大震災2年・安心の行方:南相馬のホルン演奏家、教室再開の夢/船橋のチェリスト、チャリティーコンサート /千葉
毎日新聞 2013年03月10日 地方版
◇音楽に導かれ、音楽で癒やす
音楽は心を癒やす??。そう信じる人々の活動が東日本大震災の被災地で続いている。東京電力福島第1原発
から15キロの自宅から、ホルンひとつ抱えて事故から逃れた演奏家。デュオを組んでいた仙台在住のピアニス
トの導きで、東北の被災地をめぐり続けるチェロ奏者。震災から2年。心のやすらぎと復興を目指す2人の演奏家
の軌跡を追った。【橋口正】
いつもホルンをそばに置いた生活を続けてきた梅田和徳さん(36)が、静岡県でのホテルマン暮らしにピリオドを
打ったのは4年前。福島県南相馬市に住む父親が体調を崩し、農地の世話をする必要もあったが、ホルン奏者と
しての力量が認められ、音楽教室の講師として故郷に戻れることがうれしかった。
しかし、2年後の大震災がすべてを変えた。自宅は第1原発まで車で20分ほど。転々と避難しながらたどり着い
た埼玉県内の避難所では、しばし、段ボール箱に囲まれた生活を送った。
「こちらでも先生できますか?」。2カ月ほどして、音楽仲間の紹介で柏市内に移り住んだころ、近くの流山市で
音楽教室を営む岡本潤也さんから声がかかる。見知らぬ土地での不安な日々。「救いの手」に思えた。
千葉での生活が軌道に乗ったころ、今度は南相馬市の教え子たちから連絡が来るようになった。やがて、月5
日程度だが、福島に残る教え子への指導を再開。千葉と福島を往復する日々が始まった。
さまざまなことがあったが、振り返ると、1本のホルンに導かれるように生きてきた。「頼りにしている人たちがい
るのに、遠くにいては満足な指導ができない」。今、福島県いわき市に音楽教室を開く計画を進めている。いわ
き市には南相馬市からの避難者が多い。ホルンはハーモニーの楽器と言われる。
http://mainichi.jp/feature/news/20130310ddlk12040065000c.html 依頼@44