今回のクローズアップ現代マジ全員シンショー

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全体主義化しているから
■「大衆の絶望」こそ、全体主義を理解する上でのカギ…やらないと現実の不安に負けてしまうから、さらにやってしまう、そしてもっと不幸に
 全体主義は、「あらゆるものの否定」《絶望の闇》においてのみ、存在している。
 逆に言えば、『全体主義は、何一つ積極的な価値を打ち出すことが出来ない』、そういうものなのだ。(現在の反韓主義も、積極的な価値を生み出さない)
 大衆は、失業や貧困などの「現実の絶望」から、「(現実の)絶望を絶望で否定し忘却させる」全体主義を支持する。
 『全体主義は「自身の現実の不満(絶望)を何一つ解決してくれない」が、
「全体主義を信じないならば、悲痛な現実(の絶望)に目を向けなければならなくなる」ため、ますます全体主義を信じようとする』。
 希望が色あせ、絶望に染まっていく。絶望している者を引きずり込む絶望の闇は、絶望の匂いを嗅ぎ付ける。そして、絶望の闇に呑み込まれる。全体主義は麻薬。


■ドラッカーの『経済人の終わり』は、三つの全体主義の症状を列挙する
▼一、積極的な信条をもたず、専ら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する
▼二、古い考え方を攻撃するだけでなく、これまでの政治権力・社会権力そのものを否定する
▼三、賛同者は、積極的な信条を信じるためではなく「まさにそれを信じないがゆえに」ナチス全体主義の運動に参加する
 ドラッカーは「マルクス主義の失敗」と「大衆の絶望」も大きな原因として挙げていて、『否定の弁証法(否定の否定が肯定ではなく虚無に向かう運動)の極地みたいな運動』としてナチス全体主義を見ている。
 全体主義者の「否定の否定」は肯定を産まない。冷笑評論して、自分を賢く見せるだけである。
 「まさにそれを信じないがゆえに」、すべてを否定する虚無そのもののような運動が「社会の価値観が変化したから」、熱狂的な大衆の支持を得て巻き起こった
、というふうに描いている。
 ナチズムの主張なんか、誰もが無関心で信じていないのに、ナチズムに群がる。