「津波が憎い」 警報が来ても避難しなかった爺さん一家、孫(6)が津波にさらわれる
東日本大震災 津波憎い 入学目前、孫さらわれ 気仙沼
水色のランドセルを背負って、4月からの小学校を楽しみにしていた。あどけない笑顔がまぶたを離れない。
宮城県気仙沼市・大島の大崎喜久夫さん(67)とツタヨさん(60)は、たった一人の孫娘、緑ちゃん(6)を目の前で津波にさらわれた。
生後2カ月から親に代わって育ててきた緑ちゃん。
小学校で友だちをいっぱいつくると言っていた孫が、突然消えてしまった。
「もっと早く避難していれば」。2人は島を襲った津波を恨み、自分たちを責めた。【喜屋武真之介】
強烈な揺れの直後、夫婦は津波を考え、保育所にいた緑ちゃんを車で連れて帰った。
自宅は大島の中央付近で、東西の海岸からは数百メートルほど離れている。
高台に逃げようとも思ったが、大崎さんは「おそらくここまでは来ない」と考え、
家の前に止めた車にツタヨさんと緑ちゃんを乗せて待たせ、倒れた仏壇の花瓶や位牌(いはい)を直していた。
「判断が甘かった」と大崎さんは悔やむ。
津波は東西両岸から一気に押し寄せてきた。大崎さんはとっさに家を出て高台に走って逃げたが、
ツタヨさんと緑ちゃんは車ごと津波にのまれた。いったん波が引き、2人は車から逃げ出したが、
すぐに次の波が押し寄せ、別々の木にしがみついた。気が付くと緑ちゃんの姿はなく、間もなくツタヨさんものみ込まれた。
「濁流のなかで上も下も分からず、潮の味と油のにおいでいっぱいだった。これが地獄だと思った」。ツタヨさんは偶然、建物の屋根に足がつき助かった。
夫婦はずぶぬれになりながら声をからして緑ちゃんの名を呼び、必死に捜したが、見つからない。
避難所や親戚の家に身を寄せながら、今も家の近くや海岸で孫の姿を捜し続けている。
長女は1、2年後には大島に帰り、4人で暮らす予定だったという。
地震後、安否を心配する手紙が届き、緑ちゃんが行方不明になっていることを伝えた。ショックを受けたのか、長女からの返事はまだない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000052-maip-soci