黒目がちの瞳の小さな頭が大人の手のひらの中できょときょと動く。「おじいちゃんにそっくりね」。粉雪の舞う2月10日午後、宮城県石巻市南境の仮設住宅。
ちゃぶ台を囲む母の阿部梢さん(27)や祖母の木村信子さん(57)らに代わる代わる抱かれ、生後2カ月の阿部(颯介、そう、すけ)ちゃんがくすぐったいような笑い声をあげる。
その瞳が見つめる部屋の隅の棚上には、目鼻立ちの似た祖父の木村文幸さん(享年61)の遺影がある。
カツオ漁船乗組員だった文幸さんは6年ほど前に肺がんを発症してリンパ節まで転移したが、抗がん剤が効き、身の回りのことは自分でしていた。
東日本大震災当日、石巻港の約1キロ北にある自宅から約400メートル離れた釜小学校へ、長女梢さんや長男一家ら計8人で避難した。
校舎1階は水浸しで2日間は何も口にできず、教室のカーテンを体に巻き、段ボールと新聞の上で震えた。
3日目以降ようやく物資が届き始めたが激しいせきが止まらず、4月に病院に運ばれ肺炎と診断された。
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