青山繁晴「サンノゼ市で日本人の子供たちが『反日』によるいじめの被害者になっている」 ← 嘘でした

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297番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
Q.1 トッカビはいつ頃、どんな目的で設立されたのですか?
> 1974年10月、小さな長屋から「トッカビ子ども会」の活動がスタートすることになりました。
> トッカビが誕生した八尾市の安中地区は、当時、地区内居住者のうち在日コリアンが約1割を占め、
> 竹渕地区に次いで2番目に多い地区でした。またこの地区は、部落解放運動が、1960年代半ばから起こり始めたところでもありました。
> そういった中、部落解放奨学金の奨学生の集まりである「部落解放安中高校生友の会」に入会していた何人かの在日コリアン青年が、
  ↑
 符合するから事実なんだろうな
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「在日コリアン人権運動の理論構築について」 徐正禹
第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動
2.1 両親のこと
http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter2.html
> 中学校3年生の6月、私の家族は大阪の八尾市に転居した。
〜 中 略 〜
> ときあたかも大阪万博の時代である。大阪にいた父の昔の知人の誘いもあり、その人のつてで八尾に来たのである。
> 転居してきたところは、八尾市の安中という同和地区だった。当時の安中は生活環境の劣悪で、在日朝鮮人も多数居住していた。
> 同和地区に転居したのは偶然ではなく、家賃の安い住宅、在日朝鮮人が働ける土工の仕事があったからである。

2.5 部落解放運動との出会い
> 高校受験を間近に控えたころ、担任の先生が突然家庭訪問し、母に対して、私を昼間の高校に進学させるように勧めるのである。
> 理由は、私の住んでいる地域が同和地区であり、解放奨学金(同和奨学金)が朝鮮人にも支給されるので、
> 授業料、教科書代、交通費が賄えるとのことだった。アルバイトをすれば、その他の経費はどうにかなるというのである。
> 母は半信半疑ながら喜んで先生の提案を受け入れた。
> ところが、問題は生活保護を受給していたため、ケースワーカーが「昼間の高校に行くのであれば、生活保護を打ち切る。
> とにかく就職するように。」と言い出したのである。

成長した徐正禹さんは立派な企業ゴロにww

徐正禹氏(企業に脅威を感じさせ‥企業からの資金提供は、多額であればあるほど効果) ― 2008/07/21 22:37
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/21/3641934