「とある魔術」を推してるにわかアニヲタに「けんぷファー」の素晴らしさを教えるスレ

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158 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
ここらで俺の主張をまとめておくと、「ハーレムアニメの主役は女で、設定だとか話の筋はおまけだ」ということになる。
さて、ここからが本題。この観点から言うと、けんぷファーはかしのへきというやつで、完璧なハーレムアニメなのだ。
11話のあのオチはまさしくこの「設定や話の筋は女のおまけである」という思想に基づいている。
けんぷファーにおいて、白けんぷファーやモデレーターといった設定は何かといえば、それは女の魅力を引き立てるための設定に過ぎない。
11話の局面においてこれらの設定に求められた機能というのは、それ自体の謎を解くことの魅力ではなく、「沙倉楓によって危機に陥る
ナツルハーレム!」という展開を引き出し盛り上げるため彩りとしての機能である。
そして、この機能によって導かれる展開において、重点が置かれているものが「危機によりいっそう結束が深まるハーレム」というテーマ、つまり女の魅力だ。
だからナツルの選択と確認によって愛が確かめられたその後は、余計な設定である白けんぷだのモデレーターだのなんだのいうゴミは第九でも流してウケを
取りつつさっさとオチをつけて、後はパイタッチでもしていればいいのである。設定や話の釈明に使う時間は徹底して切り詰め、女のかわいい時間を何がなんでも作る!

けんぷファーにも設定や話の筋は確かにある。が、それらは全て女のかわいさを引き立てるための、あるいは女を登場させるための、
仕方のない要求によって生まれたおまけだ。けんぷファーは互いに引き合うという設定があるから、ナツルと紅音がであっていちゃいちゃ
出来るわけだし、モデーレーターの代理戦争という設定があるから、雫は自分語りしてそれらしい目的っぽいものを出しつつカタイ女という
イメージを保つことに成功している(キスだのデートだのしておきながら!)。全ては女のために配置され、女のためだけに利用されて終わる。
その世界には一点の曇りもなく、女へ向かおうとするまっすぐな意志の力が明らかに存在している――決して「ネタだけの糞アニメ」ではない。