旧日本軍の頭の悪さは異常 護衛も無く輸送船を送り続けて2600隻が沈む

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>>409
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-122.html

 岐阜――四〇年四月、二名の家人を前に新聞掲載の皇太子の写真に、「こんな良い服や
靴を着て何じゃ、我々国民があって初めてこんな良い服が着られるのだ、こんなもの何じ
ゃ」といいつつ該新聞紙をクシャクシャに丸め、これでストーブ上の油を拭き廻したのち
「こんな者は早く死んで了え」とストーヴの火中に投じた。(七月、不敬罪で送局)

 大阪・五一歳――「天皇陛下も人間なら我々も人間だ。天皇陛下が米を食べられるのに
我々国民が米を食べられないはずはない。天皇陛下が米を食べられないのなら、自分も食
わずに辛棒する。我々は銃後の産業戦士だ。このような事で銃後の治安もくそもある
か。」(一九四一年二月、米穀共同販売所で発言、不敬罪としで送局)

 新潟・教諭・三七歳――同年九月、農林学校三年生四二名にたいし作文授業中、与謝野
晶子作「君死にたまふことなかれ」の歌を板書し、生徒に筆記させ、「天皇は身自ら戦の
庭に立たぬのだから我々も戦死する必要はない」との趣旨で説明を加えた。(厳重戒飭)

 群馬・農業・四五才――「日本もハアどうすることもできなくなってしまっただからね、
皇族だっても我々と同じ国民ではないか、宮様の御祝儀だなんてあってこともない騒ぎを
して一体皇族なんてものは何をして食っているんだべ。」(同一〇月、区長宅の常会席上、
二二名の前で発言、一一月不敬罪で送局)

 神奈川・農業・四九才――四一年六月、国民学校における故陸軍兵長の村葬に参列し、
埋葬に行く途中、村長にたいし、「国家のため戦死された英霊を何故国民学校の裏門より
出発せしむるか」と質したのに対し、村長が「正門には御真影奉安せられあり、恐れ多い
から臣下として御遠慮中し上げる」と答えたのに対し。「恐れ多い恐れ多いといったって
天皇は我々が食わせておくのではないか、遠慮なら仕方がない。」と不敬の言辞を弄した。(四二年一二月、不敬罪として送致)

 北海道・生徒・一九才――四二年七月、道路において梨本宮殿下の御宿舎を望見しつつ
同僚にたいし、「梨本君まだ来ないのか」と不敬言辞を弄す。(不敬罪として送致)