天声人語 2012年12月17日(月)付
年の瀬の恒例、東京は浅草の羽子板市が今日から始まる。
その羽子板を〈羽子板や裏絵さびしき夜の梅〉と詠んだ永井荷風の一句がある。
絢爛豪華(けんらんごうか)に仕上がった表に比べて、裏は淋(さび)しいと。裏絵も味わい深いのだが、表との落差ゆえ、
荷風の目には沈んで見えたのだろう
▼さて年の瀬の総選挙は、羽子板ならぬ政治の裏表を、1日にして入れ替えた。
裏絵にまわった民主党は民意の嵐になぎ倒され、表に出た自民党は、勝利の上に「大」をのせて千両役者の舞い姿である。
小選挙区制の破壊力、いまさらながら恐ろしい
▼19年前のカナダを思い出す。単純小選挙区制のもと、政権党が前回獲得の169議席を何と2議席に減らして敗れ、首相も落選した。
今も語りぐさの選挙を彷彿(ほうふつ)とさせる、民主党の負けぶりだ
▼期待に応えられなかった責任は重い。とはいえ、小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい。
破壊力を恐れた政党が、ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる
▼「負けに不思議の負けなし」と言う。だが「勝ちに不思議の勝ちあり」なのだそうだ。民主が前者なら自民は後者ではないか。
一度首相を辞めた人が新味の薄い党を率いての大勝は、敵失などの「賜(たまもの)」と割り引く謙虚さが必要になる
▼老舗の党である。内外多難の時代に経験と円熟を頼む人は少なくあるまい。だが政治課題の追い羽根をつき損なえば、
再び大きな×を顔に塗られよう。億の目が舵取(かじと)りを見つめている。
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