今回のクローズアップ現代マジ全員シンショー

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>>298
★全体主義は、経済の混乱や革命による政権交代では除去できず、同じ革命でも内乱か、外国からの戦争や支配(日本のWW2後も同じ)、つまり《血と汗と涙》のみでしか除去できない
■全体主義と「戦う意志」を!
 チャーチルの偉大さは、国民をして、全体主義と「戦う意志」を持つものとして目覚めさせた、というところにある。
 あの時イギリス国民が、全体主義と「戦う意志」に目覚めなければ、自由と民主主義は葬られていた。
 それと同じように現在日本国民が、全体主義と「戦う意志」に目覚めなければ、自由と民主主義は葬りさられ、全体主義に阿諛追従する柵封体制へと歴史は動き出すだろう。自殺行為のように・・・。
 『全体主義と「戦う意志」を持たなければ、全体主義に侵食される。全体主義と「戦う意志」を持たないのならば、全体主義を感受する覚悟が必要だ』。
 一度、全体主義に支配されれば、ただひたすらに「フルシチョフ」や「ゴルバチョフ」の登場を待つほかにない。その後でも「プーチン」が登場する。つまり全体主義は簡単には除去されない。
 『一度投げ捨てた自由と民主主義は、破裂してしまった風船か、林の中に入ったゴルフボールのように顧みられることはない』。
■全体主義は「経済学を超えた問題」
 ドラッカーはナチスの経済体制を分析し、軍事力増強優先や完全雇用優先による民需消費抑制策の近い将来の限界点や、
資源輸入問題の限界点、輸入代替産業(他国よりも高く悪いものを生産する産業)の育成失敗、農業産業化の失敗などを挙げている。
 『ただし、それがナチス崩壊へと結びつく、とは言っていない。全体主義は「経済学を超えた問題」だと言っている』。
 現在でも中国共産党を経済学的に分析して「崩壊間近」と結論付ける人がいるが、その点ドラッカーは七十年以上も前に、全体主義は「経済学を超えた問題」だ、と指摘していることは卓抜である。