「いつか自分の子供や孫に話そう。『おばあちゃんが若かった時、東日本大震災があって世界中が1つになった。皆が一つのために必死になって支えあって輝いていたんだよ』って」
「prayforjapan.jp」にはツイッターで発せられた「心に残るつぶやき」がまとめられている
戦後最悪の災害をもたらした3月11日の東日本大震災。その翌朝、まだ震災の全ぼうが見えないなかで立ち上がった
「prayforjapan.jp」は、震災後、もっとも有名なサイトの1つとなった。ミニブログのツイッターで国内外から発せられた希望や励ましのつぶやきがまとめられている。
このサイトを作ったのは、大学2年生の鶴田浩之氏。「3.11」以降、ツイッターやミクシィ、ブログといったソーシャルメディアを舞台に、
市民の一人ひとりが何かできないかと知恵を絞り、行動を起こしている。
「これは日本の財産になる」
その日、鶴田氏は自動車免許の合宿で栃木県の那須塩原高原にいた。教官が空き時間にメンバーをドライブに連れて行ってくれ、ちょうど牧場の駐車場に着いた瞬間のことだった。
当地に震度6弱の揺れが襲い、乗っていたクルマは何度もバウンドした。信号はすべて止まり、ひび割れた道路を通って何とか宿泊先へと戻った。
停電と断水で不気味な静けさに包まれた合宿所。高校生を含む生徒の多くが、不安げな面持ちで薄暗いロビーに集った。
鶴田氏はノートパソコンを部屋から持ってくると、かろうじてつながったイーモバイルの電波を通じ、NHKが特例で決めたインターネット配信のテレビ映像を流した。
津波にのみ込まれる無数のクルマ、横転した船舶、燃えさかるタンク……。言葉を失い、毛布にくるまりながら浅い眠りについた。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO25813830Z20C11A3000000/