フランシスコ・ザビエル「ジャップひねくれ過ぎやろ・・・素直に信じとけや」

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大分商工会議所は2月3日、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの
そっくりさんを集めた「ザビエルそっくり選手権『我こそはザビエル』」を大分市で開く。
1551年、山口で布教中のザビエルは大分に招かれ、キリシタン大名、大友宗麟に
会った。市内にザビエルの銅像もあるが「もっと知ってもらおう」と企画した。
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http://mainichi.jp/select/news/20130120k0000m040025000c.html


ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人

日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、
「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
 ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、
インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
 この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。

 ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、
イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。

ttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843