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作詞家の星野哲郎さん死去

「函館の女(ひと)」や「三百六十五歩のマーチ」など、昭和を代表する多くのヒット曲の歌詞を手がけた、
作詞家の星野哲郎さんが、15日午前、東京都内の病院で亡くなりました。85歳でした。

星野さんは山口県の出身で、今の東京海洋大学を卒業後、遠洋漁船の乗組員になりましたが、
結核を患って仕事を辞め、病と闘いながら作詩の活動を始めました。雑誌の懸賞に入選した「チャイナの波止場」で
作詞家としてデビューしたあと、「はるばるきたぜ函館」の歌い出しで有名な北島三郎さんの「函館の女」や、
都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」、小林旭さんの「昔の名前で出ています」など、演歌を中心に昭和を彩る
多くのヒット曲を生み出しました。星野さんの作品は人生を応援するメッセージが多いことでも知られ、
なかでも昭和40年代の高度経済成長期に発表した「男なら人のやれないことをやれ」という歌詞の
「いっぽんどっこの歌」や、「人生はワン・ツー・パンチ」でおなじみの「三百六十五歩のマーチ」は、
いずれも歌手の水前寺清子さんの代表曲で、今も多くの人に親しまれています。

演歌だけでなく、ポップスの「黄色いさくらんぼ」や、「自動車ショー歌」、映画「男はつらいよ」の主題歌など、
幅広いジャンルを手がけ、作詞した歌は4000曲を超えています。星野さんは、日本作詩家協会の会長や
日本音楽著作権協会の会長などを歴任して作詞家の地位の向上に努め、平成12年には勲3等瑞宝章を
受章しました。平成19年には、出身の山口県周防大島町に、業績を紹介する「星野哲郎記念館」がオープンしました。
星野さんは80歳をすぎても作詞を続け、ことし1月に演歌の新曲の歌詞を発表しましたが、その後、体調を崩し、
先月初めから肺炎のため東京都内の病院に入院していました。
続きhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20101115/t10015254241000.html