故梅棹忠夫氏の資料500点初公開 3月に特別展
「知の探検家」と言われた日本の文化人類学の開拓者で、昨年7月に90歳で亡くなった
故・梅棹忠夫さんの偉業を紹介する特別展「ウメサオタダオ展」が、3月10日から梅棹さん
ゆかりの国立民族学博物館(大阪府吹田市)で開かれる。現場を愛し、常にひたむきな探求心を
持ち続けた梅棹さんが生前海外などで記した未公開の「フィールド・ノート」や直筆原稿など、
同館所蔵の約500点を初公開。若き日の「梅棹ワールド」を今に伝える一級の資料で、
関係者は「梅棹さんの先見性が改めてしのばれる」と話している。
大正9年生まれの梅棹さんは、もともと動物学を専攻していたが、内蒙古の学術調査を通じて
民族学、人類学に転じ、京大総合学術調査隊に加わるなどして“京都学派”を形成。昭和49年
に創設された同博物館の初代館長も務めた。
「モゴール族探検紀」(昭和31年)や、カードを並び替えて新たな発想を導くB6判の通称
「京大型カード」の着想を書き込んだ「知的生産の技術」(44年)など多数の著作を発表。
61年に視力を失う苦難に見舞われたが、「自分の足で歩いて確かめ、自分の頭で考える」姿勢を
説き続け、新たな視点での発信や後進の育成に尽力した。
10〜40代に当たる昭和7年ごろから39年に記されたフィールド・ノートなどの膨大な
研究資料は、同博物館に委ねられたが、「生前に公開する性格の資料ではない」として、これまで
一般の目に触れる機会がなかった。梅棹さんの死後、同博物館の研究者が特別展の開催を企画。
整理を進め、主に著作集に関連する資料を選んで公開されることになった。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/491233/