沖縄戦 「日本人なら投降せず手榴弾自殺する。日本人なら」 同調圧力で追い詰める

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●日本軍はビルマや南方でも虐殺を行なった(韓国史に詳しく日本史に疎いネトウヨ)
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■カラゴン村の虐殺
1945年7月上旬、群馬県高崎の連隊歩兵第 215連隊第3大隊による、タイ国境近くのビルマ東南部モールメン地方のインド人部落
カラゴン村殲滅作戦が強行された。その結果、少なくとも女、子供を含む 600 人以上の住民が虐殺され、
約 10人の若い女性住民が拉致され、その後村が焼き払われた
http://www.kyoai.ac.jp/college/ronshuu/no-07/iwane.pdf

■ババル島の虐殺
昭和19年11月に、ババル島のエンプラワス村で、日本軍による住民400名以上にものぼる虐殺事件が起きていたことは、
それから42年も経った1986年11月23日付の『朝日新聞』報道で初めて知られることになった。
同紙には以下のような見出しが並んだ。“旧日本軍、住民400人を虐殺 インドネシアのババル島”、“極秘報告書が明るみに”、
“戦史研究家が入手 憲兵殺され「討伐」”、“銃撃三時間 村一つ消す”、“ババル大虐殺 元大尉「すまない」”。
この報道は、福岡県の戦史研究家の武富登巳男氏が、偶然入手した、旧日本軍第五師団参謀部作製の極秘書類
『ババル島事件関係書類綴』が発端となっている。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

■クアラピラの虐殺
グリセンビラン州の中央部にあるこの町には、歩兵第一一連隊第七中隊が駐屯していた。
第七中隊は四二年二月二八日クアラピラに到着、この年の末まで駐屯した。
この間、三月三日から二五日まで、連隊の一員として州内各地の華僑粛清にあたり、
第七中隊の公式記録である「陣中日誌」の記述によると五八四名を刺殺し、二八〇名を検挙して憲兵隊に引き渡している。
私が調べたかぎりでは、刺殺した相手は抗日ゲリラはほとんど含まれず、多くが女性や子どもだった。

■スンガイルイ村の虐殺
また同年八月にはスンガイルイ村を襲い、村民を全員集めて虐殺、三六八名を殺害している
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper08.htm