アドルフ・アイヒマンの魅力

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 ハンナ・アーレントは20世紀有数の女性哲学者だ。
ユダヤ人であるためナチス政権の成立で母国ドイツを離れるが、
フランスで強制収容所に抑留される。そこから間一髪の危機を逃れてアメリカに渡るのだが、
本作が描くのは彼女のそうした劇的な生涯ではない。大著『全体主義の起源』で名声を得たのち、
アイヒマン裁判の傍聴レポートを発表した時期を扱っている。

 アイヒマンはナチスの秘密警察でユダヤ人対策を担当した官僚で、1960年に南米で逮捕され、
イスラエルで裁判にかけられる。当時アメリカの大学教授だったアーレントは現地に飛び、裁判を傍聴し、
その報告を高名な週刊誌「ニューヨーカー」に発表する。

 アイヒマンは合法的な命令に従っただけだと主張する。この完全な無思考性、悪の凡庸さにこそ、
官僚支配の行き渡った世界の非人間性が露(あら)わになっているとアーレントは結論する。
半世紀前の彼女の論評は現代の大衆社会の病理の分析としても十分有効だ。

 しかし、この意表を突く指摘はナチスの罪を軽くするものだという批判をこうむり、
アーレントは同胞のユダヤ人から非難を浴びる。大学の同僚からも辞職を迫られたアーレントが、
教室で学生たちを前に自分の信念を披歴(ひれき)する場面がクライマックスとなる。

 ここには息づまるサスペンスも、凝った物語の技巧も、斬新な映画的表現もあるわけではない。
ひたすら普通の人間としてのアーレントを追いながら、それがアイヒマンの凡庸さと決定的に違うのは、
そこには考える人間がいることだ。思考する人間を映画で見せるには緻密な台詞(せりふ)が不可欠である。
映画の成否は、この言葉を担う人間像の厚みにかかっている。ヒロインを演じるバルバラ・スコヴァは
その人間造形にみごと成功した。マルガレーテ・フォン・トロッタ監督。1時間54分。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO61563640U3A021C1BE0P01/