「真珠湾攻撃」
「真珠湾ってどこ」と若い女性に聞いたら、三重県という答えが返ってきたという。真珠・鳥羽湾・三重県という平和な連想らしい。あの時代は遠くなった。
▼12月8日は太平洋戦争の幕開けとなったハワイの真珠湾攻撃があった日だ。70年前、日本の連合艦隊は真珠湾を奇襲し、米太平洋艦隊に大きな打撃を与えた。
小学生だった私は教室で同級生と歓声を上げ、作家の伊藤整は「人々みな喜色あり」と書いた。
▼一方、米政府はこの屈辱の日を国民の戦意向上に転換させようとした。不意打ちという「日本人の卑劣さ」を内外に徹底的に宣伝し、後年の原爆投下さえ正当化した。
▼私は1960年代の7年間を米国で過ごしたが、米メディアは例年、この日は真珠湾を必ず大きく取り上げた。ただし冷戦時代は、ソ連からの奇襲に備えよと訴える材料となった。
▼攻撃には特殊潜航艇も使われ、軍神と讃えられた一人・酒巻和男少尉が捕虜第1号となった。潜航艇はフロリダ州先端キーウェストの公園に展示され、
見学した私が地元新聞に取材されたこともある。
▼戦後の日米同盟は最も成功した2国関係だが、いまや米外交の中心はアジアに移った。その警戒相手は中国であり、国家機能のまひを狙うコンピューター中枢へのテロ攻撃だ。
▼真珠湾攻撃は地上戦から航空機へと、戦略の転換をもたらしたが、最近の米国防報告は「中国のサイバー攻撃から国を守れ」と強く訴えている。(倫)
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