長宗我部元親の居城跡で新たに竪堀遺構見つかる

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長宗我部元親の居城跡で新たに竪堀遺構見つかる

 戦国大名・長宗我部元親(1539〜99)の居城だった岡豊城跡(高知県南国市岡豊町八幡)で、
新たに竪堀(たてぼり)とみられる遺構が複数見つかったと、南国市教委が発表した。

 長さ100メートル近くとこれまでで最大規模のものが含まれていたほか、
南側に集中しており、市教委は「城の防御構造を知る重要な遺構」としている。

 同城跡は、岡豊山(標高97メートル)の全体に築かれた山城。
頂上の「詰(つめ)」(本丸)など主要な箇所は発掘調査を終え、29ヘクタールのうち12ヘクタールが国史跡に指定されている。
竪堀は、攻め上る敵兵が左右に動くのを封じるため、斜面に沿って縦に築く堀で、東西南北すべての面でも見つかっている。

 斜面には、私有地だったり、木や雑草が生い茂ったりして未踏査の部分が多く残っていた。
そこで、市教委は今回、高松市の民間企業にヘリコプターからレーザーを照射する方法で測量を依頼。立体的な地図を作製した。

 その結果、竪堀とみられる跡が点在しているのを確認。
特に南東側と、馬屋があったとされる「伝厩跡曲輪(でんうまやあとくるわ)」の南側で多く見つかっており、
市教委は「南側は城の正面にあたるため、防備をより強固にしていたのではないか」と推測する。

 市教委は国史跡の指定範囲拡大を目指し、有識者8人で構成する同城跡保存管理計画策定委員会を設置。
3月末までに、私有地部分の調査の進め方や遺構の保存・整備方法などを盛り込んだ管理計画を策定する。

 委員長を務める県立歴史民俗資料館の宅間一之館長(77)は、
「廃城になって400年がたち、地形を目視するのは困難になっていたが、驚くほど詳細なデータが得られた。
 今後も城の全容解明を進めたい」と話している。(森本健裕)

 11日午後1時半から、資料館2階多目的ホールと岡豊城跡で宅間館長による説明会が開かれる。
(2012年2月10日16時54分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120210-OYT1T00043.htm
2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/10(金) 19:48:53.95 ID:5plDITBY0
白地城の遺構ぶっ潰してかんぽの宿建てた徳島県民哀れ
3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/10(金) 19:50:22.97 ID:1Kk1Bybv0
ウホッ!これは良い山城
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20120210-968345-1-L.jpg
4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/10(金) 19:54:20.39 ID:z0zmsmwWO
2ちゃんの情報を鵜呑みにしている僕は
高知県の権力者は全員山内家とずぶずぶだと信じています
5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/10(金) 20:00:15.78 ID:dFSrvOV20
五年くらい早く生まれて信長より前に畿内に出てこれればひょっとして
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俺の先祖が勤めてた城も山城。
山城って知ると城の意識が変わるよね。
山だもんな。