大手電機メーカーが挙って子会社の統廃合を行っている…死ぬのは誰か?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1依頼190

富士通と日立 進む子会社再編、「分散から集中」へ

富士通(山本正已社長)と日立製作所(中西宏明社長)のコンピュータ・ITサービス事業体制の見直しが進んでいる。
富士通は、4月1日、10社あったソフト子会社を新設の2社に集約して、本社役員をそれらのトップに就けた。

http://biz.bcnranking.jp/article/explanation/1204/120412_129463.html
2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:28:28.15 ID:qp310oSJ0
ファコムハイタックの再来来るで

拝承
3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:31:10.91 ID:l5PlRS3d0
商売と屏風は広げると倒れるとはよく言ったもんだw
4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:31:34.04 ID:hEjGTVPz0
うちも今年が山だわ
5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:33:05.07 ID:/RPlNQMWO
大手電機メーカーの白鯛さん元気?
6番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:33:29.58 ID:Ep6Cwgf40
かなり前だけど就職で子会社いった奴けっこういたけど、大丈夫なのかなぁ・・・?
7番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:33:40.26 ID:micu5Isf0
日立は優良子会社と産廃子会社の差が激しすぎる
8番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:36:49.35 ID:n0MfhX/K0
日立のシステム系の所属の不明さは異常
9番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:38:44.44 ID:m+OwXCHRi
前から疑問だったけど100も200も子会社作るのって何か意味あるの?

日立の◯◯部門って本社にくっつけておくとなんかまずいの?
10番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:41:22.50 ID:3njmT5tJ0
>>9
会社社長とか役員とかポストが増えるだろ
つまりそういうことだ
11番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:41:36.17 ID:CLw0F8KQi
親子上場でググれ
12番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:53:41.57 ID:rPKdloEj0
ふおお
13番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/14(土) 23:54:14.53 ID:TSIc7bf+0
日立ってバブル崩壊後もかなり統廃合しなかったっけ?
死ぬのは誰かって、そのまま子会社の奴だろ
15番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/15(日) 00:01:45.76 ID:IhiWSLfY0
東電子会社だけど、吸収されないかな。給料上がるだろうし
16番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/04/15(日) 00:02:01.63 ID:CUXRxlEg0
東電子会社だけど、吸収されないかな。給料上がるだろうし
今気付いたが拳と挙げるって別の漢字なんだな
完全に勘違いしてたわ
>>9
◆坂根正弘 コマツ会長[ダントツをめざせ 第3回「危機の時代のマネジメント」]
「2001年、私、社長になった時、コマツの歴史で初めて営業赤字という状況に落ち込む中で、
『今まで雇用が大事だから終身雇用をなんとしても維持するために、色んな子会社を作ったり、色んな事業に手を出したりして』、
気が付いてみたら、本業の建築機械のモノづくり力を持ちながらも、国際競争力を失って赤字に落ち込むという、私なりの認識があった。
 ここは一つ社員に、我々は何が問題で、どこを取り除いたら健康体になるかという事を見せよう。成長に向かって、何に向かって行かないといけないか、という話をした。
 じゃあ、我々が赤字になったのは、なぜか?
 結局、モノづくり競争力はある。我々がモノづくり競争力が無い無いと思ったのは、
一つの商品のコストを出す時に、全部のコストを集計して出すんですけど、
そのコストの中には本当の現場のコスト、一台一台作る度に変わる変動コストと呼ばれるコストと、
その上に重く乗しかかっている固定費。『この固定費には、永遠続けてきた色んな事業に手を出した重みもここに乗っている』。
 この重みさえ取り除けば、我々には競争力はあるんだ、だからもう一回モノづくりにチャレンジしようと言ったのが、当時の出発点」