http://netouyo-db.tumblr.com/post/66178365373 アンボン島のような小さなケシ粒のような島にも、中国大陸の戦線と同じように、
男性の生理的欲求を処理するための「慰安所」が設置されていた。
日本国内にもあった「赤線地区」であり、昔は「女郎部屋」と呼ばれていた売春宿であり、
軍隊がつくっていた公認のものであった。
そこには日本女性も動員されていたし、もちろん現地人女性が多く集められて運営されていた。
彼女たちは、軍人を慰める目的であることから「慰安婦」と呼ばれていた。国家権力による強姦強要でもあった。
(中略)
民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、
その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。
「あの慰安婦集めでは、まったくひどいめに会いましたよ。
サパロワ島で、リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、
いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいる部落の住民が、
ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!! 娘を返せ!!
と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。
思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。
敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」。
…
禾晴道『海軍特別警察隊』より
※禾晴道は1942年1月第一期海軍予備学生として海軍経理学校に入校、ただちに軍令部勤務。
1944年3月以降インドネシアのセレベス民政部アンボン海軍特別警察隊に将校として勤務。