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>>1の続き)
50年近く前の三島由紀夫の指摘が鋭すぎる
「敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなくなり、
アメリカのように一部民族と国家の相反関係や、
民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況というものを持たないのである。
(略)従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがする(略)」
「左翼がいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、
彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、
日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、
反日教育をほどこすような北鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである」
「彼らはすでに、人間性の疎外、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている」
「私は日本の戦後の偽善にあきあきしていた。
私は決して平和主義を偽善だと云わないが、日本の平和憲法が左右両方からの政治的口実に使われた結果、
日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になった国はないと信じている。
この国でもっとも危険のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼的で、平和主義で、暴力否定論者であることであった」
「私は自然に、軍事上の『間接侵略』という概念に達したのである。
間接侵略とは、表面的には外国勢力に操られた国内のイデオロギー戦のことだが、
本質的には、(少なくとも日本にとっては)日本という国のIdentityを犯そうとする者と、守ろうとする者の戦いだと解せられる」