新聞に載ったパラオの話。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
米太平洋艦隊司令長官、ニミッツ海軍元帥は自著『太平洋海戦史』の中で、ペリリュー島の戦闘
に相当のページをさき、次のように結んでいる。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見
られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制
海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占
領したことは、今もって疑問である」
ニミッツは、この玉砕戦に感銘して詩を作っている。
平成 6年 9月13日、パラオ共和国は日米両国を招いて記念式典を開催。ペリリュー神社の
境内にニミッツの詩碑が建立された。
諸国から訪れる旅人たちよ この島を守る為に日本軍人が
いかに勇敢な愛国心を持って戦い、玉砕したかをつたえられよ。
米大平洋艦隊司令長官 C.ニミッツ