「アンチ」ほど非生産的なものはない。藁人形叩いてる暇あったら何かを生み出せよ

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『挑戦する脳』には、「アンチからオルターナティヴへ」という章がある。
そして、私のツイッターのプロフィールにも、「アンチからオルターナティヴへ」と書いてある。
これは、依然として大切な戒めだと思うし、自分の今後の人生を考える上でも、大事にしていきたい価値観である。

そんなことをわざわざ書かなくてはならないのも、人は、「アンチ」に熱を上げやすいからだ。
まったく意味がない、というわけではなくて、ぶつかっているうちに足腰が鍛えられるということはあるかもしれない。
しかし、「アンチ」ばかりやっていると、空しくエネルギーを浪費することになる。

英語では、攻撃の対象となるものの性質を、自分で都合のよいように変更して叩き、
「やっつけた」という幻想を抱くことを、「straw manを攻撃する」という。勝手にわら人形をつくり、ぶすぶすやっている。
それが、何か有意義なことと思っているが、気づくと何も成されていない。

ツイッター上では、相変わらず、straw manを攻撃する人たちがたくさん見られる。
その人たちは、おそらく、エネルギーが有り余っているのだと思う。
そして、才能もあるのだ。問題は、そのようにしてエネルギーを発散することが、その人にとっても社会にとっても生産的ではないこと。

「アンチ」から「オルタナティヴ」へ。誰かを攻撃してエネルギーを発散するのではなく、自分で何かをつくりだそうとすること。
そうすると、これは難しい。何しろ、具体的に一つひとつ作り上げていかなくてはならないのだから。
うなると、その人は無口になる。簡単には言えなくなるから。

「アンチ」は、比較的簡単に高揚や満足感を得ることができる。村上春樹さんの言われる「安酒」の酔いである。
だから、アンチにはまってしまう人も多い。一方、「オルタナティヴ」は心細い。
何しろ、自分の身体を用いて、一つひとつ作っていかなくてはならないから。でも、心細さがいいね。

http://togetter.com/li/402007