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1877(明治10)年の西南戦争発生のきっかけになったとされる明治政府の西郷隆盛暗殺計画に関し、
当時の鹿児島裁判所の判事ら7人が連名で明治天皇や太政大臣に宛てた「直訴状」が発見された。
停戦し暗殺計画の真相を裁判で明らかにするよう求める内容。志学館大学の原口泉教授(日本近代史)は
「戦争を避け事実を究明したいという裁判官の決死の直訴状。当時の裁判官の中立性を示す第一級の史料だ」と評価している。
直訴状は、鹿児島市立西郷南洲顕彰館の高柳毅館長が昨年2月、東京・神田の古書店から入手した。
今年3月に鹿児島県内の民家から、直訴状と同じ文面の書面も見つかり「全く違うところから同じものが出た。直訴状は本物」と判断した。
直訴状の日付は激戦となった田原坂の戦いが始まる前日の3月3日。西郷軍が上京する理由は、
暗殺計画を政府に問いただすためだとして「一朝、暴徒ヲ以テ目スヘカラス」(すぐに西郷を暴徒とみてはいけない)と西郷軍の事情にも言及。
「首謀者ノ者ヲ処スルニ法律ヲ以テシ、次テ国憲ヲ正サザルヘカラス」(首謀者を法律で裁き、国の根本を正さないといけない)と求めた。直訴状が届いたかどうかは不明。
高柳館長によると、これまで暗殺計画に関する史料は、警視庁から「密偵」として派遣された警部らの自供書だけだった。
計画の真相は現在も不明だが、西郷を慕う士族が暴発する引き金となった。
直訴状には「眛死(まいし)以テ」(死を覚悟して)との文言もあり、7人の決死の覚悟がうかがえる。
原口教授は「裁判官は、最後の最後まで職を全うしようとした。薩摩の不穏分子を断固排除しようという政府の既定方針に、不条理を感じたんだろう」と推測する。
直訴状は顕彰館で公開している。高柳館長は「勝てば官軍だが、今に伝わるのは為政者に都合の良い歴史ばかり。その裏に隠れた歴史にも光を当てたい」と話した。
=2012/04/25付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/kagoshima/20120425/201204250001_000.jpg http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/298975
西郷は実は暗殺された説か?
3 :
番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/25(水) 08:10:22.26 ID:YCSAjVUi0
明治天皇が暗愚だった証拠だな
キンタマどん
5 :
番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/25(水) 08:17:14.01 ID:qzs4X1pWO
てか鹿児島人が地元の英雄を守ろうとしただけなんじゃね?
6 :
番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/25(水) 08:18:21.97 ID:xxeqLl7j0
刺殺せよ
視察せよ
7 :
番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/25(水) 08:20:40.86 ID:VVboSnXkO
ところで薩摩の西郷隆盛の像が何で上野にあるんだろう
いや思い切り西郷側に寄ってますがな
9 :
番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/25(水) 10:29:25.94 ID:9KskQi5G0
嫌儲的には西郷派なの?大久保派なの?
不平等条約とか徳川幕府のせいにされてるけど、あれ山口県人の責任なんだよな
元々幕府がアメリカをはじめ諸国と条約を結んだ時点では、当時の相場から見て妥当な関税率だったんだけど、
長州が列強の艦船に砲撃してあっさり負けちゃったもんだから
幕府も監督責任を問われて、不平等な関税率に変更させられた