平田「卯年、月(月丸)が旅立ち、おれが旅立ちます」

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「償いより愛する人を守りたい」 元オウム信者の斎籐被告が逃亡理由吐露

「愛する人を守りたいと思い、罪を償うより逃げることを選んだのです」。長い年月を支えたのは、“尊師”の教えではなく、逃亡生活ではぐくんだ小さな幸せだったという。
斎藤明美被告は、法廷で平田信被告を「家族」と表現。互いに出頭を決意するまでの葛藤を語った。
法廷に立った斎藤被告は茶色く染めた髪に眼鏡をかけ、黒のパンツスーツ姿。起訴内容を認めた後、涙で声を詰まらせながら「生涯をかけて罪を償っていきます」と書面を読み上げた。
検察側の冒頭陳述によると、教団の治療省に所属していた斎藤被告は平成6年ごろ、車両省次官の平田被告と「イニシエーション」と呼ばれる教団の宗教儀式で知り合う。
7年5月、すでに逃亡中だった平田被告から同行するよう求められると「尊敬していた平田被告を支えることが務め」と、これに応じたという。
斎藤被告は被告人質問で、元教祖の麻原彰晃死刑囚(57)=本名・松本智津夫=が法廷で不規則発言を繰り返していることを知った平田被告が「幻滅した」と話していたと説明。
平田被告が寝床で「うなされて胸をかきむしり、私が叩いて起こしたこともあった」と、追いつめられていたことも明かした。
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斎藤被告は「平田との関係は、家族だと思っている」とした上で、平田被告が関与を否定していた警察庁長官銃撃事件について「時効の成立までは捕まらないように、という一心だった」と振り返った。
同居していたマンションではウサギの「月丸」を飼い、2人は互いに「パパ」「ママ」と呼び合っていたが、卯年の昨年8月に死んだ。3カ月後、平田被告は「年内に出頭する」と告げた。
銃撃事件はすでに時効が成立していた。

大みそか、出頭する平田被告を見送り、部屋に戻ると「卯年、月(月丸)が旅立ち、おれが旅立ちます」という書き置きがあった。

斎藤被告はこの文章を書き写したパスポートを手に、10日後に自首した。弁護人によると、斎藤被告は接見時に「麻原は死刑で当然」とも話したという。
「罪を償うべきは、『オウム真理教の信者だった』というところからです」。法廷で、教団との決別を誓った斎藤被告。最終意見陳述ではこう締めくくった。
「まだ信じている人たちはもっとよく考えて、真実を見つめてください」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120306/trl12030623340005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120306/trl12030623340005-n2.htm
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愛を語る〜よ〜り〜口付けを〜かわそう〜
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なんだ、ただの中二病か。