやるようにパリッとしていて
くっついていてもきれいに一個一個ばらばらになるような
あの絶妙な焼き具合に出来なかった。
独り暮らしの身で幾度となく餃子を焼いた今の俺も真似できない。
いつかきっとあの焼き加減を再現してやろうと思っている。
その父も去年倒れ、母と共に一年半の闘病生活を送っていたが
健闘むなしく先日逝ってしまった。
…亡くしてからわかる、父の偉大さ。
うちの父が鮎釣り好きでさあ、季節になるといつもといっていいくらい
食卓に鮎がのぼってたのよ。おかげで鮎の骨抜きはできるんだけどさ、
子供にとっちゃあ川魚なんて訳わかんないから、なんでこんな毎日
この魚食べなきゃいけないの、と不思議だったよ・・・
っつーか、休日には薫製にして保存、正月のお雑煮の出しは鮎でとってた。
今から考えればめちゃくちゃ贅沢だったんだねえ・・・
父はもういないからあの頃のように馬鹿みたいに鮎食べられるわけじゃないけど、
今じゃ世界で一番おいしい魚は鮎だと思ってます。
母のお弁当
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
台湾の嘉義農林OBが監督の墓参り (1998/08/05 愛媛新聞掲載)
全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)の前身、全国中等学
校優勝野球大会の第十七大会(一九三一年)で台湾から出場して準優勝した嘉義
農林(現・嘉義技術学院)のOBらが四日、松山市を訪れ、当時の野球部監督だ
った故近藤兵太郎さんの墓参りをした。
近藤監督は元松山商野球部員。戦前に台湾に渡り、嘉義農林の野球部監督に就任。
甲子園に初出場し、準優勝に導いた。
この日、近藤監督のもとで野球をしていた嘉義農林野球部の選手やOBと日本在
住のOBら約二十人が再会を喜び合い、故人の思い出に話を弾ませた。近藤監督の
母校の松山商を表敬訪問したあと、墓参りに出かけた。
戦中・戦後の混乱で紛失していた準優勝の記念盾「朝日牌(はい)」をこの夏に
復刻した。参拝者は持参した盾を墓前に添え、墓石に水や酒をかけて手を合わせた。
準優勝当時に中堅手だった蘇正生さん(八五)は、墓前で思わず目を潤ませ
「近藤さんは台湾の模範となる野球を教えてくれた。今の自分があるのはすべて
近藤さんのおかげ。本当に感謝している」と話した。
596 :
仕様書無しさん:2006/11/26(日) 02:27:53
保守
597 :
仕様書無しさん:2006/12/02(土) 20:11:50
オーストラリアの乾いた大地を疾走するトラックの車内。
「ところで相棒、バックミラーにかかってるこの銀色のメダルは何なんだ?」
「いや、ちょっとしたお守りみたいなもんさ」
「おい、ちょっと待てよ。これ、本物の銀じゃねえか!」
「そんな目で見るなよ。昔、あるスポーツの大会でもらったのさ。そう、俺はオリンピックに出たんだ」
「オリンピック? 冗談よしてくれ。あれは選びぬかれたスポーツエリートだけが出られる大会だろうが。お前みたいに一日中トラック転がしてる奴がどうやってオリンピックに出るんだ?」
「それもそうだよな、ハハハ。」
「わははは」
しかし、遠い地平線を見る運転手の青い瞳には、ある一日の光景が焼きついていた。ありあまる資金で高級ホテルに泊り、薄ら笑いを浮かべながら会場に現れる東洋人の球団。彼らのほとんどが一年で百万ドル以上を稼ぐプロの選手だという。
若いオージー達は燃えた。そして、全力で立ち向かい、ぎりぎりの勝利を掴みとったのだ。たいていの人間が野球というものを知らないこの国では、誰も彼らを賞賛しなかった。しかし、胸の奥で今も燃え続ける小さな誇りとともに。今日も彼はハンドルを握り続ける。
アテネ五輪野球日本代表を下したオージー代表の職業
1右 土木作業員
2中 電気会社勤務
3三 倉庫番
4左 食品会社勤務
5一 時間給労働者
6二 倉庫番
7遊 倉庫番
8捕 喫茶店経営
9投 ピッチャーパン屋さん
598 :
仕様書無しさん:2006/12/05(火) 12:34:04
涙age(∩;∀;∩
トラックの運ちゃんは補欠なんだな
600 :
仕様書無しさん:2006/12/08(金) 04:46:30
小料理屋で見習いで働いています
と言っても三十路のオサーンなんだけどね
酒と料理が好きで今まで勤めてた会社を辞めて
いきなり全然別の分野で働き始めたから心配かけたんだろうなぁ
働き始めてから暫くして両親が店に来た
店長が気を利かせたのか俺に料理を作らせて
俺の下手糞な料理を食べて「おいしい」って食ってくれた
店長の許可を貰って俺も生ビールを飲んだ
いつもの軽口で両親と話していたけど
両親二人とも嬉しそうな顔してたなぁ
両親が帰った後、店長が言ってた言葉が今でも心に残ってる…
「息子が作ったってのが一番の調味料だ、これだけは俺もかなわない」
何だか少しウルッっときてしまった
今度はもっと美味いもん作るからな
また飲みに来てくれよ
用があって祖父の家に行ったら、祖父がブランデーを飲んでたから
俺も一杯やった。
「息子と飲むのも良いけど、孫と飲むのも又格別なもんだよ」って言ってた。
うちの親は私が小さいころから、とても厳しかった。
高校生になっても、友達と公園で花火することさえ許してくれなかった。
門限を破って、父親にボコボコにされたこともあった。
そんな親が嫌で、高校を卒業した後、一人暮らしを始め、親に会うことは
めったになかったが、成人式の日、母が手紙を持ってきた。
開けてみると、8枚の便箋にびっしり父からの手紙が書いてあった。
私が生まれる前に母が2度流産したこと、私が産まれるまで
どんなに不安だったか。事細かに色んな事が書いてあったけど
最後に「お父さんという名前をくれてありがとう。
これからは、仲良くやっていこうな。」
泣いた。
保守
75 名前:呑んべぇさん 投稿日:2007/01/10(水) 23:30:20
今レミーマルタンのVSOP飲んでいるよ。今から30年位前に俺のばあちゃん
が海外旅行で買ってきた今ではラベルもボロボロでボトルもうっすらと
かび臭くなったヤツを俺が綺麗にして実家から持って帰ってきたヤツをね。
当時は未だ高級品だったのかな、ハワイ旅行で立ち寄った免税店で買ってきた
らしいこの酒、いつの間にか誰の目に触れることもなく物置の中に仕舞われていた、
存在すら忘れられていたこのボトル。10年前にばあちゃんが倒れて、その後
何気に嫁が物置を掃除していたら出てきた古ぼけたブランデーの箱。試しに飲んで
みたが元々下戸な俺には味なんて判らず、何でこんなもの好き好んで皆飲むんだろうと
理解できなかった。そして、去年、ばあちゃんは寝たきりであったにも係らず、約10年
生きてくれた。俺が海外出張から帰ってくるのを待っていてくれたかのように、帰国した
翌日、朝露が朝日に照らされて消えて行くかのように静かに息を引き取った。それから
一年が経とうとしている今日、両親が商売で忙しかったのでいつも小さかった頃から
俺の面倒を見てくれ、遊んでくれ、時には叱ってくれ、そして誰よりも俺が結婚する時
に喜んでくれ、俺の初めての子供の名前を付けてくれたばあちゃん。
ありがとう。本当にありがとう。このブランデーが高いのか安いのか俺には判らない。
でもそんなことはいいんだ。30年も経ったばあちゃんの置き土産のこのブランデー、
ありがたく戴くよ。ブランデーの味が判って改めてばあちゃんがどれだけ俺のこと
思ってくれていたのかようやく判ったよ。これからもこのレミーマルタンVSOP
だけを飲むよ。ばあちゃんの思い出がぎっしり詰まったボトルだからね。
605 :
1/5:2007/01/16(火) 03:55:38
>>584 カーチャンは俺が4つの時病気で死んだんだ
ぼんやりと覚えてる事がひとつ
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなのカーチャンが迎えにくるんだ
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アッ ママダー ,===,====、
ノハヽ☆ _.||___|_____||_
ノ(・∀・リレ ||___|^ l
ノ( ー゚) ⊂ つ/|| |口| ||
( )\(∀゚) /(^(^ // ||...|| |口| ||
|| ヽ(_ _)ヽ ∬^ー^) // //. ||...|| |口| ||
(\ // // ||...|| |口| || ('A` )
|| // // ||...|| |口| || (_ _)
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,, , ::: " ::、 ::: ,, ::::: ,, ; ̄ ̄ ̄ "、 :::: " ,, , ::: " ::、 :::: " ,, , :
うちのカーチャンは入院生活が長くて、どうせ帰ってもトーチャンは仕事だし誰もいない
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった
606 :
2/5:2007/01/16(火) 03:56:35
その日も暗くなっても砂場で遊んでた
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そしたら俺を呼ぶ声が聞こえてカーチャンが息切れしながら歩いてきた
607 :
3/5:2007/01/16(火) 03:57:30
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カーチャン、カーチャンって馬鹿みたいに叫んで走ったよ
608 :
4/5:2007/01/16(火) 03:58:28
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、ってカーチャンが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた
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()二)ニニニニニ))ニニニ))ニニニ
//i、i : :
// i、i :( 'ー`)し:
. // .i、i : ('∀`):
// i、i ○(っっ○
// i、i 彡 :ヽつつ:
. // i、i [ゝ_⌒ヽヽ
// i、i し'し'
` i_,i
その後何日かして病院で死んじまった
後からトーチャンに聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい
609 :
5/5:2007/01/16(火) 03:59:09
あの時カーチャンどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん
辛かっただろう…
__
母 |
の |
墓 | ∴ ('A` )
──┐ ∀ << )
来月、俺彼女と結婚するよ
カーチャンの分も向こうのお袋さん大事にすっから
__
母 |
の |
墓 | ∴ ('ー` )
──┐ ∀ << )
610 :
1/6:2007/01/17(水) 03:17:46
カーチャンは42の時俺を産んだ
..___
│ド命.│ | ⌒⌒J('ー`.)し⌒⌒ |
│ク.名.│ | ('`) ) ..|
│オ │ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒| |
.. ̄ ̄ ̄ |. |⌒⌒⌒⌒⌒| .|
保育園に入園した頃には四捨五入すれば50
J( 'ー`)し カーチャンダイ!! v . v アッ ドクチャンノ
( )\(`Д´) . .ノ(・∀・リレ (゚∀゚) オバーチャン?
|| (_ _)ヾ (_ _)ヾヽ(_ _)ヽ
611 :
2/6:2007/01/17(水) 03:18:16
5歳の誕生日にカーチャンが好きな物を作ってくれると言った
ナニガタベタイ? J( 'ー`)し ホントニ?ジャアネェ…
ナンデモイイワヨ ( ) .ε= (゚∀゚*)
|| .ヾ(_ _)ヾ
俺は即座に いつか友達の家でご馳走になったオムライスをリクエストした
∬^ー^) オカワリアルノヨ オバチャン ウメー! ママノオムライス オイシイデショ
(\ ○
|| ε= ヾ(゚∀゚*) ノ(・∀・リレ
/ ̄ ○ノ  ̄ ̄○ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
o
゚ オムライス!!
J(;'д`)し ヽ('∀`*)
612 :
3/6:2007/01/17(水) 03:18:57
しかし齢のせいか洋食にとんと疎かったカーチャンが苦戦の末作ったものはどう見ても「オムライス」ではなく「ケチャップご飯の卵焼きのせ」で
……
J(;'ー`)し オマタセ… (.゚A゚.)
( V) / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
|│
俺はつい言ってしまった
……コンナノオムライスジャナイ…
J(;'A`)し ('A`lll)
( V) / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
|│
613 :
4/6:2007/01/17(水) 03:19:32
しまった、と思っても後の祭りだった
そして我が家では暗黙のうちに「オムライス」は禁句となり
……
J(ノд`;)し カーチャン (lll'A`)
( ノ) リョウリヘタダネ / ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
│| ゴメンネ
大学四年の夏、カーチャンが急逝する日までオムライスが食卓に上ることはなかった
________
| .. |
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| |J( 'ー`)し | ..|
| | ( )\('∀`) .| ..|
| | || (_ _)ヾ| ..|\
| |______| |.. ..\
|________|
614 :
5/6:2007/01/17(水) 03:20:03
就職して実家を離れて数年経つが
時々戯れにあの時の「オムライス」を作ってみる
。・゚・⌒) .(` ) ドレドレ
ヽ二フ━ ノノ) 只
 ̄ ̄ ̄| |│ | ̄ ̄
けれど一度きりしか食べられなかったあの「オムライス」の味は何度試しても再現できない
。・゚・⌒) .(ノ∀`)゚・゚・。アチャー
ヽ二フ━ ノ ) マズー 只
 ̄ ̄ ̄| |│ | ̄ ̄
615 :
6/6:2007/01/17(水) 03:21:06
カーチャンあの時はごめん。見た目は確かにアレだったけど、本当はすごくうまかったんだ。
<(´ー`) マタ シッパイ…
┌--┐ (ノ)
└∧┘  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あの時「おいしいよ」ってちゃんと言えてたら、何度でも作ってくれたろうにな。
イッパイタベテネ カーチャン ウメー!
カーチャンノオムライス スッゲーウメェ!!
J( '∀`)し
(\○
|| ε= ヾ(゚∀゚*)ノシ
/ ̄ ○  ̄ ̄ ̄ ̄
カーチャン、本当は美味しかったんだよ
完
保守
617 :
6/6:2007/01/20(土) 04:14:07
父とは仲は良いけど、俺は恥ずかしくてオヤジとは言えない関係です。
頭も良くとても尊敬できる人です。
俺が高校生のときに1人でビールを飲んでいて怒られたこともはっきり覚えている。
俺が大学に入って20歳の誕生日にはマッカランというウイスキーを送ってきた。
いつしか志向がかわり大学を中退して田舎を遠く離れてフリーターになった。
次の誕生日にはボウモアというウイスキーを送ってきた。
久々に実家に帰ると父は仕事から帰り、普段はほとんど飲まないビールを
出して「たまにはビールでも飲むか」と出してきた。
お互い恥ずかしいのか乾杯しないまま飲み始める。
「ラフロイグという酒も面白いぞ」と教えてくれた。
俺はウイスキーにどっぷり嵌っていった。
いつの日か初めて父にラフロイグの15年という酒を送った。
喜んでくれたが「もったいなくてまだ飲んでいません」とメールが。
たしかに俺から物を送るなんてめったになかったからかもしれない。
そんな父が今年不意の事故で亡くなった。
言葉が出なかった。家族の前であんな号泣したのは初めてだ。
贅沢は言わないから1時間でいい。一緒にウイスキーを飲みたい。声を聞きたい。
今でもあなたの息子であることを誇りに思っています。
モルト党がまた一人逝ってしまったか
620 :
仕様書無しさん:2007/01/27(土) 14:33:17
メールのプロバイダに注意勧告してもらって
フリーメールは受けつけないようにしないと
お前らって喜怒哀楽がわやになってないか?
せせら笑うってそんな楽しい事か?
俺の妹は11歳下。おむつも替えたし、子供みたいな感じで兄弟とは思えなかったけど
やつが高校入った頃から少しずつ会話の量が増え始めた。
生来勘のいい女だからか、通じ合う部分がかなりあって、
恥ずかしながら俺から相談する事もあったくらい。
やつの幼稚園の頃の口癖は「お兄ちゃんと結婚する!」
大学入ってからは両親死んだ事もあって「お兄ちゃんが結婚するまでは安心できない」
今日、妹の結婚式。
バージンロードを腕組んで歩いて来た。
「ありがとう」は兄ちゃんの台詞だ、バカ。
すげー綺麗だったぞ、翠。幸せになれよな。
母と、振込みが済んでるのにいつまで待っても届かないPCをサクソスに取りに行った。
でもなぜか売り場はシャッターが閉じられており、近くにいた強面のおじさんに
社長が夜逃げしてPCは売ってもらえないよ、と言われた。
──┐
│ _[暴]
│ J( ;'A`)し (`Д´ )
│ ( )\( 'A`) ヾ( )
│ || (_ _)ヾ ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
帰りの電車で母は 「母ちゃんサクソスに騙されてごめんね」 と言って涙を少しこぼした
( 'A`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
623 :
仕様書無しさん:2007/02/11(日) 05:16:35
保守age
624 :
1/6:2007/02/20(火) 03:39:03
漏れが小学校4年の時
妹が小学校に入学した。
漏れはオニイチャンぶって、妹の世話を焼いた。
学校に行く道でも通学路以外の近道を教えたり
ココヲトオルト チカミチナンダ > ( '∀`)
ノ( )ヾ ('ー`*) < ソウナンダ。アリガトウ オニイチャン
|| (_ _)ヾ
.~~""''':::..,,, . ~~""''' ::: . ., ,, .
625 :
2/6:2007/02/20(火) 03:39:47
学校での休み時間でも妹がいじめられていれば助けに走った
(`Д)ノ < コラー! 。ヽ(゚∀゚ ) < アヒャヒャ
‐=≡ ( < ) 。・゚・(ノД`) ( )
‐=≡/ > /(_ _) < \
その度
( '∀`) 「困ったことがあったら何でも兄ちゃんに話すんだぞ。」
('ー`*) 「うん!」
と言っていた。
626 :
3/6:2007/02/20(火) 03:40:20
悪ガキの漏れになついてくれる妹が
純粋にかわいくてしかたなかったんだ。
それが…
突然だった。
漏れが家に帰ると、
妹は冷たくなっていた。
_______
| ___ |
| [| ( ' _`) |] |
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| .|| Σ('A`) !?
|| .|| ( )ゞ
|| .|| ||
627 :
4/6:2007/02/20(火) 03:40:52
葬式の時、漏れは泣きもしない
__
妹 | . .。.:*・゜
の | ゚ ・*:.。. .。
墓 | ∴
──┐ ∀
ただポッカリと心に穴が開いたような感覚だけがあった。
| ・・・。
| ('A`)
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄
628 :
5/6:2007/02/20(火) 03:42:27
そんなある日、
漏れは居間でうたたねをしていた。
夢を見た。
その夢の中で妹が「ただいまー」と、あの笑顔で帰ってきた。
(´∇`*) < タダイマー。オニイチャン
( )ヾ
起きてすぐ、漏れは何の気なしに玄関に行ってみた
その時、風のせいだろうか、扉が半開きだったのかもしれない
玄関がスッと開いたんだ。
漏れは自然に 「おかえり」 と言った。
途端にそれまで出なかった涙が流れた。
後から、後から、、
止まらなかった。
なぜだろう
その時に妹の死を実感したんだ。
629 :
6/6:2007/02/20(火) 03:43:33
兄ちゃん、もっと、もっと
おまえと一緒にいたかったよ。
おまえの事が大好きだったよ。
もう何年も前なのに、兄ちゃん大人になったけど。
今もお前の笑顔がはっきり思い出せるんだぞ。
天国から見ているはずの妹へ、、
誕生日、おめでとう。
ニュージャージーの建設会社に勤める35歳、
ジェフ・トマソンは2週間の休暇を取った。
2月6日に行われるNFL王者を決めるスーパーボウルに臨むために。
観客としてではない。イーグルスのTE(タイトエンド)として。
10年間で3球団を渡り歩き、パッカーズで2度スーパーボウルにも出た。
'02シーズンのNFCプレイオフで敗れた試合を最後にイーグルスを退団。
引退会見もなくNFLから去った。
1月23日 日曜日
'04シーズンのNFCチャンピオンシップにおいて
イーグルスは27-10でファルコンズを下し、
スーパーボウルへの切符を手にした。
その中、イーグルスのTEチャド・ルイスは、
2度目のタッチダウンパスを受けた際に負傷し、
故障者リスト入りとなった。
1月24日 月曜日
朝早く、かつてのチームメイトであり、
友人であるチャド・ルイスからの電話が鳴った。
「昨日の試合で左足を怪我してしまった。
残念だがスーパーボウルには出れそうにない」
トマソンは心を痛めた。そして、ルイスはこう続けた
「で、俺の代わりに出て欲しいんだ」
トマソンは冗談だと思った。
だが、ルイスの言葉は冗談などではなかった。
既にルイスはトマソンを首脳陣に推薦していた。
正午頃、イーグルスのTEコーチ トム・メルヴィンからの電話が鳴る。
「まだ、やれるか?」
午後に入り、トマソンは勤務先に電話を掛けた。
この状況を伝えるために。
社長であるマイク・アソフスキーは話を聞き、こう答えた。
「ジェフ、さっさとここから出て行け。
行って、俺たちに誇りをくれよ」
そして、トマソンはイーグルスのトライアウトを受け、
その夜にはヘッドコーチのアンディ・リードから
最新のフォーメーションを記した分厚いノートを受取っていた。
1月25日 火曜日
契約書にサイン。
記者会見。
1月26日 水曜日
2年振りに公式練習に参加。
こうしてトマソンの『休暇』は始まった。
「我ながら、夢のような話だな。
多分おれは世界一運のいい男だ」
イーグルスとの契約は1試合だけ。
その1試合が終われば、休暇は終わり、また日常へと戻る。
「2週間も休んじまった。
今年はもう休暇は取れないな」
> 行って、俺たちに誇りをくれよ
こういうの、いいよね。
635 :
仕様書無しさん:2007/03/26(月) 06:12:49
ほしゅage
厨房の頃にテスト勉強なんかで夜遅くまで起きてたら親父が「勉強しとるかー」
ってココアとその辺にあるクッキーなんかをを持ってきてくれた。
そのココアがお湯で溶かすだけのヤツじゃなくって鍋で作る本格的なヤツで甘く
て美味しかった。
ある日自分でココア作ってみたけどなんだか違うんだよね。やっぱり親父の味っ
てヤツなのかな。
今は私も大学生になって一人暮らし。今は正月で実家に帰ってますが親父も白髪
なんかが目立ってきて・・・
やっぱり親って鬱陶しいぐらい生きてると思ってたら大間違いなんですかね。
親孝行しないと・・・