ニャル子の監督「オマージュは好き嫌いが分かれるのでリスクが高いが、ギリギリのところまで攻めたい」

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ニャル子さんの場合は、パロディの中のアイロニーや風刺という
作品自体を傷つける意図はない。

パロディ=風刺といった論では通用しない。
じゃあ、どういうパロディなのかというと
価値の逆転、転移としてのパロディなのではないかということ

これはマックス・エルンストのピエタのパロディなんだけど
http://4.bp.blogspot.com/_fhVpDW9sV30/TEWik1eJhII/AAAAAAAAOW8/rfDlfniIYpI/s400/max-ernst-pieta-or-revolution-by-night-1923.jpg

これはミケランジェロのピエタのエディプス的逆転なんだよ。
http://file.febria.blog.shinobi.jp/pieta.jpg

これ自体は作品自体を傷つける意図はない
しかしながら価値には逆転が起きている。


> …死んだ息子キリストを抱く生きている母にとってかわって、
> 石と化した父が生きている息子を腕に抱くのだ。
> パロディとは、別の定義をすれば、類似よりも差異を際立たせる批評的距離を置いた反復である

リンダ・ハッチオン「パロディの理論」 p16

ハッチオンは、批評的というけれど、自分は必ずしも批評的距離を置く必要はないと考える。
距離を置いた上で、価値を転移させ、作品を犠牲にすることなく、
笑いにつなげることもパロディの別の定義としてありだと思う。
それをオマージュというかどうかはまた別だけど。